MAGIC STORY

カルロフ邸殺人事件

EPISODE 10

第10話 腐朽の根

Seanan McGuire
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2024年1月18日

 

 ケイヤの足首に巻き付いた蔓はきつく締まり、まるで骨を削るように感じられた。痛みは問題ではない――彼女は暗殺者であり、これまでも思案するよりも戦士としての奉仕を求められることの方が多かった。今のところ、痛みは旧友といえた。痛みはまだ自分が死んでいないことを意味し、自分を掴んでしなる蔓は地面への強烈な叩きつけを意味した。そして、まだ死ぬ気はないと悟った。死はあらゆる者へと、プレインズウォーカーであっても訪れる――ああ、それは真実だと知っていたのだろうか――だが死者が次元を渡り歩けるという証拠を見たことはなかった。自分が死んだなら、そのどこかに留まり続けるのだろう。

 空中を引かれながら、ひどく厄介な思考が急速に形を成していった。プレインズウォーカーの幽霊はその死に場所である次元に居残り続け、故郷へ――それがどこであろうと――帰ることは決してできないのだろうか? それとも、彼らは最期に一度だけ久遠の闇を心安らかに渡り、眠りにつく地を目指すのだろうか?

 宇宙論の難問は、ラヴニカの土へとぺちゃんこに叩きつけられない限り後回しでいいかもしれない、何故ならこれだけは言えるから――ラヴニカで死ぬ気はない、と。オルゾフの幽霊の列に加わりたくはなかった。たとえ何人がその中で粉砕されようとも決して回転を止めることのない機械、その永遠の歯車のひとつになりたくはなかった。

 再びケイヤは幽体化して蔦から脱出しようと試みたが、またもラヴニカの世界魂に押し返された。だがケイヤが持つ手段は自分の魔法だけではなかった。オーバがマット・セレズニアをひとつの武器のように用いるというなら、同じような手段で応じない理由はない。ケイヤはこれから起こるであろうことの恐怖を越え、これまでの悲嘆を越え、死者の世界と自らの繋がりすらも越え、自らの深奥へと降りていった――屍術師のありふれた術策の一部と化すことなく、けれど屍術的に。そして努めて冷静に。空中にしなる蔓が今にも自分を地面に叩きつけ、比較的脆弱な身体の骨をことごとく粉砕するとわかっていながらも。

 自らの深奥へ、灯が燃える場所へ。灯、自分と久遠の闇を結び付ける多元宇宙の小さな欠片であり、自分を自分たらしめるもの。自らの中心に点灯したと感じた、そして現実への理解を永遠に変化させたときから、ずっと大切にしてきた貴重なもの。今では更に、更に貴重になってしまった。これまでもプレインズウォーカーは稀な存在だったが、その数がこんなにも急速かつ乱暴に減少する事態が再び起こるなどとは想像していなかった。

 久遠の闇はファイレクシアの傷跡を永遠に引きずるのだろう。自分もまた。

 心の指で灯をしっかりと掴み、ケイヤは久遠の闇へと呼びかけた。出口ではなく脱出口として――ひとつの次元の生きた魂を押し返すための助けを求めた。

 身体が希薄になり、蔓を通り抜けるのをケイヤはかろうじて感じた。半ば実体のないケイヤがヴィトゥ=ガジーの床へと軽やかに着地し、オーバは憤怒と不信に吼えた。ケイヤは自らの魔法で柔らかな紫色に輝いていたが、同時にそこにはカルドハイムの空のような明るい虹色もあった。それは久遠の闇との繋がり。通常であれば、彼女をどこか別の場所や次元へと連れ去ってしまうもの。あるいは何か別の問題へと連れ去ってしまうもの。

 今一度ダガーを抜いて試しに回転させると、それらが両手首を引くように感じた。身体と同じように完全な実体はないものの、手の中に十分な存在感と重量があった。それは幻、自分が死者と共有するもうひとつの物事――彼らは自分たちが持っているものを現実のように感じる。そして生者たちにそれを否定されると困惑する。

 だがそれこそが、彼方の旅人ケイヤと実際の死者との違いだった。彼女が生者を殴ったなら、相手はそれを感じる。

 ケイヤが空中に投げられて戻ってくるまでの間に、ヴィトゥ=ガジーはさらなる混乱に陥っていた。クレンコの姿はもはや見えず、壁に吸収されかかった根と枝の塊でしかなかった。ギルドの指導者たちも拘束され、制圧されていた。ラルすらも、身体を走る稲妻の波に震えながら、明らかに力及ばない様子だった。プロフトはまだエトラータの隣にひざまずき、根の輪で床に縛り付けられながらも、倒れた暗殺者から目を離すことができずにいた。誰かがこれを終わらせなければならない。

 自分が終わらせなければならない。

 ケイヤは再び短剣を回転させ、傾いた床をオーバへと駆けた。動かないトルシミールの死体を含め、彼女は進路にある障害物をたやすく通り抜けた。

 オーバはケイヤへと身体を向け、敵意とともに言った。「なぜ死なないのです?」

「それは色んな相手に聞かれたわね」叩きつけてくる枝を切るため、ケイヤは片方の短剣を一瞬だけ実体化させた。「あなたよりずっと怖い相手にも。怒りに歪んだドライアドの女性なんて、私が見てきたものに比べたら、同等とすら言えないわよ」

 ケイヤは芝居がかったように身震いをし、容赦のない前進を続けた。オーバは更なる枝を叩きつけ、ケイヤはそれらも同じく切り捨てた。

 何かが腰に巻き付き、ケイヤを急に引き留めた。下を見ると、幻でできた枝が彼女をその場に留めていた。ケイヤはある意味感心した。

「賢いじゃない」声色に称賛を隠せずに彼女は言った。ラヴニカの世界魂はラヴニカのすべてのものを、この次元のあらゆる面を包含している。そしてそこには死者も含まれる。切断された一本の枝は通常、幽霊になることはない。けれどその可能性は存在する。ケイヤは他の次元で幽霊の木を見たことがあったが、そのすべてがカルドハイムの世界樹やファイレクシアの侵略樹のように機能を持っていたり、崇拝されていたりするわけではなかった。それらは自らが倒れた森に出没し、植物としてのゆっくりとした欲求を発していた。

 この木はかつてはヴィトゥ=ガジーの一部であり、激怒したオーバに操られている。決してゆっくりとはしておらず、また欲求があるとすれば、それは彼女の前進を止めることだけ。それはまた希薄なものであり、あらゆる幽霊と同じように実体を持っていない。

 嵐の中を歩くなら雨粒の間が一番いい、魁渡はそう言うだろう。それが落ちるよりも速く動けばいいだけだと。ケイヤはそう考えて再び実体化し、絡んでくる幽霊から瞬時に抜け出した。有形の枝が更に数本、彼女に掴みかかった。ケイヤは最初の二本を短剣で叩き切り、三本目を通過し、雨粒が――あるいは潜在的な凶器が――存在しない空間へと移動した。枝は掴みかかり、彼女は避け続けた。それはまるで舞踏のようだった。彼女の友や死者、そしてその両方だった者たちの周りで繰り広げられる、素早く危険な舞踏。

 何本もの根が床の残骸を突き破り、ケイヤの両足首に巻きついた。それを通過しようとすると、彼女は再びラヴニカの世界魂からの抵抗を感じた。それは幽体化を、脱出を許さなかった。つまり、雨粒の間を歩くのはここまで。

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アート:Jeremy Wilson

 ああ、けれど学びを得た相手は魁渡だけではない。コスが教えてくれたのは、環境と力を合わせ、自分を作り上げた世界を理解して気にかけること――それがどれほど難しくなったとしても。ケイヤはラヴニカではなくトルヴァダの娘だが、この次元そのものに知られる程には長く滞在していた。ラヴニカはおそらく、故郷である世界以上に自分のことを理解してくれている。そして、たとえ死後にこの次元に出没したくなかったとしても、その可能性が高いことは認めざるを得ない。

 自分がラヴニカの世界魂に触れたなら、それがオーバの支配下にあったとしても、次元は気付くはず。この次元は何が起こっているかを知っている。それを利用できるかもしれない。

 また別の枝がケイヤを掴み、それを通り抜けながら脳裏にひらめいたものがあった――自然世界に対するタイヴァーの愛と、それをいとも簡単に自らの力に変えてしまう様。その瞬間を記憶するかのように、彼女の胸の中で灯が少しだけ眩しく脈動した。そしてナヒリは周囲の石に語りかけ、石たちも応えていたように見えた。つまり、互いに理解し合えるということ……

「ねえ」ケイヤが発した声は、オーバが明らかな困惑に顔をしかめるほど大きかった。「あなたに私のことが理解できるかどうかはわからないけれど、賭けに出るから聞いて。私たちは私たちを作ったものでできていて、あなたはあなたを作ったものでできている。神と怪物、英雄と悪者、そして私たち全員を包み込んで生かしてくれている街。その中でどれを大切にするかなんてあなたには選べない。どれの味方をするかなんて選べない。ええ、この人はあなたに選んで欲しがっているけれど。そして言わせてもらうけれど、どちらかの味方をするラヴニカなんて、ラヴニカじゃない。この人はあなたを、あなたじゃないものに変えようとしているのよ」ケイヤはそこで言葉を切り、オーバへと悪意に満ちた視線を向けた。 「ファイレクシア人と同じように」

 オーバはひるみ、一瞬、自らのこれまでの行いを理解したかのようにも見えた。残念だ、ケイヤはそのような思いを半ば抱いた。手の施しようがないとわかっているなら、怪物と戦うのは簡単だ。けれどトロスターニのこの個体がテイサを殺した。そのため相手が衝撃の表情を一瞬だけ見せても、攻撃の勢いを削がれるとは思わなかった。

 自分を拘束した根を見つめ、ケイヤは必死に付け加えた。「ラヴニカ、どうかお願い」

 そして実体化すると、根は彼女の身体を通り抜けた。ケイヤは何本もの根を跳び越え、枝をすり抜け、霊の枝が襲いかかってきた時は実体化し、部屋を横切ってオーバへと急いだ。オーバは先程よりも世界魂をしっかりと掌握していた――口先でドライアドの怒りを二度も誘導できるとは思わない。自分の動きは、テイサの帳簿計算のように正確でなければならない。すべての歩みは、その以前の歩みで開設された口座残高と一致していなければならない。

 テイサについての思考は、まさに集中するために必要なことだったと判明した。自分はオルゾフに負債があった。テイサはギルドの指導者という地位を引き継ぐことでその一部を免除してくれたが、その結果どうなった? 侵略の余波で敵味方の区別がつかなくなった、悲しみに毒されたトロスターニに殺害された。今やテイサは死して横たわり、おそらく戻ってくる――強大な力を持つオルゾフ組員は常にそうだ。けれど決して以前と同じではない。決して、生きてはいない。テイサの死はケイヤが決して帳尻を合わせることのできない、決して消すことのできない、帳簿のひとつの数字。それを知ることは、オーバが彼女へと投げかける障害物をくぐり、避け、突き抜ける動きを助けてくれた。

 そしてケイヤは自らの腿ほども太い枝を通過し、この混乱が始まって以来初めてオーバと対峙するような形になった。一瞬、ケイヤははっとした――テイサが隅に立って、そのまま続けろというような身振りをしているのを見たように思った。だがオーバがうなり声をあげて罵声や侮辱を浴びせはじめ、ケイヤは注意を戻した。感じたのは悲嘆と疲労だけだった。

 立ち位置を調整しようとした時、足に何かが当たった。ちらりと見下ろすと、探偵社の障壁護法カプセルがひとつ床に転がっていた。ケイヤは勢いよく叩きつけられる枝を屈んで避け、その片割れが近くにあることを願いつつカプセルを掴んだ。障壁護法は拘留のために用いられるものではない――それは探偵社の権限範囲にある犯罪現場を封鎖するためのもの。

 ヴィトゥ=ガジーは犯罪現場だった。そしてトロスターニはここでの集会を許可した際に、探偵社の権限を認めていた。ケイヤはカプセルを手に、背筋を伸ばして立った。

「やめなさい」彼女はそう言い、障壁を展開するボタンを押した。魔法の光が滝のように流れ出し、争うようにオーバの身体を包み込みにかかった。そして今一度、ケイヤは視界の隅にテイサの姿を見たような気がした。光のリボンを掴み、それをオーバへ向けようとしているような。だが見ることはできず、そうなのかと期待することもできず、だからといって顔をそちらに向けるわけにも――

 オーバは金切り声をあげ、障壁を殴りつけた。彼女は力ずくで脱出しようとしており、それは避けられないように思えた。障壁護法は両端の二箇所から同時に放たれることが前提で、何も露出することなく現場を封鎖できるようになっている。それをひとりで行うことはできず、他には誰もいなかった。全員が拘束されて無力化されていた。このままでは負ける。またも負ける。

 エトラータが両目を見開いた。

 根に串刺しにされて以来ずっと動かずに横たわっていたディミーアの暗殺者は、味方を拘束した根に絡まれてはいなかった。胸の傷から血を流しながらも彼女は身体を起こして膝をつき、床の上で忘れられていた障壁護法カプセルの片割れを掴んだ。エトラータが立ち上がりながらそのボタンを押すと、更なる光のリボンが飛び出してオーバへと巻き付き、憤怒に吼えるドライアドを宙で固定した。エトラータとケイヤは共に光のリボンを引っ張り、ひたすらに引っ張り――そしてそれはケイヤの手から滑り落ちた。

 手にした好機を逃すまいという必死の気持ちで、ケイヤはとにかく何かを掴んだ。それはオーバが作り出した幽霊の枝の一本だった。ケイヤがそこに屍術のエネルギーを無理矢理注ぎ込むと、枝は彼女の命令に屈し、オーバではなく自身のものになるのを感じた。もがき続けるドライアドを捕えて閉じ込めるべく、ケイヤは従順になった枝をしならせて障壁護法の縄の中へと叩きつけた。

 今なお光のリボンによる拘束は張りつめており、まるで二人がかりで引いているかのようだった。今一度、ケイヤは目を向けたいという衝動をこらえた。もしもそれが本当にテイサだったなら気が散ってしまうだろう、そして今そのような余裕はない。ラヴニカにはそんな余裕はない。そしてテイサでなかったとしたら、これ以上ないほどに失望してしまうだろう。

 彼女たちは力の限りに引き続けた。オーバの抵抗が止まるまで、ケイヤがヴィトゥ=ガジーから奪った霊の枝と障壁護法によって、蜘蛛の巣にかかった蠅のように捕えられるまで。

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アート:Matt Stewart

 部屋の動きが止まった。

「終わったのか?」ヤラスが尋ねた。

「全部じゃない」エトラータが言った。「けれど見て……」

 トロスターニのもうふたつの頭部が動きだした。ふたりは背筋を伸ばし、そしてオーバへと手を差し伸べた。ふたりが側頭部にそれぞれの手を押し付けると、オーバはぐったりとして動かなくなった。

 同時に、ケイヤの中で何かが崩れ落ちた。戦いの最中であれば、オーバを殺すことはできたかもしれない。だが今やそのドライアドは拘束されて意識を失っている。それを殺すのは処刑と大差ない。それはできなかった。どれほどそうしたくとも、できなかった。

 オーバが抵抗を止めると同時に、エトラータの力も尽きようだった。彼女はうつぶせに床へと倒れ、再び動かなくなった。ケイヤは背筋を伸ばし、ようやく障壁護法の向こう側へと目を向けた。無論、そこには誰の姿もなかった。期待のしすぎというものだ。ケイヤは肩を落としながらも、絡み合う木の部屋と拘束されたギルドの指導者たちを見渡した。そして疲れた様子で言った。「いい会議だったわね、みんな。私たちが生きている限り、二度とこんなことはしちゃ駄目よね。それでいいかしら?」

 根の檻の中でラルが笑いはじめ、少ししてケイヤも同じく笑った。笑ったのは面白いからではなく、生きているから――適切な光の下では、安堵が喜びのように見えることもある。

 すべては見方次第ということ。


 プレインズウォーカーふたりが笑うのを止めると、ラヴィニアは咳払いをして言った。「本当に終わったのであれば、私たちを解放して頂けるとありがたいのですが」

「そうね、次は片付けよね」ケイヤはそう言い、プロフトを床から切り離すと手を差し出して立ち上がらせた。彼はうなずき、二歩進んでから膝をつき、倒れたエトラータを両腕に抱き寄せた。

「ずっと死んだふりをしていたのか?」

 エトラータは目を開けた。「さあね。あなたは名探偵でしょ」彼女の声は弱々しく苦しそうだったが、完全に明瞭だった。

 プロフトは数度瞬きをした後、今や遠くなった天井を見上げた。「君をどうすればいいだろうか?」

「わからないの? ディミーア家は消滅したも同然で、私たちのギルドマスターは死んだ。散り散りになった暗殺者なんて野良犬みたいなものよ。連れて帰るなら世話をしなきゃ駄目」

 プロフトは真剣な瞳で彼女を見つめた。

「それに、あなたには助手が必要でしょ。でないとすぐに殺人事件の被害者になるでしょうね。ここにいる人たちの半分は私に金を払ってでもそうさせたいだろうし」しばしエトラータは思索するような表情を浮かべた。「何なら、入札させようかしら」

「まさか、君はそんなことはしないだろう」

「そうね」エトラータの表情は和らいだ。「助手には守るべき探偵が必要。あなたと私は今やひとつの生態系なのよ」

「君に金は払えない」

「隣で働くわ」

「それとラザーヴはもういないと君はしきりに主張しているが、それについても話し合う必要があるだろう。私たち両方とも、慎重であるべきだ」

「女の子には色んな秘密が必要なのよ」

 ケイヤは再び笑った。面白いことではなかったが、生きて笑えることは、互いを恐れなくてもいい人々と一緒に破壊された部屋の中にいることは、テイサの死の復讐が成されるだろうとわかることは、安堵できるものだった。テイサと、他にも沢山の死者の。中には身元が特定できない者もいるかもしれない。けれどオーバの指摘はひとつだけ正しかった――人々は見知らぬ相手よりも、見知った相手のためにより深い悲しみを向ける。心の仕組みとはそういうもの。そういうものでなければならない。そうでなければ、多元宇宙は決して消えない悲しみだけになってしまうだろう。だからこれでいい。確かにそれは、広大な久遠の闇やあるいはヴィトゥ=ガジーと比べたなら、小さく自分勝手なもの。けれど小さいものの方が理解しやすい時もある。だから、小さいものは安全なのだ。小さいものは、持ち続けることができるのだ。

 しばらくは持ち続けたい、ケイヤはそう思った。

 ケイヤは部屋の中を歩き回り、全員を解放していった。オレリアがこれ以上の羽根を折ることなく翼を引き抜くのを手伝い、根の繭の中で罵声を上げてのたうち回るクレンコを誤って切らないよう努めた。このゴブリンは戦いが終わったという事実をよくわかっていないようだった。

 ヴィトゥ=ガジーはもはや動いておらず、この大樹が生きているという確信すらケイヤは持てなかった。自分たちはこの戦いを無傷で逃れることはできなかった。それでも最も重傷の者ですら、驚くことに自力で立ち去ろうとしている。

 ラルは上着の裂け目を指で触った。「これはトミクに殺されるな。約束させられたんだよ、あいつが一緒にいない限り、味方だと思ってた相手と命がけの喧嘩はしないって。どうも伴侶がいるからこそ、俺はあいつの言うところの『不合理なほど無謀な』振る舞いをせずにいられるらしい」

「もし聞かれたら証言してあげられるわよ、あなたがこの戦いを始めたわけじゃないって。不必要な危険を冒さず、文字通りずっと床に根を張っていたって」

「本当か?」

「だってそれは真実でしょう。まあ確かに、あなたは戦えたとしたら無謀に戦っていたでしょうね。そう言った方がいい?」

「言わない方がありたがい」

 ケイヤは微笑んだ。「じゃあ最初に言った通りで」

 ひとたび全員が解放されると、プロフトは片足を引きずるエトラータを根の中から連れ出し、彼女の漠然とした冷やかしを潔く受け止めた。他の者たちは全員が自力で退出した――クレンコを除いて。この日の混乱の後、せめて誰かを逮捕すると決意した怒れるオレリアが彼を引きずっていった。オーバがわめいた自白は有罪判決を下すに十分な証拠であると法的には認められない、オレリアはそう気づいたのではとケイヤは訝しんだが、それは後々の問題だ。

 後々の問題は山積みだった。

 他の全員が退出すると、ケイヤはトロスターニへと近づいた。セスとシィムはむせび泣いていた。オーバは障壁護法の網の中で力なくぶら下がり、今なお生きているような気配すらなかった。

 ケイヤは敬意ある距離をとって立ち止まり、頭を下げて待った。その三分の一が殺人犯であろうとなかろうと、トロスターニは今なおセレズニアの指導者なのだ。

 やがて、沈んだ声でセスが尋ねた。「何かご用ですか?」

「邪魔をしてごめんなさい」ケイヤは顔を上げて言った。「でも知っておかないといけないことがあって。オーバは……」だが質問の組み立て方すらわからず、ケイヤの言葉は途切れた。

 シィムは溜息をついた。「ギルドパクトは私たちの立場について何も規定していません。オーバは私たちの三分の一のままです。切り離す術はありません。できたとしてもしないでしょう。私たちは今なお姉妹なのです」そして無粋だと気付いたのか、彼女は言葉を切った。「貴女が被った喪失を遺憾に思います」

「私も」ケイヤはそう返答し、口をつぐんだ。これ以上の言葉は何であろうと誠実ではない。

「枝の一本が腐敗したなら、樹木全体の健康のためにもその枝を取り除かなければなりません」シィムは続けた。「放置しておけば腐敗は広がり、木は枯れてしまいます。私たち姉妹のひとりはあの侵略で亡くなったのです。それを悼みましょう。残されたものは、かつてのものではありません」

 セスは息を詰まらせるようにしゃくりあげ、顔を両手で覆った。

「今は私たちだけにして下さい。悲しみと向き合いたいのです」シィムが言った。「深く熟考し、そしてマット・セレズニアとの繋がりを回復しなければなりません。あのような行いがあった今、マット・セレズニアは私たちと共にあることを望んでおられるのか。私たちをその声として望んでおられるのか。それを確かめねばなりません。あるいは私たちもまた、ひとつの終わりを迎えるのかもしれません。私たちが戻るまで、しばしイマーラ・タンドリスが議事会の声となるでしょう。マット・セレズニアの意向次第ではその後も。既に彼女には命じてあります。貴女はもう、私たちと会うことはないかもしれません」

 セスは両手を下ろした。「あらゆるものに終わりがあります。木々は根を張り、成長し、太陽へと葉を広げ、しばし生きます。そしてその時が終わったなら死にます。私たちの時は終わりだとマット・セレズニアが言うなら、私たちはそうします」

「ラヴニカがオーバの行いを、私たちを裁くでしょう」シィムが言った。「さあ、もう行って下さい」

 想像以上の疲労を感じ、ケイヤは辺りを見回した。そこにいるのは彼女とトロスターニ、そして死したトルシミールだけだった。セレズニアには他にも使用人がいるか、あるいはトルシミールが言うところの「最も忠実な者」の残りがやって来て被害を片付けてくれるだろう。そうでなければイマーラが到着次第手配するだろう。それでも、ケイヤは躊躇した。

「ギルドパクトは……」

「今後も、必要とする者は誰でも閲覧可能です」セスは驚くほどはっきりと言った。「ヴィトゥ=ガジーは倒れてはいません。このようなことがありましたが、セレズニアも立ち続けます。私たちは今後も義務を遂行し続けます。ギルドパクトの原典を参照すべき理由があるなら、それは求める者のためにここにあり続けます」

 この状況下では、それこそがケイヤが望みうる最善だった。彼女は頷いて引き下がり、壊れた扉を可能な限り閉めて退出した。

 誰も待ってはいなかった。それを責めることはできなかった。

 だが邸宅から出ようとしたところでケイヤは気付いた――オーバに宙へと放り投げられて以来、ケランの姿を見ていないことに。彼女は足を速め、外で相棒が中庭の石の汚れと化していないことを願った。

 調査員のひとりが死んだなら、エズリムが知らせに来るはず。幾分焦りながらケイヤはそう思った。だが過去にも何度となく友人たちは傷を負った。自分は助かっても彼らは助からなかった。そう思い出させる小さな声はケイヤの内で消えなかった。

 最後に退出する者は丁寧に扉を閉める。それは大切なことであり、忘れずにできた。心配すべきことを思い出した今、できなかったのは速度を落とすことだった。彼女は扉を通り抜け、そしてケランと正面衝突しかけた。

 彼はケイヤの姿にきょとんとした。彼女もまた。そして先に平静を取り戻したのはケランだった。

「エズリム社長に言われたんです。ケイヤさんがトロスターニさんと話している間は外にいろって、でもケイヤさんが僕の所に来るまでどこにも行くなって」ケランはそう語った。「僕は大丈夫です。ケイヤさんは?」

「あなたも入るように言ってくれればよかったのに。でも待っていろって命令してくれたのはありがたいわ。大丈夫……じゃない。全然大丈夫だとは思わない……」

 そして、あの居室でテイサの死体を発見してから初めて、ケイヤは思いもよらない行動を自らに許した。驚愕するケランの目の前で、彼女は声をあげて泣いた。


 三日後。ケイヤはカルロフ大聖堂の信徒席に座し、自身の両手を見つめていた。テイサを祭壇へ運ぶという栄誉を授かったオルゾフの棺担ぎたちが前進していった。

 彼らが棺を置くと、空虚な轟きがあった。オルガン奏者は伝統的な行進曲を演奏していた。オルゾフの栄誉ある死者が入場する際に用いられる曲。そしてケイヤの横で、皮肉と苛立ちを帯びた声が言った。「ところで、この曲名は何だったかしら?」

「『死せざる者のためのワルツ』だったと思うけれど」あえて顔を上げようとはせずにケイヤは言った。

「滑稽ですね」テイサは鼻を鳴らした。「ずっと『墓場にまで持っていって』だと思っていましたよ」

 ようやく、ケイヤは見た。

 テイサは彼女の隣にいた。かすかに透明なその姿は、テイサの身体は祭壇の上にあるという事実を示していた。ここにいるのは幽霊。テイサを殺した傷は消えていた。一部の幽霊はその死因によって死後の姿を決定するが、テイサは明らかにそうする気はなかったらしい。その脚の傍には杖があった。ケイヤが知る限り、その杖はテイサの身体の延長だった。今なおそれを手元に置いておくのは当然のことだった。

「私が幽霊としてしっかりするまで、ギルドをまとめていて下さって感謝致します。そして、私の殺人犯の特定と排除に協力してくれたことも。本当にありがとうございました」

「あなたを死なせてしまった借りがあるから」

「そんなものがあったとしても、全額返済したと考えて結構ですよ。正直を言いますと、こちらの身体の方がずっと楽ですね。空腹もなく、面倒な身体的欲求もなく、私とギルドの帳簿と資産だけ。それが本来あるべき姿です。死のような些細なことでオルゾフ組の運営を止めはしませんよ。私はしばらくここにいるつもりです。これからしばらくは、ずっと」

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アート:Julia Metzger

「ヴィトゥ=ガジーでの戦いの時にいたのはあなただったの?」

「勿論です。貴女がラヴニカにいる間は、常に見守りますからね」

「だったらどうして……」

「貴女にはやるべき事がありました。私の存在は気を散らすだけだったでしょう。ケイヤさん、貴女は物事の優先順位を決めることを学ばなければなりませんよ。本当に」

 ケイヤは静かな笑い声とも、すすり泣きともとれる声を発した。大聖堂の暗闇の中、それは二人の間にたやすく伝わった。テイサは眉をひそめて彼女を見つめた。

「大丈夫ですか?」

「ごめんなさい、オーバを殺してあげられなくて」

 あの戦いからしばらくすると、トロスターニは約束通りに表舞台から退き、深い瞑想状態に入った。ラヴィニアは毎日ギルドパクトを研究し、ドライアドが目覚めた時にオーバを逮捕する方法を見つけ出そうとしていたが、これまでのところ実用的ものは何も見つかっていなかった。

「謝る必要はありません」テイサは声を硬くした。「逮捕できる根拠をラヴィニアさんが見つけられるとは思いません。抜け穴が多すぎるのです。私の方は、法律のような単純なものを利用する気はありませんよ。トロスターニは浄化されて再編されたといずれセレズニアは理屈をこねるでしょう。私の方は、時代遅れのアゾールには理解できないような計理士と財務定款の軍団をもって主張しますよ。オルゾフ組の指導者を暗殺する代償は、あなたがたが所有していると思っているものすべてであると。セレズニアは彼女を生かしておきたがるでしょうか? そうですね、その死は私のそれよりもはるかに安いでしょうね」

「それは大変だわ」

「無論、貴女はここを離れなければなりませんよ。こんな形でなければよかったのですが。とはいえ私が誰かに斧を預け、オーバの背信行為を償わないかどでセレズニアを完全に破滅させるとしましょう。その際に私の前任者である既知の暗殺者が生きていて辺りをうろついていたら、誰が責任者なのかという問題を混乱させてしまいます」テイサは期待を込めてケイヤを見た。「理解して頂けましたか?」

「理解できなければよかったって思うけれど、ええ」ケイヤは頷いた。「どのみち行くつもりではいたのよ。身を守れない相手を殺すような人物にはなりたくないし。でもあんなことがあって、それでもここにいたら……そうなってしまうかもしれない」

「結構です。ではそのように」テイサの喋りは、生前の彼女自身と何ひとつ変わっていなかった。ケイヤは声を抑えることなく笑った。

「もう会えないかもって思ったのよ」ケイヤは身を乗り出し、生者の世界から半ば抜け出した。そしてあまり震えることなく友を抱きしめた。

 一瞬してテイサは微笑み、抱擁を返した。


 四日後。テイサの遺体は公開安置されており、その霊がオルゾフ幽霊議員規約の最新版を組み立てる中、ケイヤは探偵社へと足を踏み入れた。静かで能率的な混沌の空気が辺りを支配していた。調査員たちはコーヒーのマグを片手に、受付にもたれかかって雑談に興じていた。そして更に多くの調査員たちが、ほとんど互いを気にすることなく廊下を行き来していた。

 ケイヤがその間を縫うようにしてケランの机へ向かっても、彼らは気付いた様子すらほとんど見せなかった。幸いにもケランは在席しており、最新の事件に関するメモを入力していた。ケイヤは近寄ってその机の角を叩いた。

 ケランは顔をあげ、満面の笑みを浮かべた。「ケイヤさん!」

「朝には出発するつもりなの」彼女はそう言い、胸の中に沸き上がった小さな痛みに少し驚いた。ケランと離れたなら寂しくなるだろう。才能があって未熟で、熱心な相棒。けれど離れて寂しいと思える相手が――生きている相手が――まだラヴニカにいる、そう考えられるのは嬉しかった。「友達と約束していたのよ。ここでの用事が終わったら『狂暴熊』ってそいつが言うものを狩りに行こうって。気持ちのいい男なのよ。すごく情熱があって。あなたも気に入るんじゃないかな」幸いなことに、ふたりが出会うことは恐らく決してないだろう。どちらが英雄の名にふさわしいかを巡ってケランとタイヴァーが戦場で争う、それを考えただけで疲れ果てる気がした。

「ありがとうございます、知らせてくれて」

「出発前に確認したかったのだけど、ジュディスについては何か見つかった?」

「何もないですね」ケランはかぶりを振った。「遺体を見つけた人も、生きている彼女を見た人も、殺したって主張する人もいません。ラクドス教団員も今のところ大人しく潜伏しています。もうボロスと戦争になる寸前じゃないんですけれど、でもその方がいいと思います。オレリアさんの羽根はしっかり揃って、怒りに逆立ってますから」

「今は法律を破りたくないわね」ケイヤは同意した。「プロフトはまだ元逃亡者と一緒にいるの?」

「あの人ですが、エトラータさんを正式に相棒として雇ったんですよ。だからしばらくは一緒にいるんでしょうね」

 ケイヤは驚いて言った。「相棒って、本気なの?」

「ええ。ケイヤさんがいなくなっても、面白いことは続きそうです」ケランはにやりとした。「僕はすごく嬉しいですね」

 ケイヤは笑みを返した。「おかしなことだけど、私もよ」


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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