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マジックフェスト・名古屋2019

インタビュー

英雄譚:木原 惇希 ~立ちはだかる壁を乗り越えて~

小山 和志
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 木原 惇希

 大型イベントの度にデッキを独自に作り上げ好成績を収め、彼が作るデッキは「Kihara Works」として日本のみならず広く注目を集めている。

 そうして、マジックのプロシーンにおいて「英雄」といえる「ゴールドレベル・プロ」に到達し、世界トップレベルのトーナメントシーンで日々奮闘する木原。

 その木原がたどってきた軌跡は一体どのようなものだったのだろうか。

 木原へのインタビューをもとに、彼の物語を追ってみよう。

Ⅰ 兄とあんちゃん

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 木原がマジックを始めたのはなんと小学1年生、7歳の時だ。今でこそ認知向上によりカードゲームを幼少期から始めるプレイヤーは数多くいるが、当時はマジックですら世に出てから数年という黎明期だ。「兄ちゃん」の影響でマジックを始めたという木原は小学校の6年間マジックを続け、さまざまな人たちと交流を深めていくこととなる。その中のひとりが今もなお活躍するあのプレイヤーだ。

「その当時にあんちゃんと知り合ったんですよね」

 あんちゃん――少しマジックのトーナメントシーンに詳しい方ならそう呼ばれているプロ・プレイヤーをご存知だろうか。

 高橋 優太

 2008年のグランプリ・静岡を皮切りに、3度のグランプリ制覇を成し遂げ、そして今なおゴールドレベル・プロとして世界の最前線で活躍を続ける熟練の強豪だ。

 木原がマジックを離れていた中学、高校の間、高橋は前述の通りグランプリ優勝を成し遂げている。

木原「マジックを離れている間もカバレージや雑誌でマジックの情報はチェックしていたんですよね……高校生の間にあんちゃんがグランプリ優勝していたりして」

 少年期にともにマジックをプレイしていた先達の活躍に、木原が刺激を受けたことは想像に難くない。

 そして、県内の大学に進学しマジックを再開した木原は、いきなり日本選手権など大型大会への参加権利を手にするなど、メキメキと頭角を現していく。

木原「僕の見た目が変わり過ぎてて、最初は誰か分かってもらえなかったみたいです(笑)」

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 男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが数年を経た木原は見た目だけでなく、マジックの実力も趣向も大きく変わっていた。

高橋優太「あのころはゴブリンが好きな『ゴブリン少年』だったんだけれど、いつの間にかコントロール大好きになっていたね。再会した時はいろいろ変わりすぎていて本当に誰か分からなかったですよ(笑)」

Ⅱ 2度のグランプリ準優勝、「あと1勝」の壁

 木原がその名を知らしめたのは、現在彼がプロとして所属する晴れる屋の「スタンダード神決定戦」だろう。今ではショップが主催するイベントとして、日本有数の規模とレベルを誇るトーナメントとなっている。

 その最初のイベントとなる第1期、木原は決勝戦まで上り詰めると、相対することになったのは当時最高峰のプロ・プレイヤーにして現在MPLプレイヤーの八十岡翔太だった。

 その八十岡を相手に木原は堂々たる立ち回りを見せ、みごと勝利を収めてみせる。

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 「スタンダード神」として君臨することになった木原。ここから彼をさらに成長させたのはその称号自体ではなかった。

木原「大学がちょうど休みだったこともあって、大会に無料で出れるので、晴れる屋に毎日のように通ってトーナメントに出まくったんです。ちょうど兄ちゃんが町田に住んでいたので……また兄ちゃんですね(笑)」

 そうして一気にマジックの経験値を上げた木原だったが、「ずっとグランプリで12勝止まりだったんすよね……ギリギリで権利か取れないことが続いていたんです。PTQも抜けれないし」と語るように「あと1勝」が届かずプロツアーへの道のりは遠かった。その木原がモチベーションを保つひとつの要素が同世代のライバルたちだった。

木原「当時はMOPTQに出てる瀬畑(市川ユウキ)、Kumazemi(熊谷陸)、kbr(小林崇人)はずっとライバルだと思ってました。『俺だけ予選抜けれない』って言いながら(笑)」

 そして、念願かなったのがグランプリ・千葉2016だ。

 オリジナルチューンの「白青奇跡」デッキで自身初のプレミアイベント・トップ8入賞を果たすと、決勝戦まで勝ち上がり、優勝まではあと1勝届かないまでも準優勝という成績を収めたのだ。

グランプリ・千葉2016 決勝

 そして、それから1年もしないうちに、木原はまたしても大きな成果を挙げる。

 グランプリ・京都2017準優勝。

 プロツアー『破滅の刻』前週だったこともあり、世界中からプロ・プレイヤーが集まっていた、日本史上でも類を見ないハイレベルトーナメントを勝ち抜き、決勝戦までたどり着いた。

 準々決勝でパスカル・メイナード、準決勝でマーティン・ミュラーというアメリカとヨーロッパのトップ・プロを破った先に待っていたのは黎明期から今なお世界の最前線で戦い続ける殿堂プレイヤー、ウィリアム・ジェンセン。

グランプリ・京都2017 決勝

 この一戦は木原にとってグランプリ決勝戦以上の意味を持つ戦いだった。2016−2017シーズン、それまで13点のプロ・ポイントを手にしていた木原にとってシルバー・レベルに到達し、翌週のプロツアー『破滅の刻』を含む2回分のプロツアー参加権利を手にするためには7点以上が必要な状況だった。そして、グランプリでそれを手にするのに必要な成績は優勝のみ。絶望的かと思われたシーズン最後のグランプリで、木原はその優勝をかけた戦いの場にたどり着いた、だが――

 「あと1点が!」

――先述の通り、木原の成績は「準優勝」。試合後、思わず木原は悔しさを発露する。

 またしても足りなかったあと1勝。シルバー・レベルへの壁。

Ⅲ 壁のその先へ

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 しかし、木原はその壁を乗り越えた。上京し、より多くのプレイヤーと交流を深めていった木原はプロツアー『イクサラン』で11勝5敗の好成績を残すと、安定したプロ・ポイントを稼ぎ続け、ついにゴールド・レベルのプレイヤーとなり、同郷の先輩である高橋優太と肩を並べるプレイヤーとなった。

木原「あんちゃんにはゴールドになった時『免許皆伝』もらったんで(笑)。『お前は強いよ』と」

 嬉しそうな顔で語る木原、しかし高みに到達したからこそ木原は新たな壁にぶつかっている。

木原「プレイミスだったり判断ミスだったりがどうしてもあるのはそうなんですが……(ミシックチャンピオンシップやプロツアーの)動画で自分と全然違う判断をしているプレイヤーを見て『なんでだろ?』って思うことがあるんですが、その判断が数ターン後に繋がってきたりして『この人たち、自分より上手いな』と」

 最高峰に触れたからこそ肌で感じる、世界の壁。

木原「俺はマジックが下手だからデッキビルダーをしているところがあって……本当は強いデッキを使ってミラーマッチでも勝てるようにした方がいいんでしょうけど。トップ・プロたちと比べると俺はスキルがなんで、デッキで勝つしかないから作ってるんですよね」

 それでも、木原の前にいるのは壁となるプレイヤーたちだけではない。

木原「市川さんやナベのように『魅せる』プレイヤーになりたいですね。技術的に言うと、リミテッドでは中村修平さんだったり、構築は行弘さんだったり、あんちゃんだったり……。リード・デュークなんかは『魅せる』『強い』プレイヤーで、全部持ってる(笑)。何やっても強い、という意味だと八十岡さんもそうですよね」

 「お手本や理想とするプレイヤーはいますか」と木原に尋ねると、「『この人になりたい』というようなお手本か……難しいですね」と前置きしつつも、多くのプレイヤーの名前を挙げてくれた。そして、それだけではなく――

木原「仲が良いのはOnogamesの人とか、ドラキチ(関東周辺のブースタードラフト・コミュニティー)の人たち、あとは『曲者』と一緒に調整させてもらってます」

 小さな頃、ともにマジックを楽しんだ兄や高橋優太。

 志を同じくしたライバルたち。

 上京して出会った切磋琢磨できる仲間。

 「自分より上手い」と素直に認めることのできる世界のトッププレイヤー。

 壁をひとつひとつ乗り越え広い世界に飛び出したことで、大きく広がってきた人との出会い。

 今、マジックのプロシーンは過渡期を迎えている。今年から来年にかけて長年に渡るプロ・プレイヤーズクラブが再編され、マジック・プロリーグ(MPL)という新たなシステムが始動している。

 「MPLプレイヤー」を目指す木原は、今後も多くの壁にぶつかることだろう。それでも、きっとその度にひとつひとつ壁を乗り越えようとするだろう。

 そうしてきっと、いつか木原が人々との出会いを糧に壁を乗り越え、「MPLプレイヤー」として活躍する日が来るはずだ。

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RESULTS

対戦結果 順位
15 15
14 14
13 13
12 12
11 11
10 10
9 9
8 8
7 7
6 6
5 5
4 4
3 3
2 2
1 1

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