MAGIC STORY

カルロフ邸殺人事件

EPISODE 05

第5話 可能性の連鎖

Seanan McGuire
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2024年1月11日

 

 明るく爽やかな午後の空気の中、探偵と逃亡者は影に覆われた通りを進んでいた。道の両脇にそびえる建物はどういうわけか、建築学では説明がつかないほど不吉なものに思えた。エトラータはひび割れた石畳の道を、足音も立てずに素早く無駄もなく進んでいった。プロフトの歩みはそれより重たかった。

 ふたりは並んで歩いてはいたが、その間には距離があった。ディミーアの吸血鬼が未だに連れを信用しきれていないことの表れか。彼女はプロフトを斜にねめつけ、尋ねる準備のできていない質問について思いを巡らせながら、口元を引き締めてしかめ面を続けていた。

「パーティー会場で気が付く前に覚えている最後の場所はこのあたりだと言っていたかね?」プロフトは穏やかな口調で、まるで興味などないかのように聞いた。エトラータは彼と知り合ったばかりだが、その聞き方には策略があると気づいた。そんなふうに聞かれたなら、誰でも熱心に説明したがるだろう――彼の態度は間違いだと理解させるために。それは深い、とても深い道具箱の中に含まれる、目に見える数多くの道具のうちのひとつにすぎない。

 そして、そういうものだと気づきながらも、説明したい衝動が胸の中で高まりつつあるとエトラータは気付いた。「ちょっと違うよ。もう少し先」

「認めざるを得ないことだが、私はディミーアの支配域にある都市区画について、本来あるべきほどには詳しくなくてね」とプロフトは言った。「アゾリウスがここで歓迎されることは滅多にないし、探偵社に所属している今でも、ディミーアの縄張りで捜査の要請を受ける機会は驚くほど少ないのだ。私たちは法を執行したりはしない。答えられない疑問に答えられるよう手助けするだけなのだが。ディミーアの庇護下にある者たちは疑問を口にしたりしないものなのかね?」

「尋ねない方がいいって判ってるならね」そう言いながら、エトラータは一見何の変哲もない壁の前で立ち止まると、意味ありげにプロフトを見つめた。「紳士なら目を背けるところなんだけど」

「いかにも、私は紳士だ」そう言いながら、プロフトは仰々しく背を向けた。

 それはエトラータが息を呑みそうになるほどの巨大な誠意の現れだった。彼が自分を牢から解放したことはひとつの驚きだったが、パーティーが始まる前の彼女の足取りを思い出すために同行したい旨を強く主張してきたのは予想以上だった。もちろん、この男が自分を放免してそれで終わりというわけはない。ギルドの指導者の死と解決すべき謎が残っているうちは。

 彼女は手をかざし、一見ありふれたレンガの壁に沿って踊らせた。あちらのモルタルを叩き、こちらの石を押し込む。そのパターンは複雑だったが、何年もの実践を経た今は数秒で終わらせられるようになっていた。擦れきしむ音と共に壁の一部、普通の扉よりわずかに小さい範囲が内側にずれこみ、彼女が中に手を入れられる程度の隙間が生じた。

 彼女はその隙間に指を滑り込ませながらも叩くのをやめず、差しこんだ手ごと扉が急に閉まるのを防ぐ操作を完了した。二度目のうなりと共に扉は完全に開き、ところどころ床板のひび割れた木製の狭い入り口が現れた。蜘蛛の巣に覆われた唯一の天窓から光が差し込んでいた。

「もう見てもいいわよ」

 プロフトは振り返ったが、秘密の入り口の出現にもまったく驚いてはいなかった。「捜査に協力いただき感謝する」とだけ彼は言った。

「協力? もちろん」エトラータはその廊下へと数歩進んで立ち止まり、ほんの少しの距離しか進んでいないにも関わらず、振り向くとついて来るように手招きした。

 眉を吊り上げ、プロフトは中へと踏み込んだ。エトラータが一歩後ずさりすると、きしむ音を響かせながら扉は勢いよく閉じた。プロフトはびくりとして振り向いた。

「イゼットの技術かね?」

「元はね。製作者はとうの昔に死んだけど。この入り口を知ってるのは私だけ。もし誰かが後をつけて扉が閉まる前にすり抜けようとしたなら、床の感圧板から私が足を外した直後にそれが間違った判断だったと思い知るでしょうね」彼女は淡々と語った。

「なるほどな」プロフトは再び歩き出した彼女の後を追い、廊下の突き当りにある危険のなさそうな扉へと向かった。「もちろん協力する、とはいかなる心境なのか聞かせてくれるかな? 無実であろうとそうでなかろうと、大抵は協力などしてくれないものだが」

「私はそのパーティーに向かった覚えはないし、ましてやその身支度をした覚えもない。捕まった時に着ていた服はどこで手に入れたのかもわからない。セレズニア議事会の誰かの死体がどこかで箱詰めになって発見されるのを待っているのかもしれないけれど、そうだとしてもそれも殺した覚えはない」

「君はこれまでに殺害した者を全員覚えているのかね?」

「ええ」鋭い返答。「私はプロだから。無料で殺したりしないし、殺した相手を忘れたりもしない。高尚な仕事なんて言わないよ、私はこれが得意で、かなり好みで、金を貰うのが好きだから。でも私は依頼で動く暗殺者であって、単なる人殺しじゃない。ギルドは許可のない殺しをいい目で見ない。だから私はアゾリウスともめてるだけじゃなく、ディミーア家にも目を付けられてるってこと。未だにわからないのは、なぜあなたが私を助けたのかってことなんだけど」

「ああ、それは単純なことだとも。現在君はあの侵略以降、私の前に用意された最も興味深いパズルに相当するからだ。探偵社に寄せられるほとんどの質問には簡単に答えられる。すぐに解ってしまう。いくつかの石をひっくり返せば、そこには解答があり、明らかにされる時を待っているのだよ。しかしながら、君だ。練達のディミーアの暗殺者がギルドの指導者を殺害し――」

「したと思われ」エトラータは訂正した。

「――殺害したと思われるが、その手法は実行者の職業と既知の殺害方法にそぐわない。更には痕跡を十分に隠蔽することもなく、有り体に言えば下手なやり口で現場から逃走を試みる? それだけでも十分におかしな話だ。その上で、君にはその出来事やパーティー自体の記憶が全くない? となればまったくもって興味深いね」プロフトは彼女が扉の鍵を開けるのを待っていた。「私は礼儀上、あるいは政治上やめるべき領分をはるかに超えて謎を追及することにちょっとした定評があってね。以前もそれで揉め事に巻き込まれたのだが」

「今やってることがアゾリウスに知られたら、今回も厄介なことになるわよ」そう言いながらエトラータが扉を押し開けると、驚くほど広々とした部屋が現れた。彼女は中へ足を踏み入れようとしたが、プロフトが手のひらを広げて呼び止める動きをしたため立ち止まった。

「何か?」

「君の同意なしにここまで来た人物に向けた、さらなる小さな驚きは用意されているかね?」

「無いよ、誰もここまでは来ないから。それに寝台に向かう時まで気を張っていたくないし」

「では、許可をいただけるならば、目下荒らされていない状態の現場を先に拝見させてもらおうか」

 エトラータは眉を吊り上げた。「どうぞご自由に」

「感謝する」プロフトは微笑みながら彼女の前を通り過ぎた。「元気を出したまえ、エトラータ君。解決すべき謎が待っているぞ!」

 エトラータは彼ほどにはその考え方に満足できなかった。

 部屋自体は作業場と寝室を兼ねたもののようで、その空間の半分は武器、毒の小瓶、変装道具の置かれた棚といった商売道具置き場に充てられており、残りの半分には寝台、普段着用の衣装棚、そしておそらく彼女が食事をすると思われる小さな卓が置かれていた。すべてが申し分なく整えられていた。寝台脇の卓の上を除くすべてが。

 プロフトはそこで立ち止まり、眉をひそめた。「寝台で化粧をする習慣はあるかね?」

「何? しないけど。誰もそんなことしないでしょ?」

「ふうむ。黄灰色の粉末薬か何かを服用していたりは? 睡眠を補助するような」

「いいえ。私の仕事では、睡眠薬での眠りは最後の眠り」

「では慎重に、こちらに来てくれたまえ。証拠品の採取に転用できる毒物用の小さな空き瓶を持ってくること以外は何もしないように。申し訳ないが、君の逃亡を画策している間に適切な調査用具一式を要請できなかったものでね」

 エトラータは扉から作業台へと向かい、瓶を一つ掴んで、寝台の隣で待つプロフトの所へと向かった。たどり着いた彼女はそこで立ち止まり、彼の視線を追って寝台脇の卓を見た。その木製の卓やすぐ近くの枕カバーの上に、黄色がかった灰色の細かい粉末が散っていた。

「こんなの見たこともないんだけど」

「そう思ってね。ナイフは持っているかね?」

 エトラータはあっけにとられそうになりながらも、拘留から解放された時には間違いなく所有していなかったであろうナイフと瓶の両方をプロフトに手渡した。確かにその通り。もし誰にも見られずにナイフを入手できないようなら、長く暗殺者で居続けられはしないだろう。彼は直接触らないよう慎重に粉末を瓶の中へとできるだけかき集め、しっかりと蓋をした。

 プロフトは柄の側を差し出しながら、ナイフをエトラータに返した。「私ならいかなる目的であっても、そう、殺人のためであっても、実行する前にこれを徹底的に掃除するね。この卓も、寝具類もすべてだ。この物質が何なのかはまだ不明だが、少なくとも私の知っているものではない。現在の状況を鑑みるに、君が覚えていない時間とその間に取った行動に何らかの関係があるものだと考えられるが」

「でも、どうやってここまで侵入を?」エトラータは尋ねた。彼女はナイフを柄から受け取り、部屋の反対側に向かって振り投げて壁に刺した。

「とても良い質問だ」瓶を持ち上げてガラス越しに中身を観察しながら、彼は言った。「解明に移るとしようか?」


 あの侵略後、ラヴニカ市民は汚染の脅威というものを深刻に受け止めるようになった。エトラータは、着替えは――縫い目から謎の粉が入り込む心配のないものが――別の隠れ家にもあると言い、何も持たずにこの場を離れた。

 エトラータの先導でふたりは廊下を戻り、プロフトは彼女の足が置かれた位置を意識しながら後を追った。入り口の扉まで近づいたところで、彼女は後ろから衝撃音と締め付け擦れるような音を耳にした。それだけで攻撃が進行していると判断するに十分な兆候だった。

 一瞬、彼女はそのまま前に進もうかと考えた。この特別な隠れ家を知る者はほとんどいない。プロフトに対して恨みを持つ者かもしれない。もし探偵が謎の死を遂げれば、自分がアゾリウスの拘留から逃れた方法を知る者はいなくなるだろう。この扉から出れば、誰にも気づかれず身を隠せる。

 自分を殺人者だと思い込み、手段を選ばずに逮捕しようとしてくる街へ身を隠す――無実だと信じてくれている唯一の人物を死なせてしまったせいで。不満げなため息とともにエトラータは振り返り、シャツの下からさらに二本のナイフを引き抜いて、背後の戦いへと飛びついた。

 それは「戦い」ではなく、一方的な暴行だった。プロフトは床に倒され、赤と黒の服を着た人影が片手にナイフを持って彼の上にのしかかっていた。彼は顔と喉を守るために腕を上げていたが、エトラータがその人影に向かって突進し数フィート先の薄暗い廊下奥へと吹き飛ばした時には、すでに彼はいくつかの浅い切り傷を負って出血していた。

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アート:Lie Setiawan

 襲撃者はすぐに体勢を整え、エトラータへと向きなおった。エトラータはその動きに合わせ、倒れたままのプロフトと相手との間合いに気を配った。

 そうしたところで、その人物は困惑した口調でこぼした。「エトラータ?」

 エトラータは構えるのをやめ、姿勢を戻した。彼女はその声を知っていた。「虐殺少女?」

「アンタがここにいるなんて誰も言ってなかったけど?」

「ここは私の家。どこに居ろと?」

「さあね。アゾリウスの留置所じゃないの?」

「抜けてきたから」エトラータはきっぱりと言いながらも、そうする上でのプロフトの役割には言及しなかった。自分がアゾリウスの監獄から脱出できると同業の暗殺者が信じこんだとしても、それを否定するつもりはない。

 ふたりは廊下の狭い範囲を、プロフトを挟みながら円を描くように動いていたが、彼は何も言わずに目を見開いてふたりの姿を見つめていた。

「想定外ってのはわかってもらえたかな」

「あなたが私の隠れ家に来て、私の客人を襲うなんてのは想定外ね。それにしても、どうやってここに?」

 虐殺少女は優秀だが油断しており、思わず上を向いた。

 エトラータはうめき声を何とか飲み込んだ。「天窓から? 前に罠を強化したばっかりなのに!」

「すごい嵐があったでしょ。仕掛け線が劣化してないか調べとかないと」

「ああ、それで……」

「初歩的なミス」虐殺少女は足を止めた。彼女の青白い顔いっぱいに描かれた真っ赤な笑みのフェイスペイントは、暗闇の中にあって不気味に見えた。「さっきも言ったけど、アンタがいるとは思ってなかった。アンタが脱獄してたって知ってたらこの仕事は受けなかったのに」

「どんな仕事?」

「口止め料は貰ってないからいっか。アンタを捕まえた男を殺せって依頼。探偵社にギルドの仕事に関わるなって警告するために遺体は残せって。でもコイツがアンタの連れなら……」

「そうね。この男は私の連れ」エトラータはきっぱりと言った。「私はゼガーナを殺した真犯人を探す手伝いをしてるの」

 虐殺少女は驚いたようだった。「じゃあアンタじゃないの?」

「私があんないいかげんなやり方をするとでも?」

「天窓の守りはいいかげんだったじゃん」と虐殺少女は言い、自身の冗談に笑い出した。手にしていたナイフは衣服の中に消えた。「かき回して悪かったね。友達とか家族を殺すには割増料金が要るんだけど、それは貰ってないからさ」

「そんなの払う奴いないでしょ」そう言いながら、エトラータも自分のナイフを仕舞った。「もういい?」

「もういいよ。扉は開くの?」

「開くわよ。出て行きなさい」

「汚名を晴らしたらまた会お」そう言ってから、虐殺少女はプロフトに向きなおった。「ごめんね」

「それは私を殺そうとしたことについてかね?」矜持を傷つけられ混乱した様子で、彼は尋ねた。

「いや、失敗しちゃったこと。お互いにとって良くなかったかなって」彼女は不意に笑みを浮かべ、真っ赤な笑みのフェイスペイントの中に白い歯がちらりと見えた。「ま、いつでも次はあるし」そうして彼女は振り返り、廊下を進んで扉から通りへと消えた。

 エトラータはプロフトに手を差し出し、彼を立ち上がらせた。「大丈夫?」

「あまり深くは切られなかったからね」と彼は言った。「もっとひどい目にあったこともある」

「あいつの雇い主がラクドス教団を選んだのは幸運だったわね。ゴルガリやディミーアの暗殺者は毒を使うことが多いから」プロフトがびくりとした様子を見て、彼女は笑った。「心配しなくて大丈夫。虐殺少女がナイフに毒を塗るなら抗凝血剤だろうから。動脈から激しく噴き出すように血が出て、もう出血死してるはず」

「あれは君の友人かね?」威厳を再び纏おうとしつつ、彼は尋ねた。

「同業者。腕はいいわよ。元気出して、暗殺者組合はすでにあなたを高く評価しているみたいだから」

「私が死ねばその組合は実に満足するだろうな」と彼は言い、ため息をこぼした。「行こう。暗殺者が待ち構えているかもしれない場所に潜むべきではない」

「でもどこに行くの?」

「私の古い友人に会いに行こう。探偵社とは無関係ゆえ、我々を引き渡す可能性は極めて低い。さきほど発見したことについて何らかの光を当ててくれるかもしれん」プロフトは肩の力を抜き、自信にあふれたいつもの状態に戻った。「では行こうか?」

「また襲われないでよね。そんなに面倒見てられないわよ」


 ケイヤがヴィトゥ=ガジーを最後に見たとき、その生きている偉大なギルドの本拠地は永遠神によって深い傷を負わされ、休眠状態となっていた。強大な「都市の樹」であっても自らを維持できずにいたのだ。彼女はそれでもヴィトゥ=ガジーが死んでいないとわかっていた。もしこの本拠地が実際にあの戦いで破壊されていたのなら、セレズニアの悲嘆はこの次元を引き裂くほどだっただろう。とはいえ、この都市の樹の新たな状態を見に来たわけではなかった。ケイヤはジュディスとの別れ際の示唆に従ってケランと共に向かいつつも、何を見つければよいのかと思案しなければならなかった。

 見つけたのは、この街では珍しい公園地帯のひとつへと通じる道だった。地平線まで続いているような広大で岩だらけの原野への入り口で、ふたりを運んでいた御者が車を止めた。「すいやせん、お二方」御者は身をよじり、背後の小さな窓からふたりへと話しかけた。「だけどあっしが行けるのはここまででさ」

「行き先を告げたときに言えたでしょうに」とケイヤは言い、馬車を降りた。

「そうかもしれやせん」と御者は同意し、降りてきたケランが運賃を手渡すと、硬い笑みを浮かべた。御者はケイヤを見ながら、運行実施書にオルゾフの判を押した。「ファイレクシアが攻めてきたときも、アンタ様はここにいれたかもしれやせんね。あっしらみな、もう少しうまくやれたんじゃないですかね?」

 彼は手綱を振って軽く馬車の向きを変え、ケイヤとケランを道端に残して走り去った。ケイヤは彼の後ろ姿を睨みつけた。十数個の鋭い返答が彼女の舌の上に集まり、彼女はそれをすべて無言で飲み込んだ。あの男は失礼ではあったが、間違ってはいない。そして自分の贖罪はまだ終わっていなかった。顔に笑みを浮かべ、ケイヤはケランへと向き直った。

「ここからは歩きみたいね。私はこの公園を知らなくて、一度も来たことがないの。ヴィトゥ=ガジーへの行き方は知ってる?」

「知ってます」と彼は答えた。「その、ケイヤさん……ギルドマスターのカルロフさんの件、お悔やみ申し上げます。友達だったんですよね」

「友達とは違うかな」とケイヤは言った。テイサと彼女の関係は、その言葉でまとめるには複雑すぎて足りないように思えた。

「そうですか。でも近しい人ですよね。ご愁傷様ですと伝えたかっただけです」

「君はひとりでここに来たの?」彼女は尋ねた。「つまり、ラヴニカに」

 驚きで彼の眼は開かれた。「どうしてそれを?」

「まあ、そのくらいはね。それで、自分だけで来たの?」

 少ししてからケランは言った。「いえ、友達がひとり一緒でした」

「その娘は今どこに?」

 ケイヤは悲しい話がまた来るかと身構えた――多元宇宙はこのところ悲しい話ばかりだ。ところが驚いたことに、ケランはにっこりと笑った。「ああ、あの人は瓦礫帯にいると思います。古代遺跡とかが気になるのかな? 彼女は僕の冒険が始まるのを座って待ってたりはしないんです」

 ケイヤは瞬きをした。この、人の姿をとった陽光のような青年にはそろそろ辟易してもいい頃だと思った。けれど何故だか気にはならなかった。「ふうん。まあ、エズリムは早いとこ報告が入るのを期待しているでしょうから、進み続けなくちゃね。行きましょう」

 ケイヤは大げさな身振りで先導するように指示した。ケランは一瞬だけ不満げな表情を浮かべながらも、原野を横切るようにまっすぐに歩きはじめた。ケイヤは岩をすり抜けず、迂回しながらケランの後ろについて歩いた。今のところは、ラヴニカに存在し、ラヴニカの大地をしっかりと生きて歩みたいと思った。テイサにはもうできないのだから。

 ううむ、やはりそのようには考えられなかった。ケイヤは力ずくで思考を現在へと移し、すぐ目の前のケランの姿を眺めた。この若い調査員は、今日頼まれた奇妙な話について何も文句を言ってこない。ラクドス教団を訪問し、今はヴィトゥ=ガジーに向かっているが、どちらも彼にとっての普段通りではないだろう。

「ヴィトゥ=ガジーは何のためにここまで来たの?」と彼女は尋ねた。

 ケランは肩越しに振り返った。「この公園は議事会の土地の一部です。侵略戦争の後、ギルドの本拠地が弱ってしまって、強さを取り戻すにはしばらくの間半休眠状態に入る必要がありました。マット・セレズニアは、ヴィトゥ=ガジーが以前の力を取り戻すには新しい根を伸ばす場所が必要だとトロスターニさんに伝え、トロスターニさんは本拠地をここに移動したんです。長い時間はかかるでしょうけど、ヴィトゥ=ガジーがこの次元とまた繋がって、きちんと回復するにはここが一番いいって判断したみたいです」

「ふうん」とケイヤはつぶやいた。ラヴニカのように都市化された次元で、ヴィトゥ=ガジーほどの大きさと力をもつ樹木が育つにはどれほどの年月が必要なのか、彼女はこれまで深く考えたことはなかった。ここでは土は隅から隅まで都市の必要へと搾取されている。セレズニアは今回のような事態に備えていたのか、都市が広がる前にここにあったものをいくつかのオアシスへと仕舞い込み、生きた充填装置としてこの地を用いているのにはうなずける。

 まるで以前にもこのような状況があったかのようだ。永遠神による被害がなければ、ファイレクシアですらヴィトゥ=ガジーを休眠期間に入らせるほどの損害を与えられなかったかもしれない。何もかもが未知の領域の話だ。

 この原野は野趣に溢れ、驚くほど牧歌的で美しかった。あちこちの地面からは岩が突き出て行く手を遮る起伏の激しい障害物となり、大地は緑と黄色の入り混じった茂みに覆われ、その上に咲く花や棘があった。ケイヤは変えられないものにこだわらず、自分の足を置く場所に集中しようとした。

 ひとつの咆哮が大気を裂いた。ケランは歩みを止めた。ケイヤも同様に足を止め、二人で背中合わせになるように移動した。「今のは何?」とケイヤは尋ねた。

「わかりません」

「励みになるじゃない」ケイヤは言った。「気合入るでしょ」

 ケランの返答は二度目の咆哮によって遮られたが、それはかなり近くからのものだった。ケイヤは咆哮が発せられた方を向き、その元を把握した。身体全体が緊張しようとするのを、だが同時に力を抜こうとするのを感じた。ふたりを目がけて、巨大な白い狼が大股で駆けてきた。地面を踏みしめるその歩みは信じられない速度で、そして開いた口には鋭く危険な牙が並んでいた。

「狼です」締め付けられるような声でケランが言った。

「そうね」

「ずいぶん落ち着いてるんですね」

「あの狼を知ってるから」とケイヤは答えた。

「あれは僕たちを食べないんですか?」

 ケイヤは一瞬沈黙した。「そうとは言い切れないかも」一瞬の熟考の後に彼女はそう認めた。そして腰に指していた短剣を抜いた。「先に攻撃せず、身を守ることに専念しましょう」

 ケランは半信半疑ながらも、自身のベルトからふたつの小さな籠のようなものを取り出した。彼の手はその籠の中にぴったりと納まり、それらの「籠」の編み込み格子がエレメンタルの輝きを放つと、湾曲した短い二本の剣が生み出された。

 ケイヤは驚きながらも感心した様子だった。「いいじゃない。忘れないでね、身を守るだけよ」

 狼はあと数歩の距離まで近づいてきたのち、横滑りして歩みを止め、唸り声を上げながらふたりの周囲を回り始めた。攻撃よりもふたりをそこに留めようとしているようだった。

「どうしてそんなに落ち着いていられるんですか?」ケランの声は険しかった。

「言ったでしょう、この狼を知ってるって」とケイヤは答えた。「この子の名前はヴォジャ。私たちのことを脅威だと判断しない限りは、こちらを傷つけたりはしないわ」

「じゃあどうしてこの狼はここに?」

「すぐに分かると思うのだけど」

 鋭い口笛の音が原野に響き渡った。ヴォジャは旋回をやめて頭を上げ、その音へと耳を立てた。それでもふたりから離れることはなく、すぐに追いつめた捜査員たちへと注意を戻した。

 ケイヤとケランはまだ背中合わせのままその場に留まっていたが、緑と銀色が目立つ鎧をまとうエルフが原野を横切って彼らへと近づいてきた。気付かれることなくどうやってそこまで近づいていたのか、それはわからなかった。おそらく何らかの魔法だろう、とケイヤは考えた。たぶん自分の知らない類の魔法。

 彼は狼の隣で立ち止まり、ヴォジャの肩に手を置いた。

 ケイヤは礼儀正しく頭を下げた。「トルシミール」

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アート:Uriah Voth

「今日は訪問者がいると思っていなかったのだよ」彼は言った。

「ケラン調査員と私はゼガーナの死について調べているの」とケイヤは伝えた。「ヴィトゥ=ガジーを訪問して、元々のギルドパクトの内容を調べるようにって提案されて来たのよ。無礼を働くつもりはなかったの――そちらのギルドの本拠地を訪問する前に連絡が必要だとは知らなくて」

「ゼガーナ議長の事件を受けて、警戒措置が取られているものでな」トルシミールは説明した。「被害にあったギルドの指導者は彼女だけではないかもしれないという噂もある。プレインズウォーカー・ケイヤ、あなたのギルドについても調べたほうがいいかもしれない」

 テイサの死の情報がそんなにも早く広まっているのだろうか? ケイヤは驚きをかろうじて抑え、頷くだけだった。「もう私のギルドじゃないけどね。ヴィトゥ=ガジーに向かっても?」

「入口まで案内しよう」とトルシミールが答えた。彼はヴォジャの肩に手を置いたまま歩き始めた。ケイヤとケランは武器を納め、後を追った。

 すぐに、湾曲した地形によって隠されていたヴィトゥ=ガジーが彼らの前に現れた。ケイヤはそれをじっと眺めた。

 セレズニアのそびえ立つ本拠地は開けたその原野にて自らを再構成していた。以前は大都市を覆う巨大な樹木だったが、それが今や辺鄙な田舎の荘園といった場所で絡み合った根を張り巡らしている――以前と比較してしまえば控えめではあるが、それでもカルロフ邸に匹敵するほどには十分に壮大だ。この本拠地がここに移動してきてから一年も経っていないとはわかっていたが、ずっと以前からそこにあったかのような印象をケイヤは受けた。木材は時間の経過によって風化し、窓枠はその角の部分がわずかに萎れてもはや完全に開くことはできなそうだった。

 その一本の幹は今なお健在で、その枝は建物よりも高く伸びて屋根を覆い、根は建物の土台周辺の地面を砕いて、そこは生きた海のようにでこぼこと波打っていた。

 トルシミールはケイヤの反応を見てにやりと笑った。「ラヴニカがそうであるように、ヴィトゥ=ガジーもまた変容するかもしれないが、それでも都市の樹は屹立している。この先だ。トロスターニ様が迎えて下さるだろう」

 一行が近づくと、明らかにその存在に反応して扉が開いた。彼らはそのまま中に入り、アーチ型の玄関広間を通ってギルドの検問を通過し、少人数向けの応接室へと入った。壁にはラヴニカの歴史に関する本がぎっしり詰まった本棚が並び、部屋の中央には別の樫の木が生えていた。いや――別ではない。同じ樫の木だ。結局のところ樹は一本でしかなく、それは外の樹でもあり中の樹でもあり、そして邸宅そのものでもあった。

 カルドハイムの真の世界樹と、新ファイレクシアのねじれた侵略樹を見たことのあるケイヤは、その樫の木の最も大きな三本の枝がねじれて動き始めたとき、思わず息を飲んで畏怖を覚えた。それらは流れるように三人の女性へと姿を変えた。腰から上は人間のようで、腰から下は曲がりくねった枝といった様子だった。三人のドライアドはそれぞれ一個体であり、ラヴニカの世界魂の声を伝える唯一の集合存在だ。

 ケイヤはお辞儀をした。「トロスターニさん、ギルドパクトの原典を閲覧させてもらいたいの。許可して頂けるかしら」

「もちろんです」トロスターニとして知られる存在を構成するドライアドの一人が言った。右側の身体、セスと呼ばれる秩序のドライアド。「根が伝えてくれました。あなたがたは捜査に協力し、我々の同胞を殺害した犯人を探しておられると」

「お力になれるのであれば光栄です」ケイヤは、今の発言が調和のドライアド、シィムのものであると気づくのに少しかかった。彼女は三人が生えている太い枝の左側にいた。その位置にいるのは今までに見たことがない。「貴女が所属していたギルドの指導者も我々の元を去ったと聞いています」

「テイサの仇は討つわ」とケイヤは硬い口調で述べた。

「貴女がここを離れていた間に死したものたちすべてのように?」生命のドライアド、オーバが尋ねた。もうふたりが彼女の方を向き、ドライアド三姉妹は絡み合うようにうねり、やがて普段の様相を取り戻した。ケイヤが確認した限り、今はオーバが中央に身を置いている。それは彼女がこの三者というありように与えた影響のせいなのだろうか? 生命が、あの決戦の後に勝利した? 何とも言えない。

 三姉妹がそれぞれ来客に意識を戻したときも、オーバはまだ不満そうな表情だった。

「トルシミールがギルドパクトまで案内してくれるでしょう」とシィムは言った。「ラヴニカの歴史を保存することは常にセレズニアの目的とするところです。ここでは配置も刷新されておりますので、これまでよりももう少し利用しやすい方法で行えます。知りたいことが何であれ、ここで見つけられることでしょう」

 それが三姉妹による解散の合図だったようだ。トルシミールは無言で部屋から退出しようとし、ケイヤとケランもそれに付いていく以外になかった。

「トロスターニに最近何か変わったことはある?」応接室から出て廊下をある程度進んだところで、ケイヤは尋ねた。

「トロスターニ様はまだヴィトゥ=ガジーの新たな形態に適応しておられる最中だ」とトルシミールは返答した。「以前よりも大地まで近く、風が違う。慣れるべきことはたくさんあるだろう。必要なのはギルドパクトの原典だけかな?」

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アート:Ben Hill

「調べるように言われたのはそれだけね」とケイヤは返した。「もしそれが新たな方向へ導いてくれるなら、ほかにも確認したいものが出てくるかもしれないけれど」

「いいだろう。こちらへ」彼は中央に樫材の演壇が置かれた小さな部屋へとふたりを案内した。魔法でできた泡が一冊の開いた書物を囲んでいた。トルシミールが手を振ると泡による保護は消え、その書物は読めるようになった。「私はトロスターニ様のところに戻る。必要ならば呼んでくれ」

 ケイヤはケランと視線を交わしたのち、演壇に近づいてその背後に立ち、ページを指でなぞった。すると目次が開かれた。

「ジュディスも具体的に何を調べればいいのか、もっと説明してくれればよかったのに」と彼女は不機嫌そうに言った。

「ラクドス教団は、たとえそれが自分たちにとって有益だとしても、公式捜査の類に協力するつもりはほとんどないみたいです」とケランは言った。「僕たちが調査すべきなのはジュディスさん本人よりも、そのギルドについてじゃないでしょうか?」

「それはありそうね」ケイヤはもう一度ページを確認し、書物をさらにめくって、ラクドス教団の設立に関する項目へと進んだ。

 彼女は声に出して読み上げた。「『教団の目的はふたつ。ラヴニカの人々へ奉仕し、血と炎をもって悪魔ラクドスを鎮めること。』嫌な感じだけど、新しい情報ではないわね。『信者は自身の欲求を満たそうとし、その行いはラクドスを満たし続けるであろう。ギルドとラクドス自身を結びつけることで、ラクドスが破壊よりも大きな目的を見つけられることを望むものである。』あとはギルドに課せられた特定の義務とか、信者が喜んで引き受けそうな社会的地位とか、アゾリウス評議会はどのくらいの混乱にまでは関与しなくていいかとか色々書いてあるけど、どれも関係なさそう。どうしてジュディスはこれを見せたがったの?」

「この本はギルドパクトだけが載ってるにしては、ずいぶん分厚いですよね」とケランは言った。「他に何かありますか?」

「それぞれの項目の最後に、ギルドパクトの未来の守護者が趣旨をよりよく理解するための創設時の決定についての説明、なんてのがあったわね」ケイヤは再びページをめくり、少しして手を止めた。「『悪魔ラクドスをその信者たちへと縛ることで、彼がラヴニカ市民へと残忍な怒りを継続的に吹き込むことを阻止するのが創始者たちの狙いである。かの破壊的な娯楽は、無作為の虐殺と暴乱をもたらした。最も温和な人々でさえ、警告や正当な理由なしに自身の同類を攻撃し――』」

 ケイヤはゆっくりと顔を上げた。「エトラータはゼガーナを殺した覚えはないって言ってたのよね?」

 ケランは頷いた。「まさか自分のパルンが関わってるって、ジュディスさんは言いたいんでしょうか?」その声は不安げだった。

「自分だけでも助かるために? そうかもね」ケイヤは苦々しく口を閉じ、書物から離れた。「早いところエズリムに伝えましょう」


(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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