MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 07

メインストーリー第7話 神聖なる介入

K. Arsenault Rivera
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2023年3月23日

 

『彼女に伝えてください、追いかけてきてはいけませんと。あなたがたもです。絶対に』

 ミラディン次元におけるファイレクシアの問題を最初に解決しようとした際、カーンは自分を追ってこないよう言い残した。それは意識的な決断だった。汚染が彼に根を下ろしていたのだ。ミラディンが堕ちたのはカーンの責任だ。彼は思い上がりからその次元を作り上げ、傲慢さからその次元の管理人を創造して丸投げした。その不注意が、次元全体にファイレクシアの油を蔓延させた。ミラディンに残り続けていたなら、メムナークが道を見失ったことに気づいたかもしれない。注意していたなら、自身の足跡に油が滴り落ちていることに気づいたかもしれない。だが彼は残らず、注意してもいなかった。そしてミラディンの堕落はその内に住まうすべてを衰亡させた。『追いかけてきてはいけません』、彼は皆にそう伝えた――なぜなら、これはすべて彼自身の問題であり、それを解決するためには死ななければならなかっただろうから。

 そしてそれは正しかった。ヴェンセールが自身のプレインズウォーカーの灯を犠牲にしなければ、カーンは死んでいただろう。優れた発明家で、下手な冗談を好み、彼を知る者たちのほとんどにとっては悩みの種。ヴェンセールは、ファイレクシア病の深い苦しみに苛まれるカーンを捜索する一団に加わっていた。コスとエルズペスは敵の軍勢を撃退し、ヴェンセールがミラディンの核の奥深くでカーンを探し出すまでの時間を稼いだ。メリーラがヴェンセールに汚染への免疫を与えていた。そしてヴェンセールは……

 ヴェンセールの記憶を称える、カーンは何度もそう誓った。ヴェンセールはカーンの内に、自身の死に値する何かを見たのだ。もしカーンが自らを死なせてしまったなら、その期待を裏切ることになる。

 その誓いは今の彼が置かれている苦境を、さらに辛いものにしていた。次元渡りを阻害する鉱滓にカーンは縛り付けられ、ノーンの聖歌隊によって宙高くに掲げられていた。コイロスの洞窟に閉じ込められたのはもう何年も前のことのように思える、あの時と同じ物質。カーンは多元宇宙の終焉をまざまざと見せつけられていた。彼の体のほとんどは解体されていた。何故自分は痛覚を持っているのだろう、かつてカーンはそう訝しんだ。ウルザ曰く、「悲鳴を上げるものを人々はあまり傷つけたくはないものだ」。だがファイレクシア人は人々ではない、何と残念なことだろうか。彼は苦悶していた。この苦難を受け入れ、組み換え、何か役に立つものに変える以外の選択肢はない。この身体の残骸に自分という意志を繋ぎとめるための錨とするしかない。この痛みを感じている限り、自分は自分自身でいられる。

 そして、自身の失敗という功績に包囲されている今、それだけがふさわしい。

 これが終わり――彼が創造したものの終わり。この多元宇宙の終わり。そして彼自身の終わり。

 だがノーンは、それを速やかにもたらすつもりはないのだろう。ヴォリンクレックスの絶え間ない野次とジン=ギタクシアスの催促に晒されながら、自分に何が行われようとしているかについてカーンは幻想を抱いてはいなかった。自分に、何が行われている最中なのかについては。ファイレクシア人は彼を一片また一片と分解し、この銀の身体を再利用に回すつもりなのだ。ヴォリンクレックスとジン=ギタクシアスは、最高の使い道について異なる理想を持っている――だが核となる考えは同じだ。

 そしてノーンは?

 ノーンは彼を苦しませたいと願っている。彼女の牙だらけの笑顔に、カーンはその意思を見た。

「愚かな父様」彼女はカーンに向けて言った。「これは尊い光景ではありませんか? 父様は失敗続きの年月を過ごしてこられました。そして今、父様無しで我らが昇りつめた高みをご覧になられるのですから」

 カーンは彼女を見なかった。見ることはできなかった。彼の内にはごく僅かな力しか残っていない。その力で、友人たちのことを思っていたかった。彼らのためにしてやれるのはそれぐらいなのだ。ジン=ギタクシアスが近づいてきても、コスは背筋を伸ばして座していた。捕虜の中でも、カーンと目を合わせたのはコスだけだった。他の皆はそれができない理由があった。チャンドラはひどく打ちのめされ、膝をついて身体を起こすことすらできなかった。ではメリーラは?

 メリーラもノーンから目をそむけていた。

 カーンの心は痛むが、同時に理解もしていた。自分たちは手に負えない問題を前に奮闘し、犠牲を乗り越え理想を語り、事態を解決するためにここまでずっと努力してきたが、結局は皆ここで死にゆくのだ。はるか昔の自分の過ちのせいで。もしカーンが彼女の立場なら、やはり見たいとは思わないだろう。

 彼を救おうとしたミラディン人たちの中には、すでに四肢を失っている者もいた。数人はすでに接合を受け、新たな怪物と化していた。最初にここにやって来た時には大勢がいた。今はほんの一握りが残るのみ――コス、メリーラ、レン、チャンドラ、そして十から二十人程度の生存者たち。残りは実験のために連れ去られてしまった。ここにいるのは、ノーンが特別な理由で残した者たちだった。

 聖歌隊の一人が自らの体を引き延ばし、背骨をアコーディオンのように広げて新たな成長に適応させた。その女性はカーンの頭を手に取り、所定の位置へと固定した――彼を強制的にノーンへと対面させた。

「ファイレクシアは貴方様へと問いを投げかけました。貴方様はそれに答えなければなりません。それすらもできないとあれば、我らを導けなかったとしても不思議ではありません」

 カーンは疲弊していた。何を言えばよいかも考えられなかった。

 結局、その必要はなかった。

 ジン=ギタクシアスが攻撃のために腕を振り上げた。邪悪な爪の輝きに、カーンは自らの過去の亡霊を見た。このような時に慰めをくれるのは誰だろうか? 自分もまもなくそこに加わるのだろう、何処へ向かうのかはわからないが。

 痛むのだろうか?

 眠りに落ちるようなものだろうか? カーンは睡眠というものを、いつもうらやましく思っていた。

 動きを止める時が来た。

 彼は目を閉じ――そして黄金の閃光が瞼を照らした。

 ファイレクシアの偉大な機械の駆動音を、明るく高らかな響きが打ち砕く。何かが来る、それに気づくための余裕は一瞬で――そしてそれが何なのかはわからない。黄金の光が目撃者たちを飲み込み、カーンは金属の衝突音を耳にした。そしてどれほど過酷な環境でも機能するように作られた彼は、辺りを揺るがす衝撃波の中心に出現したものを見ることができた。

 輝く鎧を身に纏う天使が、黄金色の剣を掲げてジン=ギタクシアスの攻撃を受け止めていた。彼女は怒れる神が槍を放つように高みから急降下して現れ、着地の際に金属の地面がクレーターと化した。その衝撃は、ジン=ギタクシアスの軍勢を何十体と奈落へと転げ落とした。聖歌隊の繊細な身体は、これほどの衝撃を受ける想定はされていない。それらも同じく暗闇へ落下し、カーンを捕縛していた鉱滓の塊は地面へ投げ出された。

 それでも、カーンは見続けた。

「貴方にこの者を倒すことはできません」天使が言った。

 待て。彼ではない……? この声は……

 それに気づいたのはカーンだけではなかった。腕を伸ばせば届くほどの近さで、エリシュ・ノーンは鋭い金切り声をあげた。「お前は!?」

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アート:Denys Tsiperko
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 光が消えると、エルズペス・ティレルがクレーターの中心に立っていた。そしてそれは、カーンが一度も見たことがない彼女の姿だった。輝く黄金の翼。その穏やかな顔に、過去の幾多の傷はもはや見られなかった。

 ジン=ギタクシアスは急いで間合いを取り、その従者たちは彼の逃亡を助けるために隊列を固めた。エルズペスは彼を行かせた。もっと他にやるべきことがある――彼女はチャンドラの腫れあがった顔に手を添えた。癒しの光が紅蓮術師へと流れ込み、その肌が元通りになっていった。

 ノーンはすでに玉座から立ち上がっており、怒りに任せてそれを放り投げた。聖歌隊が二人、巨大な玉座に押し潰された。カーンが見る限り、それらの死が彼女を悩ませることはないようだった。「お前! ……もはやお前に邪魔はされぬ!」

 エルズペスはノーンの言葉を無視し、その姿を見ることすらしなかった。彼女はチャンドラからコスへと意識を向けた。コスの顔には衝撃がありありと浮かんでおり、だがそこには希望もあった。それを見て、カーンの中でわずかに沸き立つものがあった。最後に希望を見たのはいつのことだったろうか?

「我ら、ファイレクシアの力と心が、お前に呼びかけているのだぞ!」ノーンは砕けた玉座の破片をエルズペスへと投げ飛ばした。それが命中してエルズペスが転げ落ちるのでは、カーンはそう思って身構えたが、彼女はその破片が翼に当たって砕け散っても、まるで意に介していないようだった。

 集まっていたファイレクシア軍の列に、恐怖のような何か、衝撃のような何かが波紋となって広がった。それが何であるかはともかく、彼らはそれを好まなかった。炎を前にした動物のように彼らは後ずさり、散開しはじめた。ミラディン人たちはそれを好機と見た。コスは治癒が終わると同時に拳を地面へと打ち込んだ。足元から橙色の亀裂が走り、マグマが噴出して侵略樹の根元へと流れだした。「ミラディンよ! ともに戦え!」

 だがノーンには彼らの声も聞こえていないようだった。彼女は手に取れるものを手あたり次第に武器として用いていた――玉座の大きな破片、咆哮するヴォリンクレックスから折って奪った角、不運にも目にとまった聖歌隊の胴体から切断した頭。それらすべてをエルズペスめがけて投げつけた。エルズペスは回避し、切り捨て、受け流した――どの攻撃もまともに当たらなかった。ノーンは再び金切り声をあげた。

 ジン=ギタクシアスがノーンの隣へと這い寄った。「虜囚どもは――」

「其方とニッサで対処せよ」ノーンはそう言い放った。「我らには携わるべきもっと重要な物事がある」

「あの天使がですか?」ジン=ギタクシアスが尋ねた。「不合理です。彼女は有象無象の一人に過ぎません。彼奴らの処理は私の軍勢で事足ります。残り物はヴォリンクレックスが食べ尽くすでしょう。貴女様は下がり、この件は任せておくのが賢明というもの――」

 ノーンは彼の喉首を掴んだ。「不同意は冒涜ぞ、法務官殿。信奉者としての舌を汚すでない。我らの意志はファイレクシアの意志。ファイレクシアの意志が遂行される様を見よ」

 二人がこんな言い争いをするとは何ともおかしなことだ。ノーンは自制を失っているに違いない、カーンはそう思った。

 何せ、メリーラがこちらに向かって走ってきていることに気付いていない程なのだから。彼女がコスに軽く手を振ると、突然カーンは再び宙へと浮かび上がった。「もう大丈夫です」メリーラが言った。

 信じがたいことがいくつも起きていた。

 かつて、彼は新ファイレクシアで死に瀕した。友人たち――ヴェンセール、コス、エルズペス、そしてメリーラ――彼らの介入があったからこそ、カーンは救われた。

 今、その時とほぼ同じ仲間が再び彼を救うために集結し、ヴェンセールの灯は彼に力を与えている。

『追いかけてきてはいけません』、カーンはかつてヴェンセールに言った。

 けれどヴェンセールの灯は今なお彼の内にあり、ここまでずっと共にあった。

 諦めることはできなかった。まだだ。


 レンは諦めることはできなかった。まだだ。

 残る身体は多くなく、味方の全戦力は痛めつけられた数人にまで減っているが、彼女は諦められなかった。脚を失った、だがそれが何だというのだ? 世界の重みは今なお彼女の肩にのしかかっていた。

 天使の到来は彼女にとって驚きではなく、前提だった。そうでなければ全員が死ぬ、だから来ない場合のことは考えても仕方が無い。誰かが自分たちを救いに来た。それはもちろん、鮮やかな秋の黄金色をまとったエルズペスだ。壮麗な姿、だがそれを称賛している余裕はない。

 人間は眩しいもの、輝くものに目を奪われがちだ。彼女はファイレクシア人たちも同じであることを願った。

「チャンドラ」レンの声がかすれた。「チャンドラ、行かなくては」

 紅蓮術師の目の中に金色が躍っていた――彼女は他の者たちと同様、起こっている物事に動転していた。レンが袖に噛みついて引っ張ると、チャンドラはようやく視線を下へと向けた。

「私はもう歩けない。お前の助けが必要だ」

 チャンドラに必要な説明はそれで十分だった。彼女の内に再び理解が落ち着き、チャンドラはレンを抱え上げた。「わかったわ。行くわよ」

 全員が一気に動き出した。ミラディン人たちも、この場の全員を救ってくれた女性を――そして避けなければならない敵軍へと何度も振り返りながら、そのあとに続いた。

 少なくとも、それが賞賛と感謝の意志なのだとレンは考えた。「カーンを!」メリーラが叫んだ。「彼も救わなくては」

「わかった!」コスが返した。カーンが拘束されている板もまた、石でできている――木がレンの呼びかけに耳を傾けるように、石は彼の呼びかけに応えた。カーンを乗せた台がミラディン人たちに向かって飛んだ。その裏側で、矢と槍の弾幕が次々とはじき返されていく。それもコスの手並みだ。そうすることで撤退する軍勢を守っているのだ。

 レンは顔をしかめた。攻撃は確かにカーンを傷つけてはいないが、足場ごと盾にするやり方は冷酷なものに感じられた。ミラディン人はこのような判断を下すようになるまで、どれほど戦いを続けてきたのだろうか?

 彼らは平和な世に生きるべきだ。

 レンは彼らにそれを届けたいと思っているが、自分だけではそれは叶わない。テフェリーならば何をすべきか知っているだろう。彼に接触できさえすれば。彼は侵略樹の力が無ければ辿り着けないであろう場所にいる。自分はチャンドラなしでは侵略樹には辿り着けない、そしてチャンドラは……

「チャンドラ、そのドライアドを捨てればまだ希望はあるわよ。そうしないなら私があなたを殺す。そのくらいはわかるでしょう」

 チャンドラはニッサに対処する必要があった。

 誰かがいなければやるべきことは叶わない、全員がそうだ。どんなに早く走っても、ニッサに捕まったなら何の意味もない。そしてニッサは自分たちを捕まえようとしている。エルフは斃れた者の死体を投げつけながら、確実かつ不可避の歩みを進めていた。レンは振り返り、そうしなければよかったと後悔した。ニッサの両目には慈悲も思いやりも、かつてそこにいた女性の面影もなかった。

 コスはこれ以上の負傷者が出ないよう守るので手一杯だ。カーンは自分と同じくばらばらにされている。逃走する反乱軍――彼らは力を尽くしているが、ファイレクシア化したエルフのプレインズウォーカーに対してできることは多くない。エルズペスはノーンを攪乱している。チャンドラは? チャンドラはニッサを傷つけたいとは思っていない、レンは尋ねるまでもなくそれを知っていた。

 自分たちは樹に辿り着かねばならない。そして辿り着く、レンはそう確信していた。なぜなら、そうしなければ全員死ぬから。だから辿り着く。

 見えていないのは、そのための手段だ。

 できるのは、信じることだけ。


 ファイレクシアは激怒したが、それでもエルズペス・ティレルの平静を崩すことはできなかった。それは彼女が纏う黄金の鎧と同じほどに確かで堅固であり、彼女に残る戦いの傷跡と同じほどに苦難を乗り越えて勝ち取ったもの。白磁の破片が次から次へと投げつけられても、彼女はひるみすらしなかった。それは負けを意識した者による苦し紛れの攻撃に過ぎない。

 エルズペスは今、すべてを超越していた。

 かつて、彼女はノーンに恐怖していた。かつて、その針のような歯が彼女の心を苛んでいた。ノーンの異様な声の響きが、偽の神の虚勢をもって悪夢を述べ連ねた。『自らの弱さを忘れるなかれ。其方を貶めるのはファイレクシアなのだから』

 エルズペスはもはやノーンを恐れてはいない。もはや貶められはしない。事実、エルズペスはその翼で一度羽ばたくだけで、ノーンの頭上へと舞い上がることができた。見下ろすノーンは多元宇宙の脅威というよりも、巨大な人形のようだった。今やすべてが小さく見えた。遠くに感じた。エルズペスの人生における不純物はすべて取り除かれ、真実のみが残されていた。

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アート:awanqi (Angela Wang)

 その真実とは、ファイレクシアが勝利を収めることはないということ。

 彼女の下ではミラディン人たちが樹へと逃走していた。チャンドラはレンを両腕に抱えて先頭を駆け、コスがそれを守っていた。鉱滓の塊に捕縛されているカーンは――ありのままの称賛の眼差しをエルズペスに向けていた。彼は痛ましい姿だが、それでも彼女はそんなカーンに微笑みを向けた。長い年月を経て、ついにすべてを正すときがやって来たのだ。

 そのためには、皆の安全を確保しなければならない。彼女はニッサを足止めする必要がある。レンは何としてもあの樹に辿り着かねばならない。

 だが、もっと急を要する問題がある――エルズペスを逃がしたくない相手がいる。

 怒り狂ったノーンが爪を伸ばし広げ、エルズペスに向かって突進した。彼女は宙に浮かぶエルズペスの足を掴み、地面へと引きずり倒して叩きつけた。「我らの勝利を台無しにはさせぬ!」

 エルズペスは衝撃に耳鳴りを覚え、視界が揺らいだ。瞬きをすると、ノーンは再び彼女の前にそびえ立っていた。

「我らは無私の心でこの大義に身を捧げてきた。多元宇宙の救済こそが我らの崇高な使命。図々しくもそれを阻もうなどとは!」

「私にも私自身の使命があります」エルズペスは答えた。彼女は立ち上がり、外套から塵埃がはらりと落ちた。「貴女にそれを阻むことはできません」

 ノーンの笑い声は血を凍らせるようだった。「お前の使命などは偽物だ」そして言葉を続ける間に、倒されたファイレクシア人の死体が浮かび上がり、彼女の周りに集まっていった。力のない身体から破片が飛び散った――金属の破片、骨の破片、刃と剃刀、歯と管。それらを縦横に織り込み、ノーンは見るも恐ろしい新たな甲冑を組みあげた。「あらゆる次元に、永遠にして汚れなき唯一の真実がある――すべてはひとつとなる。統一を妨げる者は完全無欠の未来を妨げる者である」

 エルズペスは肩越しに背後の様子をうかがった。皆はすでにこの場から逃げ去り、ニッサもそれらを追跡するために離れていた。ここでノーンの演説を拝聴している余裕はない。握りしめた剣にエルズペスは集中した。黄金の神送りが火花を散らした。これは本物の写しに過ぎない――けれどこれは彼女自身の写し。それで大丈夫だとわかっていた。わずかに狙いをつけるだけで、ノーンへと灼熱の光線が浴びせられた。鎧は塊になって焼け落ち、剣が放つ浄化の光線によって焼却された。法務官の肩から一筋の煙が立ち上った。この時ノーンは叫び声をあげず、代わりに鋭い鉤爪の手を振り上げた。周囲に倒れていた兵士の死体が――すでに有用な部分は剥ぎ取られていたが――戦う二人を取り囲むように新たに立ち上がった。

「ファイレクシアは決して斃れぬ」ノーンが言った。「周りを見るがよい。エルズペス・ティレルよ、ここに死は無く、ファイレクシアだけがある」

 彼女は間髪入れずに動いた。復活した兵に拘束される前に、エルズペスは再び宙へと飛び出した。だが逃亡するミラディン人たちの方に向かおうとした時、地面から何枚もの壁がせり上がって彼女を押し留めた。それらの壁はこの聖域の頂、果てしない高さまで達した。

「我らからは逃れられぬ」ノーンは告げた。「我らは其方の足元を支える地面、其方の肺が吸う空気。其方が目にするものは全てファイレクシアであり、ファイレクシアとは我ら。我らは全である」

 エルズペスは壁の破壊を試みたが、はじけた火花が唯一の反応だった。白磁の表面は彼女の刃に屈しなかった。その先では、ニッサがミラディン人たちに迫っている。そこにはチャンドラもいる――二人は仲が良かったはず。チャンドラは彼女を倒せるのだろうか? エルズペスは躊躇した。チャンドラがためらえば、ニッサは目的を遂げるだろう。

 彼らはエルズペスの力を必要としている。ノーンとのこの戦いに意味はない。この壁を乗り越えなくてはならない。仲間たちがほんの数秒、持ちこたえることができるなら……

 彼女はもう一度剣に集中し、呼吸に合わせてその輝きが増していった。鎧がオーロラの光を纏った。エルズペスの背後とその下で、ヴォリンクレックスとジン=ギタクシアスの軍団が再起して攻撃を始めた。彼女の翼は激しい攻撃に晒されていた。敵は一斉に彼女を壁から引きはがそうとしていた。その圧力に、彼女の筋肉は強張った。

「なにゆえ、そのように足掻かねばならぬ?」ノーンが問いかけた。「其方は常に我らと争ってきた。
何が其方の望みだ? 故郷を望むならば、我らとともに見つけ出そうではないか。友や恋人を求めるなら、我らの軍勢の内に無数に居ろう。我らに加わりたいと願うなら、申すがよい。我らは赦そう」

 エルズペスは背後をうかがった。ノーンはさらに背丈を増し、橋から落下する金属板や死骸を用いてさらに大きくなっていた。その身体の表面すぐ下に内臓が眩しく輝いていた。ノーンが大いに誇る、皮膚を剥がされた肉。その巨体、鎧の残忍な形状、尖った格子模様をもつ新たな甲殻、どれも全く故郷を思わせるものではなかった。エリシュ・ノーンは戦争と死の権化だった。

 ノーンが差し出した手が、第二の波状攻撃を合図した。エルズペスにほかの選択肢はなかった。飛び続けたければ、ノーンを突破しなければならない。エルズペスは剣の一振りで左右の猛攻を断ち切り、その勢いでギタクシア軍の兵も打ち倒した。

 エルズペスはノーンに向かって飛んだ。「貴女は私を理解していません」

 爪の斬撃がエルズペスを襲った。彼女はそれを回避し、反撃としてその腕を切りつけた。傷口から煙が立ち上り、肉の爛れ焼ける匂いがエルズペスの口元まで届いた。「私は貴女とは違います」

 ノーンはエルズペスの片方の翼を掴み、鳥を掴む子供を悪趣味に真似るようにエルズペスを空高くぶら下げた。「其方は自身の存在意義を渇望していた――自身よりも偉大な何かを渇望していた。其方の切々たる願いは、其方が属す場所、永遠の平和が続く場所、其方が慈しむものが決して離れることのない場所。輝かしい未来。それはファイレクシアの未来にほかならぬ」

 ノーンの声は喜ばしいほどに病的で、病的なほどに喜ばしかった。エルズペスはノーンが翼を握る手の指を切り裂いた。血が流れ出たが、法務官は手を放しはしなかった。

「ファイレクシアが与えられず、其方のやり方で得られるものとは何か? それは平和。目的。団結。だが最終的に、それらが真の意味で其方に与えられることはない。今なお、皮膚が其方を拘束している。虚弱にしている。ファイレクシア人となれば、そのようなあらゆる枠組みからは解放される。其方が得てきたものは、我らの完成には到底及ばぬまがい物に過ぎぬ。周りをよく見るがいい!」

 彼女はその通りにした。

 認めたくはないが、ノーンの言葉には真実があった。軍列から彼女を見つめ返す目は皆同じだった。息をするものは一斉に呼吸し――それに伴いこの聖域には小刻みに音が鳴り響く。住人の生命活動に連動するひとつの機械なのだ。ニッサ、ナヒリ、アジャニ……誰も現在の状態に動揺してはいないようだった。全員が陶酔しているようにしか見えなかった。

 故郷はどう作ることも、誰と作ることもできる。そこに加われば、友人には困らないだろう。自分とアジャニで、テーロスを考えうる最高の状態に築き上げることができるだろう。ダクソスも加われるだろう。死ぬことはなく、老いることもなく、すべてはひとつ――永遠に。

「天使など神性のまがい物に過ぎぬ。我らこそが真の光。この聖域の高みから、我らはすべてのものをあるがままに見ている。この戦いが終われば、もはや其方は其方自身ではなくなる――我らと一つになるのだ。長きに渡り其方はファイレクシア病を恐ろしいものとして見てきたが、ここにきて其方は別の名を持つそれを受け入れているではないか」

「同じではありません!」エルズペスは答えた。

 ノーンはエルズペスを目の前に持ち上げた。目と白磁が見つめあう中、エルズペスは地面から数メートルの高さにぶら下げられた。ノーンの歯が、エルズペスの剣から反射した光に輝いた。「ならば、違いをひとつ提示してみよ」

「私の目的は神聖なものです」

「我らの伝道者は我らの神聖なる剣として働く。他を述べよ」

「この変化は私を何も変えてはいません」そう告げた瞬間、その嘘は彼女の舌を汚した。

「其方の新たな翼が別の真実を語っておろう。其方には理解し難かったか?」

「私は……」エルズペスが切り出した。

 背後から別の声が聞こえてきた――聞き覚えのある声。ジン=ギタクシアスがその君主に呼びかけた。「時間をかけすぎではありませんか? その者を完成させ先へ進むべきでは」

「黙るがよい!」ノーンが叫び、すぐさまその気分は荒れ狂う怒りへと変化した。彼女はジン=ギタクシアスへと向き直った。金属がぶつかり、肉が引き裂かれる音がする。ジン=ギタクシアスがエルズペスの背後でうめき声をあげた。ギタクシアスの言う通り、エルズペスはそう悟った。子供じみた口論に時間を浪費した。もっと大きな目的があるというのに。そして不服従に対するノーンの反応こそ、自分たちの違いについてエルズペスが理解すべきすべてだった。

 彼女はノーンの傷ついた肩へと剣を突き立てた――ここから届く唯一の場所。血が噴出してエルズペスの鎧を濡らし、ノーンはついに手を放した。エルズペスは再び空に戻った。ジン=ギタクシアスの片腕が、ノーンからそう遠くない位置の油だまりに落ちていた。脱出しなければ、そこにあるのは彼女の腕だったかもしれない。代わりに、エルズペスは自身の力を剣に集中させていった。黄金の光が辺りを埋め尽くした。

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アート:Livia Prima

「貴女の言う通りです、ノーン」エルズペスは言った。「私たちに多くの違いはありません。私たちは口論をします。間違いを犯します。私たちには自身の欲求、願望、欲望があります」

 ノーンの口が混乱と嫌悪にゆがんだ。「これは何たる冒涜だ? 我らはファイレクシアの意志だけを語り――」

 ノーンは腕を振り回したが、エルズペスは身をかがめて避けた。「貴女とジン=ギタクシアスは意見が食い違いましたね? ファイレクシアは、私のことは無視するよう貴女に願っています。ですが貴女の願いはそうではありません」

 ノーンの喉から引き裂くような叫び声が発せられた。斃れた兵士の破片が宙を切り裂き、死者の刃がめいめいにエルズペスを狙った。「お前は! ……お前はファイレクシアを何も理解しておらぬ!」

「いいえ、問題は、私が貴女を遥かに深く理解しているところにあります」エルズペスはそう言い、その手の剣が力強くうなりを上げた。彼女はそれを頭上に高く掲げた。これで。長い年月と沢山の死を越えて――ついにエリシュ・ノーンを倒す時が来た。ジン=ギタクシアスは彼女をかばうようなそぶりを一切見せていない。彼の軍勢はすでに突撃している……

 樹に向かって。ほんのわずかなミラディン人のために何千という数が。槍が雹のように橋の上に降り注ぐ。地面に倒れているのは――メリーラ? その身体に金属を一切持たずに生まれ、ファイレクシア病という恐怖に免疫を持つその少女は、かつては次元全体の希望を体現していた。地に伏す無残な姿は彼女なのだろうか?

 コスの叫びがそれを裏付けていた。

 時間をかけるべきではない。

 エルズペスは眼前の法務官を見下ろした。白磁の花びらのように、刃の嵐がノーンの周囲で渦巻いた。「我らは其方の理解を越えており、其方の手の届かぬ高みにある! 其方が愛しく思うこの多元宇宙を我らが征した暁には、其方は我らの足元に跪き、我らの創造という栄光に浴すであろう! 其方に我らの功績を零落させることはできぬ。永劫の時を経たなら其方は忘れ去られる。だが我らは永遠なる教皇、エリシュ・ノーンを掲げ続けるのだ!」

「それこそ私が言いたかったことです。貴女は人々にエリシュ・ノーンを崇拝してもらいたいのですね?ファイレクシアは貴女にとってはどうでも良いのです。ずっとそうだったのです。貴女が気にかけているのは権力だけなのです」

 いくつもの刃がエリシュ・ノーンの周りで静止し、沈黙した。それらの後ろで、怒りに充血した輝きが高まっていった。「其方が……憎い!」軍隊の放つ矢のごとく、刃が彼女に向って飛んでいく――橋から、壁から、ファイレクシアの身体そのものから引き抜かれた破片が。

 ここにきて、ついに彼女は自らの心情を吐露した。とはいえ、もはやそれはエルズペスの気にするところではなかった。だが飛来する刃に対処するには……

 この一発だけ。すべてを上手く合わせられるなら……

 エルズペスは壁に向かってまっすぐに飛んだ。衝突の刹那、彼女は反転した。その勢いに胃がうめき、万力のように押さえつけられたが、彼女は向きを変えて上昇した。だが刃にその動きはできなかった。問題のすべてが一点に集中し、エルズペスはついに一筋の光を放った。

 光が消えると、彼女はすでに橋を進んで樹へと向かっていた。多元宇宙の希望は羽毛をまとう彼女の双肩にかかっている。

 ジン=ギタクシアスが追ってくる気配はない――だがノーンの叫びが聞こえた。

「逃げるな! まだ終わってはおらぬ!」

 彼女はあまりにも長く彷徨っていた。正しい行いをする時が来た。

 レンとチャンドラはもうすぐ樹へとたどり着く。エルズペスはそれを確実に成功へと導かねばならない。
 

(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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