MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 15

サイドストーリー・エルドレイン編 愛の達人、ランクルの冒険

Jenna Helland
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2023年3月22日

 

 石と魔法の粉をポケットに詰め込み、ランクルはその空き地に堂々と足を踏み入れた。彼は喧嘩に身構えていたが、友人たちは丸腰かつ上機嫌だった。嬉しそうに、彼らは苔むした岩と紅葉で作った玉座を彼に示した。オーラはランクルへと花弁を投げて散らし、ファイファはウサギの死骸を頭にかぶっていた――戴冠式にふさわしい立派な新しい帽子。ランクルは喜びの声をあげた。苦悩の日々が報われたのだ! 皆、彼を自分たちの王様にしようというのだ。マグスだけが少し離れて立ち、尖った歯で唇を噛みしめながら、落ち葉に素足をこすっていた。

「ランクル陛下、どうぞ玉座へ!」ファイファができる限りの威厳ある声で宣言した。

 オーラが朗唱を始めた。「艱難辛苦を経て、我々は君主の座とそれに付随する正式な布告の……」

「王冠はいずこに?」ランクルは権威ある声を轟かせた。

 全員がマグスに目を向けた。彼女は更に不機嫌そうな様子だった。

「務めを果たしたまえ、マグス!」ファイファが吠えたてた。

 ランクルはマグスへと精一杯堂々とした笑みを見せた。彼女のことは一番好きだった。ナイフの扱いが上手く、コウモリのような黒いなめらかな翼をもつ。時々ふたりは一緒に隊商を待ち伏せし、探索する獣の鳴き声を真似してのけたこともあった。

 マグスは顔をしかめた。彼女は外套に手を入れ、ガラスの破片とドングリで作られた冠を取り出した。ランクルの心臓が少し高鳴った。マグスはランクルが権力を握ることに最も抵抗していた。けれど実際には、彼女はランクルを愛しているのかもしれない。そうに違いない。でなければ王の座を争って自分たちは刺し違えていただろう。

 マグスは木立を横切って飛び、冠をランクルに叩きつけた。

「いてっ」

 彼女はランクルへと複雑な笑みを向け、少さくお辞儀をした。その仕草に彼の心が高揚した。ランクルは玉座に向かい、パリパリと音を立てる葉に腰かけた。彼は臣下たちを見つめ、もっと沢山いればいいのにと願った。けれど何事にも始まりはあるし、三人でもいないよりはずっといい。

「諸君らの主として……」彼はそう切り出した。だがその時マグスがナイフを振るい、木々の中に隠されていた縄を切断した。

 その縄は葉の下に隠されていた網に繋がっていた。瞬時にランクルは網の中に捕らえられ、引き上げられた。彼は三人の目の前で丸くなって吊るされた。けたたましい笑い声が響いた。

「あの顔見たか?」ファイファが嬉しそうに笑った。

「引っかかるなんて信じらんねえ」オーラも続いた。「お前の言う通りだったな、マグス」

「マグスが考えたのか?」網の中からランクルは叫んだ。

「いーや。私はただあんたを懲らしめてやりかっただけ」マグスははっきりと言った。「面白くしたのはファイファ」

 ランクルは耳に入って来る言葉が信じられなかった。「なんでだよ?」

「誰もあんたにここにいて欲しくないから」とマグス。

「お前はたちが悪すぎるんだよ」ファイファはウサギの死骸の位置をかぶり直した。

「俺が寝てるときに蜂を口に入れただろ」オーラが言った。

「たちが悪いってそれが?」ランクルは反論した。「マグスなんてパチンコに目玉を使ってただろ」

「それは俺の目玉じゃないし」

「僕の口を縫って塞いだよね」思い出させるようにファイファが言った。

「今は大丈夫だろ」再びランクルは反論した。「ほら、喋れるし」

「あんたにはここにいて欲しくないんだってば」マグスが繰り返した。「どっか行くの、行かないの?」

「行くもんか」ランクルは断固として言った。そして唇の震えが見えないように、マグスから顔をそむけた。「ここはおいらの木立だ。おいらの親切でここに置いてやってるんだからな」

 三人のフェアリーたちは固まって囁き合った。ランクルは身悶えし、彼らが話している内容を聞き取ろうとした。

「下ろしてやってもいいよ、ここから離れて二度と戻ってこないって約束できるなら」オーラが言った。

「わかったよ」ランクルは嘘をついた。網の中に小さく丸められ、多くのことはできなかった。

 だがマグスに解放されるや否や、ランクルは飛び上がるとガラスとドングリの冠をはめた頭で彼女へと頭突きをした。マグスはのけぞり、だがもうふたりが飛びかかった。彼らは空き地を転がりながら取っ組み合い、土ぼこりが舞った。ランクルはオーラの脚に噛みついたが押さえ込まれ、そしてマグスが尖った枝をランクルの翼に突き立てた。

「動かないことね。翼が破れるわよ」

「おいらに命令するな!」ランクルは吼え、荒々しくもがいて暴れた。マグスは枝が抜けないよう力を込め、オーラとファイファは力の限りにランクルを押さえつけていた。やがて息を切らし、ランクルは抵抗をやめた。

「見てごらんなさいよ」マグスがそう言って枝を抜いた。ランクルの片翼はぼろぼろになっていた。

「うええ」ランクルは羽ばたこうとしたが、翼は更に傷むだけだった。

 少し申し訳なさそうに、オーラとファイファは下がった。普段であれば、誰かが怪我をするとしても傷が残るほどのものではなかった。その事実が彼らの気持ちを変えたのかもしれない。

「ここにいてもいい?」首を曲げて傷を確かめながら、ランクルは尋ねた。

「駄目!」三人はそろって声をあげた。

「お前のことは好きじゃない」ファイファが叫んだ。

「誰だってそうだよ」マグスはランクルの頭から冠をもぎ取った。

 ランクルは飛び去ろうとしたが、その翼は役に立たなかった。彼は大股で木立を出ていった。


 あまりに不機嫌なランクルに、歌鳥さえも不快そうな眼差しを向けた。奇妙な紫色の空の下、とぼとぼと道をゆく彼を蝶々さえも避けた。

「お前たちなんて握り潰してやるからな」逃げ去る揚羽蝶へとランクルは叫んだ。

 ランクルはでこぼこの道へと辿り着いた。僻境と王国の境を横切る道であり、人間もフェイも同じく頻繁に行き交う。ランクルは人間と多くの時間を過ごしてはこなかったが、彼はその達人を自負していた――友達が欲しいなら、コインが必要だ。そして最初に見つけた人間から盗もうと彼は決めた。今や作戦を得て、彼の心は高揚した。

 獲物を見つけると同時に、村の時計塔が彼の目に入ってきた。村の外の十字路に立つ英雄の岩の上に、小奇麗にひげを生やして青い外套をまとう白髪の男が立っていた。ランクルが丘を越えると、村人の一団に囲まれたその白髪の男は不気味な空を示すように手をあげた。

「傷跡のような空だ」その男がまくしたてた。「お前たちには兆候が見えんのか?」

「あんたは馬鹿者だよ、チュレインさん」ひとりの村人が叫んだ。「本の中へ帰りな」

 チュレインは一枚の黄葉を掲げた。そこには何かのシンボルが焼き付いているようだったが、ランクルはむしろチュレインが腰に下げた革のポーチが気になっていた。

「ああ悲しいかな、秋の兆候が見えるぞ」別の村人が嘲った。

「目を開くのだ!」チュレインは懇願するように言った。「恐ろしいものが到来しようとしている!」

 大人たちは村へと戻り、だがひとりの子供が石を拾い上げて年老いた語り部へと投げた。すぐにもう数人の子供たちが続き、チュレインは飛び降りると慌てて村から逃げ去った。ランクルは石を投げて遊ぶのが誰よりも好きだったが、その子供たちはコインを持っているようには思えなかった。そのため彼は取り乱した老人を追った。


 街道沿いの石壁の背後に身を隠しながら、ランクルはチュレインを追った。彼は不意打ちに適した場所を探していたが、老人は長い脚で容易に彼を引き離し、ぼろぼろの翼を背負うランクルは地面の上を進むしかなかった。チュレインは「女王陛下に警告を」「ロークスワイン」とわめき続け、コインの音を鳴らしながらわだちの道を半ば駆けた。

 まもなく彼らはその街道でも「葬儀人の曲がり角」と呼ばれる危険な箇所に辿り着いた。数百フィートの眼下にのどかな農場が広がっている。その直前で道は鋭く右折し、谷へとジグザグに下る。だが速度を出した荷馬車は曲がり切れず、崖から落下することで知られていた。

 チュレインがその景色を眺めようと足を止めた時、斜面によじ登っていたランクルは行動に移ろうとした。だが眼下のロークスワイン城が目に入ってくると、不意討ちをするという考えは彼の脳内から完全に消えてしまった。子供の頃から話には聞いていたものの、浮遊するその城を目にするのは初めてだった。まるで雲海に浮ぶ雄大な船のようだった。優美な尖塔と堂々とした城壁が、薄暗い日の光にもかかわらず輝いていた。

 王族の行列が崖沿いの道をやってくるのが見えた。黒と金の鎧をまとう騎士たちが、アヤーラ女王の馬車に付き添って危険な道を登ってきた。ロークスワインの宮廷を統べる女王アヤーラは獰猛かつ狡猾だと知られている――ランクル自身と同じように。女王は数えきれない人数の夫に先立たれながらも、その壮麗な物腰と知性にふさわしい求婚者を今なお探し求めている。ロークスワインの紫色の紋章が飾られた馬車が崖を登りきるまで、ランクルは見つめた。直接目にしたことはないが、ランクルはずっと女王に崇敬の念を抱いていた。そしてよく見ようと、チュレインにこっそりと近づいた。

「おお、女王陛下が」チュレインはそう言うと、隣に現れた小さな人影に不意に気付いた。彼は驚き、腰のベルトをしっかりと掴んだ。「こら、妖精め! 私の金に触るでない!」

 ランクルは溜息をついた。自分の好奇心のせいで不意討ち作戦が駄目になってしまった。それでもまだポケットには魔法の粉が入っており、馬車が過ぎ去った後にはいたずらをするだけの時間は十分ある。ランクルは女王の馬車を通すため道の脇に避けたが、チュレインはその真正面へと飛び出した。即座に騎士ふたりが老人の両脇に進み出てその両目に剣を向けた。

「どうか、輝かしき女王陛下にお目通りさせて下さいませ」チュレインは懇願し、髭が地面につくほど頭を低く下げた。「ほんの一言だけでいいのです。お目通りが叶うまでここを動きはしませんぞ!」

 誰にも気づかれないうちに、ランクルは馬車の下へと潜り込んだ。頭上で馬車の扉が開く音がした。スカートの裾をかすかに鳴らし、女王は道へと降りるとひざまずくチュレインの前に立った。

 ランクルが車輪のスポークの間から覗き見ると、女王は手袋をはめた手でチュレインの肩に軽く触れた。

「女王陛下、何と細くお、お美しい指」素早く身体を起こし、チュレインはどもりながら言った。

「語り部よ、それほどまでに重要な物事とは?」世界で最も甘美な声でアヤーラが尋ねた。あまりに魅力的な声に、ランクルは女王の姿をよく見ようと移動した。

「悪しきものが迫りつつあります、陛下」チュレインは答えた。「まもなく空は割れ、想像を絶する恐怖が降り注ぐでしょう」

「まことですか」アヤーラは呟いた。「そうであれば由々しきことです。さあ中へ。全てを話すのです」

 ふたりが馬車の中へ向かう際、ランクルは一瞬だけアヤーラの顔を見ることができた。まるでトロールに殴られたような衝撃が彼に走った。息ができなかった。何も考えられなかった。道の真ん中に横たわる彼を残し、騎士たちは馬に拍車をかけ、馬車は奇妙な黒いわだちを残して彼の上を過ぎていった。

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アート:Anna Podedworna

 いや、ランクルはそのような物事には気付かなかった。心奪われていた。マグスに木の枝で刺されてから初めて、彼は自分がやるべきことをはっきりと悟った。何としても、アヤーラの次の夫になるのだ。


 心に歌を抱き、ランクルは村へと続く小路を跳ねながら向かった。ランクルは恋人を作るなど面倒としか考えていなかったが、愛情のやり取りについては達人であると自負していた。女王の心を勝ち取るために必要な方法はただひとつ――魔法。具体的には愛のおまじないか、薬か、呪文か――もしくはその三つ全部か。そしてそのためには、魔女の力を借りる必要があった。

 エッジウォールに到着すると、ランクルは人気のない道を散策した。店は鎧戸を下ろしており、人の気配はなかった。聞こえてくるのは「三匹の子豚」という名の肉屋の木製看板が軋む音だけ。だがランクルが目的地に近づくと、何匹ものネズミが下水から現れた。すぐにそれらは側溝からあふれ出し、紛れもないネズミの行列となった。笛吹きが彼のために仕事をしてくれているらしい。

 ランクルがその魔法屋に辿り着く頃には、ネズミたちは店の壁を駆け上がり、屋根の一番上に並ぶと小さな顔を空に向けていた。その奇妙な振る舞いはランクルの浮かれた心を我に返らせた。村の上空には赤い輝きを帯びた煙がうねり、輪を描いていた。ランクルは肩をすくめた。今日は奇妙な魔法をよく見る日だ。そして彼自身も奇妙な魔法をいくつか必要としている。

 彼は勢いよく魔法屋の扉を開け、暗くかび臭い店内に入り込んだ。

「惚れ薬が欲しいんだけど」彼は無人の部屋へと声をあげた――いや、魔女たちのことを考えるに、きっと無人などではないのだろう。

「出て行きなさい、フェイのちびっこ」姿は見えずとも声がした。「忙しいのが見えないの?」

「全然見えないよ」もっともだというようにランクルは答えた。「それに、欲しいものが手に入るまで出て行くつもりはないからね」

 無人の部屋に溜息の音が響いた。そして何も起こらないため、ランクルは近くの棚へと向かった。そこには頭蓋骨や薬草、色とりどりの様々な薬が目いっぱいに詰め込まれていた。

「綺麗だね」ランクルは楽しげに言い、ガラスの瓶に指を走らせた。

「触らないでよ」無人の部屋が彼を叱りつけた。

 ランクルは黄金色の液体が入った大きな瓶を掴み、頭の上に掲げた。

「やめな――」

 ランクルはその瓶を床に叩きつけた。焼けつくような白い光が上へうねり、彼の髪を焼いて天井を焦がした。それでもランクルは止めなかった。彼は次の瓶へと手を伸ばした――血の赤、面白そう! だが部屋の隅に揺らめくものが見え、ランクルは躊躇した。その幻惑魔法が消えると、優雅な――そして非常に苛立った――ひとりの女性が彼へと向かってきた。

「あんたが欲しがってるものを壊したらどうするんだよ?」

 ランクルは止めた。この女性が心を読む力は大したものだ。「その通り、おいらはそのために来たんだ」

 魔女は気だるそうに目をこすった。「何でまた惚れ薬なんて欲しがるの」

「アヤーラ女王と結婚するためさ!」ランクルは堂々と宣言した。

「あんたもか。ギャレンブリグから来る奴らも皆それだよ」魔女が言った。「惚れ薬ってのはむずがゆいものでね、それに今ここにはもっと大きな問題がある。さっさと出ていきな。私も荷物をまとめないといけないんだ」

 ランクルは酢漬けの地虫が入った瓶に手を伸ばした。「問題って何? ネズミのこと? これは惚れ薬、いや違うよね?」

「ちが……」

 魔女がそう言いかけたところで、ランクルはその瓶を床に叩きつけた。ガラスが割れて中の液体が彼の足に飛び散り、地虫は小さなゴムの玉のように部屋じゅうを跳ねた。

「うひゃあ」ランクルは感心した声をあげた。

 不意に風が鳴り、そしてランクルは魔法的に床から払いのけられた。動けず、彼は気が付くと宙に浮いて魔女とまっすぐに対面していた。

「綺麗な目だね」ランクルは呟いた。「おいらのアヤーラほどじゃないけど」

「あんたは破壊と苦しみをまき散らすだけ。ちっちゃくて何もない」魔女は不機嫌に言った。「私はエッジウォールを離れるよ。あんたの同類との約束があるんだ」

「マグスとかと? おいらとあいつらは関係ないし、鞄いっぱいのアナグマみたいに嫌な奴らだよ」

「違う。もっと背が高くてもっと学があって、もっと手に負える同類だよ。あんたにはひとつ選ばせてやろうか」

 ランクルは動けずにいることに飽きており、魔女の見えない掌握の中で無益にもがいた。

「私と一緒に来て、迫り来る破滅と戦う勢力に加わるか」

 ランクルはほとんど聞いていなかった。動けないことは拷問に等しい。蹴り、羽ばたき、引っかき、噛みつこうとしたが一切の筋肉が動かなかった。

「おいらに命令するなよ!」

「それとも、アヤーラの心を永遠に手に入れるために、特別な愛の花を探しに行くか」

 ランクルはもがくのを止めた。「愛の花」

 魔女は目を丸くした。「そっちを選ぶとは驚きだ。長く困難な旅になるよ。そしてそれを見つけるまではエッジウォールに戻ってこないって約束しなきゃいけない」

「愛の花!」ランクルは再び声をあげ、魔女は呪文を解いた。彼はそのまま床へと落下した。

 魔女が彼を見下ろして言った。「疲れたとか腹が減ったとか、飽きたとかで探索を諦めたらいけないよ。約束しな、ちびっこ」

 ランクルは立ち上がり、埃を払い落してにやりと笑った。「おいらはランクルだ。約束する。おいらに二言はない」


 ランクルは疲れて飽きていた。だがポケットに詰め込んだ地虫の酢漬けのおかげで空腹ではなかった。

 彼は魔女に聞いた方角を目指した。だが森のこのあたりに花は一切咲いておらず、辺りは陰気で馴染みなく、カラスだらけだった。上空で奇妙な爆発音が響き、鳥たちは一斉に散った――上以外へと。頭上には黒い枝がもつれて固まり、空を見ることはできなかった。そしてどこにもフェアリーの匂いがしなかった。つまりあの魔女は、彼を敵意あるものの縄張りへと送り込んだのかもしれない。

 あるいは、魔女は理解の及ばない理由で彼を徒労に送り込んだのかもしれない。その花の話すら嘘なのかもしれない。

「誰か、『永遠の思慕のライラック』の話聞いたことある?」木のうろに隠れていると思しき一羽のカラスへとランクルは呟きかけた。「つまんない探求だよ」

 落胆した彼は捜索を諦め、エッジウォールへと引き返した。だがその途中で、不意に茂みから大鹿の群れが飛び出して彼を踏み潰しかけた。ランクルは跳び、必死に羽ばたいて低い枝にしがみつくことで逃れた。大鹿たちは轟音とともに去っていった。

「失礼だな!」彼はそう声をあげた。そして枝から飛び降りようとした時、奇妙な生き物がよろめきながら近づいてきた。ランクルは目を細くしてその獣の白い棘と赤く輝く肋骨を見つめた。尾が三本ある一方で目はなく、犬のような形と大きさ。その口から粘り気のある黒い液体が垂れていた。犬は涎を垂らすもの。つまり、犬に近い。

「やあ、ワンちゃん」ランクルは枝から飛び降りた。彼は犬が好きだった。

 だが彼が近づくと、その犬らしき獣の胸から低い響きが発せられ、背中に並んだ棘が広げられた。そして不意にその尾の一本がむち打つようにランクルへと襲いかかった。咄嗟に、何が起こったかを把握するよりも早く彼は避けた。その素早い足取りがなければ助かっていなかっただろう。

「悪い子だな!」ランクルはそう叫んだが、獣は再び襲いかかってきた。彼は懸命に羽ばたき、避け、涎を垂らす巨大な顎から必死で逃げた。呪文を叫んだが、相手の攻撃を怖気づかせることはなかった。やがて木へと追い詰められた彼は石や地虫や魔法の粉を投げつけたが、役には立たなかった。息を鳴らしながら獣が口を開いて迫ると、ランクルは縮こまって目を閉じ、愛しのアヤーラを思った。だが閉じた瞼の向こうで機械の悲鳴があがり、そして金属が削れ、潰れる音がした。ランクルが目を開けると獣は真二つになっており、赤い髭のドワーフがその死骸から斧を引き抜いた。ランクルの視線は油の漏れ出る死骸から大きな斧へ、そしてドワーフの指に光る黄金の指輪へと走った。

「すごく……」ランクルはそこで言葉を切った。その指輪を表だって褒めるのはやめておいた方がいい――今は。「すごくいい斧だね」

「急げ」ドワーフが言った。「もっと来るぞ」

 そのドワーフが大きな斧と輝く指輪をどのように持っているかを確かめ、ランクルは追いかけた。

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アート:Viko Menezes

 その夜は不自然なほどに黒く汚らわしかった。奇妙な生き物が影の中から這い出した。だが中でも最悪なのはそのドワーフだった。なんとかの族長だというトーブランは、邪悪な種を宿した鞘や真にたちの悪い木について喋り続けた。だが少なくともトーブランは夜を過ごすため崖の途中にいい洞穴を見つけてくれたし、それにドワーフはいくらか眠る必要はあるだろう。

「幾つもの宮廷が陥落した」ドワーフは震える声で言った。「ケンリス夫妻も……」

 ランクルはあくびをし、洞穴の固い地面に横たわりながら寛ごうと努めた。

「明日はあの汚らわしい侵略者どもに立ち向かう。儂にはとても重要な任務があり、お主の助けが必要となるだろう。ロークスワインに到着したなら……」

 ランクルははっとした。ロークスワイン? 自分の幸運が信じられなかった。真に愛する人のもとへ、このドワーフは連れて行ってくれるのだ。少しの幸運があれば、結婚を申し込むための新しい指輪が手に入るかもしれない。

「任務の重要性はお主にもいずれわかる」トーブランは続け、だが奇妙な物音に言葉を切った。跳ね橋を下ろす音と悲鳴が組み合わさったような。それは洞窟の周囲に反響し、谷を伝わっていった。トーブランは斧を掴み、外の暗闇を覗き見た。

「怖れることはない」その音が止むとトーブランは言った。「ああいった怪物のために罠を仕掛けてある。儂は自らの役割を果たす方法を見つけ出さねばならん。運命は儂らを引き合わせた……」

 ランクルは可能な限り大きく寝息を立て、ドワーフが察してくれることを願った。トーブランは溜息をついて壁に寄りかかり、外套で身体をくるむと片手を斧に触れた。まもなく彼は本物のいびきをかき始めた。

 ランクルは夜明けの直前まで待った。彼は静かに洞穴の入り口に這い出ると辺りの様子を観察した。推測した通り、その崖沿いの洞穴は農場とロークスワイン城を見下ろす場所にあった。うねる嵐雲に隠されて浮遊城の尖塔以外はぼやけており、雲間からはとても奇妙な豆の木のつるが伸ばされていた。だがそれは彼の計画の次なる段階にはさして関係ない――トーブランの指からあの指輪を奪うのだ。

 眠れるドワーフの近くに、とはいえ近すぎない位置にランクルは腰を下ろした。そしてポケットからフェアリーの塵を少し取り出すと、それを黄金の指輪に振りかけた。静かに彼は呪文を呟き、そして効果が現れる様を見て彼の心に喜びが溢れた――指輪が姿を変え、一匹の毛虫と化したのだ。それがトーブランの指から這い進み、地面の上を少しずつ彼へとにじり寄ってくると、ランクルは興奮を隠すのがやっとだった。だが不幸にも、それが彼のもとに辿り着く前にドワーフが両目を開けた。

「うかつだった、眠ってしまったとは」トーブランが言った。「準備しろ、すぐに出るぞ」

 ランクルは芋虫に変化した指輪が這い寄る様を片目で見つめたままでいた。ドワーフが気付く前に自分のところに来てくれさえすれば……

「指輪がない!」トーブランが叫んだ。

 半狂乱になってトーブランが身の回りを探す隙に、ランクルはその芋虫を素早くすくい上げた。ドワーフのその様子に、ランクルは自分の疑念が正しかったと確信した――これはただの綺麗な指輪ではない。光り輝く、魔法の指輪なのだ。

「お主が盗んだのか?」トーブランが問いただした。

 ランクルはかぶりを振り、芋虫を舐めて魔法の塵を取り除きにかかった。

「何をしている?」トーブランが声を轟かせた。「正気を失ったか?」

 最後の一舐めとともに、芋虫は指輪へと戻った。ランクルは立ち上がって指輪を背後に隠したが、とうの昔にばれていた。トーブランは驚きに呆然とし、落胆しているようですらあった。

「泣きそうだけど?」ランクルは尋ねた。

「儂はお主の命を救ったというのに、そのような仕打ちで返礼するというのか?」

「これって願いの指輪? ずっと欲しかったんだよ」

「違う」トーブランはそう言ったが、彼の声にはわずかな震えがあった。

「ふうん、じゃあ確かめてみようよ。おいら、籠いっぱいの美味いものが欲しいな!」

 トーブランはランクルに掴みかかろうと突進したが、不意に現れたクッキーの籠につまずいた。そして彼が再び突進しようとした時、ランクルが片手を挙げた。

「もう一回来てみな、そうしたらお前なんて亀になっちゃえってお願いしてやるよ」ランクルは警告するように言った。「沼のね。ここからずっと離れてる」

 トーブランは引き下がった。「昨晩儂が言ったことを聞いていなかったのか? 力を合わせねばならんのだぞ」

 ランクルは籠を掴み、振り回して自らの幸運に驚いた。願いの指輪と、クッキーで一杯の籠があるなんて!

「儂らの故郷が侵略されているのだぞ。止める手立てはひとつだけあるが、そのためには指輪が必要だ」

「アヤーラにここに来てってお願いできるかな? それとも結婚式をお願いしようか? いや、それはちょっと慌てすぎかな?」

「この次元が破滅に瀕しているというのに、お主はアヤーラとの結婚なぞ考えておるのか?」トーブランが問いただした。「目を開いて見ろ! 忌まわしき怪物どもは宮廷を蹂躙している。奴らが次に狙うのはフェイの一族なのだぞ」

「そいつらはおいらの未来の臣下だよ」ランクルは反論した。「忌まわしき怪物なんて呼び方はちょっと嫌だよ。そう思わない?」

「指輪を儂に返さぬ限り、お主の愛する者も全員が殺されるのだぞ!」

 ランクルは立ち止まった。アヤーラも殺されるかもしれない? それは嫌だ。

「じゃあ、この指輪があれば、あんたはこの……何て呼べばいいんだい、侵略? を追い払えるのかい?」

 トーブランは不満に両手をもみ合わせた。「それは無理だ。強すぎる、途方もなさすぎる願いは叶えられん。この次元の何かでなければいかん。わかるか?」

「むしろおいらの方があんたよりもいいこと思い付きそうだよ。おいらにやらせてよ」

「駄目だ。儂には作戦が……」

「おいら、惚れ薬が欲しいな!」ランクルはトーブランを遮って言った。桃色の、泡立つ薬が瞬時に彼の手の中に現れた。

 トーブランは悲鳴とわけのわからない言葉をまくしたてた。ランクルはすぐさま洞穴の外に出てロークスワインへの斜面を下っていった。叫び続けながら、トーブランも足音を立てて彼を追った。

「アヤーラを見たことある?」ランクルは肩越しに振り返って尋ねた。「朝日みたいに綺麗で、薔薇の朝露みたいに繊細で。そして一千人の賢者くらい賢いんだ」

 背後で、トーブランがようやく意味のある言葉を発した。「その指輪を返せ! 残る願いはひとつだけなのだぞ」

 ふたりが谷に到達しようという時、まるで巨人が払ったように雲が晴れてロークスワイン城が姿を現した。ランクルは凍り付いたように動きを止めた。城はもはや浮遊してはおらず、地面に墜落していた。尖塔は不自然な角度に傾き、城壁は奇怪な様子に変質していた。空には奇妙な金属でできた豆の木のつるがうねっていた。

「エルドレインがかのような姿に成り果ててしまったというのに、お主は何ら悲しくなどないのか」ランクルの隣でトーブランが呟いた。

 ロークスワインの軍勢が隊列を形勢し、戦いに身構えていた。だが彼らはもはやあの山腹で見た堂々とした兵士たちではなかった。彼らの鎧はその皮膚に融合し、縄のような赤い腱と白い棘が身体をおぞましい様相で飾っていた。白骨と赤い肉でできた恐ろしい馬車の隣に、奇妙な犬の群れが涎を垂らしていた。

「あんなにいっぱい」その純粋な数にランクルは圧倒された。

 ラッパの音が鳴り響き、ぞっとするような城から女王が姿を現した。ランクルは唖然とした。彼女はもはや彼女ではなかった。アヤーラの皮膚は黒い金属板に置き換わり、残り火のように赤熱していた。腕や顔からは鋭い棘が伸びていた。彼女が耳障りで馴染ない言葉で軍勢へと命令すると、その空虚な胸骨の中で心臓が脈打った。

 ランクルは手に掴んだ惚れ薬を見つめた。「おいら、のぼせて焦り過ぎたのかも」

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アート:Anna Podedworna

「お主は願いを無駄にした。だが儂らは僻境にて戦い、この次元を守る」トーブランが言った。

 不意にふたりの足元の地面が揺れ動き、耳をつんざく轟音が谷に響き渡った。巨大で深く、それはこの次元のまさに中心から発せられているようだった。トーブランは膝をつき、ランクルの両肩に手を置くと彼と目を合わせた。「何故かはわからぬが、この谷に巨大な裂け目が開こうとしておる。儂はその裂け目に敵をおびき寄せねばならん。どうか、指輪を返してはくれぬか」

 ランクルは谷を見つめて呟いた。「おびき寄せて、その裂け目に落とすってこと」

 トーブランは厳粛に頷いた。「その指輪は儂らの次元を救う唯一の手段だ」

 ランクルは最後に一目アヤーラを見た。そして懇願するようなドワーフの瞳を。ランクルは悲しそうに頷き、指輪を差し出した。トーブランは表情を輝かせたが、それもランクルが口を開くまでのことだった。

「雨を降らせて……」

 トーブランは驚き、絶望に倒れ込んだ。「儂らは皆殺しだ」

「雨を降らせておくれ、これの雨を!」惚れ薬を高く掲げ、ランクルはそう叫び終えた。

 即座に空が開き、桃色の雨が降り始めた。すぐ近くの地面が鳴動し、響き渡る轟音とともにひび割れが走った。一瞬前には硬い地面だった場所に巨大な裂け目が開いた。軍勢は魔法の雨でずぶ濡れになりながら、混乱し右往左往していた。

「見ろよ!」彼らに向けてランクルは叫んだ。「おいらはお前たちの王様だぞ!」

 トーブランが悲鳴をあげた。「待て! 何をする気だ?」

「いっぱいいるじゃん」ランクルは上機嫌に言った。「見て驚けよ、マグス!」

 トーブランは彼を掴もうとしたが、ランクルはたやすく避けて斜面から飛び降りた。無傷の片翼を羽ばたかせ、彼は裂け目の上にぎこちなく浮かび上がった。

 よじれた騎士、つぶやく異形、そしてしわがれ声の怪物、それら全員が裂け目の端に立つひとりのフェアリーに注目していた。ランクルはその端に沿って飛び跳ねた。降り注ぐ惚れ薬の影響を受けた彼らは、すぐさまその小さなフェイへと恋に落ちた。心を火照らせ、軍勢のすべてが焦がれるままに動いた。ランクルは足を止めると、さえずりを発する大軍に対峙した。

「できるもんなら捕まえてみな!」彼はそう吼え、裂け目へと後ろ向きに身を投じた。

 軍勢の波また波が彼を追い、まるで恋に落ちたレミングのように飛び込んでいった。ランクルは必死に羽ばたいて宙に浮き続け、その隣では身を投げた兵士や怪物が裂け目の底へと落ちていった。ランクルは彼らが向ける恋慕の視線に喜び、彼らが発する崇拝の金切り声に浴した。

 むせび泣きや重苦しい落下音の中、不意に新たな音が加わった。美しい音だった――古く、力強く、馴染ある音。どこにも響いておらず、それでいて至る所で響いていた。沢山の声が織りなす強力な呪文、ランクルはそう気づいた。彼は眠気を感じ、片翼はもはや彼の身体を宙に留めてはおけなかった。裂け目の底に積み重なる死骸へ向かってゆっくりと落ちながら、ランクルは見た――裂け目の中の全員が、自然のものではない眠りに落ちていた。トーブランの作戦に違いない。ランクルはそう思ったが、それ以上は何ら気にかけなかった。熱愛に取り囲まれながら、彼は死した崇拝者たちの玉座めがけてゆっくりと降りていった。こんなにも求められていると感じたことはなかった。こんなにも愛されていると感じたことはなかった。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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