MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 14

サイドストーリー・イニストラード編 家族遊戯の夜

Seanan McGuire
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2023年3月22日

 

 最愛の弟へ

 どうか、私に会いにこのエンゲルトゥルムに来てくださいませ! 土は上質、そしてこの地をかつて占領していた天使たちは、死者の破壊と解体にぴったりの道具をそれはもう沢山置いて去ってしまいました。愛しいゲラルフ、あなたのような輩の作品を壊そうと急ぐあまりに、天使たちはスカーブ潰しの達人になっていたのです。あの者たちの工房を見学してはいかが? そして言うまでもありませんが、天使の不在が長いだけでなく、多くの不快なものが占拠していたため、この地は程よく不浄となっておりますのよ。ええ本当に、あなたはとても心安らぐでしょう。断言致します。

 私は愛するスレイベンを離れた後、ヘイヴングルへの定住を選択しませんでした。その事実はあなたの矜持を傷つけたと私は存じています。最愛の姉が手の届く所にいるというのに自分の無味乾燥な工業都市の門をくぐることはない、その事実には心を痛めていることでしょう! ですが不安になることはありません。私はあなたの、唯一生きている家族なのです。あなたが「研究」を優先さえしなければ、足を伸ばすことのできる距離にいるのですから。

 あなたは父様と母様を眠りにつかせるよう私に強要しましたが、そうでなければあのふたりは今もよろめき歩いてあなたを叱りつけていることでしょう。痛ましくも独創性のない、グール呼びの偽者さんを。あなたの行いは私の芸術の薄っぺらな模倣に過ぎません。単純な科学という段階を超えて、そびえ立つ芸術的霊感の域に達することは決してありません。

 真夜中の空を横切るあの白い枝は素敵な眺めですこと。格子模様の稲妻のようです。あれはあなたの仕業なのかしら? あなたもようやく天職を見つけて、死者を私に任せられるようになったのでしょうかね。

 あなたの幸せを祈ります。とはいえあなたは長いこと、不幸だけではない様々なものを拒んできました。ですので、あなたの忍耐だけを祈りましょう。あなたが築き上げたすべてが塵と化し、無へと腐敗する様を見られるほど長く生き残ることができますように。あなたが言う「才能」もいつか必ず、同じように塵と化すのですから。

 あなたが敬愛する姉、ギサより


 ギサへ

 丁寧な手紙を送って頂いて感謝に堪えない。私の研究室は二人が住むには狭すぎる、そう告げたことは後悔していない。もしそれをヘイヴングルからの追放命令だと受け取ったのであれば、それは姉上の解釈であって私の意図ではない。ここに来てくれなどと頼んだ覚えはない。私の所に転がり込んで来いなどとは一切言っていない。ジャダーを煩わせに行きたまえ。あの古き良き野蛮人は、姉上が首を突っ込めるような退屈でおぞましい物事を提供してくれるだろう。とても丁重に願うことができればの話だが。私はあの男とは違い、忙しいのだ。

 近ごろ河口に打ち上げられている死体はどれも、あらゆる縫合の試みを跳ねのけている。ルーデヴィックは私にこの現象を調査するという栄誉を与えてくれた。姉上とのおふざけにかまけている時間はない。私のことは放って、死した何かと遊んでいたまえ。

 夜空に走る線? あれらは何らかの自然現象であり、私には何も関係ない。宇宙が自ら裂けるというのであれば、それは口出しをすべきことではない。そして研究室の外で起こっている限り、私は放っておくつもりだ。姉上も同じであろうが。

 ゲラルフより


 退屈とギサ・セカーニは良い友人同士ではない。確かに両者は長年に渡って何度も行動を共にしてきた。とある午後や週末の逃避行に。しかしその出会いによって、必然的に地元住民が文字通り「逃避」することになる。ギサは高笑いを上げながら彼らの死した親戚を地面から呼び起こし、物事をより面白くするのだ。

 スレイベンは生きた人々が全員去り、全くもって退屈になってしまった。残る仲間は彼女が愛する死体だけ。ヘイヴングルも大差なかった。確かに生者は程よく沢山おり、その全員が墓に入りどき。だが彼らは些細な楽しみとばかげた科学に夢中になっており、何も楽しくなどなかった。彼女の実弟、あの可愛らしくも憎らしいゲラルフですら姉を楽しませるのではなく研究にかまけている! なぜ、あの弟が提案してきた屍戦争の不愉快な規定や諸々に同意してしまったのだろう。今も弟は製図机にかじりついたまま、自分で楽しみを見つけろと姉を放置している。

 エンゲルトゥルムは楽しかった。最愛の作品が天使の行いを汚す様を見るのは喜ばしく、さらには夜の間に汚したものを夜明けとともに太陽が苦労して浄化するので、新たな面白さが生まれる。現地の吸血鬼はジェリーヴァを怖れて手を出してはこないし、そのジェリーヴァも自分に近づこうとはしない。かつて一度遭遇した際に、ギサの心を貪ったなら何故か自らも傷を負うという強烈な印象をあの吸血鬼の魔術師に与えたためだ。

 ギサ・セカーニの影響を受けたすべてはより良くなるしかありえないというのに! 彼女は崩れかけた壁の端に座し、死した蛇を指の間に滑らせながら何かが起こるのを待っていた。蛇の皮や鱗は動くたびに剥がれ落ちていった。まるで死肉あさりの鳥のように、十分長く待てば何が起こるとでもいうように。そう、何かは常に起こる。そして私がその何かを起こしてやれる。

 忍耐はしばしばそれ自体が報いとなる。二足歩行をする小集団がシルブールリンド川からよろめいて進み出た。それらの皮膚は午後の陽光を受け、銀色にぎらついていた。ギサは立ち上がり、蛇を落とし、よく見ようと近づいた。その銀色は川の水によるものではなかった――弟の所にいるものたちのように、鋸刃のような硬い金属が所々に取り付けられて光に輝いていた。

 ギサの顔に喜びの笑みが広がった。どうやら弟が遊戯に誘ってくれているらしい!

 だがそれらの人影は歩くのではなく駆けた。そして彼女が見つめる中、一体が剣を抜いた。それはぎらついた油らしきものに輝いており、ギサが愛する無垢なグールの一体を真二つに切り裂いた。

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アート:Denis Zhbankov

 怒りと驚きにギサは唖然とした。馬鹿げた規則に従えとわめくのはあの弟の方だというのに! そして弟が定めた規則には、決められた場所と時間での対決が含まれている――遊ぶ機会ができるのならばと大目に見ていた規則。そして魔法の剣の使用も禁止しているのに!

 有毒な虹色にぎらつき、グールをやすやすと両断してしまえるような剣は明らかに魔法に属するもの。ギサは顔をしかめ、長く低く口笛を吹いた。彼女が自らの楽しみのために蘇らせた死者たちは全員、海岸の集団の方を向いた。ギサは再び口笛を吹き、進軍を開始させた。

 金属をまとうそれらは、臓器剤ではなく黒い油を流していることからスカーブではないとわかった。ギサの従順な創造物たちはそれらの四肢をもぎ取り、懸命かつ鮮やかに戦い、やがて敵は何十倍という数に圧倒されていった。

 つつかれたなら痙攣する程度にまで敵が動きを止めるのをギサは待ち、壁の背後から進み出てゆっくりと河口へ向かった。「あなたがたは招待していなくってよ」比較的損傷の少ない屍のひとつに彼女は語りかけ、そして見開いた空っぽの眼窩を睨みつけた。「けれど望むなら私の遊戯に加えてあげてもいいわ」

 彼女は口笛を吹いた。今回はむしろ鋭い音色。その屍は地面から自ら身体を起こし、彼女の軍勢に加わった。「お利口ね」ギサはそう言い、背を向けた。

 だが何かが落ちる音に彼女は再び振り向き、眉をひそめた。呼んだばかりのグールが泥の中に倒れ、動きを止めていた。ギサは再び口笛を吹き、触れそうなほど辺りの空気に濃く満ちる死の感覚に接触しようとした。だがその屍の中に、グール呼びである彼女が用いる力の痕跡は見つからなかった。グールではない。ただの死体、ただの肉。

 彼女は再び呼んだ。それは再び立ち上がり、だが自由意志に任せた途端に再び倒れた。

 少しだけ両目を大きく見開き、少しだけ心臓を高鳴らせてギサはその屍に近づくと靴の爪先でつついた。反応はなかった。このような事例は初めてだった。

 グールたちについて来るよう合図し、ギサはエンゲルトゥルムの壁の中へと撤退した。伝書鳥を呼ぶ時が来た。

 弟と話をする時が来た。


 愛しの肉裂きさんへ

 あなたの先日の言付けは非常に不愉快であり、私もここまで近くに居を構えたことを後悔し始めています。先程、滑稽で不格好なものたちが河口からふらふらと歩いてきて私の素敵な午後を台無しにしてしまいました。あれはあなたの仕業かしら? あなたがあれらの屍に何をしたのかはわかりませんが、汚らわしく不適切です。善良かつ誠実なグール呼びを拒み、私が背を向けるや否や倒れて命なき塊と化したのですから。

 可愛いゲラルフ、私が不可能だと思っていたことをあなたは成したのです。あなたは不死者を汚したのです。二度としてはなりません。

 愛をこめて(こめませんが)

 ギサより

 追伸:あの剣は卑劣ですわよ。剣を使わないと決めたのはあなたの方だというのに、今あなたは油にまみれた科学の剣で私の創造物を襲うというひどい過ちを犯しています。不作法ですわよ、ゲラルフ。全くもって不作法です。


 親愛なるギサへ

 その油に触れてはならない! ここまで長生きしてきた姉上は賢明であろう。姉上が見た油は、河口から現れた死体が運んできた汚染なのだ。先日、ルーデヴィックの古い知り合いが訪ねてきた。白髪に冷たい物腰の、現地の標準から見ても実に奇妙な男だった。ルーデヴィックと長々と議論を交わしてその男は立ち去った。そしてそのすぐ後にルーデヴィックがこの侵略者について説明してくれた。「ファイレクシア人」というのがその名であるらしい(関係ないが、ルーデヴィックはかつての弟子を訪ねてセルホフへ向かう間、私にヘイヴングルの防衛を任せてくれた)。

 あれらは私が作り出したものではない。ファイレクシアに属するものであり、イニストラードをイニストラードたらしめるすべてを破壊しようと目論んでいる。我らが輝かしき故郷を、自分たちの帝国へと続く一介の前哨地に変えようとしている。ヘイヴングルにも到達された今、あれらを阻止する手段を見つけねばならない。さもなくばすべてが、死者ですらも、失われてしまうだろう。

 我々に有利な点がひとつある――あの油はまず生きた者の心に干渉するようだ。従ってイニストラードの蘇った死者には影響しない。グールであろうとスカーブであろうと。我々は安全にファイレクシア人と戦える。そのような者は稀だ。例え一瞬であろうともあれらを味方にできる姉上の能力が羨ましいとは認めよう。どれほど几帳面に縫おうとも、私はあの油に汚れた屍を動かすことはできないのだ(そして私自身の感染を防ぐためにも、できる処置は限られている)。

 ゲラルフより


 ギサはその手紙から河口へと視線をやった。水から現れつつある死体の群れにそこは沸き立ち、脈打っていた。「ファイレクシア人」は人間や変身した狼男、もしくは愉快なあれやそれやの怪物といった、ありとあらゆる形状と大きさでやって来た。素晴らしい相手になりそうだった。

 とはいえその予想以上の数は、自分ひとりの敵にしておくべきものではない。彼女は素早く返信を殴り書きし、ゲラルフの……伝書使の脚にくくりつけた。自分は優秀で忠実なカラスの屍を使うところを、弟はこんなものを送りこんでくる。


 弟へ

 イニストラードを滅ぼそうという者がいるとすれば、それは私たちであるべきです。屍戦争の開始を提案致します。共にファイレクシアと戦い、勝者がすべてを得るのです。私が勝ったなら、ヘイヴングルを頂きます。あなたが勝ったなら、とはいえようやく私の素晴らしい力を認めたあなたが勝つなどということはありえませんが、エンゲルトゥルムを差し上げましょう。私はガヴォニーに帰ります。

 さあ、大騒ぎを起こしましょう。

 あなたの姉、ギサより


 ギサへ

 始めよう。

 ゲラルフより


 今回の戦いでゲラルフが最初に放った一斉攻撃は、ほぼギサの予想通りだった。おぞましい創造物の波がヘイヴングルの城壁を越え、街と河との間にうごめくファイレクシア人たちに迫った。その多くが三本かそれ以上の腕と、幾つかは三つかそれ以上の頭を持っていた。それらは理解を越えた怪物であり、高まる波となって一切の躊躇なくファイレクシア軍に激突した。

 エンゲルトゥルムの城壁から見つめ、ギサは頷いた。ファイレクシア軍はおおむね街だけに注意を向けており、彼女は放っておかれていた。戦いか本格化したならそれも変わるだろうと彼女は確信していたが、今のところはこうして見つめていた。

 弟には創造性がある、それは認めざるを得なかった。でこぼこの背甲をもつ亀が鷲の翼を羽ばたかせてファイレクシア人の上空へと舞い上がり、だがそれは地面に落下すると同時に爆発した。破片がファイレクシア人を穴だらけにし、油に染まった肉を粘液が食い尽くしていった。とはいえ弟が作り上げた巨体は次々と倒れていった。敵軍にぶつける混種には――あの弟にしては――非凡な創造性が見られるとはいえ、彼は人間の姿という考えにこだわりすぎている。その想像力がその限界であり、ゲラルフはいつも限界だらけだった。

 ギサは溜息をついた。参戦する時が来たのだ。そう、私が参加しない遊戯なんて遊戯ではない。大気にはイニストラードの全土の何千という死が満ち、息を吸うたびにその味を舌に感じては空に弾ける花火のように心を刺激した。そのため彼女は深呼吸をし、まるではち切れる寸前だと感じる限界まで死を自らの内に吸い込んだ。

 そして彼女は口笛を吹いた。長く低く。わずかな数であったが、生きてその音を聞いたもの達がいた。それらは震えおののき、まるで骨から肉が自ら剥がれて終わりなき死者の列に加わりたがっているように感じた。彼らの骨もしばし痙攣し、そして静まった後に自由になった。街の外壁から離れた河口のぬかるみ深くで、何かがうごめいた。

 泥の中から呼び起こしたアンデッドの月ドレイクがその雄大な姿で飛び立つと、ギサは口笛を止めてけたたましい歓喜の笑い声をあげた。その翼は穴だらけだが、皮膜の残骸は十分に体重を支えて身体を上空へと持ち上げていった。

 より平凡なグールもぬかるみから立ち上がり、挑戦のうめき声を発しながらファイレクシア軍へと進んでいった。月ドレイクはそれらの頭上を舞い、飛びながら咆哮した。

 さあゲラルフ、あれを越えてごらんなさい。

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アート:Alexey Kruglov

 ギサは満足とともに座り直して殺戮を眺めようとしたが、ファイレクシア軍の只中からもう一体の月ドレイクが現れると背筋を正した。それは管に覆われ、あの忌まわしい油を存分に滴らせていた。ゲラルフからの警告を受け取ってからというもの、彼女はずっとその物質からは距離をとっていた。弟の言葉通り、あの油は彼女が愛する死者には干渉しない。だがそれでもあらゆるものに入り込んでは戦いの詳細を曖昧にしてしまう。あるいはもっと重要なことに、その油の痕跡を示す生物はもはや自衛本能を見せず、ファイレクシアのために喜んで死ぬのだった。彼女のグールたちが彼女のために二度目の死を受け入れるのと同じく。

 だからこそ、ファイレクシアの玩具は手に入らないのかもしれない。あれらはアンデッドとしてのひとつの姿であり、ゲラルフやその同輩の縫い師たちがスカーブを起こすために用いる不快な液体と同じように、あの油のせいで再びの生を与えることができないのだ。とはいえあれらが何であろうと、スカーブよりはまだ使える。壊れたスカーブは永久に壊れたままであり、どれほど呼びかけ、宥めたとしても再び立たせることはできない。壊れたファイレクシア人は少なくとも使える。使う価値以上の労力を必要とはするが。

 ファイレクシア軍とグールたちの戦線が衝突し、月ドレイク同士もぶつかり合った。敵軍の月ドレイクは尖った金属の歯を生やしており、彼女の造物の腹を切り開くと腐敗した中身を眼下の戦士たちへと投げ捨て、それらを湿って汚れた塊に変えた。不意に重量を失ったギサの月ドレイクはもう一体の数フィート上空に飛翔すると勢いよく襲いかかり、敵の喉元に噛みついた。

 ファイレクシアの月ドレイクはそれを振りほどこうとしたが、上をとるギサの月ドレイクが優勢であり、やがて二体は地面に墜落した。彼女のドレイクは相手の頭を鮮やかに落とすと、自らの四本肢と尻尾を振り回して乱戦に突入した。その翼は修復不能なほどに破れてしまったが、ファイレクシア軍に上空の防衛の一部を消費させることはできた。事実、相手はあの月ドレイクをゲラルフの空飛ぶ亀に対して用いなかったのだ。つまり元々は月ドレイクを使う作戦を立てていたところを、彼女がそれを防いだということになるだろう。

 得意の笑みを浮かべ、ギサはグールたちを敵軍深くへと進めた。損失のひとつひとつも、彼女にとっては敵の肢をもぎ取るための穏当な対価だった。頭部を失ったファイレクシア人は、その思考中枢を身体の他の部分に移動しない限り動きを止める傾向にあると彼女は気付いた。あるものは胸の中に顔が埋め込まれており、より効率的な内臓の配置をほのめかしていた。そのため彼女はグールへと口笛を吹き、身体を制御している神経が存在すると彼女が想定した箇所を狙うよう指示を出した。無力化させることも、殺すことと同じほど効果があった。

 ファイレクシア人たちは斃れた仲間について、彼女のグールと同様にほとんど気にかけなかった。ありがたいことに、ひとたび倒れた死体は多くがそのまま放置されていた。だが時に彼らは比較的損傷の少ない死体を持ち去り、その残骸から新たなファイレクシア人を構築しようとしていた。まるで彼女の弟の真似をしたがっているかのように。それは宜しくない上に不適切で、許されるものではない。

 そしてそのすべてが進行しているだけでなく、新たなファイレクシア人もまた次々と河口からやって来ていた。彼女がそれらに顔をしかめた時、エンゲルトゥルム周囲の見張りをさせていたゾンビの海鳶が怒れる警告を大声で発した。ギサは振り返ってそちらを見つめた。

 更なるファイレクシア人たちが陸路で近づいてきていた。そして河口と街の間にうごめく者たちはともかく、それらが彼女の要塞を無視する可能性は低そうに思えた。この第二波の進行方向にはエンゲルトゥルムがあった。

「三方向と言いましたのに四方向?」彼女は立ち上がり、怒りを露わにした。「ファイレクシア人は作法がなっていません! 反則ですわよ!」

 そして侵略軍へとグールたちを進ませた。


 ヘイヴングルの壁の内にて。ゲラルフは縫合したことのないものを縫合し、手術台に死体を叩きつけ、これは芸術的創造ではなく組み立てであると示すような速度でそれらの間を行き来していた。特に損傷の激しい死体をひっくり返し、ファイレクシアの油に汚染された兆候を探す際には手袋の手が震えた。自分だけのこの場所で、姉が決して知らない場所で、彼はギサの技がこの単一の点で自分よりも優れていると認めていた――姉は、自らの手を汚したくない場合は、そうする必要などないのだ。確かに姉はしばしば手を汚すことを嫌うが、今回の遊戯においては命の危険にさらされる機会は姉の方が少ない。スカーブたちには汚染された死体を避けるよう厳しく指示してあるものの、それらの腐敗した脳でできる状態確認は限られている。作業のほとんどは今なお彼の手に委ねられていた。

 少なくとも、屍は豊富にある。ファイレクシア兵に殺害されても、その死体が必ず汚染されるというわけではない。そしてスカーブたちが素材を持ち込んでくる速度は彼の縫合速度を上回るかに思えた。屍の縫合はスカーブ製作の中でも最も長い時間を占めるものであり、彼は他者の縫合を信頼してはおらず、そして生きている助手は……既に全員がいなくなってしまっていた。

 ひとたび死体の各部位が正しく縫合されたなら創造物の中でも重要な部位に拘束具を取り付け、再びの生命が与えられた際に各部位の提供者が他と強引に離れてしまうのを防ぐ。そして既存の血管から血と膿を抜くために通した管を用いて臓器剤を注入する。

 それを進める間にも、彼は既に次に並ぶ死体や死体の塊へと移動しては針に手を伸ばし、あるいはそれを目覚めさせる静かなる言葉の詠唱を始めた。通常であればその次に教育と指示を行うが、今は時間がなかった。スカーブは新たな生を得て目覚めるや否や、周囲の世界に対する困惑と無知の中で武装を与えられ、ファイレクシアとは何でありどのように壊すのかという基本的な情報を教え込まれただけで街を守るために送り出されていた。

 いや、街の残骸を守るために。ファイレクシア軍は街の門を突破したに違いなく、研究室の外であがる悲鳴は次第にまばらになっていった。自分が作業にあたっている間にヘイヴングルの人口は著しく減少しているのではないか、そう彼は訝しんだ。研究室が無事である限りは作業を続けることができる。そしてルーデヴィックの英知のおかげでここには非常に多くの隠し通路や秘密の出口が存在し、ファイレクシアに自分の居場所を知られることなくスカーブを送り出すことができていた。

 あるいは、知られていないと願った。

 別の手術台へと移動したその時、隠し通路に通じる最も大きな扉が勢いよく開いた。そして素材集めに向かわせていたスカーブの一団が巨大な獣を半ば運び、半ば引きずって入ってきた。ゲラルフは瞬きをした。

「一番大きな台に置いてくれ」


 その轟く咆哮が街の方角から上がった時、ギサはエンゲルトゥルムの外壁からファイレクシア兵を引きはがすためにグールの一団を指揮していた。彼女は振り返った。ファイレクシア軍も。簡単には気を散らされない彼女のグールたちは攻撃を続け、敵軍の内へと力強く入り込んでいた。

 高くそびえ立つ獣がヘイヴングルの外壁から進み出た。山羊の分厚い頭蓋骨から広げた掌のような枝角が生えており、その隙間には苔と皮膜が張られていた。長く頑丈な脚には熊の死体らしきもの丸々ひとつと数本のピストンで強化されていた。

 今回は翼こそなかったが、弟の力作のひとつとしてはそれなりに印象的といえた。巨体のビヒモスがファイレクシア兵を踏み潰しはじめると、ギサは手を叩いて笑い声をあげた。ゲラルフのスカーブたちは一体どこであれを発見してのけたのだろうか? ガヴォニーとケッシグの境となっている森で時々目撃される生物のように思えたが、これほど海に近い場所で見たことはなかった。

 街からそんなにも遠くまで死体あさりを送り込んでいるのだとしたら、弟は原材料不足に陥っているに違いない。いいでしょう。あの無価値な肉いじりが戦場で最も大きなおもちゃを操っているなどという現状は許せるものではない。石の上に断固として立ち、ギサは傷ついたイニストラードのエネルギーの奥深くへと手を伸ばすと死を自らへと引き寄せた。血管が歌い血がたぎるまで、周囲何マイルものすべての死者と死にゆくものを感じるまで。そうして生者の世界に逆らう力で武装し、彼女は呼びかけを開始した。

 今回は口笛ではない――喉を枯らすような全力の歌声。死の先へと訴えかける嘆き。彼女はひたすらに声をあげ、発見しうる最大の獲物を求め、そしてその探求はシルブールリンド河口の底の泥に埋もれた、恐ろしくも巨大なキチン質の何かをかすめた。それは死してしばしの時が経過しており、力強い流れに洗われていたが、彼女の歌に反応できるほどには新鮮だった。水面下で何かが身動きをした。

 憤怒の咆哮をあげ、九組の残忍な鉤爪を鳴らし、ギサの新たな恐怖の遊び道具が河口の底から立ち上がり、棘の生えた鋭い脚の列また列をうならせて陸地へと進んだ。それは巨大カニの鋏とクラーケンの触手、そしてザリガニの甲殻がおぞましく結合した生物で、水の上では決して見ることなどできないものだった。ゲラルフの巨獣に対峙していないファイレクシア人たちはこの新たな脅威へと向き直った。これを倒せなければ戦いに負ける可能性がある、そう認識したのだ。エンゲルトゥルムを突破しようとしていたものたちは未だ好戦的なグールを引きはがし、仲間の戦いに加わるべく移動するとその死体とヘイヴングルとの間に大軍を形成した。

 ギサは息を切らした。かなりの奮闘に身体から力が抜けた。彼女は椅子に身体を沈め、装甲をまとう巨獣にファイレクシア軍が激突する様を見て笑い声をあげた。敵は突き刺し、切り裂き、引きちぎり、ぎらつく剣を振るった。あるいは油が滴るサソリの尾や鉤爪を打ちつけた。ギサの新たなお気に入りの玩具はそれらを真二つに折り、鋏を用いてファイレクシア人の胴体を切り裂いた。相手の首周りを狙う正確性はないものの、そこは彼女のグールたちが歩き回る敵の首を落とし、壊し、片付けていった。

 街の外壁に取りついていた敵軍はゲラルフのビヒモスの足元に群がっていた。地を震わせる最期の咆哮をあげ、ビヒモスは轟音を立てて倒れた。数体のファイレクシア人が巨体の下敷きになった。仲間たちは彼らを助け出そうと無益な努力をしたが、やがて諦めてギサの巨獣との戦いに加わった。

 その恐ろしい海の怪物は敵を切断し続けたが、甲殻をまとう脚が弱点だった。細いそれらは陸上での移動には適していないため敏捷性を発揮できず、関節は攻撃に対して無防備だった。ファイレクシア人たちは脚への攻撃を始めた。

 ギサの笑い声が止まった。

 ファイレクシア軍が巨獣の脚を叩き切っていく様を彼女は睨みつけた。やがてそれはゲラルフの巨獣と同じように倒れ、巨体の頭部は街の一部を叩き潰した。ギサは既に疲弊していたが、今一度口笛を吹いてずっと平凡なグールの群れを呼び寄せると自身の要塞の守りにあたらせた。

 互いの本拠地で攻撃を行ってはならない。ゲラルフが定めたこの馬鹿げた規則は、結局のところ然程馬鹿げてはいなかったのかもしれない。


 ギサへ

 我が最愛の姉よ。この新たな恐るべき敵の動きは速すぎる。力を合わせない限り、資源は尽きてしまうだろう。私の技術によって屍を破壊したときは姉上がそれを活用しているように、ファイレクシアが破壊した屍は私が活用できる。そして我々ふたりがよく知るように、姉上が捨てた死体であれば私はそれを活用することができる。だがそのためには、姉上に所有権を放棄して頂く必要がある。

 我がスカーブたちは既に外壁から我々の最大の功績を回収する準備を整えている。そしてその区域のファイレクシア人へと両軍を集中させたなら、大規模な損失を出すことなくやり遂げてくれると私は信じている。姉上の巨大なザリガニを私へと任せてくれるだけで良いのだ。そうすれば戦いの趨勢は我々の方へと傾くだろう。

 ゲラルフより


 自らの巨獣を失って不機嫌になっていたギサは、喜び勇んで激怒した。激怒のままにゲラルフの手紙を壁の向こうに投げ捨て、それは眼下の戦場へと落ちていった。さらには手紙を運んできたスカーブをばらばらに切り裂いたが、それでも十分ではなかった。彼女は激怒に任せ、手紙を追わせるように力の限りに石を何度も投げつけた。

 悲しいことに、そして子供時代とは異なり、癇癪から得られるものは何もなかった。ただ喉が痛くなり、完璧な伝書使を壊し、数体のファイレクシア人の注意を引いただけだった。ギサは近くにいたグールの一団へと口笛を吹き、敵が壁を登る前に攻撃へと向かわせた。そして手紙道具の一式を掴んだ。ゲラルフの必然的な降参にいつでも優雅に返信できるよう、常に手元に置いていたもの。

 ファイレクシア軍から逃げる手段もなく屍が尽きるよりは、あの弟に壊れたおもちゃを修理させる方がまだましだ。あれらが何であるかはともかく、彼女はその一員になりたくはなかった。自分は、死んだなら正当な方法で墓から蘇るのだ。セカーニ家の者たちがそうしてきたように。


 親愛なる最愛の軟骨食らいの忌まわしき弟へ

 私のザリガニはひどく破損してしまいました。あなたでもあれ以上悪くはできないでしょう。あなたの作品が研究室に引きずって行けるというなら勝手にしなさい。ですがこれは貸しですからね!

 ギサより


 ゲラルフは返信することなくスカーブを死骸の回収に向かわせた。それらは巨獣たちを引きずったまま壁を越え、数軒の家と普段であれば市場や集会に用いられる広場へと続く数本の街路を潰しながら戻ってきた。

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アート:Igor Kieryluk

 この作戦の問題点は、研究室にその二体が収容できないということだった。一体を中に入れ、再び出すだけでも相当な苦労を要していた。科学史における最高の偉業を成し遂げるためには、自らが攻撃にさらされるとしても表に出なければならなかった。

 大型のスカーブ数体が、研究室の外で必要になる機器を既に持ち出していた。そして掃討隊が近くのファイレクシア軍を追い払っていた――だが追い払った中には不幸にも、ルーデヴィックが選りすぐった後に手に入れようと彼が目をつけていた数人の地元民が含まれていた。そう、今や彼らは多くの他の住民と同じく台無しになってしまった。だが彼の創造物が今一度立ち上がったなら、何も問題ではなくなる。

 ひとたびこれを成し遂げたなら、彼は史上最高の縫い師として広く認められるだろう。巨獣のキチン質の甲殻を縫うために必要となる穿孔機を掴み、ゲラルフはにやりと笑って作業に取りかかった。

 これは最高傑作になるだろう。最も偉大かつ最も恐ろしい作品に。そしてそれが立ち上がった時、イニストラードのすべてが彼の名を知ることになるのだ。


 ギサは必死に口笛を吹き続けた。倒れたファイレクシア人を支配し、たとえ短い間であってもかつての仲間と戦わせ、素直な屍を探すための時間を稼いだ。素直な屍、今やそれらはほとんど見られなかった。無尽蔵にも思えたネファリアの死者は、そう、枯渇しつつあった。まもなく彼女の軍は壊滅する。そしてゲラルフの作品の群れは全力で防衛線を保とうとしているというのに、あの無能な弟は彼女からの返信を受け取るや否や戦いへの補充を一切止めてしまった。つまらない実験に夢中になっているのは間違いない。姉がどれほど切迫しているかも気にせず、姉がどれほど困っているかも気にせず、姉がファイレクシア人に蹂躙されようとしている事実も――

 分厚い泥の中を浮かび上がってくるようなゴボゴボという深い音を伴い、聞き覚えのある、大地を震わせるような咆哮がヘイヴングルの壁の向こうで上がった。ギサは振り向き、しばし戦いから目を離した。ビヒモスと水棲の悪夢を融合させた、言語に絶する怪物が街から立ち上がる様が見えた。それは鉤爪を打ち鳴らし、枝角を突き刺そうと身構えた。

 新たな脚は以前よりも長くなっており、やすやすと外壁を越えてファイレクシア軍へと突撃した。鋭い鉤爪がファイレクシア人たちを次々と真二つに裂き、死骸が地面に散った。ひづめが迅速に敵を踏み潰し、再び立ち上がれないほどに破壊した。ギサの口笛で戦いに戻ってきたグールがそれらの首を落として戦いという重荷から解放してやる必要すらなかった。

 彼女の防壁に迫っていたファイレクシア軍は急いで反撃しようとしたが遅すぎた。ギサは口笛を吹き、ゲラルフは声をあげて笑い、最後に残った敵軍が悲鳴をあげて死者の波の前に倒れる様を見つめた。


 言うまでもなく、そのかがり火はギサの案だった。スカーブは悪名高いほど燃えやすく、一方で彼女のグールの可燃性は生者と大差ない。それでも、ファイレクシア人の死骸をどうにかする必要があった。それらはきちんとした屍術的目的に全くそぐわないのだ。姉弟はヘイヴングルの外壁に座し、自分たちの創造物が炎を上げる様を見ながら束の間の平和を楽しんでいた。

 そしてゲラルフがそれを壊しにかかった。

「寂しくなりますよ、姉上」

「寂しくなる? 何故あなたが寂しくなるのです?」

 炎を見つめたままゲラルフは肩をすくめた。「何故かって、それは姉上がガヴォニーへと戻られるからでしょう。覚えておられますか、我々の合意内容を。私が勝利したなら、姉上はエンゲルトゥルムを引き渡して去ると」

「私がおもちゃを与えてあげなければ勝てなかったでしょう! それを勝利とは呼べません。私は何処へも行きませんわよ」

「姉上の玩具ですか? 戦いが終わると即座に倒れたあれがそんなにも重要だと仰るのですか?」

 新たな脚を得てもなお、あの巨獣は陸上での行動に適していなかった。戦いが終わるや否や崩れ落ち、ゲラルフですら修復は不可能だった。

「私たちのどちらも勝利してはいません」ギサはそう言い放った。

 ヘイヴングルの生存者たちが家の中に縮こまる一方、ふたりは口喧嘩を続けた。河口の外に広がる平原に不死者の軍勢が陣取り、永遠に続く戦いを再開しようとしていた。

 ファイレクシアはあらゆるものを変えてしまうが、彼らですら変えることのできないものがあるのだ。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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