MAGIC STORY

カルロフ邸殺人事件

EPISODE 04

第4話 慈悲の前に正義を

Seanan McGuire
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2024年1月10日

 

 テイサの死体はまだ冷たくなってはいなかった。ケイヤは動く力を取り戻すと――つまり、凍り付いたように動かなかった両足が、幽体化したままでも命令に反応し始め、机へ向かうために彫像の破片が散らばる床を過ぎると――ケイヤは倒れた友のもとへ向かい、指先でテイサの頬を撫でた。ラヴニカに来る以前から、ケイヤにとって死は身近なものだった。今がどういう状況かはわかっていた。そしてこの邸宅の者たちが駆け付ける前に、誰にも邪魔されないうちに現場を観察しなければならないということも。

 ケイヤは死体にもう一度触れることはせず、机を迂回してテイサの横に向かった。自分の手に血がついていなければ、無実の主張は信じてもらいやすくなるだろう。

 テイサの表情は苦しそうで、それは当然のことと言えた。それでもどこか奇妙な穏やかさがあった。まるでこれが起こることをある程度理解しており、それに直面する覚悟ができていたかのように。

「話したかったことってこれだったの?」ケイヤは尋ねた。「もっと早く呼んでくれればよかったのよ、テイサ。そうしてくれれば……何があったのかはともかく、こんなことには。あなたが何をしたのだとしても、私たちは……」ケイヤは言葉を切った。言い返すことのできない死者との議論は無益だ。

 死後に幽霊として現世へ戻ろうとした人々のほとんどは、死の直後にそれができたわけではない。物理的な肉体の喪失は見当識障害を引き起こし、実体を持たない霊的な存在への適応は更に困難を伴う。それでも、死者の魔法と意志が強力であればあるほど、より早く適応できる可能性がある。テイサのいないラヴニカなど、考えることすら困難だった。

 ケイヤは厳密には霊的な媒体ではない――その魔法は他の道筋を辿るものだ。だがケイヤはかつてオルゾフ組の支配者を務めており、その死者は彼女の権威を認識している。少なくとも話をしてくれる程度には。彼女は背筋を伸ばし、友の亡骸からしぶしぶ身を引き離した。

「テイサ・カルロフ、あなたとの話を望みます」彼女は声を震わせないよう努めながら言った。

 テイサの幽霊は、彼女の前に現れるという好意を見せなかった。

 代わりに、オルゾフの召使の簡素な衣服をまとった、薄くぼんやりとした姿の女性が壁を通り抜けて現れた。邸内の警備魔法を通過する許可を与えられているのは明白だった。彼女はケイヤの前へ進み、身体の前で控え目に手を組んだ。

「テイサ様は現在、お客様をもてなしてはおりません」その声は溜息の音のようだった。

 ケイヤは頬の内側を噛み、言った。「私は招かれたのよ。テイサがそんな失礼なことする?」

 幽霊の女性は一瞬驚いて顔を上げ、繰り返した。「テイサ様は現在、お客様をもてなしてはおりません」

「でも、どこにいるかは知っているの?」

 返答はなかった。ケイヤは顔をしかめた。

「ねえ、テイサがどこにいるか知っているの?」もしテイサがとても強力な競争相手によって殺されたなら、その霊はどこかに監禁され、敵によって利用されようとしている可能性がある。

 幽霊の女性は再びうつむいた。「テイサ様は現在、お客様をもてなしてはおりません」

 いい加減にして欲しい。ケイヤは溜息をついた。「ところで皆はどこにいるの? 私が入ってきた時、出迎える人も賄賂を要求してくる人もいなかったけれど、それは普通じゃないわ」

「テイサ様はあなたの到着を見越して、生きている使用人たちに休暇を与えておりました」

「なんだ、他のことも言えるじゃないの。よかった。ここで何が起こったか見たの?」

「いいえ。使用人たちが追い払われてから、生きている方に会ったのはあなたが初めてです」

 それは多くの意味があるものではなかったが、それでも何かはあった。現実を否定するという贅沢を許さないよう、ケイヤは再びテイサの死体を見つめた。「今、オルゾフを率いているのは誰になるの?」彼女はそう尋ねた。

「テイサ様は現在も私たちのギルドマスターです」その幽霊が言った。「私たちの憲章では、テイサ様の現在の状態と他の状態とを区別しておりません」

「私は殺していないわよ」

「存じております」その幽霊が話す中、半ばぼやけて不明瞭な人影が部屋の隅に更に幾つか現れた。「私たちは、これから来るであろう法魔道士や捜査官へと、これは過去と現在の指導者間の権力闘争ではないと証言致します。あなたの無実は証明されます」

 ケイヤは鼻で笑い、皺だらけになったファイレクシア語のメモをポケットに押し込んだ。証拠を盗むことは間違っているが、実際に何が起こったのかを自分自身が把握する前にそれを他者に見られるのは、どういうわけかもっと間違っているような気がした。テイサは無実かもしれないのだ――証拠はそうではないと言っている、だとしても。テイサの人生において何ひとつ無実ではなかったとしても、少なくともこの件は。

「全員がそう思うわけじゃないから」ケイヤは言った。「私がこの次元から離れている間に、テイサは私からギルドを奪ったのよ。私が自分のものを取り戻すために来たのだと思う人もいるでしょうね」

「オルゾフの死者はあなたが知らなかったことを知っています。そしてテイサ様は今でも私たちの主人ですので、重要となってくるのは私たちの証言のみです」

「それは法に言って」真理の円がすぐに無実を証明してはくれる――けれどケイヤはそもそも尋問されたくなかった。ファイレクシア文字のメモをポケットに入れて、ここで友人の遺体の隣に立ちたくはなかった。では、何がしたいのか……

 逃げたかった。それは問題であり、だからこそ逃げることはできない。たとえラヴニカに負うものはなかったとしても、テイサには負うものがあった。

 自分自身に負うものがあった。

「調査員の方々が来たなら、私たちも証言します」ケイヤの呼びかけに応えて来た幽霊が断言した。

 ケイヤは溜息をついた。「なら、私からあの人たちにここに来てって伝えるのが一番ね。私が命令できる立場じゃないのじゃわかっているけれど、どうかお願い。探偵社の人かアゾリウスの代理人以外は誰もここに入れないで。少しでも、テイサには尊厳が残されてしかるべきよ」

 幽霊はためらい、だが返答した。「できます」

「ありがとう」ケイヤはそう言い、部屋から――テイサから――離れようと幽霊たちの横を過ぎた。先程と同じように彼女の足は一歩ごとに幽体化し、敷物に散らばる陶器の破片をすっと通り抜けた。扉に辿り着くと彼女は立ち止まったが、振り返ろうとはしなかった。

 結局のところ、こうして歩き続けるのだ。


 急いで辿り着くためにケイヤは貸し馬車で探偵社本部にやって来たが、到着した時にはその建物は混乱に陥っていた。巣を蹴られたばかりのスズメバチのように捜査官たちが慌てふためく様子に、彼女は眉をひそめた。彼らは集団を形成しては情報や怒りの言葉を交換し、その後散らばり、また新たな集団を形成した。あまり仕事が進んでいるようには見えなかった。彼らが何に慌てているのかはともかく、それは他の何よりも優先されているようだった。

 ケイヤは御者に心付けを渡すと、興奮した調査員たちの集団を注意深く避けながら、来客を建物へ運ぶために待機している乗騎へと向かった。群衆の中に彼女が知る捜査員は誰もおらず、そしてここはテイサの殺害を公表するような場所ではない。数人がさまざまな程度の好奇心と疑念の目で彼女を見つめた。ケイヤは歩き続け、借りた乗騎に乗って入り口まで行き、中へ向かった。

 受付には誰もおらず、廊下も街路と同じ猛烈なエネルギーでざわめいていた。ケイヤはまたも顔をしかめた。もしかしたら、カルロフ邸にいた間に何かが起こったのかもしれない――ギルドの指導者がひとり殺される以上の何かが。もし探偵社がテイサの件を知っているなら、自分が階段へと辿り着く前に誰かが用件を尋ねてこないわけがない。

 ケイヤの存在に疑問を呈する者はおらず、そのため彼女はそのままエズリムの執務室を目指した。扉は半開きになっており、中からは大声が聞こえていた。全員が声高に議論しており、はっきりしたことは何も聞き取れないほどだった。

「静粛に!」エズリムが轟かせた声は喧騒を切り裂いた。「確かに我々には怒るべき理由が十分ある。確かに我々は無能だと卑下された、同様に無能だと自らを証明した者たちによって。だがそれが何の役に立つというのだ! エトラータは今も行方が知れない。アゾリウスは我々の捜査内容をそっくり掌握し、我々を捜査の過程から可能な限り締め出し、その結果唯一の容疑者を失うという有様だ。怒鳴り声をぶつけ合ったところで何も変わりはしない」

「では、それを変えるのは何であると?」ケイヤの知らない声が尋ねた。

「我々の、仕事を、こなす、ことだ」エズリムは一つ一つの言葉を、あたかも不変の法則であるかのように告げた。

 再び興奮の声があがり、今回はさらに大きかった。ケイヤは踵を返した。飛び込んでいって、以前断った立場を要求することはできない。規則に従う必要がある。アルコンの前で誰かを侮辱したなら、建物から追い出されてしまうだろう。とはいえここにいなければならない。ケイヤは黙ったまま、来た道を戻った。

 激しい議論を交わす捜査員の集団は、全く新たな組み合わせに再編成されていた。ケイヤは歩きながら彼らを眺め、覚えのある黒髪の頭を見つけて立ち止まった。ケラン。あのパーティーでエトラータを捕まえるのに協力してくれた調査員。彼はもう三人の捜査員との議論の中で自身の意見を主張しており、明らかに腹を立ててはいたが、まだ怒りには至っていなかった。

 完璧だった。

「ちょっとごめんなさいね」ケイヤはそう言って彼らの一団に割り込み、ケランの腕を掴んだ。「この子が必要なの」

 ケランは困惑した様子だったが、抵抗はせずにケイヤに連れられていった。他の捜査員たちは彼の退出によってできた穴を即座に埋め、一時も休むことなく議論を続けた。

「ありがとうございます、助け出してくれて」廊下の奥、誰にも声が聞こえないところまで離れるとケランは言った。「皆怒っていて、心にもないことを言い始めているんです」

「何があったの?」

「プロフト探偵がアゾリウスに拘留中の囚人と話をしに行ったんです。でもそこに着くと相手はいなかったのだそうです。アゾリウスは囚人の行き先について何も教えてくれません。何人かは、プロフトさんと囚人の失踪に何か関係があるのかもしれないなんて言ってまして」ケランの声は、同僚の名誉に対する挑戦へと個人的に腹を立てているようにも響いた。そして彼は言葉を切り、眉をひそめた。「何かご用事ですか?」

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アート:Andreas Zafiratos

「そう。エズリムに会わせてほしいの」

「社長は今ちょっと忙しいんですが」

「お願い。重要なことなのよ」

 ケランは瞬きした。「わかりました。社長も中断が入ってありがたがると思います」

 開きかけた扉に辿り着くと、ケランはそれを叩いた。鋭いその音が進行中の議論を黙らせた。「どうしたのかね?」エズリムが呼びかけた。

「プレインズウォーカーのケイヤさんが来られています。お話がしたいのだそうです」ケランは答えた。

「部屋を空けたまえ」エズリムが吼えた。

 探偵社の捜査員が数人、不満そうな表情を浮かべてその執務室から出てきた。ケイヤとケランを睨みつける者もいた。エズリムは先程よりも静かな声で呼びかけた。「入って宜しい」

 ついて来るようケランに手招きし、ケイヤは執務室に足を踏み入れた。エズリムは乗騎にまたがるのではなく、机の背後に座していた――その様子に、先程抱いたアルコンについての幾つかの疑問が解決した。別の疑問もまた浮かび上がったが――乗騎の方は枕の上で寛ぎ、鋭い目をケイヤたちに向けていた。それ以外の点では執務室は通常の状態のようで、何かが起こったことを示す場違いな書類が数枚あるだけだった。

「扉を閉めたまえ」エズリムが言った。

 ケランはその言葉に従い、ケイヤは前に踏み出してエズリムと対峙した。

「気が変わったわ」彼女はそう言った。「この件の調査の先頭に立たせて欲しいの」

 沈黙が広がった。「状況は変化していると気付いているな」やがてエズリムが言った。

「ええ。この捜査員くんが気付かせてくれて」

「では、最初に君に要請した時よりも大幅に困難になるであろうことも理解できよう」

「そうね」

「アゾリウスには――」

「テイサ・カルロフが殺されたの」

 エズリムは言葉を切り、衝撃のあまり沈黙した。

 ケイヤは一歩踏み出した。「私が遺体を発見したわ。私が犯人じゃないって確認してもらうために、真理の円の尋問には応じるつもり。テイサに会いに行ったのよ。私に話したいことがあったらしくて」あのメモが燃え上がり、ポケットに穴を空けたようにも感じた。けれどそれを誰かに、例えエズリムであっても手渡すことは、テイサが街に対して陰謀を企てていたと認めるような気分だった。それはできなかった。

 絶対にそうだと認めねばならなくなるまでは認めたくない。けれど少なくとも、渡したなら捜査関係者は知ることになる。

 執務室の端で、ケランが小さく困惑の声を発した。ケイヤとエズリムは彼の方を向いた。ケランは顔を赤らめ、ふたりの視線から顔をそむけた。

「捜査員くん、何か付け加えることでもあるのかね?」エズリムが低い声で尋ねた。

「いいえ。その、つまり――テイサ・カルロフさんはオルゾフの一番偉い人ですよね」

「そう」ケイヤが答えた。「私が誰よりもそのことを知っていたわ。間違いなく」

「だとしたら、テイサさんが死んだのなら、今は幽霊になってるってことですよね」ケランは痛々しいほど真剣に言った。「呼び出して、誰に殺されたのかを尋ねることができるんじゃないですか?」

「それには幾つか問題があるのよ」ケイヤが言った。「最初に言っておくけれど、私は屍術師じゃない。幽霊と対話することはできるし、死ななくとも幽霊みたいになることができる。これは便利な技よ。幽霊と話すことはできるけれど、だからといって幽霊を呼び出すことはできないの。オルゾフの幽霊に対処する時はその正しいやり方を知っているし、もうテイサを呼び出そうと試してもみたわ」あの居室で、テイサの肌はまだ温かく、血はまだ赤く……

 ケイヤはその記憶を振り払った。「テイサは自分自身の魂を守っていたのよ。死後に敵対相手に呼び戻されたり拘束されたりするのを防ぐために、高位のオルゾフ組員がよく使う技。私は媒体じゃないし、テイサの警備魔法を突破することはできない。テイサは現れたいと思った時に現れる。それまでは表に出てこないわよ」

 ケランは眉をひそめた。「どうしてテイサさんは、自分を殺した相手を教えたくないんでしょうか?」

「理由は沢山あるわね。知らないのかもしれないし、オルゾフ組員の犯行なのかもしれない。オルゾフは組内の問題に他のギルドを巻き込むのが必ずしも得意ってわけじゃないのよ。もしテイサが誰かに出し抜かれるほど不注意だったとしたら、オルゾフの指導者はそんなふうに変わってしまっていたってことね」ケイヤは再びエズリムへと注意を向けた。「お願い、返事を頂戴」

「私は君に捜査の指揮を頼んだのであって、私に命令しろとは言っていないのだが」

「だから『お願い』って言ったのよ」

 エズリムはため息をついた。「ギルドマスター・カルロフの死をアゾリウスに伝えなければならない。それはわかっているだろう」

「ええ」

「一週間と経たないうちにギルドの高官がふたりも死亡したとあっては、オルゾフだけの問題に留めておくことはできない」

「それもわかっているわ」

「捜査の結果、君の気に入らない事実が発覚しても、あるいはギルドマスター・カルロフがオルゾフの権力闘争の一環として自ら命を絶ったと断定されたとしても――」

「それはない」ケイヤは絶対の確信とともに言った。「私の気に入らない事実をアゾリウスが見つけても、それは受け入れてそこから進むつもり。これまでにも気に入らないことを受け入れる経験は沢山してきたから。けれどテイサは自分自身の殺害を画策なんてしていない」

「宜しい」エズリムは言った。「他の者を捜査の指揮に配属させる前に君は戻ってきた。その地位は君のものだ。最初の仕事は、パーティーに参加していたと知られている中で、まだ私たちに連絡してきていない唯一のギルドの高官、ラクドスのジュディスと話すことだ」

「あの人の立場の特別な性質を考えると、自分はあなたの呼びかけに当てはまらないって解釈したのかもね」ケイヤは慎重に言った。

 エズリムは鼻を鳴らした。「あの女性は、他のあらゆる状況では喜んでギルドの代言者を務めている。私たちが話したがっているということは知っている。ジュディスから始めるのだ。ケラン捜査員、ケイヤ君に同行したまえ。すべてを手順に従って進めるように。我々がこの問題を解決する。そしてアゾリウスは我々を中傷したことを後悔するだろう」

 ケイヤはケランと視線を交わした。ラクドスの縄張りから始まる捜査は、どう考えても面白いものになることが保証されている。

「わかったわ、社長さん」


「思うに、僕たちは今や相棒同士ってことですよね」ケイヤと共に出口へ引き返しながら、ケランは言った。その考えにとても満足しているようだった。ケイヤが眉をひそめると、彼は肩をすくめた。「大きなことですよ。大きくて興味深い。僕が探偵社に入ったのは、興味深いことが好きだからです」

「お父さんのことをもっと知りたいからじゃないの?」

「父さんもひとつの興味深いことです」ケランは唇の端を歪めて笑った。「ケイヤさんとプロフト探偵のあの暗殺者逮捕は、僕がこの数週間で見た中でも一番面白い出来事でした。殺人は面白くなんてありません。痛ましくて悲しいことです。けれど混み合ったパーティーの中での追跡劇は興奮しました。僕がお役に立てて嬉しいです」

 ケイヤは横目でケランを見ながら、その笑顔に自分の笑顔で答えたいという衝動と戦った。この青年には心を高揚させる何かがあった。昨年のあの恐ろしい出来事にも動じていない、汚されていない何かが。彼を額面通りに受け取るのは簡単だった。ケイヤにとって、それはそう頻繁に経験してきたものではなかった。それは……落ち着くものだった。廊下の騒ぎはまだ続いていた。ケランは巻き込まれないように建物の外縁を迂回する別の通路を辿り、壁ではなくゆらめく静電気の膜で仕切られた大きな部屋を通過した。その中の空間は棚で埋め尽くされており、各棚にはそれぞれ異なる種類の収容カプセルが並べられていた。

 ケランは彼女が何を見ているかを察した。「そこには進行中の調査に関する証拠品が置かれているんです。事件が解決したなら証拠は後処理に回されます。必要があれば無力化されて、僕たちの管理から外されます。それまでは、こうして誰も傷つけることのない場所に保管しています」

 ケイヤは疑問を浮かべた、「ただ歩いて入って行って盗めてしまえそうだけど」

「壁が突破されたなら警報が鳴って、壁が固くなって、中に閉じ込められます。そんなことを試した人は誰も保管庫から出られません。ケイヤさんみたいな能力のある人でも、ここから出口まで怒り狂った調査員でいっぱいの建物に閉じ込められることになります」

「私みたいなって、幽体化のこと?」

「もちろんです」

「ほら、そんなことでプレインズウォーカーがラヴニカから離れるのを防げるとは思えないから」

 ケランは肩をすくめた。「プレインズウォーカーを止めなきゃいけないって考え始めたら、絶対安全な場所なんてこの次元のどこにもありませんよ。侵略が来た時にラヴニカはそれを学んだんです」

 彼の口調にケイヤはひるんだ。「それは実際に心配する必要なんてないことよ。ちょっと興味があっただけ。ごめんなさい」

「気にしなくていいですよ」ケランはそう言い、一瞬の悲哀をまるで何もなかったかのように振り払った。彼は収容カプセルのひとつを示した。「あれが今の僕の一番の心配事です。僕たちが拘束したグルールの神が入っています。事件が解決してもう暴れ回ることはないってボロスに証明できるまではあそこにあります。もしこの建物の中でカプセルから脱出されたら、そうですね……」ケランは長く低く口笛を吹いた。「いいことにはならないでしょうね」

「そうでしょうね」

 そしてその時ケイヤは立ち止まり、その表情に懸念がよぎった。ケランは興味深そうに彼女を見た。

「どうしました?」

「たった今、幽霊がひとり建物に入ってきたわ」

 ケランは両目を見開いた。「ギルドマスターのカルロフさんですか?」

「いえ、そうは思わない。テイサがここに来るとしても、直接私のところに来ると思うの。何にせよこっちよ」彼女は速度を上げ、出口に向かって更に急いだ。ケランは彼女に歩調を合わせて続いた。

 玄関広間に、とても見慣れた死者が立っていた。ケランやケイヤよりも肌の色の濃い男性で、白髪は短く刈り込まれ、半透明の鎧にはボロスの装飾的な布が取り付けられていた。その全身が半透明だったので、ここで噂話に興じていた調査員たちが一人残らず出ていった理由を推測するのは簡単だった。

 ケイヤは敬意を込めて会釈した。「アグルス・コスさん。何かこちらに用件があっていらしたの?」

「君が探偵社に加わっていたとは知らなかったな」その幽霊が言った。「次元間事業でも始めようとしているのか?」

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アート:Jason A. Engle

「ゼガーナ殺害の捜査を手伝っているの。各ギルドから見れば私は十分に中立だし、利用できる力を有効に活用しているように見えるでしょ」

 感心するほどのものではない、幽霊はそんな様子で鼻を鳴らした。

「こちらは探偵社の調査員のケラン君」ケイヤはそう言い、隣の青年を指さした。「ケラン、この方はアグルス・コスさん。生前はボロス軍でも最高の捜査官と言われたひとりで、死後もそれは変わっていないわ。コスさん、私たちはちょうどこの件の関係者の所へ行くところだったのよ。何かお手伝いできることはある?」

「探偵社と協力し、責任ある当事者を捕えるために必要と思われることは何でも行え――そうボロス軍の要請を受けた」彼は顔をしかめた。「理由はわかっている。死者は他人の捜査を邪魔するために送り込まれることを好むからだ。現役時代も気に入らなかったが、オレリアが場を仕切る今も気に入らない。礼儀正しいこともできず、コーヒーはどうかとすら言えない」

「エズリムと話が合いそうね」ケイヤは同情するように言った。「ともかくわかったわ。これは誰にとっても簡単なことじゃない。けれど私たちは答えを見つけてみせるわ。それで死人が戻ってくるわけじゃないけれど、うまくいけばギルドを落ち着かせることはできるから」

「死者を生き返らせるものは何もない。だからと言って答えを求めていないというわけではないが」

「よければ私たちはそろそろ行くわ」ケイヤが言った。「戻ってきたらまた会えるわよね」

「今のところはここにいる予定だ」

 ケイヤとケランは出口へと向かった。

「僕たちはどこへ行くんですか?」階段を降りながらケランが尋ねた。

 ケイヤは辺りを見渡し、探偵社の紋章を身に着けた者が聞き耳を立てていないことを確認し、ごく小さな声で言った。「ジュディスと話すつもりなら、『地獄騒ぎ』に向かわないといけないわね。いわゆるいかした人たちが近頃夜を過ごしてる場所ですって。ジュディスはお祭り騒ぎの中心にいるわ、自分に選択の余地がある時はいつだって」

「どうやってそこに行くんですか?」

「乗り物で」ケイヤは通りに歩み出て片手を挙げ、ドローマッドのタクシーが向かってくるよう手招きをした。

 彼女に続いて乗り込むケランは緊張した様子だった。ケイヤは彼に微笑みかけた。友がまだ埋葬もされていないというのに夜遊びの場へ行く、それがテイサを裏切っていると感じないよう努めながら。

「さあ若者くん、この事件を解決しましょう」


 タクシーはふたりを西広場の仰々しい建物の前に下ろした。あまりの大きさに、その存在だけで近隣住民は追い出されてしまうほどだった。赤と黒をまとう痩せた若者がひとり、大理石のうねる階段の手すりにもたれかかって寛いでいた。彼が爪楊枝を噛むと唇の間でそれが上下した。ふたりが近づくと若者はそれを口から出し、指の間で回してから通りに向かって弾いた。彼はあざ笑い、ケイヤを見つめた。

「オルゾフの可愛いお嬢さん、ここはあんたが来るような場所じゃないよ」

「あら、私が可愛いって思うの?」ケイヤは半ば作り笑いを浮かべた。

 ケランはケイヤと知り合ってからそれほど長くはなかったが、この返答は彼女らしくないとわかる程には長かったので、警戒の視線を投げかけた。彼女がラクドスの少年へと長い歩幅で近づき、上着の中からナイフを取り出すとケランの警戒はさらに強まった。ケイヤが少年のシャツを掴んで自分の方へと引き寄せた時、その刃は紫色の光を放った。 ケイヤの喜びの表情は冷酷な真剣さへと消えていた。

「それは効かないわよ」彼女はそう言った。

「可愛いって言うことがですか?」ケランは尋ねた。

「そっちじゃなくて」彼女は自身の腰を顎で示した。ケランは下を見た。

 ラクドスの少年は自身のナイフを手にしており、その刃は現在ケイヤのかすかに紫色に染まった腹部に埋められていた。

「固体じゃないものを刺すことはできない。けど私はいくらでもあなたを刺すことができる。とっても芸術的な血飛沫が作れたなら、名誉ギルド員にならないかってジュディスは言ってくれるでしょうね。ジュディスは中にいるの?」

 少年は目を大きく見開いた。「いるよ」その言葉にケイヤは彼を手放して下がった。彼女のナイフは服の中に消え、その腹部は幽体から肉体へと戻った。

 少年は自身のナイフをしまい込み、幾らかの驚きを隠すような、用心深い悲哀の表情でケイヤを見つめた。「脅さなくたって。入場料さえ払ってくれれば入れてやったのに」

「そうね。でもあなたが言ったように、私はオルゾフの可愛いお嬢さんなの。必要がない限り、ギルド外の相手にお金は払わないのよ」

 地獄騒ぎは混み合うには早すぎる時間だった。一目見てわかるほどその場所はいかがわしく荒廃していたが、夜になれば高い天井から吊り下げられたガラスの球には蝋燭が眩しく燃やされ、きらめき屈折した光を放つのだとわかった。そのほとんどは透明で、他は赤またはとても濃い紫色をしていた。まるで集まった群衆にブラックライトを照射するような感じになるのだろう。この時間のダンスフロアは狭い窓から差し込む日光に分断されていた。十分広く平らであり、ほとんど動けなくなるまで詰め込まれ、日の出に止められるまで飲んでは踊り騒ぎたいような人々にはとても人気であることは疑いなかった。

 ケイヤは、今よりも年若くて多元宇宙に疲れていなかった頃でさえ、そのような人々のひとりではなかった。とはいえ、時折彼らが少し羨ましく思えた。目先の必要以外の世界を忘れることができるというのはどんな感じなのだろうか。責任も義務もないというのはどんな感じなのだろうか。

 ラクドス教団はそれらと引き換えに暴力と喜びを与えた。そしてそれは正しい考えだったのかもしれない。

 長いバーカウンターが壁の一面を占めていた。そこには誰もいなかったが、影の中で酒瓶がぼんやりと光り、ふたりの接近を招いていた。ケイヤにぴったりとくっついていたケランは緊張を飲み込んだ。

「ここには誰もいない気がします」

「いえ、いるわ」ケイヤは腕を組んで言った。「ジュディスはそういう人。ただ入場すべき時を待っているのよ」

 ダンスフロアの隅には湾曲した小さな舞台がひとつ置かれており、半ば引かれた緞帳の向こうからは温かくとても楽しそうな笑い声が響いていた。ケイヤはそこに向かって歩き、ケランは隣について行った。そして6フィートほど離れたところで立ち止まり、笑い声が止むのを辛抱強く待った。

 やがてその声は弱まり、ジュディス本人が緞帳を迂回して舞台の中央に現れた。いつものように、彼女は肌にぴったりと合う赤い革と流れるような赤いベルベットの飾り布をまとっており、動く風景のように印象的だった。テイサは自宅や、動く装飾庭園のようなちょっとした贅沢への投資を楽しんでいた。一方のジュディスは自分自身以外のものに投資する必要性を感じたことはなかった。

「まだ開いてないのだけど」ジュディスは腕を組み、明らかにケイヤをからかうように言った。完璧な形をした、真っ赤な唇が得意そうな笑みを浮かべた。「どうやって入ったのかしら?」

「こんにちは、ジュディス」ケイヤは答えた。「パーティーではあんまり話せなかったわね。テイサがあなたに招待状を送ったのは驚きだったわよ。あの人はもうちょっと慎重に招待客を選ぶと思っていたのだけれど」

「あら、あなたはテイサをよく知っているでしょう」ジュディスは無造作に片手を振った。「常に角度を意識する。ちょっとした見世物は……ええと、あなたたちがいつも誇らしげに使いたがる言葉は何だっけ……有益。そう、ちょっとした見世物は、味方側である限りは大金になる。場面転換を求める観客をやきもきさせて、そして」そこでジュディスは小さくくすりと笑った。「そこで気付くのかもね、文字通り、創造的に破産しているって」

「すべてに金が関わってるわけじゃないわ」

 ジュディスは大仰に両手を下ろし、ケイヤを見つめた。「オルゾフの前ギルドマスターがそんなことを言うなんて! テイサのちゃちなパーティーできちんと話せなかったから来たわけじゃないんでしょ。どうしてここにいるの?」

「エズリム社長に言われて来たんです」ケランが口を滑らせた。

 ケイヤは彼を鋭く睨みつけた。ケランは首を縮めて呟いた。「すみません、他にどう言えばいいのかわからなくて」

 ケイヤは溜息を我慢した。ケランによれば、父親のオーコはフェイだと。つまりケランは半分フェアリーということになる。嘘をつくのは難しいのだろう、そもそもそれが可能なのであれば。あるいは、ケランはただ執拗に善い行いをしようとしているだけなのかもしれない。だから探偵社で働くことは魅力的な経歴の選択だったのだ。ジュディスのような威圧的な、その存在感の力を剃刀の刃のように研ぎ澄ました人物の前でなければ、ケランは適切な返答を導き出していたに違いない。

「ああ」ジュディスは言った。「じゃあ、テイサとちょっと意見の相違があったのだけど、その件?」

「ええ」ケランが何か言う前にケイヤは返答した。意見の相違? それは初めて聞いた。

「金利についての口論がシミックのギルドマスターを殺す理由になるとは思えないけれど」ジュディスは言った。「それに、犯人は捕まったんじゃないの?」

 二人とも答えなかった。ジュディスはケランの顔をじっと見つめ、笑い声をあげた。

「気高くってお強いアゾリウスがあの女を逃がすなんて」ジュディスは心の底から喜んで言った。「できすぎてるじゃない。けど違うわよ、私は誰も殺してない。パーティーから退出する前に、私もあの人たちのちょっとした真理のお遊戯に参加したわよ。人生で一度だけ、私は何も悪いことをしていないって正直に言えるわ」

「誰もあなたが犯人だとは言ってない」ケイヤが答えた。

「けれどここに来たってことは、誰かそう考えてる人がいるってことでしょう。あなたが見逃しているものがある。この物語にはあなたが知っている以上のことが隠されている」

「どういう意味?」

 ジュディスの唇が横に伸び、細く長い笑みを浮かべた。彼女は明らかに緊張感を楽しみながら、返答に間を込めた。「あなたがたはエトラータが犯人かもしれないって考えてる――けれどそれで終わりってわけじゃない。ヴィトゥ=ガジーへ行きなさい。ギルドパクトを元々の形式で読むのよ。木が守っているわ。そうすれば色々と明確になるでしょうね」

「どうして――」ケイヤが言いかけた。

 ジュディスは手を挙げてそれを遮った。「いいえ、それで十分。もう行きなさいな。話はこれでおしまい」

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アート:Jodie Muir

 追い払われたとわかり、ケイヤは背を向けた。ケランは出口に向かう彼女を追った。ケイヤは扉の前でふと立ち止まり、肩越しに振り返った。ジュディスはまだ舞台の中央でふたりの退出を見守っていた。どういうわけか、彼女は実に満足したような表情を浮かべていた。まるですべてが、またも自分の台本に従って進んでいるかのように。

 ケイヤとケランは薄れゆく日の光の中へと滑り出た。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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