MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 10

メインストーリー第10話 命の律動

K. Arsenault Rivera
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2023年3月28日

 

 神河にて。街の瓦礫の塵にまみれ、ひとりの少年が帰宅した。その眼差しはこれまでの彼とは異なっていた――子供らしい目の輝きはもはやなかった。物事は変わってしまった。

 彼の母は変わってしまった。

 彼女の声を聞いた瞬間、姿を見た瞬間、少年の父はそれを察した。妻の身体は失われ、呼吸の真似事に合わせて輝く文字の繋がりに置き換わっていた。一体の霊が息子の手を握りしめ、彼の前に浮かんでいた。

 それでも、それは紛れもなく彼女だった。

 父には多くの願いがある。息子にも。だがふたりが共有する願いは、家族がずっと一緒にいられるようにという願いだった。

 運命は多くのものを奪った――だがその願いは奪わなかった。

 父は家族を抱擁した。母は帰宅したのだ。少年は弱弱しく、だが幸せに、その只中に立っていた。


 カルドハイムにて。徴用した船の舷縁にひとりのエルフが立っていた。彼は目の前に荒れ狂う海を見つめ、指折り数えて待っていた。最後に弟の姿を見てからどれほどの時間が経ったのだろう?

 百が過ぎた。二百が過ぎた。

 あの蛇が弟を引きずり込んでから、どれほどの時間が経ったのだろう?

 二百五十。

 周囲の戦いは奇跡のように止んでいた。そこかしこに騒々しい歓声が上がり、音楽が鳴り響き、苦しい戦いの果てに得た勝利を仲間たちは喜んでいた。

 だがヘラルドの耳は海だけに向けられていた。

 三百。

 諦めるまで、どれほど待てばいいのだろう?

 タイヴァーが兄を諦めるとしたら、どれほど待つのだろう?

 その答えは決して出ない。そしてヘラルドが三百十三を数えた時、蛇の膨れた頭にしがみついてタイヴァー・ケルが水面から飛び出した。普段通りの笑みを浮かべ、彼は蛇の鱗を掌で叩いた。「見て頂けただろうか、兄上? 兄上といえど、これに勝る戦果は挙げられまい!」

 自分が到底敵わない自慢を聞いた際、ヘラルドはあまり歓声を上げることはない――だが今日だけは別だ。


 カラデシュにて、ある母親が死へと身構えていた。どんな希望が残っているというのだろう? 武器は、飛行機の残骸から引き抜いた長い金属片が一本だけ。霊気貯蔵器上空の砲座にてファイレクシア兵に取り囲まれ、彼女に逃げ場はなかった。金属の刃の回転音が彼女の死を予告する――けれど自分が落ちると同時に敵を突き落とすことができれば霊気貯蔵器は少しの間は無事でいられるかもしれない。

 彼女は息を吸い、一歩を踏み出した。衝突の苦痛に身構え――そして回転鋸が停止する様を見た。

 兵士たちは小枝の山のように崩れ、金属の肢が砲座から落ちていった。

 ピアの胸中に希望が花開いた。ギラプールの至る所で同じことが起こっていた。ファイレクシア人が次々と落ちていく。あるものはその場で停止し、あるものはばらばらに崩れて。完成化されていた者たちも、昏睡状態に陥ったかのように地面に倒れた。遠くでは彼らの戦艦が空から墜落しようとしていた。

 勝ったのだ。

 ピア・ナラーはその仕組みについて確信は持てなかった。何故このようなことが起こったのかはわからない、とはいえサヒーリが後で説明してくれるだろう。彼女にわかるのは――そしてずっとわかっていたのは――娘がやってくれたと信じていいということだった。

 霊気貯蔵器の上空にて、ピアはチャンドラへと感謝を呟いた。


 太鼓は多くのものを伝える。ある律動は市場で売られる最新の商品の物語を伝える。新たな家族の誕生を伝える律動、あるいは古老の死を知らせる律動。太鼓が語るものは壮大な距離を運ばれてゆく。別の共同体の鼓手はそれを聞いて自分たちの所へその知らせを持ち帰り、それがどこから来たのかを仰々しく伝える。何世紀もの間、ザルファー人はそうしてきた――ぴんと張られた革と彼らの掌が語るものは、たちまち次元の全土にて鳴り響くのだ。

 そしてこの日、太鼓が語るのは簡素なものだった。歓喜を。

 そこかしこで太鼓が呼びかける。そこかしこで律動がザルファー人の胸を満たし、その喜びの理由を伝える。ファイレクシアは打ち負かされ、時の彼方に葬り去られた。ザルファーは多くの次元の間に新たな居場所を見つけた。かつてのように訪問者を楽しませるであろう場所に。

 ザルファー自身の放蕩息子、テフェリーのような訪問者を。

 テフェリーの耳にも太鼓の音は届いていた。それを聞いて笑みをこらえるのは困難だった。それはほんの数百ヤード先で鳴らされていた――数百年の間に忘れてしまっていたかもしれない、律動に満ちた故郷の言葉。だがそうではなく、草深い丘に立ってそれを完璧に理解できるのは、何という安堵だろうか。すべての音が、彼はここの一員であると告げていた。

 今日でなければ、それは真実だと感じるかもしれない。だが今日は。

 今日の話はもっと複雑だった。ザルファーの人々が勝利を祝う一方で、テフェリーは失ったものを悼んでいた。

 レンにふさわしい場所を見つけるために彼はほぼ二日間を費やした。探しながら、テフェリーは彼女がどのようなものを好んだのだろうかと想像を巡らせた。バオバブの古木の中、大きな木陰に守られて育つのを好んだだろうか? アフィヤはどうだろう――あの木はよく密集して生えるからお喋りだろうか? まっすぐで揺るぎないマルーラの木を称賛しただろうか。それとも、しなやかで神秘的なイチイに興味を持っただろうか? ザルファーにはそれらすべてと、更に多種多様な樹木が生えている。多元宇宙を救った女性に対する感謝と賛辞の証として、最もふさわしいものはどれだろうか?

 二日目の昼、彼はずっと間違った探し方をしていたと気付いた。物事の詳細を悩むのではない、それが答え。

 ドングリを手に、友を思いながら、ここがそうだと感じるまで彼は歩き続けた。

 そうして彼はこの場所、草が生い茂る、街を見下ろす丘に辿り着いた。歌が届くであろう距離に数本のオーク樹が伸びており、ここからなら彼女は街のあらゆるものを見渡せるだろう。そして成長したなら、好きな場所へと歩いて行けばいい。ザルファーは彼女を歓迎するだろう。

 テフェリーは地面を掘った。温かな大地、肥沃な黒い土。彼はその小さな空間にドングリを横たえ、土をかぶせ、彼が持つ瓢箪から水を捧げた。そして小さな土の山の隣に腰を下ろし、溜息をついた。

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アート:Gaboleps

「きっと気に入ってくれると思うよ。ああ、この音楽をね」

 土の山は何も言わない。

「そうだな、私も加わるべきなんだろう。だがまずは君をきちんと植えてあげたかったんだ」

 テフェリーが見下ろす先、村では笛吹きたちが姿を現した。彼らもまた炎を囲んで踊りはじめた。テフェリーはその光景をしばし眺めた――技術よりも活気が勝る若者たち、穏やかに寄り添う配偶者同士、踊り方を知らないミラディン人たちとそれを教える子供たち。誰が見てもそれは美しい光景だった。

「私はこの時を数百年間待っていた。もう少し待たせても誰も傷つきはしないよ。それに、君には重ねて感謝を告げたかった。君がしてくれた全てに。それは……」テフェリーは後頭部を手で撫でた。「誤解しないでくれ。私は感謝しているんだ、今まで生きてきて一番、何よりも。けれどまた友を失うというのは、辛いんだよ」

 炎を囲む人々に目をやると、知る顔が沢山あった。以前は、その村の全員を知っていた。彼らの母親も、父親も、誰の作る料理が最高で、誰の作る料理がこっそり家畜にあげた方が良いかも知っていた。

 彼らと離れて長年を過ごしてきた。何世紀という年月を。だが彼らにとって、テフェリーが離れていたのはほんの短い間に過ぎない。同胞が彼と共に渡ることのない橋が、彼らが決して理解できない物事がある。だが家族であっても、互いを完璧に理解し合うことは滅多にないものだ。

 この場所は――故郷であり、そうではない。再び学ばなければいけない故郷。

 そして、再び作らなければいけない友人たち。

 ファイレクシアとの戦争の後、それは不可能な務めのように感じられた。

 テフェリーは天を仰いだ。「皆あそこにいるのはわかっている。それに……ああ。私も行って話すべきだとわかっているよ。皆がどうしているかを確認しなければ」

 太鼓の音だけがそれに応えた。テフェリーは目を閉じ、しばしそのまま開かずにいた。代わりに彼は片方の掌を土にあて、心からそれを感じようと努めた。少しだけ湿り気を帯びた感触を、草を引き抜いた時の感覚を、その下の土の軽い弾力を。遠くから笑い声が届いた。誰かが、きっとミラディン人のひとりが、笛の吹き方を尋ねているのだ。数秒して甲高い音が全員を驚かせ――けれど更なる笑いが続いた。炎が爆ぜる音、肌を撫でる風、清水を飲むような冷たい月明りの空気……彼の過ちすべてが正されていた。

 目の端を刺すような感覚があった。圧迫してくるものが。

 少しの間、テフェリーは自らに涙を許した。テフェリー自身と失った年月への涙、カーンと彼が失った過去への涙、ニッサとアジャニへの涙、そしてファイレクシアが斃れても、目を覚まさないかもしれない者たちへの涙を。

 そして何よりも、炎の傍での踊りに加われない者たちへの涙を。

 涙が止まったのは真夜中のことだった。月は頭上高くに輝き、踊りは終わって人々は物語を交換し合い、彼の居場所からは聞こえない何かを語り合っていた。とあるミラディン人の語りへと、ザルファー人たちが耳を傾けていた。緑がかった皮膚を炎が金色に染め、遠くを見つめるその両目には痛みがあった。スラーン、彼はそう呼ばれていた。戦いが終わってからというもの、毎日メリーラの様子を尋ねていた。

 全員がこの先何年にも渡って、自由の対価を払うことになるのだろう。テフェリーも含めて。そろそろ、皆のところへ向かわねばならない。

 テフェリーは土の山をもう一度、恭しく叩いた。「付き合ってくれてありがとう。次は友達を連れてくるよ」

 歩き始めたなら、目的地までは長くはかからなかった。その場所、治療院に踊る者の姿はなかった。あるはずがない。テフェリーが少年だった頃、この治療院がこんなにも溢れることはなかった。寝台は建物の周囲にまで溢れ、更には木の大枝から間に合わせの寝台が作られて衰弱した人々が寝かされていた。治療師たちが巣の中の蜂のように忙しく動き回っていた。ここでは死にゆく者たちの嘆きが哀歌となり、喜びに満ちた律動に逆らっていた。

 テフェリーはそのすべてから目をそむけはしなかった。この戦いの結果がようやく訪れたのだ。もし今目をそむけたなら、この戦争を勝たせてくれたすべての人々に仇をなすことになる。友人たちの姿を探しながらも、テフェリーは時間をとって数人のもとを訪れ、回復を願った。そしてどこかで彼にできることを見つけた時は、職務に勤しむ治療師たちに手を貸した。

 やがてテフェリーは治療院の建物に入った。カーン、コス、そして他の者たちの姿はすぐにわかった――彼らはひとつの区画に隔離されていた。今は夜だが、頭上には新たな太陽が幾つも輝いている。そして朝になれば頭上に日よけが張られ、自分たちは涼しい日陰の中に入る。カーンはそれをどう感じるのだろうかとテフェリーは訝しんだ、彼が違和感を覚えるのであれば。

「……おとぎ話じゃないのよ。すがるのはやめないと」

 ああ――ケイヤの声。いつのまにか到着していたに違いない。隔離区画へ続く通路の角を曲がりながら、テフェリーは最悪の知らせへと身構えた。

「方法はあるはずよ。あることはわかってるの。それを見つければいいだけでしょ? 悪くなってるようには見えないし、だから大丈夫のはずよ」

「目が覚めたならどうするの?」

 テフェリーが入ってきた時、部屋の空気は弓の弦のように張りつめていた。全員の目が一斉に彼へと向けられた。カーン、コス、チャンドラ、そしてケイヤも。だが部屋にはもうふたりがいた。ニッサとアジャニがそれぞれ寝台に横たえられていた。チャンドラはニッサの手を握りしめていた――新ファイレクシアから戻って来てから、彼女はそこを動いていなかった。コスとカーンは治療師たちと協力し、ニッサからファイレクシアの金属を可能な限り取り除いていた。だがその姿を見るに、幾らかはこの先も残ってしまうだろう。その隣のアジャニは新しい光景だった。彼の身体からはまだ何も取り除かれてはいなかった。

 ふたりは呼吸と時折瞼を引きつらせるだけで、動きはなかった。自分たちの推測と、短い時間ではあったが立ち寄ってくれたサヒーリの知識に助けられ、テフェリーたちはその理由を理解したとは思っていた。レンは多元宇宙における新ファイレクシアとザルファーの位置を入れ替えた。つまり、新ファイレクシアは誰の手も届かないどこかに追放されたのだ。

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アート:Anato Finnstark

「あなたが新ファイレクシアだと想像してみて。短い間に、何千という人たちを完成させたい。その全員と連絡をとり続けるための最良の方法は何?」

「信号みたいなものとか」ケイヤが返答した。「彼らだけに聞こえる呼びかけか」

 サヒーリは頷いた。「まさしく。けれどその信号を送るためには何を使えばいい? すべてのファイレクシア人をひとつにまとめているものは何?」

「油?」チャンドラが思い切って答えた。

「その通り。だから彼らは熱心に油を広めようとしていたのかも――まず彼らが拡散していた信号を増幅するために。ファイレクシアが多元宇宙から離れた今、その信号は届かなくなった。油は次の命令を受け取ろうとし続けてはいるけれど、何も来ない。それは何故かっていうと、ええ、研究に値する仮説は沢山あるわね。けど専門家としての私の見解は、すべてはノーンに繋がっていた……ってことかな。それほどの規模の誇大妄想狂なら、他の誰かに軍隊を支配されたくはないでしょう。命令を送ることができるのはノーンだけだったんじゃないかなと。それだけじゃなく、油はノーンなしでは不活性化する。自分の手から離れてしまったなら、競争相手に支配力を奪われたくはないわよね? だから、ノーンがいなくなったなら……」

「油の影響を受けた者は、永遠に眠り続けるかもしれない」コスが言った。

「目覚めるかもしれない」チャンドラが続けた。何よりも自分自身を納得させようとするかのように。「一番いいのは待つことよ」

 それが数日前のことだった。そしてサヒーリはカラデシュの再建のために出発した。残る彼らは? 待ち続けていた。

 無論、全員が仮死状態でかろうじて逃げ延びられるほど幸運ではなかった。メリーラもこの治療院にいた。テフェリーは入室すると同時に彼女へ頷きかけ――だがメリーラの方に頷き返す力はほとんど残っていなかった。治療師たちは腐敗臭を隠すために全力を尽くしていたが、それでもありありと感じ取れた。メリーラの胸の傷は悪化してしまっていた。そして冷たく湿った皮膚と濁った両目の様子から、長くはもたないと思われた。コスが彼女の隣に付き添っていた。

 テフェリーはこの場の全員へと苦しい怒りを覚えた。メリーラがこんな状態だというのに、後回しにしても構わない議論をしている。だがありがたいことに、彼が入ってくるとそれは止まった。「ケイヤ、その話は後でもできる」テフェリーはそう言い、小さな椀を取り上げてメリーラのために水を注いだ。それをコスに手渡すと、彼はメリーラが飲むのを助けた。「今夜は――私たち全員がこうしてここにいることに感謝をしよう」

「そうね」ケイヤが言った。「ごめんなさい」

 コスがそれに続いた。「戦争で、全員の気が立ったままなんだ。それにお前も間違ってはいない――この二人をどうするか決めないといけない。だが……それは今夜じゃない方がいいだろうな」

「何かいい知らせはないの?」チャンドラが尋ねた。とても彼女らしい――短気で怒りやすく、だが同じくすぐに許し、忘れてくれる。

「幾つかね」ケイヤが答えた。「状況は落ち着きつつあるわ。色々な所へ行ったけど、みんなようやく安心し始めたってところ。リリアナは大丈夫だし、ビビアンも。タイヴァーは私たち全員が死んでしばらく経ったら、ファイレクシアの海蛇を倒したことを自慢するつもりですって。魁渡は放浪者に手を貸して神河の再建を始めてる。ジェイスとヴラスカは今も消息不明だけど、あのふたりに関して私は心配してないわ」

 そこから会話が始まった。チャンドラには無数ともいえる疑問があったが、口に出せたのはそのごく一部だった。ケイヤは仲直りのしるしのように、質問には何でも喜んで答えた。

 だがそれは彼らだけの会話。新ファイレクシアという牢獄で人生を過ごしてきたメリーラに、遠いどこかの次元の話はほとんど意味を持たない。「何か私にできることはあるかい?」テフェリーは彼女に尋ねた。

 驚いたことに、彼女は弱弱しい笑みを向けた。「少し変なこと、ですが」

「私はとても変だと言われるからね」テフェリーはそう返答した。コスが鋭い視線で彼を見たが、病人にとって笑いというものは重要であるとテフェリーは知っていた――そしてメリーラは小さく笑った。

「ある意味、その……そんなふうな」メリーラが言った。「テフェリーさんが来てくれるのを願っていました。お願いがあるんです」

 テフェリーは彼女の手をとった。「私にできることであれば何でも。言ってくれ」

 さびついた風見鶏のように、メリーラはゆっくりと首を動かした。その濁った両目がカーンをとらえた。「彼を呼んでもらってもいいですか?」

 その必要はなかった。カーンには聞こえており、彼は重々しく近づいた。その様子に、今の自分たちはザルファーでも最も惨めな存在かもしれないとテフェリーは感じた。罪悪感が喉を詰まらせ、両目を焼いている。できるのは仲間のひとりを連れてくることだけ。

 だが少なくとも、メリーラがその沈黙を破った。声は小さいながらも、彼女の言葉は稲妻のように眩しく明瞭だった。「その……ふたりを元に戻す方法があるかもしれません」

 コスが顔をしかめた。「メリーラ、そいつらはもう失われたんだ」

「全てが失われたわけではありません。ふたりの心臓が無事であれば、私に何とかできるかもしれません。信号は途絶えたのですよね? そうであれば、身体を浄化できたなら回復するかもしれません」彼女のその言葉にカーンが答えた。「……理論上はその通りです」旧友がその巨体でこれほど静かな声を発する、テフェリーはいつもその様に感服していた。「その手段は失われてしまいましたが」

「まさにそれです。その手段の断片がすべてここに揃っています」メリーラはそこで言葉を切った。それは自分の提案について熟考しているためなのか、それとも体力を使い過ぎたためなのか、テフェリーにはわからなかった。だが楽にしていいと彼が言おうとしたところで、メリーラは続けた。「実行するなら、急がなければいけません。私も長くはもたないでしょう。簡単ではないでしょうし、代償も必要となります。それでも……皆さんに希望を持ってほしいのです。できる、と。そして、時が経ったなら、もっと易しい方法を誰かが見つけてくれるかもしれません。私やカーンを必要としない方法を。その希望が必要なのです」

 テフェリーはうつむいた。遠くで太鼓の音が響いていた。ザルファーは全員を歓迎する、それは聞く者全員にそう伝えていた。祝おう、生き延びたことを喜ぼう、そう言っていた。

 全員にそれが叶うわけではない。メリーラは今夜を生き延びることはできないだろう。

 けれど、ニッサとアジャニを救うことができるのなら……試す価値はあるかもしれない。この辛さを、ほんの少しだけ消すことができるかもしれない。

 テフェリーは言った。「詳しく聞かせてくれないか」


「ここにいたのか。話す時間はあるか?」

 エルズペスの神々しい姿はまだ見慣れないもので、だがその根底にいる女性は同じだとコスは幾らか信じていた。幾らかではあったが。木の梢に片脚で立ち、完璧な落ち着きで辺りを見下ろすその姿は、人間らしいとはとても言えなかった。エルズペス・ティレルが、これほどまでに澄んだ瞳で彼を見つめてきたことはなかった。

「コス。元気そうで何よりです」エルズペスは梢に、そしてコスはその根元にいるにもかかわらず、彼女の声ははっきりと聞こえた。「必要があれば、いつでも話す時間はあります。今行きます」

 一枚の羽根が舞い落ちるかのように、エルズペスは木から降りて彼の目の前に浮いた。太鼓の音を背後に、ふたりは近くの草地へ向かった。ひとつの場所でこれほどの沢山の植物を見たのはいつ以来だろう、コスは思い出せなかった。見たことすらないかもしれない。この地のすべてが柔らかく繊細に感じ、まるで足元から脅威にさらされているように思えた。だが彼は長々と考えないよう努めた。ここはミラディンではない。決してミラディンにはならない。彼が取り戻すために戦い抜いたミラディンはエリシュ・ノーンと同じく死んだのだから。

 だがそれはエルズペスと話したい内容の一部に過ぎない。誰にも声を聞かれない場所にやって来ると、彼は一呼吸ついた。何か始めよう? どのようにして……その姿になったのかを尋ねることもできる。殺されるかもしれないというのに、ミラディンのような場所に戻ってきてくれたことへの感謝を伝えるか。あの最後の瞬間に何があったのかを話すことも、治療院の今の様子を話すこともできる。普段であれば、どこから始めるべきかは明確にわかっている――だが今は多すぎた。

「助言を欲しているのですね」エルズペスが言った。

 唇に自然と笑みが浮かぶのをコスは感じた。「そちらから切り出されるとはな。ああ、その通りだ。助言が欲しい」

 彼女は笑みを返さなかったが、その表情には確かな柔らかさがあった。「この姿には祝福があります。何に悩んでいるのですか?」

「メリーラの案は知っているか?」その新たな祝福がどこまで届くのか、コスにはわからなかった。

「いいえ。ですがもう長くはないであろうということは知っています」エルズペスは頭上、幾つもの太陽を見上げた。「とても悲しい喪失です」

 奇妙だった――その声には確かに悲しみがあったが、ごくわずかであり、彼女の表情に現れることもなかった。初めて会った頃、エルズペスはしばしば泣いていた。こんなにも落ち着いた彼女を見るというのは……コスは誇らしく、だが心のどこかでは不安だった。このすべてが終わった時、ミラディンのために戦ったものたちの何が残っているのだろう? エルズペスは天使となり、生き延びたレジスタンスは負傷して打ちひしがれ、メリーラは死にかけており、カーンは……

 この後、メリーラをどうしてやればいいのだろう? 彼女はこの地で死ぬ最初の同胞になるだろう。ヴァルショクの間では、死体は火葬されて灰は広く撒かれる。だがこの地の伝統では? ザルファー人は彼女を土の下に埋葬するのだろうか。根を骨に這わせ、地虫に肉を食わせるのだろうか? 自然に還ることは栄誉、彼らはそう言うかもしれない。だがコスが知るのは別のものだった。

 メリーラはミラディンで生まれた。ミラディン人にふさわしい弔いをしよう。

 その時が来たなら。

 コスは唇を噛んだ。「メリーラは自分以外の相手を癒したいと言っている。アジャニとあのエルフを」

「アジャニは私にとっても、様々な意味で恩人です」エルズペスは頷きとともに言った。

「そうしたならメリーラは死んでしまうだろう。カーンも、ヴェンセールの灯を燃やし尽くすことになる。あのふたりはそうしようとしているんだ」

 アジャニは救済に値するのか、コスはそれについて議論する気はなかった。ファイレクシアは触れたものを歪めてしまうのだ。けれど自らの行いに向き合う時間を持てるなら、アジャニはやり直せるかもしれない――その考えはコスの心に苦々しさを滲ませた。ミラディン人の多くにその機会は与えられない。そして完成化された同胞の身体を取り戻すために戦った者はいなかった――死体があるだけだった。何故アジャニとニッサには人生をやり直す機会が与えられるのだろう、同胞の多くには与えられなかったというのに?

 納得するのは難しい。ザルファー人はとても良くしてくれている、その事実の前ではなおさらだった。できたての食事が毎晩振舞われ、色鮮やかで新しい家がそれぞれに与えられていた。沈黙を払いのけるような沢山の訪問者、新たな衣服、新たな友。それ以上のものなど到底求めることはできない。ミラディンは死んだが、ザルファーとその民のおかげでミラディン人は生き続けることができる。彼らには感謝している――心に抱く感謝の意では伝えきれないほどに。感謝してもしきれないほどに。

 だがアジャニとニッサは同じ慈悲を受けるに値するのだろうか?

 エルズペスは少し眉間に皺を寄せた。「なるほど。どのような仕組みなのです?」

 メリーラとカーンについては尋ねない、彼女のその態度にコスは狼狽した。そして返答した時、彼の声色はそれを隠しきれていなかった。「まず、ふたりの身体に接種を行って感染の拡大を防ぐ。そこまではいい。だが次に、カーンがふたりの灯を取り出して、ヴェンセールの灯を使って……方法はともかく、濾過する。すべてが起こる以前にヴェンセールが考えていた理論らしい。そしてメリーラがその灯を浄化して、カーンがふたりの内に戻す」

 すべての過程が危険なもののように思えた。エルズペスがすぐには返答しないという事実もそれを助長した。静寂は、ありとあらゆる失敗の可能性をコスに考えさせるだけだった。彼は後頭部に片手を触れた。そのざらついた金属は現実へのありがたい拠り所だった。ここではすべてがあまりに柔らかく、けば立っている。貸してもらった衣服の生地すらも。この地の人々は親切で勇敢で丁寧だ――けれどコスが被ってきた苦しみを知ることはない。金属のこのざらつきは、常にそれを思い出させるものかもしれない。

「怖いのですね」

 心のどこかでは反論したかった――心の大部分が、そうではないと怒鳴っていた。だが彼女の言う通りだった。「君は違うのか?」

 彼女は再び太陽を見上げた。「怖くはありません」

「メリーラは死にかけているんだぞ」

「彼女自身の選択でのことです」エルズペスは答えた。「かつてコスは言ってくれましたね。ミラディンのために戦い続ける、たとえミラディンが何も残されていなくても……と。貴方は留まり、死ぬかもしれないとわかっていながら、私には選択の余地をくれませんでした。貴方は私の友でしたし、そして貴方はファイレクシア人に引き裂かれるだろうと思いながら、私はミラディンを離れました。長い間ずっと、その思いは私を苦しめてきました」

 コスはうつむいた。

「その苦しみはもうありません。ですが教訓は残っています――私たちは誰もが、どのように終わりを受け入れるかを選びます。そしてその中には、命を捧げるに値する行いもあるのだと。メリーラさんは皆のために、望んで命を捧げようとしているのです。それは勇敢な行いです」エルズペスはコスの両肩に手を置いた。「メリーラさんは自ら選択しているのです――皆のために選択してくれているのです。そうすることで、仲間や友達と共に生き続けるのです」

「だが、俺たちはその後どうすればいい?」ようやく、コスは真実に辿り着いたように感じた。「俺たちはここで何をすればいいんだ?」

 エルズペスの物腰は静かまま、だが彼女はコスへと笑みを向けた。「この地を故郷とするように努力することはできます。この地は喜んで受け入れてくれるでしょう、貴方がそうさせるなら」

「もうわからないんだ、どうすればいいのか。それに、そんな単純なことだとは思えない」

「多くの物事は単純ではありません。ですがそれは、試す価値がないという意味ではありません」

 エルズペスはコスを抱き寄せた――コスは思わず彼女にもたれかかり、脳内に響く不協和音を整理しようとした。エルズペスは時に理解しがたい人物かもしれないが、これは全く新しい何かだった。彼女がどれほど自分の言葉を聞いてくれているのか、それもわからない。この地は故郷ではない。故郷は永遠に失われ、そして彼女は……

 この抱擁は大いに慰めをくれ、彼はそれが嫌だった。言葉に意味はあまり無い。けれど少なくとも、エルズペスは支えを必要としている者をわかっている。「君は……君は変わったな」彼はそう呟いた。

「ええ」返答は簡素な囁きだった。「ですがコス、私はこの先もずっと貴方の友です。もし私を必要とした時は、ただ祈ってください」彼はエルズペスが腕に力を込めるのを感じ、翼の羽ばたき音を聞いた。どこかへ連れて行こうとしているのだ。皮肉が鎚のようにコスの胸を叩いた。何年も前、彼はエルズペスをどこかへ送り出すため、彼女を地面に沈めた。選択をさせたくなかったためだ。そして今、エルズペスは彼を宙へ持ち上げて選択をさせようとしている。

 風がコスの皮膚を叩いた。「別れの挨拶ではないな」

「私とではありません。ですが、別れを告げなければいけない相手がいます」

 彼の足が再び地面に触れた。エルズペスは治療院の前にコスを下ろした。土はまもなく起こるであろうことの重荷を伝えてきた。

 彼の土ではない。この地の土は柔らかく弾力があり、彼の重みにあまりに容易く屈する。金属はザルファー人たちが作ったものだけ。そしてその場合にも、ヴァルショクならば鋼を用いるところを彼らは骨やガラスの方を好む。

 この地は全くもって故郷らしくない。どうすれば故郷にできるのかも見えてこない。エルズペスは、その高みからわかるのかもしれない。けれどこの地面からは……

「ありがとう」彼はエルズペスにそう告げた。心はまだ岩なだれを起こしていたが、少なくとも彼女は力になろうとしてくれた。

「どういたしまして。これからもお力になりますよ」

 これからも。彼女にとってはとても簡単な言葉。今や不死の存在であるなら、どこかを故郷と思うようになるまで永遠の時間をかけてもいい。だが自分は?

 コスは腕を組み、エルズペスがミラディンの太陽の下へと飛び立つ様子を見つめた。新たな空を動く太陽。複数の次元が重なり合った偶然の結果だろう、科学者のサヒーリはそう言っていた。

 偶然の結果――自分と、他のミラディン人たちのように。

 彼は息をついた。簡単にはいかないだろう。それでも空にミラディンの太陽がある限り、立ち向かっていくことはできる。

 この地は故郷ではない。それでも、ここには故郷が少しだけある。


「外で取りかかりましょう。外に……いたいんです、終わる時には」

 これからすべてに直面しようという時に、メリーラの要望は単純だった。テフェリーを含めて全員が、彼女の意思を尊重すると約束した。

 彼らは外へ向かった――テフェリー、カーン、チャンドラ、ケイヤ、そしてメリーラ。この地の夜は幾つかの次元の昼よりも暖かく、だがそれは不快な類の暖かさではない。風に揺れる草の上に踏み出すと、まるで誰かの家に足を踏み入れるような物珍しさがあった。

 最初に、ニッサとアジャニを寝かせるための毛布を広げる。そして彼らを横たえる。ふたりに埋め込まれたファイレクシアの組織片が、太陽の光を受けて金色を帯びた。

「本当に上手くいくの?」ケイヤが尋ねた。

「やってみるまでわからないわよ」チャンドラはそう言い、ニッサの顔にかかる髪を払った。「そして、やってみる価値はある」

 沈黙がそれに続いた。口論が起きるのではとテフェリーは不安になった。

 だがケイヤは頷いた。「わかったわ。そうね……私もできることがあれば手を貸すから」

 失敗したならどうなるか、それを明言しないケイヤをテフェリーはありがたく思った。これからやるべき事は沢山、とても沢山あるのだ。成功させるには全員が協調して取り組まねばならない――異なる共同体の太鼓の音がひとつに同調するように。

 テフェリーの役割はある意味最も簡単であり、その過程で失うものも最も少ないと思われた。心のどこかで彼はそれに憤慨しそうになった。いや、それは若者の考え方であり、自分勝手なもの。善いことを成して償いとするのだ。

 今のところ、善いことを成すというのは自分たちを取り囲む小さな時の泡を作り出すことだった。長くは続かない。一同に視線をやり、準備はいいかと彼は尋ねた。

 コスはアジャニとニッサの間にメリーラを横たえた。目を閉じ、彼女は頷いた。

 カーンは全員の頭を見下ろすように立った。彼に呼吸は必要ないながらも、その両肩は上下していた。そのような人間味を見せるカーンの姿に笑みをこらえるのは難しく、だが今は微笑む時ではない。カーンもメリーラと同じく、多くのものを失おうとしているのだ。不安になるのはごく自然なことと言えた。「やってみましょう」

「わかった」テフェリーが答えた。「私もあまり長く時の泡を保つのは無理そうだ」

 彼は息を吸った。空気とともに、太鼓の柔らかな響きが肺を満たした。テフェリーの内に魔力が反響した。あの戦いで酷使した身体はまだ痛んだが、友が自分を必要としている時にためらってはいけない。二度と。

 即座に、彼らを取り巻く大気が歪んだ。風に揺れていた草はほとんど静止した。見えざる力の球の先、外の世界は動き続いていた――だがここでは友を救うために、太鼓が二度打ち鳴らされる間の空隙があるだけだった。

 カーンがまず動いた。彼は片手をアジャニとニッサの身体に残る金属部分に突き立てると、何かを引き出した。揺らめき輝く何かを。エンジンが蒸気を集めるようにカーンの内に魔力が高まり、テフェリーは耳鳴りを感じた。それともこれは躊躇だろうか? カーンがしようとしていることは、彼を永遠に変えようとしている。ある意味、それは旧友への別れの挨拶なのだ。新たな友ふたりを救うための。大いに不安を抱くのは全く不思議なことではない。

 テフェリーは時間の波に抵抗した。カーンは今ここで正しい選択を成そうとしている。

 銀のゴーレムの装甲から光が漏れ出た。月のように淡く輝く光が。カーンは目を閉じた。「始めましょうか、ヴェンセール」自分自身だけに聞こえる小さな声で、彼は言った。

 轟音が鳴り響き、テフェリーの集中力が途切れかけたが彼は持ちこたえた。それは消え、そしてカーンが手にしていたふたつの光もまた消えていた。メリーラは横たわるふたりの手をとった。彼女もまた輝きだし――その輝きはニッサとアジャニに広がっていった。彼女の顔が集中に歪んだ。

 まずは、レオニンの方から。

 過ぎ去ることのできない一秒一秒がテフェリーの魂を引っかいた。メリーラが務めを終えられるように時間を止め続ける。彼はうめき声をあげてこらえた。見つめる中、アジャニの身体に輝きが脈打って広がった。それとともに皮膚の色は明るみを帯び、ファイレクシアが刻印した悪しき光沢が取り除かれてゆく。身体に残る金属は月銀のように清純だった。

 だが、まだ半分しか終わっていない。

 轟音がまたも響き、ふたつの光球がカーンの両手に戻った――ひとつは純粋で完璧、ひとつは崩れかかっていた。

 メリーラがニッサの光球に注意を向け、テフェリーの心が沈んだ。その輝きはちらついていた。更に悪いことに、エネルギーの塵が灰のようにその光球から落ちていた。物事が緩慢な動きで起こる様子をテフェリーは見慣れていた。目の前で枯葉が腐りゆくのを眺めているようだった。光が通り抜け、格子状の穴があいた。

「それを遅らせるのは無理だ!」テフェリーは叫んだ。

「はやく!」メリーラが言った。

 ケイヤに支えられて身体を起こし、メリーラは光球へと手を伸ばした。触れるだけで波紋のように光が広がった。

 もう少し。あともう少し。

 ケイヤが紫色の光をまとい、光の球体へと両手を差し入れた。カーンと彼女は力を合わせ、それらを正しい持ち主へと戻した。

 テフェリーは呪文を解き、膝をついた。額に汗が浮いていた。太鼓の音も戻り、疲労しきった彼には追えない知らせを運んできた。テフェリーは皆へと向き直り、これが犠牲に見合う行いだったと願うことしかできなかった。

 テフェリーの願いに対する返答は、アジャニが無事な目を開き、傷跡の残る胸に呼吸が戻ってきたことで届いた。その怪我にもかかわらず、彼はどうにか身体を起こした。「何が……ここは何処だ?」

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アート:Viko Menezes

「ザルファーよ」ケイヤが返答した。

「ザルファー? ありえない」アジャニはそう言い、だが辺りを見るにつれて彼はそれが真実であると把握していった。同時に疲労が彼を圧倒し、アジャニは地面に倒れ込んだ。「テフェリーさん……お祝いするのは後にさせて下さい。今は身体を休めなければいけないようです」

 テフェリーが何か答えるよりも早く、アジャニは眠りに落ちた――そしてその方がいい。自身の行いという恐怖を理解する前に、少しだけでも安らぎを得られるのであれば。

 カーンはその大きな胸に手をあて、どさりと倒れこんだ。彼の内にあった光はぼやけていた――かすかに、赤と紫の残像が残るだけだった。

「大丈夫か?」テフェリーが呼びかけた。

「まるで……独り残されたようです」カーンはそう言った、「彼はもういません。寂しくなるでしょう。ですが、私はきっと大丈夫です」

 コスはそうではなかった。彼はメリーラの隣にひざまずき、彼女の身体を膝に引き上げた。だが彼女もテフェリーと同じく、力を使い切った直後に倒れ込んでいた。コスの表情はありありと心配が浮かんでいたが、やがて悲しみに彼は目を閉じた。「メリーラは死んだ」

 ケイヤが彼の肩に手を置いた。

 コスの頬を涙が伝った。だが彼はそれを隠そうとはせず、また自らの苦悩を隠そうともしなかった。コスを駆り立てる苦悩がどのようなものか、テフェリーははっきりとわかっていた。メリーラの死というだけではない。全員のそれを同時に感じているのだ――すべての友、仲間……彼が苦楽を共にしてきたほぼ全員が、失われたのだ。

 消耗した身体でテフェリーは立ち上がった。彼はカーンと共にコスへと腕を回し、涙にくれた。このような時には言葉は役に立たない。唯一の慰めは、メリーラはもう傷に苦しむことはないということ――彼女はもう恐怖の中に生きる必要はないということ。だがその言葉はコスにとっては冷たい慰めになるだろう。テフェリーは口を閉ざした。慰めの役割は交友が担ってくれる。悲嘆というのは過酷な重荷であり、独りで背負うべきものではない。

 とはいえ大気には重苦しい悲嘆が満ちていた。彼らの隣ではチャンドラがニッサを揺さぶり、その不安は次第に熱く燃え上がっていった。

「どうしたの? どうしてニッサは目覚めないの? あの光のちらつきは……」

「何かが上手くいかなかったんだ」テフェリーはそう言い、一呼吸おいて続けた。「私もはっきりとはわからない……」

 希望を抱きすぎたのかもしれない。ファイレクシア病にかかった者を元に戻す……ウルザですらその方法は発見できなかった。それを自分たちが? 他に選択肢がないということは、成功するという意味ではない。一生をその仕事に捧げても、何の称賛も得られないこともある。起きている時間のすべてをひとつの大義に費やしたとしても、それが実を結ばないこともある。壊れるほどに何かを欲しがっているからといって、それを手に入れる資格があるわけではない。

 それでも、時に……

「チャンドラ……?」

 時に、試す価値はあるのだろう。

 ここで、ザルファーで生きていこう。昔からの友人たちと、もっと昔からの共同体の中で――古い家族と新たな家族。

 ようやく、過去に決別するのだ。新たな未来を築くのだ。

 そして他の者たちにもそれが現実となる、その様を見ていこう。

 チャンドラの張りつめた表情が純粋な喜びへと融ける。彼女はニッサを強く抱きしめ、ニッサが抱きしめ返す。悲しみの涙に、嬉し泣きの声が加わる……

 これこそが命。このために誰もが戦い抜いた。このためにメリーラは死に、カーンは灯を捧げ、テフェリーは故郷を取り戻すために数百年を費やした。

 このために。

「私はここにいる」チャンドラはそう言い、ニッサへと唇を重ねた。「ここにいるから、どこへも行かないから」

 それでいい。

 彼もまた、しばしの間は、どこへも行くことはないだろう。

(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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