MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 16

サイドストーリー・ラヴニカ編 ひとつにして同一

Alison Lührs
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2023年3月24日

 

 言うまでもなく、ファイレクシア病は痛む。けれど喉が金属に変わって触手がワイヤーやコイルのように硬くなるや否や、自分自身だとわかっていた部分が降下して、縮こまって、シダの頭のように丸くなるのを感じた。闇へと落ちていく感覚、果てしなくて何もない虚空の記憶。遠い彼方にある自分の身体が虚無の記憶に緊張するのを感じ、狼狽と死に物狂いの怖れの中で、光と色が溢れる外へと全力で這い上がろうとする。私の他の部分は悲鳴をあげて視線に力を込め、辺りの数人が即座に石と化した。私は悶え、ファイレクシアの油が歯に流れると背中が痛んだ。

「離しな! ただじゃおかないよ! 殺してやる、何千回だって!」私が叫びたいのはそれだったけれど、発せられたのはアルミニウムと鉄がこすれて鳴る音だけだった。私はのしかかるファイレクシアの工作員を石にしたけれど、それを押しのけて金属の身体が更に迫った。そいつらも石に変えて、そうするともっと沢山やって来て、私はまた石に変えた。かつての敵の石像の山が少しずつ大きくなって、やがて倒れて、私の足元に崩れた。けれどそれは感じなかった――私の脚はもう生ける鉄に変化していた。

 退却する気はない、けれど沈むことしかできなかった。自分自身の深遠へと落ちていく。私は絶望するほどに恐怖していた。下降しながら、身体じゅうの血管に金属が這い進みながら、私は心の壁へと沈み込んでいった。そして、心の壁の中に、まだ触れていない何かを見つけた。

 まるで、ここに心を隠すのだと身体が知っていたかのように。ここなら安全だというように。

 以前にも、ここに私の一部を隠した。

 まるで本棚の背後に隠された扉。私はこの秘密の小さな空間に逃げ込んだ。私の残滓はそこへ飛び込むと掛け金をかけ、そして私の夢の中へと消えた。目覚めさえしなければ、きっとまだ大丈夫。

 私は消え去った。私は眠りについた。夢は皮膚と肉の存在のもの。

 何かが起こった。外で。

 誘いかけ。

 よく知るひとつの顔。

 私の身体が誰かと口付けを交わすのを感じた、けれど私が求めるようにではなく。そして夢は不快なものに変化した。その感覚を忘れるために、決して望んでもいない行動を身体がとったという恐怖を忘れるために、私は更に深く潜った。

 今、記憶と夢のもやを通して、私らが成していることが見えた。私らは奇妙かつ異質な樹から生えた冷たくて無機質な枝に乗って、心から愛した街の破壊を導いている。まるで夢遊病のように感じた。今この時、私らが演じる悪夢と、私が覚えている喜ばしい記憶の違いを見定めるのは困難だった。まるでベッドから出たのかどうかもわからないように感じた。とはいえ目覚めていて、生き生きと栄光に浴していて、エリシュ・ノーンその人から目的を与えられていると感じていた。ファイレクシアの威厳に取り囲まれ、私はその抱擁でラヴニカの街をつつみ込むためにやって来たのだ。偉大なる樹、強大な次元壊しの輝ける太枝に横座りになって、私はそれをラヴニカの灰色の空へと進ませ、ゆっくりと動く稲妻の先端のように枝を降下させた。民衆のパニックがここからでも聞こえ、ネズミのように街路を逃げ惑う肉の群れが見えた。アゾリウス評議会の三角形をかたどった構造物が前方に見え、私は笑みを浮かべた。あれを壊してやる理由は、手段はいくらでもある。私は一番単純なものを選んで、その中心に突入しろと一本の枝に命令した。衝撃に舞い上がった塵の雲は雨に抑えられ、傷に指を突き入れるように評議会の内側を枝が探る様が見えた。私らは大いに喜んだ。

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アート:Leon Tukker

 ひとつの建物が私の目にとまった。以前には水が流れていた噴水の隣、目立たない外見の建物。けれど重力のようにそれは私らを引きつけた。

「ここに上陸しな」私はそう呼びかけた。数十本の枝が私らの命令に応え、次元壊しは降下を続けた。大きな枝が敷石を突き刺し、それを空へと持ち上げた。けれど混乱の中で私らは注意を促した――私はその建物に入りたいと思った、けれど何故かはよくわからない。それは私が閉じ込められていた牢獄で、脱獄しようとして成功した牢獄。そして私自身の心の奥底から、その忌まわしい記憶が噴水のように弾け出た。心臓が早鐘を打った。恐怖の記憶と……いや、不可解だった。この身体は何故こんなにも取り乱す? 狼狽とは肉の存在だけが陥る、弱い状態。きっと答えはその建物の中にあるのだろう。私は自分が乗った枝を導き、軍勢を連れて……

 私は17歳だった。

 両足を水に浸したまま何週間も立ち続けていた。目隠し布を触手で探った。私は非難に息を鳴らし、十代の力で抵抗した。けれど誰かが私を押さえつけた――強く掴まれて、その爪が私の両腕に食い込んだ。こんな状態でなければ勝てただろう。けれど私の肋骨は半分が折れ、脇腹からは血が流れ出ていた。息が苦しかった。全てが暗く、苦痛と小便の臭いが漂っていた。私を押さえる手に覚えはなかった。知らない相手の手。

「何が起こっているか教えてやろう。どうだ?」

 耳の近くで、その男の声は砂利のようにかすれて発せられた。叩けば壊れる石にしてやりたかった。その舌を砂岩のように崩してやりたかった。その男はアゾリウスの刑務官。私のこの手で引き裂いてやりたかった。

 わからない。これは今起こっているのだろうか?

 独房の向こうから呼びかける声があった。私以外の唯一のゴルゴン。

「可愛い子、あなたは独りじゃない。私もここにいるわ、ここに」

 私はその人へと声をあげたけれど、すすり泣きに途切れた。

 湿った殴打音がふたつ、悲鳴がひとつ。そして肉が濡れた地面に倒れることを思い出させる音がひとつ。ゴルガリ団の他の囚人たちが名を叫んだ。「ルドミラ!」

「あのゴルゴンは地を這ってる。ゴルガリ団が気にするわけないよな、地面が大好きなお前たちは」

 私は悲鳴を上げた。けれどあの人は苦悶の中で、残る私たちのための嘆願を口にした――「あの子たちの目を奪わないで。それはやめて。可愛い子たち、私もここにいるから! ここにいるから! あなたは独りじゃない、私もここにいる!」

 そして、湿った刃と重苦しく崩れる音が届き、あの人はいなくなった。私は残った唯一のゴルゴンになった。

 私は独りじゃない。私らは決して独りじゃない。

 私ら?

 私ら――ファイレクシアは、ゴルガリ団は、ひとつにして同一。

 何かがおかしい。集中するのが困難だった。私は将軍としての力を示し、弱さという疑念を払いのけねばならない。けれどたった今の夢が私に目的を供給していた。夢、それは私にまだ強さが足りないという証拠。そんな不利益を数多の次元から取り除くことができるのは私らだけ。そんな苦痛を止められるのは私らだけ。

 私らは今度はどこに? 大気は瓦礫が巻き上げた塵に曇り、雨に湿っていた。空には枝が網のように絡み合っていた。ファイレクシア人の同胞たちが街路に溢れた。私らはそれを追いかけ、かつての弱い私が投獄されていた牢獄へと入った。

 破壊された玄関に足を踏み入れると、私の靴が音を立てた。屋根は半分陥没し、床にあいた穴から、その下に隠された独房や部屋が成す精巧で複雑な構造が見えた。脱獄を試みた日に初めて見たもの。私らは先に進み続けた。

 アゾリウスとボロスの衛兵の一団が走り出てきた。私は笑みを抑えきれないまま、副官に耳打ちをした。

「あいつらの目を見えなくしてやりな」

 私の工作員たちが殺到し、気持ちのいい十秒の間にそれは成された。

 私が副官だと認識している完成化したクロールが、鉤爪から血を拭った。私は上方向を示した。「そいつらをギルド渡りの遊歩道に連れていきな。不当な奴らはこうなるっていう見本だ」

 その行いは何と言っただろうか? 目には目を。その目にはまた目を。そしてまた目を。目には目には目には目には……

 私らの軍勢は地底街へ続く穴を開いていた。道はわかる。私らは下っていった。

「ゴルガリの民を私らに引き入れな」ギルドの領域へ下りながら、私らはそう命令した。「可愛い子たち、私はここにいる。お前たちは独りじゃない。決して独りじゃないんだよ」

 太く重い枝が地下都市へと潜ってゆく。私はその一本を追ってゴルガリの地底街へ。私はファイレクシア人の仲間に囲まれていた。彼らはすぐ近くで、あるいは上で、恐怖に歪む顔また顔を変質させていった。きらめく、完璧な、完成化したものへと。ファイレクシアは実に美しい。私らの民が一団となってぎらつく様は何て美しいのだろう。それは最も真の意味での集団、すべての個がただひとつの目的をもつ。奇妙なことだった――私らゴルガリ団は多くの別個から真の群れを作り出そうとずっと奮闘してきた。そして遂に、遂にひとつの集合となったのだ。次元壊しは忠実に従った――巨大な根のように地表から枝を突き刺し、コロズダの大迷宮をひっくり返すとスヴォグトースの大聖堂の壁に大きなひびが入った。その音が胸に反響し、私は笑い声をあげた。

 私らの侵略は一日続き、二日続き、更に続き、ずっと阻まれることなく前進する。私らに眠りなんていう風変りなものは必要ない。私らに食糧は必要ない。必要なのは死体。

 今もまだ、これは夢遊病のように感じられた。ひとつの夢が、記憶が、心に浮かび上がった。破壊と崩壊の中、私らは恥ずかしげもなく歌った。その旋律は音を増し、私らの金属の喉で鳴り響いた……

 古の底から、大きな城が伸びてくる
忘れられた光が窓に
苔の迷路を何かがさまよい
そしていつか、腐朽の王国が興るでしょう

 イクサランの夜。虫の声が響く広大な密林へと私は歌った。私らの小舟は優秀で、はるか上流の黄金都市まで連れて行ってくれる。湿気に肌が光沢を帯び、眩しい月明りの中で淡い青緑色に変化した。ホタルが私らの周囲に舞い、ジェイスはまるで、秘密があるように微笑んだ。

 彼は思わせぶりに言った。「いい歌です」

「ゴルガリは褒められる事があんまりなくてね」私は目を開けた。

 副官が私を見つめていた。大声を出していたのだろうか? 私は説明ができなかった。

 幸運にも、セレズニアの戦士の軍勢が迷路にあいた穴から乱入してきた――こいつらをこんな地下で見られるとは! 愉しい。こいつらが思う団結の姿は実に奇妙だ。ひとつとなって進軍していると信じてはいるものの、ひとつとは何であるかをわかっていない。

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アート:Artur Nakhodkin

 地底街には私の軍が群れをなし、臣下や同類たちを変化させていった。それは誇らしく美しい光景だった。けれど私はどうしてか、記憶にあるどこかへ向かって歩いているように思えた。私らは気にしない。命令を叫び、務めを果たし、ファイレクシアによく仕える様に浸るのに忙しい。ファイレクシアの栄光には数千という殺し屋がいる。そいつらを用いる一方で、そいつらもまた私らの可能性を見た。私らは伝道師として、指導者として役に立つとエリシュ・ノーンは考えている。あの女性は私が一番大事にしている資質を見抜いている、その事実が私の心に訴えかけた。殺すための存在でしかないという目で私を見ない奴は滅多にいない……そしてそいつらは、私が真に何ができるかを知る。それは帆船の甲板で学び、石の玉座で完成させたと私の一部は覚えていて、私らを見つめている。将軍として私は栄光を与える。私は私らを連れて細道や叉路を抜け、階段を下り、あらゆるものから離れて建てられた小さな平屋根に近づいた。夢遊病というのは文字通りの意味だった。

 少しの間私は覚醒し、かつて住んでいた古いアパートだとわかった。私は扉を開いた。

 ああ、小さい。けれどそれがいい。目を引くものではなく、無駄に溢れていた。

 ギルドマスターになってからはここに住んではいなかった。窮屈な平屋で、少なくとも十ほどの色々な次元で拾ってきた記念品や土産が詰め込まれていた。暖房の上にはロークスワインの旗。茶を入れておくテーロス製のポット。カルドハイムの角杯。かろうじて久遠の闇に持ち込めたセゴビアの戦車も、今やガラスの覆いの下に座している――私はずっと、がらくたが好きだった。派手派手しく、すべての物品がただひとつの部屋に置かれ、すべてが不調和に隣り合っている。けど私はそれが気に入っていた。この古い部屋の中にいる、そこには奇妙な趣があった。私は昔の人生で手に入れた物品へと微笑んだ。ギルドマスターになる前、多元宇宙が複雑になる前。ある意味、人生がもっとこぢんまりとしていた頃は、色々と快適だった。私の宝物全部と、それと一緒に持ち帰った物語を見つめる。これは今起こっているのか、それとも他の誰かの記憶の中を歩いて触れているのか、それはわからなかった。私の民が多元宇宙をひとつの全へと統合する栄光ではなく、何故不快なアパートなど夢見るのだろう? 何故このように無意味な不浄などを夢見るのだろう? 記憶と夢が入り混じる。こことは違う次元の星々を覚えている。ある次元の密林で茶葉を買い、この次元の友人たちのために持ち帰ったのを覚えている。そういった場所が存在することはわかっている。そういった物語が起こったことも。そしてそれが私らにどれだけ似ているか、どれだけ見知ったものになるかを見て安堵する。もはやこことは違う次元の土の上を不確かに歩くことはない。代わりに私らの母の言葉を耳に、ゆったりと歩くのだろう。

 何なのかがわからない物体が、部屋の中央の机に置かれていた。

 それが物体であることはわかる。曇った銀製で、細かな模様が刻まれた円環が何本も組み合わさっていて、外側の環から長い針が一本伸びているということはわかる。私はそれを取り上げ、回転させてはひっくり返し、するとその尖った先端部分に長い橙色の魔法が一瞬だけ現れた。苛立ちが増していった。これは何だ? 自分の心を探したけれどその知識は遠く、分厚い記憶によって守られていた。いや、他の何か――誰か?――によって守られていた。

 あの「灯争大戦」が起こる数週間前。人生最悪の偏頭痛に苛まれながら、私は自分のアパートの床に横たわっていた。心の奥底にある掛け金を感じ取ると、大気は鳴り、光は眩しく閃いた。片手で鼻の頭を押さえ、もう片方の手は必死に魔学コンパスを握り締めていた。私は独りになりたいと随員とたちに伝え、急いでここにやって来た。古い我が家に閉じこもって絨毯に倒れ込んだ直後、純粋な意志が私の心の中にある秘密の扉を力ずくでこじ開けた。ジェイスという人物の記憶、そして彼について私が持っていたすべての記憶が隠されていた場所への扉を。

 手を切るほど私はコンパスを強く握りしめていた。私らの計画は無益だったと知って嘆いた。けれど私が涙を流したのは、初めて恋をしたことを忘れてしまっていたと知ったためだった。

 魔学コンパスはとても美しくて、とてつもなく重要なもの。この生々しい頭痛は苛立ちに溢れている。この物体に重要性などない。私は盗んだ宝石のようにそれを大切に掌に包み、ポケットに隠した。

 頭上で低い轟き音があり、不快で退屈なアパートから私たちを誘い出した。地底街の通りに出ると、天井が――頭上の土が――はがれ落ち、次元壊しの枝が突き刺さった。私は枝に捕まって乗り、地上のギルドパクト庁舎へと向かわせた。空にはよく知る顔があった。ガーゴイルの背に乗って飛びながら、ラル・ザレックとトミク・ヴロナが近づいてきていた。ラルが街路に降りてトミクが飛び立つ直前、二人が手を握った様子が遠くからでも見えた。苦々しい嫉妬心が腹の残滓の中に満ち、私は服の中のあの物体を握り締めた。けれど何故かはわからなかった。

 空には戦いが燃え盛っていた。ボロス軍の巨大な飛空船が地平線を半ば隠し、輝く炎の閃光とともに天使と空騎士たちを吐き出していた。逆側の地平線では、イゼット団の壊れそうな試作品が青と赤を点滅させながら幾つも屋根へと墜落していった。ひとつがファイレクシアの船に衝突した。すると爆発が連鎖反応となって上昇し、上空の完成化した天使たちに命中した。

「ぎらつく油を街路に注ぎな。できるだけ沢山」私は完成化したばかりのゴルガリ団の仲間に命令した。「そして全員の目を見えなくしてやりな」ファイレクシアの船団の半分は群衆の中で戦う稲妻の魔道士に集中し、もう半分は進軍を続けながらあらゆる市民の視力を奪っていった。金属の手が柔らかな眼球をくり抜き、残された犠牲者は恐怖と苦痛に全員が舗装路へと倒れ込んだ。空から地上まで、この次元には戦いが途切れずにいた。

 覚えている――青く染まった骸骨。ゾンビ。私がどこを目指そうとも、そこにはニコル・ボーラスが、王神が高くそびえ立っていた。私が指導者にふさわしいと信頼してくれたのはあいつだけだった。その機会をくれたのはあいつだけだった……ファイレクシア以外には、私の新しい家族以外には、新しい民以外には。皆、私を信頼してくれている。そして私は栄光で報いてやっている!

 私らの副官が命令を実行し、私はその効率の良さを喜んだ――まず目をくり抜き、そしてファイレクシア病にさらす。群衆は悲鳴とともにつまずき、地面に倒れて手探りで進もうとする。そしてその手は油に濡れ、顔に空虚にあいた傷にその指が触れる。

 一帯は油と血とゼリー状の眼球でぐちゃぐちゃに混乱していた。扇動者たち、ファイレクシア人となったゴルガリ団員を見て、私は矜持に満たされた。ようやく、私の民は責任ある立場を得たのだ。

 夢は場面を変え(何故この頭痛は収まらないのだろう?)、私らは群れを率いてギルドパクト庁舎の屋根を壊し、ニヴ=ミゼットの座を嬉々として破壊し、修繕されたばかりの屋根が基礎まで崩れて塵を巻き上げる様に浮かれた。建物自体がドールハウスのように開いて、小さな椅子や机とともに、私らはとても小奇麗にその中に収まった。一枚の壁が完全に取り払われて、じくじくとした傷のように中がさらけ出されていた。

 壁の先に、私も知るひとつの部屋があった。手前側にはラヴィニアが職務に使っていた机。その先には私が立ち入りを決して許されなかった出入り口があり、その先はあのドラゴンが深夜の時間を過ごすための個人的な執務室や鏡が張られた要らない洗面所、ゆっくり眠ることなんてない寝台があった。あのドラゴンは決して深く眠ることはないものの、他の者たちが眠れるように気を配っていた。

 私たちの右側、以前には南壁があった先で、街は畜殺場と化していた。侵略樹は巨大な蜘蛛の脚のように街に降ろされていた。この夢はもう嫌だった。ゴルガリの戦士たちが見えた。彼らの身体には金属が混じり、私の後に続く旗と同じシンボルを掲げていた。こんなのはいい夢じゃない。

 頭痛は更にひどくなっていった。眼下では多くのギルドが恐怖に逃げ惑っていたけれど、好奇心のままに駆ける者たちもいた――逃げるオルゾフの銀行家の一団が揃って離陸する一方で、シミック連合の数人の生術師が新たな形の生術に興味を抱き、志願兵として近づいた。まだ目が見えるイゼット団員が数人、油を調べようと試みた。無知なそいつらは指にそれを塗りつけた。私はそいつらを歓迎しようと動いた。

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アート:Alex Brock

 そして混乱があった。街の軍勢が押し返して、私らの仲間たちが警告する金属や甲殻の音でそれがわかった。その原因が見えた――稲妻をまとうあの肉の馬鹿者が急速に近づいてきて稲妻を放ち、次元壊しの一部に火をつけた。私は枝に飛び乗って屋根へ向かわせ、上昇して軍勢に合流するとラル・ザレックに正面から対峙した。私ら全員がここにいた。外の次元から来た同胞たちは、完成されたばかりのゴルガリ団の上位者たちと一緒に群れ、泳ぎ、イゼット団の同輩たちを前に押し出した。そいつらの眼窩からは油の混じった血が流れ出ていた。イゼット団のギルドマスターは気が散り、嫌悪感を抱くことだろう。

 宙で近づいてきたラル・ザレックがひるむ様子が見えた。私の視線による石化を懸命に裂け、けれどその結果としてそいつの配下に私らが与えた損害を見たのだ。ラルは屋根に着地し、憤怒とともに息を切らし、視線を下に向けたまま足を踏み出した。私らも前進した。鉤爪を伸ばし、いつでも素早く裂けられるように――一瞬、私のポケットの何かが橙色の魔法をそいつへとまっすぐに向け――そして私は駆けた。

 けれどそこに、ラルの手の中に、私の知らない別の装置があった。小さな円筒形。その男は正拳突きとともにそれを私の胸骨に埋め込むとボタンを押した。

 視界が白く染まった。

 すべてが激しく震え、途切れ途切れになった。

 私は崩れ落ちた。

 私は一瞬だけ覚醒し、そして消えた。

 私らはうめき、倒れ、黒く油ぎった胆液を吐き出した。

 身体が壊れた。崩れつつあった。ファイレクシアの油に反応する装置? 私は回復するだろうと夢が告げたけれど、私らの身体は苦悶の悲鳴をあげていた。自分の血を見た――ぎらつく黒色、そして私はもう一度吐いた。

 仲間たちが急いで撤退していく様子が聞こえ、感じられた。壊れたこの身体は見せしめだった。壊れたこの身体は弱さの証拠、私は指導者にふさわしくないという証拠。私の言い分を主張しようにも軍勢はここに留まってはおらず、そもそも主張しようとしても私にそれだけの力はなかった。私自身の尺度でも、私はこの地位にふさわしくはなかった。

 ラルの言葉はわずかに聞き取れるだけだった。謝っているような。その男はまだ私を見ることはできず、そして私の視界が闇に包まれる中、ラルは歩き去っていった。

 夢は消えた。頭痛が弾けた。辺りのすべてが崩れ落ちた。

 自分の身体が動かせなかった。半ば肉、半ば金属の身体で私は瓦礫の下に横たわっていた。血を流し、壊れて。深く呼吸ができず、息を吐くたびに血と油が口一杯にこみ上げた。私は無数の死を見てきたけれど、今回は逃げられない。壊れた天井から空の雲を見上げたなら、次元壊しの刃が動きを止めている姿が見え、辺りの街路での歓声が聞こえるのだろう。

 私もここまでなのだろう。何百人もを完成させ、ラヴニカを焼いた。輝かしくていい気分だ。さあ、目を閉じて死を待とう。決して独りでは死ぬことはない、ファイレクシアはそう約束してくれた。

 時間は意味を失った。雨が降り、そして止んだ。

 私は血を流し、空虚に、そしてファイレクシア病が決して触れることのない、心の小さな片隅で目覚めた。

 死の寸前のこの瞬間に、ひとつの映像が現れた。私はこの恐ろしい身体を手放し、自分自身の心に戻った。それはひとつの虚空。闇と不安。とある声が私を促した。「目を開けてくれますか?」

 ブリキ通りのカフェを満たす朝の光は明るく心地よかった。それはカーテン越しに差し込み、昨晩の雨に濡れた路面をきらめかせていた。目の前にジェイスがいた。彼は素手でコーヒーカップを包んでおり、右の薬指から始まる傷が見えた。いつもの外套姿ではなく、上品なウールの肩マントに真新しいリネンのシャツを身に着け、それを一本のピンで留めていた。フードはなく、切ってまもない栗色の髪にはまだ鋭い線が残っていた。私らの足元には買ったばかり本の詰まった鞄が置かれていた。打ち解けて人なつこい、寛いだ笑顔。その目尻には、何年も前に初めて会った時に比べて少し皺が寄っていた。いつものように、ジェイスはまっすぐに、怖れることなく私の瞳を覗き込んだ。こんなふうに過ごせたらよかったのに。

「よく似合ってるじゃないか」私はそう言った。

「息はできますか?」

「いい気になるんじゃないよ、ベレレン。息ができないくらいお前に見とれてなんかいない」私は真顔で言ってやった。

「何を思い出せますか?」

 その問いかけに私は狼狽した。何を思い出せるだろう? この数日、自分自身の目を通して自分の人生を遠くから見つめていたのを思い出せる。次元壊しを思い出せる。自分の変質を、そして、ジェイスを誘い出したという恐怖をゆっくりと思い出せる。私はジェイスを裏切った。ジェイスを変質させた。そして去り、故郷へ帰還し、そして……

「私は死んで当然だ」私はそう結論づけた。かつて、死に値しない者は決して殺さないと誓った。昨日はその誓いを何百回破ったのだろう? ジェイスの両目が和らいだ。私がしてきた殺しを、ジェイスは何度となく赦してくれた。同意してくれたらいい。私には罰が相応しいと言ってくれたらいい。それはむしろ情け、けれどそうではなくジェイスは――

「そんなことしたら、俺は悲しくなります」その赦しが苦しかった。やめてくれ。この夢を終わらせてくれ。そうすれば私は死ねる。ずっとそうだったように、独りで。私にふさわしく。「入ってもいいですか?」

 その意味がわかる私は心で身構えた。「お前に見られるのは恥ずかしいよ」

「貴女がしたことを、ですか?」

 自己嫌悪に震えていると私は気付いた。「私は誰もが思うような怪物だ、そう判明するのが」

 ジェイスは私の指を掴み、自分自身の右手の甲に触れさせた。私の指はその拳から伸びる、まっすぐな傷をなぞった。長く怒れるそれは前腕を走り、シャツの袖の中へと続いていた。ジェイスの記憶を思い出した――無限連合、アルハマレット。ジェイスもまた、怪物なのだと私は思い出した。だから私はジェイスを受け入れることにした。手を握り、頷き、ジェイスが心の隣に寄り添うのを感じた。

 眼球と血と油。私の喜びの声。のたうつ金属の唇がジェイスのそれに触れる感覚。けれど、ジェイスは握る手に力を込めるだけだった。それがとてもつらかった。

「どこか秘密の場所へ行きましょう」ジェイスはそっと言った。そして夢の論理で、私らは不意に柔らかな白砂の浜辺にいた。星明りが踊る中、眩しく輝く満月が海に映っていた。ジェイスは私の隣に横たわっていた。大気は温かく、微風が夜の花と潮の匂いを運んできた。

「俺にあの口付けをした貴女は貴女じゃありません。侵略を率いた貴女は貴女じゃありません。俺の知るヴラスカさんが傷つけるのは、そうするべき相手だけです」ジェイスはすぐ隣で、とても寛いで言った。「そして貴女であり続けた部分は、ここは安全だとわかっていました。ここは俺が何年も前に作った、貴女の心の片隅です」

「私ら怪物だけの場所か」

「そう思います」ジェイスは微笑んだ。

 ここで、自分の夢の中で、裏切ってしまった愛する人と共に、何千という人々の虐殺を命じた壊れた身体の奥深く、秘密の場所にいる。頬をまた涙が伝うのを感じた。

「お前には卑劣なことをしたよ。すまなかった」

「約束通りに行けなくて、すみませんでした。どれも、こんなはずじゃなかったんです」

「何もかも、こんなはずじゃなかった」私は頷いた。「全部取り戻せたらいいのにって思うよ。全部正しくやれたら」ジェイスは私を見ていた。まるで何か、とても重要なことを私が言っているかのように。まるでジェイスの心の中にある機械部品が、私の言葉で正しい場所にはまったかのように。「ジェイス。私が死ぬ前に、ひとつ欲しいものがあるんだ」

「何なりと」

「やり直したい」

 ジェイスは微笑んだ。「俺もです」

 私はジェイスに口付けをした。

 熱く、偽りなく、必死かつ切望するように。まるでようやく帰り着いたかのようにジェイスを感じた。頬が触れ合って彼は小さな声を発し、私は靴の中の足指を丸めた。下唇をそっと噛んでやると、ジェイスは嬉しそうに喘いだ。波が岸辺に優しく打ち寄せた。失くした時間を埋め合わせるように、離すまいと必死に、私らは砂の上で抱き合った。その髪を手で撫でると、思っていた通りの柔らかさだった。頭皮を私の爪がかすめると、ジェイスはうめき声をあげて反応した。

 こみ上げる熱情の中、私はリリアナがずっと夢中になっていたものを遂に手に入れた。ジェイスが私の首筋に唇を這わせると、私の目は辺りや空へと引き寄せられた。ジェイスの心が私自身の夢を上書きし、投影された映像が押し寄せた。私らはカラデシュのアパートにいた。喧嘩腰号の甲板に、ゼンディカーの木立に、イニストラードの城に、ギルドパクト庁舎にいた。もう一度唇を重ね、そして猛るような一瞬、私はジェイスの視点でその口付けを感じた。そして途切れることなく、私らは無限の星空に囲まれた浜辺に戻ってきた。「お前、すごいよ!」私は笑い声をあげ、そしてジェイスは更に力強い口付けをくれた。

 そうして、やがて共に疲れ始めた頃、ジェイスは身体を起こした。私は微笑みかけ、ジェイスの片方の瞳には茶色の斑点があると初めて気付いた。彼はどこか申し訳なさそうだった。「身構えて下さい。これは痛みますから」ジェイスは私の顔を両手で包み、額をつけて構えるとこれから大変な力を使うのだというように深呼吸をした。「貴女は俺のものです」

 その言葉の意味に確信が持てず、私は微笑んだ。「いつだって私はお前のものだよ」

 傷つきやすさなんてものは私の心の鏡に奇妙に映る、けれどジェイスにまとわせたならよく似合う。私は掌をジェイスの頬にあて、どう感じているかをジェイスのやり方で伝えた。不意に言葉が私の心を満たした。私はそれらをイクサランの太陽と地底街の薔薇の香りで満たし、互いの手を強く握りしめる感触を、微笑みかけてくれた時の胸の高鳴りを、左目にみつけた茶色の斑点がくれる愛を投影して返した。いつの日かジェイスが皺だらけになった私の顔を見てくれて、年老いて関節の痛むお互いの手をしっかりと握りながら、立ち込める暗闇へと歩いて行けたなら――そんな希望の残り火を。ジェイスの両目に理解が浮かび、目尻が和らいだ。そして本能的に私の考えを読むと、滅多にない笑顔のひとつがその顔一杯に広がり、目まで届いた。

 額に口付けをされ、私は抱擁で返した。ジェイスは私と目を合わせ、再び額をつけ、私のやり方ではっきりと答えた。

「俺も愛しています、船長」

 そして心と視界がとてつもなく眩しい白色に弾け、私は息をのんだ。


 -ラル-

 とにかく家に帰ってただ眠りたかった。

 雨で服はずぶ濡れだった。街でもこのあたりは瓦礫が多く、数え切れないほどのファイレクシアのならず者を感電死させたが、まだ沢山残っているかのように俺の身体は落ち着かなかった。侵略は二日前に終わったが、俺の身体はまだその知らせを受け取っていないようだった。両手は魔法を唱えすぎて疲れ、両肩はまだ恐怖に緊張していた。侵略からの復興は、俺にとっても回復を意味するはずだった。

 俺はこの時点で二日間寝ていなかった。瓦礫を積み込み、建物を持ち上げ、この忌々しい血を全部洗い流すようにイゼット団の残余へと指示を出し続けていた。けれどどれだけ復旧作業に集中しようとしても、俺に見えるのはイゼットの研究者と魔道士の長い列だけだった。悲鳴をあげる顔と空っぽの眼窩が隣り合って並ぶ長い列。俺が欲するのは眠りと、その記憶が消えてくれることだけだった。何だって俺は楽天主義者じゃないんだろう。

 少なくともトミクは今ここにいる。俺たちはギルドパクト(第二)庁舎だったものを監視していた。トミクは頭を抱えて座り、俺はその肩に手を置いていた。俺たち二人とも目玉については考えないよう努めていた。けれど俺に見えるのはあの女の顔だけだった。上機嫌で睨みつけてくるあの顔。あの女は、他の全員を一番傷つける方法を使って皆を変質させた。あれはあの女じゃない、けれど間違いなくあの女だった。その事実を飲み込もうとして、俺の胃袋がねじれた。

 背後から瓦礫を登ってくる足音がした。信頼できる高官のひとり。その顔には申し訳なさがあった。

「どうした?」俺は尋ねた。「血液電衝スイッチは機能した。何を見つけた?」

 その高官は唇を震わせた。今から報告する内容は俺を驚かせるとわかっているのだ。俺は必然の時へと身構え、そして高官が告げた。

「閣下、その者の死体は影も形もありませんでした」

(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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