MAGIC STORY

カルロフ邸殺人事件

EPISODE 07

第7話 復活の前に腐敗あり

Seanan McGuire
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2024年1月15日

 

 ケランに執務室と呼べるようなものはなく、適当に仕切られた狭い空間程度のものがそれだった。そこには机がひとつとがたがたの帳簿棚、そして真鍮製の小さな機械が置かれていた。ケイヤを中に案内しながら、ケランはその機械を軽く叩いた。機械は柔らかな響きに続いてカチリと音を立て、ひび割れたガラスの画面がメモ書きや素描の網で覆われていった。

 ケイヤは目をしばたいた。「それは何?」

「僕個人の投影機です。僕たちは回答が明確じゃない時に、今調査していることを視覚化するためにこういうものを使っています。プロフトさんが最高の探偵って言われる理由の一部は、これを必要としていないからなんです。あの人は何もかも頭の中に入れておくことができて、さらに正しい場所にはまるまでぐるぐる回すことができるんです。それができない僕たちは視覚的な補助装置を使っています」

 彼は身を屈め、卓上のマグから一本の大きな羽根を取り出した。もしかしてエズリムのものだろうか、ケイヤはそう訝しんだ。羽軸の最下部はミジウムで覆われており、投影機の光を受けて鈍い赤色がかった金色に輝いた。

「投影機にはそれぞれ、こんな入力用のペンが存在します」機械へと戻りながらケランは言った。「中枢装置を通すのでない限り、これがないとファイルを更新できません」

「はー」ケイヤは言った。「調査の経過を記録しておく方法が必要だというのはわかっていたけれど……これはすごいわね、ケラン。証拠カプセル、防壁、そしてこの――記録システム。どれもすごく印象的」

 ケランは明らかに彼女の称賛に満足したようで、少し背筋を伸ばして立った。そしてそのペンで画面に触れると、小さなメモ書きや画像が次々と現れた。「これは、あの路地で僕たちを見つけた飛行機械からのものです」彼は画像のひとつをつつき、画面全体へと拡大した。「僕たちが知っている最新の情報です」

「情報。証拠じゃなくて?」

「証拠っていうのは、関連性があるとわかっているもののことを言います」彼は顔をしかめた。「ああいう不意討ちは通常、答えに近づいていることを意味します。けれどその答えが何なのか、僕には見えてきません。ふたつの破片が正しく合わないんです。あの襲撃者の毛皮と、ラクドスが誰かを興奮させてまた人殺しをさせるというのは一致しません」

「私はラクドスがこの背後にいるとは思えない」ケイヤは言った。「ジュディスは何か理由があって、自分たちのパルンに目を向けて欲しがっている感じ――私たちにそうしてもらいたい理由はそれなりに思いつくし。でもこれはラクドスが好むやり方じゃない。確かにテイサとゼガーナの殺害はかなりの混乱と無秩序に繋がるけれど」ケイヤは言葉を切り、こらえた。自分は正しいとわかっていた。テイサの死を簡単に片づけることはできやしない。「けれど街全体に歯止めがきかなくなることも、往来で暴動が起こることもないでしょうね。こんなことのためにラクドス自身が動いたのだとしたら、側溝に死体が詰まるのを見たがってるってことなのか」

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アート:Gaboleps

「でしたら、この背後にいるのは誰だと思います?」

「まだわからない、けれど早く解明しないといけないわ。事態が今以上に悪化したなら何もかもが爆発するでしょうね。そして街は侵略から完全に立ち直ってはいない」

 街は決して立ち直らないかもしれない。もしかしたら、彼女自身と同じように、ラヴニカもファイレクシアの後遺症を永遠に感じ続けるのかもしれない。そしてそれは良いことなのかもしれない。つまり、覚えているということなのだから。傷が治り始めるまで、悲劇は忘れられはしないものだ。

 ケランは頷き、考え込む表情を浮かべた。「ケイヤさんの考えを聞きたいのですが、トロスターニさんは――」

 その質問を終える時間はなかった。無視できないほどの大音響で、警報が建物中に鳴り響いた。ケイヤは即座に立ち上がった。アドレナリンの酸味が口を満たした。

「何が――?」

 ケランは入力用のペンを机の上に投げると、自身の小さな空間から出て駆け出した。置いて行かれないようにするためには、ケイヤも急ぐ以外になかった。

「誰かが証拠保管棚を不正利用しようとしたんです!」ケランは警報に負けじと声の限りに叫んだ。「中にあるものの幾つかは――うわあ」

 ケランは机の間の狭い通路の只中で立ち止まった。ケイヤは彼に激突する寸前にかろうじて立ち止まり、ケランの注意を引いたものに目を向けた。ケランと同じく立ち止まって見つめる捜査員もいたが、そうしない者たちはその何かの方向めがけて駆けていた。

 証拠保管棚の部屋は滅茶苦茶になっており、その壁は解き放たれた何かによって完璧に粉砕されていた。天井も似たような状態だった。被害の原因は今のところ、舞い上がる塵と破片の壁によって隠されていた。保管棚の近くにいた捜査員の何人かが叫びをあげ、警報と今なお落ち続ける石材の破片に更なる騒音を加えていた。

 ケイヤは前へ踏み出し、ケランと肩を並べて立ち止まった。「これまでにもこんなことはあったの?」

「カプセルは保管棚に入れられる前に、しっかり封じられていると入念に確認されます」ケランはその場から動かずに言った。まるで動き方を忘れてしまったかのようだった。「システムに障害が発生した場合に備えた手順はありますが、保管棚には――」

 塵の中で何かが吼えた。

 それは喉の奥から発せられるような低い音で、建物の基礎を揺るがすほどに轟いた。床が揺れて転びそうになり、ケイヤはケランの腕を掴んだ。ケランの顔は目に見えて青ざめ、まるでたった今幽霊を見たばかりの――それもオルゾフに仕える幽霊ではなく――者に見えた。さらなる捜査員たちが叫んだ。悲鳴をあげ、うねる塵の雲の中から逃げ出そうとする者たちもいた。

 再び咆哮が聞こえ、その何かが前進してヘラのような巨大な前足で床を叩きつけ、塵の雲が分かれた。悲鳴のひとつが不意に途切れた――その足が捜査員のひとりの上に着地し、おそらく叩き潰したのだろう。足先に伸びる一本の鉤爪はゆうにケイヤの背丈よりも長く、先端に向かって物騒に尖っていた。

 この損害をもたらした獣は盛んに辺りの大気の匂いを嗅いだ。鼻先には肉厚の触手が星型の花のように開いていた。身体はモグラに似ており、全長は大人のトロールの二倍ほどもあった。身体にはルーンの線が刻まれ、力強い緑色に輝いていた。

 ケイヤは息をのんだ。「あれって、あなたたちが捕まえたっていうグルールの神?」

 ケランは言葉を失ったように頷いた。

「その神についてわかっていることは?」

「グルールの人たちはアンズラグって呼んでいます。グルールにとっての……収穫の神なのかな? 植えるとか成長するとかそういうことの。グルールの人たちは『暴れるモグラ』としか呼ばないので、合っているかどうかはわからないんですが……」

「うーん。ところで脚は動くようになった?」

「たぶん――何でですか?」

「だってあいつはあそこにいて、私たちはここにいる。でもあいつは結構な損害を与えていて、最終的にはこっちに来るでしょ」

「あっ」ケランは衝撃を振り払ったように、ケイヤへと一瞬だけ恥ずかしそうな表情を見せた。「ありがとうございます」

「礼は要らないわよ」ケイヤはケランの腕から手を放し、短剣を抜いた。その刃が紫色の輝きを帯びた。「不公平な戦いにしましょう」

 そう言うとケイヤは神のモグラへ突進し、落ちた天井の塊から壊れていない机へと上がり、ずっと高い棚へと飛び移った。グルールの神はまだ彼女に気付いておらず、そのため棚の上まで登ることができた。そこから飛びかかることができる。

 一方のケランもその神に向かって駆けていた。手にした柄は既に作動しており、彼は速度を上げながら他の調査員たちに下がるよう合図した。攻撃しているのはふたりだけではなかった――探偵社には戦闘を事後の記録でしか理解しない分析係や捜査員がそれなりにいるが、はるかに多くの人員が一般から採用されており、元ギルド員や、揉め事に対する本能が研ぎ澄まされすぎているために家庭では平穏な生活を送れない者たちもいた。何人かは上着の中からナイフや剣を取り出していた。縮れた金髪の一房を揺らした女性は、明らかにイゼット製であろう装置から電気光線を発射してアンズラグを押し留め、戦闘に不慣れな捜査員たちをこの場の混乱から逃がしていた。

 少なくとも四人が倒れ、二人は石材の下に埋もれ、一人は神に叩き潰され、また一人は鉤爪でほぼ真二つにされた。ケイヤはカルドハイムの鬨の声をあげながら神へと飛びかかり、アンズラグは好奇心と混乱に鼻を震わせ、その音の方を向いた。

 ケイヤの攻撃は直撃し、星型の巻きひげの中央に短剣が深く食い込んだ。グルールの神は苦痛に吼えて後ずさり、首を激しく左右に振った。ケイヤは短剣の柄をしっかりと握りしめ、アングラズのほぼ隠れた小さな目の高さに身体を起こした。アンズラグは初めて彼女に集中したようで、混乱したような声を発した。その音はケイヤの鼓膜を痛めるほど大きかった。

 彼女の下方ではケランが戦いに加わっており、アンズラグの前足を切りつけて後退させた。ケイヤはまだ鼻からぶら下がっていた。両者ともまだ巨大モグラに重傷を負わせてはいなかったが、両者とも確かにその注意を引いていた。

 背後で別の咆哮があがった。獣のというよりは激怒の咆哮が。ケイヤが思い切って肩越しに振り返ると、捜査員の机と保管棚との間にエズリムが立っていた。彼は翼を大きく広げた乗騎にまたがり、開いた口はまぎれもなく挑戦を叫んでいた。アンズラグは再び咆哮して頭をのけぞらせ、短剣を握り締めたままのケイヤを吹き飛ばした。落下しながら彼女は叫んだが、床に激突する寸前に――あるいは床を突き抜ける寸前に――ケランが駆けつけて抱き止めると一瞬だけ驚きの声をあげた。

 アンズラグはふたりを無視し、エズリムに向かって歩き出した。神は頭を低くして鼻を鳴らし、血まみれの触手が鼻先で引きつるように動いた。エズリムは再び吠え、翼を広げて自らの縄張りへの侵入者を迎えた。ケイヤは床に下ろされると、そっとケランを肘で突いた。

「証拠カプセル」彼女はそう囁いた。

「はい?」

「証拠カプセルを持ってきて」ケイヤは小声で続けた。調査員の何人かはまだ攻撃を続けていたが、アンズラグの注意はほぼエズリムと彼が発する脅威だけに集中していた。「あの神がどうやって出たのかはわからないけれど、元に戻せるんでしょ?」

「そうです――僕たちが貼った拘束の印はまだあるはずです!」

 ケランは頷き、石材の塊を幾つか跳び越えると破壊された証拠ケージへと駆けた。ケイヤはアンズラグへと振り返り、グルールの神がゆっくりとエズリムに近づく様子を見つめた。

「社長さん」彼女は呼びかけた。「何か必要なものはある?」

「新しい天井が良いかな」エズリムは不機嫌そうに言うと、近づいてくるモグラへと金切り声をあげ、乗騎は威嚇するように翼を勢いよく開閉した。エズリムとその乗騎は厳密には別個の存在であると今やケイヤは知っていたが、強大なアルコンが戦いに身構える様を見ると、彼らを単一の存在であるとみなさないわけにはいかなかった。アンズラグも同じらしかった。神は鉤爪の生えた大きな獣にまたがったひとりの人物にではなく、巨体の捕食者に近づくように動いた。

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アート:Lucas Graciano

 物証カプセルを手にしたケランが駆けてきた。彼は用心深くアンズラグを見つめながらその脇を過ぎた。

「どう使えばいいの?」短剣を鞘に収め、カプセルを受け取りながらケイヤは尋ねた。

「もうアンズラグに向けて設定されています。ボタンを押すだけです」ケランの言葉に、ケイヤはカプセルを受け取って駆けた。「こっちよ!」

 ケイヤが近づくと、アンズラグは低いうなり声をあげて振り返った。ケイヤは息を吸って幽体化し、直後にアンズラグの前足が彼女の身体を通過した。鉤爪は何も傷つけることはなかった。神は何が起こったのかが理解できないようで当惑に立ちつくし、その隙にケイヤは幽体化を解くとボタンを押した。カプセルはこの場にそぐわない愉快な音を発して巨大な泡へと膨張し、アンズラグを中に閉じ込めた。

 辺りに静寂が降りた。壊れた机にもたれかかる負傷した捜査員の荒い息遣いと、壊れた天井の石材が時折落下する音だけがあった。

 ケイヤはカプセルを掲げてエズリムを見た。「これはどうすれば?」

 彼は翼を閉じ、辺りに顔を向けて尋ねた。「無事な者はいるか?」

「はい、社長」数人が手を挙げた。

「宜しい。君たちは全員グルールの宿営地に向かってくれたまえ。ヤラスを見つけてここに連れて来て欲しい。あの者が何か関与しているのはわかっている」

 ケイヤはそこまで確信は持てなかったが、エズリムに反論はせずにいた。振り返るとアグルス・コスがこの惨状の隅に立っており、彼女を手招きしているのが見えた。ケイヤはそこにいるようケランに合図すると、粉々になった机や落下した石材を幽体化して通り抜けながらアグルスのもとへと向かった。

「どうしたの?」

「どうも気にかかることがある。首筋がかゆい。嫌な感じだ、死ねばかゆみなどなくなると思っていたのだが。事件で物事がうまく噛み合わないときはいつもこうだ」

「何ひとつ噛み合わないわよね」

「きちんと理解しなければ」アグルスはかぶりを振った。「行くべき所がある。そうすれば、一度に多くの回答が得られるだろう」

「それはいいわね。ケランを呼んでくるわ」

「いや。揃って行く必要はない――私が行く。君がこの捜査の責任者であることはわかっているが、これは生者にとってはあまりに危険だ。オルゾフの指導者ですら死ぬ可能性がある。もう一体幽霊が増えるのは避けたい」彼がケイヤに向けた視線には、軽蔑よりも同情の方が強かった。「できるだけ早く戻ってくる。期限までには必ず」

「来るな、ってのは命令よね」

「そうだ」

「わかったわ。戻ってきたらまた会いましょう」

「感謝する」アグルス・コスは踵を返し、ケイヤと同じように瓦礫をまっすぐに突っ切ってその部屋を出ていった。


「ちょっとうんざりなんだけど。行き先も言ってくれないのについて行くのは」エトラータは滑らかな壁に身体を寄せながら、プロフトと共に角を曲がった。ふたりは街の奥深くを目指し、取り囲まれた通りを進んでいた。

「第6管区へ行くと言っただろう」その不満は全くもって理不尽だ、プロフトの口調はまるでそう言っているようだった。

「そう、第6管区へ。『へ』って言い方は、『の下へ』って意味では使われないでしょ! 全然違う言葉! ここはゴルガリの縄張りよ!」

 プロフトは嬉しそうな笑顔を向けた。まるで生徒がようやく理解に至った時の教師のような。「ああ、まさしくその通りだ。コロズダが地表に浮上した時、その下の区画の形も変化した。あの侵略以来ゴルガリ団はほとんど隠れているが、移動する前の地形を知っていれば今も進むべき道はわかる」

「あら、それは頼もしい言葉」

 ここの空気は温かく香気に満ちていたが、それはあのボイラーピットとはまた異なっていた。衛生的な堆肥の熟した豊かさ、キノコから漂う湿った土の香りがあった。成長しつつある世界を思わせる匂い。確かにそこには腐敗もあるが、生命もある。このふたつがなければ、ラヴニカのすべては間違いなく崩壊してしまうだろう。

「君は地底街のゴルガリの縄張りで過ごしたことはないのかね?」

 エトラータは渋い表情を向けた。「私は暗殺者であって葬儀屋じゃないのよ。目標が死んだら私はそれで終わり」

「それは残念だ。君は視野を広げることを考えるべきだな。地下には多くの美がある」プロフトは蜘蛛の巣のカーテンを押しのけ、これまでよりも狭く傾斜の緩いトンネルへと彼女を導いた。ふたりはもはや急坂を下ってはいなかった。歩みが楽になるのはちょっとした慈悲といえた。エトラータはぐらつく足元にまだ慣れてはいなかったが、プロフトはまるでこのギルドで生まれたかのように、湿った地下道を苦もなく悠然と進んでいった。この男性はまるで奇妙なものだけで構成されているようだったが、更にもうひとつの奇妙なものが積み上がった。それを自分が好むのかどうか、エトラータはまだ定かでなかった。

 とはいえ、この地下道に独りで取り残されるという考えの方は好みではなかった。下り坂の途中で何度も曲がっていたため、自力で地上に戻る道を見つけられるかどうか自信はなかった。そのためエトラータはプロフトに追いつこうと急いだ。

 そしてプロフトはエトラータへと下がるように合図しながら、地衣類の斑点や光る小さなキノコが点在する扉を拳で叩いた。返答はなかった。

 プロフトは何ら驚くことなく、腐敗した扉を開けた。その先には古のギルドの建物の廃墟が並ぶ広大な洞窟が広がっていた。炎はなかったが、発光性のキノコの巨大な群集が明かりを提供していた。

 その空間の中央にエルフの女性がひとり立っていた。彼女は革の重ね着の上に蜘蛛の巣を模したぼろ布をまとい、棘のある槍を手にしていた。顔面には蜘蛛の頭部が白い仮面のように描かれており、その線が黒い肌にはっきりと輝いていた。プロフトとエトラータを見つめる視線は、ふたりの存在に全く驚いていないようだった。

「私を冤罪で逮捕しに来たのかな、探偵さん?」彼女は口調の苦々しさを隠そうともせずに尋ねた。

「君が許可してくれなかったら、私はこうして君の前に立ってはいないだろう。アイゾーニ」プロフトは言った。「私たちが地下道に入った瞬間から君は知っていた。これまで私たちがゼガーナの死を調査してきたことも」

「テイサの方もね」アイゾーニは答えた。「ふたつが繋がってることに疑いの余地はない。そしてそいつらの糸を切ったのが私じゃないって信じる理由もそっちにはない」

「地下道とエトラータの独房で君の蜘蛛を見た。もし君がこの件に関係していたなら、もっと沢山の死者が出ていただろう。そして私が君と目を合わせることもなかっただろう。君ならもっと巧妙にやる」

 アイゾーニは眉をひそめたが、プロフトの気持ちは伝わったとエトラータにはわかった。ゴルガリの中でアイゾーニほどの地位に昇った者であれば、ある程度の矜持はあるものだ。「私を疑わないのは正解だよ」アイゾーニはついに認めた。「このごろゴルガリ団はずっと厳しく監視されてる。たとえ街のお偉いさんを殺したくても、今はやらないよ。そんなことをしたら私のとこの奴らが酷い目に遭うってわかってるうちはね」

「これを持ってきた」プロフトはエトラータの隠れ家で集めた粉末の小瓶を取り出した。「殺人犯たちは何らかの方法で支配され、何者かの命令に従うことを強いられていた――私はそう信じている」

 アイゾーニはプロフトへと近づいて小瓶を受け取り、それを振って内側に貼りついた粉を落とすと蓋を外し、少量を掌に叩きつけた。エトラータは身体を強張らせた。アイゾーニは無表情で身を屈め、粉の匂いを嗅いだ。

「免疫だよ」エトラータの心を読んだかのように彼女は言った。「毒物、薬物、天然か人工物か――そんなのは関係ない。私に害になるものは何もない」アイゾーニは粉末を慎重に小瓶へと戻し、そして近くにぶら下がる蜘蛛の巣を掴んで手を綺麗に拭いた。彼女はプロフトを見て言った。「これは自然のもの。少なくとも生物由来ってことだけは言える。これまでに見たことのある植物でも菌類でもないね。私はラヴニカに生えてるものなら何でも知ってるんだけど」

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アート:Anna Christenson

 彼女は周囲を見回し、廃墟に注目した。「けどラヴニカじゃないもののせいで、今ゴルガリ団は顔を隠さなきゃいけなくなってる」

「それは私も懸念している」プロフトが言った。「もし侵略者が戦術を変えているとしたら……」

「皆が信じたがってるような完全勝利じゃなかったのかもしれないね」

 プロフトはゆっくりと向きを変え、口元に手をあてて考えこんだ――そして廃墟の中に一瞬だけ動くものを目にとめた。手を下ろして一歩前へ踏み出すと、フードをかぶった人影がその中に潜んで自分たちの様子を見つめているとわかった。人影は立ち去ろうとした。

「止まれ!」プロフトは声をあげた。

 人影は駆け出し、プロフトは追いかけた。背後でエトラータが叫んでいた――待って、止まりなさい、どこへ行くのか教えなさい――だが耳を貸さなかった。彼は駆けた。追跡した。身体がそのやり方を知っていた。

 先に逃げ出したのは相手の方だったが、プロフトはその長い脚と大股で着実に距離を縮めていった。彼はその人物のマントを掴もうと手を伸ばしたが、世界のすべてを奪うほどの力で何かが側頭部に叩きつけられて倒れた。

 意識が去り、プロフトは倒れた。


 リックス・マーディは地底街にすら長い影を落としていた。アグルス・コスは生前、この場所を嫌っていた。死んだ今となっても、無理に訪れる必要がないことを心から願っていた。だが証拠は……

 沢山の証拠が、完全かつ一貫した全体像を作り上げることなくラクドスを示していた。雑すぎる虐殺少女の襲撃。ケイヤとケランへと自らのパルンをあまりにも熱心に指し示すジュディス。どれも理にかなっていなかった。

 調査に貢献するため、彼だけにできることがひとつあった。他の誰にもできない――リックス・マーディの壁を通り抜け、ラクドス教団の本部を通ってラクドス自身が棲まう大溶岩孔へと下りながら、彼はそれを自らに思い出させた。

 下へ下へと向かう彼を止める者も、見たと思しき者もいなかった。やがて溶岩の表面が放つ光が暗闇を切り裂いた。アグルスは孔の端に移動して見下ろした。幽霊となって呼吸の必要がないのはありがたかった。

 ラクドスは燃える溶岩の中心で身体を丸めて目を閉じていた。その様子は奇妙なほど穏やかに見えた。厚い塵の層がその身体を覆い、血のように赤い苔が斑点になっていた。ラクドスは長いことここで眠っているらしかった。

 つまりラクドスが犯人であるはずがない。

 アグルスは踵を返し、来た経路をそのまま戻ろうとしたが、どこからともなく流れてきた煙が彼の両手首と両足首に絡みついて拘束した。不意に焼け付くような痛みが彼を襲った。膝から崩れ落ちながらも、何が自分を襲ったのかと上を向こうとしたが、更に激しくなる痛みに彼は倒れた。

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アート:Domenico Cava

 そして赤い閃光とともに彼は消えた。水晶の頭蓋骨を手にしたジュディスが影の中から踏み出した。彼女はアグルスが先程までいた場所へと得意そうに笑いかけた。「あらあら」彼女は頭蓋骨を撫で回しながら言った。「私が本当に欲しいものを手に入れようとしているのに、それを全部台無しにしようとするなんて。いけない人ね」

 ジュディスは頭蓋骨を顔の高さまで持ち上げた。そしてその中、煙の鎖に縛られて叫ぶアグルス・コスの小さな姿を見た。彼女の顔に笑みが広がっていった。

「ラクドスが今眠っているのはそうしたいから。でも他のギルドが彼を夢のないまどろみに縛り付けるのは些細なこと。ラクドスの欲望が危険な領域に至ったって確信させるだけでいい」ジュディスは甘美な声で言った。「私たちのギルドには新たな指導者が必要なの……劇的な場面転換が。私は素人の犯罪追跡者さんたちの前に十分な証拠を投げてあげるだけでいい。そして終幕には私が舞台の中央に立つのよ。小さな幽霊さん、貴方は台本には登場しないわ。私がいろといった場所にいなさい」

 ジュディスは踵を返し、表向きには自身が仕えているデーモンを眠らせたまま溶岩孔から離れていった。


 プロフトはうめき声をあげながら意識を取り戻した。反射的に片手を挙げて側頭部を押さえ、血や大きな傷に触れなかったことに安堵した。身体を起こして目を開け、彼は凍り付いた。青白い部屋が周囲に広がっていた。どうにか立ち上がり、自らの心の邸宅を彼は見渡した。ありえない。驚き、畏怖、困惑に心が支配されそうだった。目覚めてもいなかったのに一体どうやってこれを……?

 彼は向きを変え、またも固まった。フード付きの長い外套をまとう人物が彼の引き出しのひとつを漁り、中の記録帳を調べていた。

 プロフトは咳払いをした。「すまない、客人を招いた覚えはないのだが。ここで何をしているのかね?」

「ああ、起きましたか。それとも夢の中で目覚めている類の状態でしょうか」その人物はまるで面白がっているように言った。その声は歪んでおり、何らかの方法で偽装されているのは明白だった。そして顔を上げずに続けた。「貴方に会うために来ました。この場所を自分の目で見たかったんです。貴方がここで作り上げてきたものはとても印象的だ」

「それはどうも」お世辞を受け、自慢したい衝動をプロフトはこらえた。「だが先程も言ったように、君を招待した覚えは残念ながらないのだ。ひょっとして君は私が追跡している殺人者なのか? ここに来たということは、君はとても大きなものをほのめかそうとしているのだろう」

「残念ですが、貴方がお探しの相手じゃありません」その人物は引き出しから一冊の記録帳を取り出して開いた。「立ち寄っただけなんです。ラヴニカは経由地であって目的地じゃない。けれど貴方の貢献は忘れられはしないでしょう。時が来たら何らかの形で報われるはずです」

 その男は記録帳を外套の中に押し込み、出発するかのように背を向けた。

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アート:Magali Villeneuve

 知的財産を目の前で盗まれてプロフトは抗議しようとしたが、目を開いた瞬間に心の邸宅が砕け散り、頬を突き刺すような熱い痛みに再び意識を取り戻した。もう一度彼は側頭部に触れ、広がりはじめた痣に顔をしかめた。

 両手で身体を起こして辺りを見渡すと、すぐにエトラータが見つかった。彼女は少し離れた場所に身を屈め、大きく目を見開いていた。消えかけた狼狽でその目はかすかに輝いていた。「起きなかったから叩いたのよ」彼女は言った。「あなたは走り始めて、そして私はこんな状態のあなたを見つけたの。もしかしたら何かが……人を殺させているのだとしたら……それが今あなたを襲ったのかもしれないって」

 彼はエトラータを、そしてアイゾーニを見た。「ここに他に誰かがいるのを見なかったか?」

「誰も」エトラータが言った。

 アイゾーニは首を横に振るだけだった。

「わかった」プロフトは立ち上がった。「行こう、エトラータ。上の街へ行く必要がある」

「どうしてそう思ったの?」

「無意識状態は驚くほど思考を整理させてくれる。アイゾーニ、本当にありがとう。心から感謝する。今日君がくれた助力によって、ゴルガリ団が本来の地位への復帰に一歩近づくことを願うよ」

「そうなるといいけどね。ま、願ってくれるのはありがたいよ」アイゾーニは背を向けながら言った。「探偵さんたちは太陽の光があたる世界へ帰りな。もうここにいる必要はないんだから」


「あの人、もう戻って来てるはずなんだけど」ケイヤは扉を睨みつけながら言った。

「生きている人にとっては危険すぎる、って言ってたんですよね?」ケランは心配するような表情をケイヤに向け、そして投影機にメモを入力し始めた。建物には石術師や技術者たちが瓦礫を片付ける音が鳴り響いていた。エズリムはヤラスを呼びに向かった者たちの帰還を待つ間、捜査員たちの死体の移動を手配していた。混乱の余波で既にふたつの集団が実質的に外に出ていたため、ケイヤとケランは当面そこに留まるようエズリムに指示されていた。

 ケイヤは落ち着かなかった。

「期限までには戻ってくるって言っていたのよ」

「まだ何時間もありますよ」ケランの声は陽気にすら聞こえた。

 だが正面扉が勢いよく開き、ボロス兵士の一隊を従えたオレリアが堂々と入ってくると、ケランの快活さは消えた。彼女は片付け中の人々の前を過ぎ、残骸を一瞥すらせずにエズリムの執務室へと向かっていった。

 ケランとケイヤは視線を交わした。「あれはきっとまずいですよ」ケランが言った。

「ええ、まずいわね」ケイヤも同感だった。「ここで待ってて」

 ケイヤは静かに個別執務室の壁へと向かい、建物をまっすぐに突っ切って進んだ。そしてエズリムの執務室の壁から踏み出すと、彼は顔を上げて眉をひそめた。

「ノックぐらいしたまえ」

「お客さんが来るわよ」ケイヤが言ったその時、オレリアが扉を叩いた。

「入りたまえ」エズリムは用心して言った。

 オレリアは扉を開けて中に足を踏み入れたが、ケイヤの姿を見てわずかに苛立ったように見えた。だがその明白かつ激しい怒りに比べたなら些細なことだった。

「アグルス・コスが行方不明です」オレリアはそう言い放った。「六の鐘には報告に来るはずでしたが現れませんでした。これは許しがたい侮辱です。待つのはもう終わりです。ボロス軍は出陣します。ラクドス教団は罪を償うでしょう」

 ケイヤは大きく一歩後ずさりし、壁を通り抜けて隣の執務室に入った。ボロスが戦争を起こすとなったら、ラヴニカのすべてが即座に続くだろう。彼女は扉に突進してそれを引き開けた。すると12、13歳ほどの若者がそこにいた。その冷淡な表情は、物心ついた頃からギルドに所属せずに路上で生きてきた者のようだった。

「ケイヤって人?」

「そうよ。あなたは?」

「デルニー。伝言を持ってきた」若者は一枚の紙を差し出した。

 ケイヤはそれを受け取り、急いで目を通した。 カルロフ大聖堂で会おう。一人で来てくれ。

「私の相棒に伝えて――」そう話しながらケイヤが顔を上げると、デルニーの姿は既になかった。

 ケランは理解してくれるだろう。よほど愚かでもなければ理解するはずだ。ラヴニカは戦争の瀬戸際にあり、細事に費やす時間は残されていない。それだけでなく、オルゾフの縄張りの中心地以上に自分にとって安全な場所はあるだろうか?


 オルゾフ組に得意なことがひとつあるとすれば、それは自分たちの埋葬だった。他のギルドよりも死亡率が高かったわけではないが――都市の記録によれば、オルゾフの正式な組員はほとんどの人々よりも長生きだ――誰かが亡くなったなら、葬儀を主催する責任者たちは万全の気遣いをもって執り行う。何せ当の同輩たちが現れて花を批評する可能性があるのだ。書面による指示は完全な正確さを期して従うべきであり、書面による指示がない場合には故人の最も親しい友人たちに相談する。幽霊がその結果に腹を立てたとしたら、それは入念な打ち合わせを怠った彼ら自身の責任だ。

 ケイヤの馬車は大聖堂の前で彼女を降ろした。その建物は蔓を絡めたヨルガオと陰鬱な黒のアイリスで飾られ、窓は白いベルベットの布地で覆われ、鏡は何枚も重ねた黒い喪章で隠されていた。辺りには静寂が響いていた。テイサの遺体は一週間の正式な拝観が予定されているが、それまでは最も親しい友人や家族だけが建物に入ることができ、テイサの霊とともに――それが現世に残ることを選んだと仮定して――少しの内密な時間を過ごすことが許されていた。

 ケイヤは不安と重苦しさを抱えて階段を上りながら、テイサは現世に残るはずだと何度も自身に言い聞かせた。テイサはきっと戻ってくる。テイサはきっと戻ってくる、そしてケイヤのポケットに入っているメモは見た目通りのものではないと伝えてくれるのだ――皆を裏切ったのではないと伝えてくれるのだ。

 彼女はそっと中に入り、参列者たちを注意深く避けて扉を通ると大身廊へと向かった。そこには会葬者と債務者のために席が設けられていた。特に債務者たちは実際の葬儀に参列し、テイサに返済を行うという自分たちの意向を正式に再確認することになっていた。

 席にはどことなく見覚えのあるふたりの人物だけがいた。ひとりは探偵社の長いコートを来た男性で、前方に座っていた。もうひとりは吸血鬼の女性で、今は自身のギルドの色をまとっていた。彼女は扉の近くに座って警戒しながら見つめていたが、ケイヤの姿を見ると警戒するように身体を緊張させた。

 プロフトが手を振った。「大丈夫だ、エトラータ。私たちが彼女を招待した。プレインズウォーカーさん、で宜しいかな?」

「私には名前があるわ」ケイヤはそう言い、プロフトの近くまで歩いて席に腰を下ろした。

「ああ。だがあまり面識がないのでおこがましいかと思ってね。私の捜査は進んでいる」

「どうして私を呼ぼうって思ったの?」

「社長が君を巻き込みたがっていたのを知っていた。そしてギルドマスター・カルロフの不運な死を耳にした。君は拒否できないだろうと思ったのだよ。テイサ殿については、私からも哀悼の意を申し上げる」

「ありがとう」その言葉は口の中で灰のように感じた。ケイヤはエトラータを一瞥した。「少なくとも、その人がどこへ行ったのかはやっとわかったわ」

「ああ、そうだ。私には彼女が必要だったし、アゾリウスは罪に関しては非常に心が狭くてね。殺人者たちは外部の力によって操られている。彼女には殺害の記憶がない。つまり……」

「その人にも責任はない」ケイヤが言った。プロフトに視線を向けられ、彼女は溜息をついた。「テイサの殺害犯は殺したことを覚えていないって主張してる。テイサに死んで欲しかったわけじゃないけれど、私は……単純な事件であって欲しかったのかもしれないわ」

「テイサ・カルロフは決して単純な女性ではなかった」

「ええ、絶対に違う。けれど私は長いことここにいなかったから、思いもよらなかった形でテイサが複雑なことになっていたんじゃないかって」

「どういう意味だね?」

 ケイヤは深呼吸をした。「テイサの遺体を見つけた時、そこに……一緒にあったものが。テイサの筆跡で書かれたメモだったけれど、テイサが使う言語じゃなかった。ファイレクシア語で書かれていたのよ」

「彼女が私たちを売ったのではと怖れているのかね?」

「欲望に負けて、ファイレクシア人にも借金を負わせられるかもなんて考えたんじゃないかって。けれどテイサを殺した犯人が心を操られて支配されていたとしたら……一体誰がギルドの指導者三人を死なせたいと思ったのか」

「三人?」一瞬の不安とともにプロフトは尋ねた。

「オレリアの殺害未遂事件よ」

「ああ」その不安は消え去った。「君の方でわかったことは?」

「ラクドスが犯人だとは思わないわ。ジュディスはそう思わせたがっているようだけど。私たちは――ケランと私は――ギルドパクトを読むためにヴィトゥ=ガジーへ行ったのよ。ジュディスが見るように言った箇所が何を意味しているのかはまだわからないし、それについて話し合う時間もまだなくて。街へ戻る途中に襲撃されたから」

「襲撃された? 誰にだね?」

「見覚えのないローブを着た集団に。尋問はできなかった。その人たちは敗北した途端何かの植物に飲み込まれて、身体が苔に変わって。そして風に散っていった」ケイヤは顔をしかめた。「その人たちのローブについていた毛皮以外に手がかりは何もなし。そして今アグルス・コスが行方不明になっていて、オレリアはラクドスとの戦争を始めようとしていて――」

 プロフトは何も言わなかった。ケイヤは彼へと顔を向けた。探偵は無表情で虚空を見つめていた――いや、そこには端から忍び寄るような満足感があった。まるで、たった今予期せぬ素晴らしい贈り物を手渡されて、それを味わおうとしている男のような。

「探偵さん? 大丈夫?」

 プロフトは立ち上がった。彼の合図に慣れていたエトラータは合流するために移動してきた。

「この事件の犯人がわかった」プロフトは言った。「このすべての犯人が。私はそれを証明できる。だが君に頼みたいことがある。まずエトラータの居場所については秘密にしておいて欲しい。そして説明のために、ちょっとした集会を手配して欲しい……」

 ケイヤは彼を見つめた。

 エトラータは肩をすくめて言った。

「そのうち慣れるよ」


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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Murders at Karlov Manor

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