MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 05

メインストーリー第5話 発露の再会

K. Arsenault Rivera
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2023年3月21日

 

 ファイレクシアは拷問部屋が果てしなくうねって続くような場所――ケイヤと魁渡、そしてタイヴァーはそう彼女へと注意を促していた。彼らの話を聞く限り、新ファイレクシアはひとつの世界というよりは、巨大な生物の器官内に閉じ込められているようなものらしい。四方八方へと走る管は静脈と動脈、侵略樹へと続く金属製の階段は肋骨、樹そのものは汚らわしい背骨。彼女の想像力が描いたイメージは恐ろしくも鮮明なものだった。

 だが到着すると、彼女には何かが違うように見えた。獣の腹の中にいることに間違いはない――けれどあの三人が見た獣とは違う。この場所に満ちるまばゆい光が、骨のような周囲の建築を照らしている。侵略樹は確かにこの生物の背骨であるが、白く鋭い突起がそれを飾り立てている。その突起それぞれにファイレクシア人が群がっており、職務をこなしている。その様子を見るに、それらは足場なのだとチャンドラは思った。はるか下の足場から見たならば、葉の上を進む蟻のように見えるのだろう。

 チャンドラは侵略樹の高さを把握できなかった。元となったカルドハイムの世界樹も巨大なのだろうが、これはラヴニカで見たあの永遠神よりも、彼女が今までに見てきたあらゆるものより大きい。痛むほどに首をもたげても、その頂は見えなかった。彼女はレンが何か言うだろうかと待ったが、友がこの件について沈黙しているというのはむしろ悪いことなのかもしれない。

「さあ、ここに根を張っている場合ではない」レンはそれだけを言うと動きだした。彼女の炎は抑えきれずにパチパチと弾けていた。火は常に感情を示したがるものだ。

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アート:Grzegorz Rutkowski

 チャンドラは降り立った足場からそう遠くない場所にある、針状の壊れた構築物へと向かった。レンも気付いていた――その針の根元には人がおり、その高さから伝って降りようとしている。金色の鎧が赤と白で埋め尽くされた景観の中で彼らを際立たせ――その鎧の下に見える皮膚はさらに際立っていた。金属の角と棘は彼らが必ずしも人間ではないと示しているが、ファイレクシア人でもない。各人が個としてめいめいに動き、数人の衣服は血で汚れていた。

 チャンドラは足取りに大いなる期待を乗せ、彼らへと向かった。ここへ来たのは正しいこと、彼女はそう確信した。助けを必要としている生存者こそがその証拠。困難な時にこそ迅速な協力を、テフェリーはいつもそう言っていた。

「あのスクランブラーを倒したのが功を奏したな。こんなに早く助けが来るとは思わなかった」針の根元付近にいる生存者が声をあげた。チャンドラにとって意外なことに、その男性は彼女との出会いをそれほど喜んでいるようには見えなかった。彼の皮膚からは蛇の顔を覆う鱗のように鋼が突き出ており、ファイレクシアの美学とは対照的だった。彼は金属やその素材と密接な繋がりを持っているのだろう。他の生存者のうち何人かは、彼が操っていると思われる岩にしがみついて彼女たちが立つ橋へと浮かび上がってきた。レンは七番の高い背丈を生かして素早く手を貸した。

「できるだけ急いで来たつもり」彼女は言った。「私はチャンドラ。こっちはレン」

「ここに残るつもりか?」

「え? もちろんそうよ。そうじゃなければ来なかったわ」

「それは君がここで死ぬということかもな」その男性は腕を組み、チャンドラを観察するように見つめた。一団の中にいるひとりの女性がため息をついた。他の者たちとは異なり、彼女の身体には一切の金属がない。どこまでも硬質な新ファイレクシアの景観の中で、その女性は柔らかさが際立っていた。

「そこは賭けかもね。黙って見てるほうが危ないわ」とチャンドラは返した。

 一呼吸――その男は目を狭めてチャンドラを睨みつけた。状況を考えれば長すぎるように思える間の後、彼は頷いた。「俺はコス」彼はそう言って自己紹介をした。「こっちはメリーラ。君らは二人だけか?」

「今のところね」チャンドラはそう言った。「多分そう。私が思うに――」

 コスは後頭部を掻いた。彼は考え込んでいるようだった。「二人か」彼の視線が地面に落ち、チャンドラもそれを追った。ファイレクシア人の百長たちの中に、それ以外の死体もあった――人間の。チャンドラの心が沈んだ。

 だがチャンドラは落ち込んだままではいられなかった。戦争となれば、士気は戦術や物資と同じほど重要となる。「二人のプレインズウォーカーよ。私たちがいれば十分。レンには作戦があるし」

「ほう?」コスはそっけなく返した。「作戦か。それはすごい」

「そんなに不機嫌にならないでください」メリーラが割って入った。「今、希望を捨てるわけにはいかないのです。私たちがまだ試していないことかもしれません」

「彼女は正しい」レンが言った。「私の作戦を試せるはずはない。木々と共生的に繋がるドライアドは他にはいない」

 チャンドラはそれが冗談かどうかわからなった――時々、レンについてその判断は難しい。とはいえ彼女は笑い、そして笑った自分自身に驚いた。レンもまた得意げな笑みを小さく浮かべた。それは勝ち誇っているようだった。

 コスは未だ懐疑的だった。「君の案を聞かせてくれ」

「単純なことだ。私たちは樹に向かう。到着したなら私は樹に繋がり、樹を導いてみる」レンはそう答えた。

「彼女はそれが得意なの。本当よ!」コスが睨みつけたので、チャンドラはそう付け加えた。「それにもうひとり、友達が力になってくれるかもしれないの。テフェリーのことは聞いたことある?」

「いや」

「そう」チャンドラは髪を手ですきながら言った。「あの人は史上最強の時間魔道士で、私にとってはいい友達なの。だから頼めば力になってくれるはずよ」

「それで、そのテフェリーはどこにいるんだ?」コスは尋ねた。

 チャンドラがレンを一瞥すると、不可解で謎めいた頷きが返ってきた。「何にせよ来てくれるわよ。とにかく、樹にたどり着いたらみんな集まってくれるはず。そうなったらやるってわけ」

 コスは腕を組んだ。「それで、やれる自信があるわけだな、レン?」

「誰よりも自信はある」

 彼は思案のつぶやきを小さく漏らした。「いいだろう。ほかに大して選択肢もない。カーンもファイレクシア人に奪われ、樹の方へ連れ去られた。ノーンはあいつを特別扱いしたがっていたな。樹の主導権を奪いつつ、同時にあいつを助けられるかもしれん」

「迅速な行動が必要です」メリーラが言った。「ノーンはおそらく少数の反逆者など脅威だとは思っていないでしょう。その過信をうまく利用すれば、私たちの行動が危険だと気づかれる前に攻撃できます」「樹の根元は厳重に警備されている。あいつが気づかずとも百長は山ほどいる。俺たちもこれまで試してきたが、そもそも始める前に皆殺された」コスは再び皆の注目を集めた。「二人とも、きつい旅は平気か?」

「何があっても行くわよ」チャンドラが言い、レンも同意して頷いた。

「いいだろう。頼もしい友達がいるのはそちらだけじゃないからな」彼は歩き出した。


「友達って言ってたわよね……」

「友達だ。今のところはな。敵ではない、と言ったほうが正しいかもしれん。複雑な事情がある」

「大丈夫なの?」

「大丈夫だ」

 チャンドラにはそうは思えなかった。ウラブラスクの光沢のある甲殻に映る自分の姿を見つめながら、彼女はどう考えればいいのかわからなくなった。ウラブラスクは今のところ攻撃してこないが、もしかすると適切なタイミングを見計らっているのかもしれない。チャンドラを侮辱したわけでもなく、ファイレクシアの統一に熱心な様子でもないが、それも全部演技かもしれない。

 チャンドラは腕を組んだ。

 ウラブラスクは息を吐いた。「辛辣な言い草だ。内輪もめはお前たちの全滅に繋がるぞ」

 チャンドラは顔をしかめた。彼の言葉は正しく、それが気に入らなかった。ウラブラスクが足場の端へ向かうと、レンはなだめるようにチャンドラの肩に手を置いた。

「侵略樹への主要な経路は、お前たちが考えるよりも遥かに多くのファイレクシア人によって守られている」彼はそう説明し、必要はないながらも鉤爪で位置を指し示した。「その中の一体でもこちらに気付いたなら、ノーンには即座に伝わるだろう。コスは前に身をもって知ったな。協力の証として、この足場に辿り着くまでの経路を教えていたわけだが」

 彼女たちが通ってきた道は上手く隠ぺいされていた。その時チャンドラは、コスが自らの能力で地面の下に存在するその道を感じ取ったのだと思っていた。曲がりくねった通路を進む間、巡回兵は一体も見かけなかった。狭苦しい箇所もあったが、良いことではあった。

「有機体の目はここから遮るものなく次元壊しを見ることができる。さらに重要なのは、起動が丸見えかつお前たちの認識可能な範囲内にあることだ。それでも成功の可能性はほぼ無に等しい」

「私は力を貸しにここへ来たの」チャンドラはそう言い放った。「ファイレクシアの変わり者にどう思われようとも、やれることをするつもり。それで、あんたはどうして私たちを助けようとしてくれてるわけ?」

 ウラブラスクの甲皮にあいた眼窩から炎が燃え上がった。「ノーンがその思い上がりで創造の火を消そうとするからだ。ただひとつのファイレクシアに繁栄はありえない」マグマが彼の顎から滴り落ち、それが地面を焼いた穴から煙が立ち上った。「幼体でも理解している、ウラブラスクは誰にも仕えない」そこでメリーラが両者の間に歩み出た。「目標から目を離さないようにしましょう。作戦では、コスがあなたがたふたりを放り投げてあの境界を突破するということになっています」

「なんで私たちだけを?」チャンドラは尋ねた。正直なところ、話がそれて彼女はありがたく思った。

「残ったミラディン人が、いわゆる機械の母へと興味をそそる娯楽を提供します。そのあたりの巡回兵を見つけて戦いを挑むのです。彼女は私たちを排除することに集中し、上空の経路は手付かずになるでしょう」

 それは……チャンドラが今まで遭遇してきた中でも最も危険な状況に対する、最も単純な作戦かもしれない。自分たちを境界の向こう側に放り投げる? 彼女は足場の端へと一歩踏み出した。前方で大口を開けている裂け目は、おそらくギラプールで最も高い建物を積み上げたよりも深いだろう。樹を見下ろす目標の足場は、彼女の親指で隠してしまえるほど離れていた。

「ううむ。空の旅は好みではないが」レンが言った。

「そんなに長くはかからんさ」コスが告げた。「ここから俺が打ち上げてやる。ウラブラスクが言うには、あの足場はほぼ整備用だそうだ。ノーンのあのエルフは今、別のことで忙しいから邪魔は入らないだろう」

 あのエルフ。胸の内に炎が燃え盛っているにもかかわらず、その考えにチャンドラはぞっとした。彼らはあまりに無関心だ。チャンドラはまたも彼らに食ってかかり、理解できないだろうけれどニッサは大切なのだと言いたかったが、それでもあまり意識してはもらえないかもしれない。何といっても、自分はこの多元宇宙を救うためにここに来たのだ。それに比べたなら、ニッサの救出は小さなこと。

 けれど、もしあの足場がニッサのもので、そこにニッサがいるなら……

「やるわよ」とチャンドラは言った。

「乗り気で助かる」コスがそう答えた。

「ドライアドが樹と繋がった瞬間、ノーンは気づくだろう。素早くやる必要がある。肉が剥がれ落ちないぎりぎりの速さでな」そう言うウラブラスクはすでに足場の端に向かっていた。奇妙にも、彼は屈みこんで自分たちの足元の金属に印を刻み始めた。

 この一握りの集団が、ファイレクシアと多元宇宙の間に立ちはだかるすべて。肩にかかる重みに押しつぶされてしまいそうだった。動くことでそれを相殺しようというかのように、チャンドラは辺りを行き来した。レンと七番はコスが指示した場所に立ったまま、前方に集結した軍勢を見つめていた。ここの空気は七番にとって良くないようで、その枝先は黒ずんでいた。それは自分たちにどんな影響を与えているのだろう? どれだけ長くここにいたら、自分たちも変質が始まってしまうのだろう? 光素の最後の一滴がいつまでも効果を発揮し続けるわけがない。

「覚悟はいいか?」コスが尋ねた。

 チャンドラは足を止め、刻まれたルーンの両側に足を置いた。そして何度も手を開いては閉じた。「いいわよ」

「もちろんだ」レンが言った。

 コスは頷いた。「ミラディン人たちよ、準備はいいな?」

 チャンドラは、応えたその叫びを力強いものとも、自信にあふれたものとも呼べなかった。いや、以前にもこんな調子の叫びを聞いたことはある。希望というよりは絶望に近いものだったが。胸が痛んだ。彼女はミラディン人をひとりひとり確認しながら、次に会うときは何人がいなくなっているのだろうかと考えた。

 コスが拳を地面に叩きつけた。

 足元のルーンが閃いて起動した。その瞬間、ふたりは足元の岩だけを支えに空中へとまっすぐに打ち出された。空気が顔面を叩きつけ、チャンドラは涙がにじまないよう目を覆った。

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アート:Cristi Balanescu

 背後からコスの叫び声が聞こえた。「必要なら宙に留まれ!」

 下で彼と行動を共にした方が良かったのだろうか?

 いや、悩んでも無駄だ。

 とりわけ、空中でお仲間に出会ってしまったときは。

 急降下して襲いかかって来た獣を何と呼べば良いか、チャンドラにはわからなかった。鳥のようでもあり、コウモリのようでもあり、体の大部分が刃状の金属で構成されていた。問題なのはそれらが邪魔をしてくることであり、そして邪魔をしてくるというのであれば吹き飛ばすまで。炎は他のものと同様にそれらを確実に融かし尽くせるが、早くも彼女はその攻撃の合間に消耗を感じ始めていた。レンと七番は一体を掴み、それを振り回して他を追い払っていた。

 空中に長居をするつもりはなく、だが刃付きのコウモリはふたりの周囲に群がったままでいた。チャンドラはこれらの撃退に手一杯で、樹と自分たちの位置関係を把握していられなかった。衝撃が、彼女を侵略樹の下部にある枝へと弾き飛ばした。鋸刃のような白い表面に叩きつけられ、骨がうめいた。呼吸をすると痛んだ。つまり肋骨にひびが入ったのは間違いないだろう。けれど動くためには呼吸しなければならない。

 刃コウモリの一体が翼をドリルのように変化させ、急降下してきた。その音に彼女の歯ががたついた。チャンドラはまごつきながらもその場から転がり、岩のような塊に手をついて起き上がった。刃コウモリは動く武器と言えた。飛びかかってきたなら、壁に串刺しにされてしまうだろう。慌てて炎を放ち、チャンドラはそれが足元で融けた金属の球と化したのを確認した。

 チャンドラは苦しい息を吐いた。「もうちょっとよ」

「ああ、私もそう思う」レンが答えた。「……おかしい。静かすぎる」

 チャンドラはこれまで、レンが恐れる声というものを聞いた記憶はなかった。

 だがすぐにその理由がわかった。この樹は巨大で――レンがこれまで共生してきたどんな木よりも大きく、しかも厄介なものなのだ。

 これがレンと繋がる最後の木になる可能性は非常に高い。止めてくれ、そう彼女を説得したいとも思うが、それはできない。どこから見ても現実的で犠牲的な行為、でも最終的に決めるのは自分ではない。レンなのだ。そして考えうる中で、これが最善の策なのだ。

 樹に並ぶ金属板が動き、形を変えた。チャンドラはそれらを吹き飛ばそうとしたが、間に合わなかった。金属板をすべて駆除するよりも早く、それらは百長の姿へと変化した。数十体はいるだろうか――ほとんどは剣で武装しているが、あるものは腕を槍へと変化させていた。奇妙な金属製の猟犬の姿をとるものもいた。

 彼女は七番と背中合わせに立った。

「急いで行動しないと」チャンドラは言った。「いける? 私が守るから」

「あ、ああ。やれる」

 背後で何かが動いた。チャンドラは次の炎を構え、爆発させた。炎は枝を飲み込み、集まっていた百長のうち二体を飲み込んだが、それらは動かなかった。燃え上がりながらも、それらは一体すら動きはしなかった。

「レン、何か嫌な予感が――」彼女はそう言いかけた。

 だが百長たちの口から、黒い油と腐敗でぬめった答えが発せられた。「其方を傷つけるつもりはない。ただ其方を迎え入れたいだけなのだ」

 ひとり女性の声があまりに多くの喉から発せられ、何倍にも増幅され、チャンドラは苛立った。「どうでもいいわよ。さあ、レン――」

 彼女が背後を一瞥した瞬間、二本の槍が飛来した。悲鳴を上げる間もなく、チャンドラは白色の金属をまとう樹に釘付けにされた。どういうわけか被害は衣服だけだった――槍はちょうど彼女の脇の下を通り抜けていた。格好の標的だが、レンが開放してくれればまだ勝機はあるかもしれない。

 だが声をあげようとした時、彼女はレンを忙殺させているものを見た。

 レンに対峙する人影。緑の魔法が金属の身体を取り囲んで弾け、四本の腕はすべて導管の役割を果たしていた。そのうちの一本が――刃が――小枝を折るかのように七番の最も太い枝を切り落とした。魔法がレンと七番の残る部位を縛り上げ、彼女たちを拘束して空中へと持ち上げた。

「我らがその者を完成させたように、其方も完成されよう」幾つもの声が告げた。「其方の欠陥、其方の弱点のすべては捨て去られる。我らとひとつになれば、二度と孤独に苛まれることはない」

 その言葉はチャンドラには届かなかった。今はそれどころではない。

 何故なら、その顔がわかったから。どこだってわかる――笑った時の頬の丸み、ぴくぴくと動く耳、小さな鼻、ときどき意味ありげにほほ笑む口元。もしチャンドラの頭の中にある記憶がすべて、溶けた金属のように鍛冶師の鍋へ流れ出たとしても、この思い出は断固として彼女の内に残るだろう。

 ニッサ。

 ありえない――けれどそうなのだ。二本の新しい腕が身体に移植されようとも、黒い涙が頬に縞を作ろうとも、身体の大部分が今や銅の根と茨に侵されようとも――チャンドラには彼女がわかった。チャンドラに対して首をかしげる仕草も昔のまま。口に出せない言葉がチャンドラの舌を重くさせ、わかるという苦悶が彼女の心を引き裂いた。認めるのは……それがニッサだと認めるのは、死ぬよりも辛いことだと思えた。これ以上辛いことがあるだろうか?

 だがニッサが語りかけるなら、チャンドラは答えるもの。唯一、ニッサの声は変わっていなかった。「おびえてるのね? 私の新しい姿は受け入れにくいのだろうけど」

「ニッサ」チャンドラは声をきしませた。発することのできた言葉はそれだけだった。頭の中にあまりに多くの言葉がひしめき、そのすべてが外に出ようともがいていた。こんなのはあなたじゃない。あんな奴に従っちゃだめ。きっといい方法が見つかるから。お願い、やめて。あの時話すのをやめたこと、ごめん。

 だが口から出てくるのは、何度も繰り返されるのは、ニッサの名前だけだった。

 ニッサは反応しなかった。彼女がレンと七番へと向き直っても、そこには小さな笑みも、目の輝きも、一切の感情もなかった。

 さらに二本の槍がチャンドラに打ちこまれ、一本がふくらはぎを貫いた。彼女は悲鳴を上げ、目の奥に圧迫感が沸き上がった。炎が指にちらついた。呼吸をしようとも、それは痛みを少しも和らげてはくれなかった。

「何も怖がることはないわ」ニッサの口調は恐ろしくも無感情だった。チャンドラが見つめる中、彼女は七番の枝を次々ともぎ取っていった――彼女の新たな身体から伸びる鋭い針と刃が、魔法と連携して動いていた。レンもまた叫び、チャンドラの瞳の奥で炎が燃え上がったが、それでもニッサは反応しなかった。レンが小さなドライアドの姿だけになると、ニッサは彼女を床に落とした。「私はもう痛みを感じないのよ」

「こんなの……こんなのは……!」チャンドラは言葉を詰まらせた。考えることが困難になってきた。彼女の中で大きなエネルギーが膨らみ始めたが、その行き場はどこにもなかった。

 ニッサは彼女へと振り返った。「作戦の事? もう失敗しているわよ。機械の母はあなたを止めるために私を送り込んだのだから」

「どうして?」それは悲鳴として、非難として発せられた。

「やろうとしていることが短絡的だからよ。あなたはいつもそう」彼女がその手を振ると、百長たちが後ろに下がった。ニッサはもう一度手を振り、すると槍が抜けた――チャンドラのふくらはぎを貫いた槍さえも。自由にはなったが、あまり意味はなかった。激痛が足全体に広がっており、すぐにどこかへと走れるようなものではなかった。

 望むなら、反撃はできるだろう。炎魔道士なら傷を焼灼するのは難しくない。自身の内に蓄積されたすべてのエネルギーを使い、それを解き放つことができる。それほどの一撃から逃れることは誰にもできない。この感じなら、樹に深刻な損害を与えるのに十分なエネルギーが溜まっているかもしれない。ノーンの「改良」がどれほどのものだとしても、太陽の中心に耐えられる金属なんてないでしょう?

「あなたは英雄になりたかったのよね? 私と多元宇宙をまとめて救うつもりだった。残念だけど、あなたは状況を悪化させてしまった。私はあなたを救うためにここにいるの。いつものように」

 解き放つのは何よりも簡単なこと。

 けれど、そうしたなら……

 チャンドラの舌は上あごに張り付いたままだった。

 ニッサはチャンドラに向かって一歩踏み出した。歯を見せる満面の笑みは、全くもって彼女らしくはなかった。「あなたの仲間でも、私たちと対峙することを選んだのはあなたとそのドライアドだけ。あなたのような人たちは団結と理解に欠けているのよ」

「もっと来るわ」チャンドラはそう返した。彼女は目を固く閉じた。このほうが今の状態を保ちやすい。それに、枝全体を炎で包みやすい。そうしたいなら。ニッサの堕落した瞳を覗き込まなければ、そのときに彼女の顔がどう見えるかなんて思い悩む必要もない――いや。違う、できない。これは自分やニッサ、誰か一人の問題などではないのだ。ここに自分たちを辿り着かせてくれるために、倒れて死にゆくミラディン人たちがいる。何百という次元がこの樹を倒すために自分たちを頼っている。そしてどんなに熱く燃え盛ったとしても、一気にこの樹を根こそぎ破壊することなんてできないとわかっていた。

 彼女は目を開けた。そこにはニッサがいて、刃の腕で身振りをしていたが、その動きは鋭く正確でまったく彼女らしくなかった。「周りを見てよく考えて。怖がることはないわ。私は待ってあげる」

 その言葉に、チャンドラは思わず周りを見た。そして見なければよかったと思った。

 橋の先にはひとつの軍勢がいた。無数の兵がひしめき合い、光沢のある銀色の身体に光が揺らめく。先陣の中、ドラゴンに似た怪物が青い旗を掲げていた。その隣にはそびえ立つ姿があり、チャンドラはそれが彼らの将軍だと考えた。敵の足音はすべて雷鳴のように鳴り響き、敵の武器はすべて希望の死角から放たれる矢となる。

 ここからミラディン人の姿を見ることすらできなかった。彼らはどうやってこんな軍勢とやり合うつもりなのだろう?

「あなたの作戦に気づいたとき、機械の母に願い出てあなたと話せるように承認を得たの。レジスタンスは絶対に聞いてはくれない。けれどあなたは聞いてくれるってわかってた。あなたがどうなるか、私はわかってる。ただ一緒に来るだけでいいのよ」

 ノーンは知っていたのだ。自分たちがここにいる間ずっと、何をしているのかを彼女は知っていたのだ。ここまでほとんど邪魔が無かったのは、ノーンが侵略に専念していたからではなく、罠だったのだ。

 そして今、自分たち全員が死に向かっている。もしくはもっと悪いことに直面している。

 悲嘆は喉に刺さる陶器の破片。飲み込もうとしても、もっと傷つくだけ。

 チャンドラは一歩後ずさった。かかとが監視の足場の上、丸みを帯びた端にかかった。もう一歩下がれば落下するだろう――燃え盛る流星、砕け散る多元宇宙の希望。

 ニッサはさらに一歩踏み出した。今や大胆にも、彼女はチャンドラの頬骨へと金属の爪を這わせた――だがやはり、話しているのはニッサではない。チャンドラはむかつきを覚えた。「私たちはあなたに最も神聖なる恩寵を申し出ているの。この恐怖からの開放を。私たちの仲間に加われば、二度と孤独を知らずにすむでしょう。私たちは決してあなたを独りで死なせはしないわ」

「私は独りじゃない」チャンドラは言い放った。独りではない。レンは地面に横たわり、苦しんではいるが、生きている。ニッサが話している間に、レンは少しずつ樹へとにじり寄っていた。

 一瞬、チャンドラの両目に希望が灯った。

 ニッサはすぐにチャンドラの視線を追い、倒れたドライアドを見た。彼女の唇から苦笑が漏れた。銅の枝が樹の表面から飛び出し、レンを強く締め上げた。

 レンは悲鳴をあげた。

「わかるわ。まだ生きているのね。すごいわ。あなたは次元壊しの立派な守護者になるでしょうね」ニッサはそう言い、しばし考えたのち再びチャンドラに向きなおった。「あなたには――これだけ言っておくわ。ファイレクシアに仕える方法はいくつもある。私たちとひとつになったなら、あなたも自分が本当は何者であるべきだったかに気づくでしょうね」

 チャンドラの呼吸が乱れはじめた。脈打つような頭痛がした。ヤヤなら何か助言してくれただろうが、ヤヤは死んでいる。ギデオンは彼女が投げつけたものを何でも受け止めてくれたが、ギデオンも死んでいる。

 そして今、そこにはニッサがいる。

 けれどレンもいる。ニッサが再び歩みを進めると、レンはチャンドラの視線を受け止めた。弱った体の中で炎が揺らめいた。彼女の周囲の金属が輝き始めた。百長たちの視線はそれており、ニッサはチャンドラに注目している。今から何が起ころうとも、ノーンは知るすべを持たない。

 深呼吸を。自分にそう言い聞かせる。もう少しこのまま。

 チャンドラのもう片方のかかとが端に当たった。前腕に炎が渦巻いた。「ここで諦めたりなんかしない」

 ニッサの耳が垂れ、唇がわずかに開かれた。油でぬめる頬に柔らかさが広がった。この表情を何度見ただろうか? 夜の寒い時間に、太陽が昇る前に、二人であらゆることを語り合った。チャンドラが支離滅裂な考えを吐きだし、ニッサが何を言えばいいか悩んだときは、いつもそうだった。それを何度目にしただろうか?

 それがどうして、今こんなにも苦しいのだろう?

「チャンドラ」

 それは彼女の声。ニッサの声。何の干渉もなく、ノーンの影響もない――ニッサそのものの。

 チャンドラの炎が揺らめいて消えた。

 ニッサは手を差し出した。「お願い、一緒に来て。あなたがいないと寂しいわ」

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アート:Cristi Balanescu

 恐れのない人生。これまでの決断に後からどうこう文句を言われない人生。孤独と苦痛のない人生。ここでファイレクシアを食い止めても、何か他のものが取って代わるだけでは? ボーラス、エルドラージ、エリシュ・ノーン――暴君は常に存在した。けれど今この手を取れば、そんな話も終わるのかもしれない。

 一緒に逃げるようなもの。

 問題から、責任から、そして自分たちをここに辿り着かせるためにすべてを犠牲にしてきた、すべての人から逃げるようなもの。

「私も寂しいよ」チャンドラの両目に熱い涙が浮かんだ。「すごく寂しい。でもだめ。ごめんね」

 その親しみ、優しさはすべて、一瞬で消え去った。その炎の直前に垣間見えたニッサの表情は、憤怒そのものだった。

 チャンドラはニッサの切れ味鋭い腕をくぐり、燃え立つ拳を枝そのものに叩き込んだ。まばゆいオレンジ色の一秒が、地面が爆発する前に彼女たちが受け取った唯一の警告だった。その衝撃は彼女とニッサを吹き飛ばし、百長たちは巨大な雹のように転げ落ちた。樹にしがみつけるほど近づいていたのはレンだけだった。

 ここから、今の状況を切り抜けねばならない。

 

(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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