2023年3月24日

 

　自分はどこへ行こうとも故郷のように安らぐ、レンはかつてそう考えていた。ドライアドにそれを反論するのは難しい。彼女たちにとって、しばしば故郷とは離れたくない一本の木を意味するためだ。だがレンの事情は少々複雑だった。彼女と繋がりを結ぶ木はその繋がりのために長生きできず、彼女自身も多元宇宙の様々な場所で気を配るべき問題を抱えている。それでも、ずっと確信していた――多元宇宙の何処に辿り着こうとも、そこから遠くないどこかで生きていけるだろうと。

　新ファイレクシアに到着するまでは。これまで生きてきた中で、このような場所が存在するとは想像すらしたこともなかった。あらゆる自然は根絶やしにされている。死のような沈黙が支配すると同時に、機械の人工的なざわめきが満ちている。最悪の悪夢を想像して欲しいとドライアドに頼んだなら、このような場所を告げるだろう。レンはこの場所を憎んだ。

　そして何よりも、ここが自分の死に場所になりそうだということを憎んだ。

　死に怯えているのではない。レンの脆い頭部と上半身を侵略樹まで運ぶチャンドラとは異なり、ファイレクシア人が向ける槍や棘をレンは怖れていなかった。チャンドラとコスが彼女の肩越しに放つ炎の塊や溶岩も、レンは怖がってはいなかった。むしろ自分もその戦いに加われればと願ったが、自らの内の炎を抑える力すらほとんど残っていなかった。他者にそれらを向けたなら、自分たちがここに来たすべてが台無しになってしまうかもしれない。

　そしてそれを、レンは真に怖れていた。皆が自分を当てにしている、その作戦を成し遂げられないかもしれないという可能性を。侵略樹はもはや彼女に歌いかけてはいなかった。ここに来てからずっと、一言すら語りかけてはくれなかった――少し前、彼にかろうじて繋がりかけた時もそうだった。拒絶されたなら、彼を制御するすべはない。テフェリーを確保するすべも、この猛攻撃を止めるすべもない。

　そしてこの状況を止めようというのであれば、テフェリーが必要になるだろう。レンはそれを確信していた。

　この場所から、揉み合うように進みながら、迫り来る猛攻撃が見えた――何千というファイレクシア人、そして更に何千という数が一か所に集まっている。そのすべてに金属が輝いていた――騎士たちの勇ましい鎧のようにではなく、炉の中のうねりときらめく針のそれのように。そして森の中の葉よりも沢山の目が彼女を見つめ返していたが、そこに一切の生命はなかった。

「ここは存在していい場所ではない」彼女はそう言った。

「ほんとそれ」チャンドラは自分たちに向けられた一本の槍を、命中する前に焼き尽くした。「もうちょっと持てばいいだけだから」彼女の呼吸は荒く、足取りは不確かで、苦心してレンを抱えていた。あの落下の後にチャンドラが再び歩けるか否か、レンは定かではなかった。人間の身体というものは脆い。あの時、地面に激突して無残な姿となる前に、ニッサの蔓が自分たちを捕まえた――けれどどのように着地しようと、そもそも落下は良いことではない。それでもチャンドラは立ち上がり、どれほどの痛みを受けていようとも戦い続けている。

「治療は必要か？」レンが尋ねた。

「大丈夫」それが紅蓮術師の短く鋭い返答だった。

　針が雨あられのように彼女たちへと殺到した――コスが足元から金属を頭上に浮遊させ、皆の頭部を守った。その表面に針が火花とともに跳ね返り、コスにも守りきれないミラディン人たちの背中に何本かが刺さった。彼は罵った。その音はまだ熱い剣を急冷するかのようだった。「永遠にはもたないぞ！」

「永遠には続かないわよ」チャンドラが言った。「レンが樹まで辿り着ければ、全部きっと上手くいくから」

　ただしその樹と繋がり、語り、古い友を探すには時間が必要となるだろう。なおかつ、レンにそれができると仮定してのこと。彼女の身体は持つのだろうか？ 今その身体はごく一部しか残っていない。まるで強情なペットをそうするように、チャンドラは彼女を抱えていた。侵略樹の強大な姿の前に、彼女はドングリよりも小さく見えた。もし他にもドライアドが、姉妹がいてくれたなら、あるいは……

　ひとつの叫びが彼女の物思いを引き裂いた。レンは我に返り、そして鋭い一本の触手がチャンドラの肩の上の空を切る様を見た。その叫びは前方から届いたものだった――その触手の先端は、メリーラの腹部をまっすぐに貫いていた。

「私たちの提案を受ければ良かったのに」覚えのある声が届いた。ニッサ。棘の生えた蔦が彼女たちへとまっすぐに放たれた。

　チャンドラは息を吸い込んだ。ニッサへと放った火球は宙でちらつき、消えた。彼女は罵り声をあげ、そして必死の行動として転がって激突を避けた。棘が槍のように地面に刺さった――その一本一本が、戦士の身長ほどもある。一本でも貫いていたなら……

「援護する！」コスが叫び、彼はごつごつした岩をニッサへと放り投げた。彼女が放った鋭い蔓の一本が裂け、二本となったそれらが反乱軍に襲いかかった。

　チャンドラは苦しいうめき声をあげ、一本を宙で焼いた。荒い息遣いは今や喘ぎとなっていた。レンは何か力になりたかった――だが意識を保ち、生き続けなければいけない。

　戦闘部隊は二十人ほどのミラディン人が残るだけ、そしてニッサの止まらない攻撃の前に立つのも彼らだけだった。チャンドラが樹へと駆け出すと、コスやメリーラや他の者たちが援護に入った。ファイレクシア兵と戦うだけでも十分に困難だというのに、ニッサのような殺人機械と対峙するのはほとんど不可能といえた。蔓と刃が、紙のようにたやすく肉を切り裂いた。

「コス！」メリーラが叫んだ。傷を押さえた手から、樹液のように血が溢れ出た。「コス、壁を作って！」

　彼は肩越しに振り返った。レンですら、彼の表情に心配を読み取ることができた。「いいか、チャンドラ。全速力で駆けろ」

「わかったわ！」

　コスは地面へと拳を突き立てた。その身体を橙色の炎が包みこんだ。金属がうめいて成長し、ニッサの接近を阻む一枚の壁となった。

　だがその壁はまだ完全に成長しきってはおらず、そしてニッサもそれを軽視するつもりはなかった。

　彼女は反乱軍へ近づき、ケーブルのような根のもつれに乗って橋の上空へと高く上がった。銅の枝がファイレクシア人もミラディン人も、彼女の前に立ち塞がる者は同じく突き刺した。彼女の一歩は他者の三歩に相当した。チャンドラは全速力で駆けていたが、追いかけてくるようなニッサの攻撃をすべて回避するすべはなかった。

　そうしようと思うなら、その根を即座に融かすことはできる。ニッサを地面に落とすことはできる。けれどニッサが現れてからというもの、チャンドラは一度も振り返っていなかった。

「あの者を傷つけたくないのだな？」レンが尋ねた。

　チャンドラは何も言わなかった。

「理解はしている。友を相手にするというのは難しいものだ。だがお前はあの者を本当に傷つけるわけではない。あの者もお前を傷つけたいなどとは思っていないだろう――だからそうさせないことこそが、あの者がお前に求めていることではないのか？」

　チャンドラは顎に力を込めた。「レン」

「なんだ？」

「そういうのじゃな――」

　言い終える前に、チャンドラは後方へ飛ばされた。レンの身体はその手から離れ、冷たい金属製の橋に落ちると同時にチャンドラが上空にぶら下がる様を見た。真鍮製の長い根の一本で、ニッサは彼女の足首を掴んで持ち上げていた。ミラディン人のひとりがレンを拾い上げ、走り続けた。

「彼女を樹まで運べ。とにかく先へ進ませろ！」コスが叫んだ、彼もまた、ニッサと戦うために注意を向けた。

　そのミラディン人はわずか数歩進んだところで、ニッサの槍のような爪に突き刺された。レンは宙に放り投げられた。仲間二人が恐怖の眼差しで見ていた――だが冷静さを保っていた三人目がレンを受け止めて進んだ。

　ひとつの手から次の手へと彼女は渡され、宙へ放り投げられ、ファイレクシアの掌握から逃れ続けた。人間は団結を知らないとファイレクシア人は考えている――だがそうではないとレンは知っていた。

アート：Jason Rainville

　メリーラの両腕まで辿り着く頃には、侵略樹は目の前となっていた。

　そしてチャンドラは未だ宙に吊られていた。

「大丈夫ですか？」かすれ声でメリーラが尋ねた。

「ああ。だが……私だけでは無理だ。チャンドラの手助けがなければ――」

「ごめんなさい、ですが私があそこへ行けるとは思えません」メリーラは言った。彼女自身も負傷しながら駆けている。罪悪感が痛みとなってレンを貫いた。ここに至るまでに、あまりに多くの者が死んできた。止まるわけにはいかない、だが……

「言ったでしょう」ニッサの声は足場全体に響き渡った。「絶対に上手くはいかないって！」

　蔓がチャンドラの喉に巻き付いた。メリーラがレンを観測の足場に上げると、彼女もまたその蔓を感じた。

　チャンドラは更に高く持ち上げられながらも、身体を揺すり、悶えて抵抗していた。人間は息をせずにどれほど長く耐えられるのだろう？

「この樹に貴女を繋げるにはどうすれば？」メリーラが尋ねた。

　彼女たちの下方では、コスと数十人のミラディン人が障壁の所でファイレクシア人を押し留めていた。ニッサはやすやすとそれを越えて行けるかもしれない、だが他の者たちにとっては困難だろう。兵士たちは障壁の上に登り、回収した針をファイレクシア人の群れへと投げ返していた。あるものは刺さったその場で引き抜かれ、壁の向こう側にある金属と油の塊へ風切り音とともに放たれた。

　彼らは今も戦っていた。

　レンの舌が上あごに張り付いた。「私をそこへ置いてくれればいい。だが炎の力を借りなければ――」

「すみません、私はそこまではできません」メリーラはレンを持ち上げ、彼女の腰部分の節くれ立った根を樹にあてた。「ですがこれはできます、ほんの少しですが」

　その言葉の意味をレンが尋ねる前に、メリーラの手から魔力が放たれてかすかな白色に輝いた。その輝きが消えるとともに、レンの幹に力が浸み込んだ――いや、ただの力ではない。それは雨のように新鮮で、太陽のように生命力をくれた。

　メリーラはふらついた。その行動は彼女から多くを奪ったのだろう。彼女は膝をつき、そして座り、次元壊しの白い金属板に背を預けた。「少しは……助けに……」

　レンはコスに、チャンドラを助けに行ってくれと頼みたかった。どんな木にも喜んで繋がるが、これはもう少しだけ自分自身のままでいたかった。何から始めれば良いかもわからないが、それでもメリーラを助けたかった。

　だが今のような時には、自分の欲するものを手に入れるのは難しい。

　彼女は目を閉じ、侵略樹へと根が融合していった。違う――彼にはもうひとつの名前がある。彼が好む名前、それを用いないのは失礼というものだろう。次元壊し。レンの感覚に吐き気が満ちた。邪悪が渦巻く油が彼女の根を覆った。彼女を満たす歌はなく、森の呼び声もなく、彼女に馴染まない主張だけがあった。

　馴染まない。だが次元壊しが何と言おうと、レンは留まるつもりでいた。

　心の中の森の奥深くで、レンは歌いはじめた。イニストラードの名高いオーク樹を、ゼンディカーの宙に浮かぶ松を、楓を、イチイを、ブナを彼女は歌った。次元壊しが発する、ふらつくような詠唱が高まっていった。『お前は仲間ではない』内なる何かがねじれ、そして引っ張りはじめた。

　レンは小さく悲鳴をあげ、金属板を爪で引っ掻いた。屈するわけにはいかない。今ではない。胸の空洞の内に圧力が高まった――彼女の炎は樹の邪な意図と是非とも戦いたがっており、炎は彼女の喉の内を焼いた。炎に戦いを許したなら、それは彼女が樹と完全に融合するだけの時間を稼いでくれるかもしれない――炎がまず彼女を焼き尽くしてしまわないのであれば。

　上手くいかないだろう。その渇望は大きすぎた。炎、次元壊し――両者に渇望があり、そして彼女は捕食者ふたつの間にぶら下がっていた。

　すべてが何かを傷つけつつあった。

　チャンドラならばどうするべきか知っているのだろう。あの娘は炎と話す。それを宥め、導き、行くべき場所を伝え、次元壊しを燃やしながらもレンが燃えないようにしてくれる。

　だがチャンドラは橋の上空に揺れている。自分もまたここで死にかけており、そして他に力を貸してくれる者は恐らくいない。

　レンは顎に力を込めた。燃やしてもいい、だが私以外のものだけだ――そう考えた。炎について考えることが助けになる、チャンドラはそう言っていた。

　腹の内の炎、オーク樹が燃える匂い。次元壊しの内なる無数の声が一斉に叫んだ――だが同時にレンもまた。炎はどうやってふたつを区別している？ 今や自分と次元壊しはひとつ、同じもの。次元壊しの腐敗しきった思考は既に彼女の心の内に響いていた――拡大せよ。既に支配されたものを支配せよ。次元を新ファイレクシアの栄光に目覚めさせよ。狂ったキノコのように、それらは炎に飲み込まれながらも叫び続けた。

　それは彼女すらも飲み込んでいた。

　炎が彼女の瞼を舐めた。

　レンは目を開けた。

　ニッサの背後に何かがあった。白をまとう何かが。

　レンの視界が黄金色に閃いた。その眩しさに、彼女は当初それは炎であると思った――だがすぐに光は消えた。その中心にいたのはニッサだった。光は彼女の口と両目から弾け出て、その身体を守る金属の根も白熱した。衝撃に彼女はよろめき――チャンドラを落とした。

　あれは一体……？ ああ、レンには見えた――天使がチャンドラを受け止め、足場に降ろした。

「レン！」息を詰まらせ、かすれ声でチャンドラは叫んだ。「まだ大丈夫？」

「あ――ああ」レンは答えた。レンなどいない、次元壊しはそう納得させようとしていた――だがそれは嘘だと彼女はわかっていた。多元宇宙が危機にある限り、レンもまたここにいる。

　チャンドラは激しく咳こみ、だがそうしながらもレンの肩に手を置いた。消えつつある視界の中でも、レンには彼女の呼吸音が聞こえた。「すごくいい仕事してくれてるじゃん、レン」

　いい仕事？ 自分の一部は灰と化そうとしているのに。

「ドミナリアで話したこと、覚えてる？」

　チャンドラの声がレンの脳裏にこだました。周囲のすべてがぼやけ、風に舞う木の葉のように回転している。人々が悲鳴をあげ、誰かが傷つく。ほんの少し離れた所で戦争が続いている。そして……あの時、チャンドラは何と言っていただろうか？

「息を……する……ように？」

　閉じた瞼の背後に色彩がうねった。金、赤、緑。

「今はそれは役に立たないかな」チャンドラはレンの肩に手を置いた。レンの心の内に温かさが広がった。炎は今やレンの内に居座るのではなく、わずかに留まるだけで次元壊しからチャンドラへと流れていた。「どうやっても、炎は燃えようとする。けど頑張れば、その形を作ってあげることはできる」

　このように燃えているのでなければ、考えるのは簡単だろう。苦痛以外の何かにレンは集中する必要があった。その炎の形を作る。それは彼女の根と同じように、生きているもの。伸びつつある芽のように、導きを必要としている。

　心の中の風景が変化した。色彩が形を成した――赤と金からねじれた一本の木が生え出る。その枝はつややかな銅。見えざる風が葉を揺らす。それらはゆっくりと散り、螺旋を描いて落ちてゆく。伸びゆく木を取り囲むのは無限に広がる、黒い油の湖。水面に泡が弾け、そのひとつひとつが声となって、自分たちに加わるようレンへと懇願する。

　だが彼女は加わらない。今はまだ。

　想像の木の枝の中に、ひとりの少女がいる。彼女が歌いだすとその唇から炎が流れ出て、聞いてくれる相手を探して黒色の虚無へとこぼれ出る。永遠とも思える間、その歌は闇を漂い、やがて――ついに、ありえないことに――それは何かを聞いた。

　レンは何かを聞いた。

　闇の中のかすかな、消えかけた、ごく小さな緑の囁き――だが、それはそこにいた。

「できるよ……」チャンドラの声がこだました。

　戦いの音もこだましていた。金属が骨を砕く音。コスが叫ぶ命令。見えざる弾薬か何かの衝突音。

　集中しなければ――その緑の囁きだけに。

　レンは自らの炎を外へ放った。通常、とても内気な苗木には時間を与えている。木々が自分たち自身になる必要がある。ドライアドの役割はその過程を世話し、彼らを最良の姿にしてやること。この哀れで小さな魂を今発見し、自分を彼に繋げることは、彼女が知るすべてに反していた。

　彼も理解してくれることをレンは願った。

アート：Viko Menezes

　内気な緑の痕跡を探り、炎は更に進む。その木の根を黒色が侵食する――だが少女は今なお歌い続け、探り続け、かすかな歌が返ってくることを願い続ける。

　そこに、彼女の手よりも小さな若木が、闇の中でもがいていた。

　なんと孤独な、繊細な創造物だろう！ この暗闇の中、どれほど長く彼はここにいるのだろう？呪いの斑点がその端に並び、残る緑は海の泡のように弱い。ここは生物がいるべき場所ではない。

　レンの心が彼に届き――彼の歌がレンの耳に満ち――彼女は今一度、炎を形作った。白熱の森が油から弾け出て、燃え上がる道がその若木へとまっすぐに通じた。周囲の至る所で油が泡立ち、波打った。

『おいで。決して壊れない幹、決して散らない葉、決して燃え尽きない炎――おいで。そうすれば君は永遠になる』

　だがレンはそれを望んでいない。そして若木も望んでいない。彼の歌は怖れとともに甲高く変化した。

　こつは炎の形を決めてやること、チャンドラはそう言っていた。いいだろう――レンは外のミラディン人たちを合図に選んだ。彼らが自分を守ってくれるように、自分はこの若木を守る。歌で、完全に成長させてやれるまで。

　炎の森は山ほどの大きさにまで成長し、それらの枝はコスが構築する防壁のように互いに絡み合った。黒い油の波が叩きつけ――だが木々は眩しく燃え上がり、油は燃える音を立ててその表面から退く。その間ずっとレンの炎は若木へと踊り、レンは弱弱しい声で歌い続けた。

『伸びろ』、彼女はそう念じた。『私たち全員のために』

　そしてその若木は内気ながら、今やわかっていた――大きな仲間たちに囲まれて――もう大丈夫だと。レンの歌はかがり火に乗せた一本の乾いた丸太だった。彼は成長していった。高く、高く、ありえないほどに。彼の歌は轟き渡る詠唱、戦士の詠唱となった。彼の枝は巨岩のように太く頑丈になった。

　何と堂々とした姿なのだろう。レンの内に喜びが沸き上がった。自分が笑みを浮かべたように思ったが、本当にそうしたかどうかはわからなかった。彼女の身体は冷たく、感覚は薄れていた。炎だけが彼女に体温をくれた。だがこの炎が自ら燃え尽きてしまったなら、自分たちはどうすればいい？ レンはわからなかった。だが、新たな良い相棒を得たとはわかっていた。

『やあ、八番』レンはそう言った。『お前をテフェリーに紹介させてくれ』

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　八番は自身が長くはもたないとわかっていた。彼を守ってくれる炎は、やがて自分たち両方を飲み込んでしまうだろう。レンは宿となる木々のあらゆることを感じ取り、学んできた――どの水が好みか、葉が浴びる陽光をどのように感じるか――だが八番との場合、レンできることはひとつだけだった。

　彼を成長させる。

　彼の枝に座り、レンは暗闇へと月のない夜空の流れ星のように歌を放った。百年、二百年、三百年分の成長が、数秒にして起こった。もし彼女に胃があったなら、それは自分たちの下から満ちる黒い油のどこかに失われていただろう。その水面が上昇するごとに、彼女の痛みも悪化する――それでも彼女は耐えていた。

　八番はすべての次元を繋ぐ橋のような木、皆そう言っていた。当初、レンはいかにして彼を導くべきか確信を持てていなかった。だが今や心配はいらないと彼女はわかっていた。彼は成長したがっている。彼に必要なのは、彼女が与えてやれる力だけ。

　内に炎をうねらせ、八番は新たな次元へと向かった。枝が伸び、そこかしこで分岐し、一本一本が道を作った。闇の中の何かが屈し、すぐに彼はその周囲そこかしこに幾つもの穴をあけた。すべてを数えることはできない――まるで昆虫の目の中に入り込んでしまったような。かつて闇があったそこは、今や光の万華鏡と化していた。

　見つめた先のすべてに、じれったくも興味をそそる何かがあった。金張りのオーク樹に包囲された城。崩壊の瀬戸際にある、きらめく金属でできた高くそびえる都市。木々も岩も川も、美しく激しい生命力を弾けさせている次元。彼女は炎に包まれた神殿を、触れたものすべてを貪る太陽を、船乗りたちの油で血の赤色に流れる川を見た。そしてこれらはすべて異なる次元でありながら、何らかの統一性があった。深紅の空、ファイレクシアのシンボル、自らに反して歪む自然。彼女が目にした人々は常に、激しい戦いの最中にいた。人工物の足に踏み潰される頭蓋。黒い油の槽に頭を沈めた兵士たち。口から血を滴らせながらも、故郷を引き渡すのではなく武器をとることを選ぶ者たち。

　これはすべての次元に影響するとチャンドラは言っていた――けれどこのように見るのは、レンの目の前にすべてが広げられるのは、また違う話だった。

『僕たちの助けが要る』八番が言った。

『奴らが見つけていないものを見つけなければ』レンはそう返答した。

『僕は奴らが見たことのある場所しか知らない。奴らが僕を行かせた場所しか』

『私は秘密の場所をひとつ知っている。けれどそれを見つけるには少々迷わなければいけない』

　彼女の下で、八番は不安そうだった。レンは彼の幹を撫で、その指先が残り火の軌跡を描いた。『心配はいらない。私たちは一緒なのだから』

　彼女のその目は彼女のものではなく、彼女のその身体は彼女のひとつの身体ではなかった。望むなら、荷物になるならそれらを捨てられる――そして彼女はそうした。迷った時には、視界は役に立たないだろう。邪魔になるだけだ。テフェリーの魔法のもつれは肉眼では見えない。それは感じなければならない――成長が詰まる、あるいは加速するのを。葉が動きを止めるのを、炎がようやく安定するのを。無数の次元の光がレンを押さえつけ、だが彼女は気にすることなく八番を上へ上へと導き、探し求めた。織り機を前にした織り手のように、彼女は八番の多くの枝を導いた。ここで上げ、そこで下ろし、ここで戻り、そこで止める。一か所について考えたなら、全体が歪んでしまう。見えないどこかにひとつの場所がある。時が触れることのできない場所が。誰も見ようとも思わない場所、友人の不格好な足跡をたどることさえできたなら、見つけられる場所……

『そこ』

　彼女の内に炎が吼え、視界が戻った。まさにその場所を発見したのだ――空は若木の夢のように青く、人々は武装してはいるが一切の怖れを見せていない。川は青々と流れ、木々は慈愛の果実を実らせている。そのような木の下に集まる人だかりを彼女は見た。滑らかな形の石に彼らは座し、その姿を彩る衣服は宝石のように鮮やかで、彼らの肌を太陽が温めていた。その集団を構成するのは魔道士や戦士、学者や政治家、そしてひとりの女王と数人の農夫。力強い声で、彼らは目の前のものすべてに感謝を捧げていた――海へ、空へ、そして年月に耐えてきたその大樹へ。

　彼らの中に――女王の隣に――テフェリーが立っていた。そのテフェリーには、彼女がこれまでに見たことのない安らぎがあった。彼を落ち着きが支配していた。友の幸福を壊したくはない――だが待ってはいられない。彼もわかってくれるだろう。

　思考ひとつで彼女は八番を呼び、八番はただちに応えた。探る枝がこのもつれた茨に裂け目を作った。その創造主の成長と同じほど素早く、裂け目はより大きなものへと拡大し、通り抜けられるほど大きなひとつのポータルとなった。

アート：Liiga Smilshkalne

　レンは歩けなかった。このはかない炎の姿にも、あるいは新ファイレクシアの次元壊しの幹に繋がった物理的な姿にも、脚はない。八番も歩けなかった。彼はそもそも木の魂なのだ。彼が離れてしまったなら、すべてが壊れてしまうだろう。彼女は声をあげ、起こっていることに気付いてもらえるよう願うしかなかった。

「テフェリー！」

　武器をとる音、呪文の響き、大地をこするサンダルの囁き。彼らは気付いてくれた。驚きが彼らの内に広がった――少々の警戒と勇気とともに。全員の顔が女王とその隣の男に向けられた。女王の方は、慎重すぎるほどに慎重だった。「何者だ、イフリートよ？」

　だがテフェリーは安心させるように女王の肩に手を触れた。「私の友です」彼は階段を降り、立ち止まって女王へと振り返った。「準備を終える時間はないかもしれません」

「我らが立ち向かえぬ脅威があると？ 図々しいことだ」女王が返答し、その表情が温かみを帯びた。レンは罪悪感に痛みを覚えた。これから対峙しようとしているものが何であるか、女王がわかるはずもない――だが彼らの助力が十分であるとレンは願うほかなかった。

「レン、私を見つけてくれたんだな」ポータルに近づきながらテフェリーは言った。同胞たちに囲まれていた時に彼がまとっていた優しさと魅力は、少し陰っていた。レンは表情を読むのが得意ではないが、それでも彼の懸念がわかった。「思い出を語っている時間はなさそうだね？」

　彼女の胸の内の何かが強張った。そんなにも明白に伝わるとは？ 彼女はかぶりを振った。「ああ、済まない。その時間はない。お前を……見つけ出すのは……」

「説明しなくていい。私に何ができるかを言ってくれ」

　一瞬、彼女はもはやそこにはいなかった――冷たく、暗く、何もないどこかにいた。そして戻ってきた時、彼女の胸は更に締め付けられるように感じた。「新ファイレクシアに来て欲しい。誰もが応戦しているが、相手は多すぎる上にこちらは少なすぎる。今すぐにでも奴らはこちらを圧倒してしまうだろう。私たちには偉大な英雄が必要だ」

　テフェリーの両目に映る自身の姿が見えた――炎だけで、実際の身体はない。身体が、実体が存在しないという考えに彼女は怯えたが、そもそも沢山のものが彼女を怯えさせている。そしてまだ終わってはいない。

「偉大な英雄？ 目の前にいる気がするな。私はこの場所を見つけるために何十年もかかったが、君は全く時間をかけずに成し遂げた」

「頼む」レンは声をきしませた。そのような言葉は全く自分にはふさわしくない気がした。「テフェリー、時間はない」

　彼は理解に頷いた。彼はレンの肩へ手を伸ばし、だがその先にあるのが炎だけだと思い出して手を引いた。彼は同胞たちへと振り返り――

　そして、彼女はまたも存在から消えた。またも冷たく暗く――

　一千の鞘が一千の腰に下げられ、一千の槍が鳴り、肥沃な土を靴が踏み、大気には戦歌が響き――レンの胸が締め付けられる感覚が一瞬にして喉まで上がった。軍勢ひとつが既に揃っていた。何千人という数が。ほんの一瞬前、テフェリーと話していた……この人々は一体いつ到着したのだろう？

　自分にはどれだけ時間が残っているのだろう？

　長くはない。全くもって長くはない。

　レンは目をきつく閉じた。考えろ。物理的に戦いに加わる時間が多く残されていないなら、他にできることを考えなければ。そしてファイレクシア人が数で来るのであれば――いいだろう、こちらにも数がある。敵ほど多くはないが、彼らの勇気はその鎧のように眩しく輝いている。テフェリーの民が力を貸してくれる。もし彼らを戦いに連れて行けるのなら。

　だがそれは大ごとになるだろう。この場所は木そのものの太枝の中に隠されている。テフェリーひとりを滑り込ませるのはたやすい――彼は一枚の葉に過ぎない。軍勢ひとつをそうしたなら、これまで見てきた次元すべてに彼らは絡み合い、もつれて広がる蔓の大混乱と化してしまうだろう。

　そしてテフェリーが彼女の方を向いた時、レンは自分がやるべきことを悟った。

　その間を動き、もつれを解く。自分と八番はここで同じことができるだろう――試したなら、ファイレクシアが屈するまで幾つもの次元へと力を込めて押し、そしてそのまま捨て去ることもできるかもしれない。ファイレクシアがどこへ向かうかはわからない。八番も同じくわからないようだった――彼が申し出るのはどこか暗い場所、全くもって場所などではない場所だった。

　そして自分たちふたりも、その後長くはもたないだろう。

『それは構わない』レンが言った。『少なくともお互いがいるのだから』

　八番から温かさが届いた。彼もまた、それでいいと言っているのだ。

　テフェリーが彼女たちへ――ポータルへと一歩踏み出した。

「待て」彼女は言った。「独りでは来るな。友達を連れて来て欲しい」

「レン、そのためには多大な――」テフェリーはそう言いかけ、だが彼女はそれを遮った。やめてくれと言われたなら、できなくなってしまいそうだった。

「わかっている。けれど私はやりたいのだ。頼む、できる限り沢山連れてきてくれ。私は他の方法を見つけて生き延びるつもりだ」

　テフェリーの返答はなく、だが彼の友人たちは返答した。戦士たちは彼の背後で花弁のように密集し、盾を重ね合った。その背後の空間を魔道士たちが埋め、そして――

　冷たく、暗く、場所ではない場所――

　今回は長い。とても長い。これが最後になる、違うだろうか？

　テフェリーが呼びかけを送った。何千人もが応え、ふたつが重なる間に新ファイレクシアに殺到しようと身構えた。それもすべて、彼女が再びテフェリーに接触できたため。それまでの人生がどうであれ、彼女はこれが誇らしかった。

「テフェリー、お前に会えて本当に良かった。私がどれほど残るかはわからないが、それでもお前のことは覚えていたいと願う」彼女はそう告げた。

　テフェリーの笑みは彼女の痛みを悪化させるだけだった。「私がどれほど残るかはわからないが、友達のことはずっと覚えているよ。レン。彼女自身よりもその名声が先を行く、噂に名高い英雄をね」

　視界の隅が冷たくなり、暗闇が彼女の肢を舐めた。少なくともそれは新ファイレクシアではない。ここで死ぬのであれば幸せだ、一本の肢をザルファーの地にかけて。

　レンは目を閉じ、最も上手にできることをした――成長を。

アート：Cristi Balanescu

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　ザルファーの戦士たちが集う前に開いたポータルの大きさには、山すらも恥じ入るだろう。炎に縁取られたそれは湖の水面のように滑らかで、ひとつの美と言えた――だがその内に移した映像は、全くもって美などではなかった。向こう側には金属だけが、血だけが、新ファイレクシアのぬめる黒い油だけがあった。間に合わせの防壁の背後にはほんの数人が残るのみだった。隙間の前に立ち、手元のあらゆるものを駆使して無数の軍勢と戦う男。樹の近くに倒れ込んだひとりの女性。その隣には紅蓮術師。戦士たちはよりよい武器を求めて石を投げている。金色の天使が大法務官を食い止めている――だが彼女の神々しい剣ですらも、次第に力を失っている。

　戦闘機械が壁へと迫る。一撃でそれは倒れるだろう。

　実際、敵は一撃すら必要としなかった。巨体のファイレクシア人が天使を投げつけ――そしてその威力だけで壁は砕けた。

　新ファイレクシアの軍勢が殺到し、そして困惑と恐怖に動きを止めた。丁寧な手と労わりの心で養われた、肥沃で瑞々しい土地へと繋がるポータルが彼らの前に開いていた。彼らを恐怖させたのはそれだった。そして、ポータルをくぐって現れた戦士たちと、前衛として立つ魔道士たちもまた。

　戦争へと召集されてから長い時が過ぎていた――だがザルファーは身構えていた。

(Tr. Mayuko Wakatsuki)