MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 11

サイドストーリー・アルケヴィオス編 光輝く心臓

Emily Teng
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2023年3月20日

 

 ストリクスヘイヴンの地下トンネル、過ぎ去りし時代の遺物が安置される場所にてクイントリウスが言った。「迷ってしまったようです」

 複数のうめき声がその声明に応えた。

「ここは私たちの学校でしょ。迷うなんてありえない。寮から大図書棟へ向かう最短距離のはずよ!」ルーサが怒りを露わにした。

「実際に大図書棟で『創始ドラゴンの招致』を探すときの練習と思えばいいのよ」ダイナが言った。「行方不明の生徒を救出する捜索隊がこれまでに何回結成されたか知ってる? 百回くらい?」彼女の肩掛け鞄に入れられた害獣たちが鳴き声をあげて悶え、彼女は鞄の側面を叩いて黙らせた。

 最後尾のジモーンが声をあげた。「その招致って、ヴェス教授が仰ってたように本当にファイレクシアの侵略を遅らせられるの?」

 キリアンは素早く前を向いた。「見つからないよりは、遅くても見つかる方がずっといい。親父が手を貸してくれるよ。侵略が始まった時に大図書棟にいたから」

 クイントは耳をはためかせたが口は閉ざしていた。リリアナ以外にもファイレクシアの束縛から逃れた教授たちがいると、何としても信じたかった――ファイレクシアに乗っ取られず、その諜報員へと改造されていない教授がまだいると。だがこの、ランタンの明かりだけが照らす埃だらけの場所でも壁には赤色の腱がのたうち、影からは黒い油の悪臭が漂っている。望みは薄い。侵略軍はストリクスヘイヴンの防衛を焼き払った。教授たちが捕らえられて完成化され、この学府が攻撃を退けることは不可能に思われた。寮はまだ崩れておらず、生徒たちはヴェス教授と不死者の軍勢に守られている――けれどそれも永遠にはもたないだろう。

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アート:Alexey Kruglov

 だがクイントは深く溜息をついて言った。「キリアンの言う通りです。絶望からは得られるものはわずかです」ランタンを高く掲げ、彼は列の先頭でトンネルを下っていった。実際、これは遺跡の探検と大差ない。とはいえこれまでの探検に捕縛や完成化の危険はなかったが。

 状況は険しい。ファイレクシアのポータルが空に開いて侵略の枝が大地に突き刺され、多くの地下トンネルも多大な被害を受けた。天井が崩れている場所もあった。彼らは瓦礫を避けて先へ進み、あるいは別の道を探すために後戻りせざるを得なかった。

 厄介な妨害物ひとつを突破した後、侵略の枝のそばで休憩しながらクイントは瓦礫の背後にある彫像を目にとめた。

「そうです! もっと早くに考えるべきでした」

「考えるって何をだ?」キリアンが尋ねた。

 クイントはその彫像の隣に膝をつき、宙に白金色の印を描いた。唱え、呼びかけ、蘇らせる。「ストリクスヘイヴン最古の教授たちに案内してもらうのです。風化と退色の具合を見るに、この彫像は明らかに由緒あるものです。お願いすれば――」

 クイントの呪文が完成し、印が震えた。石造りの彫像を取り囲んで塵や小石が渦を巻き、小さな旋風が次第に凝固していった。塵が固まり、白く輝く石と化した。その旋風から四肢が伸び、輝く目が瞬きをした。教授の霊がその彫像に入り込んだのだ。

 その霊は周囲を見渡し、顔をしかめた。「ストリクスへイヴンは衰退してしまったのか」

「進んで侵略されたわけじゃないんだけど」ダイナが言った。

 教授の霊はダイナを睨みつけた。不満が口にされるよりも早く、クイントが言った。「大変申し訳ありません、教授――」

「学部長だ。それも分からぬとは。ヘリアン学部長。かつては――」

「すみません」まくし立てられる非難をクイントは遮った。「急いでいるんです。大図書棟への道をご存知ではありませんか? 私たちは――その――」

「迷っちゃって」ルーサが続けた。

「迷っただと! 一体どうすれば迷うというのだ?」ヘリアン学部長は甲高い声をあげ、苦い顔をしたキリアンが素早く答えた。「長い話になります。それに説明している時間はありません」

「とんでもない! 大図書棟の地下にいるというのに何故迷うのだ?」クイントは目を見開いた。そして生徒たちは一斉に上を見上げた。甲殻に覆われた侵略の枝を、吐き気を催すような温かさの脈動を、そしてそれが突き刺してあいた穴を。

「また迷うのは嫌よ」ジモーンが呟いた。

 そして笑みを浮かべ、ダイナが尋ねた。「誰が最初に行く?」


 探検用装具を持たずに構造物をよじ登るなんてことは二度としない、登攀しながらクイントはそう思った。四組の手が彼の上着を掴み、四つの背中が曲げられて彼をその穴から大図書棟の床へと引き上げた。途中で掌握が外れて滑り落ちたのは彼だけではなかった。

 辺りを一瞥し、すぐさまクイントは地下へと戻りたくなった。

 彼の愛する、輝かしい学びの中心地は失われていた。赤で縁取られたポータルが幾つも頭上に悶え、命のない血の色の光を発していた。侵略の枝は宙も壁も同じように裂き、既存の構造を崩壊させていた。そしてここには地下よりも赤い腱が沢山走っていた。節だらけのチューブが調度品を覆い、脊柱のように分割された白磁の柱と互いに繋がっていた。壁そのものを食らってはそれらを汚し、大図書棟を輝かせるすべてを飲み込んでは黒い油と更なる腱を吐き出しているように思えた。

 全員が無言だった。大気は重苦しく、喉に言葉が詰まった。それでも、どういうわけか近くで光が舞っていた。ファイレクシアの赤色ではなく薄い青色、そして陽光の中を通る塵のようにはかない。深く考えることなくクイントはその光に手を伸ばし……そして驚きに目を見開いた。光の塵は彼の皮膚へと溶けて消えた。静かな興奮、これは発見だという実感が彼に満ちていった。

『招致は全く新しいもののように感じるはず』リリアナ教授はそう言っていた。『それ自身の痕跡……みたいなものを発しているはずよ。私も具体的にはわからないけれど。それでも、ストリクスヘイヴンは創始ドラゴンの招致とともに始まったのよ。そしてその呪文はあらゆる侵略に対抗しようとするでしょうね。それを見つけて唱えなさい。私たちの学校からファイレクシアを追い払うために』

 クイントは同輩たちを眺めた。光の塵が更に舞い、四人の表情もまた同じ認識に輝いた。招致の痕跡。それは目を覚まし、ファイレクシアという闇に対抗しようともがいている。

 先へ進もう。クイントは舞い踊る光を追いかけた。

 大図書棟は無人のように見えたが、話をしたいというクイントの欲求はポータルの存在に抑えつけられていた。彼の思考は不安に曇った。本が列をなして並び、腱に包まれた通路を少しずつ進みながら彼は奇妙だと感じていた。侵略の枝そのものが音をたててうなり、大気は悪性腫瘍が鼓動するように脈打っていた。そして赤色に照らされた大図書棟は墓のように思えた。クイントがこれまでに研究してきた遺跡ですら、ここよりは生気があった。

 そしてダイナとジモーンとキリアンを背後にして、ローサのすぐ後を忍び足で進みながらクイントは顔を上げた――そして驚きに跳び上がりかけた。ロアホールドの赤と白をまとう生徒がひとり、本棚の上から彼らを見下ろしていた。黒髪のドワーフで、まだほとんど完成化されていない。目を見開き、恐怖に血の気を失った唇が発する呼気が、澱んだ空気をわずかに震わせていた。

 クイントと視線が合い、その生徒の両目に安堵が浮かんだ。「助けて」

 囁き声ではあったが、それが大図書棟という池に小石を投げ込んだかのように、赤色の腱が波打った。

 何かが本棚を包むようにとぐろを巻き、生徒の足をとらえた。恐怖の悲鳴をひとつ発したかと思うと、その生徒は暗い通路へと突き落された――一瞬、クイントは鋼のように輝く羽毛と剃刀の鉤爪に覆われた影を見た。舌とくちばしがあるはずの場所には、金属の繊維が網のように広がっていた。

「ああ!」自らを抑えきれずクイントは叫んだ。

 すぐさま警告するようにキリアンが肩を掴み、ルーサが掌を叩きつけてクイントの口を塞いだが、彼の叫び声もまた恐ろしい波紋を広げながら赤い腱の中を駆け抜けた。シャイル学部長の頭部が不意にぐるりと回転した。

 五人は声すら発しなかった。ただ逃げ出した。

 大図書棟が吼え声をあげ、クイントは耳を引きちぎりたくなった。影そのものが深紅の指で掴みかかってくるようだった。迷路のような通路を駆ける――甲殻とキチンに覆われた巨大な書棚を過ぎ、黒い油が流れて濁った臭い水路を越えていく。もはやそこに静寂はなく、恐怖と憤怒に彼らは追跡されていた。クイントの視界の端に、多すぎる脚とねじれすぎた姿が動き回った。魔法がひらめいた――暗緑色が弾け、ダイナが鞄の中の害獣から生命力を剥ぎ取ると、背後の床へと危険な滑る苔を投げつけた。キリアンはインクを放ち、追跡者の肢をからめて転ばせた。ルーサは旋回し、針のように鋭い氷のスパイクや炎の風を放った。ジモーンは息を切らしてついて行くのに精一杯であり、クイントは可能な限り優しく彼女の手を引いて駆けた。走りながら、五人は古の書物を踏みつけていった。心臓が激しく高鳴りながらも、クイントは鋭い良心の呵責を感じ――

「引き離してる」ルーサが喘ぎながら言い、クイントの内に希望が渦巻いた。もうすぐ吹き抜けに辿り着く。そうすれば沢山に枝分かれした廊下のどれかに飛び込んで、追跡をまける――

 羽根と金属、そして網状の口が頭上にはためいた。クイントが反応するよりも早く、シャイル学部長が急降下した。その鉤爪がキリアンの襟を引っかけ、そして彼女は急降下から上昇へと転じた。キリアンは掌握の中で悶え、ダイナとジモーンは彼の足を掴んで引き戻そうとした。シャイル学部長はただ翼を羽ばたかせ、上昇していった。彼女の口を形成する網がキリアンの頭部にまとわりつき、瞼の中に入り込もうとした。彼は嫌悪を露わにして目をきつく閉じた。

「お父上はどちらに?」シャイル学部長が尋ねた。キリアンの頭部を包むその網が優しく、まるで愛するかのように脈打った。彼の両手に白と黒が閃いたが、唱えようとした呪文は指先からほんの少しのところで立ち消えた。

 クイントは震えた。キリアンに待ち受ける運命がありありと見えた――金属と油の悪臭。そうはさせない。彼はきしむような声をあげた。「知りません。貴女が欲しているのはルー学部長ではありませんか。でしたらキリアンを相手にするのは時間の無駄でしょう。貴女にキリアンは不要です。彼は貴女の役には立ちません。ファイレクシアの――役には立ちません」

 シャイル学部長の口の網が一瞬だけ大きくはためき、怯えて血の気を失ったキリアンの顔を露わにした。だがそれは再び閉じた。「確かに私はルー家の出来の悪い息子よりも父親の方を好んだかもしれませんが、貴方は間違っています。キリアンは時間の無駄などではありません。すべてはファイレクシアのよりよい、純粋な多元宇宙のために」

 空しく遠いとわかっていても、クイントは叫び声をあげてキリアンへと手を伸ばした。シャイル学部長は勝利の金切り声をあげ、ファイレクシア化したさらなる教授たちが恐るべき金属の波となって近づき――

『無防備だな』誰かが囁いた。クイントがよろめいた瞬間、エムブローズ・ルー学部長がインクの黒い旋風をまとって彼らの隣に着地した。シャイル学部長の口である網が悶え、彼女はキリアンを床に吐き捨てるとエムブローズへと降下し、同時にファイレクシア化した教授たちが飛びかかった。エムブローズがまとう渦が爆発するように広がり、滑らかな絹の切れ端のようにクイントと仲間たちを通過していった。だがそれが教授たちに触れると、肉は煮えたぎって金属はひび割れ、あるいは融けた。

 インクの嵐に包まれ、教授たちの憤怒と苦痛の悲鳴が大図書棟にこだました。

『父さん、後ろ!』キリアンが叫んだ。彼はよろめきながらもまっすぐ立ち、両手からインクを放った。シャイル学部長がエムブローズの背後から矢のように迫っていた。

 だがその時、黒色のうねりがキリアンを突き飛ばした。そして鎌のような肢がインクの嵐を貫き、一瞬前にキリアンの頭部があった場所を切り裂いた。

『お前は自覚しているよりも遥かに弱い』エムブローズが吐き捨てるように言った。本棚が倒れ、宙を舞う本が開き、無数の著者がした言葉と知恵がちぎり取られてエムブローズの思うままに飛んだ。襲いかかる教授たちを矢や針が貫き、言葉がとばりのように群がって敵を窒息させた。そして更なるインクが上へと駆け、シャイル学部長の口から伸びる繊維を裂いた。かつてオーリンだったそれは落下し――

 キリアンが次なるインクの刃を呼び出したところで、闇の断片が彼の口を覆うように叩いた。彼がそれに爪を立てると、エムブローズが言った。「行け、キリアン」

 キリアンの両目がひらめき、彼はインクを裂いて払った。「僕も力になれる!」

「ああ。だが邪魔にもなる」

「侵略が始まった時にファイレクシアを止められなかったのに、どうして今勝てるって思うんですか?」ダイナが言い放った。

 エムブローズの凝視がキリアンに向けられた――そしてクイントが驚いたことに、普段は厳しい学部長の表情にはかすかなためらいがあった。

「説明の必要はない。行け」

 そしてなんの前触れもなく生徒たちの胴に黒色の鞭が巻きつき、インクの嵐の中に一瞬だけあいた穴へと彼らを放り込んだ。シャイル学部長が急旋回して彼らに向かい、だがインクの更なる爆発が彼女の翼を切り裂いた。叫びとともに彼女はエムブローズへと向き直った。人間の姿をとったひとつの影へと。

 インクの鞭は少し離れた通路に彼らを無造作に投げ捨てた。クイントは慌てて立ち上がった。キリアンは両目に炎を宿して跳び上がり、だがダイナに腕を掴まれた。

「放してくれ!」

「死ぬわよ」彼女は率直に言い、鞄の中の害獣たちも同意するかのように鳴き声を発した。

 キリアンは苛立ちに目を細めた。「ファイレクシアに親父を奪わせはしない」

「ええ。そしてごめんなさい、あなたは死なない。死にたかったって思うだけよ」そして、キリアンが息をのむとダイナは続けた。「ここで命を投げ出すのと、招致を見つけるのとどっちが大事?」

 クイントは打ち付けるインクを思い、キリアンを傷つけると知りながらも言った。「ダイナの言う通りです」

「親父がいれば力になってくれる!」

 ジモーンはキリアンの手に触れようとしたが、それを怖れたかのように引っ込めた。「今、エムブローズ学部長は力になってくれているわ」

「自分を餌にすることでか?」

「私たちが招致を見つけられるように、時間と余裕を稼いでくれることで。キリアンはよく知っているはずよ――けれど、あなたが成し遂げるって信じていなかったら、犠牲にはならないでしょう?」

 キリアンは歯を食いしばり、ルーサは彼を抑えつけようと身構えた――そしてキリアンは一度だけ頷いた。

 だが前進を開始すると、クイントは白色の魔法がひらめくのを見た――キリアンの指先から、増強と支援の言葉が父親めがけて飛んでいった。


 大図書棟の中を進むにつれ、戦いの音は退いていった。先程よりも静寂が重苦しいようにクイントは感じた。まるでほんの少し話すだけでも罰せられるかのように。招致の光も次第に弱まり、彼らは次に続く塵を探す必要にかられた。唯一の慰めは、それを慰めと言えるのであれば、エムブローズが教授たちの注意を引きつけてくれたことだった。今や通路に彼らを遮るものはなかった――ほとんどは。

 クイントは踏み出した足を床につける前に止めた。通路の終端のアーチから金属の姿がひとつぶら下がっていた。生徒五人は視線を交わし、そして無言で別の道を選んだ。

 不運にも、エムブローズとの戦いを棄権したのはその逆さまの教授だけではなかった。大図書棟は這うような音を囁き、金属が床を鋭く叩く響きがこだましていた。二度――いや三度、四度、やがてクイントは数えるのを忘れた――彼らは本の山の背後に隠れ、あるいは窮屈な隙間に入り込んで、教授たちが影や本棚を見つめながら通り過ぎるのを待った。それらの姿は奇妙で、肢は鋭い音を立ててありえない方向に曲がった。その外見は永遠に記憶から消えないだろう、クイントはそう思った。

 自分たちは今のところ、大図書棟のどれほどを探したのだろう? 赤い腱の柱の背後に縮こまりながら、クイントは見取り図を思い出そうとした。大図書棟は広大で入り組んでいる。プレインズウォーカーにして学者のヴェス教授ですら、全体を探索するには至っていない。それでも、迷路のような道について考えることは、近くを通り過ぎる教授へと耳を澄ますよりも良いことだった。今やその沢山の足がすぐ近くにあり、それらが立てる足音はクイントの脳を直接引っかくようで……

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アート:Dmitry Burmak

 その教授は通り過ぎ、足音も離れていった。通路を隔ててダイナとクイントの目が合い、彼女は頷いた。動いても大丈夫だ。

 五人は大図書棟でも馴染みのない区画に来ていた。彫像や書物は厚く埃をかぶり、油に濡れたクモの巣が繊細な筋繊維と絡み合っていた。時に、狭い道を通り抜ける際には、五人は分かれなければならなかった。そして合流し――呼吸をする赤い沈黙は、孤独を嫌なものにしていた――だが通路によって再びの分断を余儀なくされる。赤い影が重くのしかかる中、クイントは友と一緒の短い時間が続けばと願った。

 そしてダイナと共に本棚ふたつの間に滑り込んだ時、右側の本棚が揺れたかと思うとクイントは針のように鋭く長い指がその上を掴んでいるのを見た。彼は凍りついた。ひとりの教授が反対側にぶら下がり、待っていた――見つめていた。クイントはダイナと視線を交わした。ここから出たならすぐに見つかってしまうだろう。

 そして右のどこかで驚く声が聞こえた。

 ジモーン。

 その教授がぐるりと振り向き、本棚がきしんだ。

 クイントはよろめきながら通路の端まで進んだ。腰ほどの高さの本棚の背後からジモーンの怯えた目がかろうじて覗いており、ルーサとキリアンが彼女の肩を掴んで引いていた。そしてよじれた栄光に浴す、極めて奇怪な姿に鎌のような肢をもつ教授が静かに近づき――だがクイントは同時に、赤い腱に包まれて離れた壁に立つ彫像に目をとめた。彼の指が動きを作り、通常であれば三十秒かかる呪文を一秒で組み上げた。塵と石の旋風の中にその彫像の霊が姿を現した。それはクイントへと獰猛な笑みを見せ、揺らめく両手をあげて叫んだ。「図書室ではお静かに!」

 金切り声が大気に響き渡った。

 教授はカタカタと音を立てて旋回し、狙いを変えた。彫像は喜び勇んであらゆる甲殻を粉砕し、手の届くあらゆる赤い筋繊維を切断し始めていた。死したとしても、ストリクスヘイヴンの教授を務めた者はファイレクシアの侵入を我慢できないらしい。

 生徒五人はごく一瞬だけ視線を交わした――安堵と恐怖、驚き、すべてが彼らの内でないまぜになっていた。彼らは駆け、ファイレクシア化した教授の背中は遠ざかっていった。彫像が上げる挑戦的な咆哮に彼らの足音はかき消された。

 光の塵を追いかけて彼らは大図書棟の奥深くへ進み続けたが、長くは持ちそうになかった。残忍で途切れない恐怖の下、全員が消耗しているのがクイントにはわかった。キリアンはしばしば勇気と希望を皆に放ち、その言葉はクイントの両目にひらめいたが、侵略のポータルが放つ赤色は白の魔法を弱めていた。クイントはよろめき、椅子につまずいて転ぶ寸前で避けた。正しい道を進んではいる――青白く柔らかな光の粒は輝きを強めている――だがどこまで行けばいいのだろうか。わかるはずもなく、想像すらできなかった。

 そして彼はためらい、もう四人も同じく歩みを緩めた。恐怖と疲労が古い包帯のようにまとわりついていた。

 光は更に強くなっていた。ファイレクシアの重苦しいよどみに弱弱しく耐えているだけでなく、それを完全に跳ね返していた。光り輝く空間が本棚の間に浮かび、クイントがそのひとつを通過すると新鮮な空気を感じた。これほど長い暗闇と悲痛の中を抜けてきた後では、幸福感に高揚するようだった。

 もうすぐだ。

 活力を取り戻した五人は、向こう見ずに突進するのをこらえねばならなかった。光から光へと進むたびにそれは強く、大きく、眩しくなっていった。クイントにとって、それはまるで発掘された遺跡に差し込む陽光のように、あるいはまっさらな紙に書き写された古代の言葉のように思えた。

 通路が開け、濠に囲まれた円形の台座が現れた。その中心にはクイントがこれまでに見たことのある呪文とは似ても似つかない、光のもつれが揺れていた。そしてここには赤い腱がない、クイントは興奮とともにそう気づいた。台座に汚れはなかった。それが招致に違いない。ファイレクシアの掌握を退ける呪文を彼は他に知らなかった。

 両腕をさっと振り、ルーサが濠の水を凍らせて即席の橋を作った。見える限り教授の姿はない。彼らはその上を駆けた。

 それは良いものだとクイントは思った。招致に近づくにつれ、その輝きは柔らかく快適な毛布のように彼を包み込んだ。他のことなど何も考えられなくなってしまいそうだった。

 そのもつれはただの光ではなかった。虹色に絡み合う文字がとても眩しく輝き、赤い闇を完全に退けているのだった。文章が繋がり、繰り返し、沈み、そして新たな語句や成句へと変わる。その表面からは泡のように単語が弾けていた。クイントは身を乗り出し、目を細めてその単語を把握しようとした――すると輝く一本の触手が彼の手首に巻き付き、驚いて彼は飛び上がりかけた。その言葉は純粋な魔法でできた形のないものだろうと彼は思っていたが、まるで温かな絹糸が肌に触れるように感じた。

「これ、生きています」クイントは息をついた。招致がかすかに脈打ち、彼は目を見開いた。「今の見ましたか――」

「私たちに反応してるの?」ルーサが尋ね、そして招致は再び脈打った。

「反応しているだけじゃなさそう」ジモーンはもつれの周りをゆっくりと回った。どくん、どくん、どくん、脈動は彼女の言葉に合わせて続いた。「聞こえる?」

 ルーサは辺りを見渡した。「聞こえるって何が?」

「そう。何かが聞こえるかどうか」

 何も聞こえなかった。叫びも、悲鳴も、急ぎ走り回る肢の音も。

 キリアンはゆっくりと息を吐いた。「僕たちをファイレクシアの目から守ってくれているんだ」

 五人は沈黙した。クイントに小さな震えが走った。畏敬か恐怖か、それは彼にもわからなかった。ヴェス教授曰く、この招致はストリクスヘイヴンの創始ドラゴン五体の力を保持しているのだと。ひとつに絡み合い、融け合ってこの学校を築き上げ、危害から守っているのだと。そしてそうするために、招致の一部分は生きている。彼は今の今までそれに気付いていなかった。

「どう始めればよいのでしょう?」半ば自分自身へと彼は問いかけた。ストリクスヘイヴンそのものを築いた呪文を唱えるよりは、まだ山ひとつを作り上げる方が簡単そうだった。

「もしかしたら――」だがダイナが言い終わらないうちに、招致のもつれが解けて複数の短い節へと並び変わった。クイントは気付いた。それはもつれではなく、五枚の花弁からなる花。その花弁の一枚一枚に、ふたつの色が継ぎ目なく融け合っている。混乱した単語が意味のある文章へと並び変わった。

「五体の創始ドラゴン」ルーサがそう言い、青と赤の花弁に触れた。「呪文の五つの部品。創始ドラゴンの例にならって、五つの部分を繋げて読む必要があるんじゃないの?」

 ジモーンは爪先立ちになって招致の中心部を見つめた。「それも外でね。条件不等式みたいなものよ? 私たちが何に作用しようとしているのかがわかるようにしないと」

「来た道からは戻れないと思います」クイントが言った。腱にまみれた本の山の間をもう一度隠れながら進む、そう考えるだけで彼は再び身震いをした。

 ダイナの両目がきらめいた。「新鮮な空気を吸う方法はひとつじゃないわよ。ファイレクシアのせいにすればいいんだから」

「待ってくれ。君はかなり危ないことを考えているんだろう」キリアンはそう言い、そして極端な強調とともに付け加えた。「またしても」

「『かなり危ない』の定義は人によるわね。後ろを見てて」ダイナは屈みこむと正体不明の粘液が入った小瓶を鞄から取り出し、台座の上全体にいそいそとシンボルを描き始めた。

 ジモーンがその隣に膝をついた。「なるほどね。どうやって力を込めるの?」

「害獣で」

「それじゃエネルギーが足りないわよ」

「だから手伝って欲しい――」

「成長因子を加えさせて」ジモーンは指に青い光をまとわせ、ダイナが走り書きしたシンボルを軽く叩いた。濁った緑色の印、その所々に眩しい点が浮かんだ。「別個の物理的特徴の間にある虚数空間は、理論上は永遠に広がる。同じように、別個の数の間には無限の数がある。ターレの拡張仮説を用いて虚数を実数に変換したなら……」

 急速拡大の儀式に、ダイナとジモーンの頭上の大気が揺らいだ。青と暗緑色が混じり合い、濁っているのではなく生き生きとして見えた。ねじれた梯子のような模様が、柳の根のように節くれ立ったシンボルの間に組み込まれた。エネルギーが捕らえられ、倍化される時を待つように。

 そしてクイントは何かの動きを察した。

 彼は素早く旋回して手を突き出し、白熱したシンボルが近くの彫像や装飾に直撃した。だが彫像の霊が七つ実体化すると同時に、影からひとりの教授が飛び出した。鉤爪がクイントへと伸ばされ、その金属の両脇腹が開き、大きく広げられた肋骨の中央からは脈打つ赤いものが睨みつけ――

 インクの針がクイントをかすめて飛び、目をもつその赤いものを切り裂いた。肋骨を震わせて教授は後ずさり、そして氷のスパイクが濠から甲高い音とともに飛び、大きな粉砕音を立てて脚を突き刺した。石を軋ませ、砕きながらクイントの霊たちが突撃した。その攻撃を受けて教授はよろめいた。クイントの心臓が高鳴った。ジモーンとダイナの儀式が終わるまでもてばいい。

 そして教授の肋骨が再び広げられた。非難の息を立て、キリアンが再びインクの槍を放った――だが遅すぎた。瞬く間に肋骨の一本一本が帯状に膨らみ、クイントが呼び出した霊を叩き切った。三体が消えた。もう四体はよろめいて後ずさり、ほとんど何も残らないまでに引き裂かれた。

 ルーサから炎が轟音とともに飛び、クイントは招致を掴んで小さく固まってくれと懇願した。ひとつの考えが彼の頭をよぎった。何よりも、ファイレクシアにストリクスヘイヴンの心臓は奪わせない。周囲ではインクの矢と氷が飛び交っていた――視界の隅に激励の白と激しい炎が閃いた。招致はその花弁を閉じて直径を縮めていった。スープ皿の大きさへ、平皿へ、そしてティーカップほどの大きさになったところで彼はそれを掴み、ポケットに突っ込んで隠し――

「できた!」ダイナが叫んだのはその時だった。彼女は害獣の鞄をひっくり返し――それを見て教授はルーサとキリアンを強行突破して害獣たちを払いのけ、ダイナとジモーンめがけて突進した。だがその足が儀式の円を踏んだ。肋骨の中から引き裂くような悲鳴が発せられ、一方でそれは空から太陽を追い出そうとする叫びのようでもあった。その肉が溶けて落ち、骨に皮が張り付いた。儀式にその生命力を吸い取られ、赤い目をもつ心臓が燃え上がった。

 そしてダイナが悲鳴をあげた。

 エネルギーが多すぎる! キリアンが彼女の隣へ急ぐ一方でクイントはそう気づいた。ダイナは悶え、その身体が暗緑色の炎に燃えていた――炎は彼女の気孔から弾け出て、近くの本棚に飛び散った。

 成長というものが暴力の化身のように見えることもあるなど、クイントは全くもって知らなかった。

 磨き上げられた厚板が裂けて剃刀のように鋭い枝と化し、凄まじい速度で伸びたそれは教授の残骸を真二つに裂いた。鞘から刃が抜かれるような音をたて、枝から葉が弾け出た。ひとつ息をする間に、クイントの胴よりも太い根が床を粉々に砕いた。本棚が弾けて一本の木へとより合わさり、招致の台座よりも遥か上へと伸びていった。束縛から外れた生命の轟きがクイントの感覚を圧倒した。木は更に成長を続け、枝は完璧ならせん階段を形成し、葉は無限に薄くなっていった。樹冠が大図書棟の天井に達し、止まり――そして突き破った。光と空気、そして石の破片が台座に降り注いだ。

 クイントは唖然とした。

 そしてダイナは倒れ込んだ。

「負荷かけすぎも悪くないでしょ、ジモーン?」ダイナは息を切らして言い、圧倒された表情のキリアンとルーサが彼女に手を貸した。

 ジモーンの笑みは穏やかながら獰猛だった。「ぜんぜん悪くなんかないわよ。けど幹から離れすぎないように気をつけてね。理論上は、枝は虚数空間から現実空間に変換されているけれど……一定の距離を過ぎたら実数よりも虚数寄りになるから」

 荒い息の間でダイナは笑った。「それと下は見ないことね」


 下を見るんじゃなかった。ようやく屋上に辿り着いたクイントは両手で膝を押さえ、激しく息を切らしながら思った。今度こそ……本当に……二度と探検用装具無しで何かによじ登ることはしない。少しして、ある程度息を整えると彼は背筋を伸ばし、創始ドラゴンの招致をポケットから取り出した。開けた空の下でその花弁が開き、眩しく輝いて拡大していった。背後でジモーンが虚数の枝を解放すると、カードを切り混ぜるような音が聞こえて木はごく普通の高さに縮んだ。

 キリアンはダイナを支えたまま招致を見つめた。「唱えている間に邪魔をされるわけにはいかない。どんな意図しない結果になるかわからないからな。そうなったとしても沼の巨大な生物を作り出すってことはないと思うが、それでも――」

「保証はないわね」弱弱しくダイナが笑い声をあげた。

「邪魔は入らせないわよ、ほら」ルーサがそう言い、屋根の縁に向けて腕を振った。その軌跡に合わせて氷が弾け出ると、肌寒い清らかさが屋上を覆って赤く割れた空から彼らを閉ざした。

 そして、かすかにためらった後、五人はそれぞれ花弁を掴んで読み上げを開始した。

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アート:Dmitry Burmak

 クイントの内を驚きが駆け抜けた。その言葉はあまりに散文的だった。招致はストリクスヘイヴンをただ説明していた。招致が述べると、地面は固さを得た――それはこのように傾き、こういった種類の岩石を含む。雲の動き方をジモーンが定義すると、学校を取り囲む大気が満ち引きした。ルーサは学校の屋根や芝生をどのように温めるかを太陽に伝え、地下水や湧き水がどこへ流れるかを示した。ダイナは笑みとともに植物相を記録した。どこで育ち、どのように枯れるのかを。それらが育てる新たな生命を。別個の言葉はそれぞれ光の柱となって立ち昇り、そのすべてを絡めとってひとつになるよう宥めるのはキリアンの役割だった。五人はストリクスヘイヴンとは何であるかを語り、その語りの中にファイレクシアが入る余地はなかった。

 そしてストリクスヘイヴンは耳を澄ました。期待しながらも、その光景にクイントは言葉を失いかけた。現実の外の存在であるとみなされ、頭上のポータルが縮んでいった。それらは抵抗していたが、水や風や炎、土、光ほどの力はなかった。招致が完成に近づくにつれて五つの声はさらに高まり、光の柱はさらに眩しく――

 氷の壁が砕け散った。

 その爆発にクイントは膝をつき、ジモーンとダイナとキリアンは吹き飛ばされた。それでも彼らは花弁を掴んだまま、読み上げを続けていた。だがルーサだけは屋上の端に立つ人物に顔を向けた。その身体はひとつの巨大な機械仕掛けの心臓のよう、それでも優雅な姿。

「ルーサ」その姿が溜息をついた。「君はいつも自分の作品の欠点を見つける、他の誰も見つけられないそれを……だがどうしてだろうか、君自身の氷の弱点を見逃していたようだね。残念だ」

 いけません、クイントはそう言おうとした。だが招致を中断せずにその言葉を発することはできなかった。

 ルーサの声が揺れた。「ナサーリ先生?」

 彼女の花弁から光が退いた。

 もう四人は半狂乱に読み上げを続け、スパイクや炎を立て続けに放つルーサを補おうとしたが、ナサーリはすべての攻撃を回避した。刺々しい言葉が彼女の唇から漏れ出た――批評なき非難が――そしてルーサはひるみ、言葉が発せられるたびに青ざめた。頭上の光が弱まった。招致は失敗しつつあり――

 だがクイントは微笑んだ。

 これほど興奮しているのは奇妙なことだ。まるでザンタファーの失われた都を発見した時のような。過去の失われた知識と未来の学者たちを繋いでいる、あの時と同じようにそう感じていた。

 今回は、ストリクスヘイヴンには未来があるということを確かなものにしているのだ。

 一瞬、クイントはこの学校とそれが存在するという栄光に浸った。そして手を伸ばし、ルーサの花弁を掴んだ。

 皆が目を見開いて驚いたが、クイントに彼らのことを考える余裕はなかった。彼は全身全霊をかけて招致に集中していた。ふたつの言葉を一度に発声することは不可能。代わりにクイントはルーサの花弁へと魔力を直接注ぎ込んだ。大地は彼の声、海と太陽は彼の骨。彼の命が招致に力を与えていた。光の柱が更に眩しく輝いた。招致に生命力を吸われながらも、彼は思った――こんなに凄いものを見るのは初めてだと。

 ひとつの衝撃が彼の内に走った。

 クイントは息をのんだ、招致が……? いや、この光は内から輝いていた。それが獰猛にうねり、筋肉や骨を切り裂くとクイントは悲鳴をあげた。仲間たちへと――友人たちへと――手を伸ばそうとしたが、招致が咆哮とともに応えた。一対の光が狂乱のダンスを踊るように暴れ、石も鋼も同じように切り裂いた。ナサーリ学部長は屋根から放り出された。光がクイントを宙に捕らえたまま、大図書棟も屈するように壊れて崩れ落ちた。ストリクスヘイヴン外縁部の建物を構成する石材は角砂糖が溶けるように砕けた。ポータルも潰れていった。空が閉じようとする中、侵略の枝が悶えた。そしてその間ずっとクイントは燃え続け――

 炎の只中で、クイントの思考はウィルとローアンへと飛んだ。大切な友人たち。侵略が始まって以来、ふたりの姿は見ていない。耐えられないほど熱くなる中、彼はふたりの無事を願うことしかできなかった。

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アート:Eelis Kyttanen

 光がクイントを飲み込んだ。


 寮から出てきたストリクスヘイヴンの生徒たちが見たものは、敵の包囲ではなく――自分たちをさらって完成化させようとするかつての教授たちではなく――瓦礫だった。泣く者もいたが、それも長くはなかった。空にはまだ閉じかけのポータルが満ちており、遠くには金属の姿が今もぎらついているのだから。リリアナの指示のもとで彼らはできる限りの防御を固め、瓦礫を掘り返して生存者を救出し、発見した教授の身元確認を試みた。ウィザーブルームの生徒たちが負傷者の世話を行った。

「不出来よ、メロウ」大釜の中身を吟味してリリアナが言った。「血液回復薬にはクロカンムリの実を粉末にして用いるの。鞘から出してすらいないでしょう。フレナ、あなたは目に見える傷に集中しすぎ。その可哀相な子、今あなたが添え木で固定している腕が治るのを待たずに窒息死してしまうわよ。これは何? ソーリアンの原則? リン、本気で言っているの? 彼女はオーリンであってロクソドンじゃないでしょう。ソーリアンの原則はほとんど当てはまらない……」

 轟音が響き、複数の叫び声があがった。「この下だ!」リリアナは走り出さないようこらえた。招致を見つけ出すために彼女があの五人を送り出した。負傷した、あるいは死んでしまったのであれば彼女の責任だ。どれほど短くとも、彼らはストリクスヘイヴンにこの猶予をもたらしてくれた。彼らを手当てしなければいけない。そしてそれ以外にも……

 リリアナが大図書棟の残骸に辿り着く頃には、そこで作業にあたる生徒たちが負傷者を救出していた。リリアナは厳しい表情を保っていたが、ダイナとキリアンとジモーン、そしてルーサの姿を見た時には心臓が早鐘を打った。骨折、打撲、裂傷、無数の珍しい感染症は言うまでもない――彼らが負っていない類の傷を考える方が早そうだった。

 そして彼女は感心していた。沢山の切り傷から血をしながら、キリアンがよろめきつつも瓦礫の間を抜けてやって来た。インクが彼の周囲にうねり、石材やファイレクシア人の甲殻を切り裂いていった。

 エムブローズの息子は救助活動の邪魔になるだろう。「あの子を落ち着かせて」リリアナがそう言うと、ウィザーブルームの生徒が不吉な煙を発する薬を手に進み出た。

 だが無理矢理それを吸わせる距離に生徒が辿り着くよりも早く、キリアンが声を上げた。「父さん!」

 リリアナは鋭く息をのみ、キリアンが掘った穴を覗き込んだ。そこにエムブローズの姿があった。埃まみれで髪は乱れ、血まみれで傷だらけになり、ファイレクシア化した教授たちの残骸に取り囲まれていた。だが生きており、彼のまま変わりはなかった。

「無事なのね、ルー」

「無事だ、ヴェスよ」リリアナに対する返答は普段と同様、簡素ながら威厳があった。彼は穴の縁に呆然として立つキリアンに注意を向けた。「手伝ってくれ」

 リリアナは別の生徒を手招いた。「こっちで手を貸して――」

「いや、いい」エムブローズはそれを遮り、だがキリアンが手を伸ばすと父親はそれを握り締めた。

 リリアナは脇によけた。そしてキリアンの表情を見て、彼女の心は気詰まりによじれた。他の生徒たちも手当をしなければならない。片脚を骨折したジモーンは鎮痛剤で目を曇らせており、賢明にも立ち上がろうとはしていなかった。それでも彼女はリリアナの腕を掴んでかすかな声を発した。「ニミローティ……おばあちゃんを助けて……」

 できるだけ優しく、リリアナはジモーンの手を外した。彼女の祖母の安否確認をするための人員は余っていない。そしてルーサの具合は一目見れば十分にわかった。その少女は動こうとすらしていなかった。壊れた人形のように担架に横たわり、ぼんやりと空を見つめていた。

「生徒の働きにしては、それほど悪くなかったでしょう?」かすれ声でダイナが言った。

 リリアナは四台目の担架を一瞥した。「これ以上の悪いことはできなかったでしょうね」

 ダイナは肩をすくめ、そしてひるんだ。彼女の肌のほとんどは血にまみれ、そうでない部分にも痛々しい大きな痣ができていた。「改装する場所が沢山ありますよ」

 リリアナはかぶりを振り――そしてはっと気づいた。「クイントは?」

 ダイナの表情が曇った。「わからないんです。光が爆発して、そして――いなくなりました」

 死んだ、リリアナはそう思い、そしてダイナの言葉が心にこだまして眉をひそめた。死んだ……それとも灯が? 彼らの内に「種火」があるとカズミナは推測していた。そして明らかにこの四人ではない。もしクイントの灯が点火したのだとしたら、まだ生きているかもしれない……

 ダイナが何かを言っていたが、リリアナはかぶりを振った。「何ですって?」

「沼を広げるのがいいと思います。ずっと思ってたんですよ、もっと大きくないとって」

 リリアナは顔を上げた。空を見ると、輝きが戦っていた。濁った赤色と、そして侵略のポータルであった脈動し悶える赤黒い傷と。地面に突き刺さった枝は傷ついて曲がっていたが、まだ立っていた。同僚たちは、あるものは崩れた建物に潰され、またあるものは不完全な招致によって金属の部位を引きちぎられていた。今なお生きているものもおり、それらは決して止まりはしないだろう。帰るべき場所が、彼女の聖域が廃墟と化してしまった。彼女の安息はファイレクシアによって乱されてしまった。

 そしてリリアナは開いた傷のようなポータルを見つめた。ファイレクシアの侵略を担う蛆虫たちは、すでに招致による不完全な隔離を突破しようとしていた。

 リリアナは地面へと両手を下ろし、指を広げた。光がその掌から迸った――頭上に荒れ狂う濁った血の色でも、それと戦う清浄な輝きでもない。暗く冷酷な、彼女の光。それは水のように地面へと浸みこんでいった。遥か地下、屍に満ちた学校の廃墟の中で、古の時代の教授たちが朽ちた地下墓地の中で――そして更にその下、名もなき何千もの骨が岩盤へと達する場所で――彼女の魔法は死体を発見し、新たな生命を与えた。

 スケルトンやゾンビが地面から弾け出て、生徒たちは悲鳴をあげて急ぎ離れた。リリアナの軍隊は彼女の無言の命令に従い、ストリクスへイヴンの瓦礫を取り囲むように並んでファイレクシアに対する防壁となった。その空洞の眼窩に紫色の炎がくすぶった。彼女がその身体で息をしている限り、立ち続けるだろう。

 そしてリリアナは告げた。「改装はしばらく待ちなさい」
 

(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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