MAGIC STORY

神河:輝ける世界

EPISODE 13

メインストーリー第2話:嘘と約束とネオンの輝き

Akemi Dawn Bowman
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2022年1月24日

 

 魁渡(かいと)永岩城(えいがんじょう)を後にしてから十年が過ぎた。だが身についた習慣はなかなか拭えないものだ。

 歌うように、雨粒が瓦屋根を叩いていた。魁渡は身をのり出し、眉間に皺を寄せて眼下の街路を観察した。

 都和市(とわし)はいつも以上の色彩で溢れていた。舗装路には改造傘が流れるように列をなし、それぞれが持ち主を濡らさないようネオンエネルギーの障壁を輝かせていた。茶店の夕食メニューがスクリーンに映り、画面のガラス板が生きたように音を立てた。頭上では燃え立つような橙色の巨鯉が二匹、柔らかな尾をなびかせて空と星明かりの海を泳いでいた。

 普段であれば、魁渡は都和市の夜の活気が好きだった。だが郷愁にひたっている余裕はない。探している人物がいるのだ。

漆月魁渡》 アート:Yongjae Choi

 こめかみを指で押すと、ドローンからの実況映像が視界に現れた。その装置は薄暗い路地の上に停止していたが、魁渡は狸型ドローンを賑やかな虹色の表通りに送り出した。

 十年分の技術的進歩を体現するように、それは魁渡が子供時代にもらった折り鶴型ドローンよりも遥かに洗練されていた。あの鶴は既に再生利用済みで、けれどいつか、どんなに型落ちになってしまうとしても、今のドローンを新しいものに取り換える決心がつくかは自信がなかった。

 狸と魁渡は多くの思い出を共有してきた。

 ひとつの技術に執着し過ぎるな、タメシはそう警告していた。あらゆるものはいつか古くなる、それが友の言葉だった。

 タメシの知識に耳を傾ける、それは魁渡にとってだいたいは幸せな時間だった。長年に渡り、彼は友人であり師でもあった。だが同時にタメシは誰かに、あるいは何かに執着しない人生を送るよう努めていた。

 魁渡は正反対だった。彼は最も気にかける人々との繋がりを感じており、その絆を守るためなら何だってするつもりだった。

 狸型ドローン、灯元(ひもと)はただの機械以上の存在だった――魁渡の人生を永遠に変えてしまった神を宿しているのだ。

 そしてそれは同時に、友が今も見つかっていないという合図でもあった。

 ドローンは曲がり角の手前で一時静止し、そして立ち並ぶ露店へと降下していった。その全てが灯篭を下げた輝くエネルギーの梢で雨から守られていた。

 屋台の神が一体、小麦粉の生地に似た顔面に皺を寄せ、とあるカウンターの端に不機嫌に腰かけていた。願ってやまないかのように、餃子が三つその周囲に浮遊していた。

 近くの店主はラーメンをたっぷりと鉢に盛り、鮮やかな桃色と白の蒲鉾、切ったゆで卵、緑色の刻みねぎをその上に乗せた――完璧な盛り付け。そして待っている客にそれを渡すと、神は失望のうめき声を漏らした。

 ドローンのカメラ越しでも、店主の目に宿る懸念が魁渡には見えた。神河の至る所に神はいる。だが誰もが、不機嫌な神の隣で食事をしたいと思うわけではない。彼らの機嫌を取っておく方が良い時もある。

 店主はひとつ溜息をつき、伸びてしまった自分用のラーメンを調理台の背後から取り出した。神のむくれた顔は純粋な喜びに弾け、皿が置かれるや否やその神は顔をラーメンへと突っ込み、猛烈な勢いですすった。

 店主は目を丸くし、だがそして次の客へと向き直った。

 魁渡はドローンを近くの建物の高度に上げた。鳥瞰視点でそれは街を走査し、路地を一本一本観察していくと、やがて一軒集合住宅の外に皇国の侍たちが立っているのが見えた。上階の窓のほとんどは閉じられ、分厚いカーテンが引かれていたが、その中のひとつはわずかに隙間が開いていた。ごく狭い隙間、並大抵ならばとうてい気付けないような。

 魁渡はわずかに笑みを浮かべた。不可能ではない――それは招待だった。

 彼は再びこめかみを叩いてドローンからの映像を切り、瓦屋根からその下のバルコニーへと滑り降りた。そして手すりを辿って建物の端へ向かい、柵の間をすり抜け、壁を伝って舗装路へ着地し、近くの人混みの中に身を隠した。

 ドローンが接近し、魁渡は流れるような動きでそれを宙で掴んだが、誰もその様子には気づかなかった。魁渡の手の中、金属が紙のように形を変え、折り畳まれては広がり、仮面へと変化した。

 魁渡の灯を点火させた狸型の神、その化身。

 あの日、彼はプレインズウォーカーとなった。神河の先にある大きな何かを約束された存在。

 魁渡はその装置の端を指でこすった。あの時、皇を見つけ出すため、灯の神を追いかけて母聖樹(ぼせいじゅ)へ向かったのだった。けれど森の中で自分を待っていたのは友ではなかった――運命だった。

 彼は雨の中で肩をすくめ、仮面を顔に押し付け、フードを正した。大きな何かなんてどうでもいい。ただ、友を取り戻すことだけが願いだった。

 見えない亡霊のように、魁渡は街路から影へと入り込んだ。何度も角を曲がり、都和市の中心へと路地を進んだ。そしてそびえ立つ集合住宅に到着すると、彼は壁を登りはじめた。

 扉で、皇国の侍が見張りについていた。その身動きに合わせて金属の鎧が音を立てた。隠密のためではなく、戦いのための鎧。

 無駄な騒音ばっかりだな。魁渡はそう思い、柵を乗り越えて小さなバルコニーへと着地した。

 年月は彼を変えた。魁渡はもはや子供でも、皇国人でもなかった。

 だが、通り道ではない屋根を駆けて窓から忍び込む魁渡であるのは変わりなかった。

 手袋の手でガラス戸を押し、魁渡は物音ひとつ立てずに部屋へと滑り込んだ。

 寝室は火明かりで照らされていた。動きを察し、魁渡は暖炉へと視線をやった。炎の中に神が身を休めているのかと思ったが、そうでなかった。壁に影を揺らめかせる琥珀色の輝きがあるだけだった。

「大丈夫よ」 馴染みある声が聞こえた。「ここは私たちだけだから」

 魁渡は眉をつり上げたが、振り向きはしなかった。「窓を開けといてくれるなんて、わかってるじゃん」

 苛立った溜息が発せられた。「どうせ魁渡は表から入る気はないでしょう。外の次元への旅で礼儀作法を学んだような様子もないし。とっくに諦めてるわよ」

「本当に礼儀作法を学びたくなったらさ」 魁渡はそう切り出し、姉へと振り返った。「まっすぐに姉ちゃんの所へ向かうよ」

 英子(えいこ)は唇を笑みの形に曲げた。「元気そうでよかった」

 魁渡は狸の仮面を上げた。「姉ちゃんも」 彼はやや躊躇し、姉に再会する喜びと今や成長した姉の姿を繋ぎ合わせようとした。姉が皇国に仕えるのが辛いわけではないが、それに伴って開いてしまった自分たちの距離は辛かった。「最近はなかなか皇宮から出られないみたいだな」

「難しくなって」 英子は頷いた。「理想那(りそな)の支持者は神河の至る所にいて――霜剣山(そうけんざん)浅利(あさり)の蜂起軍だけじゃなくて都和市や下層街にもスパイがいる。私みたいな人物が護衛もなく旅するのはその……いつも安全というわけじゃないの」

「姉ちゃんは自分の身は十分守れるだろ」

「今の私は皇国の助言者なのよ。私の身だけを考えればいいわけじゃない」 英子は静かにそう言った。

 魁渡は口元を歪めた。姉の言葉は別の人物を思い出させた。永岩城を離れて以来、顔を合わせていない人物の。「軽脚(けいぎゃ)先生は一緒にいないのか?」

 この十年、ふたりは道を違えたままだった。意図的にかつての師を避けているわけではないが、再会を望んでもいなかった。軽脚を思うと、魁渡は今も古傷が痛むように感じるのだった。

 英子はかぶりを振った。「軽脚先生はもう外交の方に時間を取れていないの。反乱とか、皇宮内の権力闘争を抑えるのに忙しすぎて」 姉の声には憤慨の刃があった。「浅利の蜂起軍は日に日に大胆になっている。皇の空位が続けば続くほど、皇国制は廃止すべきだっていう理想那の支持者は増えるばかりだわ」

 皇国は抑圧的かもしれない、だからといって魁渡はその導きの完全な終わりを求めたことはなかった。神との関係において、皇国は重要な役割を担っている。そして神河に争いと暴力が吹き荒れるなど、魁渡は決して望んでいない。

「陛下はきっと帰ってくる」 失ったものの記憶に、呼吸が苦しくなった。彼自身が、そして神河が失ったものの。

 皇を探し求めて多元宇宙を旅したが、状況は灯が点った時と何ら変わっていなかった。知っているのは、あの金属の男はプレインズウォーカーだということだけだった。

 つまり、陛下は今もどこかにいるということ。

 英子は真摯に頷いた。「それが正しいことを願うわ。神河のために、それと魁渡のために」

 魁渡は視線をそむけた。時に、長い午後や静かな夕、心の痛みはあの時と同じほどに強くなる。香醍(きょうだい)の広間に立って、友が失踪したと知ったあの時と同じほどに。

 だが今は心の痛みにかまっている時ではない。数か月ぶりの再会なのだ――共に悲しんで時間を無駄にはしたくない。

「ほんと俺を心配するのが好きだよな、姉ちゃんは」 誘いをかけるように、彼は片方の眉をつり上げた。「だからわざわざ皇国のドローンを送ってきたのか?」

 英子は唇を噛んだ。馴染みあるやり取り――古い習慣。そして冷やかしあうのは昔からふたりのお気に入りだった。「街を見張っているのは魁渡だけじゃないのよ。もし貴方に何かあったら、私はそれを把握できる」

 続く言葉は、魁渡の口から滑り落ちた。「この次元にいる限り、プライバシーなんてないのかよ」

 英子は瞬きをした。「何も言わずに行ってしまうの?」 それは質問ではなかった。魁渡はそう約束していた。

 皇宮を出たことは後悔していないが、英子に何も言わずにそうしたことは後悔していた。

 あの時から長い年月が過ぎた。英子は魁渡とともに、母聖樹地区にて灯の神を追跡していた。皇の失踪に金属の腕の男が関わっている、魁渡のその主張が正しいと信じる皇国人は英子だけなのだ。

 だが消えない跡を残す記憶というものもある。そして時にその跡は痛みをもたらす。

 気まずさに、魁渡は肩を回した。「いやさ。今となっては許してくれるだろ。俺はあそこで姉ちゃんの命を救ったようなものなんだし。それも二度も」

「そもそもそんなことになる筈がなかったのよ。何も考えずに神の縄張りに突撃して。灯が点火するまで生き延びたのがむしろ幸運だったんだから」

「俺にとって姉ちゃんは最高の外交官だよ」

「おだてたって無駄よ。ま、魁渡にはそれしかないのは知ってるけどね」

 彼の笑い声が部屋にこだました。「ひどい言いようだな」

 英子のしかめた顔に火明かりが揺れた。「噂を耳にしたのよ。未来派が、現実の法則を傷つけかねない違法な生体強化に関心を向けているって。お友達に頼んだら、魁渡も皮膚を分厚くしてもらえるとか?」

 一瞬、魁渡の笑みが消えた。また別の記憶が刺した。「なあ。俺たちは悪人じゃない。技術は進歩のためにある――人を傷つけるためでも、戦争を始めるためでもなく、役立たせるためだ。傷を癒すためだ」

「そのための技術はもう存在するのに」

「ああ。けど誰がそれを使えるっていうんだ? 許可が貰えなくて高品質のマザーボードも持ってないなら、そういう力をくれる神に祈るしかない。それがどれほど珍しいか、お互いわかってるだろ」

「全員が全員、力を利用できるようにするべきだって考えを疑問に思ったことはないの? 皇国は退行しようとしているわけじゃない。でも統合のゲートを建てて守らないといけないし、都市の拡大は自分たちにとっての脅威だと思っている神もいる。私たちの発明が存在にとっての脅威になる、そんなふうに神が思い始めたら何が起こると思うの?」 英子はかぶりを振った。「定命と精霊の領域のためには。均衡が必要なのよ」

「限られた者にだけ力を与えるのは特権を作ることだ。技術は条件を公平にしてくれる。金持ちやエリートだけじゃない全員が。もう神の魔法に頼らなくたっていい――自分で自分の身を守れるんだよ」

「貴方がそこまでして守りたいのは誰なの? 私が最後に確認した限りでは、戦争を始めようとしているのは魁渡と同じことをしようとしている人たちだけよ」 英子の言葉は冷淡だった。

「俺は蜂起軍とは関係ない」 魁渡ははっきりと言い放った。「けど陛下が失踪してから、香醍の様子もずっと変なままだ。もし統合のゲートに何かまずいことが起こって、怒り狂った神が解き放たれたらどうなる? 定命と精霊の領域がひとつになるには何千年もかかるんだろ。つまり不安定な状態がずっと続くってことになる。神の乱は伝説かもしれないけど、そんなのを繰り返すわけにはいかないってのはわかるだろ?」

 英子は身体を強張らせた。「神は私たちの敵じゃない」

「何が敵なのかすらもわかんないんだよ」 魁渡はいったん押し黙った。「陛下は香醍の間からさらわれた、けど誰もそれを見ていないんだ」

 止められなかった。それに間に合わなかった。弱すぎた。備えも足りなかった。

 全員がそうだった。

 英子は表情を硬くした。「あの夜、魁渡にできることは何もなかったのよ」

「もっといい技術があったら――」

「そもそも陛下を誘拐するために使われたかもしれないわよ!」 言い返す英子の頬は紅潮していた。

 魁渡は姉を睨みつけた。「皇国は未来派と蜂起軍のせいにしてる――何の証拠もないのに。戦争を招いているようなものだ」

 英子は押し黙った。

 姉の瞳に、魁渡はためらいを見た。何かを隠している。「どうかしたのか?」 魁渡は瞬きをした。希望が高波のように胸の内を叩いた。「陛下の行方を知ってるのか?」

「ううん。けれど少し、情報が」 薄暗い火明かりの中ですら、姉の視線には緊張があるのが見て取れた。

 その情報というのが何であろうと、自分に言いたくはないものだ。

 彼は催促するように踏み出した。「陛下に関係することなら――」

「タメシなの」 英子は魁渡の言葉を遮った。

 魁渡は唖然とした。聞き間違えたのではないかとすら思った。「タメシがこの件と何の関係があるんだ?」

アート:Scott M. Fischer

 英子は気にするように戸口を一瞥した。こんなにも不安そうな姉を見るのは初めてだった。英子はローブの中に手を入れ、扇子に似た小さな装置を取り出した。親指でこすると、その先端が小型の円蓋へと広がった。エネルギーが外へ発せられ、姉弟を包み込む白い光の繭を作り出した。

「音声遮断装置?」 魁渡は胸の前で腕を組んだ。「姉ちゃんが衛兵を信頼しないとか、かなり深刻なことなんだな」

 英子はゆっくりと深呼吸をした。「少し前から、タメシを監視してもらっていたのよ。神を含めた、統合についての違法の研究の取引に彼は関わっていて、更に――」

「親友の情報を俺が皇国に差し出すと思ったら大間違いだ」 魁渡は歯を食いしばった。「姉ちゃんはただひとりの家族だ。大好きだ。けどスパイになれって言うなら……」

「魁渡の手助けが欲しくて伝えたわけじゃない。そもそも伝えるつもりもなかったのよ。けれど――」 英子は顔をしかめた。「問題なのは統合の研究だけじゃないの。タメシが関わっている相手が」彼女は溜息をつき、うなだれた。「下層街で、タメシがとある男と会っているのが目撃されたって。金属の腕の男と」

 背後で炎が爆ぜ、だが魁渡は胸の内で残り火が燃え上がるのを感じた。反抗の炎が。「姉ちゃんの情報源が何を見たのかはわからないけど、それは違う」

 タメシは自分たちとあの森の中で出会った。皇についても、神についても、探している男についても明かしていた。親友への隠し事など何もなかった――昔も、そして今も。

 それほど重要なことをタメシが隠しているなどありえない。秘密にするはずがない。

「信じて。本当だって確信がなければ、絶対に魁渡には伝えなかった」 英子は肩を落とした。「特に、この件に関しては」

 魁渡は声を発したが、それは虚ろだった。「タメシが裏切るなんて、ありえない」

「私は、知っていることを伝えただけ。魁渡は誓ったでしょう。十年前、絶対に陛下を探し出すって。タメシがその金属の男を知っていて黙っていたなら、その理由を魁渡は知りたくないの?」

「情報を提供する気はない」 魁渡は真剣に言った。「それに、親友をスケープゴートにする気もない」

「そうしろって言っているんじゃないわ。私たちふたりとも、求めるものは同じ――できるなら今すぐにでも、陛下を見つけ出す。タメシの件を伝えたのは、魁渡に正しいことをして欲しいから。真実を見つけ出してほしいから」

 苦々しく、魁渡は顔をそむけた。何かの間違いに違いない。タメシが嘘をつくわけがない。裏切るわけがない。

 そうだろう?

「神河には統治者が必要なの」 用心深く、英子は言った。「皆の間の均衡を修復する人が」

 魁渡は顎を上げ、英子へと向き直った。「皇の座が均衡修復の鍵だとは思わない。けど、陛下を探し出すためなら何だってやるよ」

 タメシのことはずっと信頼していた。

 けれど英子のことは、もっとずっと昔から信頼していた。

 その情報が正しかろうと間違っていようと、魁渡は姉を信じており、その手がかりを追うと決めた。親友をスパイすることがその無実を証明する唯一の手段だとすれば、タメシもきっと許してくれるだろう。

 魁渡は防音の円蓋から出て、窓へと向かった。

 英子は金属の扇子を閉じると、ローブの中に戻した。「ごめんなさい、魁渡」 彼は窓に手をかけたところで止まり、姉の憂鬱な声に耳を傾けた。「貴方がどう思ったかはわかってるわ」

 姉がくれた情報を信じたくはなかった。それでも、本当にタメシがあの金属の腕の男に通じていて、皇に何があったのかをずっと知っていたとしたら……

 だとしたら、自分たちの友情は一度たりとて、思っていたようなものではなかったのかもしれない。


 石壁に背をつけ、魁渡は路地の隅に立っていた。大田原(おおたわら)は雲の上高くに浮いており、そのため影というものがとても少なく、身を隠す場所はもっと少ない。彼は時々それを思い知らされた。

 タメシを探るのに、狸のドローンは目立ちすぎた。そのため魁渡は昔ながらの手段で親友を追った――自らの目と耳、そして純粋な決意で。数週間が過ぎ、情報を集めるにつれ、魁渡は自分がまとう新たな仮面が嫌いになっていた。

 嘘つきの仮面が。

 友を欺く瀬戸際にあるというのは辛いものだった。一度ならず、何もかもが誤解だと信じようとした。英子の情報は間違っていると、香醍の間で見たあのプレインズウォーカーと同一人物であるはずがないと。

 だが情報を集めるにつれ、姉の言葉の後付けがとれていくばかりだった。

 タメシは何かを隠している。自分に対してだけでなく、他の未来派に対しても。

アート:Alayna Danner

 来る日も来る日も魁渡はタメシを観察し、大田原と同じ理念を持つかのように未来派の部局で働いた。そして日が暮れ誰もが帰路についても、タメシは自身の実験室に留まり、同じ研究所の誰も知らないと思しき研究を進めていた。

 タメシは暗い路地で、盗品の強化器具を取引きしていた。真夜中に、秘密の作業場へと幾つもの積み荷を密かに運び込んでいた。規制外のドローンが研究室から幾つも飛び立ち、都和市の下層街へまっすぐに向かっていった。

 それはタメシが違法な何かを行っている証拠だった。だが魁渡に必要なのは裏切りの証拠だった。

 ドローンを手の中に畳み、タメシが研究所の正面玄関に姿を現した。彼は飾り紐に似た龍を優しく空へと押し出すと、それが植木を越えて都市から下りていく様を見つめた。そして袖口の操作盤で現在時刻を確認すると、優雅に一歩踏み出して舞い上がり、地平線へと消えていった。

 魁渡はすぐに動いた。タメシの同僚たちは数時間前に帰宅しており、周囲には誰もいなかった。彼は先端が青く輝く手裏剣をひとつ取り出すと、近くの監視カメラに狙いをつけた。そして手首を素早くひねらせて放ち、手裏剣は回転しながら宙を切り裂いて監視カメラの側面に突き刺さった。手裏剣の輝きが点滅した――ひとつ、ふたつ。

 そして青い光は緑色に変化した。

 フードを深くかぶって顔を隠し、魁渡は路地を出てタメシの研究所、その正面玄関に直行した。カメラは今や無力化され、彼を見つめるものはない。

 だが急がねばならない。タメシがいつ戻ってくるかはわからないのだ。

 タイルの床は骨のように、冷たく空ろに響いた。身体を寒気が走り、魁渡は耐えた。この研究所に入ったのは初めてではなかったが、余所者のように感じたのは初めてだった。

 裏切り者のように感じたのは。その言葉が心に響き、彼はそれを押しやろうとした。

 自分が間違っていたなら、この先に降りかかる結果は受け入れるつもりだった。けれどタメシがずっと裏切っていたなら……

 真実に対峙する覚悟はなかった。だが皇のために、いずれそうしなければならない。

 彼はタメシの実験室へ続く金属の扉の前を、一瞥しただけで通り過ぎた。入る手段はない――カードキー、あるいは巨大なメカでもない限りは。

 そして証拠が残るという点で、魁渡は実験室を粉々にする気はなかった。

 代わりに、魁渡はタメシの事務室へと直行した。その中央には巨大な机が座し、データチップと書類が山と積まれていた。机の隅には円形のランタンが置かれており、魁渡はその脇を指で押して点火した。そして念動力を用いてそれを持ち上げると、自身の隣の宙に固定した。

 彼はその部屋の引き出しと棚を全てあさり、机の上の書類も一枚残らず目を通した。そのほとんどは重要ではなかったが、とあるファイルの中に暗号化されたメッセージが差し込まれていた。解読するのに長くはかからなかった――タメシが教えてくれたあらゆる技を彼は身につけていた。

 内容は曖昧ながら、それは下層街での会合を希望しているように見えた。ここからはかなり遠い。下層街は地表にあり、母聖樹と――神河最古にして最大の木と――都和市の摩天楼の影の隙間に挟まっている。月並みの取引に適した場所ではない。

 大田原からそんなにも遠くに……つまり、普段の未来派が必要とするよりも遥かに厳重な警戒が必要だということ。

 魁渡は机を指で叩きながら、暗号文の中にある会合の日時を再確認した。今夜、まもなく――タメシはそこへ向かったに違いない。

 けれど、会う相手は何者だ? そして何故?

 立ち上がりかけた時、書類の背後に差し込まれた一枚のデータチップが目にとまった。彼はそれを狸の仮面に繋げると、数秒の後に暗号化が破られ、内部パネルにひとつの画像が浮かび上がった。

 それは奇妙な装置の設計図だった。四角形をしていて薄く、ワイヤーに似た何本もの腕がまるでクラゲのように伸びていた。このようなものを見るのは初めてだった。

アート:Campbell White

 だがこれも、タメシが金属の腕の男を知っているという証拠にはならない。

 つまり、下層街での会合に乱入する必要がある。

 魁渡は狸の仮面からデータチップを外し、書類の間に戻した。彼は机から離れると指を鳴らし、ランタンを置き場に戻すと外へと急いだ。

 無事に扉から出ると魁渡は指をひねり、手裏剣は監視カメラから離れて彼のもとへ向かってきた。魁渡はそれを宙で掴み、ベルトに戻し、空中フェリーへと向かった。


 下層街の底を、魁渡はたやすく縫うように進んだ。たとえ昼であってもここに陽光は差さず、ネオンの明かりも狭い路地までは届かない。よどんだ水路は桜の花弁で覆われていたが、その美しさも汗や汚水の悪臭を隠せはしなかった。

 タメシの行方を把握するのに長くはかからなかった――ムーンフォークが下層街に足を踏み入れるのは珍しく、少しの金と引き換えに情報をくれる通りすがりは何人もいた。

 友人の足跡を追い、魁渡は波止場に辿り着いた。都市のはずれは光源が少なく、運河の水は漆黒と言ってよかった。不快な酸っぱさを唇に感じた――下層街の下水道とよく似た化学的な悪臭が漂っていた。

 彼は顔をしかめ、両手には何も持たず、何かあればすぐに刀に手を伸ばせるよう身構えた。何が見つかるのかはわからない、けれど再びあの金属の男が現れたなら、逃がすつもりはない。

 近くの通気孔から蒸気が噴き出ており、波止場の外れに向かう魁渡の足音を隠してくれた。金属製のコンテナが整然と並べられ、豊富な隠れ場所を提供していた。だが魁渡の視線は前方の倉庫に釘付けになった。二枚の巨大な扉の間から、中の明かりが漏れ出ていた。

 魁渡は仮面を外し、灯元を四本脚のドローンの姿に戻した。音もなく彼女はその倉庫へと向かっていった。同時に魁渡は背中の刀に手を伸ばした。柄をひねると、二列の鋭い歯が飛び出した。

 刀の柄を強く握り締め、魁渡はそっとドローンの後を追い、こめかみを指で押した。

 倉庫の中、狸のドローンは天井近くの暗闇の中を目指した。金属製の箱が内部のほとんどを埋め、だが隅の空間を机と実験器具が占拠していた。輝くガラス器具が迷路のように幾つも組み合わさっていた。中に蛍光色の液体が沸騰するもの、あるいはエネルギーが弾けるもの。外科手術の道具が机の上に散らばっていた――幅広の三角形、あるいは小枝のように細い奇妙な形のナイフ。小型のビーカーに見たこともない金属のような液体が満たされ、作業台の上に並べられていた。そして金属の破片とほつれたワイヤーが、合わないパズルのように散らかっていた。

 魁渡の骨に不安が走った。その実験の様子は……大田原で見た未来派の何とも異なっていた。いや、神河で見た何とも。

 彼は灯元を設備に向かわせ、だが巨大な影が見えて動きを止めた。出入口から複数の声が聞こえてきた。口論の真っ只中のようだった。

 ドローンのカメラ越しでも、魁渡に見えたのは大きすぎる影だけだった。それが動くと、魁渡は不自然な響きをその声の内に聞いた。まるで金属と金属がこすれ合うような。

「肉ノ者ガコレマデニ見セタ有用性ナド無意味。我々ハ疑イト弱サヲ完全に切除スル」

アート:Joshua Raphael

 コンテナの近くで幾つもの足音があり、しわがれた声が上がったものの魁渡には聞き取れなかった。

 巨大な影が今一度動き、光の中に入ってきた。見たこともない怪物が現れ、魁渡は息を止めた。輝く金属の身体、鉤爪の両腕に曲がった背。むき出しの肋骨と棘のある脊柱は金属細工のようだった。恐ろしい顔面と口は鳥に似ているもののあらゆる箇所が尖り、そのずらりと並ぶ長く平らな歯を見た魁渡は、倉庫の外にいながらも後ずさった。

 香醍の間で見た、あの金属の腕の男ではない。全く異なる何か。

 その生物は不自然な足どりで歩き回り、魁渡はドローンを隠すために影の中へと引っ込めた。

「必要トスル素材ノ収集ヲ完了シ、取得シタ標本ヲ移送セヨ」 怪物は振り返った。開かれた顎と金属が鳴るような声に、魁渡は胃が気持ち悪くなるのを感じた。「進捗ノ遅レハ許サヌ。被験体ガ意識ヲ完全ニ取リ戻シテシマウユエ」

 手下の一団がドローンのカメラ映像に現れた。衣服から判断するに勢団の者たち。人数は十人ほど、彼らはテーブル上の器具をかき集めると待機する車両に向かっていった。鮮やかに泡を立てるビーカーには手をつけず、そして車両に積み込まれる大型コンテナの一つが揺れ動いた。

 武器の類を隠すにはもってこいの大きさだ、魁渡は落ち着いてそう考えた。タメシは一体何に関わっているんだ?

 手下が車両に荷を積もうとした所で、その中から悲鳴が上がった。どこかで皇が檻に閉じ込められている、そんな考えに魁渡の心臓がすくんだが、聞こえてきた音は人間というより獣が発するものだった。

 神が発する音のようだった。

 それが何なのかを調べたかった。コンテナの中身が何であろうと、この倉庫で起こっている物事の答えがわかるかもしれない。

 だが時間はなく、十人の勢団員とあの怪物にひとりで立ち向かえるはずもなかった。

「ビーカーはどうしますか?」 手下のひとりが尋ねた。

 怪物は車両へ向かいながら、振り返ることなく言った。「証拠ハ全テ隠滅セヨ。肉ノ者ガヨリ適シタ場所ヲ提供スルトイウ。ソコデ実験ヲ継続スル」

 ひとつ冷笑してその勢団員は背を向け、ビーカーのひとつを取り上げると力をこめてそれを残るガラス器具へと叩きつけた。

 そして起きた爆発に魁渡は驚いて飛び上がり、刀の柄を握り締めた。だがすぐに我に返り、こめかみを押してドローンを呼び戻し、速度を上げて去る車両の音に耳を澄ました。

 炎の燃え盛る音が警告として伝わってきた。

 だが中には証拠もある。それが破壊されつつある。

 色鮮やかな炎が既に壁を食らいつつあったが、魁渡は構うことなく駆けこんだ。もう数分もすれば、全体が飲みこまれてしまうだろう。

 何か掴めるものを、何か役立ちそうなものはないかと彼は探した――だが残されたものは既に激しく燃え、止めることはできなかった。

 魁渡が肩を落としたその時、背後のどこかでうめき声が響いた。

 彼はすぐさま振り返って刀を構え、だがコンテナの角からタメシが倒れ込むのが見えた。そのローブは真正面から金属の鉤爪に切り裂かれ、顔色は見たこともないほどに青ざめていた。そして友から、血の池が広がりはじめていた。

 タメシは致命傷を負っていた。

 刀を鞘におさめ、魁渡は友の隣に急ぐと膝をついた。言いたいことが山ほどあった。尋ねたいことが山ほどあった。

 だが今、彼の心は背後で燃え上がるガラスのように砕けてしまっていた。何の言葉も出てこなかった。

 タメシは顔を上げ、目を開き続けようとこらえた。「魁渡くん……」

 魁渡はかぶりを振るだけだった。こんなことはあってはならない。また友を失うなんてことは。

 けれど死の方は、そうは思っていない。

 タメシの声は燃え殻のようにかすかだった。「私は……幾つもの過ちを犯した。だがその最たるものは、君に嘘をついたことだ」

 背後で炎が勢いを増すのを感じた。タメシを動かすことはできない――それは必然的な結末を速めるだけだろう。そして、もう時間は僅かしか残されていない……

 気にしなくていい、そう言ってやりたかった。この最期の時に、安らぎと許しを与えてやりたかった。友の最期に与えてやれる全てを。

 けれど魁渡にはもうひとり、友がいる。そちらはまだ助けられる。

「陛下について知ってることを教えてくれ」 涙をこらえ、魁渡は懇願した。「あの金属の男とどうやって知り合った?」

 タメシの瞳から光が消えかけた。

「駄目だ!」 魁渡は友のローブを掴み、強く引いた。「まだ逝くな。本当のことを教えてくれ」

 タメシの今際の息が、ほんの僅かにこらえるように途切れた。心折れるほどの、取返しのつかない後悔とともに彼は魁渡を見上げた

 もう時間はなかった。

「テゼレット」 何かの呪文を破るようにタメシは囁いた。そしてこと切れた。

 魁渡は声を詰まらせて泣いた。頬を流れる涙は皮膚を焼くようだった。炎の熱を背中に感じた。危険なほどに迫ってきている。

 歯を食いしばり、魁渡はタメシの目を閉じると静かに別れを告げた。そして間違っているとは思いながら、友のポケットに手を入れて研究室のカードキーを取り出した。

 タメシは死んだかもしれない、けれどまだやることがある。

 狸のドローンが隣に現れ、自ら仮面の形状をとった。魁渡はそれをまとい、友の死体から立ち上がると、肩にのしかかるほどの苦悶に耐えながら歩き去った。

 背後で、倉庫は炎に包まれた。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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