MAGIC STORY

神河:輝ける世界

EPISODE 01

魁渡・起源の物語:「忠誠の試練」「その先へ続く道」

Akemi Dawn Bowman
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2021年12月16日

 

忠誠の試練

 今宵の街路には神がうようよしていた。都和市(とわし)に住む夜型の精霊は、多くがこの灯篭祭りを気に入っている。他の日であれば、漆月魁渡(しづき かいと)はこの非日常的な喧騒をありがたく思ったかもしれない。この仕事には、目撃されずに街路を進む能力が必要とされる――そして神の群れは理想的な解決策だ。だが時間はない。さっさと仕事を終わらせられなければ、別の勢団員に報酬が支払われるだろう。

アート:Nils Hamm

 標的はすぐに見つかった。賭博師は秘密を守らないことで名高く、そいつは沢山の借金と不仲で知られていた。だが行動を急げば、標的を怯えさせてしまうだろう。そして群衆と花火で混み合うこんな夜には、余所者が隠れる場所がいくらでもある。

 子供の一団が拳に火花をきらめかせ、甲高い声をあげて通り過ぎた。魁渡はその音にびくりとした。

 皇が姿を消してまだ一年。香醍(きょうだい)の社からあの謎めいた余所者を追跡して十二か月。

 神河の全ては何事もなく進んでいるかもしれない。だが空に浮かぶまばゆい赤の祭り灯篭にも、屋台で売られる甘い団子にも、屋根の上に燃えて輝く馬鹿騒ぎの神にも、魁渡は何の喜びも感じなかった。彼の心を占拠するのは友だけだった。

 陛下が戻ってくるまで、浮かれ騒ぐのはお預けだ。

 彼は屋台の売り子を守るネオン傘の下へ踏み出した。そこでは電気の神が三体、壊れかけた屋外用ヒーターの傍で喧嘩をしていた。三体の中で最も小柄なものが跳ね、工業的スタイルの身体を取りまく金属球が刺激に点滅した。魁渡は片手を挙げて眩しい光を遮り、数度瞬きをした。神は別のエネルギー源を求めて街路へと散っていった。視界が回復した頃には、どうやら標的を完全に見失ったように思われた。

 その男が派手なコートを着ていなければ、そうなっていただろう。

 コートの縁は蛍光性の黄色に輝き、全体には光沢のあるホログラフィックで鯉の模様が描かれていた。梅澤悟(うめざわ さとる)に金を借りた者にしては、ずいぶんと大胆な服装。

 だがこんな祭りには、人を油断させる何かがあるというものだ。

 音もなく、魁渡は黄色をまとうその男に近づいた。標的はカレーの屋台の外、細い木製の椅子に腰を下ろしていた。そして卓に身を乗り出し、額に小麦粉の汚れをつけて前掛けにカレーの飛沫が散る女性を早口で口説いていた。

 氷山勢団は目撃されるのを好まない。用心しなければ。

 魁渡は近づいてくる客の間をすり抜け、影の中のかすかな煙のように動いた。止まることなくその男の背後へと進み、滑らかな手の動きひとつでその男のコートに手を入れると財布をくすね取った。

 その男は何も感じなかった。間違いなく。

 人混みの動きを追って市場の隅へ向かい、魁渡は標的から離れた。追われていないことを確認すると、彼は街路の隅で立ち止まり、財布を開いて半透明の紙幣を数えた。

 神河では、ほとんどの人々が手首に取りつけたクレジットチップを好む。だが賭博好きは装着可能な技術を使うほど愚かではない。都和市の賭博場の常連にはひとつの格言がある:「失ってもいい物だけを危険にさらせ」。全てを失う誘惑を避けるため、賭博師はクレジットチップよりも物理的な貨幣を好む。

 幸運なことに、魁渡は長年に渡って幾つかの技を習ってきた――スリもそのひとつ。

 彼は紙幣に目を通し、念の為もう一度数えるとポケットから小型のタブレットを取り出した。いつかは他の勢団員たちが着用している網膜レンズのようなハンズフリー装置を買いたいが、今は時代遅れの通信機でやっていかねばならない。

 装置が魁渡の両目をスキャンすると、ぼやけたホログラムが浮かび上がった。魁渡は現在有効となっているリストを指でスクロールし、やがてひとりの賭博師のピクセル画像が現れた。その下には名前、悟への借金額、隠れ場所の情報が記されていた。

 魁渡は暗号メッセージを装置に打ち込んで送信した。標的の名前が青から赤に変わり、そして消えた。その空間には「完了」の文字が映った。

 神河のどこにいても、氷山勢団の団員はこのアラートを受け取る。

 そして魁渡がまたひとつ仕事を完了し、報奨金を受け取るために下層街、悟の隠れ家へ向かっていることも知るだろう。

 魁渡は装置をポケットに戻した。祭りの太鼓と花火の音が背後でこだましていた。浮かれ騒ぐ気分ではないのは確かだが、空腹でないわけではなかった。彼は賭博師の財布から余分な紙幣を数枚取り出して近くの屋台へ向かい、並ぶ中でも一番大きな串団子を買った。駅へ向かいながら、醤油が手に滴った。悟の所で働くのが第一志望ではないにしても、勢団員になることにはメリットもある。魁渡はそう思った。


 下層街はそびえ立つ摩天楼と鮮やかな桜の木の影に覆われ、近くの側溝からは悪臭が漂っていた。魁渡が氷山勢団で仕事をするようになって一年ほどが経っていた。既に彼は都和市の下層、最悪の部分に慣れていた。その人々にも慣れていた――下水から姿を現すどんなものよりもずっと悪い奴らに。

 魁渡が扉のパネルに手首を掲げると、赤い光が装着式カードキーをスキャンした。皇宮に比較するとセキュリティは緩いが、良識ある者は勢団の縄張りに殴り込もうとはしない。セキュリティシステムは形式にすぎなかった。

 扉は滑るように開き、魁渡は金属の階段を下った。その先では広いロビーにカードテーブルが散らばり、背後の壁にはネオンで飾られたカウンターが並んでいた。勢団員たちは椅子に腰かけ、あるいは戸口に立ち、ほとんどの者は牙と鋭い角で飾った精巧な仮面で顔の半分を隠していた。色鮮やかな刺青がその腕に見えた。下っ端の刺青はひとつかふたつ、だがもっと偉い団員のそれは両手首から肩にまで広がっていた。

 ほとんどの勢団員は、忠誠の刺青をまず入れられる。もし悟を裏切ったなら、この入会の印は持ち主の肉を喰らい、やがて緩やかで苦痛に満ちた死にいざなう。魁渡は下っ端の中でも最年少ではなかったが、十六歳になったばかりの彼はまだ若すぎるとして正式な入会を逃れていた。

 それがいつまで続くか、彼は考えないよう努めた。

 裏切るつもりがあるわけではない。何といっても悟は仕事をくれるのだ、寝る場所と食べ物は言うに及ばず。氷山勢団に入っていなかったら、魁渡は今も都和市をうろつき、どぶで僅かな金を漁って――そして不注意な余所者のポケットを漁ってどうにか生きていただろう。

 だが金のために氷山勢団に入ったのではない。このギャングのネットワークは広く、現存するあらゆる犯罪情報の隅から隅までアクセスできる。あの金属の腕の男について知っている者がいるとすれば、それは悟のスパイだろう。

 それで皇を襲った相手を見つけられるなら、忠誠の刺青を受けて下層街に留まったっていい。それが友達を連れ帰る対価なら、安上がりというものだ。

 ひとりの巨漢が魁渡の前に立ちはだかり、毛虫のように太い眉をひそめた。男がまとう昆虫のような鎧には精巧な彫刻が施されていた。男は立腹した様子で息を荒げ、その目は血走っていた。「俺の獲物を横取りしやがって」

 魁渡はその男が帯びる刀、無慈悲な赤色に輝く刃に目をやった。ほとんどの勢団員の武器には毒が塗られ、あるいは違法な強化が施されている。一方の魁渡が持っているのは血を流すよりも果物を切るのに適した薄いナイフだけ。だが前回武器屋に行った時、彼にはそのナイフしか買えなかったのだ。喧嘩を避けたことはないが、圧倒的に不利であるのは否定できなかった。そのため、ここは言葉でやり返す。対価として鼻を砕かれないことを祈るだけだ。

「リストに名前が載ってるなら、条件は同じだろ」 魁渡は冷淡に言い返した。「あんたが先に獲物の所へ行けなかったのは俺のせいじゃない」

 勢団員は歪んだ歯の間から息を鳴らした。「あの博打うちは今朝名前が載ったばっかりだ。どうやってそんなに早く見つけた?」

「祭りだよ。飯がある所に人は集まる」

「運のいい奴だ。けど手が綺麗なままだな、血すらついてねえ」 男は睨みつけた。「時間を稼いでるつもりか? 仕事が終わったふりをして、俺たちが標的に近づかないように……」

 その言葉に他の勢団員が数人、賭博のテーブルから顔を上げた。ひとりは肘まで伸びる金属の手袋をはめた逞しい女性で、指先は針のように鋭く尖っていた。彼女の仕事ぶりを魁渡は前に見たことがあった――手の一振りだけで特別製の毒を植え付け、犠牲者の傷から毒の花を咲かせるのだ。

「掟くらい知ってるよ」 勢団員たちにも聞こえるように、魁渡は言った。「嘘をついたって報奨金は貰えない――それに標的を痛めつけたって自分が満足するだけだし」 彼は肩をすくめた。「あの男には借金があるってリストにはあった。だから金を盗ってきた」

「生意気な下っ端だ。勢団には要らない弱さだ」 男は非難するように首を曲げた。「慈悲なんてのは皇国兵のものだ」

「慈悲なもんか」 魁渡は言い返した。「他にも仕事が沢山待ってるのに、血を流させて時間を無駄にしたくかっただけだ。時給貰ってるわけじゃないんだし」

「その通り」 金属の指先の女性が同意した。鎖骨沿いに刺青がかすかに見えた。「命乞いをさせるのも楽しいんだけどね」

 返答するように勢団員たちが笑い声をあげ、その音は魁渡の奥深くへと氷のダガーのように突き刺さった。もし警戒を怠ったなら、いつか背中にこんなダガーを受けるのかもしれない。

 そこに長身で漆黒の髪の女性が姿を現し、笑い声は止んだ。魁渡は寒気が骨身にしみるのを感じ、虚無感が彼の身体を満たした。幻影の蛇のように、細く黒い煙がその女性を取り巻いていた。相互の敬意を通して神の魔法を用いるのではなく、この女性は異なる手法で神に繋がっている。背信の化身である神、痣矛奇(あざまき)を自らに憑依させているのだ。それも何度も。そうすることで、預言的な幻覚と未来視が得られると信じているのだ。

 魁渡に見えるのは生気のない灰色の皮膚と、光彩の黒色が白目にこぼれた様子だけだった。神はこの女性の身体を借りただけではない――魂そのものを貪っているのだ。

「悟がお呼びよ」 彼女は虚ろな声でそう言い、後方の部屋を片手で示した。

アート:Anna Pavleeva

 魁渡は無言でついて行った。勢団員たちから離れられるのは嬉しく、だが不安に皮膚がうずくのを感じた。悟が誰かを呼び出すなんてことは滅多にない。そのような時は大抵、悟の部屋に入っていった者は指を一本か歯を数本失って出てくる――そもそも生きていればの話だが。

 あの余所者の財布の重みを魁渡は感じた。串団子を買うために中身をくすねたことを悟は知っているのだろうか? 魁渡は何度も金額を数えていた。標的の負債を払うには十分だった。魁渡がくすねたのは余分――悟から盗んだことにはならない。

 そうだろうか?

 その女性が扉を押し開き、魁渡は恐る恐る中に入った。机の向こうに座した悟を目にし、彼は目を大きく見開いた。耳のすぐ下まで達する刺青。黒髪はきつく結われて顔全体を厳しく張りつめさせている。金属製の鎧は胸と両腕を効果的に覆い、だが肩と腹部の透明部分から色鮮やかな刺青が見えていた。首から下げられたガスマスクはネオンの緑色と青い渦巻き模様で彩られ、怪物の顎を思わせた。

 悟は魁渡へと座るように指示しなかった。何も言わなかった。彼はただ見つめ、その視線に魁渡の膝が震えた。

「説明させて下さい」 魁渡は早口で言った。「あの男の借金よりも多い額を持ってこられるだろうって思ったんです。それで午後からずっとあの男を追いかけて、醤油の匂いを――」

 悟は遮るように片手を挙げ、魁渡はすぐさま口を閉じた。

 氷山勢団の首領が何も言わずにいる中、魁渡はポケットからあの財布を取り出すと注意深く互いの間に置いた。

 悟はそれを一瞥し、近くに立つあの女性に身振りをした。彼女は財布を取り上げて離れ、内容物を数えた。少しして、彼女はそっけなく頷いた。

 机に肘をつくと、悟は手を組んで身を乗り出した。「仕事の上手い奴だ。リストに名前が載った奴をその日のうちに片付けたのは今週これで三度目だ」

 魁渡は息をのみ、指を守るように拳を握り締めた。

「だがな」 悟は続けた。「その能率の良さは賞賛に値するが、目立つことの意味をお前が把握しているかどうかは分からん」

 喉が渇くような感覚があった。この仕事が必要なのだ。皇を助けられる場所にいなければならない。悟に疑われるわけにはいかない。

「目立つ勢団員は他にもいますが、俺よりも沢山リストの名前を消してはいません」 大胆すぎる態度だとはわかっていたが、声のかすれを隠すにはそれしかなかった。「俺は最高の下っ端です」

「まだ忠誠の刺青を入れてないがな」 悟は魁渡の滑らかな皮膚を、そして壁にかかる巨大な画面を示した。監視カメラの映像がロビーの様子を長方形に映し出していた。悟はあのやり取りをずっと見ていたのだ。「お前がこの仕事をする気があるのかどうか、疑ってるのは俺だけではないようだ」

「俺は望んでここにいるんです」

「ああ」悟はそして言葉を切った。「ここに来る前、お前は永岩城(えいがんじょう)にいた。皇国を離れて別の人生を求める侍は何人も見てきた。今も時々そいつらのひとりがここにやって来る。だがそいつらは、駄目な機構を見てきたから皇国を離れた」 悟の表情が険しさを増した。「お前は機構を気にかけるような奴には見えないが」

 少年時代の記憶に、魁渡の頬が熱くなった。今も罪悪感はあった――皇宮を離れたことではなく、英子(えいこ)を置いてきたことに。皇宮の壁を乗り越えて追いかけてきて欲しかったというわけではない。姉の心は皇宮とその全てに属しているのだから。

 魁渡の心は、真にはどこにも属していない。少なくとも、簡単に説明できるようなものには属していない。

 魁渡は身体を強張らせた。「永岩城では、俺が求めるような人生は手に入らないってわかったんです」

「ならば、お前は何を求めているんだ?」

 肩をすくめて魁渡は答えた。「金を。いい剣を」 陛下に何があったのかを突き止めて、彼女を故郷に連れて帰ることを。

 その言葉に悟はほくそ笑み、だが眉はひそめたままだった。彼はやがて言った。「お前にやって欲しい仕事がある。リストには載っていないやつだ」

「仕事ですか?」魁渡は安堵に瞬きをした。これは指を失わずに済みそうだ。

 悟は椅子に背を預けた。「大田原(おおたわら)のムーンフォークが――未来派の神童、そう名乗っている奴らが――技術と神と繋げる手段を開発している。そいつの研究は闇市場で高く売れるだろう。俺たち氷山の商売敵が聞きつけて同じことを考えるのは時間の問題だ」 悟は首をかしげ、魁渡を注意深く見つめると顎を上げた。「設計図を持ってきてくれるか」

 報酬は高額になるだろう――闇市場の仕事は常にそうだ――だが悟への忠誠を示す方法でもある。目立つ必要なく。

 魁渡は簡素に頷いた。「任せて下さい」

「後で詳細を送る」 悟は手を振った。「自分で確認しろ」

 あの女性が値踏みするように見つめる視線は無視し、魁渡は悟の部屋を辞した。街路に出て摩天楼の影に入るや否や、彼はタブレットを取り出した。すると丁度、個人宛メッセージがホロスクリーンに投影された。

 そこには一枚の写真と、名前が記されているだけだった。

「タメシ」


 大田原は地表とは全く異なっていた。多くの建物が金属とガラスで覆われ、あらゆる不意の動きへと輝くスポットライトを当てるようにこの次元を映していた。そこかしこに監視ドローンが飛び交い、巨大な折り紙メカが浮遊都市の端をうろついていた。

 皇が失踪した後、皇国は襲撃の主犯として未来派を糾弾した。未来派が守りを固めているのは告発への返答なのか、それとも彼らのセキュリティシステムは防御ではなく実験室内の出来事を隠蔽するためなのか、魁渡はそれを訝しんだ。

 未来派が技術の限界を押し広げているのは秘密でも何でもなかった。だが彼らは一線を踏み越えようとしているのかもしれない――あるいは既に跳び越えてしまっているのかもしれない。

 興味をそそらないと言ったなら、それは嘘になるだろう。

 タメシの居場所をようやく魁渡は突き止めたものの、そのムーンフォークはもはや大田原にはいなかった。彼は母聖樹(ぼせいじゅ)地区に移動していた――神に満ちた森であり、樹海の兵団の本拠地。

 標的を追跡する、研究所に押し入るのは別にいい。だが神を怒らせたなら? 母聖樹地区の神は都和市から逃れた神だ。樹海の兵団以外には寛容に接しない。永岩城が神との外交官をあれほど多数擁しているのは、定命と精霊の領域間の平和を保つためでもある。

 あの森は好意的な場所ではないだろう。仲介する者がいなければ。そのため彼は力を貸してくれるであろう唯一の人物に接触し、自らの問題を伝えた。

 母聖樹地区の外れにて、魁渡はアーチの下を急いだ。古の神の姿が彫られた石柱が苔庭の至る所に置かれ、それらの口は捧げ物を入れられるよう大きく開かれていた。幾つかの中には果物が、あるいは未だ定命の世界に来ていない精霊への伝言が書かれた折り紙の獣が置かれていた。社の背後には幅広の統合ゲートが立ち、その周囲は金属質の色調に揺らめいていた。

 そこに近づきすぎてはいけないと誰もが知っている。その虚無の中へと定命が踏み入ったらどうなるか、正確に知る者はいない。だが神は時折そのゲートをくぐって訪れる。皇宮は安全な通過のためにゲートを設置するが、樹海の兵団は社を立てて神に対する歓迎の意志を伝える。精霊とは自然の聖なる一部であり、崇敬すべき存在であると彼らは信じているのだ。

 精霊をそのように敬うべき存在として扱うことの意味を魁渡は理解できなかった。土の山の上で日光浴をする神の姿を見ても、そのような……至上の存在と思うのは難しかった。

 近くで足音が聞こえた。魁渡が顔を上げると、少し離れて姉が立っていた。

 魁渡は肩の力を抜いた。「姉ちゃん。来てくれたんだ」

 以前に会った時よりも彼女は髪を短くしていた。切り揃えられた髪は姉を本来よりも年上に見せていた。唇を閉ざし睨みつける様子は、奇妙なほど狐のようだった。軽脚(けいぎゃ)先生を人間にしたみたいだ、魁渡はそう思い、わずかに口元を歪めた。

 英子は腕を組んだ。「そんなに喜ばないで。魁渡に力を貸せるとしても、ルールは必要よ」

 魁渡は無邪気に両手を挙げた。「わかってるって」

「まず、私は何かを盗むために来たわけじゃない。そのタメシって人が何者かはともかく、その人から神を守るために来たの。魁渡が言っていたような――技術と神を繋げるなんてことをしようとしているなら、その人は皇国の法を破って両方の世界の平衡を脅かしているってことになる。それと私の記憶が確かなら、魁渡は判断が本当に下手だから、絶対に、武器は駄目。ここの神に、どんな方法であれ脅かされているって思われたらいけないから」

「名演説をどうも」 魁渡はわざと喜ばしく言った。「けど戦いの相棒が必要なら、下層街の誰かに頼めばいい話だ。神との交渉のために森を案内してくれる皇国兵が必要だったから、姉ちゃんを呼んだんだよ」

「私はまだ正式な大使じゃないって知ってるでしょ? まだ訓練課程は終わってないんだから」

「樹海の兵団はそんなこと知る必要はないよ。運が良ければ会うこともないだろうし。姉ちゃんは森の中を進む時に神が攻撃してこないようにしてくれればいいからさ」

「いいえ」 英子は言い返した。「私は魁渡の友達を止めるために来たの」

「そいつは標的だ。友達じゃない」

 沈黙が流れ、そして英子はやや柔らかな声で続けた。「魁渡、どうしてこんなことを? 軽脚先生に信じてもらえなかったから氷山勢団に入ったのだとしたら――」

「違うよ」

 英子は感情を弾けさせた。「じゃあ、どうして犯罪者の所で働いているの?」

「陛下のためだ」 魁渡は声を強張らせた。「未来派とも勢団とも違う秘密組織の噂を聞いてる。あの金属の腕の男について、皇宮は耳を貸してくれなかった。けど自分が何を見たのかはわかってる――そいつが神河に姿を見せるなら、勢団は把握するだろうってことも」 彼はかぶりを振った。「悟は俺の忠誠を疑ってる。あの人が欲しがるものを持って帰れなかったら、俺は皇宮を出た時に逆戻りだ。手がかりも、手助けしてくれるような相手もいない」

 弟のその言葉に、英子は何も言えなかった。

 魁渡は顎を強張らせた。「タメシの研究成果が手に入ればそれでいい。それを悟の所へ持ち帰って勢団内での居場所を確保できたら、姉ちゃんは皇宮に何を報告してくれてったいい」

 英子はしばし考えていた。肩がその緊張を示していた。「いいわ」 やがて彼女は頷いた。

 後で姉は考え直すかもしれない。魁渡は喜びを抑えようと努めた。彼は木々を顎で示した。「まだ明るいうちに行くのがいいと思う。真夜中に空の墓の神とはち合わせるのは避けたいからさ」 それが仲直りの贈り物であるかのように、彼はにやりと笑った。「特に、丸腰で行くっていう計画なら」

「あら、私は会ったことあるけど。丁寧な神よ」 英子は答え、金属の腕輪の位置を直した。「むしろ忘れられた空地の神を心配すべきね。あの神は縄張り意識が強いことで有名だから」

 英子の瞳にはユーモアがきらめいていたが、そこで笑い声を上げない程度の良識は魁渡にもあった。彼は姉に続いて森へと入った。


 英子は西の樹の木霊の前に立っていた。それは彼女よりも三十フィートほども高くそびえ、太い肢は樹皮に覆われ、口には黄金色の樹液が伸びていた。頭部の周囲には光る花が幾つも旋回し、沢山の細い枝が豊かな頭髪のように肩の下まで流れていた。

アート:Daarken

 魁渡は指で腕を叩きながら、離れてそのやり取りを見守っていた。姉が何を喋っているのかははっきりわからず、その神が樹海の境界近くで侵入者を見てどれほど不快に感じているかもわからなかったが、しばしの後、英子は深く頭を下げて魁渡の隣へと戻ってきた。

「川を越えない限り、安全に通れるだろうって」 英子は注意深く告げた。彼女は肩越しに振り返り、そして声を落とした。「タメシについては言わなかったわ。森に危険なものがいるとわかったら、複雑なことになるかもしれないと思って」

 魁渡はにやりとした。「神に嘘ついたのか? 軽脚先生はどう思うだろうな?」

 英子は顔をしかめた。「私に後悔させないで」

 ふたりは一時間近く歩き続けた。魁渡は遠くの木々の中、タメシの新たな研究所を探した――ならされた地面、新しい足跡、あるべき所にはない金属。だがタメシが近くにいたとしても、その男は完璧に自らの存在を隠していた。

 隣で英子が身体を強張らせたのを察し、魁渡は顔を向けた。顎を突き出し、口元はかたく閉ざされていた。それは子供の頃、叱られるのを恐れる様子と同じだった-—だいたいは魁渡の仕業だったが。

 神に嘘をついたことを姉はよく思っていない。だがもしかしたら、軽脚を失望させることを姉は重荷に感じているのかもしれない。だとしても姉を責めることはとてもできなかった。その感情はよく覚えていた。唯一の違いは、英子はもっと成長して師に誇って欲しいと思っているが、自分は……今の自分を誇ってもらいたかった、あの狐人が望んだ侍としての自分ではなく。

 不意に地面が揺れた。魁渡は飛びのき、その危険を目にするよりも速くダガーを掴んだ。

 攻撃ではなかった――ただ岩の神が、ゆっくりと穴を掘って隠れようとしていただけだった。

 魁渡は力を抜き、だが英子の厳しい視線に彼は頬が熱くなった。

「武器は駄目、そう言ったはずだけど?」 彼女は低く囁いた。

 返答するように、魁渡は気弱に肩をすくめた。「こんなの武器とは言えないよ。むしろサバイバルの道具だ。見方によるさ。台所用品って呼んでもいい」

「私の見方では、魁渡は神の動きを見るなりそれを抜いたけど!」 英子はそっけなく答え、呆れた顔をした。「これなのよ、私が心配していたのは」

 魁渡はベルトにそのダガーを滑り込ませた。もはや衣服の中に隠す意味もない。「こんなの何でもないよ。誰も怪我しない」

「どれだけ深刻かわかっていないでしょう? もし神を脅したら、私たち両方を危険にさらすだけじゃない――私がこれまで危険の中で働いてきた全てを」

 魁渡は喧嘩腰になった。「無理に来てくれなくてもよかっただろ」

「そうよ」

「でもさ」 魁渡は一歩踏み出した。「姉ちゃんはタメシのことを皇宮に伝えることもできた。そうすれば皇宮はここに侍を直接送り込んで、タメシを逮捕して、研究成果を確かに破壊することもできた。姉ちゃんは危険を承知で、それでも来てくれた。助けに来てくれたのは嬉しい、けど姉ちゃんは――」

「魁渡を助けるために来たんじゃないの」 不意に英子はそう認めた。

 魁渡はひるんだ。

 彼女は拳を握り締めた。「魁渡を――魁渡を傷つけたくはない。けれどこれはタメシの研究を止めるだけの問題じゃないの。その人の研究が何なのかを立証しないと」

 魁渡は眉をひそめた。「何を言ってるんだ?」

「魁渡。私あの夜、何かを見たの。陛下が消えたあの夜に」

 まるで森全体が大波になったかのように感じた。魁渡は膝を伸ばし、姉を凝視し、説明を待った。

 英子は唇の端を噛み、適切な言葉を探そうとした。「警報が鳴った時、私は――魁渡を探した。そして訓練場を半分横切ったところで、魁渡が香醍の社に走っていくのを見た。そしてその時、屋根の上に何かを見たの」

 魁渡の心臓が高鳴った。「あの男か? 俺が追いかけた?」

 彼女はかぶりを振った。「人じゃない――光だった。星みたいに眩しく輝いて、弾けた。みんな城壁の方を見ていて気付かなかったけど、私は魁渡を探していたから。そしてその光は――動物の姿になって消えた。そして陛下が消えたと知った時、何か関係があるに違いないって思った。未来派が、神を武器にする方法を見つけたのかもしれない」

アート:Dominik Mayer

 魁渡は苛立って頭をかいた。「一千回くらい言っただろ――あの時起こったことは未来派には何の関係もないって。あの夜、社にあの男がいた。陛下が最後に目撃された部屋にいた。陛下が行方不明になったのはその男の仕業だ。光る動物じゃない」

 彼女は魁渡を睨みつけた。「言ったわよね、タメシの研究は神と技術を融合させているって。私が屋根の上で見たのがそれだったとしたら?」

 魁渡ははっとし、その表情に理解が広がっていった。「軽脚先生は姉ちゃんを信じなかったんだな」

 英子は瞬きをした。

「軽脚先生は姉ちゃんの見たものを真面目に受け止めなかった。俺の言うことを信じなかったのと同じように」 姉の鋭い視線を魁渡は認めた。「だから来てくれたんだろ――軽脚先生に自分は正しいって示すために」

「子供っぽい言い方しないで」

 魁渡は鼻を鳴らした。「子供っぽいじゃないか。で、もし信じてくれなかったらどうするんだ? 軽脚先生は俺のことだって信じてくれない。けど少なくとも姉ちゃんの方が信じてもらえてたよな、小さいころから」

 英子の表情が揺らぎ、両目から生気が消えた。「魁渡……」

 魁渡は顔をそむけた。「ずっと姉ちゃんの方が俺より優秀だっただろ。軽脚先生もずっとそう思ってたし。けど俺はあの夜にあの社で、話を聞いてくれって皆に頼んだけど、誰も聞いてくれなかった」 彼はしゃくり上げそうになるのをこらえた。「あの時は、姉ちゃんの話でも聞いてくれなかったかもしれない。けど今ならさ、俺じゃなくて姉ちゃんだったら聞いてもらえるかもな」

「わかってるでしょう、私は魁渡が見たものを信じるって」 英子は静かに言った。

「姉ちゃんはあの男が未来派だって信じてるだろ」 魁渡は視線を持ち上げた。「俺が見たのは違う」

 英子は頷いた。「タメシの研究が、私たちのどちらかが正しいと示してくれるかも」そして彼女はためらった。「皇宮に戻って来ていいのよ。訓練を続けるのはまだ間に合うわ」

「それは俺の人生じゃない、もう。けど姉ちゃんはさ」 魁渡は真面目な笑みをひらめかせた。「きっと偉くなるよ」

 英子は魁渡の手をとり、強く握り、そして道へと戻った。時に、姉弟の間では口にされない言葉が何よりも雄弁となる。

 岩を越えると、石の階段が丘を取り囲んでいた。小さな滝がその頂上から流れ落ち、苔むした岩を下って池に溜まっていた。流れ出す川底はでこぼこで、森の中心を水音が駆け抜け、清涼にこだましていた。

 都和市の中で身を隠すには、一番大きな人混みの中がいい。樹海では、一番うるさい滝の近くがそれかもしれない。

 英子は手を挙げて魁渡を制した。「ここから先は行けないわ。西の樹の木霊に約束したもの」

 魁渡は木々の先に立ちのぼる霧を指さした。「タメシがここにいるとすれば、川の近くだ。うるさいし足跡を隠せる」 そして英子を一瞥した。「俺が約束した相手は陛下だけだ――それと成果を持たずには帰れない」

 英子の異議を無視し、魁渡は注意深く流れの飛び石に足をかけ、ゆっくりと注意深く進んだ。そしてぬかるんだ土手に到達すると、急いで足場を確保して草を掴み、岩の上に身体を投げた。姉もついて来ているかと振り返ったが、その姿は消えていた。

 傷つく資格などない。姉のルールを自分はほとんど破ってきたのだ。もしまずいことになったなら、ともに沢山のものを失ってしまう。

 だが見捨てられたという苦々しさが心を縮み上がらせた。自分が永岩城を去った時、英子もこうだったのだろう。

 これでおあいこだろうか、彼はそんなことを思った。

 姉が去ってしまった今、彼女が戻って皇宮へと報告するのは時間の問題だった。感情的になっている場合ではない――誰かが探しに来る前に、タメシを見つけなければ。

 低い枝を屈んで避けると、丘から空き地へと続く小道があった。魁渡は手首に指を押し付け、すると金属の鶴のドローンが起動されて、鋭い破片が空へと羽ばたいた。魁渡はこめかみに手を触れてそのドローンを上昇させ、震えるカメラが伝える歪んだ映像を見つめた。勢団と過ごす中で彼は少なくない回数の乱闘に巻き込まれ、その際にこのドローンは破損してしまっていた。

 都和市の喧騒の中で誰かを追跡するのに損傷したドローンを使う意味はないが、今は森でただひとりを探している。画面がどれほどぶれていようと、何もないよりはずっといい。

 鶴のドローンは木々の間を抜け、魁渡は川から離れずにそれを追った。カメラに金属が映った。近い。

 あらゆる方角に水が流れて辺りの音を完全に覆い隠し、だが間に合わせの研究所は見逃しようもなかった。切り倒された木の側面に、ワイヤーと歪んだ光で接続された奇妙な機械の塊が配置されていた。研究所のほとんどは屑鉄で作られ、奥の方には巨大な鋼の箱が置かれていた。

 魁渡は一歩前へ踏み出した。その箱が反応してガタガタと音を立てた。

 箱ではない――檻。中に何かが囚われている。

 滝の音の上から、枝を踏み折る音が聞こえた。だが振り返った時には遅すぎた。タメシは既に戦闘態勢にあった――彼は魁渡の頬を殴りつけた。

 魁渡はよろめき、だが指は素早くダガーを確保し、その先端をムーンフォークへと向けた。タメシは青白い皮膚に髪を頭上に高く巻き付けていた。痩せた体格に皺のない顔、まだ若い。魁渡よりもひとつかふたつ年上に過ぎないだろう。

 タメシは片方の眉を上げ、宙に浮かび上がって青いローブをはためかせ、そして笑い声を上げた。「樹海の僧がこんなにも……原始的だとは思わなかったな」 そして彼は首をかしげた。「魚の鱗を取るナイフでももっと良いものがあるぞ」

「俺は兵団じゃない」 魁渡はそう答え、タメシの身振りの内に弱点を探した。

「下層街の服装か。勢団だな?」 タメシは言葉を切り、考えを巡らせた。「私の研究内容がいずれ知られるであろうことはわかっていた。最初に来たのが皇国でないのは驚いたが」

「だから何だ? 俺を見くびってくる相手は大歓迎だ」

 タメシは魁渡の貧弱な武器を顎で示した。「もっと準備をしてから戻ってくるといい。この先五分間、君に恥ずかしい思いをさせるのは私としても嫌だからな」

 魁渡は笑みを見せた。「簡単にあんたをやっつけられたら、そりゃ面白くも何ともないね」

 タメシは肩をすくめた。「好きにしたまえ」 彼はベルトから短い棒を取り出してそれを胸のパネルに強く押し当てた。一瞬にしてその棒は伸び、折り紙のように形を変え、ぎざぎざの刃をもつ金属の杖へと変化した。タメシは手の中でそれを数度振り回した。

「上等だよ、見せびらかして」 魁渡が呟いた声には鋭さがあった。今はそれが必要だと感じた。

 タメシが襲いかかり、その杖を魁渡の足へと振るった。魁渡は跳躍し、宙で体勢を整え、握り締めたダガーとともに旋回した。タメシは再び杖で叩きつけてきたが、魁渡は避け、ダガーは空を切った。タメシに攻撃は届かなかった――全ての攻撃が杖で防がれていた。かろうじてローブをかすった程度だった。

 だが魁渡は神河でも最高の師に訓練を受けていた。敵の強さが上なら、こちらは速さで上回れ。最も重要な教えがこれだった。

 次にタメシが振るってきた時、魁渡はためらわなかった。彼はナイフの切先を杖の刃に向けて突き出して受け止め、力を込めて耐え、そしてもう片方の手で杖を奪い取るとタメシの頭を蹴り上げた。

 その攻撃はタメシを脇によろめかせ、だがムーンフォークは滑空して立て直し、武器を掴んだまま宙に浮かび上がった。魁渡は手を放さず、踵で土に踏ん張った。

 タメシは応酬し、すぐに地面に降りた。そして魁渡の顎に肘を叩きつけ、だが魁渡はひるまなかった。彼は自分の体重を利用して杖を掴んだままタメシの周りを回転し、やがて相手の喉元にその柄を押し付けた。

 タメシの方が長身で力も上だが、魁渡は戦いから退いたことはなかった。そして今回も負けるわけにはいかなかった――屋根の上に見たあの男を見つけるために、勢団の力が必要なのだから。魁渡の行動は全て、皇を故郷に連れ帰るためだった。親友なのだ――そしてどんな危険をも冒す価値がある、どれほど分が悪くとも。

 魁渡は力を込めた。タメシは金属の棒に息を詰まらせ、全力で押し返した。その苦しい息が聞こえたが、魁渡に見えるのは必死で断固とした赤色だけだった。

 英子の声が狂乱から彼を引き戻した。「魁渡。何をしてるの! 放しなさい!」

 杖を掴んだまま、彼は視線を姉にやった。「帰ったんじゃなかったのか!」

「神に捧げ物をしていたのよ。魁渡はそう思わないだろうけれど、敬意を払うこととルールを守ることは実際違いを生むのだから」 彼女は数歩近づき、その言葉には鋭い威厳があった。「その人が窒息する前に止めなさい。情報が必要だということを忘れたの?」

 魁渡は睨みつけた。「襲ってきたのはこいつだ!」

「それは問題じゃないわ。交渉とはそんなふうに進めるものではないのよ」

 魁渡は憤慨を隠さず、突き飛ばすようにタメシを放すと、両の拳で杖を握り締めた。

 タメシは身体を折り曲げ、激しく咳こんだ。肺に空気が戻ってくると、彼は英子を見た。「つまり」 喉元をこすりながら彼はかすれ声を出した。「皇国兵が送り込まれて来たということか」

 返答するように英子は腕を組んだ。

 魁渡は空を探し、こめかみを押してドローンを呼び戻した。ほんの数秒でそれは現れ、魁渡が腕を伸ばすと機械の鶴は紙のように変形して彼の手首へと小奇麗にはまった。

 タメシが驚きに目を見開いた。「それをどこで手に入れた?」

「貰ったんだよ」 魁渡は乏しい感情で言った。「随分前に会った人から」

「カツマサを知っているのか?」 タメシは両腕を下ろした。その両目の炎が消え、奇妙な認識にとって代わった。

「なんでその名前を知ってるんだ?」 魁渡は問いただした。皇宮の庭園でそのムーンフォークに会ったのは何年も前だったが、姿は鮮明に覚えていた。それ以上に、カツマサが言っていたこともよく覚えていた――未来について、技術について――そしてその話に魁渡は、世界にはもっと知りたいことがあるように感じたのだった。

「私の師だ。君のそのドローンは――私たちが共に設計した」 タメシの両目に誇りの火花が宿った。「それこそ私が構築してきた研究だ」

 瞳に怒りを燃やし、英子は顔をしかめた。「神と技術に関する貴方の実験は――神河の基礎そのものを脅かすものよ」

 タメシは眉をひそめた。「私は神を守ろうとしているのだ」

「そのための神の一体を檻に閉じ込めているの?」 英子は設備の列へと向かっていった。箱に鍵はなく、だが鍵があったとしても問題にならないような力で、英子はその扉を引いた。

アート:Campbell White

 彼女は後退し、一体の神が現れるのを待った。そして金属の狸が銀色の顔を中から見せ、幾つかの機械音を発した。

 魁渡は瞬きをした。「何だそれ?」

 そのロボットは地面に飛び降り、一千もの金属部品がはまったような音で四肢が鳴り、そしてその顔を魁渡に向けた。パネルの両目が彼をスキャンし、少しして魁渡はこのロボットは好奇心からそうしているのだとわかった。

「言っただろう」 タメシは立腹し、背筋を伸ばした。「私の研究は神のためのもの――そして神河の全てのためのもの。知っての通り、二つの領域は統合しつつあり、いつの日かひとつの存在となる。だが統合のゲートの先について我々が知ることはまだあまりにも少ない。統合が完全に果たされた際に我々がどのような影響を受けるのかもまた。神を真に理解しようというならば、彼らを安全に学ぶ方法が必要とされる。神の存在を神河に保つ方法を。技術は我々のためだけのものであってはならない――神のためのものでもなければならない」 タメシの声は情熱的で、荒々しくすらあるように思えた。

 だがその動機に、悪しきものは何も感じられなかった。姉はどう思ったのだろうかと、魁渡は英子へと向き直った。だが彼女はその場に立ち尽くしていた。

 英子の両目は金属の狸に釘付けになり、彼女は呆然としたようにわずかに口を開いていた。「このロボット、私が見た動物とほとんど同じ」 彼女は魁渡へと向き直った。「あの光と一緒に現れた動物と」

 魁渡は眉をひそめ、タメシへと向き直った。「姉ちゃんはあんたのロボットが、陛下が神河から消えた理由だと思ってる。言い訳はあるか?」

「そのような告発は的外れだ。この創造物はほんの数か月前まで存在すらしなかったのだから」 タメシは肩を落とした。「だが言っていることはよくわかる。私もそれを探してきたのだ」

「何でだ? それと陛下に何の関係があるんだ?」

「君が見たのは、神が生まれる光だ。とても珍しい神、唯一無二の神が。皇が香醍や精霊の領域と共有する関係そのものの具現だ。私は長いこそそれを追って神河中を巡り、それを守る方法を探してきた」 タメシは金属の狸を示した。「そのための試作品がこれだ」

 英子は腕を組んだ。「神は何千といるけど、ロボットに守ってもらわないといけない神なんていないわよ」

「精霊の領域との繋がりを体現する神は、統合のゲートに過激な影響を及ぼす可能性がある」 タメシの声に込められた警告を魁渡は聞き逃さなかった。「計算に入れていない可変部分が存在する。だからこそ私はそれを守りたい、だが同時に二つの領域の関係を学びたいのだ」 彼は肩をすくめた。「神と機械の繋がりを創造すれば、神が必要とする守りがもたらされる。防御型着用メカのようなものだ。神を追跡するのを可能にし、その安全を確保する。我々も、安全でいられる」

「その研究で、他の誰かが神を操れるようになる可能性があるわ」 英子はそう指摘した。「もしも神が本当に統合のゲートに干渉できるなら、その神を制御する者に同じ力を与えることになる」

 魁渡は愕然とした。悟がその真実を知ってしまったら、絶対に設計図を闇市場には売らないだろう。神を手放さないだろう。そして精霊が本当に統合のゲートから、まだ誰も知らないような力を引き出せるとしたら?

 氷山勢団は都和市でも最強の勢団になるだろう。神河でも最強の。

 そんな力、誰にも与えるべきではない。

 誰も次の言葉を発せないうちに、峡谷の外から音が響いた。魁渡があまりによく知る音が。叫び、歌、そして囁き、まるで三つの声が積み重なったような。

 香醍の声。

「そんな馬鹿な」 魁渡はゆっくりと草の上を進みながら、あの偉大な神の姿を遠くに探した。

 香醍は決して社を離れない。この樹海にいるとしたら……

 それはつまり、陛下がここにいる……

 陛下が戻ってきた?

 魁渡は待たなかった。心に沸き上がった希望はあまりに強かった。あまりに必死だった。英子とタメシが叫ぶ警告を無視し、彼はその音を追って駆けた。

 枝と茨を抜け、土の塊を蹴飛ばし、肺が燃えるように熱くなろうとも駆けた。再会できたなら、言いたいことがとても沢山あった。

 けれど何よりも、彼女の顔が見たかった。無事を確かめたかった。

 楠の巨木の根元で魁渡は急停止した。その枝はらせん状にねじれ、葉は翠緑色にきらめいていた。

 だが香醍の姿はなかった。皇も。

 代わりに、そこには狸の姿をした神がいた。輝く白い瞳と半透明の毛皮。

 その神が魁渡を見た。

その先へ続く道

 胸が痛めつけられるようだった。皇が樹海にいるのかもしれないと本気で思っていた――香醍の声が聞こえたのは、友がようやく故郷に帰る方法を見つけ出した証拠なのだと思っていた。

 だが草の中に立つ狸の神は、失踪した友人ではなかった。そして、あの社に住まう古の神ではないことも確かだった。

 その生物は今一度、あの何層にも重なる声を発した。今回は小さく。

 タメシの杖を両手に持ったまま、神の輝く顔面から目を離すことなく、魁渡はゆっくりと膝をついた。皇と香醍の繋がりを体現する神、タメシはそう言っていた。それが本当なら、皇の一部は今もここに? この神は……自分のことをわかってくれているのだろうか?

 彼はその武器を地面に置き、片手を胸に当てた。「何もしないよ」

 タメシの研究のために樹海に来たはずだった。けれどそれが導くかもしれないものは、そしてこの神が示しているものは……

 息が詰まった。この神を守らなければ。

 背後で葉が震え、暗い色をした物体が木々の間から飛び出して、陽光にその金属の表面がぎらついた。それは魁渡の頭上で円を描き、ゆっくりと降下した。神の隣に着地したその姿は瓜二つと言ってよかった。片方は明らかにロボット、もう片方は星明りのようにきらめきながら、黄金色の球体が幾つもその身体を旋回していた。それらは香醍の背中に浮く幾つもの球を、ただ小さくしたもののように見えた。

 ロボットが電子音を発した。神は多層に重なる声で挨拶をした。

アート:Rudy Siswanto

 英子とタメシが追いついてきた。神の姿を目にし、英子は驚きの声をあげた。衣服の首元を掴みながら、彼女はゆっくりと魁渡の隣へ向かった。「その神は――何か言ってた?」

 魁渡はかぶりを振った。「香醍は陛下とテレパスで話すだろ、だからこの神も同じかも」 そして彼は姉と目を合わせた。「この神を守らないと」

 言われるまでもない、そう英子は頷いた。彼女は狸のロボットを見て表情を崩し、大きく深呼吸をしてタメシへと振り返った。「どうやって弟をそんな簡単に追跡できたのかと思ったら。これは神を守る鎧というだけじゃない――ドローンなのね」

 タメシは両手を広げて見せた。「見失ったり傷を負ったりした神の居場所を突き止めねばならないからな」

「ドローンは適切なアップグレードで武器にもなるでしょう。こういうものを作ることの影響を考えたことはあるの?」

 小型メカのように鎧をまとい、剣を構えた精霊がそこかしこを走り回る神河を魁渡は想像しようとした。悟のような者が精霊を支配できる神河。

 その考えは落ち着かないものだった。

「私の研究の目的はそのようなものではない」 タメシははっきりと答えた。「その設計は神を支配するためのものではない――守るためのものだ」

「守るって何から?」 英子が問いただした。

 タメシは顎に力を込めた。「統合のゲートの先にある、あらゆるものから」

 魁渡と英子は押し黙った。タメシは神と統合を学びたいだけではなく、向こう側に何があるかについて学ぼうとしていたのだ。

「神を精霊の領域へ送り返すつもりなのか」 魁渡ははっきりと告げた。

「神とドローンを繋げる手段が見つかれば、いずれはそうなる」 タメシは溜息をついた。「まだ解明すべきことは多い。そしてその知識はすぐそこにある――ただ鍵を見つけて扉を開く勇気があればいいのだ」

「あなたは神を気遣ってなんかいないでしょう。神が世界の間を行き来して持ってくる情報を守りたいだけ」 英子は歯を食いしばった。「あなたの研究は神河のバランスを脅かしている。続けさせるわけにはいかないわ」

 タメシは冷静だった。「私たちは既に神と繋がる力を所持している。何が違うというのだ?」

「神使いは、その神との関係を築く。それは信頼であり、互いへの尊敬でもある。それは賜物であるべきなのよ」 英子は今や憤慨していた。「あなたがやろうとしているのは、神の力を奪ってそれを一番高い入札者に売るのと同じこと」

「そんなことは――」 タメシは反論しかけたが、英子はそれを遮った。

「それを武器にするつもりはないのかもしれないけれど、そうなってしまう。そしてあなたの研究が世に出たなら、いつか誰かが私利私欲のために使おうとするでしょうね」

 取り乱し、タメシは目をそむけた。「私は理解のために成し遂げようとしているのだ。欲のためでではない。統合のゲートは、私たちが知る以上のものがそこにあるという証拠だ。その知識を手に入れるには、未知のヴェールを取り払うには、望まぬ犠牲が必要となるかもしれないが」

 英子はかぶりを振った。「力にはバランスが必要よ。そして悪しき者の手に渡ったなら、あなたの知識は統合のゲートを破壊しかねないし、それは神河を破壊しかねない」

 タメシは目をきつく閉じた。「君は頑固すぎる目で未来を見ているからそのようなことを言うのだ。神河の未来の姿、その未来が安定したものであると確かにするために進むべき歩みを」 そしてはっと目を開けた。「統合を研究するために更なる危険を冒さなければ、皇国はきっとこの世界に衰退をもたらす」

「私たちは今ここにある次元を守っているの」 英子の声は揺るがなかった。「あなたの研究は――破棄されねばなりません」

 その言葉に、タメシは肩を落とした。「ここまで来たというのに。あと少しあれば――」

 小さな神が再び吠えた。警告の声。神が感じる苦痛に魁渡の本能も同意した。何かがおかしい。森はあまりに静かで、大気は虚ろで、まるで――魁渡は身を強張らせた。悟の隠れ家で感じたような。

 近くで草が揺れ、魁渡は振り返って悟のスパイに対峙した。氷山の勢団員が五人。ベルトには刃がきらめき、腕は鮮やかなインクで彩られていた。先頭には、針のように鋭い手袋をはめた女性がいた。

 (なり)――毒に長けた勢団員。その髪は三つ編みにされて高く結い上げられていた。背後には悟の配下の神使いもいた。鳴は歯をひらめかせた。「悟がよろしくって言ってたわよ」

 神使いの皮膚から黒い煙が立ち上り、毒蛇のように大気に噛みついたが、魁渡は反応しないように努めた。「子守りを頼んだ覚えはないんだけどな」

 鳴は鼻であしらい、鉤爪をひらめかせた。「あんたがスパイなんじゃないかって、悟はずっと疑ってたのよ。元侍は珍しくないけど、皇国の訓練生?」 彼女は舌を鳴らした。「命令されてもいないのに、あの綺麗な壁の中から出て来る奴がいるなんて、誰が信じるのかしらね」

「残念だけど、俺はスパイじゃない」 魁渡は身体の脇で指を躍らせた。ナイフはベルトに、杖は草の上に――どちらを手にとるにしても、勢団員が動きの方は間違いなく速い。「悟さんはわかってるさ。あの人が何で俺を特別任務に選んだと思ってるんだ?」

 その女性の声すらも毒を帯びていた。「悟は同じ理由で君を見張らせていたんでしょうね」

 監視していたのだ。どうして気付かなかった? どうして感じなかった?

 一瞬、脳内に軽脚の声が聞こえたような気がした。貴方は図々しく自信過剰、その自惚れが視界を狭くしている。

 魁渡は悔しさを顔に出さないよう努めた。残る手段ははったりだけだった。

「尾けてたならわかるだろ、俺は設計図を探してここに来たんだ」 肩をすくめて彼は言った。

 こいつらが尾けてきていたとしても、自分をどうしようというのだろう? この神と対面するまで、悟を裏切るつもりなど全くなかった。ここまでやってきたことは全て、タメシの研究を手に入れるためだった。

 神使いが灰色の顔を上げた。「知っての通り、私は背信の化身、痣矛奇に繋がってる」 彼女は瞬きをせず、だが煙がその背骨から広がって昆虫の鋏のような姿をとると、魁渡は数歩後ずさった。「君の裏切りを感じ取っていないとでも思った?」

 勢団員のひとりが素早く動き、英子を掴んでその喉元に剣を突きつけた。

 魁渡は拳を握り締めた。頭に血が上るのがわかった。「姉ちゃんを傷つけてみろ――」

 鳴は片手であしらった。「君は皇国兵の助けを借りた。私たちのことを報告できる皇国兵を」 彼女は細い眉を上げた。「君がスパイだって悟が判断するには十分な証拠よね」

 打開策はないか、魁渡は必死に考えを巡らせた。だが時間を稼ぐことしかできなかった。「最初からそういう計画だったのか?」 可能な限り会話を長引かせる、そう決意して彼は尋ねた。「そもそも悟さんは研究成果を欲しがってたのか?」

「それは勿論」 鳴が応えた。「君の忠誠心は偽物かもしれないけど、才能はそうじゃない。君がタメシの所へ辿り着くのを悟は期待してたのよ」 彼女は犬歯をひらめかせた。「そしてその通りだった」

 背後で神が動く音を察し、魁渡は鋭く息を吸った。勢団員がその重要性を理解しているのか、あるいは極めて珍しい神だとわかっているのかどうかも定かでなく、だがその声を聞いた瞬間、魁渡は察した。

 勢団員をこの神から遠ざけなければ。

 魁渡は自分に注目させようとした。「設計図はここにはない。こいつの小屋にある」 彼はムーンフォークへと振り返った。タメシが本当にその神を守りたいと思っているなら、こうするしかない。

 タメシの顔は蒼白だったが、彼は魁渡以上に理解しているようにそっけなく頷くと、勢団員たちに告げた。「案内するのは構わない。だが他の者たちを解放してからだ」

 どういうつもりだ? 魁渡は問いただしたかった。タメシは部外者も同然だ。自分に何か恩があるわけでもない。それでも自分たちを救おうとしてくれている、たとえ些細なことしかできなくとも。

 鳴は笑い声をあげた。「そっちが交渉できる立場にあるとでも?」

 タメシは顔をしかめた。「お前たちが私の研究を理解できるものか。私の助けがなくてはな。ふたりを放せ、でなければ何も言う気はない」

 鳴はタメシの前へ進み、片手でその顎を持ち上げた。爪が皮膚をかすめそうだった。「いいわよ」 彼女は首をかしげてスパイの一人へと身振りをした。「目撃者はいない方がいい。それとその神は忘れないで」 愕然とした魁渡の凝視に、鳴の視線が合った。「必要になるかもしれないし」

 その時、英子が勢団員へと頭突きを食らわせ、同時に魁渡はうなり声を上げて膝を曲げ、近くのスパイへと飛びかかった。勢団員が苦痛にうめく中、英子は袖から隠し武器を取り出した。金属のコイルが解かれ、極小の刃が白熱する光で幾つも繋がり、一本の剣へと変化した。英子はその柄を握り、信じられないほどの素早さで次の勢団員の首筋へと振るった。

 見とれている暇はなかった――魁渡も勢団員のひとりに飛びかかり、地面に押し付けた。その男の顔面に拳を数発叩きこむと、彼は直ちにタメシの杖を拾いに向かった。

 鋼の刃が魁渡の胸に迫り、彼はかろうじて杖を拾って防いだ。勢団員たちは鋼と憤怒の旋風と化していた。魁渡は攻撃を防ぎながら後ずさり、力の限り食い止めながらも英子の隣に辿り着いた。

「『武器はなし』じゃなかったのか?」 背中合わせに戦いながら、魁渡は何とかそう叫んだ。

 英子はふてくされた顔をし、敵の胸に蹴りを叩きこんだ。「これが交渉というものよ。言葉で上手くいかなかったら武器を使う」 彼女の剣が肉を切り、相手は倒れた。英子は肩越しに振り返った。「武器はなしって言ったのは、魁渡は正反対のことをするって分かっていたからよ」

 数ヤード離れて、タメシがあの神の隣にいた。武器が激しく打ち鳴らされる音でその声は聞こえなかったが、タメシはあのロボットを神へと掲げ、それと融合させようとしているのはわかった。

 だが神は拒んだ。

 鳴の剣の下で、魁渡は耐えた。相手を押し留めるのはふたりの間の杖だけだった。彼はうめき声をあげて力の限り押し、そして振るった武器が激突した。

 魁渡と英子は神河でも最高の侍から訓練を受けているかもしれない、だが明らかに数で負けていた。金属と金属が激突する度に、怖れが魁渡の心の表面に浮かび上がった。

 姉に何かあったら、決して自分を許しはしないだろう。英子があの神に目を配っているのはわかっていた。タメシの研究が悪しき手に渡らないようにと。姉は神河のために、皇のために最善を尽くそうとしている。戦いから離れるべき者がいるとすれば、彼はそれが英子であって欲しかった。

「タメシと神を連れて逃げろ」 魁渡はそう囁いた。

「何を考えているか知らないけど、忘れたの」 英子が囁き返した。「魁渡を置いては行かないわよ」

 言い返そうと魁渡が口を開いた瞬間、木々の中から咆哮が上がった。勢団員たちが戸惑ったのは一瞬だったが、魁渡が顔を上げると、その胸に希望が少しずつ戻ってきた。

 樹海の兵団がやって来たのだ。

 両手に黄色の炎をまとわせた女性が、丘の上に立っていた。その隣には輝く石が七つ浮遊し、彼女は骨の兜をかぶっていた。その周囲には少なくとも十人ほどの神使いが、革の鎧をまとって臨戦態勢にあった。

アート:Howard Lyon

 鳴は深くかすれた叫びを放ち、そして――混乱が弾けた。

 樹海の兵団は勢団員に激突し、それまで静かであった森は鬨の声で満たされた。それは黒い煙と黄色い炎の旋風だった。

 魁渡は英子の腕を掴んで引いた。「逃げるぞ!」

 英子は荒く息をついていた。「けど兵団は――」

「――勝ったとしても、こっちの存在を喜んではくれないだろ。ここは危険だ、俺たち全員にとって」 彼は振り返って狸の神を見た。何が起ころうとも、この精霊を森の外へ連れ出さなければ。

 タメシは援護のために煙の中へとドローンを放った。「説明しようとしたのだが、彼女は私と来る気はないらしい」

「彼女?」 魁渡はそう繰り返し、その神の眩しい両目をまっすぐに見つめた。そして膝をついて顔を合わせた。「あいつら――あわよくば君を傷つけようとするだろう。どこか安全な場所に連れて行かせてくれないか」

 狸は見つめ返した。

 魁渡はひとつ深呼吸をし、この沈黙が互いの間の理解であることを願った。「嚙まないでくれよ」彼はそう呟き、両腕に神を抱え上げた。

 彼が駆け出すと、英子とタメシがその後を追った。


 苔と幹がぼやけて過ぎていった。一歩ごとに喉が燃えるように熱く感じ、息は上がっていた。この神が身を守れる場所をひとつだけ知っていたが、そのためにはまず樹海から出て、離れなければならない。

 タメシと英子はそう遠くない背後を駆けていた。姉の足音とタメシが枝の下を飛ぶ風の流れが感じられた。そのムーンフォークはいつでも自分たちを無視して大田原へ飛び去ることもできる。だがそうしなかった。タメシは敵というよりは友のように、自分たちの傍にいてくれていた。

 魁渡は決意した。いつか――無事に樹海から脱出できたなら――この借りをきっと返そう。

 地面が揺れ、魁渡はその場で立ち止まった。「また岩の神だろ?」 彼は弱弱しく言い、土の動きを見つめた。顔色を失った英子が左に現れた。

 川の中から一体の神が飛び出し、森全体が呼応して震えたようだった。耳をつんざく叫びとともに、その精霊は木々の中を駆けてきた。骨のような腕をわずかに振るっただけで、一本の木が倒れた。

 それは不規則に弾けるように動き、触れるものを探すかのように長い肢を伸ばした。優美な石の顔面に不気味な緑の球がふたつ輝き、だがそれがまとう笑みは奥深くから放たれる怒りに似つかわしくなかった。骸骨のようにもろい腕と脚が昆虫のように何本も生えており、黒く分厚い蜘蛛の巣がその歪んだ姿を覆い隠していた。節くれだった指からは絹糸が垂れ、その胸の前で振り子のように揺れる灯篭へと繋がっていた。

 墓照らし。忘れられた空地の神。

アート:Miranda Meeks

「わ……私、話してみる」 英子はかろうじてその声を発した。

「危険すぎる」 魁渡はそう言ったが、英子は弟の前腕に手を押し付け、そして指を唇に当てた。静かに。

 神はあっという間に近づいてきた。頭部は奇妙な角度で回転し、まるでその目は何も見えないかのように音を探した。

 英子はひざまずき、地面を両目で見据えた。「皇宮より参りました、漆月英子と申します。神との交渉役を務めております」 その声と同時に、神は英子の目の前の地面を叩きつけた。その動きに髪がはためいたが、英子はひるまなかった。「平穏を乱すつもりも、この森にこれ以上留まるつもりもありません。ただ母聖樹へと無事に帰して頂きたいのです」

 墓照らしは石の口を割るように開いた。それは人間よりも遥かに大きく、魁渡に見えたのは恐ろしい黒色の虚無だけだった。

 その神は英子が下げた頭のすぐ前で止まり、その態度を、存在を感じ取った。そして素早く下がったが、それが離れるつもりか攻撃のつもりか、魁渡はわからなかった。

 彼は後者だと感じた。

「やめろ!」 魁渡は叫び、草の中から飛び出して姉の前に滑り出た。

 神は悲鳴を上げた。魁渡は胸にあの狸を抱きしめたまま、英子を守るように片腕を彼女に回した。

 まるで両方を守ろうとするかのように。

 忘れられた空地の神は木々を引き裂き、枝を砕いて地面に落下し、魁渡の無防備な背中へとまっすぐに向かってきた。だが攻撃を当てるよりも速く、狸の神が魁渡の腕から出て自らよりも大きな神へと飛んだ。

 光が弾けた。

 魁渡は目を狭めた。何が起こったのか――眩しすぎて、そして神の動きは二体とも速すぎて見えなかった。だが英子を立たせてタメシのもとへ連れて行く余裕はあった。

「逃げろ!」 魁渡は叫んだ。「後で追いつくから!」

 タメシは英子を腰から持ち上げて宙に浮き、飛び散る土と石の間を逃げ去った。魁渡は狸のもとへ駆けた。

 彼は片手を挙げ、その小さな生物を探して光の中心を見つめた。そして見えた。左右にちらつき、墓照らしを攪乱しようとしていた――とはいえ、更に怒らせているようにしか見えなかった。

 忘れられた空地の神は全力で狸を叩こうと腕を振り上げた。魁渡はその寸前に飛び込み、小さな神を抱えて転がった。恐るべき力で腕が地面に激突し、周囲の林を揺らした。

 半狂乱に、魁渡は狸の両目を伺った。逃げる場所はない。速さでは敵わず、神と戦ったことは一度もない。そのための訓練すら受けたこともない。

 今できるのは、この神を抱きしめて次の攻撃を受け止めることだけだった。

 だがそれは来なかった。

 目を少しだけ開けると、墓照らしが奇妙で冷ややかな顔で自分を見つめていた。神は骨の指を伸ばし、狸の直前で止めた。

 狸は応えるように鳴き声をひとつ発した。

 違う――鳴き声ではない。命令。

 墓照らしは息をひとつ吐いた。その轟きに魁渡はのけぞった――そして忘れられた空地の神は川へと飛び込み、水飛沫を派手に上げ、視界から消えた。

 魁渡は震え、今も腕の中に守る小さな神を見下ろした。「その――行っても大丈夫ってことか?」

 神は重なり合った鳴き声で答えた、魁渡は立ち上がり、額にかかった飛沫を拭い、姉とタメシのもとへと急いだ。


 森の境界近くで三人は合流し、英子は全身で安堵を見せた。

「殺されてたかもしれないのに」 声を押し殺し、英子は魁渡を抱きしめた。

 二人の間で狸の神が不平のうめきを上げ、そして地面に飛び降りた。

 英子は身体を離し、謝るように頭を下げた。「ありがとう。森の中で私たちを助けてくれたのよね?」

 神が脚を伸ばすと黄金の球が円を描いて踊り、その様子を魁渡は見つめた。「ああ。そして助けてくれたのはこいつだけじゃない」 ふたりはタメシを振り返った。

「私たちを守るために、研究を捨ててくれたのよね」 英子が言った。

 タメシの目が輝いた。「私を英雄みたいに見ないでくれ。そんなものではないからね。それに研究内容の大半はここにある」 彼は側頭部を指先で叩いた。「残り? ああ、研究成果を一か所にまとめておくなんて事はしない。時間を稼いで樹海の兵団が来るのを待っていたのだよ。私のメッセージが間に合って良かった」

 腹を殴りつけられたかのように、魁渡は驚いた。「あんたが兵団を?」

 タメシは声をあげて笑った。「樹海に研究所を据えるのに、監視カメラを配置しないわけがないだろう」 そして肩をすくめた。「君たちふたりを見た時、ドローンを兵団の社へ送ったのだよ。君たちと兵団が戦っている間に、私は機器を安全な場所へ持っていく。今思えば実に素晴らしいアイデアだったね」

 魁渡はかぶりを振った。「そして俺はどうやら、あんたのことが気に入りそうだ」

 タメシはほくそ笑み、魁渡も笑みを浮かべた。

「助けてくれたのはありがたいわ。それでも、私はあなたの件を皇宮に報告する義務がある」 英子が落ち着いて言った。「そしてその時は、あなたの名前を伝えないといけなくなるでしょうね。皇宮はあなたをこの先ずっと注視することになるでしょうね。でも……」

 タメシは待った。「でも?」

 再び長い沈黙があった。

「この研究をもう続けないって同意してくれるなら」 英子はそう言い終えた。

「この先ずっとかい? やれやれ」 タメシは検討するふりをした。「いいだろう。私は……挑戦というものが大好きなのでね」

 魁渡は鼻を鳴らし、英子はそれを一瞥した。「魁渡みたいなこと言って。けど忘れないで、魁渡は私の味方だってことを」

 魁渡は両肩を上げた。「何だよ? 一緒にやっていくならそう悪い奴じゃないだろ」

 タメシはにこやかに笑った。「誉め言葉をありがとう」

 ふたりに芽生えた友情を無視し、英子は腕を組んだ。「それで、同意してくれるってことでいい?」

 タメシは溜息をついて行った。「君にその必要はないよ。私は神と機械を融合させるためのプロトタイプを作ったかもしれないが、神には自発的に憑依してほしいのだ。それは彼らの選択であるべきなのだ」

 英子は眉をひそめた。「そんなふうに進んで自由を捨てる神はいないでしょうね。それは神の性質に反するものだから。神使いはとても少ないけれど、やり取りがあるからこそ彼らは存在しているのよ。共有するものがあるからこそ。神がドローンに融合する理由は何もないわ」

「いかにも。だからこそ私はこの小さな神をずっと探していたのだ」 タメシは狸を顎で示した。「定命の世界で生まれた神というのはひとつの新しい現象だ。異なるように生まれた神は、異なるように反応するのではないだろうかと思ったのだ」

「けれど、あんたのことは拒否した」 魁渡が示した。「勢団員が襲ってきた時、あんたはこの神と機械を融合させようとしたけど、できなかった。守ることもできなかった」

 タメシは失望の溜息をつき、かぶりを振った。「私は簡単に負けを認める人物ではないよ。だが私の研究について懸念する必要はない。神が率先して協力してくれない限り、それはできそうにないからな」

 英子が頷いた。「良いでしょう」

「とはいえ、私を監視するというなら好きにしてくれていい」 タメシは英子へと目配せをした。「私の次なるプロジェクトが……皇国が喜ぶものになるとは約束できないがね」

 彼女は口元を曲げた。「弟とあなたが今日出会ったことを、私はいつか後悔しそうな気がするわ」

 タメシはベルトに取り付けたパネルを押し、すると狸のドローンが魁渡へと降下した。「君に差し上げよう。型落ちの鶴を持ち続けているよりずっといいだろう」

「え――本気か?」 魁渡は目を見開いた。

「大田原に来たなら、昼飯をおごってくれ。カツマサ先生も昔の友人に会いたいだろうし」

「ありがとう」 魁渡は心からそう言った。彼は両手でロボットを受け止め、にやけすぎないようにこらえた。

「さて私は研究室のものを回収してこよう。完璧かつ素晴らしい設備を樹海の兵団に壊されるのは不名誉と言っていいからな」 タメシは神を一瞥した。「幸運を。そしてあの追いかけっこは――続いている間は楽しかったよ」

 タメシが森の中へ消えるのを見届けると、英子が最初に口を開いた。

「それで、これからどうしよう?」

「そうだな、まずは新しい友人を皇宮に連れてってくれないか」 魁渡はそっけなく返答した。

 英子は驚きを見せた。「永岩城へ?」

 魁渡は肩をすくめた。「この神が本当に陛下と香醍に繋がっているなら、偉大な神に守ってもらうのが一番なんじゃないかな」

 地面で、狸の神が姉弟を見つめ、熱心に耳をそば立てた。

 別れの挨拶は楽しいものではないが、この狸とのそれをこんなにも辛く思うとは予想していなかった。魁渡は咳払いをした。「兵団が来る前に駅に向かった方がいいよ」

 英子は声を落とした。「魁渡はどこへ行くつもり?」

 姉の言葉の意味はわかっていた。しばらくは下層街に戻っても歓迎はされないだろう。勢団員は恐らくあの戦いに敗れるだろうが、逃げた者がいる可能性はある。あそこで起こった出来事の詳細が悟の耳に入らないことを祈るが、万が一に備えてしばらくは身を隠すのが安全だろう。

「俺は大丈夫だよ」 魁渡はにやりとした。「心配しないで」

 英子は唇をすぼめた。「私がどう思ってるかわかってる?」

「ここの出来事は永岩城の何よりも楽しかった、って?」

 彼女は微妙な表情を浮かべた。「最初から設計図を梅澤悟に渡す気はなかったんでしょう。正しいことをするために私に手助けを頼んだ。ただ、頑固にそれを認めないだけで」

 魁渡は笑い声をあげた。「姉ちゃんは俺がまだ皇国人だと思ってるんだな。けどはっきり言うよ――俺はもうすっかりはぐれ者だよ」

 英子は狸の神を見下ろした。「この神の呼び名があった方がいいと思うわ。こんな重要な神なら、皇宮に着いた時に正式な紹介が必要になるでしょうし」

「姉ちゃんは神関係の専門家だろ? 名前は普段どうやってわかるんだ?」

「いつも簡単にわかるわけじゃないわよ。言葉を通してだったり、身振りだったり、テレパスだったり。そもそも、きちんと意思疎通をするためには信頼を築かないといけない場合もあるし」

「じゃあとりあえず、ポンポンちゃんで」 その言葉に狸の神は重なる声をあげ、魁渡はにやりとした。「気に入ってくれたみたいだ」

 英子は神を抱き上げようとしたが、狸はすぐさま飛びのいた。英子がもう一歩前に出ると、神は魁渡の足の背後に隠れた。

「大丈夫だよ。いい人たちの所へ行くんだ。姉ちゃんは神河でも最高にいい人だから――時々怖いけど」

 魁渡は一歩脇によけ、神に英子のもとへ向かわせようとした。だが神は不満の吠え声をあげ、またも魁渡の背後に身を隠した。

 英子は眉をひそめた。「この神、社に行きたがっていないように見えるけれど」

「ああ、でもここに放ってはおけない。勢団員はこの神のことを把握してる。安全じゃない」

 英子は笑いをこらえた。「勢団員がそんな賢い人たちだって思ってるわりには、目の前の状況を見るのがほんと下手なのね」

 魁渡はきょとんとした。「けど――何でだ?」彼は狸の神へとかぶりを振ってみせた。「俺は何もしてやれないよ、隠れる場所も、食べ物もないし。自分が何をしているかもあんまりよくわかってない」 彼は髪の毛を撫でつけた。「俺はただ、見つけなきゃいけない人がいるし、その人を連れて帰るまで休む気はないってだけだ」

 神は両目を輝かせた。

 英子は魁渡の肩に手を置いた。「きっとそれこそ、この神が求めることなのよ」

 魁渡は草の中に屈んだ。胸にはドローンが今も留まっていた。「陛下を探すのを手伝ってくれるのか?」

 狸の神は香醍の歌を真似た声を発し、魁渡はその光に隠れた安堵を感じた。目的意識。

 この神は樹海に隠れてなんていなかったのかもしれない。探していたのかもしれない。

 魁渡は理解したように頷いた。「わかった。今から一緒にやっていこうか」

 前触れもなく、その神は魁渡の胸に飛び込んで狸のプロトタイプに繋がった。光が閃き、そして金属が無数のクローム製の歌鳥のように羽ばたいた。

 光が止むと、狸のドローンはそのガラスの目を瞬かせた。それは魁渡の腕を登り、肩の上に居場所を見つけて落ち着いた。

 ひとつの音が魁渡の心に滴り落ちた。最初は鐘のようにかすかに、そして次第に明白な詠唱へと変化していった。そして魁渡は聞いた――その神の名が、心にこだました。狸へと顔を向けると、神は頭を低くし、互いの間に穏やかな理解が流れた。

「こいつの名前」 魁渡はゆっくりと口にした。「教えてくれた。灯元(ひもと)、だって」

 魁渡は立ち上がって姉に顔を向けた。彼女は畏れに呆然としていた。

 タメシの研究――彼女はそれを止めようとしていた。それが決して悪しき者の手に落ちないように。

 そして今、その成果そのものが魁渡の肩に座している。大切なペットのように。

 狸のロボットは再び形を変えて魁渡の手の中へと滑り込んだ。それを裏返すと、仮面の形をしていた。

 彼はその滑らかな縁と折り紙のような面を見つめた。もしも、灯元の中に皇との繋がりが本当に生きていて、かつ自分と一緒にいることを選んだなら、それが意味するのは……

 狸の仮面を顔にあてがうと。彼は瞬時にそれを感じた。

 彼の奥深くにエネルギーが打ち鳴らされ、指先へと登ってきた。それは静電気が、魔法が、力が、解き放たれたがっているようだった。魁渡に、放ってくれと願うようだった。

 背後のどこかで、英子が名前を呼んでいた。必死の、恐怖した声で叫んでいた。

 だが魁渡は返答できなかった。何かが彼の魂を異なる方向へ――異なる次元へ――引いていた。そして彼はそれに抗えなかった。

 抗う気はなかった。

 どこへ行けばいいかわかった気がしたのは、いつ以来だろうか。

 力が溢れ、あらゆる骨と血管に流れた。魁渡は貪るようなそれに身を任せた――そして魂を引く力を今一度感じると、それがずっと運命であったかのように彼はその呼び声に応えた。

 魁渡は一歩を踏み出し、神河から姿を消した。

終幕

 馴染ある都和市の匂いに、魁渡は唾をのんだ。肉団子とカレーライスを食べたのはずいぶん前のことだった――神河に戻っていなかったからではなく、決して長く滞在しなかったために。

 皇は今も、ここではないどこかにいる。多元宇宙のどこかに。

 屋台の飯を気にしている場合ではないのだ。

 灯の神、灯元があの時自分をプレインズウォーカーへと覚醒させた。それには理由があるに違いない、魁渡にはわかっていた。どういうわけか、精霊の世界は知っていたのだろう。自分こそ、皇を探して何百もの次元を休むことなく渡り歩く唯一の人物なのだと。

 何と言っても、約束したのだから。

 魁渡は狸の仮面に手を伸ばして顔に広げ、群衆から顔を隠した。身を隠す方法は昔から知っていたが、今日このごろでは、それはひとつの芸術の形と言ってよかった。

 多元宇宙には欲する情報がある――そして経験からして、敵に知られずに近づく時の方が、いい情報が手に入る。

 魁渡は襟元を引き上げ、街路へと踏み出した。辺りの水たまりに街が映っていた。彼はネオンの明かりの中、一瞬で姿を消すことのできる影だった。

 そしてそうするつもりだった。すぐに。

 けれど今日は、自分の顔を見たがっている友人が大田原にいる。知らせを待っている姉が永岩城にいる。

 その後は?

 多元宇宙にはまだまだ、探すべき次元が沢山あるのだ。

アート:Yongjae Choi

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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