MAGIC STORY

神河:輝ける世界

EPISODE 16

メインストーリー第5話:次なる戦いへ

Akemi Dawn Bowman
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2022年1月27日

 

 研究所は金属と血の混沌と化し、だが放浪者は動きを止めなかった。その動きは、戦いでありながら舞踏でもあった。

 すぐ近くで、魁渡(かいと)の刀がジン=ギタクシアスの手下の猛攻撃を幾度となく受け止めた。タミヨウは少し離れて宙に浮き、巻物を広げてテゼレットの身体を一時的に麻痺させていた。

 半ば切断されたジン=ギタクシアスの身体が横たわる床には、深い鉤爪の跡が刻まれていた。立ち上がろうとして失敗した証。

 今や、その怪物は動いていなかった。

 放浪者は、その生死を確認するような手間はかけなかった。戦いの恍惚状態に身を委ねる。それは思考を隅々まで貪り、危険が過ぎ去るまで終わることはない。

 放浪者と魁渡の動きに、敵は一人また一人と倒れていった。

 そして混乱が消え去ると、放浪者の耳を沈黙が満たした。高揚の中にありながらも呼吸を整え、彼女は振り返った。魁渡の笑みに安堵がひらめいた。

「俺たち、いいチームになれますね」 彼は刀の柄をひねり、ぎざぎざの刃を今一度元の滑らかな形状に戻した。「二戦目に行ける奴が誰も残ってないのが残念です」

「そんなに戦い好きになっていたなんで知りませんでしたよ」 放浪者は帽子を正した。「私が覚えている男の子は、むしろ皇宮の厨房でつまみ食いをする方をずっと好んでいましたが」

 魁渡は緊張感のない笑い声をあげた。滑らかな動きひとつで、彼は背中の鞘に刀を収めた。「皇宮の食事が最高だと思ってるのでしたら、ちょっと長く神河を不在にしすぎですよ。都和市(とわし)の飯屋へ連れていってあげます――口の中でとろけるくらい美味い燻製蟹の巻き鮨がありますし、他にも――」

 タミヨウが咳払いをし、魔法で拘束されたテゼレットを示した。その身体は動かず、だが桃色の瞳には怒りが燃え上がっていた。

 ばつが悪いように魁渡は頭を撫でた。「そうですね。まずは仕事を。飯はその後です」

 タミヨウは彼を一瞥し、それから放浪者へと注意を向けた。「この男が神河に危険をもたらすのは間違いありません。ですが拘禁する前に、この男の計画の真実を知るのが全員にとっても有益ではありませんか」

 放浪者は顔にかかった髪の一房を払った。「企みの内容以前に、この男は神を傷つけました――神へと釈明させるべきでしょう」

 魁渡は眉をひそめた。「香醍(きょうだい)の所へ連れて行くんですか?」

「そうです。私たちがこの男の運命を決します」 その声は石のように揺るぎなかった。

 例え戦いの中であろうと、皇は感情を制御するように教えられてきた。だが、その灯によって他次元へと連れ去られた時、彼女はまだ子供だった。長い間、孤独の中にいた。寂しく悲しい孤独の中に。

 だから、できることをしただけだった――心の鍵をかけ、落ち着いた振る舞いを生き伸びる手段に変える。

 けれど今こうして故郷に帰りつき、自分の感情が胸の中で叫び、解放されたがっているのを感じた。それでも彼女は警戒を解きはしなかった。神河に留まり続けられると確信できるまでは。

 もし心の鍵を開けて、皆に再会できた喜びを――魁渡に再会できた喜びを――思うがままに解き放った瞬間、今一度この世界から切り離されてしまったなら?

 そのような悲嘆から回復するには、一生かかるかもしれない。

 剣を柄に収め、放浪者はテゼレットへと踏み出した。十年前にこの男が香醍に行った何らかが、偶然にも自分の灯を点火させた。ならば、この男の試作品のチップがもたらした今の状態を元に戻す、その方法も知っているかもしれない。

 この男から答えを引き出す。けれどそれは香醍と共に。

「直ちに永岩城(えいがんじょう)へと戻ります」

 タミヨウはわずかに頭を下げて了承した。魁渡はただ頷いた。

 だがテゼレットはそれまでにない活力をもって三人を見つめた。首筋の血管はタミヨウの物語の魔法に抵抗するように張りつめ、その視線は現実チップが埋められた放浪者の手の甲へと移った。身体は動かせないかもしれない、けれど心は?

 心さえあればいい。

 放浪者の内に冷たい震えが走った。声を発する余裕はなかった――警告の叫びを上げる暇もなく、テゼレットは現実チップを支配した。

 その装置がエネルギーを発し、放浪者は悲鳴をあげて頭を抱えた。金属のワイヤーが脈打ちながら、皮膚に深く食い込んだ。白い閃光が弾け、彼女は自分の心が皇宮へと飛んだのを感じた。香醍が苦悶に叫んでいた。まるで互いの心が合わさったかのようだった――そしてその繋がりは、香醍もまた苦しんでいると示していた。

アート:Wylie Beckert

 ひとつの次元から別の次元へ、その境で魂が揺らめくようだった。現実チップは彼女の灯を乱し、プレインズウォークを強いていた。だがそれは同時に放浪者と香醍との絆を研ぎ澄まし、それを通して彼女は香醍の思考を聞いたのだった。まるで同じ部屋に立っているかのように、はっきりと。

『永岩城が攻撃されている』 香醍が呼びかけた。『理想那(りそな)が軍勢を連れてきた。プレインズウォークしてはならない――皇宮は其方を必要としている』

 放浪者は返答しようとした――テゼレットと現実チップの件を告げようとした――だが無益だった。神経の隅々にまで苦痛が広がっていた。灯が不安定化していた。

 放浪者の心が震えた。

「駄目です!」 魁渡はかすれた叫びを上げた。彼は手を突き出し、遠くに置かれた巨大な箱を心でとらえて引いた。死に物狂いのうめき声とともに魁渡はそれを引き寄せ、箱は宙を飛んでテゼレットの背中に激突した。砕ける音が響いた。

 テゼレットは膝をつき、だが魁渡は立て直す余裕を与えなかった。次なる箱がテゼレットの後頭部を直撃した。最初よりも大きく、速く。

 その衝撃にテゼレットは意識を失った。

 タミヨウは気を引き締め、麻痺呪文を再読した。「機械を操る力で現実チップを操作したのです」そして視線を放浪者へと移した。「具体的に何をしたのかはわかりませんが――陛下の灯を刺激したのは確かです」

 心配をありありと顔に浮かべ、魁渡は放浪者の隣に膝をついた。「そのチップが陛下を神河に繋ぎ止めるって言いましたよね?」

 タミヨウは浮遊したままふたりに近寄った。そして流れるように優雅に床に降りると放浪者の手をとり、埋め込まれた装置を見つめた。「テゼレットは装置の内にある何かを起動したのでしょう。ですがこの技術は私の理解を超えています。元に戻す方法はわかりません」

「それは感じます、まるで身体の内から引き裂かれるようです」 苦痛に顔を歪め、放浪者は頷いた。「お願いです――これを取り除きたいのです」

「そうすれば、プレインズウォークしてしまう危険がありますよ」

「このチップが私をここに留めているわけではありません。今はもう。それにこの装置とともにプレインズウォークしてしまえば、私は不安定な現実チップとともに多元宇宙を迷うことになるでしょう。そして一体どうなるか」 放浪者は胸元を掴み、この次元に自らを繋ぎ止めようとこらえた。「このチップは香醍への道を開きました。彼女に私のエネルギーを集中させ、私たちの絆を用いてこの灯を制御してみます」

 放浪者はあえて彼と目を合わせなかった。動揺を見られたくはなかった。「そのはずです」 言えたのはそれだけだった。

 タミヨウは理解に頷き、現実チップに指先を押し付けて待った。すると奇妙なワイヤーが悶え、放浪者の皮膚から抜け出した。

アート:Aurore Folny

 放浪者は唇を噛み、苦痛の声をこらえた。「別の問題が起こっています」 そしてそう付け加えた。タミヨウは武器というよりは古の書庫の本であるかのように、チップを見つめていた。理解するにためには時を必要とするもの。「香醍が伝えてくれました、永岩城は既に襲撃を受けています。蜂起軍を止めるには、理想那よりも先に香醍のもとへ行かねばなりません」

 魁渡は眉をひそめた。「さすがに神を傷つけはしないんじゃないですか? それに香醍はただの神じゃない――神河全ての守護者でもある精霊です」

 放浪者の顔色は蒼白だった。「理想那は皇国制の廃止と、皇国の支配の終わりを求めています。力ずくで皇の座を奪えば十分と思っているかもしれません。ですが神河は香醍の祝福を受けない急進的な政治体制を決して受け入れないでしょう。理想那がそれを知ったなら、香醍をも排除しようと動く可能性もあります。どちらにせよ、私は社を守らねばなりません」

「永岩城までは何時間もかかります」 魁渡は意識を失ったままのテゼレットを示した。「それにタミヨウさんの巻物の一本がたまたま空中浮遊の魔法でもない限り、捕虜をずっと担いで行かないといけません。それも、言うならば全身のほとんどが筋肉と金属でできた人間を」 そして肩をすくめた。「動けなくしたのはあまり良くなかったかな」

「私は永岩城からこの施設にプレインズウォークしてきました」 放浪者が言った。「同じように皇宮へは戻れます」

「けれどそれじゃ、陛下はひとりですよ」 魁渡はかぶりを振った。「もう現実チップは外れています。もし上手くいかなかったら」

「そうであれば、乗り物が必要です」 放浪者の声は平坦で、真剣だった。「空中フェリーよりも速く、四人全員が乗れるようなものを」

 魁渡は口元を歪めた。「大田原(おおたわら)ではそこらじゅうに監視メカが飛んでます。けれど操縦はできない形式のです。ハッキングして行き先を手動で永岩城に変えないと」

 タミヨウは考えこんだ。「方法はあるかもしれません。現実チップは既存の力を増大させるもののようです。放浪者さんの灯のような」 そして魁渡を見た。「貴方と同じく、私も念動力が使えます」

 魁渡は放浪者の隣に膝をついたまま、懸念から眉間に皺をよせた。「お願いです、俺と同じことを考えてるとか言わないでくれませんか」

 タミヨウは現実チップを自身の手の甲の上に掲げ、そして押し付けた。ワイヤーが皮膚に入り込み、彼女は一瞬だけ息をのむと、装置の端が輝きだした。

 彼女はテゼレットを身振りで示した。「近くのメカへ運ぶのを手伝ってください。私が皆さんを永岩城へお連れします」

 捕虜を肩に抱え上げ、一行は急いだ。大田原の外れ、背の高い昇降台の上に巨大な折り紙の爬虫類型をした監視メカが立っていた。その視界は眼下の空中フェリーに定められていた。

 魁渡はその重装甲の機械へ顔を向けた。メカの両肩には一対の発射体が備わっていた。「あれ見えます? ちょっと問題ですよ」

「私がやりましょう」 放浪者の口ぶりは、友からの挑戦を了承するように軽かった。

 メカの監視カメラに映らないよう、彼女は素早く道路の上を移動した。そして剣を手にとり、肩の高さに持ち上げると剣先を空へ向け、金属の獣の首筋へとまっすぐに振り下ろした――脊髄部分の頂点、二枚の装甲の隙間へと。

 剣が激突し、配線を誤ったかのように火花が首筋から飛んだ。メカは耳障りな軋み音を発して身体を低くし、休止状態に入った。

 扇のような装甲に足をかけ、放浪者はその背中へ登ると剣を回収し、身体をひねって仲間たちを見た。「急ぎましょう――監視カメラが切れたのはすぐに気づかれます。そして質問に答える時間はありません」

 魁渡とタミヨウも手伝い、彼らはテゼレットの身体をメカの背中へと引き上げた。そして脊髄部分に並ぶ金属板にしっかりと掴まった。

 テゼレットを片腕で押さえつけながら、魁渡は油断なく放浪者を一瞥し、タミヨウへと視線を戻した。「よし、それじゃ三つ数え――」

 タミヨウは彼が言い終えるのを待たなかった。彼女は目を閉じ、息を吸い、そして現実チップの力を自らの血管へと解放した。

 彼らの下で、爬虫類型メカが震えた。放浪者は片手を突き出し、メカの肩甲骨に身体を押し付けた。まるで空が真二つに割れたような音が響き、メカは宙へと舞い上がった。

 タミヨウが大田原の端からメカを降下させると、心臓がぐらつくように放浪者は感じた。彼女らは雲の中を飛び、風が顔を叩いた。魁渡は大きく笑みを浮かべ、この時を満喫していた。一方でタミヨウは額に皺を寄せ、深く集中していた。

 メカは震えていた――この金属塊を制御するのは大仕事であり、現実チップがタミヨウへとどのように影響するかもわからなかった。放浪者はプレインズウォークを制御するために用いたが、それは数秒だけだった。永岩城へとたどり着くまでには、もっと長い時間がかかるというのが問題だった。

 彼女はテゼレットを強く掴み、風に乗って速く進めることを願った。

 やがて雲を抜けると、放浪者は遠くにかすかな戦いの音を聞いた。金属が激突する音。傷を受けた者の悲鳴。

 眼下の地表で、皇宮外縁部の城壁が瓦礫と化していた。

 理想那と浅利(あさり)の蜂起軍は本当に永岩城にやって来ていた――そして既に門を破っていた。

 テゼレットが身動きをし、放浪者は剣を抜こうとした。だが間に合わなかった。

 片手を獰猛に動かし、彼は魁渡のベルトから発煙装置を引き抜くとそれをメカの背中に叩きつけた。それらは白と灰色の煙とともに弾け、魁渡とタミヨウと放浪者は空気を求めて激しく咳き込んだ。メカは騒音を発して左右に揺れ、放浪者は手が滑るのを感じた。

 魁渡は咄嗟に手を伸ばし、その指が必死に彼女の腕を掴んだ。「行かせません!」

 だが放浪者は桃色に輝くテゼレットの両目を凝視していた。彼はひとつ嘲るとメカから飛び降り、それと同時にタミヨウが張りつめた悲鳴を上げた。

 タミヨウひとりでこのメカを制御はできない――そして墜落は間近だった。地面への激突を避けるには、わずかな時間しか残されていない。

 必死かつ切実に、放浪者は魁渡を見つめた。「飛び降ります」

 手を離したくはない――魁渡の怯えた視線はそう伝えていた。けれど彼に選択をさせるつもりはなかった。

 彼女は魁渡の手から腕を引き抜き、地表へと跳んだ。

 身体をひねって着地の衝撃を和らげる直前、メカは皇宮の建物の壁に激突し、爆発した。


 煙がようやく晴れる頃、ようやく四肢に力が戻ってきた。魁渡は立ち上がり、メカの残骸近くに皇の姿を探した。

 彼女は見つからなかった。

 それは良いことかもしれない。墜落を生き延びた可能性があるのだから。

 蛾乗りの侍たちが頭上を通過し、近くの戦場へと降下していった。彼らはこの瓦礫を何ら気にとめていなかった。壁の先で戦いが勢いを増しているのだから。

 そしてテゼレット――あの男はどこへ消えた?

 タミヨウが現れ、魁渡は必死に尋ねた。「何があったんですか? テゼレットは麻痺していたはずじゃ?」

 タミヨウは片手を挙げて見せた。現実チップはまだそこにあり、光をちらつかせていた。「このチップを使ったことで、魔法が干渉を受けたに違いありません。呪文を維持しながら同時にメカを飛ばすことはできませんでした」

 魁渡は指を組み合わせ、そして頭の上に乗せた。「あいつはプレインズウォーカーです――何処へ行ってもおかしくありません」

「現実チップを持たずにこの次元を去りはしないでしょう」 タミヨウはそう指摘した。「そしてそれは今も皇が所持しているとあの男は信じています」

 魁渡は愕然とし、だが金属と金属がこすれる音にはっとした。彼は瓦礫の向こう側へと駆け、急停止して柵に手をかけるとその下を覗き込んだ。皇宮の庭園には大混乱が弾けていた。

 壊れた城壁から蜂起軍が突入し、迎え撃つ巨大なメカは獅子の姿をとって大きく開いた顎からエネルギーを発射した。香醍の社は今も無事だったが、最初の城壁は破られておびただしい数の死体が庭園に転がり、どちらの側が優勢なのか判断はつかなかった。

 遠くに、魁渡は皇の姿を見た。円形の帽子でその純白の髪の大半を隠しながら、彼女は香醍の間を目指していた。その動きは一陣の風のよう、断固として揺るがなかった。そして魁渡が視線を上へ向けると、その理由がわかった。

 幾つか先の建物に、浅利の蜂起軍数人に混じって理想那が壁を登っていた。戦いを攪乱に用いて、最も警備の固い区域をすり抜けてきたに違いない。

 だが皇も素早く移動していた。このまま邪魔が入らなければ、蜂起軍が社にたどり着く前に理想那に切りかかるだろう。

 その前にテゼレットに見つからなければ。

 タミヨウが細い指で屋根のひとつを指さし、鋭い声で言った。「あそこに。陛下を追っています」

 魁渡は額に皺を寄せ、黒い瓦屋根の上を探した。黒い衣服に灰色の髪、見つけるのは困難だった。だが陽光がその金属の腕にぎらつくのを見て、魁渡は息の音を立てた。

「近づきますよ」 タミヨウはそう言い、両腕で魁渡を抱え込むとそのまま宙へと浮かび上がり、永岩城の内部城壁へと向かった。

 ふたりは屋根のひとつに、落下するように降り立った。魁渡は慌てながらも滑り落ちないようこらえ、瓦の数枚が地面に落ちていった。

「ごめんなさい、着地が荒くて」 平静を取り戻し、タミヨウは立ち上がった。「一人でしたら、飛ぶのはずっと容易いのですが」

 魁渡は仮面を外した。灯元が折り紙のように形を変え、見慣れた狸の姿をとった。魁渡が片手で送り出すと、ドローンは眼下の混乱の中へと飛んでいった。

「何をしたのですか?」 不思議そうにタミヨウが尋ねた。

 魁渡は目を細くし、ドローンが喧騒の中に消えるのを見つめた。「念のためです」説明している時間はなかった――皇に危機が迫っている。

アート:Cristi Balanescu

 魁渡は屋根の上を駆け、壁を次々と登り、敵との間隔を詰めていった。テゼレットは皇だけを見つめており、頭上で巻物を開きながら近づくタミヨウには気付いていなかった。

 だが魁渡は不安で、そして戦いに飢えていた。彼は近くの庭園に置かれた石灯籠を一瞥し、念動力でテゼレットへと投げつけた。それはテゼレットの肩を直撃し、彼は屋根の上でよろめいた。そして憤怒を浮かべて振り返った時、先にその視界に入ったのはタミヨウだった。

 そして、タミヨウの手に取りつけられた現実チップを認識した。瞳からその様子が伝わってきた。

 巻物を読む隙はタミヨウに与えられなかった。テゼレットは壁の先の石庭から送風機の羽根を呼び寄せ、それを彼女めがけて放った。それが彼女の直前まで迫るとテゼレットは拳を握り締め、すると装置は爆発した。

 砂がタミヨウの目を直撃した。彼女はひるみ、巻物を落とした。

 魁渡はふたりに追いつこうと屋根の上を跳んだ。刀を抜くことはしなかった。今、武器は何も役に立たない。どれも未来派の技術で強化されているのだ。

 両手を目の前に突き出し、魁渡は瓦を数枚引きはがすと矢弾のようにテゼレットへと発射した。タミヨウは再び浮かび上がり、庭へと落ちた巻物を探して目をこらした。

 テゼレットが体勢を立て直す前に魁渡は突撃し、蹴りを顎にめり込ませた。再びテゼレットはよろめき、歯を食いしばって拳を握り締めた。

 身に着けたあらゆる機械の一片にまで、テゼレットの力が脈打つのが魁渡には感じられた。武器に装甲――その全てが魁渡の隙となっていた。

 だがここは神河、自分の故郷なのだ。そして屋根の上を駆けて人生のほとんどを過ごしてきた。万全を期してこの男と正面から対峙するために。

 この報復に隙はない。あったとしても、それは自分を強くしてくれる。テゼレットよりも遥かに、この心は目の前の戦いへと強固に定められている。

 魁渡は増強装置の塊を身体から振り落とした。ナイフや小型の装置が豪雨のように屋根瓦を叩いた。これは必要ない。この戦いには。

 テゼレットの頬を魁渡の拳が直撃した。勢いを止めずに彼は次々と拳を繰り出し、テゼレットは屋根の上で後ずさっていった。

 防御のため、テゼレットは金属の腕を持ち上げた。そして次の拳が迫ると、テゼレットは魁渡の服を掴んで引き寄せた。ふたりの間には金属の拳だけがあった。

「前にもこうして会ったな」 テゼレットは怒り狂っていた。「お前にとってはいい終わりではなかったが」

「ああ。こんな言葉を知ってるか? もし一度目が上手くいかなかったら……」 魁渡は身構えた。「二度目は友達を連れて来いって」

 テゼレットの顔に困惑が浮かび、だが次の瞬間、苦痛の咆哮が上がった。彼は魁渡を放し、屋根の上をよろめきながら後ずさった。輝く短剣が大腿に突き刺さっていた。その黄金の柄に皇国の紋が彫み込まれているのが見えた。

 魁渡が見下ろすと、侍と蜂起軍が荒らし尽くした庭園に、英子(えいこ)の姿があった。その隣には魁渡のドローンが浮遊し、姉の手には揃いの短剣が握られていた。

 彼は姉へと敬礼をしてみせると、テゼレットへと向き直った。敵は傷ついた脚から短剣をようやく抜いたところだった。

 麻痺の巻物を広げ、タミヨウが降下してきた。瞬時にテゼレットは石化したように動かなくなった。

 タミヨウはテゼレットから目を離さず、そして鉄のように冷たい声で告げた。「特別な拘禁室を用意するよう皇国兵に伝えてください。機械を一切使用していないものを」

 魁渡は簡素に頷いた。「軽脚(けいぎゃ)先生に伝えます」 そして背を向けて近くの垣を降りようとした所で、テゼレットの冷たい声が響いた。燃え殻が最後に弾けるように。

「私を永岩城に閉じ込めておく必要はない」 そして物憂げに続けた。「ファイレクシアが求めるものは手に入れた」

 顔をしかめて魁渡は振り返り、愕然とした。タミヨウの手から光が閃き、現実チップが起動した。

 タミヨウはテゼレットの掌握を、そして物語の魔法が中断されるのを予想していなかった。彼女は血の気を失ってふらつき、胸元を掴んだ。

 彼女に何が起こったのかを魁渡が察するよりも速く、テゼレットはタミヨウに飛びかかって震える肩を掴んだ。うなり声を上げてテゼレットは金属の腕で空を切り、すると空にぎざぎざの線が走った。電気が弾ける音が魁渡の耳を貫き、彼が見つめる中、テゼレットの背丈ほどにポータルが広がっていった。

 テゼレットは弾ける光にタミヨウを引きずり込み、ふたりは屋根の上から姿を消した。

 魁渡は一歩踏み出し、全てを元に戻そうとするかのように呆然と瞬きをした。だが無益だった。ポータルは金属音を立て、勢いよく閉じた。

 タミヨウは――そしてテゼレットは――消え去った。


 理想那は円を描くように動いた。計算された足取り、汗で髪が顔面に張り付いていた。「屈服などするものか」

 放浪者は歩調を合わせた。「戦いを終える方法は、降伏だけではありません」 その声が部屋に響き渡った。

 床のそこかしこに、理想那の蜂起軍たちが無力に横たわっていた。彼女たちは社に突入したが、そこでは放浪者が待ち構えていた。ほとんどの兵はたやすく切り伏せられたが、理想那は屈せず、そしてその剣術は荒々しく容赦なかった。並の皇国兵であれば焦るほどに。

 だが放浪者は並の皇国兵などではなかった。そして理想那とは異なり、彼女は多くの次元を訓練の場としていた。今や、適応することは放浪者の第二の天性となっていた。

アート:Johan Grenier

 理想那は宙に剣を回し、次の攻撃へと勢いをつけた。

 だが戦いを続けることは、理想那のためにはならない。放浪者はとうの昔にこの戦いを終わらせることもできた。心臓に刃を突き立てればいい、だが相手を続けていた。無益な流血は望んでいない――彼女はただ理想那が敗北を受け入れ、死を免れるのを待っていた。

 それでも理想那の両目は燃え続け、降伏など考えてもいなかった。

 重なり合う香醍の声が、部屋の彼方の霧の中から届いた。『状況が逆であるなら、其方の慈悲はきっと報われぬ』 彼女は放浪者の心に直接呼びかけていた。『この物は皇国との和平を望んでおらぬ』

 理想那は剣を大振りにし、放浪者はたやすく身体をひねって避け、ふたりが思い描く戦場の中で位置を換えた。疲労に激しく息をつきながらも、なお理想那は柄の握りを強めた。

 放浪者は口元を歪めた。理想那の足取りは弱く、その肩は剣の重みを支えきれていなかった。

 理想那は疲労している。放浪者も、これ以上彼女の面目を失わせたくはなかった。

 放浪者は剣を高く掲げた。「武器を手放しなさい。このように死ぬ必要はありません」

「十年以上も、民を見捨てておいて」 理想那の声には怒りがあった。「私たちが何を必要としているかなんて、何も知らないくせに」

 その言葉は氷柱のように放浪者の胸に刺さった。だが彼女は顔に出さないよう努めた。「失踪したのは決して私の選択ではありません」

「それは問題じゃない」 理想那は言い返した。「お前が失踪したせいで、定命と精霊の領域の統合を監視する神は弱体化し、皇国兵は喧嘩と権力争いにかまけている。皇国の支配が傲慢なのは前からだが、お前の失踪は神河を不安定にさせた。お前には香醍がいるかもしれない、けれど本物の統治者を作るのは民の信頼だ。そして民はお前が帰還する希望をとうの昔に捨てた――たとえ今戻ってきたとしても、決してお前を同じようには見ない」

「貴女は皇宮を襲撃し、何十人もの兵を殺害しました」 放浪者の声は鋼のようだった。「そのような行いの後に、何の信頼を取り戻せるというのですか」

「そうかもしれない」 理想那は息を切らしていた。「けれど、ここにいることが望めない皇に頼るなら、皇などいない方がずっといい」そして剣を掲げてみせた。「私たちは始めたことを終わらせる」

 理想那は駆け――だがその瞬間、何かが飛来して彼女の側頭部を直撃した。理想那は意識を失って倒れた。

 放浪者は唖然とし、理想那の隣に落ちた石を見つめた。振り返ると、少し離れて魁渡が立っていた。「その――浅利の蜂起軍の長に、石を投げたのですか?」

 魁渡は肩をすくめ、頬を赤らめた。「ここに来る途中で拾ったんです。煙幕を切らしてしまって。それと正直に言いますが、今日はもう金属を使う気分にはなれなくて」

 放浪者の驚愕が、可笑しさのような何かへと変わっていった。そして彼女が笑い声を発した時、その軽快な響きは長年の幽閉からようやく解き放たれたかのようだった。


 理想那が拘束され、蜂起軍の敗北の証として突き出されると、戦いは速やかに終息した。逃げた者と降伏した者以外にも、少数の離反者を皇国の侍たちが対処することになった。

 魁渡が社の窓から見下ろすと、遠くで英子が指示を与えていた。危機の中にあっても、姉は皇国の生き方に適応していた。

「何もかもが落ち着いた感じです」 魁渡は静かに言った。「秩序が戻ったのを見れば、きっと嬉しくなりますよ」 彼は皇へと振り返った、勝利の安堵に浸る彼女の姿を予想しながら。

 だが皇はうずくまり、顔を苦痛に歪めていた。

 灯が乱れているのだ。そして現実チップのない今……

 魁渡は部屋の中央へと急ぎ、皇の隣に膝をついた。「タミヨウさんがチップを」 そして愕然とした。まるで胃袋が無くなってしまうのではと思うほどに。「わ――わからないんです、テゼレットがタミヨウさんを何処へさらって行ったのか」 彼は悲鳴を上げたかった。皇を助けるために、何ができるのかもわからない。

 皇は魁渡の腕に触れ、かぶりを振った。「もうあまり時間がありません」

 魁渡の目に涙が浮かんだ。「きっと何かが残ってます――陛下をここに繋ぎ止めるためのものが、あの研究室に」

 だが返答はなかった。彼は喉に馴染みある痛みを感じた。

 罪悪感がうねり、津波のように叩きつけた。それが治まることはなかった。

 魁渡は額をこすり、歯を食いしばった。これが二度目、また彼女を守れなかったのだ。「申し訳ありません」

 皇は顔を上げた。その表情は穏やかだった。「魁渡さんの過ちではありません。決して。そして何も謝ることはありません。貴方は私の、最も誠実な友です――貴方がいてくれて、本当に感謝しています」

 香醍の声には困惑と悲哀が重なり合っていた。彼女は身体を揺らし、床の影を躍らせ、そして頭を低く下げた。額の黒い球体が、消えかけた明かりのようにちらついた。

 皇は神を見つめ、魁渡には察せない会話を交わした。内容はわからず、だが皇は躊躇を見せなかった。香醍が異論と思しき悲嘆の声を上げても。

 魁渡は皇の身振りにそれを見た――最終決定を。

 その内容が何であろうと……残された時間の中で、神河に尽くすための唯一の手段。

 やがて、神は頭を下げた。

 皇は意を決して立ち上がり、まだ肋骨のあたりを押さえながら魁渡を見つめた。「軽脚さんを連れてきて下さい。どうか急いで」

 遠くまで走る必要はなかった。軽脚と英子は皇の姿を探し、社に続く階段を上ってきていた。魁渡は大急ぎで何があったのかを伝えた。何が起ころうとしているのかを。

 神河の皇にはもう時間は残されていないと。

 急いで戻ると、香醍は皇の頭上に、神秘的な守護者のようにそびえていた。この偉大な神と皇は常に、強固な絆で繋がっている。この絆だけが、残されたわずかな今、皇を永岩城に繋ぎ止めているのだろう。

「軽脚さん」 皇は助言者を呼び寄せるように片手を挙げた。

 軽脚は素早く向かい、深く頭を下げた。「どうか――私が役立つのであれば、何なりとお申し付け下さい」

 皇は顎を上げた。「私の不在の間、神河には統治者が必要です。香醍と民が、相応しくかつ正当であると認める者が。統治者の存在だけが、この地に安定をもたらすでしょう」 彼女は言葉を切った。「神河は皇を必要としています」

 軽脚は瞬きをせず、息を止め、動きも止めていた。古の森に何千年も立ち続ける石の遺物のように、彼女は立っていた。

 そして軽脚は耳を低くした。「つまり、陛下は私を……?」 だが言い終えることはできなかった。

「香醍が祝福を与えます。私からも」 皇は頷いた。「私が不在の間、名代として神河を統べて下さい」

アート:A. M. Sartor

 軽脚はひざまずいて床に額をつけ、最大級の敬意を示した。「その責務、謹んで拝受いたします。陛下がお戻りになるその日まで」

 皇はひるみ、声を発しかけた。まるで神河との繋がりが遂に切れてしまったかのように。

 魁渡は狼狽するばかりだった。何もかもが速すぎる。急すぎる。

 まだ別れを言う覚悟もできていないのに。

 皇が彼を見た。その目に喜びはなく、それでも彼女は微笑んでみせた。どんな小さな慰めであろうと、それが彼に差し出せるものならば。「魁渡さん――」

 続く言葉は魁渡に届かなかった。灯が彼女をさらい、皇は今一度神河から姿を消した。

 心臓が砕け散ってしまったように魁渡は感じた。英子は隣で唖然とし、口を手で覆った。別れの辛さに、香醍も吠えた。

 軽脚は七本の尾を床に垂らし、皇が立っていた無人の空間に頭を下げ続けていた。やがて彼女は立ち上がり、魁渡と英子へと振り返った。

 その背後に、八本目の尾が形を成していた。

 陽光が狐人の輪郭を輝かせると、魁渡と姉は神河の新たな摂政へと頭を下げた。


 あの研究所に、あるいは大田原と永岩城にも、ジン=ギタクシアスの痕跡はなかった。タミヨウの後にテゼレットがポータルで回収していったのだろう、魁渡はそう推測するしかなかった。

 死体を回収するために戻ってくる意味はない――つまりジン=ギタクシアスは生き延びたに違いない。

 そして多元宇宙のどこかに、タミヨウは生きている。魁渡はそれも確信していた。

「もう出発したのかと」 英子の声が近くで響いた。

 魁渡は手すりから手を放してバルコニーに目を向けた。伝統的な装いに身を包み、姉が立っていた。「姉ちゃんがすごい地位に昇進したんだ、おめでとうくらい言わないと。上級顧問、だっけ?」

 英子は目を丸くしてみせた。「そんなことするのは馬鹿馬鹿しいって思ってるでしょ。わざわざ――」

「違うよ」 魁渡は真摯に言い、片手を胸にあてた。「姉ちゃんのこと、誇らしく思うよ。本当に」

「あら」 英子はためらった。「そう――ありがとう」

 魁渡は親指を立ててみせた。「外側の城壁もほとんど直ったみたいだな」

 英子は姉から皇国顧問へと態度を変え、それに相応しい声を上げた。「まだ片付けるものは沢山あるわ。私たちが理想那を捕らえたことも蜂起軍は喜んでいない。それに皇宮内での権力の移動も調整しないといけないし」

「もし政争が心配なら、割って入ってやるよ――俺の狙いは正確だからさ」 魁渡は得意そうな笑みを向けた。

「魁渡。あなたが帰ってきてくれるのは楽しみだけど、皇宮の誰かに石を投げる許可を与えるつもりはないわよ」

 魁渡は何も言わなかった。

 英子は弟の隣に進み出て、雲を見上げた。「行くんでしょう」 それは問いかけではなかった。

「約束しただろ」 魁渡は姉の手をとり、強く握りしめた。「何も言わずに行きはしないって」

 彼女は目を閉じ、息を落ち着かせた。「また陛下を探しに?」

 魁渡は姉の視線を追って雲を見つめた、どこか別の次元を思い浮かべるように。「ああ――けどその前に探さないといけない人がいる」

 彼は既にタミヨウの家を訪れていた。何があったのかを彼女の家族に伝えるのは、自分でなければならなかった。彼らの目をまっすぐに見つめ、あらゆる次元を旅して彼女を見つけ出すと告げた。

 タミヨウには沢山の借りがある。そして彼女が今も現実チップを持っているなら、皇を追うために役立つかもしれない。

 タミヨウの家を去る前、ナシが約束してくれた。もっと大きくなったなら、すぐにタミヨウを探す手伝いをすると。

 どんな気持ちでそのような約束をするのか、魁渡はよく知っていた。だから彼は告げなかった――それがどれほど危険かを、他の次元へとナシが旅することがどれほど困難かを。代わりに、いつかまた会える時を楽しみにしていると彼は告げた。その子が希望を持って待ち続けられるように。

「行き先からドローンを送って来られないのはわかるけど、でも……」 英子はかぶりを振り、かすかな笑みを浮かべた。「生きてるって報告をね、もっと頻繁に寄越しなさいよ?」

 魁渡は頷いて姉を抱きしめ、その髪へと囁いた。「わかった。けど次に会う時は都和市がいいな。はるばる神河に戻ってきたら、まずカレーと麺で腹を満たさないと。優先順位ってやつ」

 英子は笑い声をあげ、弟が離れると同時にその腕を軽く押しやった。だが次に口を開いた時、彼女の笑みは消えていた。「出発前に会っていかないの?」

 魁渡は喉を詰まらせた。その意味はわかっていた――この数日、彼は軽脚を避けていた。「先生が助言者だった頃から気まずかったんだ。それが今や神河の執政だよ。和解するとか、ちょっとさ」

「いつか頑張るって約束して」

 魁渡は押し黙り、片手で首筋をかいた。「姉ちゃんのために? それなら約束する。いつかね」そして片手を挙げた。「じゃあ姉ちゃん、元気で」

 英子は頷いた。涙がこみ上げ、言葉は出なかった。それが弟に向けることのできる、精一杯の別れの挨拶。

 目的を果たすまでここには戻らない。人生で二度目のその誓いとともに、魁渡は皇宮を離れた。プレインズウォークに熟達しなければならない。そしてタミヨウを探し出さねばならない。

 始めたことを終わらせて、皇を故郷へ連れ帰るために。

終幕

「目覚メヨ、最初ノファイレクシアン・プレインズウォーカー。ソシテオ前ガ最後トハナラヌデアロウ」

 ジン=ギタクシアスの声に、タミヨウは瞼を震わせた。彼女は身体を起こし、周囲の様子を確認した。研究室で目覚めたのは初めてではなかった。だが……それが普段通りだと感じたのは初めてだった。

 顔をしかめ、タミヨウは鞄に手を伸ばすと物語の巻物を取り出した。その紙を見つめると、書かれた言葉は金属的な光沢をひらめかせ、全く別の言語へと変化した。ずっとそうしてきたのかのように、彼女はファイレクシア語の文章を読むことができた。奇妙な満足感があふれた。

タミヨウの完成化》 アート:Dominik Mayer

 ファイレクシアが彼女の新たな家だった。今や彼女はその一部だった――心も、身体も、魂も。

 腕を見下ろすと、光沢のある金属が奇妙な継ぎ接ぎのように明滅していた。それは再生されたジン=ギタクシアスの胸部と同じく、磨き上げられたばかりだった。

 その怪物は傍らで身動きをし、歯を鳴らしながら眩い光が流れるワイヤーを観察していた。それらはタミヨウの皮膚から近くの機械へと繋がれていた。

 この怪物には感謝の念しかなかった。タミヨウは常に家族を愛し、彼らを守るためなら何も厭わなかった。今や彼女は、その尽きることのない忠節でファイレクシアを守るのだ。

 手術用のガラスのビーカーにテゼレットの姿が映った。ジン=ギタクシアスは振り返り、鋭い顎を鳴らして挨拶をした。

「コノトコロ姿ヲ見ナカッタガ」 怪物の声にはかすかな攻撃の響きがあった。

 言外の非難にテゼレットは苛立ち、金属の腕を掲げた。それはかすかな桃色のエネルギーに輝いていた。「次元橋の使用は負担がかかる。回復に専念していた」 彼が嫌悪の表情でタミヨウを一瞥した。

 タミヨウは首を傾げた。何かがこの男を苛立たせている。何かを隠そうとして苛立っている。「私を好んでいないのですね。貴方の本心を感じます」 この男がファイレクシアに忠実でないなら、その理由を見つけ出すまでだ。

 テゼレットが自分を見つめる様子にはある種の弱弱しさがあった。それは恐らく、傷ついた身体のせいというだけではないだろう。

 不安を噛み殺し、テゼレットは冷淡に言った。「お前とお前の仲間はファイレクシアの計画を邪魔しようとした。お前を好む理由は私にはないし、それ以上に信頼する理由もない」

 その言葉は完全に真であるとタミヨウは察した。彼女は座り直し、決して開かないと誓った鉄の輪の巻物三本をちらりと見た。これらは強力すぎると、途方もない破壊をもたらすと信じていた。

 けれど、この場所と人々に――我が家とみなす場所に――脅威が差し迫ったなら、介入するとも誓っていた。

 ファイレクシアが今や我が家なのだ。そして家族のためであれば、何であろうと躊躇はしない。

 ジン=ギタクシアスが不機嫌に言った。「肉ノ者ニ対スルオ前ノ疑イハ理解デキル。ダガコノ実験体ニハ見込ミガアル。今コノプレインズウォーカーヲ信頼スルコトハ、ファイレクシアヲ信頼スルコトニ等シイ」

 テゼレットはわずかにひるみ、表情を硬くした。「つまり首尾は上々というわけか。エリシュ・ノーンは知っているのか、お前が初のファイレクシアン・プレインズウォーカーの創造に成功したと」

「既ニ伝ワッテイル。ソシテ私ノ知性ヲ過小評価シテイタト適切ナ非難ヲ受ケテイル所ダ」 金属の身体をぎらつかせながら、ジン=ギタクシアスは脇へ退いた。「実験ハ順調ニ進ンデイル。ダガヤルベキ事ハマダ多イ」

 研究を。更なるデータを。発展を。

 タミヨウは知識を求めて多元宇宙を旅してきた。そしてそれがファイレクシアを守るなら、できる限りの手を差し伸べよう。

 自分にとっては、常に家族が第一なのだから。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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