MAGIC STORY

機械兵団の進軍

EPISODE 04

メインストーリー第4話 またたかぬ目の下で

K. Arsenault Rivera
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2023年3月17日

 

 勇敢に、戦うために生まれたタイヴァー。彼は勇敢に、戦うために帰還する――唇に誇らしい笑みを浮かべ、心には暗い知らせを秘めて。

 スケムファーは放蕩息子の帰還を心から喜んだ。オゾンが満ちる新ファイレクシアの大気と、ドミナリアの沼地の只中に立つ辛辣な匂いの隠れ家で過ごした後では、爽やかな森の空気を肺に吸い込むのは嬉しいことだった。

 だが到着した瞬間、遅すぎたと彼は知った。タイヴァーの帰還を迎えたのは喜びの声ではなく剣と金属が激突する音、矢が空を切る音、そして貫かれた者の叫びだった。遠くでは山ほどもある、血の色をした蛇が世界樹に絡み着いていた。氷河のように分厚い白い外皮がそれを守っていた。殻が落とされ――その汚らわしい蛇の鱗だ――そしてその度に地面は震え、戦の鎚音に迎えられた。

 心臓の高鳴りを軍鼓の響きに同調させ、彼は乱戦へと飛び込んだ。

 栄光が四肢を突き動かした。彼は敵が振るう鎌のような肢をくぐり、自らの腕を金属に変化させ、それを相手の頭部に突き立てた。そして一瞬の後、次の獲物を狙う斧の軌道を避けた。背後で響いた歓声が彼の心を高揚させた――終わりの時がカルドハイムに訪れ、スケムファーのエルフは正面からそれに立ち向かっている。

 タイヴァーの兄はスカルドと旗印に囲まれ、その民とともに戦っていた。

「この屑どもと戦いに来たのか?」ヘラルドが彼へと声をあげた。「沢山いるぞ」

「そしてもっと来る」タイヴァーはそう言った。かつて巨人だったと思われるものが彼らに向けて巨岩を放り投げた。他の者たちが散る中、タイヴァーは足を踏ん張った。大地から彼は力を引き出した――そして一撃で巨岩を粉砕し、にやりとした。「私が戻るまで、苦戦していたようだな」

 ヘラルドはかぶりを振った。「その話はいい。何か役に立つようなことを知っているのか? この生物らは一体何なのだ?」

「ファイレクシア人だ」タイヴァーはそう返答した。ひとつの叫びが上がり、彼は注意を向けた――巨大な骸骨の狼、その腹の中にエルフのひとりが捕らわれていた。タイヴァーはひるんだ。「あれを見るのだ――奴らはあの男を油に浸す。まもなくあの男はエルフではなくむしろ金属となる。その後に変化が始まる。自身の父親の皮膚を剥ぐようになるまで、長くはかからない」

 十人ほどの戦士たちがその狼に対峙し、その側面からも一人ずつが攻撃した。鎚が金属に叩きつけられた。

「奴らはカルドハイムのすべてが自分たちのような姿になるまで止まることはない。兄上、私は奴らの本拠地へ赴いた――そこに命はなく、歌もない」彼は言葉をのみこんだ。続きを言うのは簡単ではなく、だがそれでも言わなければならない――「エルフの力だけで打ち倒せる敵ではない」

 星界そのものが彼の厳しい警告を裏付けていた。足元の地面が咆哮とともに揺れ、開きつつある裂け目から発光が漏れ出た。タイヴァーはよろめいて兄へと倒れ込んだ。ヘラルドは弟を支え、そして開きつつあるドゥームスカールを指さした。「間もなく、戦いは我々だけのものではなくなるようだ」

 ファイレクシア人もエルフも関係なく、貪欲な地面に飲み込まれていく。星界に食われ、揺らめく光がそれらを輪郭だけに変える。満たされず、その光は更に高く高く伸びてゆく――やがて奔流が現れる。タイヴァーは慌てて地面に手をつき、辺りを高く持ち上げて自身と民を守った。水を岩へ、岩を水へと変化させる。その魔力に彼の筋肉が緊張した。

 一隻目の長艇が波を乗り越えて現れた時、ずいぶん長いことそうしているとタイヴァーは気付いた。自分の力が保つ限界よりも長いかもしれない。もし力尽きたなら、エルフたちはファイレクシア人のように押し流されてしまうだろう。民の命が彼にかかっていた。

 力尽きるわけにはいかない。

 タイヴァー・ケルは鬨の声をあげた。身体が潮流や岩と戦い、彼は生きていると感じた。

 彼が単純な物事に奮闘する間、その兄はもっと複雑な物事を扱っていた。長艇には領界路探したちが乗っており、彼らの先導者が立ち往生したエルフたちへと声をかけた。「これはすべての終わりだ。エルフは共に戦うのか?」

「エルフがその先陣に立つ!」それがヘラルドの誇らしい返答だった。「乗り込め!」

 奮闘にタイヴァーの肩が震え、それでも彼は大地を抑え込んでいた。岩に乗る人数が減るたびに、それは縮んでいった。小さく、更に小さく、やがて彼とヘラルドだけが岩の上に残った。

 そして船上に見た光景は、到底信じられないものだった。

 ドワーフに人間、死した英雄の魂、不死者の戦士、カーフェルの蛮族。炎の巨人が海を歩いて渡り、トロールが軍鼓を叩く――カルドハイムのすべてが団結しているというのだろうか?戦場以外でこれほど多くの異なる種族が一堂に会する様など、タイヴァーは記憶になかった。

 新ファイレクシアは疑いと恐怖の種を彼の内深くに植え付けていた。あの油、新たな仲間が変質する様がそれを育んだ。だがこれは? これは真の団結なのだろうか?

 これは一本の戦斧。

 ヘラルドが先に船へと乗り込んだ。彼は弟へと手を差し出したが、タイヴァーは自らの足で長艇に飛び乗った。ふたりの下、岩はスケムファーの新たな川へと砕けて消えた。

「戦士たちよ!」ヘラルドが声をあげた。船の両脇に並ぶ導きや印が輝きだした。「我らが遺恨は古より続くもの。古き過ちに汚れた記録を、ひとつの戦いが拭い去りはせぬだろう。明日が訪れたなら、我らすべては再び敵同士となろう!」

 打ち鳴らされる軍鼓に、吹き鳴らされる角笛に、タイヴァーの鼓動が同調した。船は速度を上げた。ヘラルドが最も憎む敵ですら、彼の言葉を聞こうと待った。自分たちが何処へ向かっているかはわからないが、上陸したならそこには栄光が待っている。

 白光が全員をのみこんだ。一瞬にして、彼らはきらめきに満ちた果てしない星界に入っていた。地上のものではない獣たちが船とともに進んだ――狼、鴉、リスまでも。

「だが我が戦友たちよ、それは生きて明日を迎えられればのこと。今日、戦乙女は英雄を選ぶであろう。今日はスカルドが何世紀も歌い継ぐ日となる。子孫らは其方を英雄と呼ぶだろうか、それとも臆病者と呼ぶだろうか?」

 再びの光。その模様が光彩に焼き付いたが、タイヴァーは目を閉じなかった。

 やがて光が消えると、彼らはうねる海の上空にいると気付いた。何故か彼らは宙に浮いていた――疑問に思う間もなく、タイヴァーの血が興奮に沸き立った。隣では戦乙女たちが侵略の樹の鋭い棘へ向かって飛び、とはいえ彼女たちは落ち着いていた。神聖なる矢が赤みがかった空に光の軌跡を描いた。世界樹はそびえ立ち、その汚らわしい鏡映しは下へ下へと伸びていた。船の上からでもその突起のすべてを、それが内に宿す殻のすべてを数えることができた。

 何千という数。あるいは何万という数がすべて兵士たちを抱え、そのすべてが手強い敵なのだ。止めることなど不可能とも言える敵。更に悪いことに、カルドハイムを守って死した者は立ち上がり、堕落させられ、侵略者の一員となり、かつて彼らが故郷と呼んだ地を壊すために戦う。

 彼が思うに、勝ち目は薄かった。

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アート:Bryan Sola

「カルドハイムが生き延びるというなら、それは我らが戦ったがゆえ! カルドハイムが死ぬというなら、戦士としての死を与えよう。斧をその手に、笑みをその唇に、そして蜂蜜酒をその腹に!」

 下方では水面が荒れていた。長艇に戦士たちの歌が弾けたように、海もまた弾けた。

 タイヴァーの肩の刺青がうずいた。あらゆるエルフはコーマの影の中で育った。常に変化し、常に成長し、稲妻のように素早く、抜け目なく、そう――蛇以上に、見習うべき生物など存在するのだろうか?

 だが彼が今見ている生物は、海の深淵から現れた生物は、真の蛇ではなかった。艶のある金属の鱗、口元に並ぶ鋭い骨、目の位置を覆う白磁の板。かつてこの生物が何であったとしても、今やそれは紛れもなくエリシュ・ノーンの創造物だった。

 目のないその怪物は早くもひとつの長艇に噛みついていた。木材がうめき、戦士たちは叫び、死に向かって長い距離を落下していった。他の船から矢の嵐が、石が、手斧が放たれた――掴めるものならば何でも。

 だが一つ残らず、その生物の奇妙な甲殻に跳ね返された。

 タイヴァーは船の手すりに足をかけた。カルドハイム最後の戦いとなるかもしれない光が、彼の刃の先端に眩しく輝いた。

 下で蛇が口を開けていた。その内に新ファイレクシアが、そして彼の怖れのすべてが姿を成した。

 怖れるのは好きではなかった。

 燃え盛る戦の歌を背中に、胸の奥から鬨の声をあげ、タイヴァーは船から跳んだ。

 この日の物語がいかにして終わろうとも、英雄譚は彼を臆病者と言うことはないだろう。

 


 

 ピア・ナラーはこの十年間を、よりよいカラデシュのために戦って過ごしてきた。

 その仕事のほとんどが、一日にして台無しになりつつある。

 いや――実際には、少なくとも一週間で。このような事態になるかもしれないと、何かが起こりつつあるとサヒーリが警告してくれていた。雲がその証拠だと彼女は言った。カラデシュの空をしばしば支配する渦巻き模様ではなく、自分たちを支配しようとやって来るものの新たな形。それを彼女はピアに示した。

「侵略に備えなければいけません」サヒーリはそう言っていた。

「チャンドラや他の皆がいるから大丈夫よ」

 彼女はそう確信していた。そう思っていた。そうはならないかもしれないとは思いたくなかった。これまでのすべてを思うに、あの奮闘と戦いを思うに、ゲートウォッチは必要な行動を理解しているはず。彼らがいれば大丈夫のはず。そしてとある朝、ピアは机にインクをこぼした。それを拭きとるための布を掴んだ時、またたかない目のようなその形が、粘り気のある黒色の中から見つめ返していた。

 それだけでも嫌な記憶。だが最初にインクをこぼして以来、彼女は見るものすべてにその形を見た。棚に置かれた巻物に、食べ切れない麺が乗った皿に、木々の中に、水の流れの中に。

 毎朝起きるたび、彼女はそれらが消えてくれることを、それらを見ずに済むことを願った。チャンドラが月に一度のお茶の約束に帰ってきて、またも敗北寸前からいかにして勝利を奪い取ったのかという武勇伝を披露してくれることを。

 だが三日目となり、彼女は行動しなければと知った。

 彼女とサヒーリは領事府に向かった――だが自分たちが知るものの切迫性を、どうすれば彼らに納得させられるだろう? ギラプールは自由と安全を勝ち取ったというのに。この脅威を伝えたなら人々に恐怖をかき立てるだろう。そしてそれが本当に来ると自分たちもどれだけ確信している? 知啓院にファイレクシアについての記録は何も存在しなかった。だとしても、サヒーリとピアは妄言をまくし立てる女性ではないという事実は領事府もよくわかっていた。ピアが戦力を配置したなら、彼らは戦うのだ。

 彼らの中にその勇気を持たない者がいたとしても。

 四日目に、空は深い錆のような赤色に染まった。

 この三日間、サヒーリは「黄金鱗計画」と呼ぶ何かに従事し、街路の安全を確保していた。ギラプール市民のほとんどは避難を終え、必須の人員だけが残っていた。航空船は試験用の強力な武器で武装を固めた。ギラプールの工房や工場がこれほどの短期間にここまで必死に働いたことはなかった――だがそれも最善を尽くすため。

 何せ、もしも敵が霊気貯蔵器に穴をあけたなら、守るべきギラプールはもはや存在しなくなるのだ。

 そのため技師たちは眠らず、ピアもまた眠らなかった。彼女は自宅の玄関で眠りに落ちた。寝台へ向かうことすら労力が大きすぎた。

 そして遂に頭上でポータルが開いた時、現実を引き裂いた穴から侵略の巨大な棘が降りてきた時、辺りの霊気が危険なほどに弾けるのを皮膚に感じた時、そのすべては息を吐くようだった。

 来た。

 奴らがここに来た。

 備える時間は過ぎ去った。今できるのは、それが十分であったと願うことだけ。

 ピアが家を離れると、ギラプールの街路は片付いていた――あるいはこれから片付く。殻が三つ先の建物に落とされ、その正面を破壊した。ガラスが割れる音、遠くで響く悲鳴、武器の発射音――それらは革命の音に似ており、それでいて異なっていた。唱和も、かすれ声で叫ぶスローガンも、誇らしい笛も音も響き渡る太鼓の音もない。

 ただ恐怖と絶望だけがあった。

 頭上の航空船から侵略の枝へと砲塔が炎を上げ、爆発が赤い空を金色に染めた。白磁の破片が街路に降り注いだ。ピアはとある彫像が伸ばした腕の下に避難し、破片がその両脇に溝を刻む様を見ていることしかできなかった。

 ピアは振り返って空を見上げた――探るような枝へと率先して近づいていく一隻。二日前、その船長に会っていた。ギラプールの安全を守るために全力を尽くす、彼はそう誓った。飛行回数は千五百回を数え、大きな損害を出したことは一度もないと言っていた。

 彼女が見つめる中、枝がその船を包み込んだ。ガラスが街路のそれと同じようにたやすく割れ、船体の表面が油に濡れた。

 ピアは目を閉じた。胸が痛んだ。無数の考えが思考に入り込もうとしたが、彼女はそれらを遮断した。サヒーリと待ち合わせの約束があるのだ。

 サヒーリと言えば、彼女の作戦の始まりは上々のようだった。展開チャンバーが街路沿いのハッチから飛び出し、その中から黄金鱗計画の中身が現れた。サヒーリは空想上のトカゲか何かから霊感を得たに違いない。ピアの目の前にそびえ立つそれは、数瞬前に崩れ落ちた家ほども大きかった。その顎に並ぶ輝く牙はピアの腕ほどもあった。脚を踏み鳴らすと敷石にひびが入った。更に、それは多くの中の一体に過ぎない――街路の至る所で、青銅製の攻撃型トカゲが地面から飛び出した。あるものは子犬ほどの大きさ、またあるものは飛行機械のように離陸し、だがそのすべてが迫り来るファイレクシア人へと反抗を吼えた。

 そしてそこには、対処すべきファイレクシア人がいる。トカゲたちの姿があるだけでも、ピアにとっては十分な攪乱になってくれた。崩れた家から何十体というひょろ長い白磁の兵士が溢れ出た。その中には、自分自身ほどもある大きさの檻を抱えた者もいた。

 ふたつの勢力は今にも衝突しようとしていた。

 ピアはその只中にいたくはなかった。青銅のトカゲの足の下をくぐった瞬間、ファイレクシア軍の背後に馴染みある顔が現れた。サヒーリの車から飛行機械の群れが放たれた。トカゲたちが兵士へと進む一方、飛行機械はピアの逃走を隠してくれた。

「乗ってください!」サヒーリが叫んだ。そして急ぐのは正しい――兵士たちはその任務を軽視はしない。数分のうちにファイレクシア兵は最も大きなトカゲに群がり、引き倒した。裂けたその顎から油が染み出た。まもなく、そのトカゲも自分たちの敵となって立ち上がるだろう。

 ピアはその車に飛び乗った。サヒーリの足は彼女が大好きな金属のように重いに違いない――車が急加速し、ふたりは座席に押し付けられた。ピアの耳に風が激しく音を立てた。だが話すべきことがある。「旗艦が落ちたわ」

「わかっています」サヒーリはそう返答した。右方向で起こった爆発に車が傾き、サヒーリはかろうじて横転を防いだ。「小型の船はできる限りのことをしています。あの触手の素早さでは掴んで止めることはできませんから。もちろん、その代わりに火力には欠けるのですが……」

 車はファイレクシア化したトカゲ型構築物足の間をくぐり、ピアは身を屈めた。金属と金属がこすれ、サヒーリの懸命な運転にもかかわらず、斜体の側面が歪んでへこんだ。トランクに油が滴った。この車もまた汚染されるまでどれほど持つのか、ピアは考えないよう努めた。

「霊気貯蔵器の状況はわかる?」ピアはそう尋ねた。

「ファイレクシア人もその重要性に気付いているのかもしれません。そうでなければ、そこに蓄えられた霊気に引き寄せられているのか」サヒーリは返答した。「お気づきかもしれませんが、ファイレクシア人が全員まっすぐそこに向かっています」

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アート:Leon Tukker

 車が角を曲がり、ピアは防衛隊の姿を見た。

 その光景に彼女の胃がよじれた。サヒーリの芸術的なデザインを邪に模したように、それらは白磁を施された半ば金属、半ば肉の存在だった。ある者は顔の中央に大きな穴があいており、ピアにはその向こうがはっきりと見えた。耳と頭皮、下顎だけが残っていた。まるで糸を通されるのを待つ針のような――そして剃刀と化した両腕は、その印象を強めるだけだった。見るも恐ろしい変質にもかかわらず、その胸は見えざる呼吸とともに上下していた。その頭部と言えるものが、霊気貯蔵器へと向けられた。

 ピアは口元を覆った。

「彼らを救うために、私たちにできることは何もありません」サヒーリが言った。

「何かあるはずよ」

「あるかもしれません、ですがそのためには観察と実験、反復が必要です。街の安全を確保したなら、どうするべきかを考えられます――ですが今ではありません」

 完成化されたばかりのファイレクシア人たちの間を車は駆け、ピアは目をきつく閉じた。再びそれを開くと、もっと多くが見えた。自分は今までそれらを無視していたのだろうか? 数はとても多く、その姿は多種多様だった。あるものは頭上の触手と白磁の板という意匠を共有し、またあるものは臓器の場所に橙色の炎が輝いていた。一匹の野良犬からは、自らの倍ほどもある針と触手が生えていた。自分の周りでこの世界そのものがばらばらになっていないのは、滑稽と言えるかもしれない。

「他の皆から何か聞いてる?」ピアは思わずそう尋ねた。

 サヒーリの両目は遥か前方の霊気貯蔵器を見据えていた。「聞いています。最後にチャンドラに会った時、彼女は無事だったと」

 政治家としての活動が長い彼女は、それがすべてではないと即座に気付いた。「それはいつ?」

「最近です。ごく最近」サヒーリはそう答え、肩越しに振り返った。「今話すべきことではないかもしれません」

「悪い知らせはいつ受け取ったって同じよ」

「今よりは適切な時があるかと思います」

 ピアは眉をひそめた。「お願い、教えて。何が起こっているの」

 サヒーリは辺りに視線をやった。「チャンドラは――」

「改革派の長よ! 久しぶりだな!」

 ピアは振り返った。元気のいい声とともに、うなるようなエンジン音が聞こえた。頭上の小型機の脇から、改革派の昔馴染が身を乗り出していた。バジ。

「手助けが必要かい?」

「どんな手助けでもありがたいわ」ピアは答えた。「霊気貯蔵器へ向かっているの」

「じゃあ乗れ!」バジが言った。「こっちの方が速く着く。それに火力もある」

 サヒーリは顔を上げた。「彼の言葉は冗談ではありません。あの船の武器は違法のものです」

 改革派は以前から禁制品の確保に長けていた。ピアは車の助手席に立ち上がり、片手で座席を、もう片手で扉を掴んだ。サヒーリは速度を緩めなかった――ピアがその手を差し出しても。

「あの小型機に乗れるのはあと一人までです」

 カラデシュ屈指の天才のひとりが何をしたいかと話しているなら、それに耳を傾けるのが義務だ。そうでなくとも、変革や危機の際には即座の判断と行動が求められる。「わかったわ。こちらがあなたを守るから」

 バジは小型機を降下させ、ピアへと手を伸ばした。その機体は世界で最も頑丈というわけでは全くない。そして乗り込むと、そもそもこの機体が飛んでいるという事実自体を彼女は訝しんだ――そこかしこでボルトやナットが音を立てており、座席は急いで成形した金属に革をかぶせた程度のもの。後部座席は非常に狭く、その両脇が肩に食い込むほどだった。

 バジは機体の先端を持ち上げた。彼らは空へと上昇し、ギラプールは雲の下に消えた。バジが操作盤のスイッチを弾くと、ガラスのドームが操縦席を包むようにはまった。「ヘルメットは座席の下だ」バジの言葉に、ピアはヘルメットを取り出して被った。操縦席のガラスには欠けやひびが入っており、ピアは当然それに気付いた。「この機体、大丈夫なの?」彼女はそう尋ねた。

「持つはずだ」バジはそう言った。「俺が自分の手で組み上げた。最高のスクラップだけを使って、直接――」

 その瞬間、一本の槍が機体の窓からバジとその座席までを貫き、彼が続けようとした言葉はくぐもった音の中に失われた。血塗れの先端がピアの直前でかろうじて止まった。上空に、かつては鳥だったらしきものが飛来していた。今やそれはファイレクシアのために戦っている。そしてピアは把握した――放たれたのは槍ではなく、針。警報がうなり、操縦席にあいた穴から鋭い音と共に空気が漏れ出ていた。ゆっくりと機体は傾きはじめ、そして先端を下にして落下を始めた。その勢いに、無重力の感覚にピアは吐き気を感じた。考える時間はない。彼女は操縦席に入り込み、針を引き抜いた。バジの死体を動かす余裕はない。操縦席に隙間はなく、操作盤は沢山の部品がごた混ぜに溶接された不可解なもの。ファイレクシアの鳥が両脇を飛び、そこかしこに船の姿があった。

 これは宜しくない。

 そして考慮するまでもなく、ピア・ナラーにこういった機体を操縦した経験はない。

 だがここで諦める気はなかった。カラデシュの安全がかかっている。そして娘のことも。

 チャンドラは来月のお茶の約束には来るはず。

 そこで会うのだ。

 この状況を切り抜けられたなら。

 


 

 アトラクサが到着すると同時に、ニューカペナは彼女の清純な外殻に爪を立てた。ひたすら上を目指して建てられた都市。空気には気分の悪くなるようなエネルギーが満ち、おぞましいほどに雑多な生物が這い進む。そのすべてが彼女にとって、ファイレクシアにとっての禁忌だった。

 それを一掃しろという命令を受けたのは、何という幸運だろうか。

 だがファイレクシアは考えなしに食らう獣ではない。その素材が何であろうと、この場所のすべてはより偉大なものの種なのだ。ファイレクシア人であることは、自らを成長させ変化させること。かつての自分よりも優れたものとなること。彼女をこれほどまでに悩ませる尖塔も、その虚飾を剥がされて作り変えられる。

 ここは罪と不浄に満ちた場所、そしてアトラクサはその救い主となる。

 その務めを行うという事実だけでも、彼女を歓喜で満たすには十分だった。あらゆる屋根の上で有機体が武器を構えていた。彼らの武器は役には立たないだろう――ファイレクシアの鎧に弱点はない。高く登ったところで助かりはしない。思考ひとつで、アトラクサは飛行型の苦役者の群れを呼び出した。ごく小さいながら、それらは飢えた獣――それらが登るものは速やかにただの骨と化して地面に落ちる。街路に出た者は筋肉と腱で対抗した。肉の脆さを知らぬ者たち。戦争機械が次々と店を壊しながら通過し、それらの意思を遂行してゆく。そして街路に到達すると、それらは腐食性のガスを放った。肉が溶けて骨から落ちた。

『残らず収穫せよ』ひとつの輝かしい思考が千もの心にこだまする。ニューカペナにて捕虜は不要――その肉の者らを入れる檻はない。戦争機械のガスで溶けないものは、苦役者たちがかき集めてそれらの内に放り込まれる。それらの部位のみが残るのだろう。

 残らず。収穫せよ。その言葉は、何と高らかに彼女の心に響くだろうか! 有機体たちはファイレクシア人を欺こうとした。彼らは暗闇へと消えて背後から現れたが、それも無駄。来たるものを防ぐことは叶わない。必死に放たれる呪文も。百長の肋骨の間に突き刺される刃も。ファイレクシアは決して打ち負かされない。

 だが肉は……肉は常に、最終的に屈する。

 ノーンの命令は単純明快だった。この次元にて汚らしい呼吸をするものは何もかも、部品として収穫せよ――それは実行されるだろう。だがアトラクサは彼らを引き裂く前に、その利用価値を見つけた。

 何といっても、このおぞましい次元のどこかには自分たちの前任者がいるのだ。彼らを発見するのもここでの任務の一部なのだ。

 新参者たちの心が彼女へと喜んで開かれていた。貴顕廊、彼らはそう自称していた。新たな身体を得た彼らの興奮は侵略軍全体へと波及し、愚かにも抵抗する者たちとの戦いに力を与えた。だがこれは彼女が求める、ファイレクシアが必要とする返答ではない。彼女は彼らの心奥深くへと入り込んだ。

 それらの内に、アトラクサは何か興味深いものを見つけた。

 美しい。

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アート:Chris Seaman

 何度も何度も、その言葉が繰り返された。その概念が。それは決して単体では現れず、常に映像や音や味を伴っていた。カンバスに描かれた絵。熱心な手が刻んだ石。夜に咲く花。木の楽器が発する鋭い軋み音。これらが「美しい」であるに違いなく、「美しい」というものは重要であるに違いない。それはしばしば、彼らが自らの新たな姿を見た際に最初に現れる思考であり、彼らの心に最初に浮かぶ言葉だった。

 だがそれは何なのだろうか? 何故彼らはそんなにもそれに心を奪われるのだろうか? 彼らの確信という力が侵略軍に広がり、ひとつの心が次の心を増幅した。その言葉はアトラクサの頭蓋の内に反響し、やがて彼女は逃げられなくなった。

 ノーンはこれを警告していた。この地には彼女に影響を及ぼそうとする何かが、かつての生がそれに対する抵抗をくれるかもしれない何かがあると。「美しい」というものについてのかすかな記憶は心にある。完成化の薄っぺらなまがい物であり、かつて自分が耽ったもの。これは敵の顔と名前――自分はこの、偽りの神聖を長く信奉していた。ならば、それがどこに生きているかを知らねばならない。

 彼らの心を探ると、もうひとつの回答が得られた。博物館。

 伴って現れた映像は明白だった。街を眺めると、とある転換ポッドからそう遠くない場所にそれはあった。あの手この手で形作られた大理石で飾られた、背の低い建築物。彼女はそれを見て、それは「美しい」のかと訝しんだ。かつて貴顕廊であった者たちは、美しいと認識していた。柱。彫像。建物の表面に這う、入念に刈り込まれた蔦。それが「美しい」であるか否か、彼女にわかるはずもない。

 彼らの興奮した情熱がアトラクサを駆り立てた。彼らが隠しているものが何であろうと、その場所であればもっとよくわかるに違いない。ファイレクシアが抵抗勢力を切り裂き、アトラクサは建物に続く階段に立った。その扉もまた、彼女には小さすぎた。わずかに触れるだけで、彼女はそれらの既に明白な欠陥を正した。この場所もまた、ファイレクシアを受け入れるだろう。

 中には更に理解不能の作品が並んでいた。肉でできた存在がカンバスや木の板から見つめ返す――自然素材の脆さの証。あまりに傲慢なこれらの生き物は、石や金属を用いてそれらの似姿を作り上げた。惨めな倒錯がアトラクサの心に食い込んだ。この全てが食い込んだ。このようなものに心を煩わせる者たちがいるとは。これら「絵画」はしばしばひとりの人物のみを描き、数が多いものでも十人を超えてはいない。多くの手によって偉大な行いが成し遂げられるというのに、なぜ少数の美徳を称賛する? そして彫像! 絵画よりも更に個を強調しているとは!

 アトラクサの槍がそれらを手早く片付けた。ファイレクシア人の心の奥底で新たに形を成した叫び、だがそれは一瞬に過ぎなかった。その部分は死につつあり、こうするのが最善であると理解していた。完全なる統一。これらの作品などもはや何の意味もない。

 それでも、同じ心の奥深くの何かが、進み続けなければと告げていた。ここには何かがある。最悪でも、辺りに蔓延する異端を破壊してやることはできる。

 奥深くには、更に多くの残虐行為が待っていた。もしそれらが信じられているとしたら、なお悪い。その場所の作品はもはや何も表現してはいなかった。それらは有機生命を鋭く幾何学的に模倣したものだった。武器でも防壁でもなく、彼女はその目的を想像できなかった。彼女はそれらも同じく破壊し、不満は増すばかりだった。

 彼女の疑問に答えたのは最後の部屋だった。

 そこには見慣れぬ物体も、絵画も、自身という個を声高に披露する定命もなかった。そうではなく彼女が見たものは、栄光の薄っぺらな偽物だった。歪んだ斧が壁にかけられ、猟犬の外殻の模造品が台座に飾られ、完成化の栄光を遮る像が……。ファイレクシア人はかつてこの地を訪れたとノーンは言っていた。だが、残酷な有機体たちは自分たちの方が優れていると思っている。目の前のものはそう語っていた。

「美しい」、その言葉が再び心に浮かび上がった。酷い言葉、だがここに「美しい」など何もない。この地の人々は過ちを崇拝しているのだろうか? 彼らは先人たちの死体を見て驚嘆したのだろうか? 貴顕廊の記憶は破城槌のような衝撃だった――人々がこれらの残骸を取り囲み、湿った唇とぎらつく舌とで飲み、食らい、騒がしく喋っていた。

『このようなものを振り回す男を想像できますかね?』

『言っておくがね。彼を雇って私の後ろを歩かせ、威圧的に立っているだけで良いのだがと思うよ』

『ふむ。どれほどの価値があるとお考えですかな……? 私自身が買いたいと思っているほどなのですが』

『やめたまえ。君にそれを買うような余裕はないよ』

 彼女は槍を握り締める拳に力を込めた。間違っている。間違っている。間違っている。この場所は、任務を果たせなかった弱いファイレクシア人は、それを嘲笑う肉の存在は間違っている。「美しい」、彼らがこれに対して向けるその酷い言葉は、「間違っている」以外の意味を持たない。

 壊してやろう。そのすべては、その名を抱くすべては、破壊されなければならない。その存在を許すことは、さらなる嘲笑を招くだけ――そしてファイレクシアは嘲笑されはしない。

 ファイレクシア化が建物の表面を這い進むと同時に、彼女はその中のすべてを跡形もなく破壊していった。それがどのような目的に役立つかは、彼女が決めることではない。有用なものは残り、有用でないものは剥ぎ取られるのみ。尾、鉤爪、槍、そして叫び――彼女の武器は誤らず、疲れもしない。すべてが終わった時、残されたのは破片と瓦礫だけだった。その間に遭遇した住人は岩の汚れと化した。最期の瞬間、自分たちは美しいと彼らは想像したのかもしれない。

 だがその言葉は二度と聞きたくはなかった。ファイレクシアの心からそれを消すことができるなら、彼女はそうするだろう。だがそのような行いは、機械の母のみが命令できること。

 それでも、エレシュ・ノーンが彼女にこの地の軍を率いるように命じた。つまり望むならば、この地の美を倒すことはできる。アトラクサはそのための命令を考え、発するだけで良い。満足とともに彼女は博物館から出ると、そこかしこで武器が岩を打つ音が聞こえた。

 だがその満足感は長くは続かなかった。

 中庭の先で、天使たちが彼女を見つめていた――石の顔をした天使たちが。

 その次に起こった物事は、意識的に起こったのではなかった――考えではなく、本能だった。彼女は即座に、大聖堂の石の熾天使たちは本当に美しいと感じ、同時に彼女たちへとかつてない程の憎しみを抱いた。これほどの憎しみを抱くことが可能なのかと思うほどに。ファイレクシア人の心の合唱は、彼女という存在の隅々にまで響き渡る怒りの前に縮んだ。白い残像となり、彼女はそれらの彫像の首をはねた。それらが地面に落ちても彼女は攻撃を止めず、槍を振り下ろし続けた。繰り返し、何度も何度も。砕けた石から靄がかったエネルギーが湧き出たが、気にはしなかった。それは彼女の外殻を焼き、腱に苦悶を満たしたが、彫像の頭部が細かな塵と化すまで自らを止めることはできなかった。

 そうして、ようやく彼女は止めた。ようやく、聞こえるのは再びファイレクシアの声のみとなった。

『塔を昇る者がおります。いかがいたしましょうか?』

 ひとつの声が喋り、別の声が続いた。収穫せよ。収穫せよ。

『ですがこの蒸気は苦痛をもたらします。痛むのです』

『ファイレクシアは痛みを感じない。収穫せよ』

 アトラクサは頭部のない彫像を見上げた。深い安堵が押し寄せた。美は死に、今一度前線に注意を向けることができる――その塔の外の存在に、そしてそれらが何を計画しているのか。

 彼女はそこを離れた。

 だがその熾天使たちは残り、アトラクサが去る様子を見つめていた。色彩のもやの中、熾天使たちと共にひとりの訪問者が浮いていた。

 彼女たちもまた、同胞同士だけで話していた。

『何故止めないのです?』訪問者が尋ねた。

『まだその時ではありません』

 それは正しい答えのようには思えず――だが訪問者は反論できなかった。

『信念を持つのです。終わりはまもなくです。そこに辿り着いたなら、何をすべきかがわかるでしょう』

(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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