MAGIC STORY

カルロフ邸殺人事件

EPISODE 06

第6話 天才炸裂

Seanan McGuire
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2024年1月12日

 

「具体的にはどこに向かうつもり?」

「もうすぐわかるとも」

「ふうん……」エトラータは顎をトントンと叩き、プロフトの腕をひっつかんだ。そして彼がそれに反応するよりも早く近くの路地へと引き込み、相手の身体を回転させるとその背中を壁に押し付けた。エトラータがのしかかるように迫ってきたため、プロフトはきょとんとした。彼女は自分より背が低い。のしかかれないはずなのだが、だがしかしそれを成し遂げている。

「だめ」と彼女は平坦かつ冷静な口調で伝えた。「今すぐはっきりさせるか、これ以上進めないかよ。あなたの殺害を一度は阻止できた。でも下手人が知り合いじゃなければ、あなたにとってはいい結果にならなかったかもしれない。だから、どこへ行くのか、あるいは行かないのかを教えて」

 プロフトは眉を吊り上げた。彼女はひるまなかった。張り詰めた沈黙が長く続いたのち、彼はため息をついて大通りのほうをちらりと見た。どうやら自分たちのちょっとした口論が不必要な注目を集めていないかどうかを確認したらしい。

 誰もいないことを確認してから、彼はエトラータに向きなおった。「まずは放してくれないか」

 彼女はしぶしぶと彼の腕を放した。プロフトは首を横に振りながら、掴まれていた場所をさすった。

「このような暴力はディミーア家の議論の場ではよくあるのかね?」彼は尋ねた。「少々……率直すぎると思うが」

「話が通じない相手だけよ。どこに向かうの?」

「君の部屋で見つけた粉末だが、私がこれまでに遭遇したことのないものだ。我々にとって不利な動きをしない、信頼できる人物に分析してもらう必要がある」

「あなたの友人に会いに行くって言ってたわよね。白昼堂々と大通りを歩くわけにはいかないわよ。私は逃亡者なんだから」

「ああ、それに私もどうやら狙われているらしい。そう言いたいのだろう?」エトラータの表情の何かが、プロフトは危険な状態にあると伝えたに違いない。そのため彼は続けた。「カイロックスは……神経質な人物でね。スパイ行為や特許侵害といった幾つかの厄介事を経験してから、彼はごまかしや詐欺の臭いがするものに対してひどく敏感になってしまった。彼に対しては、公然と近づくよりも裏道や隠し通路から侵入しようとする方がかえって発見されて妨害される可能性が高いのだよ」

 エトラータは半ば驚き、半ば呆れた。「今まで聞いた中でも一番馬鹿みたいな話ね」

「あの男が天才だというのは本当だ、偏執的というだけで。彼の荒唐無稽に思える主張がすべて真実だと最終的に証明された後ならば、偏執とは呼べなくなるのかもしれないが。それはともかく、他の道筋は私たちに深刻な被害をもたらす可能性があるわけだ」

「それでも他の誰かじゃなくてその人のところに向かう、というのはどうして……?」

「君の逃亡に私が関与していることを明らかにしないまま探偵社に向かうわけにはいかない。私の行く先に暗殺者を送り込んだのが誰なのかが判明するまでは各ギルドにも行けない。カイロックスは私が無条件に信頼する人物のひとりだ。自分が表沙汰になることを怖れているので、十分に用心しろという私たちの要求を理解できる。そして必要以上の質問はしてこない。この街にこれ以上の選択肢は無いと断言しよう」

 エトラータは眉をひそめた。「だとしても、こんなに堂々と接近することがいいとは思えないけど」

「もう少しだけさ」

「もっと先に言っておいてよね。それと種明かしをする時に賢く見せたいからって話をため込まないでよね」

 プロフトはほんの少しだけ微笑んだ。「検討させていただこう」

 二人は路地から大通りへと戻った。とある角でプロフトは曲がり、その先でまた曲がり、二軒の店の間にある狭い小道を通っていった。エトラータも後に続いた。小道は枝分かれし、プロフトは更に狭い脇道を進んだ。両側の店が扉を同時に開けたら塞がってしまうほどに狭い。

 その先は何もない壁があるだけの行き止まりだった。プロフトは隠れ家でのエトラータを真似するかのように壁に触れ、それから店先を三軒ほど後戻りし、経理事務所であることを示す小さな銘板がついた扉の前にたどり着いた。彼は拳で扉をノックし、下がって待った。何も変化がないまま数秒が過ぎた後、彼はいぶかしみながら再びノックした。

 今度はもっと長く待ってみた。プロフトが再び扉へ近づくと、エトラータは手を上げて彼を止めた。

「あなたより私のほうが丈夫よね」彼女はドアノブに触ろうとしながら説明した。「これが電撃や毒を与えるような仕組みだとしても、私は多分大丈夫。あなたはそうじゃない」

「正しい理屈だ、とはいえ家主は私がとりわけ気にかける相手で――おや」エトラータが握ったドアノブは簡単にひねられ、手を放すと静かに内側へと開いていった。「これは珍しいな。あの男が扉の鍵を開けたまますることなどないはずだが」

「素敵じゃない」とエトラータは言った。「つまり私たちは罠にはまりに行こうとしてるってこと?」

「そうでないことを願うよ」とプロフトは言った。彼はエトラータを押しのけ、その先の暗闇へと足を踏み入れた。

 エトラータはため息をついて後に続いた。

 二人が中に入るとすぐに、部屋の端にある連結管の束が点灯し、中に収められていた稲妻の精霊が管を駆け巡り、震え明滅する光であたりを照らした。格納端末のひとつが破損しており、おそらくそれがちらつきの原因なのだろう。理想的な状態であれば、エレメンタルは作業に適した安定した光を灯したはずだ。光はそれでも小さな作業場を露わにするに十分だった。それはひとりの発明家が個人的に使用するために備え付けていたような使いやすく小さくまとまった場所であり――破壊されていた。

 まるで何かの集団が暴れ回り、目につくものすべてを破壊していったかのようだった。紙切れや破られた設計図が床に散らばっていた。作動している管は明らかに予備の機構だ。壁の下にあった大きな管は破壊され、ガラスの破片混じりの残骸と化していた。

 プロフトは無言のまま部屋の中央へと移動した。足元のガラスが砕ける音とエトラータの失望的な小さな驚き声は、どちらも沈黙に飲み込まれた。プロフトは立ち止まって周囲をもう一度見まわした後、両手の人差し指を合わせて顎に押し当て、明らかに集中した様子でうつむいた。

 細く青い線が彼の足元から周囲に広がり、壁を這いあがり、天井を横切って部屋を駆け巡った。それらはそこかしこで繋がり、細かく絡み合う精巧な網目を組み上げた。空間は青白く光り、プロフトを中心に部屋全体が魔法の光で包まれた。

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アート:Daarken

「ううむ」その手を下げながら彼は言った。「こんなところか」

 光は脈動し、作業場はもはや破壊されていなかった。それは完全に元通りで、イゼットの作業場が常にそうであるように散らかってはいたが、ここで深夜の考案活動よりも過激なことが起こった兆候はなかった。光は安定し、格納機構が復旧するにつれてちらつきも消えていった。ゆっくりと、プロフトは部屋の外周を歩き回り始め、ときおり光で縁取られた紙の束をぺらぺらとめくったり、鉛筆をいじったりした――実際にはもうそこにはないということはエトラータもわかっていたが。やがて彼はとある壁の前で立ち止まり、睨みつけ、そして床を確認した。

「エトラータ君、もしよければ手伝ってもらいたいのだが」彼が指を鳴らすと周囲の光は砕け散り、代わりに実在する作業場の残骸が現れた。エトラータは部屋をさっと横切り、彼の隣まで向かった。

 彼女がその場に着いたとき、彼は床を見ていた。もっと具体的に言えば、床の大部分を覆っている倒れた本棚を見ていた。「どうしろって?」とエトラータは尋ねた。

「これを動かしたいのだがね」

「で、私にそれができるって思ったと」

「そうだ」

 単純な返答だが、そこには確信があった。エトラータは自身が同意していると気付くよりも早く、屈みこんでその本棚を移動させようとしていた。それは良質で丈夫な硬材で作られており、明らかに作業場の過酷な扱いに耐えられるよう設計されていた。彼女がそれを床から持ち上げると、本や小箱が棚から彼女の足元へと転げ落ちた。

 本棚を動かすと、その下にほとんど隠れていたしわくちゃの敷物が現れた。プロフトは満足そうに頷き、屈みこんだ。

「ここは普通、『ありがとう』って言うところよ」

 プロフトは彼女を無視して、敷物の端をめくって床を露わにした……全く何の変哲もない床を。

「君の隠れ家の扉はイゼット製だったな」彼は再び立ち上がり、本棚を元の位置に戻しながらそう呼びかけた。「もしよければ、同じ手段をここでも試してほしい」

 エトラータは怪訝そうな顔で彼を見たが、膝をついて床を指で叩き始めた。最初の数回はしっかりとした音だった。その次の場所は空洞のような音がした。彼女は再び顔を上げた。

「イゼットの発明家ほどの隠れ家を作れるものは他にいないが、彼らは一度機能する仕組みを手にすると、他の誰かがもっと優れたものを考案するまで使い続ける傾向があるのだよ」とプロフトは言い、一歩下がってエトラータのために場所をあけた。「最後にいた共同研究室で、カイロックスはずいぶんとスパイについて怒っていたものだ。それがずっと面白くてね。あの男も同じぐらいの大泥棒だというのに」

 かちりという大きな音と共に、床の四角い部分が何センチか下がった。エトラータは呆れた表情で床をたたき続けた。「あのねえ。作業してる時に自分より賢いつもりの輩が隣で喋ってるのがいい気分なわけないでしょ」

「どうだろうな」とプロフトが言うと、床は再び、今度はずっと深くまで下がって、落とし戸が出現した。彼は踏み出し、エトラータに手を差し出して立ち上がらせた。「今までそんなことはなかったのでね。では降りてみようか?」


 落とし戸の先には梯子があり、その梯子を下るとボイラーピットへと続き、離れた場所では絡み合った配管と露出した蒸気口を火明りが照らしていた。空気は熱く、重く、そしてきわめて香気に満ちていた。

 プロフトは満足そうに息を吸い、そしてせき込んだ。「呼吸は浅めに」と彼は助言した。「これは下水道ではないが、どうあれ廃棄物は依然として溜まっているようだ」

「ここには前に来たことがあるわ」とエトラータは言った。「どこに向かえばいいの?」

「カイロックスは可能な限りイゼットの縄張りから離れようとはしない」プロフトは説明し始めた。「この配管は二方向に走っている。向こうに行けば縄張りから離れ、こちらに行けば縄張りの奥に入る」彼は縄張り方面へ向かって歩き始めた。エトラータもすぐさま続いた。

 10フィートほど進んだところで、エトラータがプロフトの肩を掴んだ。プロフトは立ち止まって振り返った。彼女は身振りで下を示し、彼は地面をちらりと見た。

「ああ、仕掛け線の罠があるな。分かっているとも」と彼は言った。

「あからさますぎよ。多分――」

「すぐ先に感圧板がある。想定済みだ」

 エトラータは両手を上げた。「なんであなたを死なせないためにわたしが頑張らなきゃならないの? 全然そんな必要ないじゃない」

「確かにない。だが君の優しさには感謝しているよ」プロフトは向きを変え、配管を調べ、やがて配列の乱れを見つけ出した。「こっちだ。すぐに家主が見つかるだろう」

 ふたりはプロフトが見つけた隙間を通り抜け、その先の曲がり角をいくつも辿り、大部屋に通じる道へと進んだ。そこには、間に合わせの製図机で腰をかがめながら精力的に何かを書き込んでいる赤い鱗のヴィーアシーノがいた。顔の鱗は机の端に置かれたランタンの青白い光を反射していた。

「やあ、カイロックス」プロフトが話しかけた。「前より調子がよさそうじゃないか」

 カイロックスは顔をサッと上げ、拡大鏡の奥で目を見開いた。「アルキスト!」ペンを取り落としながら彼は叫んだ。

 よく見てみると、彼が工房の破壊から無傷で逃れたわけではないことは明らかだった。いくつかの鱗は欠け、その衣服は破れて乱れ、頭上の短い棘は後ろに撫でつけられてハリネズミのそれのように見えた。

「どうやって……?」カイロックスは尋ねかけて言葉を切った。「聞く意味はないな。僕が来客を望もうと拒もうと君は『会う必要があったのでね』とか意味のない回答をするんだから。何をしに来た?」

「分析してほしい物質を見つけたものでね」プロフトは、まるでここが科学についての話し合いをするのが当たり前の場所かのような落ち着きで話しかけた。

 カイロックスは同意しなかったようだ。彼はプロフトに向けて口を大きく開いた。「出て行ってくれ」

「何だって?」

「出て行ってくれ。どれだけ君の世話になっていても、今はやらない」彼はふたりが通ってきた通路へと不安そうな視線を向けた。「尾けられてないだろうな?」

「それはない」確信をもってエトラータが答えた。

「どうやってここまで来た?」

「君の作業場の扉からだよ」とプロフトは言った。「本当だ、カイロックス。もし君が単に――」

「どうやって開けたんだ? どうして――いや、どうでもいいか」カイロックスは立ち上がって机から書類の束をかき集め、尻尾を振りながら並んだ管の下に置かれた小さな棚へと向かうとそこに書類を詰め込んだ。「プロフト、ここには設備が無くて君の要望には応えられない。帰ってくれ。安全を確保したら連絡する」

「何があったのか教えてくれれば、手助けできるかもしれないが」

「どうしようもないんだ」書類を積み上げ、周囲を見回しながらカイロックスは言った。立ち姿、動作、声色、その発明家の様子すべてが不安を放っていた。「仕事をしていた――秘密の仕事を。誰にも知られてはいけないんだ」

「どういうことかね?」プロフトは尋ねた。

 カイロックスは急に向き直り、激しく身振りをした。頭部の棘が興奮で逆立った。「いや、駄目だ! 君じゃない! 君には言えない! エズリムになら言ってもいい。他は駄目だ。誰にも見られずにあの人に会わせてもらえるか? これは君の力が及ぶところかい、名探偵君?」

 その言葉の使い方からして、それは称賛ではなかった。カイロックスはその肩書を痛烈な侮辱として用いた。エトラータはプロフトの顔色をちらりと伺い、その男がどう受け止めるかを見ようとした。

 プロフトの表情は変わらなかった。それは彼らがいる場所に急いで向かってくる足音が地下道に響き渡ったときも同様だった。カイロックスの目が見開かれた。

「奴らが来る」とカイロックスはうめいた。それから、とても小さな声で指示した。「僕だけにしてくれ。隠れろ!」

 それを聞いてプロフトは動いた。エトラータの腕を掴んで部屋を横切り、不自然なほどに密集した配管の影に彼女を引っ張り込んだ。彼は手を放して今度は格子の一部を掴み、自分のほうへと引き下げた。格子が勢いよく外側に開くとプロフトはその中に飛び込み、エトラータもすぐ後に続いた。

 格子を閉めると偽装された配管壁はほとんど見分けがつかなくなった。ほんのわずかな隙間から、部屋の様子が見える。別の隠し通路からゴブリンの集団がなだれ込み、怯えて逃げようとするカイロックスを取り囲んでいくのをふたりは黙って見ていた。プロフトは身体を強張らせた。ゴブリンたちは細いミジウムの鎖を取り出してカイロックスを縛り上げたが、カイロックスは何も言わず、連行されることに同意するだけだった。

 プロフトは狭い隠れ場所の壁に寄り掛かった。エトラータはその襲撃から目を離さなかった。片隅で何かが動いてプロフトの注意を引き、彼がそこに視線を向けると、一匹の蜘蛛が壁を這い降りて影の中へと消えていった。

 彼が振り返ると、ゴブリンたちの姿はもはやなかった。カイロックスもまた。プロフトは顔をしかめ、身振りでエトラータに再び格子を開くように伝えた。

 ふたりは今や捨て置かれた大部屋へと戻った。

「友達が捕まっても、こんなふうにいつも見て見ぬふりをしてるわけ?」エトラータは咎めるような口調だった。

「カイロックスは色んな意味で周到な男でね」周囲を見渡しながら、プロフトは答えた。「我々でどうにかなると判断したなら、隠れろとは言わなかっただろう。多勢に無勢だった。君の実力は知らなかっただろうが……ともあれ彼が大人しくついていったことで我々は彼を追跡できるし、上手くいけば救出できるだろう。来てくれ」彼は部屋を大股で横切り、ゴブリンたちがやってきた入口へと向かった。

 その途中で、彼はカイロックスが書類を詰め込んでいた棚のそばでわずかに立ち止まった。それは棚にあった飾り気のない小さな木箱を掴んで懐に仕舞い込むには十分な時間だった。エトラータは眉をひそめた。プロフトはそのまま進み始め、結局彼女もついていくしかなかった。


 ラヴニカの賑やかな街路へと戻ってきたことは、ヴィトゥ=ガジー周辺の原野を訪れる前に考えていたよりもずっと大きな安堵感をケイヤに与えた。ラヴニカとは、たとえそれが終わりを迎える時であっても、喧噪と人波が絶えることなく続き、終わりのない生命があり続ける場所のはずだ。開けた空間や緑地はここではなく、カルドハイムやドミナリアにこそふさわしい。自分の帰る場所となった次元にではなく。

 彼女はこの群衆を理解していた。色々な物事を経て今なお、この人波を理解していた。それぞれがどう移動するか、どこからどこへと急いで向かっているのかを理解していた……何かがその日常を乱していると理解していた。背後の人波は正しい方向へと向かっていなかった。ケイヤはケランの腕に手を添え、一番近い裏路地へと案内した。

 ケランがケイヤのほうへと振り向きそうになったので、彼女は前を向いたまま腕を握りしめた。

「何も言わないで」彼女は楽しそうに言った。「尾けられてるわ」

 ケランは瞬きをし、導かれるままに人混みから離れた。さらに別の路地に入り、ふたりは振り返って待った。

 待機は短時間で済んだ。長く暗い色の外衣を纏った6人組がふたりの後を歩いていたが、偶然そこにたどり着いたとは思えない素早さで散開するとふたりを取り囲んだ。そのうちのひとりは重そうな鎚を手にしていた。ケイヤは顔をしかめた。

「何か用?」ケイヤは尋ねた。「奇襲? それとも睨めっこでもしたいの?」

 一番近くの人物が突進してきた。もう5人も加わって全員が攻撃してきたが、ケイヤは身を翻して避け続けた。

 一斉に襲ってくるわけでもなく、集団戦でよく用いられるような一対一の繰り返しでもなかった。3人はケイヤを狙い、もう3人はケランへと駆けた。ケイヤが部分的に幽体化すると、最初の攻撃者は彼女を突き抜け、その勢いで近くの壁へと突進した。そしてそのまま激突し、むかつくような粉砕音が響いた。

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アート:Durion

 ケイヤは、楽な相手として自分を選んだ残りの襲撃者たちに集中し、重心を後ろ足に移して迎え撃つことにした。襲撃者はどちらも彼女より大柄だったので、この戦いでは素早さがケイヤの最大の武器となった。素早さ、そして幽体化能力。裏通りでの単純な乱闘というわかりやすい窮地は、むしろ気持ちがいいぐらいだった。彼女はくるくると舞うように襲撃者を誘い込み、近づきすぎたものを攻撃した。戦いが本格的に始まるまでもなく、一人目が倒れた。

 鎚を振るう襲撃者の襟首に一撃を食らわせて倒すと、ケイヤはケランの状況を確認した。ケランも彼女と同様、あとひとりまで敵を減らしていた。残りのふたりはうつぶせになって地面に倒れていた。ケランは抜き放った剣で、凶悪そうな二本のナイフを構えた襲撃者と刃を合わせていた。ケイヤは残る相手の膝を、続いて股間に蹴りを入れた。その男は壊れた梯子のように身体を折り、彼女は十分な威力を込めてその頭を蹴りつけるとケランの加勢に向かった。だが彼女は慌てて立ち止まり、見つめた。

 ケランが襲撃者のナイフに刃を引っ掛けて熟練の技で武器をはじくと、相手の男は何か武器として使えないかとあたりを力なく回した。その武器が見つかるよりも早く、ケランは肩から相手胸へと体当たりをして突き飛ばした。

 ケイヤはまだ少なくとも意識のある男に近づき、片手で男の喉を掴み、もう片方の手で短剣を回転させつつ相手の片腕をその背中の後ろへ回させ、壁に押し付けた。「お疲れさま。私たちを餌食にするつもりだったみたいだけど、どうして襲ってきたのか教えてもらえる?」

 男は自由な腕を素早く動かした。もし別のナイフを持っていたらケイヤに重傷を負わせられたかもしれない。その代わりに、男は小さな緑色の芽のようなものを自身の口に押し込み、その目に勝利の確信を輝かせながら飲み込んだ。

「それは何?」ケイヤは詰問した。

「僕もわかりません、ですが倒れてる人たちも同じものを飲み込んでいます」とケランが報告した。

 目の前の男の肉体が次第に柔らかくなり、緑色を帯び、自身の手の下で苔へと変化していった。ケイヤはただ見ていることしかできなかった。そしてその男は溶けて消えた。苔は路地に散り、空になったローブが地面に落ちた。ケイヤは言葉にならない嫌悪のうめきを上げながら飛びのき、指から男の残骸を振り払った。それらは貼りつかず、皮膚に同様の変化を起こす兆候もなかった。

 ケランは吐きそうになっていた。ケイヤは彼へと振り向いた。他の襲撃者も全員、同様に苔となって散乱していた。ケランは膝に手を当てて前かがみになり、動きを止めた。

「ケイヤさん、来てもらえますか」

「どうしたの?」

「見てほしいものが」

 苔を踏まないように注意しながら、ケイヤはケランの隣に移動した。彼は締め具の一つを引き抜き、屈みこんでその先端で襲撃者の外衣をこそぐ。「これです」

 先端が灰色がかった白い毛の束がその布地に貼りついていた。ケイヤは背筋を伸ばし、彼を見つめた。ケランも見つめ返し、ごく小さく頷いた。

 ふたりはそのまま視線を合わせていたが、その時探偵社の飛行機械が路地へと突入してきた。飛行機械はふたりの間の宙で静止し、その後、執務室から厳しい目線を送るエズリムの映像通話を投影し始めた。

「君たちがたった今起こした騒動は既に気付かれている」映像は言った。「ボロスの士官たちがそちらに向かっている。現場を保存して本社に帰還したまえ」

「了解です、社長」ケランは反射的にそう言った。彼が懐から重みのある楕円形の何かを一対取り出すと、飛行機械は勢いよく飛び去った。ケランは手元のそれを路地の入口の両側に貼りつけ、ケイヤに路地から出るよう身振りで示した。彼が手を放すとすぐに、純粋な光の帯が両壁の間に伸びた。

「探偵社の障壁護法です」とケランは言った。「捜査員は通れますが、それ以外は通しません。行きましょう」

 ふたりは街路を進み、群衆の間を素早く、さらなる揉め事に遭うこともなく移動した。

 探偵社本部前の通りに人影は無く、うわさ話に興じていた捜査員の群れは消え去っていた。乗騎を下りてから建物に入るまで、ケイヤはケランの後についていた。正式にここに所属している調査員を先に歩かせる方がいい。

 幽霊のアグルス・コスが玄関で待っていた。「社長が会いたがっている」ふたりが探偵社に入ると、彼はそう言った。「緊急だそうだ。ケイヤ、君にもだ」彼はケイヤに頷きながら、その淡く半透明な顔に同情の表情を浮かべた。

 エズリムから用事がある、ケイヤにとってはそれだけで十分だった。ケランとアグルス・コスを引き連れて彼女は廊下を急いだ。エズリムの執務室にたどり着くと、その扉は閉まっていた。ノックするのも面倒とばかりに、ケイヤはただまっすぐ扉を突き抜けた。

 エズリムは机の背後にいた。ケイヤの出現に彼は顔を上げたが、驚いてはいないようだった。「迅速な帰還に感謝する。とはいえ、扉を設置しているのには理由があるのだがね」

 扉をノックする音がした。エズリムはそちらをちらりと見た。

「作法をわきまえている者もいるようだ。入りたまえ!」

 ケランが部屋へと静かに入り、アグルス・コスもそれにすぐ続いた。「僕たちをお呼びでしたか」

「うむ」エズリムはケイヤに注意を戻した。「テイサを殺した犯人がアゾリウスに逮捕された」

 ケイヤは脚の力が急に抜けるのを感じた。彼女は本棚の端を掴んで体を起こした。「えっ?」

「下級の殺し屋で、ギルドには所属していない」とエズリムは続けた。「その男は何が起こったのか分からないと断言している。ある時点でその男は第8管区を歩いていた。だが次の瞬間にはテイサの血にまみれてカルロフ邸に居た。男はそこから逃げ去ったが、目撃者がいてアゾリウスに通報した。評議会はその男を拘束している」

 ケイヤとケランがエズリムを見つめていたとき、執務室の扉が勢いよく開いてオレリアが現れた。彼女はラクドスの色をまとって暴れる女性の髪を掴んで引きずってきた。女性は両手を固定されて後ろ手に縛られていたが、逃げようと抵抗し続けていた。オレリアは憤慨して翼を広げ、半ば床へと投げつけるようにその女性を突き出した。

「この者が私を殺害しようとしました」オレリアは厳粛かつ冷徹に述べた。「私が制するまでに、10人の兵が殺されました」

「ズルすぎだよ」その女性は噛みつくように言葉を投げつけた。「地面のうえで戦ってるのに翼を使うなんてさ。野暮だし意地悪だし反則」

 怒りに駆られるオレリアは彼女を無視した。「これは虐殺少女と呼ばれる者です。彼女の存在が、この無分別な虐殺の背後にラクドス教団がいることを証明しています。もっと早くに気づくべきでした。私はこれより軍を招集し――」

 復興が始まったばかりの街でボロス軍が他のギルドと戦争を始めてしまったら、すべてが崩壊してしまうだろう。ディミーアの姿は消え、ゴルガリは自ら退去した。ラヴニカがさらにギルドを失うわけにはいかない。

 ここはもう、自分が帰ってくる場所ではないのかもしれない。けれどそれは、戦火のラヴニカを見たいという意味ではない。

「待って」ケイヤは必死に声をかけた。

「聞いた方がいいよ、鳥女さん」と虐殺少女が嘲笑した。

 ケイヤは蹴り飛ばしたくなる衝動をこらえた。

「彼ら調査員はラクドス教団のジュディスを訪問し、報告のために戻ってきたところだ」とエズリムが言った。

「調査員?」オレリアは訝し気にケイヤを見て、その困惑が怒りを一時的に薄めた。

「この事件に関して」ケイヤは話し始めた。「私は皆より中立の立場にあるわ。虐殺少女、何が起こるか分かっているのに、どうしてボロスの戦導者を攻撃したの?」

「知らないよ」と虐殺少女は答えた。「コイツが私の足を払って胸を踏みつけてくるまでのことなんて覚えてない。代金だって貰ってないのにさ」

 ケイヤはオレリアへと向きなおった。「聞いた通りよ。これは他の事件と関連している可能性がある。どちらの事件でも襲撃者はその行動を覚えていなかったし、事件後に上手く逃れる方法も知らなかった。オレリア、私たちはジュディスと話をしてきたけれど、犯行に関与している様子ではなかった。むしろ助力してくれたの。彼女は私たちに手掛かりをくれて、今はそれを調査中。他のギルドを公然と告発する前によく考える時間を設けて欲しいのよ、どうか」

「自分が同じ損失を受けたとしても、そのように忍耐を強要できますか」

「あなたが冷静に考えていれば、ケイヤと同じ提案をしたはずだ」アグルス・コスが割り込んだ。「彼女の意見を呑もう。妥当な内容だ」

 オレリアはアグルスへと顔をしかめた。「貴方が私に指示をするのですか?」

「私を監督官として送り込んだのはあなただ。私はそれを実行しているだけだ」彼は落ち着き払った様子で彼女を見つめた。「彼らには時間が必要だ」

 オレリアは顔をしかめたまま翼を畳んだ。「24時間です。それ以上は待ちません。この暗殺者は私たちが預かります」と彼女は言った。「また囚人が逃げ出しては首が飛ぶ者が出るでしょうからね」

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アート:Justyna Dura

「それで充分よ」明らかに安堵してケイヤは言った。

 オレリアは囚人を連れ、自らの矜持をまとって立ち去った。その姿が見えなくなるや否や、ケイヤはがっくりと崩れ落ちた。ケランは支えようと手を伸ばした。

「大丈夫」ケイヤはその手助けを辞退しつつ言った。「だけど……殺した人物がいるということは、これは計略なんかじゃなかったってことよね。テイサは本当に死んだってこと」

 救えなかった相手がまたひとり、もう会えない友がまたひとり――これまでと同じようには。テイサの幽霊は戻ってくるかもしれないが、それで痛みがなくなるわけではない。ケイヤは片手で顔をこすった。自分にとって大切な相手になるのは危険なこと、そのように感じはじめていた。

「あと24時間」手を下ろしながら彼女は言った。「仕事に取り掛かりましょう」


 カイロックスを捕えたゴブリンたちは、誰かに見られているということには明らかに気づいていなかった。ボイラーピットを通過して地上の路地へと続く梯子に向かうときも、自分たちの足跡を隠すそぶりすら無かった。プロフトとエトラータは見つからないように十分離れた位置で留まり、その後を追って夕暮れの空の下へと抜け出た。

 誘拐犯たちはのたうち回る捕虜を隠そうともしていなかったが、誰もそれに注目したり、立ち止まって何をしているのかと尋ねたりはしなかった。プロフトとエトラータは、ゴブリンたちがカイロックスをいかにも怪しげな質屋に運んでいくまでの間、それを妨害することなく後をつけた。ふたりは視線を交わしてその店へと急ぎ、中には入らずに立ち止まった。

 プロフトは上着の懐から小さなラッパのようなものを取り出し、一方の端を耳に、もう一方を窓ガラスに押し付けた。エトラータは彼に質問しようとした。彼は手を振ってそれを拒み、唇に指を一本当てて静かにするようにと合図した。

 中から覚えのある、かすかに鼻にかかったクレンコの声が間違いなくはっきりと聞こえた。「お前は何を知ってるんだ?」

「何も知らない!」カイロックスは答えた。「僕は何も――君が僕のことをどう考えているのかは知らないが――」

「あの連続殺人事件だよ。何を知ってる?」クレンコは鼻を鳴らした。「俺もやばいってのはよくわかってるんだ。知ってることを全部教えてくれるよな」

 プロフトはラッパを下ろした。「脅迫されているようだ」彼はエトラータを見ながら言った。「あの護衛たちを相手取れるかね?」

 エトラータは少々気分を害したようだった。「私はプロよ」

「素晴らしい」プロフトはそう言ってドアを蹴り開けた。

 エトラータは流れる影のように部屋へ突入し、プロフトは歩いてその後ろに続いた。

「それで充分だろう」エトラータがゴブリンの護衛の一人目を武装解除した段階で、彼は落ち着いた様子で言った。クレンコは驚いてわめき散らし、さらに二人の部下がクレンコを守ろうと動いた。だが同じように無力化される様子を彼はただ見つめるだけだった。ディミーアの暗殺者は優雅で落ち着いた動きを見せ、瞬く間に6人の護衛すべては床に伏して動かなくなった。

 エトラータはカイロックスを解放しようと動き、プロフトはクレンコに注目した。「何をしているのかね?」

「俺はその――偉い奴ばっかり殺されてるだろ!」クレンコは叫んだ。「俺も偉い奴だ! 次は俺かもしれないだろ! こいつは」――彼はカイロックスを示した――「偉い奴のために仕事をしてるって言ってるが、俺のためじゃない! てことは何か知ってるんだ! 教えてくれるよな!?」

「言ったじゃないか」カイロックスは立ち上がり、手首をさすりながら言った。「僕は何も知らないって。アルキスト、助かったよ。僕がどうして欲しいか理解してくれると思っていた」

 だがプロフトが返答する間もなく、窓が割られて労働者の服を着た大柄な男が部屋へと飛び込んできた。男は短剣を振り回してクレンコへと突進したが――両者の間にはカイロックスがいた。邪魔なヴィーアシーノは弾き飛ばされ、床に滑り落ちて動かなくなったとき、息が詰まるようなあえぎが聞こえた。プロフトは友人の元へと駆け寄り、一方エトラータは襲撃者の短剣の持ち手を切りつけてそれを叩き落とした。そしてその男の背中に飛び乗り、腕を首に巻き付けた。

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アート:Jason A. Engle

「クレンコ、この役立たず、鎖を!」彼女は叫んだ。

 クレンコの恐怖の表情を驚きが突き破り、彼はすぐにカイロックスを縛っていた鎖を手に取ってエトラータに投げつけた。彼女は男の首を少しきつく締め、それから滑り降りて素早く男を縛り上げ、行動を封じた。

 彼女が振り向くと、プロフトがそこにいて暗い表情を浮かべていた。「カイロックスは?」

 彼は首を横に振った。

「ごめん」

「私にも責任がある」彼は襲撃者へと歩み寄った。「君はなぜここに?」

 男は答えず、縮こまるクレンコに向かってうなり声をあげるだけだった。プロフトは眉をひそめた。

「目の焦点が合っていないようだ」と彼は言った。「エトラータ、どうだね?」

「瞳孔が開きすぎてる。どう見ても中毒状態よ」

「おそらく……」プロフトは肩越しにちらりと振り返った。「どうにかして症状を抑える必要があるな」

「まかせて」エトラータはそう言うと男の前に歩み寄り、見つめあうように視線を重ねた。

 エトラータが行使する精神的能力は目に見えるものではなかった。だがその男が彼女から、そして彼女が引き起こした恐怖から後ずさりしようとした時には、瞳孔は正常な状態に戻りつつあった。

「俺はここで何を?」うろたえた様子で男は答えを求めた。「ここは花屋じゃねえよな。旦那に殺されちまう!」

「思っていた通りだ」プロフトはエトラータへと向きなおった。「無関係の人々が洗脳され、襲撃の実行者にされている。君と同様に、彼らにも責任を問うことはできない。何者かがこれを行わせているのだ。そして私は、その人物を見つけ出してみせる」


(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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Murders at Karlov Manor

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