MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 01

メインストーリー第1話 肉なしの勝利

K. Arsenault Rivera
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2023年3月16日

 

 ファイレクシア人とは良きもの。

 エリシュ・ノーンとは良きもの。

 それは常に真実、だが今ほどそれが真実味を帯びている時はない。三人の蛆虫が――ケイヤ、魁渡、タイヴァーと呼ばれていた――目の前で慈悲を請うている。ああ、表だってそうしているわけではない、だがノーンにはそれが見えた。ノーンは理解していた。彼らの目と、強張り切った身体に恐怖が染み渡っている。青白くなった拳に掴んだ武器は震えている。何と迷える者たちか。屈するのであれば、その欠陥すべてを排除してやれるというのに。だが彼らはそのような寛大な申し出を、そのような慈悲を拒絶するのだろうと彼女はわかっていた。尋ねる意味はない。

 彼らの努力に意味などないように。

 完全なる統一。今や、その時は近い。

「我らと共にあれ」彼女はそう告げた。「新ファイレクシアの栄光をとくと見よ」

「地獄に落ちなさい」最も小さな者が言った。最も大きな者がノーンに向かおうとしたが、もうひとりが引き止めた。何とわかりやすいことか。不信心者の心には不和が宿る。これほど数を減らそうとも、決して統一することはない。

 それすらもわかっていない。

 ノーンは手首をわずかにひねり、するとポータルが現れた。この場所のすべては彼女の意思に従う。金属が音を立て、滑り、自ら形を変えた。瞳孔のように、五つのポータルが五つの異なる次元へと開いた。温かな紫色、岩のような灰色、あるいは漆黒――かつてその空が何色であったかは関係ない。今やそれらは赤い光を脈打たせていた。雲間にファイレクシアのシンボルが燃えていた。それらのポータルから、今や彼女は侵略の様を見つめることができた。次元壊し。その太く力強い、棘だらけの枝が弾けるように伸び、それが望むものすべてにしがみつてゆく。祝福の油が川となって大地を流れる。鞘が枝から飛び出し、あらゆる方角へと舞う――常に完璧に同調して。あるもの百長を、あるものはゴーレムを生み出す。あるものはそのまま、間もなくやって来る迷える魂を迎え入れる時を待つ。

 目の前の迷える三者にとって、日の出とは美しいもの。ファイレクシアはより優れている。数千という口がひとつの声を発し、数千という目がひとつの未来視を見据える。数千という心がひとつの思考をもつ。それこそが美。

 そして、ファイレクシアは自身の多くの手でそれを作り上げたのだ。

「このような統一を見たことはあるか?」彼女は尋ねた。

 最も小さな者が口を開いた。だがそれが言葉を発する前に、遥かに心地良い声が割って入った。「御要望の通りに完了致しました」

 ルーカ――それが名前だっただろうか? その姿を見て人間のひとりが嘔吐した。だがファイレクシアにとって、この男は三人に待ち受ける未来の輝かしい見本。ああ、この男も以前は粗削りだった。三人もすぐに洗練されるだろう。自らの破滅に肉を震わせるのはごく自然なこと。

 ノーンはその神聖なる伝道者たちへと向き直った。ジェイスは速やかに去った――言うまでもなく、彼はノーンが求めるものを知っていた。声を発する必要すらなかった。さらに三人が揃って現れた――ルーカ、アトラクサ、アジャニ。その背後にはナヒリがいた。この最も新たな一員が、仲間を呼びに行っていたのだ。積み上げた供物のように、彼らはシェオルドレッドを運んできた――かつては力を誇りながらも、鎧を剝がされたその姿は哀れで小さかった――法務官という地位を夢見た、育ち過ぎの幼体。この者はその称号を詐称しているに過ぎない、ファイレクシアのすべてがそれを知っており、ようやくその事実がさらけ出されたのだ。

 ルーカとアジャニが獲物を差し出した。シェオルドレッドは唾を吐いたが、その黒い液体は目標に届かなかった。拘束されているため、その動きは自然と身をよじり振り解こうとするようなものとなる。これほどまで落ちぶれた彼女の姿を見て、ノーンは満足に浸った。

「この者をいかがいたしましょうか?」アジャニが言った。その両目が虜囚たちへとひらめいた。「それとも、先に彼らの対処が必要でしょうか?」

 怯えきった小さな蛆虫たちをノーンは見据えた。既に彼らは後ずさっていた。彼らが考えている内容は、その恐怖と同様に明白だった。新ファイレクシアを離れ、仲間に知らせ、貧弱な戦力を集めて反撃を開始する。肉に縛られし者たちがしばしば試みる努力。その努力の果てにどうなった? この聖所にて、絶望的に数で劣りながら、それでもこの状況からの脱出を考えている。

 面白い――ひとたびそれを超越したなら、死は面白いという意味で。「逃げたいのであろう? ファイレクシアはそれを許そう。ただし条件がひとつある」ノーンが言った。「ナヒリ――拘束せよ」

 床から石が弾け出て、不完全なプレインズウォーカーたちを包み込んだ。動かせるのは頭部のみ。それは永遠には続かない、ノーンはよくわかっていた――既に最小の者は幽体と化して石を抜け出していた。だが目的は果たす。そして三人が彼女の慈悲に唾を吐くのであれば、ふさわしい運命がもたらされるだろう。

「其方らは我らの到来の預言者となる」彼女は言った。「しばし、不信心者の同輩へと其方らが見たものを伝えるがよい――統一という未来を」

「冗談は大概にせよ」シェオルドレッドが囁いた。声を発すると、拘束された胸が強張った。「そのような自己顕示欲は真実を変えはせぬ。ノーン、お前は自分しか見ていない。ファイレクシアすらも、お前の狂える暴言に従わないのであればお前にとっては何の意味もない。お前は統一など気にかけてはいない。お前が気にかけるのはお前自身だけだ」

「そうであろうか?」ノーンは言い返し、玉座の肘かけを叩きつけた。「エリシュ・ノーンの配慮はファイレクシアの配慮。シェオルドレッドよ、銀白の刻文は新ファイレクシアの栄光を広めよと要求している。其方は長いこと、我らが神聖なる教義を内から腐敗させようとしてきた――だがそれは過去のこと。我らが未来は輝かしく完璧、其方も束縛から解き放たれる。ファイレクシアに、統一よりも力を切望する者の居場所はもはや存在せぬ。アジャニ――この者を処刑せよ」

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アート:Joseph Weston

 この時、シェオルドレッドは囁き以上の声を発した。だが抵抗の叫びは、素早く振り下ろされる斧にかき消された。シェオルドレッドの頭部が跳ね、その足元で止まり、白磁の床を黒い胆液が汚した。ノーンがそれを気にかけるのは一瞬だけ――下僕らが屍を取り去り、加工へと回すだろう。申し分なく良い部位を無駄にしてはならない――シェオルドレッドにはできなかったとしても、それらはファイレクシアに仕えるのだ。虜囚でも最大の者が石の中で筋肉を強張らせた。十分な時間を与えたなら、脱出するだろう。

 エリシュ・ノーンは彼らの逃走を計算に入れていた。福音を広める者たちが必要であり、結局のところ、彼らがこの場所から伝道を行うことは不可能だ。必然の結末に抗うことの無意味さを理解したならば、逃げ去るはずなのだ。

 だがその行いには、侵略にはもうひとつが必要となる。

「喜ぶがよい、祝福されし伝道者たちよ」彼女はそう切り出した。「我らが象徴はあまねく次元に燃え上がり、我らが聖句はその影に入り込む。まもなく、我らは多元宇宙をそのまどろみから目覚めさせよう。新ファイレクシア! その完成化という燦然たる栄光は近い。皮膚という障壁が取り除かれ、心が我らに加わったなら、其方らと同じようにあらゆる者がまもなくファイレクシアの恍惚を知るであろう」

 聖域の内に鋭い遠吠えが鳴り響き、新ファイレクシアの臓から運ばれてゆく。言葉では言い尽くせぬものを、なんと美しく歌うのだろうか!

 伝道者たちも自らの声を加えようとした――だが彼らは新しく、その喉はあまりに脆い。加わる声に活気はなかった。コーラスとは、それぞれの声が他の声と調和して初めてコーラスとなる。彼らが引き起こす不和は耳障りで……失望をもたらした。

「静粛に!」彼女は叫んだ。

 そして静寂があった。

「我らが行いは未だ完了してはおらぬ。我らは永遠の完成化という汚れなき栄光の前に立っている。ただ、そこに至る一歩を踏み出すだけでよい。其方らの熱心な奉仕と献身を称え、故郷を統一する栄誉を授けよう。ナヒリ――其方の故郷は何処であるか?」

 このコーはまだ肉が多すぎるが、限られた時間の中でやり遂げたもの。「ゼンディカー」彼女はそう返答した。「遠い昔、私はゼンディカーで生まれた」

 ノーンは頷いた。「ニッサ。その地を我らに示せ」

 ニッサはプレインズウォーカーたちがファイレクシアに与えた最高の贈り物だった。今こうしてノーンの隣に立ちながらも、彼女は次元壊しに指示を与えている。戦闘における能力は言うまでもない。このまま行けば、彼女はタミヨウに代わってノーンが最も気に入る新たな下僕となるかもしれない――だがそれを判断するのはまだ早い。そして事実、全員がファイレクシアをそれぞれのやり方で支えているのだから。

 幾つものポータルが動いて合体し、ひとつの楕円を成した。異なる映像が波打ち、ひとつの新しく、全体的な、完全なものへと変化した。目の前に広がるのは古の森。塔のように高く太くそびえる木々。頭上の梢は緑に覆われ、空はほとんど見えない。エルフたちが巣の中の蟻のように枝の間を動き、武器を構えて見上げていた。何かを待っていた。

 自分たちがすぐに見つかるであろうことを彼らはまだ知らない。彼らが歩く枝はファイレクシアの形へと曲がり、木々や石の穴が、彼らが取ることになる身体の形を告げた。ノーンのポータルはひとつとは限らない。ファイレクシアがもつ千もの目が、空を見上げる彼らを見下ろした。ナヒリがニッサへと顔をしかめて言った。「機械の母はそんな些細なものは気にかけないわよ。スカイクレイブを見せなさい」再び映像が波打った。そして現れた風景では、樹冠が空中都市の景色を縁取っていた。鳥が羽根で身を守るように、面晶体がそれを取り囲んでいた。空に際立つ純然たる白色、鋭く正確な先端。ノーンは一目でそこに美を見出した。命短き者でも、有用なものを作り上げることはできるということだろうか。

「これを何かに用いる計画はあるか?」ノーンは尋ねた。

 ナヒリは頷いた。「ええ、大いなる法務官殿。これは私の民の遺跡――かつて次元を支配するために用いた古の武器。今一度目覚めさせましょうか、私たちの意志を実行するために」

 ノーンの唇が得意げに歪んだ。「其方は衣服をまとうように新たな目的をまとうのだな。この地へ赴くがよい。我らが軍勢もまもなく合流しよう」

 ナヒリにそれ以上の指示は不要だった。三歩歩いて彼女は存在から消え去り、聖所に轟音が響いた。ノーンは虜囚たちへと今一度視線をやったが、既にその姿はなかった。ナヒリの出発と合わせることで、その音を消したに違いない。何と哀れな生物だろうか、これほどの美から目を背けるとは。

「ルーカ。其方はいかにしてファイレクシアの栄光を故郷にもたらすのだ?」

 シェオルドレッドの血が今も彼の顔と外殻を汚していた。「尊き母よ。その地を服従させましょう」

「いかにしてかを述べよ、ルーカ。服従させるのは当然のこと」

 不平のうめき声を発し、ルーカは体重を左右に動かした。「怪物を」やがて彼はそう告げた。「それらが仲間に加われば、他の者たちは我々の前にすくむでしょう」

 彼女はその返答を気に入らなかった――それは人間たちがファイレクシアの前にすくんでいないことを示している。彼の表層下に煮えたぎる怒りも気に入らなかった。それは失敗を助長する怒り。野蛮人に血への渇望は何ら問題ない、だが軍人には? プレインズウォーカーたちはそこに付け込み、この男が無視できない罠を仕掛けた。居残って次元の完成化を見つめるか、個人的な不満を解決するために飛び出すかを選べと言われたなら、ルーカは常に個人的な不満を選択するだろう。

「宜しい。イコリアへ向かい、その怪物どもを我らに加えよ。だがルーカ、失敗の代価を心せよ。そして其方の真の故郷を忘れるな。其方は新ファイレクシアの油にて聖別された者――其方は最早、本能に突き動かされる生物ではない。偉大なる全に属する者なのだ」

「その統治が続かんことを」

 その言葉とともに彼は発った。ナヒリと同様に素早く、かつその結果は明白。ファイレクシアが同じ能力を持っていたなら、すべてが速やかにまとまるだろうに――思わずノーンはそう驚嘆した。

 いや。無関心な次元の背骨からファイレクシアが勝利を切り出さねばならないのは良いことだ。劣った存在を放置していてはいけない。

「偉大なる法務官様」タミヨウが言った。

 ノーンは思考を振り払った。「どうした?」

「あの者は間違いなくイコリアにて死ぬでしょう。強情な者はしばしば性急な決断を下します――あえて彼をあのように仕向けたのですか?」

「あの者が失敗するならば、シェオルドレッドと同じ運命を辿り、そして其方らのひとりが審判を下すことになるだけだ」ノーンは返答した。「成功するならその次元は我らのものとなり、あの者は我らが満足のためにいかなる過ちも償うであろう。どちらであろうと、ファイレクシアは献身を受けるのだ」

 タミヨウは頷いた。「やはり。貴女様は常に理にかなっておいでです」

「大修道士様は過ちを犯さぬ」アトラクサが言った。他の者たちはその声に慣れていない――過酷で苦痛をもたらし、その脆弱な鼓膜にガラスの破片が刺さったように感じる。アジャニですらひるんだ。

 ノーンはそうではなかった。「いかにも。タミヨウ――其方は神河を故郷と呼んでいたな?」

「かつて、物事の真実を悟る以前のことです」

「ニッサ」短く命令するだけで、その次元を見ることができる。今一度ポータルが波打ち、動き、その次元は夜空の下の輝きで彼女らを出迎えた。人工の光がきらめく都市を照らしていた。矢の末端から見ているように、視界は揺れながら迫った。すぐに彼女たちは街そのものの中に立った。層をなす構造物が海岸近くにそびえ立ち、上の暗闇に手を伸ばしていた。街路を歩く人々は柔らかくしなやかだった。

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アート:Raymond Bonilla

 誰も狼狽していない、その事実に彼女は驚いた。完成化とは怖れるものではない、彼らはそう理解しているのかもしれない――いや、頭上にポータルが開いているにもかかわらず、何が迫ろうとしているかを知らないのだろう。次元壊しの棘が掴もうという直前に至っても、人々は無意味な生活を送っていた。ある男が何らかの食物を摂取していた。彼はその食物を提供する小さな屋台に立つ別の人物に話しかけ、今にその答えなど無用となる質問をしていた。ある女性が子供ふたりと共に歩いていた。子供らは母が手にする飴をもっとくれと言った。母は自身の取り分をふたりに分け与えた――これから起こる物事の光の中、誰も覚えていないであろう犠牲。

 タミヨウもその光景を見つめた。鉄で閉じた巻物をその手が強く握りしめた。伝道者たちの中で、彼女だけが血に覆われていなかった。

「神河を愛していたか?」ノーンは尋ねた。

「愛しておりました」タミヨウが返答した。「英雄と悪党、裏切り者と勇士の地です。将来、生命がどのように変化するかについては、無数の可能性があるように思われました。私はそのすべてを見たいと思っておりました。そしてその中のどれが真実なのかを、家族とともに発見したいと願っておりました。今は神河が変化するであろうものを愛しております」

「其方の家族」ノーンは繰り返した。アジャニが腕を組んだ――自分にも質問が向けられることを知っており、彼は熱心に耳を澄ましていた。「今も家族を気にかけているのか?」

 子供を連れ、街路を歩いてゆく女性をタミヨウは見つめていた。その頭上に白色の先端が映った。子供たちと手を繋いで振りながら。あるいは子供たちが彼女の手を振りながら、その女性は歩き続けた。

 そして質問されているのを思い出したかのように、彼女は振り返った。「世界について私が理解するに至った内容を、彼らにも理解して頂きたいのです――統一を。私たち全員が完成化されたなら、二度と離れることはないのだと」

「其方は理解している」ノーンが言った。「我らという家族は其方らの誰もが知るよりも大きなもの。タミヨウ、古き者を新たな家族へと歓迎せよ」

 ファイレクシアの心臓、脈打つ金属の中に真の静寂は存在しない。その住人たちが偉大かつ神聖なる仕事に取り組む時、金属と金属がこすれ合う。ピストンが人間の理解を超える存在を動かし、刃は不純なものを切り落とす。ここでも同様に、シェオルドレッドの最後の献身の音がまだかすかに聞こえている――キチン質が割れ、腱が裂かれる音が。

 それでも、ノーンの言葉には同じように沈黙が続く。タミヨウは映像を見つめ、ノーンのありがたき命令を聞いている様子はなかった。

 次元壊しが地面を貫いた。段になった建物が震え、その層が剥がれた――階そのものが落下した。至る所のタイルが、尖った磁器の雪のように降り注いだ。小さな屋台は一瞬にして潰された。その下から赤い液体が流れ出て、泡立つ水と混じり合った。

 あの母親は両方の腕に子供を抱え、駆け出した。

「タミヨウ」ノーンは再び呼びかけた。尖った歯の隙間に挟まるような、不快な躊躇。

 黒ずくめの人物が視界を駆けた。嵐のような華麗な切断で落下するタイルは割れ、その母子から外れた。

 その先は見えなかった――アトラクサが飛び立ち、その翼で映像を遮った。口を開いたならその声は剣よりも鋭く、見えざるナイフを構えているように油断ない。

「ここで無礼は許されぬ。お前は命令を与えられているのだ」

 タミヨウははっと我に返り、アジャニはひるんだ。彼女は振り返り、瞬きをした。「も――申し訳ありません。私に一体何が起こったのか――」

「何であろうとそれを見つけ、滅せよ」ノーンが言った。「そのようなものの居場所はない。神河を手中に収めて戻るか、さもなくばよりよく使えるものへと再利用されるかだ」

「仰せのままに」彼女はそう返答した。感覚が戻ったに違いない――彼女は映像を再び見上げることもせず、去るその姿にもはや躊躇はなかった。

 タミヨウが去り、その場には4人だけが残された。ニッサはノーンの隣に立ち、その両目は緑色に曇っていた。アジャニはタミヨウの出発を見つめ、自身への命令を待っていた。アトラクサは宙に留まっていた。翼の羽ばたきひとつひとつに、明白な期待を漂わせながら。

 だが忍耐とは貴重な教訓であり、学ぶ価値があるもの。

「アジャニ」ノーンの言葉に彼は顔を向けた。「其方には何を尋ねようか」

「私が生まれた地をお見せしましょうか」

「いや。其方の運命はそのようなものよりも遥かに大きい。それが何処にあるかは知っておろう」

 そして2人の間には沈黙ではなく理解が漂った。彼は確信をもって鏡へと向き直った。「テーロスをご覧になりたいのですね」

「いかにもその通り」

 鏡の表面を黒色が覆った。黒色は眩しく輝き、黒色は新たな何かを映し出した。

 ひとつの都市が彼らを見つめ返した――それまで映っていた都市ではなく。深紅の波が黄金の岸に打ち寄せ、白色の家々が緑の野辺に点在していた。神河は夜に包まれていたが、この場所は陽光の下に光輝いていた。2つの守護像が掲げた剣の下を船が進んだ。

 その甲板上にて、猟師たちは獲物が奇妙な形に歪んでいることを訝しんだ。崖の上では天文学者たちが、ポータルが出現した意味を議論していた。

 それは誰もが想像する平穏な景色。近づいてよく見ない限りは。

 ノーンの心が興奮に満ちた。彼らはこんなにも完成に近い。こんなにも深き理解に近い。そしてそれは遠くない――テーロスは最初の目標のひとつなのだ。

 そしてどうやら、自分たちは祝祭を良い場所から見ることができそうだった。

 それは神河と同じように始まった――白く巨大な枝がポータルから弾け出た。ここからでは木は見えないが、根は同じように張られていった。木がその仕事を終えるよりも早く鞘が放たれた。ファイレクシアがその地を手に入れようと熱望するように。あるものは宙で弾け、昆虫に似た転換装置の群れを生み出した。風は刃の嵐を市場へと運んだ。上空に金属がきらめき、白磁の塊が大地に落とされ、巨体が着地して建物を吹き飛ばした。大理石は砂のように崩れ、その白色の上を黒い油が流れた。寺院は扉を固く閉ざすも、ファイレクシアの戦闘機械に叩き割られるのみ。翼をもつ構築物が家畜も人も同様に貪り、あるものは食物を見つけるべく船へと降り立った。網はそれらを止められず、槍はその誇らしい外殻に跳ね返された。

 ファイレクシアは飢えている。エリシュ・ノーンは飢えている。彼らが顎で噛み砕くたびに、血の味が彼女の舌に伝わってきた――殺戮のコーラスから彼女への捧げもの。彼女は彼らと共にあり、彼らは彼女と共にあり、まもなくこの場所はひとつとなる。

「私がおらずとも良くやっているようです」アジャニが言った。

「弱者を殺戮し有用な者を捕らえることについてはな」ノーンは返答した。「其方が率いるのであれば、遥かに効率的に動けよう」

「そのような些細な理由で私をそこに送るのではありませんね」

 つまり、彼は把握すべき以上の物事を把握している。利口な指揮官は最も好ましいが、最も危険にもなりうる。利口であることは独特であるということ。そしてファイレクシアにおいて全てはひとつ。

 エリシュ・ノーンはそれを彼に思い出させる必要があるだろう。あるいは新たな改造を加えることで。

「テーロスは新ファイレクシアの未来にとって重要なのだ」

 更なる質問を阻止するように、ポータルの先の戦いが激化した。ニッサは岸に立つ何者かへと視点を移した。半ば水に沈む、とある寺院が映った。その頂上には揺らめく夜空の闇に包まれた一本の手があり、寺院の階段へと川のように水を滴らせていた。見えざる傍観者が顔を上げ、ようやくその完全な姿が明らかになった。その場所を守っている……何か。一部は女性であり、一部はそうでない何か。そして最も奇妙なのは――そして同じく最も興味をそそられるのは――その女性の一部が存在から消えるその様だった。

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アート:Johan Grenier

 あれほど大きな生物が完成化した暁には、ただ一体で多くの次元を征服できるだろう。だがファイレクシアが関心を抱くのが大きさだけだとしたら、ノーンはもっと信頼できる者をイコリアへと送り込んでいただろう。

 違う――その存在が何であろうと、ただ巨大というだけではない。それはエリシュ・ノーンが求める何かなのだ。

「あれを」彼女は白磁の指をさして言った。「お前があれを、ファイレクシアの抱擁の内にもたらすのだ」

 アジャニはその生物を見つめた。そして一度頷き、ノーンへと向き直った。計画を察知し、彼の鼻面に微笑みのようなものが浮かんだ。「ああ――理解致しました。神々をお求めなのですね」

 あれが彼らの神々の一柱? ノーンは神々というものにもっと期待を寄せていた。今や正当な地位となったファイレクシアに挑戦できる者が存在することに対してではない。この生物は確かに壮大だが、清純とは程遠い。ノーンは早くも将来性へと思いを巡らせた。

「司祭らを連れて行くのだ」彼女はそう言った。「銀白の刻文を持って行け。我らはありとあらゆる戦場で、これらの神々を打ち倒す。多元宇宙の真実を悟るほど賢き者には、以前の友人らを啓蒙する力を与えよ」

「刻文があれば容易いことです。テーロスの神々を存在させるのは信仰です。神が存在するからこそ信仰があるのではありません。人々が真実を理解したなら、神々も続くでしょう」彼は今一度、肩越しに振り返った。その生物は――神は――ファイレクシアの侵略船に二又槍を突き立てていた。岸では逃げずにいる船乗りたちが抱き合い。喜び合っていた。彼らは大きな笑みを浮かべながらも、奇妙なことにその目には恐怖が居残っていた。

 心の奥底で彼らは察しているのだ、これで終わりではないと。

 そしてそれは、言葉では言い表せないほどの喜びをノーンへともたらした。

「行け」彼女は命令を下した。

 彼はその通りにした。アジャニは常に従順であり、言われたことを成す。彼が瞬きとともに存在から消えると、ノーンはしばし誇りに耽った。アジャニを取り込み、ひとりのファイレクシア人として創造したことを。

 そして、テーロスに送り込まれる本当の理由を彼が知らなかったという誇りもあった。それで充分。目標を知らずとも、彼はそれを成し遂げるだろう。

 そして聖所には、アトラクサとニッサだけが彼女とともに残された。

「機械の母、至上にして最も神聖なる御方。この生をもってお仕え致します」アトラクサが申し出た。

「其方にかような非効率という無駄は不要」ノーンはそう言った。「其方への任務が最後に与えられる、それには理由があるとよく知っておろう」

 ノーンの厳しい返答に、アトラクサは僅かにひるんだ。それは自らの両手でアトラクサの身体を作り上げた女性にしか見えない。他の者らは好き好きな部位を確保した――だがノーンはアトラクサを最もよく知っており、彼女の心臓を確保していた。彼女を完璧としたものを除き、かつての生は一切残っていない。「新ファイレクシアが私に求めるものは、何であろうと果たされましょう」

「ニッサ――我らが先駆者らはかつてカペナという地にて頓挫した。その地の現在の姿を示せ」

 見つめる光景が変化するまでにはやや長い時を要した。苛立たしい、だが予想不能ではなかった。そこはニッサがよく知る地ではない。ようやく視界がはっきりすると、白大理石に囲まれた金色の門を彼女たちは見つめた。その縁を碑銘が覆っていた。ノーンにはその言語がわからず、気にもしなかった。例え知っていたとしても、そもそも読むことはできないだろう――揺らめく黄金色のもやが細部をぼやけさせていた。

 アトラクサは何も言わず、ノーンを見上げた。槽から生まれ出たばかりの幼体のように。

「我らが前任者らは古の手段でこの次元を発見した」彼女は言った。「神聖なる悪臭が濃密に満ちていた場所、だが彼らはその内に何か価値あるものを見た――その守護者らに対峙するという危険を冒す価値があるものを。彼らは一年近くの間その地に留まり、望むものを手に入れ、大衆に関する必要な調査を行い、足を踏み入れた場所すべてに祝福された腐敗を広めた」

「何かが彼らを閉ざしてしまうまで」アトラクサが続けた。彼女はこのために自身が選ばれた理由を理解し始めている。実に宜しい。

「いかにも、天使だ。偽りの予言者らはその横柄さの報いとして石に縛られた」その言葉はアトラクサにとっては重荷に違いない。続ける前に、ノーンは余韻を込めた。「奴らの民へと我らがもたらすであろう真実を怖れたのだ――自分たちが決して約束できぬ統一を。奴らは自暴自棄となった。そして物理的な肉体を捨て、我らが船の影響力を鎮圧した。我らは長いことその地にいるが、ひとつとして成し遂げてはおらぬ。今、それは終わる」

「成されるでありましょう」アトラクサが言った。「その船を解放し――」

「船そのものは我らにとって何の意味もない。忠実であったなら、彼らは勝利していたはずなのだ。船、あるいはその乗員を発見したなら、部品を回収せよ。完成化という賜物は最早それらには相応しくないものだ」

「仰せのままに」アトラクサが返答した。

「ニッサ――奴らが築き上げた残虐を見せてみよ」

 視界はまた別の夜空へ、そしてその下にきらめく都市へと変化した。違う――ノーンはそれを都市とは認めなかった。星にも届くほどにそびえたつ何本もの針は、あらゆる意味で侮辱。黄金のきらめきが無かったとしても、それは退廃を染み出していた。何処を見ようとも、ぞっとするものがあった。垂直の柱の内を行き交う黄金の殻。コートやドレスが示す毛皮への崇拝は吐き気を催すようだった。無価値な肉の管が奏でるのは、彼らが音楽と呼ぶ不快な雑音。その高さは思い上がりであり、その思い上がりは高さに表れる。そのすべてがファイレクシア人の死体の上に築かれていた。そのすべてがファイレクシアを遠ざけていた。

「これを記憶に焼きつけよ。我らに対する奴らの行いを、その地に築いたものを決して忘れてはならぬ。アトラクサ、不信心者は自分たちこそが神聖と考える。だが神性は統一の中にのみ存在するのだ」

「すべてはひとつ」アトラクサが返答した。武器を握り締める拳から、彼女がその光景を一切気に入っていないことは明白だった。「私は何を致しましょうか?」

「その民に傲慢の代価を教えよ。奴らはかつては我らの仲間となれたかもしれぬが、最早そのような慈悲には値せぬ。すべて収穫するのだ」

「仰せのままに」アトラクサが言った。翼を羽ばたかせ、彼女は次元壊しへの橋へ向かおうとした――だがノーンが片手を挙げて彼女を止めた。

「其方にはもうひとつ仕事がある」

 アトラクサは宙で待った。

 ノーンは指をさした。「天使によるかの地の庇護は、新たな形ではあるが今日でも続いている。ここからでも見える揺らぎは、奴らの霊的な姿の名残だ。不信心者はそれを光素と呼ぶ。其方にとっては禁忌となろう。其方が塔を倒し天使らを目覚めさせるまで、その影響から逃れることは不可能であろう。この次元における其方の最も神聖な義務は、その源を見つけ破壊することだ」

 アトラクサは小さくうつむいた。彼女は鏡を、そしてノーンを見た。「機械の母よ、私は質問をする立場ではないとは存じておりますが……」

「いかにも」ノーンが言った。「だが許そう。質問するがよい」

 その質問が何であろうと、ノーンは答えるつもりだった。アトラクサは既に新ファイレクシアの意志と共にある――究極的には、ノーンの返答が何であろうと、アトラクサが新ファイレクシアとひとつである限り問題はない。

「その船は遠い昔に失われ、大気に毒が満ちているのであれば、その地に百長を送り込まないのはいかなる理由からでしょうか? 何故、私にその任務を与えられるのでしょうか?」

「理由は三つ。まず、これは栄光ある任務であり、完了したならば其方の力を知らしめるであろう。次に。其方のかつての生がその『光素』とやらに対する防護をもたらすかもしれぬ」

 この聖所に真の沈黙は存在しない――だがアトラクサが三番目の返答を待つ間、それに近いものがあった。ノーンは三番目の返答をどのような言葉で伝えようかと考えた。

「そして。その地には新ファイレクシアにとっての危険が存在するためだ。ニューカペナを殺戮し、我らはその心臓を討つ」

 アトラクサは翼を一度羽ばたかせた。「その危険とは――アジャニをテーロスに送られたのも、同様の理由からでしょうか?」

「其方は聡明だ」ノーンは返答した。「その通り。その危険に勝利を許してはならぬ。其方とアジャニは我らの勝利を確実とするのだ」

「すべては忠実なる者の栄光のために」

 そして彼女は去り、ニッサだけが残った。だが彼女はノーンに注意を向けてはいなかった。ノーンの副官は次元壊しの成長を管理することに手一杯であり、話をすることはできなかった。

 この聖所の大気が完全に沈黙することはない。

 ノーンはそれが嫌いだった。

 身振りひとつで彼女は従者たちを呼び出した。彼らは到着すると、ノーン自身の考えと教えを彼女へと暗唱した。その金切り声の中、エリシュ・ノーンはしばし悪夢を忘れた――そしてそれとともに忍び寄る、白をまとうあの女性のことも。

(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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