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コラム

企画記事

『イコリア:巨獣の棲処』物語ダイジェスト:第4回(終) 心を一つに

原著:Django Wexler
作:若月 繭子

怪物の兵器化

 ジリーナは自室に軟禁され、扉の外には警備部隊が睨みを効かせていた。

 監禁状態の落ち着かなさと、ルーカへの不安に彼女は参りかけていた。父の言う通りならば、彼は人類に逆らって怪物の仲間になった。オゾリスでの光景を見た後では、何を信じればよいかわからなかった。そのため、ようやく将軍が訪れた時には、感情の堂々巡りからの脱出を彼女はむしろ喜んだ。

 怪物の群れ、いや軍隊がドラニスへ向かってきている。将軍は普段通りの冷静さでそう告げた。そして斥候の報告によれば、ルーカが恐竜の背に乗ってその群れの中央にいると。歴史上、ドラニスが面してきた中でも最大の脅威であることは言うまでもなかった。

怪物の兵器化

「城壁で怪物の軍と激突したなら、計り知れない被害が出る。最終的にこちらが勝利したとしても、その過程でドラニスの大半を失う可能性がある。そしてルーカはこちらの防御を熟知している。従って、銅纏いが平原で彼の軍に接触する」

 ジリーナは頷いた。その作戦は理にかなっている。だがそれをなぜ自分に伝える?

「君も来るのだ。ルーカは君を助けるためにあの怪物を送り込んだ、つまりまだ君を気にかけているということだ。その感情こそが突くべき弱点となる」

 なるほど。軍人として、後継者としての娘に絶望し、残る使い道はそれか。

「拒否した場合はどうなりますか?」

 将軍は厳しい視線で彼女を睨みつけた。

「娘を鎖に繋いで戦場に引きずり出したくはない。だが必要とあればそうしよう」


 銅纏いの軍が平原を占拠していた。整然とした列を成して設置されたテント、その背後には補給車。クードロ将軍が投入したのは守備隊の半分、およそ一万人の兵士。その隅にジリーナのテントもあった。軍の基準から見てそれは広々としていたが、常に監視が立っていた。

 遅い夕食を取っていたその時、外から物音が聞こえた。叫びが上がろうとして途切れ、剣が地面に落ちる音が続いた。テントの幕が開かれ、現れたのは――桃色の毛皮をまとった少女、その背後には弓と矢筒を肩にかけた、もう少し年長の女性。ルーカと一緒にいた人物だとジリーナは記憶していた。女の子の方も、オゾリスで見ていた。

 その女性は無礼を謝り、素早く名乗った。ビビアン・リード、そしてブリーン。ルーカの名前を聞いて、ジリーナは警戒を解いた。

「彼はどうなったんです? オゾリスで何があったのかわかりますか?」

「最初から説明するのが良さそうね。ルーカに会ったのは、彼がドラニスから脱出しようとしたその日で……」

 ジリーナはビビアンの話に耳を傾けた。翼の猫との出会い、オゾリスが怪物を駆り立てたという発見。森での遭遇、眷者たちとの出会いとオゾリスへ向かう旅……

「ナイトメアとの戦いに巻き込まれたけれど、彼と水晶を接触させることには成功して」

 ブリーンは不機嫌だった。あの狩人たちが来たせいで、アブダは死んだのだ。ジリーナは少女の視線を受け止めた。

「私を恨むのも当然です。私がいなければ狩人たちがあの場所に行くことはなくて、あなたの友達はまだ生きていたのでしょうから。私は……最善を尽くして行動していると思っていました。でもそれは言い訳にはなりません」

「私たちも、最善を尽くしていると思っていたわ。ルーカはオゾリスに触れて、中にあるものと交信した。怪物を制御する力が彼に入り込んだ」

「そして彼を歪めたのですね」

 だがビビアンはかぶりを振った。ルーカはルーカのままであり、ただ故郷から追放されたことに憤慨しているのだ。そして眷者たちとは異なり、怪物のことは単なる道具とみなしている。

「あなたはルーカと話し合える唯一の人物で、ドラニスの軍にも影響力を持っている。あなたなら何らかの合意を仲介することができるんじゃないかって」

 ビビアンの言葉に、ジリーナは虚ろな笑みを漏らした。自分はもう軍への影響力など何も持っていないのだ。ここにいる理由はただひとつ、利用価値があるから。外から足音が聞こえ、ジリーナは急いで逃げるよう二人に告げた。ビビアンは頷いた。

「また来ると思うわ。しばらくの間は、あなたにできる事をして」

「ええ。ですが、奇跡は期待しないで下さい」


 翌朝。ジリーナは将軍に連れられ、大型ボートに乗って川の中洲へ向かった。ルーカが交渉を申し出て、また彼女の同席を望んだのだった。将軍がそれを了承した理由も既に告げられていた。

 ルーカは恐竜の首を滑り降り、小島に降り立った。約束通り、他に怪物はいなかった。恐竜は重々しく背を向け、離れた土手に戻っていった。船は岸を滑って砂浜に上陸し、重装備の衛兵らがクロスボウを抱えて降りた。境界線が形成されると、将軍とジリーナも下船した。

 ひどい様相、それが今のルーカに対するジリーナの第一印象だった。やつれて顎髭は伸び、だがその瞳だけは爛々と輝いていた。ルーカを取り囲むように衛兵が広がったが、彼は気にしていないようだった。将軍はまっすぐに向かい、ジリーナは後ろについた。ルーカは胸に手を当て、敬礼した。

「閣下、俺はドラニスの歴史そのものを変える力を得たのです。怪物が敵対するのではなく、こちらの側で戦う様を想像して下さい。街を取り囲む生きた兵器です。もう誰も死ぬことはありません。城壁すら必要なくなります。物事の常識はすっかり変わってしまうでしょう」

「私とて考えた。恐らく君以上に。だが君の怪物が私達を守るとしたら、何が君の怪物から私達を守るのだね?」

 ルーカは将軍を睨みつけた。そこでジリーナは父親を一瞥し、踏み出した。ルーカの真正面まで来ると、二人の目が合った。しばし無言の時が流れた。

「オゾリスで君を探していた。死んだのかと……思っていた」

「あなたの怪物が助けてくれたの。あの翼の猫が」

「わかっている。俺も感じた。君の父が何をしたかも」

「父は……ドラニスにとっての最善を尽くしたのよ。ルーカ、こんなのは間違っている。皆、怪物を受け入れなんてしない。こんな形では」

 ジリーナは彼へと一歩踏み出した。十分な近さ。

「将軍は頑固な老人だ。心を変えるよりは何千人も死なせた方がいいような人物だ。そんなことを俺に言うために来たんじゃないだろう?」

 ジリーナは頷き、ダガーを取り出し、息を吐くとそれを落とした。

「あなたを殺せと言われた」

「だろうな。俺の近くにいろ」

 ルーカは顔を上げた。その瞳が橙色に輝き、地面が揺れだした。


 島が激しく揺れた。地面が盛り上がり、弾け、怪物が飛び出した。

 それは荷車ほどもあるモグラで、鼻先からは掴みかかるような触手が伸びていた。顎には特大の切歯が備わり、前足には土を削る巨大な爪があった。それが近くの衛兵に振るわれると、ごく僅かな力で血飛沫が舞った。

 続けて別の怪物が現れた。タコに似たエレメンタル、その身体は岩でできていた。それは小石ひとつすら乱すことなく地面を滑り、触手で衛兵二人を包み込んだ。悲鳴が上がったが、石がこすれる音とともに途切れた。殺戮の中をクードロ将軍は逃げ、ルーカは刃を抜いてそれを追った。将軍はボートに乗る寸前に振り返った。

「お前がこの島を出ることは叶わない。何十ものバリスタがお前の怪物を狙っている」

 ルーカは薄ら笑いを浮かべた。ジリーナは軍の野営地に目を向け、唖然とした。至る所で火の手が上がり、巨大な怪物が何体もその間を闊歩していた。兵士たちは逃げまどっていた。バリスタは炎が迫ったために放棄されていた。

「勝ったと思うのだろう。だがお前に決してドラニスは奪えない。ここで何が起ころうと、ドラニスは持ちこたえる――」

「全くもって同意です。とはいえ率直に申しまして、閣下のお言葉を聞くのは飽きました」

 彼は将軍の胸を刃で突き刺した。ジリーナが悲鳴を上げた。肋骨の間に剣が滑りこみ、鋼鉄が肉を裂いた。将軍は何かを言おうとしたが、口から出てきたのは血だけだった。ルーカが刃を引くと、老将軍はよろめき、砂地へと倒れた。ジリーナが駆けてきた。

「父さん!」

 ルーカは屍に背を向け、彼女の腕を掴んだ。

「俺はドラニスの力になる。街の者たちもすぐに同意するだろう。俺は家に帰り、指揮をとる。そしてジリーナ、君は俺と一緒になる。ようやく――」

 ルーカは銅纏いの中でも最も高度な訓練を受けた兵士の一人だった。にもかかわらず、ジリーナは彼へと極めて困難な一撃を見舞った。ルーカは一瞬で察してのけぞり、彼女の短剣は喉ではなく、頬と顎を浅く切りつけた。ジリーナは背を向けて駆け、川へと飛び込んだ。かすれた叫び声が水中まで届いた。

「君も死ぬぞ! 裏切ったな!」

 ジリーナは泳ぎに集中した。流れは激しくはなく、野営地の南岸に上陸した。バリスタは怪物の襲撃によって破壊され、辺りはまるで竜巻に襲われたかのようだった。至る所に死体が転がっていたが、その数は明らかに足りなかった。不意打ちの後、誰かが指揮をとって生存者を逃がしたのだろう。彼らが南へ、ドラニスに向かったことは間違いない。

 低く響くうなり声に鳥肌が立った。猫の怪物がテントの残骸から現れた。その両目、鮮やかな緑が彼女を貫いた。

 だが戦わずに死ぬつもりはなかった。ジリーナは目を離さずに後ずさり、やがて銅纏いの死骸に足が触れた。膝を曲げて彼女はその兵士の剣を手にとった。猫は跳躍しよう力を込めた。

 その瞬間、大きな桃色の何かが不意に横から猫に激突し、大きく跳ね返ると足を広げて音を立てて着地した。オゾリスの戦いで見た桃色のアライグマ。ブリーンという少女がその後ろで、スリングを振り回していた。尖った岩が投げつけられ、猫の頭蓋骨が砕けた音がした。アライグマは頭を下げて威嚇した。

「ジリーナさん!」

 テントの背後からビビアンが現れ、矢を放った。それは緑色のエネルギーをまとい、巨大な熊の姿をとると猫へと襲いかかった。ジリーナはビビアンの隣に駆け、ブリーンとその怪物も加わった。ビビアンはそのまま走るよう合図した。

「罠でした。ルーカは怪物を待たせていました」

「それはわかるわ。彼は生きているの?」

「ええ。そしてクードロ将軍、父は……」

 ジリーナは言葉をのみこんだ。ブリーンは同情するように顔をしかめた。

 銅纏いの生き残りは南へ向かった。けれど指揮を執っているのは? 序列的にはブリッド大佐か、攻撃で死んでいなければ。急ぎドラニスへ戻らねばならなかった。

 この事態を止めなければならない、その気持ちはビビアンも同じだった。眷者たちも手を貸す気でいた。彼らと怪物にとって、ルーカはもはや許しがたい存在だった。

「ナーセットも力を貸してくれるだろうけど、何処にいるのか……」

 ビビアンは顔をしかめ、考えこんだ。ジリーナは息を吐き、ブリーンへと向き直った。

「それはそれとして、ありがとう。助けてくれて」

「お礼ならロルに言ってよ。私はお願いしただけだし」

 ジリーナは桃色のアライグマに顔を向けた。この怪物は明らかに無害、それは認めざるを得なかった。とはいえあの猫を威嚇した時に、ずらりと並んだ牙を彼女は見ていた。

「ありがとう……ロル」

 ジリーナは恐る恐る言い、そして相手が口を開けて吼えるとひるんだ。

「気にしないで、って。でもあなたのこと気に入ったみたいよ!」

権威ある者

 しばらく進んだところで、バロウとゼフが合流した。角の頭飾りと厳めしい物腰も十分奇妙だったが、ジリーナはゼフの大きさに驚かされた。目はジリーナの頭よりも大きく、牙は大剣ほどもあった。だが彼女らが背に上がると、白猫は巨大で穏やかな乗り物となった。ジリーナは疲労から毛皮の中でしばらく眠った。やがてドラニス外縁に到達すると、日没を待って所々の集落と砦を通過した。幸い、ルーカの大軍のために兵が招集されていたので、目撃されることはなかった。

 だが内縁部へ向かうにつれ、人目を避けることは難しくなっていった。ジリーナは考え、暗闇の中にゼフを待たせると独り徒歩で城壁へと向かった。声を上げて名乗ると兵士たちは一瞬混乱したようだったが、重い軋み音をあげて門が開かれた。銅纏いの軍曹が現れ、堅い敬礼をした。

「街から連絡はありましたか?」

「戦術的撤退についてですか? 伝令が来ました。怪物の軍が街に向かってきていると」

 戦術的撤退。そういう言い方をするのは。

「ブリッド大佐の命令ですね」

「その通りです。将軍は特別任務でご不在とのことで」

 ブリッドは父の死を話していないのだ。それは興味深い。

「軍曹。街の防衛のために仲間を連れてきました。ここの武器を下ろして頂けますか」

「ですがそれは現在の命令に反し――」

「将軍の名において、こちらの命令を優先してください」

 その軍曹は瞬きをし、だが背筋を伸ばして敬礼した。壁のクロスボウが下げられ、矢弾が外された。ジリーナは数分待って振り返り、高く長い口笛を吹いた。

「慌てないよう伝えて下さい。大丈夫です」

 だがゼフが暗闇から現れると叫びが上がった。平静を保つよう軍曹が兵を叱りつける声が聞こえ、ジリーナは彼への評価を高めた。生涯、怪物と戦うために鍛えてきた者にとっては大変なことだろう。白猫が踏み込んでも、クロスボウの矢は放たれなかった。バロウはゼフの首にまたがり、兵士へと手を振った。ブリーンはロルの毛皮にしがみつき、疑うように城壁を見た。

「街に来るのは初めて。何百人も一緒に住んでるって、本当?」

 その城壁を通過すると、もはや人目を完全に避けるのは不可能だった。夜が明ける頃には中央城壁にたどり着いたが、バリスタが構えられ、クロスボウと槍がずらりと並んでいた。ジリーナの心が沈んだ。ブリッド大佐がもう到着している。こちらの声など聞いてはもらえないだろう。だがビビアンが隣にやって来て、かすかな笑みを浮かべた。

「私はこれまで、沢山の素晴らしい兵士に会ってきたわ。平和な時には喧嘩してばかりだけど、それでも危機には、上に立つ人に全員が従う。もっと重要なのは、上に立っていると思われる人に」

 ジリーナは汗ばんだ手のひらをぬぐい、深呼吸をし、頷いた。

 再び彼女はゼフを下がらせ、徒歩で近づいた。通用口が開き、数十人の兵士が現れた。城塞警備隊の華やかな制服。彼らは馴染みある顔、ブリッド大佐に率いられていた。

「大佐。御無事でしたか」

「不意打ちされましたが、撤退できました。今はお父上が戻られるまでこちらの指揮を執っております」

「父は。クードロ将軍は死亡しました。裏切り者ルーカに殺害されて」

 ブリッドは彼女を睨みつけ、だが声を上げた。

「だとしても、銅纏いの将校として私は都市防衛を担う責任があります。大尉、怪物を連れて来たようですが、その理由を尋ねねばなりません」

「彼らはドラニス防衛の協力を申し出てくれました。状況を鑑みるに、それを受け入れるのが最良と考えます」

 ブリッドは目を狭めた。

「それは越権行為ですな」

「ドラニスの城壁は何世紀にも渡って耐えてきましたが、今回のようなものに対峙するのは初めてです。ルーカの軍をただの怪物の群れとして扱うことはできません。父はそれが見えず、命を失う羽目になりました」

「そして『友好的な』怪物のために門を開けと? それは貴女の忠誠について深刻な疑いを引き起こします。許可はできません」

 ブリッドの背後から、他の将校の呟きが聞こえた。絶対的なクードロ将軍を失い、今や彼らは戸惑っていた。上に立っていると思われる人、ビビアンはそう言った。

「では、父の名において、貴方から指揮権を剥奪します」

「何? 貴女にそのような権限などない」

 ブリッドは声をあげて笑った。

「フムロン少佐。門とその先の道を開けなさい。誰も傷つけたくはありません」

 ジリーナはブリッドのすぐ背後に立つ女性に告げた。心臓の高鳴りを無視し、権威をまとうようにふるまった。長い沈黙があった。

 状況はもはや普通ではなかった。規則に従えば、銅纏いはジリーナではなくブリッドの命令に従うべきである。だが彼らは機械ではなく人間であり、怖れていた。絶対的存在であるクードロ将軍は消え、その娘が極めて真剣に指示を出している。そして誰もが援軍を欲していた。もう一つ、誰もブリッドを好いてはいなかった。

「了解」

 少佐は敬礼し、拳を胸に当て、警備隊へと叫んだ。

「門を開け。非常線を敷いて民間人を下がらせなさい」

「何?そのような事など!」

 ブリッドは叫んだが、士官らは背を向けて指示を出し始めた。


 しばし、誰もが彼女の命令に従ったように見えた。とはいえいずれ、軍当局は彼女の権威に真の根拠などないと気づくだろう。だが今のところ、ジリーナは将軍の娘だった。さらに言えば、家ほどもある怪物を味方として連れてきていた。

 今その怪物二体は中庭で丸くなり、まだ落ち着かない衛兵に監視されていた。ビビアン、バロウ、ブリーンはジリーナや将校たちとともに、ドラニス周辺の地図を囲んでいた。ルーカの進軍は想定より遅かった。おそらく一斉に、圧倒的な攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。

移動経路

「友人らには連絡した。ここの大水晶が普段よりも遠方まで声を届けてくれたのでな」

 バロウが厳粛に告げた。この青年は真面目な雰囲気を漂わせているが、その角の頭飾りと白い毛皮は風変わりに見えた。

「聞こえたが返答のない者もいよう。近くまで来たなら再び伝えるつもりだ」

「お願いします。仲間を撃たれないようにしなければ」

 ジリーナが将校たちを一瞥すると、彼らは素っ気なく頷いた。だが真の問題は怪物ではない。

「ルーカを誘い出して倒さねばなりません」

 殺す、とは言い出せなかった。だが心の奥深くでそうしなければならないとわかっていた。結局のところ、怪物の軍隊を支配できる男をどうする? ジリーナは溜息をついた。

「私が餌になります」

怪物対ドラニス

 北部の街区に居住する民間人が夜通し門を通って流れ込み、守備隊がそれに続いた。避難を要するほどの重要事態は誰もが覚えている限り初めてのことだった。

夜勤隊の猛士

 そして呼びかけに応答した眷者たちがやって来た。エメラルド色の鱗の蛇トカゲ、それに付き添うのは全身を緑に包んだしなやかな女性。翼のある猪にぼろをまとった老人が乗って笑い、ブリーンよりも年下の少年は歩く大木を持ち込んだ。更に多くの怪物と眷者が参戦し、やがて誰も驚かなくなっていった。

 太陽が昇ると、ジリーナは北部要塞の頂上に立った。夜明けの光に照らされ、誰もが直面したことのない光景が広がった。一体の怪物ではなく、群れではなく、軍隊が均整の取れた隊列で広がっていた。要塞の真正面には亀に似た巨大なエレメンタルがいた。その背中には岩山があり、壁ほども高く、小型の怪物が蟻のように群がっていた。

 それを挟んで大型の怪物が最前線を形成し、小型のものが周囲についていた。五つの怪物相すべての姿があった。複数の目を持つ黒い鱗のナイトメア、鼻を鳴らす毛深いビースト、長い牙の恐竜、しなやかな猫、そして煙や炎や蒸気の霧をまとうエレメンタル。空中も敵で満ちていた。鳥に似た怪物が鳴き、クジラのようなナイトメアが浮かびながら眠そうな目で瞬きをした。

 ジリーナは深呼吸をし、可能な限りの大声を発した。

「発射の構え!」

 クロスボウが構えられ、バリスタが目標に向けられた。ジリーナはビビアンとブリーンに目を向けた。彼女たちは最終的な指示を待っていた。

「作戦を忘れないで。眷者の皆さんは壁を越えようとするものを対処して、けれど孤立しないように、そしてルーカに姿を見せないように。ビビアンさんは、空から来る怪物の対処を手伝って下さい」

「できる限り」

 ビビアンは弓を取り出し、弦の張りを確かめた。

「来たぞ!」

 叫び声が上がった。ジリーナは大きな亀がゆっくりと前進するのを見た。その上、すべてを見下ろす位置に、ひとりの人間の姿を見ることができた。

 始まりだ。


 バリスタから死に物狂いの矢弾が放たれた。空飛ぶ怪物を対処することは、常にドラニス防衛の最優先事項のひとつだった。分厚い城壁も不屈の軍も、それらの上を越えていかれては役に立たない。稲妻の鷹が射落とされ、工場の建物を破壊した。翼膜の恐竜は金切り声を立てて要塞へと飛び込み、クロスボウの雨あられがそれを出迎えた。さらに頭上では別の怪物たちがバリスタの射程外へと上昇し、街に迫ろうとしたが、銅纏いの秘儀軍が稲妻と爆風を放った。

 やがて地面を歩く鈍足の怪物も近づいてきた。あの亀は背中に小型の怪物を満載していた。猪がその前で頭を下げて突撃し、壁を突破しようというように突っ込んだ。石の砦が揺れるほどの強烈な打撃、だが次の突撃よりも早くバリスタの矢が続けざまに刺さった。亀の怪物にもバリスタが放たれたが、岩の皮膚に跳ね返った。その険しい身体の上部が胸壁上へ差し出された。怪物が一斉に飛び降り、要塞の屋根に群がった。

 怪物の群れがなだれ込んだ。緑の毛皮と葉のたてがみを持つ猫。素早く狙いをつけるナイトメアの蠍。鎌のような鉤爪を生やした恐竜。鼻を鳴らす猿のようなビースト。それらは防衛軍へ突入し、鋼が歯と鱗に激突した。十数本の剣が猿を貫通し、恐竜は兵士に噛みついた。ビビアンは緑の狼とともに加わり、彼女の矢は怪物の目や喉を的確に狙った。

「ジリーナ! バロウが!」

 ブリーンの声が背後から届いた。振り返ると、その少女は前進する怪物へと必死で石を投げていた。側頭部に血をにじませていたが、大怪我はしていないようだった。

「何かあったの?」

「怪物に突破されたって。飛んでるのとか、地面を掘ってきたのとか。みんな逃げてる、応援をくれって」

 ジリーナは戦闘を振り返った。

「門のところに眷者たちを集めてと伝えて。始めるわ」

 ルーカの戦略は単純だが効果的だった。正門の守りは固すぎるため、彼は軍隊を分散させ、数の力で防御力の弱い場所を探ったのだ。ジリーナは望遠鏡を覗き、胸壁へ向かった。亀の背中の頂上にルーカの姿があった。

「ブリーン! そちらへ向かうってバロウに伝えて!」

「わかった、気をつけて!」

 ジリーナは剣を確認し、胸壁へと上がり、亀の背中までの距離を見積もった。そして目を閉じ、飛び降りた。岩に落ちた衝撃は強かったが、彼女は急ぎ立ち上がった。

 前方で、ルーカは虚空を見つめていた。その目は橙色の光に輝き、オゾリスの力を注いでいた。ジリーナは注意深く近づき、剣を抜いた。ルーカは気づき、驚いた様子を見せたが、弱弱しい笑みを向けた。

「やあ。今も俺を殺す気なのか?」

「まだあなたは街に迎え入れられるって本気で思ってるの? 父に……何をしたかわかっているの?」

「まさか。君の父親だけじゃない、ドラニスは頑固な老人だらけだ。俺がそこに帰るには奪うしかない。服従か、死か。そうして新たなドラニスを俺は築く」

 彼はジリーナを悲しげに見つめた。一瞬、それは昔のルーカのようだった。

「私たちは決して服従なんてしない。これが終わりよ、ルーカ」

「どうかな」

 ジリーナは駆けた。ルーカは動かず、ただ待っていた。彼女が突いた瞬間、足元の地面が動いた。亀がルーカの意志に応じて身体を曲げ、ジリーナは転げた。剣が手を離れ、音を立てて落ちた。

「教わっただろう? 常に足元には気をつけろって」

 亀が体勢を戻すと、ルーカは刃を抜いてジリーナへと向かっていった。彼女は慌てて後ずさり、だがすぐに端まで追い詰められた。肩越しに振り返ると、地面は遥か下方だった。桃色の塊が垣間見えた。

「降伏しろ。知ってるだろうが、俺は情け深い」

 ジリーナは息をのみ、そしてまたも、飛び降りた。

 今回は着地できる距離ではなく、恐ろしい速度で地面が近づいた。最後の瞬間、直下を何かがかすめ、柔らかく弾力があるものに彼女は当たった。ロルが抗議のうめき声を上げ、穴のあいた風船のようにしぼみ、ジリーナは桃色の毛皮に埋もれた。もがいて転がり出ると、桃色のアライグマは脇に立った。

「素晴らしい作戦だ。とはいえ今や君は壁の外だ。どうする、ジリーナ?」

 遥か頭上でルーカが言った。あらゆる方向から怪物が近づいてきていた。八本の肢に目のないナイトメア、長く渦巻く歯をもつ狐のようなビースト。何本もの角を頭に生やした恐竜。その隣で亀が動き、巨大で鋭いくちばしを開いた。蝙蝠のような怪物が爪でルーカを掴んで持ち上げ、ジリーナとロルの前に下ろした。

「さあ、どうする?」

 正門が開く、深く軋む音が聞こえた。

 ゼフが最初に飛び出した。バロウはその首に乗り、二組の角の間に稲妻が走っていた。巨大な白猫はナイトメアに噛みつき、素早く揺さぶって殺し、鼻を鳴らして投げ捨てた。翼の猪と歩く木が現れ、また他の眷者たちも怪物の背に乗って、あるいは後ろに続いた。ブリーンはゼフの背中から飛び降りてロルへと身を投げ、桃色のアライグマは喜びの鳴き声を上げた。

暴走の先導

 ルーカの怪物は必死に反撃したが、彼は軍隊を薄く広げすぎていた。一本の矢が地面に突き刺さり、緑のエネルギーが溢れ、巨大な姿を成した。力強い二本の脚、長い体と丈夫な尾は恐竜のようだが、身体に羽毛をまとっていた。轟く叫び声を上げてその恐竜は亀へ突撃し、大顎で首筋に噛みついた。

 眷者と怪物たちが再び集まり、ルーカを包囲した。彼は半狂乱で辺りを見回したが、笑みを浮かべるのはジリーナの方だった。

「終わりよ、ルーカ。降伏しなさい。知っての通り、私は情け深いわよ」


 ここまで来たというのに。ルーカは内にうねる怒りとともにジリーナを睨みつけた。

 手元にいる怪物は役立たずの亀だけ、だがオゾリスのエネルギーは今も彼の内に脈動していた。眷者たちは自分の怪物を支配できていると思っているが、この力にはとうてい及ばない。ルーカは両腕を広げ、目を橙色に輝かせた。

『待て。水晶に負担がかかりすぎている』

 オゾリスからの声が心に届いた。

『考え直せ。結果は明白だ』

「黙れ」

 ルーカの力が怪物たちの心に押し寄せた――だが相棒への愛に駆り立てられ、彼らは抵抗した。ルーカは歯を食いしばり、怪物たちの意志を橙色のエネルギーの波で抑え込んだ。ゼフがゆっくりとジリーナに向き直り、牙をむき出しにした。

 だが何かがちらついた。ルーカが肩越しに振り返ると、橙色の力の先端が見えた。遥か北でオゾリスは悲鳴を上げ、巨大な火柱を空に放った。古の水晶列が緊張し、一つまた一つ、負荷を受けて粉々に割れていくのを感じた。

『ふむ。警告はしたのだがな』

 そしてオゾリスは爆発した。

 大水晶が弾け飛び、橙色の光輪が平原に走った。力が心にうねり、張りつめたロープがついに千切れたように暴れた。自らの肉体が内外で燃え、裏返り、炎が血管を流れていくように感じた。

 済まない、ジリーナ。俺は帰りたかっただけなんだ。

 魂の奥深くで何かが揺らぎ、苦痛と燃え立つ魔力によって目覚めた。一瞬の後、ルーカは消えた。

予測不能な竜巻

人と怪物の未来

 一週間が過ぎ、市場での怪物の姿はどこか見慣れた光景となっていた。素早く都市の再建に取りかかったドラニス市民の力強さに、ビビアンは大いに感銘を受けた。

 早急な協議の後、ジリーナは眷者とその怪物を市の中心部以外で受け入れると布告した。一部は実用的な理由で、大型の怪物が狭い通りを通過するのは困難なためだった。最大の理由は、事故を最小限に抑えるためだった。ゼフとロルは市場で他の眷者たちとともに座り、市民は半ば怖々と、半ば興味津々に見つめていた。ブリーンは上機嫌で屋台を巡り、バロウはずっと落ち着いた足どりで後に続いた。

 衛兵の一団を従えたジリーナの姿が見え、ビビアンは群衆の中を通り抜けて向かった。彼女は新たな大佐の階級に相応しく、小奇麗で新しい制服をまとっていた。

「ビビアンさん。戻られていたんですね。何か見つかりました?」

 ビビアンはオゾリスがあった地点へ戻り、何があったのかを探ろうとしていた。そして見つけたものは、彼女の疑念を確信させた。追いかけなければいけない。

「その相手に同情しますよ。本当にありがとう、あなたがいなければ――」

「私がいなければ、そもそもルーカは逃げ出せなかったかもね」

 ビビアンはかすかな笑みを浮かべた。ルーカの名前に、ジリーナの表情がふっと暗くなった。

「もし彼が……生きていて、会うことがあったら伝えて頂けますか。ごめんなさい、こうするしかなかった……って」

「ええ、伝えるわ」

 ビビアンは真剣に頷き、そして市場へ顔を向けた。

「こっちはどう? みんな、眷者と怪物との同盟を受け入れると思う?」

「今のところは。けれど父のような人は、何世代にも渡って怪物への憎しみを教えられてきました。それを変えるのは難しいでしょう。眷者のいない怪物はこれからも来るでしょうし。長い道になりますよ」

「じゃあ、次にここに来るのが楽しみだわ」

 ビビアンは手を伸ばし、一瞬してジリーナはそれを握り締めた。

「元気で、ジリーナさん」

「元気で、ビビアンさん」

 ビビアンは背を向け、アーク弓を肩にかけ直した。彼女は角を曲がり、小路を下り、そしてイコリアを離れた。


 ルーカはゆっくりと顔を上げた。

 そこは沼地で、顔や髪から黒い泥が滴った。辺りは暗く、大気はぬるく湿り、腐敗の匂いがした。

 生きている? 記憶はまるで砕けたようだった。それでも、軍人としての鍛錬が彼を突き動かした。まずは現在地を突き止め、避難場所と食料と水を確保する。他はそれからだ。

 彼は立ち上がり、泥を振り払った。だが低く危険なうなり声が聞こえた。赤い瞳が何組も暗闇にぎらつき、犬に似た前足が飛沫を上げた。

 ルーカは剣を探り、自らの意志を伸ばした。そしてオゾリスが破壊されたことを思い出し――だが一体が反応した。それは向きを変え、仲間を威嚇した。取っ組み合いの後、ルーカの制御下にない二体が逃げ去った。彼が捕まえた個体は血を流しながらも大人しく座った。ルーカは膝をつき、その毛皮に手を触れた。

 ここはドラニス近辺ではない。それどころか、同じ世界であるかどうかも確信できなかった。ビビアンが言っていたことには……? だがそれは重要ではなかった。自分は生きていて、あの力も少しだけ残っている。以前のように強くはないが、十分だろう。苦々しい笑みをルーカは浮かべた。

 いつか、きっと帰ろう。

銅纏いののけ者、ルーカ

(終)

※本連載はカードの情報および「Ikoria: Lair of Behemoths - Sundered Bond」(amazon電子書籍版)の一部の抜粋や私訳をもとに、著者とウィザーズ・オブ・ザ・コースト日本チームとの間で確認して作成した記事であり、一部固有名詞等の翻訳が正式なものと異なる可能性がございます。ご了承ください。


『イコリア:巨獣の棲処』物語ダイジェスト バックナンバー
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