MAGIC STORY

兄弟戦争

EPISODE 07

サイドストーリー第3話:宿敵(ネメシス)

Reinhardt Suarez
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2022年10月25日

 

 血は汚れ、肉はくずとなった。私が勢力を得るためには、生命そのものが必要なんだ。

――ラースのエヴィンカー、クロウヴァクス

 

 壊された身体の継ぎ目を、鉤や剃刀が探る。それらは縫合の司教が好む器具であり、解剖を容易にするための作業だった。だがカーンは言葉を発することなく、不平を言うこともなかった。銀のゴーレムは今なお生きていた、彼のような特異な個体が「生きている」とみなされるであろう状態で。だがそれよりも重要なことに、彼は今なお認識していた――自分の居場所を、自分に何が起こったのかを、そして自分の身体を解剖するという恐ろしい行為を誰が行っているのかを。呼吸や瞳の微妙な動きを監視しても、カーンの認識を検出することは容易ではない。

 それを感じるためには、灯を感じる必要があった。

 テゼレットはカーンが何らかの動きを起こすのを待っていた。白骨のような板の上からこのゴーレムが起き上がり、すぐ側のファイレクシア人を引き裂き、次元渡りで去る。それを半ば期待し、半ば願っていた。だがカーンは有貌体の一団に抵抗しなかった。彼らはカーンの胸に埋め込まれたままの両刃の斧に触れないよう気を付けつつ、留め金で手首と足首を所定の位置に拘束した。その作業を終えると有貌体たちは退き、懇願するように頭を深く下げ、縫合の司教たちが分析を再開できるようにした。ドミナリア次元にて、シェオルドレッドはカーンの次元渡りを妨げる方法を発見していた。このゴーレムが今も囚われているのは同じ方法によるのだろう、テゼレットはそう推測した。白骨のような板には、テゼレットの肉体部分を今もむずむずさせる鉱物の筋が走っていた。十分な距離をとっていてもそうだった。とはいえ、カーンは何故そんなにも従順なのか……

『ひとつの完璧な未来像』

 テゼレットはこのすべてを憎んでいた。美麗聖堂のすべてを憎んでいた。機械正典に関わる物事すべてを憎んでいた。アラーラ次元のエスパー断片において、カルモット求道団は同じように信心ぶった欺瞞に身を包み、ヴェクティス全土で鋳造されるエーテリウムの秘密を支配していた。彼自身もカルモット求道団の一員でありながらその策略に欺かれていた。神聖なる試薬でありエーテリウム創造の鍵であるカルモットは、求道団が無知の大衆を虐げ続けるための精巧な戯言でしかなかった。エリシュ・ノーンが約束する「啓発」もまた、同じだった。

 見知った人物がもうひとり、この冷たい部屋に入ってきた。黄金のたてがみのアジャニ。彼に同行してきた総督――司祭たちの指導者格が、クモのような腕の集合体をひとつ浮遊させ、カーンが屈服する祭壇へと導いた。司祭たちは、その前に並ぶ有貌体たちと同じく、階級を本質的に認識しているように見えた。彼らは上位者に黙って従い、異様なほど優雅な動きで祭壇への道をあけた。

「再生だ」 アジャニが言った。「破壊の苦痛は栄光ある完成へと至る」

 テゼレットは返答しなかった。アジャニの存在そのものが彼を大いに苛立たせていた。銀白の刻文からの一節や詩文を頻繁に引用してみせる彼の傾向だけでなく、エリシュ・ノーンが称える自身の虚栄心が。いや、それだけではなかった。ニコル・ボーラスに仕えていた頃、あのエルダー・ドラゴンは次なる動きを静かに熟考していた期間があった。アジャニはボーラスの計画から決して外されることはなかった。他の計画を進める間、ボーラスはこのレオニンを自由にさせないための特別な戦略を考案していた。テゼレットの目に、その真実は明白だった――プレインズウォーカーにしてエルダー・ドラゴン、そして王神ニコル・ボーラスは、黄金のたてがみのアジャニという存在に苛まれていたのだ。アラーラ次元の「衝合」の際の彼らの戦いにおいて起こった何かは、ボーラスが他者へと滅多に持つことのないような躊躇を引き起こしたのだ。

 それでもなお、ファイレクシア人たちはこのレオニンを簡単に壊してしまった。いとも簡単に。タミヨウはジン=ギタクシアスの特別な完成処置を最初に受けたプレインズウォーカーであり、灯の力を保ちながらぎらつく油で高めることができた。この躍進に支えられ、発展の動力源の長は捕らえられたプレインズウォーカーたちに、これまで以上に効果的な――かつ苦痛を伴う――処置を熱心に行った。今や、テゼレットとその最も憎む敵対者の数人が、見たところ「同じ側」にいた。

『お前の記憶を放ち、生まれ変わらせよ』

 交響曲の指揮者のように総督は六本の腕を振り上げて規則正しく躍らせ、すると解剖台の上で腕の塊が暗黙の命令に従って動いた。白いキチン質の先端が開き、目の前の作業のための道具が現れた――のこぎり、刃、はさみ、鉗子。

 腕の塊が作業を始めても、カーンは無言のままだった。金属の刃が身体を削り、四肢を外してもなお彼は黙り続けていた。

「母の慈悲によってのみ、我らは救われる」 アジャニの声は歓喜に震えていた。「我らの古き姿は檻である。母はそれを溶かし、天命へと再誕させる」

「自分たちの檻は自分たちで作る」 テゼレットは呟き、立ち去ろうと踵を返した。だが彼はエリシュ・ノーンの精鋭の護衛天使に道を塞がれた。その刺々しい翼は身体を包むように閉じられていた。テゼレットは迂回しようとしたが、天使は杖を用いて彼を止めた。

「儀式は終わっていない」 天使は高らかに言った。「退出は許されぬ」

「お前の世話にはなっていない。どけ」

「お前は証人としてここにいる。そうすれば、お前は約束されたものを手に入れられるだろう」

 無意識に、テゼレットは片手で自らの胸郭に触れた。次元橋が収められた場所。胸鎧の下で、そのアーティファクトにゆっくりと自身が食らわれているのを感じた。ごく少しずつ、だが容赦なく。カルドーサの炉で定期的に焼灼していなければ、既に次元橋の衰滅エネルギーに屈していたかもしれない。だがそれも間に合わせの処置でしかない。約束されたもの、受けるに値するものを手に入れられるかどうかに彼の命はかかっていた――ダークスティール製の新たな身体。それはエーテリウムよりも遥かに強く、次元橋の呪いからも解き放たれる。そしてこの見捨てられた次元と、それに伴うすべてを捨てるのだ。永遠に。

「報賞はどうすれば得られる? 教えろ」

「信念深い者たちが行いを終えたなら、父の一部を母へと届けよ」

 また使い走りをしろと? 彼は深呼吸をして心を落ち着けた。またしても単純な用事を押し付けられたのは腹立たしいが、この最後の侮辱さえ耐えたなら新たな身体が手に入る。加えて、機械正典が何よりも重要視するのは礼節だ。これは繊細に演じねばならない。

「そちらの方が配達役としては適切ではないのか」 彼はそう返事を渋った。

「母の招待を拒む者はいない」 天使はそう返答した。つまり正解だということ。現在あの法務官は玉座ではなくマイコシンスの中ですべての時間を過ごしており、テゼレットは姿をこの数週間見ていなかった。以前に任務で新ファイレクシアへと赴いた際には次元の最深部を自由に訪れることができていたが、今はそうではなかった。エリシュ・ノーンはあらゆる者の下層への訪問を禁じていた。他の法務官でさえも。

「私の手を必要とする任務が他にもあるのだろう?」 彼はこらえた。「何らかの重要性がある任務が」

「そのようなものはない」 その天使は翼を広げ、人間の歯のようなもので作られた鎖帷子の一揃えを見せた。「お前にはお前の命令が与えられている」

 不意にテゼレットは気づいた。その天使の機嫌を取るよう努力したにもかかわらず、彼は詮索の目を向けられていた。彼は辺りを見回した。まずは特徴のない赤い腱の顔で睨みつけてくる天使を、次に彼の不平に作業を中断した有貌体と司祭たちを。そして、深い赤色に輝く両目で見つめてくるアジャニを。

 テゼレットは顎を食いしばりつつも笑みを浮かべた。「そのような栄誉に浴するには、私の装いはひどく不適切だ。シェオルドレッドが隠れ家に戻るのを手伝ったばかりで、この鎧はまだ……ドロス窟の残滓で汚れている」

「これを」アジャニが言い、その白い外套をさっと外して投げた。それはドミナリアの戦いで血と煤に汚れたままだった。「これを使って綺麗にするといい」

 テゼレットはそれを拾い上げた。白地に金の縁取り、傷跡のような消えかけた桃色の斑点。かつてエルズペス・ティレルがまとっていた外套、たった今彼はそう認識した。興味深い。アラーラ次元においてそのふたりが仲間同士だとは知っていたが、これほど近しい仲だったとは。テゼレットはそのレオニンを見つめた。彼は知っていた――完成されたその身体の奥深くには、真のアジャニの心が今も存在していると。抑え込まれていると。自分に何が起こったのかを彼は知っているのだろうか? この外套はレオニンが心の奥底から助けを求める、一種の謎めいた嘆願なのだろうか? そうだとしたら、アジャニは自分が思った以上の愚か者だということだ。今はそのようなあからさまな方法で自身を固辞する時でも場所でもない。

『過ちを犯してはならない』

 テゼレットは引き下がり、有貌体たちが縫合の司教へと向ける仕草を真似てお辞儀をした。そのような服従を示す行動は彼を心底消耗させたが、憤りを声に出す機会はすぐにやってくるだろう。『辛抱だ、辛抱せよ』

「母の仰せのままに。任は果たしてみせよう」


 新ファイレクシアがまだミラディンであった頃、大空洞の変則的なネットワークがこの次元のあらゆる場所からマイコシンスが成長する中心部へと繋がっていた。一部の通路はカーンが創造して今なお存在しており、他は意図して作られた通路というよりは病にかかった動脈のようで、ファイレクシアの荒廃を被った結果として形成されていた。かつてテゼレットは感覚と嗅覚だけでそれらの通路を用い、目的地に向かうことができた。

 今、それは必要なかった。天使に先導され、彼は美麗聖堂の開けた中庭をゆっくりと横切り、尖塔が立ち並ぶ壮大な橋へと向かった。それは新ファイレクシアの最深部へと続いている。このような豪華絢爛な建造物は、エリシュ・ノーンが自身の権勢を主張する多くの方法のひとつだった。彼女は同僚の法務官たちが住処とする層を自分たちの好みに合わせることを許可していたが、その慈悲には限度はあった。支配するのは秩序――献身、義務、団結は冷酷な科学的分析や弱肉強食の野蛮な法則よりも優先される。かつての支配者たちのもと、この次元を掌握していた狂気は調和が取って代わる――「彼女」の調和が。

 有貌体たちの連隊がふたつ、橋のたもとでテゼレットを待っていた。全員が同じ祈りを呟いていた。彼らの目は――頭部に埋め込まれた目、あるいは大腿骨から伸びる角の先端や、紙のように薄い皮膚から飛び出した椎骨に埋め込まれた、血色を帯びて光に敏感な器官が――変わることのない灰色の空へと向けられていた。新ファイレクシアの白いマナの太陽からの光は、上部の複合層を透過しない。代わりに層自体の構造が明かりを提供していた。美麗聖堂の壁は死してなお称えられるファイレクシア人の硬化した身体で構成され、白く淡い光を放っていた。大理石のような床には真紅の毛細血管が刻まれ、血のように赤い輝きを滲ませていた。

『常に前進せよ』

 貴重な貢物を押しやりながら、テゼレットは待ち受ける群衆へと歩いた。分解されたカーンの部位が乗せられた浮遊台座。アジャニの外套であの銀のゴーレムを覆ってはいたが、それでも有貌体たちは自分たちの斃れた父の存在について盛んにまくし立てて道をあけ、あるいは崇敬に膝をついた。

 頭の弱い道化ども。テゼレットはそう思いながら、橋の上で待つひとりのファイレクシア人へと近づいた。それはまるでテゼレットを抱擁しようとするように、六本の腕を広げた。「何者だ?」

「案内人だ」 口はないが、声が発せられた。「下層の世界は危険だ」

「私はよく知っている。案内は必要ない」

「我らが母の命令だ」

 テゼレットは顔をしかめ、だが今一度平静を保った。「ならば案内するがいい」

 案内人は踵を返して橋を進んだ。次元の底へ向かうほどに、辺りを取り囲む毒気は濃くなっていった。間にカーンの台座を浮かべ、テゼレットは案内人の後を追った。やがて美麗聖堂は視界から消え、機械正典を定義する腱と骨の建造物はマイコシンスのそびえる塔に取って代わられた。この次元の核にはびこる独特の物質。テゼレットは同等の畏敬と警戒心をもってマイコシンスを見ていた。ある意味でそれは究極の有機組織だった――生き生きとはびこるその金属格子は、あらゆる工匠が取り扱うことのできる完璧な結晶構造だった。その一方でマイコシンスは危険を隠していた――長時間さらされることで金属は肉体へと変化させられ、その逆も然り。これはわずかに残るミラディン人が部分的に金属質である理由を、そしてファイレクシア人が完全な金属の姿を得ることができない理由を説明していた。

 橋を抜けてマイコシンスの庭園へ踏み入ると、テゼレットは音を鋭く認識した――むしろ、音の欠落を。下層部は不気味なほど静かだった。エリシュ・ノーンが美麗聖堂の下に広がる中央層を封鎖したため、それは疑いなかった。

「お前は母と話すのか?」 テゼレットは案内人へと呼びかけた。その声は核の高い天井と遠い壁まで届き、あらゆる方向にこだました。彼は声量を落として再び口を開いた。「母は次元の核からどれほどの頻度で上るのだ?」

「機械の母はその行動を説明などしない。私は知る立場ではない」

「母が最後に訪問者を迎え入れたのはいつになる?」

「服従と習得、それが私の存在の全てだ」

 テゼレットは全く気に入らなかった。ただの届け物に等しい作業にこれほどの虚飾を。だがひとつの思考に、彼の身体に震えが走った。なぜ自分は、そしてなぜ今、こうして見られている? ウラブラスクと組んで以来――緩い協力関係であるのは確かだが、どちらも相手の立場を知っている――テゼレットはジェイスがラヴニカに持つ小集団へと密かに情報を伝えていた。あの幽霊魔道士を匿名で雇い、ヴォリンクレックスを追跡させることすら成功したが、それは無益に終わった。エリシュ・ノーンは自分たちの裏切りを知っていたのだろうか? 自分は罠へはまりに行こうとしているのだろうか? それを確認する方法がひとつある。危険がないわけではない、だが行動しないという危険、エリシュ・ノーンの契約条件を受け入れるという危険に比べたなら小さいものだった。

「止まれ」 彼はそう呼びかけたが、案内人は無視した。テゼレットはカーンの台座を手放すとエーテリウムの腕を伸ばし、触手の束のように広げて案内人の首に巻き付かせた。「命令をやろう」

「私はお前の下僕ではない」 案内人は甲高い声をあげた。

「その通り」 テゼレットは片手を刃へと変え、それを案内人の首元に定めた。「だが恐怖している。そうだろう?」

「母の抱擁の内に恐怖は存在しない」 案内人の両肩を軸に、二本の腕が後方へと回転してテゼレットの刃を叩き飛ばした。幸運にも、彼はこれまでにファイレクシア人の戦闘を何度も目にしていた。彼らの力は衝撃と不意打ちに頼っている――肢がありえない方向によじれ、身体の奇妙な位置から顎が弾け出る。テゼレットは浮遊台座を蹴り飛ばし、案内人を地面に打ち倒した。彼は回り込み、うつ伏せになっているファイレクシア人に迫り、狙いすました刃を貫通するまで突き刺した。

 その死体を低い下藪へ転がすと、テゼレットは台座を掴んで道から外れ、マイコシンスの内部へと向かった。

『怒りは怒りを抑える』


 新ファイレクシア、マイコシンスの庭園に入るのは数年ぶりだった。その場所は次元の他部分で起こっている最近の環境の変化から守られているのでは、そうテゼレットは思っていた――マイコシンスの格子は常に自然のままに広がっており、新たな建築物の資材のために時折採掘がされていた。彼にとっては悲しいことに、物事は変化してしまっていた。その風景は記憶とは異なり、改造されていた。

「一体ここはどこだ?」 テゼレットは低く呟いた。どちらを見ても巨大な木々が梢を広げたかのように、幾つもの尖塔が層の天井まで伸びているだけだった。彼は極めて気をつけながら、庭園のわずかに通行可能な空間を進んでいった。マイコシンスと物理的に接触してしまったなら、格子とぎらつく油が融合した結果であるファイレクシアの汚染をうつされる可能性がある。

『創造は破壊を生み、創造を可能にする』

 絡み合う二本の柱の開口部から台座を押し出し、テゼレットは開けた空間の端に出た。そこで彼は孤独に立つ塔の姿をとらえた。金色の光沢がなければ、格子の一部と勘違いしたかもしれない。

「やっとか」 テゼレットはそう口に出した。

 彼はその塔へと向かった。ヴィダルケンたちが「メムナーク」と呼んだ神、この次元のかつての支配者が用いた要塞は放棄されて久しかった。このメムナークというのは何者、あるいは何なのかという疑問について、テゼレットはルーメングリッドの伝手からも、現在のファイレクシア指導者層からも納得のいく説明を得たことはなかった。驚いたことに、ジン=ギタクシアスはメムナークについて極めて率直に「ひとつの過ち、だが我々の目的にとっては価値のあるものだ」と述べた。メムナークの正体が何であれ、そのかつての避難所は現存していた。実際、テゼレットの記憶にある倒壊した残骸よりもはるかに良い状態のように見えた。

 状態が良すぎる、テゼレットはそう思った。塔そのものが修理されているなら、その中に探すものも完全に修復されているかもしれない。塔の根元に辿り着くと、一見そこに入る手段は見当たらなかった。彼は押していた台座を脇にやり、塔の根元の全周囲を感じ取ろうとした。だがわかったのは固い金属だけだった――ダークスティール。彼は呪文を唱え、発光性の細かな霧を塔の根元に吹きかけた。ひとつの扉の輪郭が現れたが、そこには取っ手も、開く手段もなかった。エーテリウムの腕を鉤爪の形に変え、彼は扉をこじ開けようとした。だが食いつき、曲げ、ねじって開けようという試みをダークスティールはことごとく退けた。

「これは狂気だ!」

「狂気ですよ」 声があがり、マイコシンスの金属の表面にこだました。「最も不実な狂気の名残です」

 テゼレットはすぐさま振り返り、何らかの動きがあれば即座に攻撃すべく鉤爪を構えた。だがそこにいるのは彼だけだった……そして白布で覆って運んできた台座と。彼は腕を伸ばして鋏へと変化させ、台座から布を取り払った。分解されたカーンの胴体と手足が、金色を帯びたダークスティールの留め具に固定されて現れた。テゼレットが台座に上がると、カーンの澄んだ両目が開かれて柔らかな輝きを放った。

「機械の父よ。お前の訃報がやたらと強調されているのは嬉しいものだ。奇妙な話だが」

「どうも、テゼレット。この状況は全く嬉しくなどありません」

「ならば逃げたらどうだ。お前は自意識を保っている。どこか別の次元で身体を作り直せ」

「試みました。ですがファイレクシア人は何らかの素材を私に接着し、次元渡りを阻害しているのです。私はここに繋がれてしまっています」

 つまり、推測は正しかった。あの板がカーンの次元渡りを防いでいたのだ。エリシュ・ノーンは彼自身がこの次元から逃れる能力をも削ぐことができるのかもしれない、その可能性を考えてテゼレットは顔をしかめた。とはいえ、テゼレット自身の能力と次元橋の機能を同時に阻害できるかどうかは疑わしいだろう。何にせよ、可能性を心に留めておくのは良いことだ。

「言わば私たち両方とも、ここに囚われているということだ」

「何故パノプティコンに入りたいのですか?」

「個人的な用事だ」 テゼレットは塔の頂へと顔を上げた。その先端は、監視用の窓が各面に取り付けられた大きな五角形の部屋へと広がっていた。「中に入る方法を喋る気があるなら別だが」

 カーンは両目を閉じ、しばし黙ったままでいた。やがて両目と口を開いた。「中へ連れていくことは可能です。何といっても、かつてここは私の世界だったのですから」

「とてもどこかへ行けるような状態ではないだろう」 テゼレットは笑いながら言った。

「部品ひとつで事足ります。私の頭部――胴体から取り外せます」

 テゼレットは身を乗り出し、カーンの首の両脇を掴んだ。その周囲を感じると、確かに彼の指は単純な固定機構を探り当てた。留め金にも似たそれがゴーレムの頭部を所定の位置に保持している。留め金を外し、彼はカーンの頭部を少しひねって上半身から離した。テゼレットはそれを持ち上げ、視線を自身に向けさせた。

「私が作るのであれば、このような設計は選ばないな。魔法的な接着の方がずっと安全だ」

「私の創造主は、どのような魔法よりも自分自身の技術を信頼していました」

 カーンを創造した人物について、彼は一顧だにしたことはなかった。だがこれほどの存在を構築したのだ、カーンの創造主は才能ある重要人物だったに違いない――テゼレットにエーテリウム漁りをさせ、利益を分け与えることもしなかった自分の父親、あの無価値な屑とは異なって。

「では続けようか」 テゼレットは白布を拾い上げ、残るカーンの身体に再びかけた。そしてカーンの指示に従い、ダークスティール製の扉にそのゴーレムの頭部を触れさせた。指先に奇妙な疼きを感じ、そして奇妙な圧迫感が彼の腕を上っていった。

「怖れる必要はありません」 カーンが言った。「貴方の体内にある金属の自然エネルギーの流れを変え、扉に同調させています。もう少しで終わります」 その言葉通り、カーンの奮闘によって扉は横に開いた。テゼレットはカーンの頭部を小脇に抱え、もう片方の手で扉を掴んで身体を引き寄せた。中に入ると、テゼレットは呪文を唱えて金属の腕を電気的な冷たい青色に輝かせた。階段が曲がりくねって上方へと伸び、最上階の部屋まで続いていた。

 前回ここに来た時との相違点をテゼレットは気に留めた。壁の焦げ跡は消え去り、機械仕掛けの玉座と浮遊する砕けた球も無くなっていた。全てが清掃されていた。ふたつの壁の上には金属の拷問台らしきものが吊るされており、それらの大きさは人間を拘束するのに最適と思われた。そして部屋の中央にはテゼレットの旅の目的が立っていた――新ファイレクシアのあらゆる場所を見せてくれる、引き延ばされたダイアモンドのような形状をしたモノリス。

「ダークスティールの瞳だ」 彼はカーンへと言った。「私自身、ニコル・ボーラスのための諜報活動をしていた時に数度利用できたに過ぎない。当時も半ば壊れていたが、とても良い洞察をくれた」

「もしエリシュ・ノーンが瞳を修復していたら、これは彼女が貴方に見せたいものだけを映すでしょう」

「それを判断するのは私だ」 テゼレットはカーンの頭部を床に置き、ダークスティールの瞳の表面に触れた。その面のひとつが開き、彼は中へと踏み入った。パノプティコンと同様、瞳の機能もまた完全に修復されていた。鏡に似た画面はすべて真新しく、操作盤に触れるとそれらは光を点され、新ファイレクシアの様々な層の映像が彼を浸した。

『確実性のみを求めよ』

 テゼレットは次元全層の映像を見つめた。戦争のために軍勢が集められ、装備をあてがわれていた。彼は作戦の規模を知っていた――法務官たちは自慢を恥ずかしがりはしない。だが集められつつある軍勢の規模そのものを目撃し、彼は訝しんだ。これほどの軍勢を、どのような手段で他次元へと配置するのだろう? 次元橋こそがエリシュ・ノーンの侵略計画の鍵であると彼は想定していたが、これほどの、ボーラスの永遠衆の軍勢よりも遥かに大きな軍勢を運ぶことはできるはずもない。

 ならば、どうやって輸送するつもりだ? 操作盤のつまみをひねって画面の投影対象と視点を変えると、ふたつの場所がいかにしてか瞳の侵入を拒んでいるとわかった。ひとつは彼が推測するに、ウラブラスクの領域。静かなる焼炉の、あの癇癪持ちの法務官が外からの監視を全力で妨害しているのは特に驚くことではない。もうひとつの映らない場所はエリシュ・ノーンの聖域だった。

 テゼレットは操作盤に拳を叩きつけた。映像が切れて扉が再び開いた。カーンは正しかったのだ。エリシュ・ノーンが何らかの装置に――特に自分自身の装置に――秘密を暴かせるほど愚かなわけはない。賢明な予防措置だが、腹立たしいのは言うまでもない。彼は瞳を出てパノプティコンの広間へと戻った。

「求めるものは見られましたか?」 カーンが尋ねてきた。

 テゼレットはカーンの横柄さに顔をしかめ、かつては強大であったこのプレインズウォーカーを蹴り飛ばしたいという衝動を押し殺した。「見たのは、全滅だ」 彼はそう言い、ダークスティールの瞳にもたれかかって床へと座り込んだ。「私たち全員を待つ運命だ」

「貴方が構築を手助けした運命です」

「私に説教をするな。覚えているだろう? 油がお前を掌握していた時に私はそこにいた。支離滅裂な囁きを発し、次の瞬間にはミラディン人の捕虜の処刑を命じた。これはお前の愚挙だ!」

「貴方の言うことは虚偽ではありません」 カーンの声には後悔が滲んでいた。「かつて私は信じていました。私の責任は――あらゆるプレインズウォーカーの責任は――創造し、新たな声を受け入れて存在とし、それらを導くことであると。私はアージェンタムに、戦争と苦痛からの避難所になってほしかったのです」

「最後には戦争と苦痛はお前を見つけるだろう。何故ならそやつらは……飽くことを知らない。止められるものではない。無数の顔と無数の名前を持っている」

「ニコル・ボーラスのように」

「私はあいつを憎んでいた。知っているだろう」 テゼレットはそう言い、額に刻まれた角型の刺青に触れた。その忠誠が向けられるべき相手を思い出させる刻印。「あいつは私の負債を決して忘れさせはしなかった――ベレレンによって空虚な心なき抜け殻にされた後、私を修復した命の借りを。改めて感謝させて頂こう、私からあいつの存在を除去してくれたことをな」

「私たちに選択肢はありませんでした。ボーラスは多元宇宙全体を脅かしていたのですから」

 その言葉に、テゼレットは笑い声を弾けさせた。「機械の父よ、それは良いことだ! 知っているだろうが、お前がこの次元を離れた後、私はボーラスのもとへ戻った。ファイレクシア人は次元渡りができるのか、あいつはそう尋ねてきた。私は真実を伝えたよ。奴らはできない、だがもしできるとなったら、ファイレクシアは混沌の軍勢であり、支配を追い求める者にとっては危険な存在になると。そうなる前に滅ぼすことを私は提案した、お前の大切なこの次元をな。驚いたことにボーラスは同意した。あの大戦で勝利して神帝となったなら、ボーラスは最初の行動として新ファイレクシアの存在を抹消する――予定だった」

「その場合私たちは死ぬ以外になく、残された者はボーラスの忠実な配下となったでしょう」

「言うだけならばいつも実に簡単だ――自分たちの手がそんなにも綺麗だとうそぶく馬鹿どもが! 光り輝く英雄様が汚れを、堕落を、邪悪を滅ぼしにやって来ると!」 自身がまとう外面が焼け落ちるのをテゼレットは感じた。「責任などと言ったな? お前は自分の選択に責任を持つことができたかもな――新ファイレクシアの王という地位を受け入れて。確かに、エリシュ・ノーンが約束する『楽園』よりはましだっただろうな!」 彼はよろめいて立ち上がり、カーンの頭を取り上げた。「私は勝ち取るために次の一日を生きているのだ! ひとつ息をするたびに、近づいているのだ……」

「何に、ですか?」

 自由に、彼はそう言いたかった。だが別の単語が唇へと介入した――完成に。心がはやり、束の間の考えが駆け巡った。新ファイレクシアに最初に到着して以来ずっと、ニコル・ボーラスによる接種のおかげでぎらつく油からの影響を免れていた。だが……あのドラゴンはもはや生きていない。そのため免疫が弱まっていたとしたら? あるいはもっと悪いことに、カルドーサの炉での処置が次元橋以上の悪影響を身体にもたらしていたとしたら? 何か……もっと潜行性のものを。

『皮膚は祝福されし者を束縛する』

「貴方にも聞こえるのでしょう?」 カーンが言った。「『留意せよ。問うなかれ。従うのだ。来たりて属せ』――ぎらつく油が私の心を支配していた時と同じ声です」

「黙れ!」 テゼレットは腕を引き、それを槍先に変形させた。怒りに腕を振るわせながら、彼はその先端をカーンの額へと定めた。カーンの顔を睨みつけると、その表情はエリシュ・ノーンの司祭たちに分解されていた時のように落ち着いていた。「カーン、自分の死は怖いか?」

「ええ。それを防ぐため全力を尽くしてきました。ですが十分ではありませんでした。足りませんでした」

 テゼレットは腕を下ろした。「お前が傷物になったら、エリシュ・ノーンは訝しむだろう」彼は塔を下り、カーンの頭部を上半身に取り付けると、エリシュ・ノーンを探しに向かった。


 マイコシンスの庭園を、テゼレットは地面の勾配を下りながら抜けていった。目指すのはこの次元の最下層、つまり最も低い場所なのだ。その賭けは正しく、彼は庭園のまさしく中央に設置された真新しい階段に遭遇した。だがその階段も、マイコシンスに取って代わった奇妙に尖った新芽も記憶にはなかった。どちらも以前、次元のこの深みを訪れた時にはなかった。

 足の下にあるものをテゼレットは心した。新ファイレクシアのまさしく中心。カーンのかつての玉座の間。階段を下りて暗い地下道に入ると、彼は襲撃に備えて呪文を構えた。記憶が正しければ、やがて高さと幅が巨人ほどもある、変速機や歯車で飾られた金属製の扉に行き着く。だがそのような扉はなく、地下道がそのままカーンの玉座があった裂け目のような部屋へと続いていた。ただその玉座は見えなかった。分厚く絡み合い、らせん状に天井まで続く装甲つきケーブルの下に埋もれていた。その光景全体が、脈打つ赤い輝きに浸されていた。

 鼓動。

 テゼレットは木のような構造をたどり、その根元にたどり着いた。隣には幾つもの柱が円を描いて並び立ち、その中央には反射池があった。池の傍にエリシュ・ノーンが座し、その白磁の身体は血の色をした外衣をまとっていた。

 近づく彼へと、機械の母は顔を上げた。

「テゼレット」 その穏やかな声が濃い大気を切り裂いた。「ここまでの旅路は快適だったであろう」

「何ら問題なく」 テゼレットはそう返答した。彼女は上機嫌のように見えた。全くもって宜しくない兆候、そう彼は見積もった。だが短期的には喜ばしい前兆。準備はできていた――ダークスティール製の身体を受け取って去り、ファイレクシア人たちには殺し合いをさせておく。多元宇宙は無限の広さを持つとも言える場所だ。隠れる場所、行方をくらます場所は沢山ある。生き延びられる場所はある。「御要望に応じて参りました」 カーンの断片を覆っていた白布を彼が取り去ると、エリシュ・ノーンは立ち上がって頭を下げた。

「父様」 ダークスティールの枷は彼女が触れると外れ、エリシュ・ノーンはカーンの上半身を両手で掴んだ。「貴方様を大いなる行いへと歓迎致します」

 カーンは何も言わなかった。

「我々を隔てる物事は困難でありました。ですが我らがいかにして父様の夢の実現を目指してきたと知って頂けたなら、父様に対するこの行いは何ゆえかを理解して頂けるでしょう――これからの行いもまた。これは処罰などではありません。ですが償いとして、誰一人、我らが最も愛する父様ですら、咎めだてからは逃れられないと示すためなのです」

「母よ、貴女の行いは全くもって偉大なものだ」 テゼレットが言った。「ですがまだ終えていない用件があるだろう。私への報賞を」

「いかにも、其方は忠実に奉仕してくれた。我々に大いなる恩恵を与えてくれた、テゼレット。次元壊しは其方なくしては完成しえなかったであろう」

 テゼレットは思い出した。美麗聖堂の玉座の間にて、エリシュ・ノーンがカルドハイムへのポータルを開けと命じた時を。次元橋のエネルギー・マトリックスが彼の胸から弾け、電気を帯びた炎の渦が身体を浸した。そして赤色のポータルから零れ出たのは、ヴォリンクレックスの焼け付いた外骨格だった。片方の鉤爪が床を引っ掻き、もう片方は一本の瓶を掴んでいた。エリシュ・ノーンの有貌体たちがそれを持ち去った。あの瓶には、カルドハイムの世界樹の精髄が入っていたに違いない。そして今、ファイレクシア人は自分たちの世界樹を手に入れたのだ。

 次元壊し。これは自分の行い。直接の責任を負うもの。

 エリシュ・ノーンは笑みを浮かべた。「我らは其方をドミナリアへの使者にすると決定した。我らに対する陰謀を企てる侵入者たちがあの次元に残っている――其方の知己であるプレインズウォーカーどもだ。其方には彼らの過ちを正し、啓蒙する努力を導いてもらいたい」

「ドミナリアへ戻れと?」

「辛抱だ。辛抱せよ」

 辛抱? 自分に相応しいものではなくその言葉が与えられたのはこれで何度目だろうか? 今や彼は理解した――エリシュ・ノーンは約束を果たす気などなかったのだ。自分に対する彼女の計画は、もはや使えなくなるまで使い、そして用済みとして捨てる――あるいはもっと悪いことに、皮を剥いで改造し、アジャニのような飼い犬にする。求道団、ニコル・ボーラス、あるいはファイレクシアの法務官であれ、このように自分を裏切った者は必ずその怒りを被るのだ。今ではない、だが必ず。

 彼はエリシュ・ノーンに両目の視線を定め、自らの嘲りを、憤怒を、憎悪を全てその姿に注ぎ込んだ。この瞬間を決して忘れないために――全てが明らかになったこの瞬間を。もしウラブラスクが望むのが戦争ならば、そのような戦争を手に入れてやろう。確実に手に入れてやろう。

 反射池の隅にて、エリシュ・ノーンは白磁器の蔦で飾られた台座の上にカーンの胴体を置いた。彼女は首を傾げた。

「何も仰っていただけないのですか? ずっと黙られたままで。我らは家族なのですよ」

 その時、カーンはようやく口を開いた。「ジョイラ……ジョイラ、私の、友……最高の、友。最初のアカデミーで、出会った、あの事故で、トレイリアを離れる、前に……。ジョイラが、私に、名前をくれた、カーン……スランの、古い、名前。ジョイラは、言っていた、意味は……」

「結構です」 彼女はそう言い放った。「本日の重圧が父様を混乱させてしまったに違いありません」

 いい演技だ、カーン。テゼレットはそう思った。弱体化した立場ではあるが、盤上には残っている。

「心をお休めになって下さいませ、父様」 エリシュ・ノーンはカーンの頬を撫でた、母が病気の子供へとそうするかのように。「我らの大いなる行いが成し遂げられた時には、父様も多元宇宙の全てと共に歓声の喜びに満たされるでしょう」 そして彼女はテゼレットへと顔を上げた。温和な外面は消え去り、彼女の声には冷淡さがあった。「何故、まだここにいる?」

 うなり声をひとつ発し、テゼレットは踵を返して歩き去った。

アート:Camille Alquier

 シヴのコメティア噴火口の中、奥深くに隠された洞窟網にテゼレットは足を踏み入れた。マナ・リグへの攻撃以前、この地下道はファイレクシアの軍勢で満ちていた。だが今、何らかの戦える姿で残っているのは小部隊ほどしかない百長と抹殺者たちだけだった。それらも大半が深刻な損傷を負っていた――付属肢を切り落とされたもの、身体全体を焼かれたかゼリー状に崩されたもの――有機素材を確保するためには、戦場の死体を漁る必要があるだろう。軍勢の損害だけでなく、ファイレクシア人にとっての真の損失は、マナ・リグの爆発によって指導者格を失ったことだった。このような頓挫は物事の続行にとっては致命的であるとテゼレットは判っていた。それが高貴なものであろうとなかろうと。

『無駄を省けば窮せず』

「ローナ」 シヴの作戦遂行の新たな責任者にテゼレットは声をかけた。「現状を報告しろ」

「お前に言うことはない。シェオルドレッド様は私にここを任せて下さった」

「シェオルドレッドがここにいるとでも?」 議論に対する忍耐力はとうの昔に枯渇していた。テゼレットはすぐさま金属の腕を振るい、長く細い棘で彼女の肩を串刺しにした。ローナはそれを掴んで引き抜き、テゼレットを押しのけた。彼はよろめき、だが感心した。最後に会ってから、ローナは増強を施している。それを知ることができたのはよかった。そしてローナは攻撃を続けるのではなく、部下を呼んで介入させようとした――鱗で覆われた一対の翼を備えた百長が一体、そしてもっと肉の多い、節くれ立った長いケーブルを腕にしたものが一体現れた。それは彼女の過ちだった。鋼の族長の下では、強さと力を示すことこそが法となる。部下たちは介入しようとはしなかった。

 彼女は再び声をあげた。テゼレットはその一瞬の隙を利用し、ローナの体内の金属を狙って呪文を唱えた。彼女は地面に倒れ込み、テゼレットは肉の手の甲をその肩に置いた。「久遠の闇の中では、無防備な肉はものの数秒で気化すると聞いた。その短い間に感じるのは……筆舌に尽くしがたい苦痛だろうな。とはいえ繰り返すが、短い間だ。おそらくな。知りたいか?」

「いや」

 テゼレットは身を乗り出して顔を近づけた。「現状を報告しろ」彼は低い声で言い、そして呪文を解いた。

 立ち上がりながら、ローナはテゼレットを睨みつけた。「損失を被った」

「それは見ればわかる。増援は呼んだのか?」

「呼んだとも。だが幹部連中は既に配置についている。敵軍はベナリア、コロンドール、クローサに集まっている。予備の兵力はほとんどない」

「ふん。この軍を完全に立て直すまでにはどれほどかかる?」

「数週間。長くても一か月」

 それは都合がいい。テゼレットは眉間に皺を寄せ、懸念するふりをした。最愛の母よ、私と貴女のどちらが辛抱強いか、見てみようではないか。

「お前の諜報員はプレインズウォーカーの監視を続けているのか?」

「ああ。奴らはシヴを離れた。だが追跡できたのは新アルガイヴまでだ」

 新アルガイヴ? 何のためにそこへ? 彼が知る限り、新アルガイヴはファイレクシア軍に完全に占拠されている。アーギヴィーアや他の主要居住地の壁の中に身を隠すのは自殺行為というものだろう。かつての同盟相手からの助けを求めようとしない限りは。興味深い。

「お前の所には残っている特殊部隊は何だ? 母の精鋭部隊か?」

 ローナは大きな笑みを浮かべた。「新規の部隊が丸々ひとつ、命令を待っている」

「素晴らしい」テゼレットは答えた。「幸せなひとつの大家族というわけだ」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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