EVENT COVERAGE

グランプリ・名古屋2018

インタビュー

名古屋のシルバープロ・坪内 友哉と「TEAM N KILL」

Yuichi Horikawa

 名古屋市は日本のほぼ中心に位置し、人口220万人を超え東京特別区部を除くと横浜市・大阪市に次ぐ全国第3位の人口を有する都市です。

 しかし、名古屋はグランプリが時々開催される巨大都市であるのに、プロプレイヤーはこれまであまり輩出されていませんでした。

 ですが今シーズン、ここ名古屋こ新たなシルバーレベル・プロが誕生しました。それが坪内友哉選手です。

 というわけで、彼の所属する「TEAM N KILL」、そして、坪内さん本人へのインタビューを行いました。

 
坪内友哉 選手
「TEAM N KILL」とは?

 名古屋でマジックをしていて知らない人はいないと言われる「TEAM N KILL」。

 その青色のユニフォームは、グランプリ会場内でも目立ち、非常にさわやかなイメージの存在でした。

gpnagoya2018Tsubouchi01.jpg

 しかし、彼らの胸元には「KILL」の文字、彼らの雰囲気とは正反対のイメージです。

 名前の由来をメンバーの方に聞くと、当時レガシーにチームとして力を入れていて、全員がコンボデッキを使っていたので、「N(不定数)ターンキル」から、チーム名をつけたそうです。

坪内さんにとってチームとは?
gpnagoya2018Tsubouchi02.jpg

――まず、「TEAM N KILL」はどういういきさつでできたチームなんですか?

坪内「それぞれがマジックをやっていて、年齢が近くて友だちづてで知り合って、いつの間にか集まったチームって形ですね」

――なるほど、ショップなどで良く顔を合わせているうちにチームになったって感じですか?

坪内「そうですね。はじめはユニフォームとかも無かったんですが、私が2015年のグランプリ・京都のときにお揃いの赤いネクタイをしようって提案したのがはじめですね」

――それは結構話題になったのですか?

坪内「結構いろいろな人に声をかけられましたね。その頃はまだユニフォームを着ているのはそれこそ晴れる屋さんぐらいで、ネクタイをそろえるだけでも割と目立つ感じでしたね」

――そこから、チーム名が決まりユニフォームができ今に至る感じですね。ちなみに、チームではどういった活動をしていたのですか?

坪内「はじめはみんなでプロツアーを目指そうって感じでしたね。PPTQ(プロツアー予備予選)にみんなで出たりと、割と競技的な雰囲気でした。ちょっとネガティブな話になってしまうんですが、みんな社会人なので今はスタンダードをしているのは私ぐらいで、他のメンバーはレガシーやモダンでがんばっているって感じですね」

――マジックとの付き合い方も人それぞれですからね。ちなみに、坪内さんにとってチームとはどんな存在ですか?

坪内「チームがなかったら、私はシルバープロになれていなかったと思います。大きな大会に出て、たとえ自分が負けていてもチームが勝っているからモチベーションを保てていたりと、彼らの支えがなければ私はここまでここまで来れなかったと思います。ちなみに、RPTQを初めて抜けたときは、このパーカーを初めて着たときでしたので、縁起の良いパーカーですね」

――そんな経緯のあるパーカーだったんですね。

プロツアーシーンへの進出

――ちなみに、初めてのプロツアーはどうでしたか?

坪内「初めてのプロツアーはアトランタ(プロツアー『ゲートウォッチの誓い』)だったんですが、惨敗でしたね。プロツアーの洗礼を受けたって感じですね」

 
プロツアー『ゲートウォッチの誓い』より。

――エルドラージが猛威をふるっていた頃ですし、なかなかモダンは厳しい環境だったのかもしれませんね。その後はどうしたのですか?

坪内「まぁ惨敗して悔しいもんですから、次のプロツアー、もう一回プロツアー出たいという話で、当時はチーム全員ががっつりPPTQにも出ていたころだったので、チームメイトとともにやっていたんですが、RPTQには出られるんですがなかなか芽が出ないときでしたね」

――それは、どれぐらい続いたんですか?

坪内「1年ぐらい? もう少し続いたのかな。ちょうど去年のグランプリ・神戸(2017)モダンでアドグレイス(《むかつき》と《天使の嗜み》のコンボデッキ)を使用してTOP8に入れたので、次のプロツアーの権利を獲得しました」

 
グランプリ・神戸2017 トップ8写真

(坪内さんが当時使用されていたデッキリストはこちら:グランプリ・神戸2017 トップ8プレイヤーデッキリスト(モダン)

――グランプリのスイスラウンド1位抜けとは、すばらしい成績です。次のプロツアーというと、京都で開催されたプロツアー『破滅の刻』ですが、成績はどうでしたか?

坪内「この頃は、赤単のデッキが猛威を振るっていたのですが、デッキビルダーの後藤祐征さんの勧めで当時まだ流行っていなかった『ティムール・エネルギー』のデッキで出たので、デッキの立ち位置も良くて、34点獲得できました。それで、次のプロツアーへ行く権利を獲得しました」

――その後はどうだったんですか?

坪内「プロツアーを通じて次のプロツアーに参加する権利を得られたので、PPTQに参加する必要がなくなったんです。ですので、その時間をドラフトの練習時間に充てることができるようになって、チェイン(プロツアーの順位で次のプロツアーの出場権利を獲得すること)とプロツアーに続けて出れるようになりましたね」

――具体的にはどれぐらい参加されているのですか?

坪内「ビルバオ(プロツアー『イクサランの相克』)は成績は振るいませんでしたが、マジック25周年記念プロツアー以外はすべて出ていますね」

――そこで、プロポイントを獲得してシルバーレベルプロに?

坪内「それも大きいのですが、この頃からアジアのグランプリにも遠征するようになりまして、そこでも、1点や2点と積み重ねて、ここで1点取れないとシルバーレベルのポイントに到達なかったってタイミングのグランプリがチーム構築のグランプリ・京都2018だったんです。そこで、チームで出て、チームメイトの助けもあって、何とかからくもプロポイントを1点獲得して、シルバーになりました」

――チームメイトが支えてくれたわけですね。良いエピソードです。

今後の目標は?
gpnagoya2018Tsubouchi04.jpg

――ちなみに、今後の目標はありますか?

坪内「今期の目標としましては、ゴールドプロを目指したい。チームメンバーと一緒にプロツアーに出たいですね」

――何か、そのためにやっていることはありますか?

坪内「今は名古屋には大きいマジックのコミュニティーが無いのですが、シルバープロになって、ありがたいことに周りが声をかけてくれるようになりましたので、東海地区で実力のあるプレイヤーを集めてドラフトだとか、構築だとかの練習をする機会を作っているところですね」

――素晴らしい試みです。

坪内「名古屋にはプロプレイヤーがいないので、私がもしきっかけになるのであれば、それで名古屋のマジックシーンがもっと盛り上がってくれればと思っています」

――坪内さんのお話の中で、かなりチームの話が出てきましたが、坪内さんにとってチームとはどういう存在ですか?

坪内「無くてはならない存在ですね。彼らと一緒にマジックをやっていたから、マジックの起爆剤となる楽しむ心や、そういった根底の部分をチームで楽しめたから今の私があると思います」


 チームメイトとともにそう語ってくれた坪内さん。

 マジックのプロシーンを走り始めた名古屋のシルバープロ。彼とともに名古屋のマジックが盛り上がり、彼とチームがプロツアーで活躍する日も遠くないことかもしれません。

  • この記事をシェアする

RESULTS

対戦結果 順位
14 14
13 13
12 12
11 11
10 10
9 9
8 8
7 7
6 6
5 5
4 4
3 3
2 2
1 1

RANKING

NEWEST

サイト内検索