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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

マイワード:青

Mark Rosewater
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2025年6月23日

 

 みなさん、こんにちは。私は『マジック』の青なのです。5週間前、「Making Magic」の筆者のマーク・ローズウォーターが「マイワード」という5回連載予定のシリーズを開始したのです。マローは各色に1回ずつ記事を割り当てることで、私達が読者へ直接語り掛け、自らの内に持つ哲学を説明する機会を与えてくれたのです。このシリーズは、マローのポッドキャスト「Drive to Work」の同様のシリーズに基づいているのです。このエピソードはこちらからご覧いただけます(リンク先は英語)。今日の記事が皆さんにとって有益なものになることを願っているのです。


 私はすべての人が白紙の状態、アリスト・テレスが述べた「タブラ・ラーサ」の状態で生まれてくると信じているのです。この概念の中心となる考えは、人は生まれたとき、いかなる精神的内容も持たずに生まれてくるということなのです。自分が何者なのか、何になれるのか、何ができるのか、それらはすべて可能性に委ねられているのです。どんな人間になるのかは、接する人々、学ぶ知識、得た経験、利用できる道具や技術など、様々な要素によって形作られるのです。しかし、これらよりも重要なのは、自分自身の内なる意志なのです。自分がどんな人間になるのかは、自分が「なりたい」と願う意志によって決まるのです。これが、私が信じていることの根幹なのです。

 この考えには、多くの意味合いがあるのです。まず、最高の自分になるには多くの知識が必要となるのです。人生の中で、人は無数の選択を通じて自分という存在を形作っていくのです。その都度、どうやったら正しい決断ができるのでしょうか? 正しい決断のために必要な情報を揃えておくことが肝要なのです。つまり、教育が鍵なのです。私は人が最も優先すべき目標は、できるだけ早い段階でできるかぎり多くのことを学ぶことだと信じているのです。「知は力なり」の格言には、多くの真理が含まれているのです。

 

 例を書いてみます。休暇で、車でどこかに出かけたいとするのです。どうすれば最高の休暇になるのでしょうか? まずは下調べが必要なのです。 どれくらいの距離まで運転できるかを把握し、走行可能な範囲を決めるのです。次に、その範囲内の候補をすべてリストアップするのです。そしてそれらを客観的な基準に基づいて順位付けし、上位の候補について更に調べるのです。最終的に、それらから自分の興味や好みに最も合った目的地を選ぶのです。手間は確かにかかりますが、手間をかけた分、最高の休暇となる可能性が高まるのです。

 これとは対照的な、ただ車に乗って走り出し、行先を運に任せる方法もあるのです。ですが、これで最高の休暇先に辿り着ける確率はいかほどでしょうか? とても小さいのです。運が良ければ見つかることもあるのです。ですが統計的に見れば、確率は小さいのです。そして毎回このやり方で休暇を過ごすと、平均の法則により、成功しない休暇が多くなるのです。

 これは、多くの人々の人生の過ごし方に他ならないのです。重要な決断を気まぐれで下し、選択がもたらす結果を深く考えることなく、熟慮することなく行動してしまうのです。だからこそ私は、決断を急がないことの重要性を強く主張するのです。時間をかけて、自らの選択がもたらすあらゆる影響を予め理解しておくことが、長期的に見ると自身にとって最良となる判断ができるようになるのです。

 たしかに、これは物事のペースを落とすことを意味していますが、自分が何をしているのかを理解するのに時間をかけることは、多くのメリットがあるのです。何かを正しく行うことは、その後の人生全体に影響を及ぼすのです。例えば、最初に内定をくれた会社に就職したり、最初に自分に関心を示してくれた相手と結婚したりすることができます。ですが、これで最高の人生が送れるのでしょうか? やりがいがあり満足できる仕事、自分という存在を最も引き立ててくれるパートナーを望みませんか? 最高の人生を送るには努力が必要ですが、その努力は長い目で見れば必ず報われるのです。

 次の話題に移る前に、知識には様々な形があることを強調しておくのです。知識とは、正式な教育を通じて得られるものでもあるのです。学びと成長を促す最高の教師を探し、師事するのです。知識は読むこと、聞くこと、見ることからも得られるのです。多くの知識は言葉、音、画像など、何らかの形で記録されているのです。そういった知識を見つけ、吸収して学ぶのです。学んだことの一つ一つが新たな疑問を生み、次の新たな情報源へと導いてくれるのです。知識は他者との対話の中にも存在するのです。出会うすべての人が、自分の知らないことを知っていたり、自分の専門外の知識を持っていたりする可能性があるのです。出会う人々と会話し、知識や知恵を共有してもらうのです。これらはすべて、生涯に渡って取り組むべき課題でもあるのです。すべてを知ることは決してできないですが、常に学び続けることはできるのです。

 

 したがって、知識の獲得を優先することは重要なのです。ですが、できるだけ多くの経験を積むことも重要なのです。何かを知っていることと、何かを経験することはまったくの別物なのです。例えば科学の本を何冊読んでも、実験室に自ら入り、自分の手で実験してみなければ、本当の意味で理解したことにはならないのです。最高の自分を目指すなら、こういった経験は不可欠なのです。これは自分が何を楽しみ、何に興味があるかを理解するだけではなく、自分が何を好まず、何を追求したくないかを知るためにも必要です。経験ほど、新鮮さをもたらしてくれるものはないのです。

 他に考慮すべきものは何でしょうか? それは技術と道具です。人には自力では不可能なことが多くあるのです。ですが、これはできないということではないのです。助けが必要、というだけのことなのです。例えば本を開いても文字がぼやけて読めないとしましょう。読むのは諦めますか? 違います、眼鏡をかけるのです。道具や技術は、普段は手が届かないものにアクセスさせてくれる手段であり、教育の促進や機会の拡充に繋がるのです。つまり、利用可能な道具や技術を把握することが重要であり、これは技術の進歩や新たな発明によって常に変化していくものなのです。

 では、誰もが自らの可能性を自由に追求できる世界を築くにはどうすればよいのでしょうか? 答えは、やはり知識です。知識を蓄積し、共有するための道具を作ることが必要です。人々に知識を教える手段も必要です。これら2つの取り組みを支えるためのあらゆる道具を優先して開発する必要もあるのです。これは複雑な課題なのです。

 

 まず何よりも重要なのは、私達の目標について人々に包括的な理解を根付かせることなのです。人々が自身の可能性を見出すには、可能性という概念が存在することを教えなければならないのです。この考えは、子供たちに最初に教えるべき事柄の一つであるべきなのです。「なりたい自分になれる」と。そして、そうなるには多くの努力が必要となるのですが、その努力に見合うだけの大きな見返りがあること、この両方を説明しなければならないのです。人生における最大の報酬とは、自分自身の可能性を最大限に発揮できることなのです。

 次に必要なのは、個々人が目標を達成できるよう支援する、優れた教育制度なのです。人生において決断すべき主要な選択と、それぞれの選択肢がもたらす可能性について体系的に説明する、中核のカリキュラムを構築することから始まるのです。

 そのうえで、必要な調査や研究を行うためのツールを整備するのです。深い知識までアクセスしやすい知識の倉庫が必要なのです。倉庫が実現したら、どのようなツールが存在するのか、それをどう使えば情報へ最適なアクセスができるのかを、すべての人々に教育する必要があるのです。

 また、人々が自分にできることや自分が追求したいことを見極めることを支援するツールも必要なのです。例えば、化学を学ぶためのリソースを整備するだけでは不十分であり、その前に「化学とは何か?」を知る手段を提供しなければならないのです。そうすることで、人々は化学が自分にとって追求するべき分野かどうかを判断することができるのです。

 

 ここでの投資すべき対象は、道具や技術には留まりません。人そのものにも投資すべきなのです。私達の社会において、他者へ教えることより崇高な使命はないでしょう。知識の伝達は、社会の根幹となる柱なのです。そしてその知識の普及に貢献する人々は、敬意をもって遇されるべきなのです。知識を広め、他者の学習を助けることに長けた人々が、それを積極的に行おうと感じられるような環境を整える必要があるのです。社会の強さとは、その社会に知を授ける人々の強さに等しいのです。

 この最適化は個人に限ったことではないことを理解することも重要です。自身が最高の人間になれるよう努力すべきであると同時に、最高の家族、最高の共同体、最高の社会を築こうとする姿勢も必要なのです。自分自身の最善を目指すということは、自分を超えたより大きな何かの一部となることでもあるのです。個人の成長に資する道具が必要であるように、集団や社会の向上を支える道具もまた必要なのです。

 私が理想とする社会を構築するためには、ある種のマインドセットが必要となります。究極の可能性を見出す鍵は、拙速よりも効率を重んじる社会の形成なのです。この社会は感情よりも知性を優先し、時間をかけて正しく物事を成すことの意義を理解し、あらゆる変数を考慮している社会でなければならないのです。完璧な社会は実現可能ですが、完璧さには多大な努力が伴うのです。

 

 さて、『マジック』の他の色について話していくのです。まずは私の友好色の白から始めるのです。白は特に社会的な観点において、私と同様に最適化を重視しているのです。白は、非常に優れた動機付けの力を持っているのです。人々に影響を与える鍵は、情報を提供し、各人の選択がもたらす結果を教えることにあると白は理解しているのです。また、白は長期的思考の重要性もよく理解しているのです。最善の結果を得るためなら、時間をかけて戦略を立て、小さな一歩一歩を踏み重ねることを厭わないのです。白は私と同じように、望む成果を得るための努力を惜しまないのです。

 ただし、白は個人よりも集団全体の成果に重きを置いていることに注意するのです。白は優れたコミュニケーション能力を持っていますが。複雑な内容よりも、強く短いメッセージを好む傾向があるのです。私は、人がそれぞれ自分だけの道を見つけることを願っていますが、白はすべての人を同じ道に導こうとするのです。確かに、シンプルなメッセージには大きな力がありますが、それは個々人の可能性を制限してしまうのです。

 これこそが、白のやり方に対して私が抱く最大の不満なのです。白は最適化された社会の構築にあまりにも集中するあまり、個々人が持つ能力の輝きを見落としてしまうのです。優れた社会とは、様々なスキルを組み合わせることで、社会全体で個々の能力の総和を超えた成果を生み出すことができる社会なのです。時には、特定の個人に他の個人よりも多くの資源を投入する必要がある場面もあるのです。ですが、白はそうすることを受け入れようとしないのです。すべての個人を平等に扱うことに拘る白の姿勢は、結果的に個人と社会の双方を縛ることになっていると、私は考えているのです。

 

 次に、もう一色の友好色である黒について話していくのです。黒は『マジック』の色の中で、個人の選択の重要性について私と意見が一致している色なのです。個人は、自分が何者であるかや、どのような人生を歩むべきかを自由に選択すべきという考えです。黒も私も、運命という概念や、自らでは干渉不可能な外的要因が人生を決定づけるという考え方を信じていないのです。私はアイデンティティ(自分が何者であるか)を重視し、黒は役割(自分は何ができるか)を重視していますが、両者は密接に交差しているのです。

 また、私たちは「成功の秘訣は、他者が知らない知識を活かすことが不可欠である」という点でも意見が一致しているのです。私は「知は力なり」と信じているので、戦いにおいて勝利するには、何が重要かを相手よりも深く理解していることが鍵になると考えているのです。つまり、策略や撹乱といった手段が勝利の鍵となることが多いということなのです。黒の姿勢は「勝つためには手段を選ばない」ですが、私たちは共に「知識を武器として使うことには力がある」と信じているのです。

 黒と私はどちらも、個人が自らの能力を最大限に発揮することを望んでいます。しかし、黒は私が使わない手段を使うことを厭わないのです。私の社会構想では、一人一人が輝ける機会を持ち、個々が協力し合う社会の構築を目指しているのです。黒は、一部の者が他者を犠牲にしてでも光り輝くことをよしとするのです。この点については、私は決して受け入れられないのです。

 私が黒に対して抱いている最大の問題点は、その無謀さなのです。黒は力を求めるあまり、たとえ計算されたものであったとしても、リスクある行動を冒す傾向があるのです。その結果、黒は本来の可能性を完全に発揮することができず、最悪の悪癖に呑まれてしまうことがあるのです。

 

 友好色を見るのはここまでにして、次は対抗色について見ていくのです。最初は赤についてなのです。上で説明したように、自分の可能性を見出すカギは、注意深い思考と長期的な視野なのです。直面するあらゆる選択を知性によって吟味し、すべての選択肢を一つずつ慎重に検討し、それぞれの利点と欠点を天秤にかける必要があるのです。ですが、赤にはそういった姿勢が一切無いのです。赤が重視するのは感情、即断、短絡的な思考なのです。赤は自らの潜在能力をあらゆる決断の際に無駄にしているだけでなく、混沌の中に快楽を見出しているようにすら見えるのです。赤は不注意を体現しており、これは私の積み上げた努力を無にしかねない、危険な力なのです。

 赤が恐ろしいのは、人間の本能的な部分、論理が通用しない部分に直接訴えかけてくる点なのです。感情は思考よりも速く、そして強く働くのです。この心持ちは、人を「ほんの少し考えるだけで避けられたはずの行動」へと導いてしまうのです。一瞬の行動が、生涯に渡る結果をもたらすこともあるのです。これが無謀さの危険性なのです。可能性の頂点に達するまでには何年も努力することが必要ですが、台無しになるのは一瞬なのです。

 とはいえ、赤の創造性についてはとても評価しているのです。知的な人生を送る上で重要なのは、正解が必ずしも「明白な選択肢」として存在しているわけではないことを理解しておくことなのです。問題の本質は、ときとして視界の外に隠れていることがあるのです。見つけるには、視点を変える柔軟さが求められるのです。赤は軽率で無鉄砲ですが、その一見孤立している状態こそが脇道に逸れた発想へのアクセスを可能にしており、私はそのやり方に感嘆しているのです。

 

 さて、次はもう一つの対抗色の緑について語っていくのです。我々の対立は古来より続く命題、すなわち「自然か、育成か」という問題なのです。緑は、個人は遺伝に支配されており、自分という存在は生まれながらに備わった本質によって決まっていると信じているのです。緑には「白紙の状態」という考えが存在しないのです。人は生まれたときからアイデンティティを持ち、それを疑問なく受け入れることが務めである。選択肢など存在しない。という考えであり、これは私の信念と真っ向から対立する考え方なのです。緑は「選択」という概念を信じていないのです。人は自分が何者であるかを選ぶことなどできない、というのが緑の立場なのです。

 緑の思想は、私の信ずるところと根本から相容れないのです。赤と同様、緑もまた知性を軽んじているのです。緑が重んじるのは本能であり、生き物は生まれ持った衝動のままに行動すべきだとしているのです。緑は人工物を嫌悪し、自然でないものすべてを「忌むべき遺物」と見なします。破壊すべきものだと考えているのです。もし緑の思想が野放しになれば、私の創り出したあらゆる道具や技術が廃絶されてしまうのです。緑が認める教育は極めて狭い範囲に限られているのです。緑が考える学ぶべきものは「過去にかつて存在したもの」であり、「未来に起こりうるもの」は学ぶ対象ではないのです。私にとって、緑は無知に甘んじ、過去の過ちを何度も繰り返す存在に見えるのです。

 とはいえ、私は良いアイデアは人生のあらゆる側面から生まれると信じているのです。私は過去の繰り返しをよしとはしませんが、それでも自然の中には多くの優れた発想があり、進化という力はポジティブで、良いものであると認識しているのです。進化は良いアイデアを自然に選別できるという意味で、その原理に私は共感しているのです。そこにおいてのみ、私は緑に同意しています。それを研究することで、得られる知見も多いのです。

 

 ここで、私の強みと弱みについて触れておきます。私の最大の強みは、言うまでもなく「知識」なのです。私は『マジック』の他の色よりも多くのことを知っているのです。そのことが、私に多くの優位性を与えているのです。第一に、私は他の色ができない方法でシステムを理解し、把握することができるのです。これのおかげで、他の色が真似できないレベルで、私は呪文を打ち消すことができるのです。私は呪文が唱えられる仕組みそのものを理解しており、その根本から干渉することができるのです。

 また、知識によって他のどの色よりも速く、強くそして多様なアイデアへとアクセスすることもできるのです。これにより時間さえかければ、あらゆる脅威に対処できるだけのリソースを蓄積することが可能となるのです。充分な時間さえあれば、どんな相手であっても、どんな武器を持っていようとも倒すことができるのです。私は「コントロール」の支配者なのです。

 しかし、これが私の最大の弱点にも繋がっているのです。私は時間を必要とする存在である点です。私のプロセスは徹底的ではありますが、迅速ではないのです。もし敵があまりにも攻撃的であれば、私は圧倒されてしまうのです。また、私の魔法は本質的に受受身なものであるため、相手の攻撃が回りくどかったり、迂遠してきたりしている場合は、適切に対処できない場合があるのです。要するに、相手が私の土俵で戦ってくれる場合、私は優位に立てます。ですが、多くの相手はそうしてくれません。ショートカットしてくる相手と戦う場合、私は苦戦する場合があるのです。

 他の色はすべて、自分のやり方が「最善」であると主張しているのです。彼らは往々にして「私のやり方は、あなたにも利益がある」と言ってくるのです。しかし、私は違うのです。あなた自身が「自らの最良の姿」になることを願っているのです。私が望むのは、あなた自身が「自分は何者であるのか、何を必要としているのか」を真に理解するための時間と意識を持つことなのです。その上で、私は教育、経験、道具、技術、そして時間を提供したいのです。あなたがその可能性を開花させることを支援したいのです。私は、あなたに「私のために何かをしてほしい」わけではないのです。あなたに「自身のために何かをしてほしい」のです。

 本日はお越しいただき、私の話に耳を傾けていただき、誠にありがとうございました。


 最後に一つだけ。マローは、私の今回の話に皆さんがどれだけ関心を持っていただけたか、データを集めたいと思っています(いつも提供に感謝しています)。この記事や私へ思うこと、青という色への感想やフィードバックをメールやソーシャル・メディア(XTumblrInstagramBlueskyTikTok)を通じて(英語で)送ってもらえると助かります。

 では、自分自身についてや、成功するために本当に必要なものについて学ぶ時間を、大切にしてほしいのです。


(Tr. Ryuki Matsushita)

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