MAGIC STORY

兄弟戦争

EPISODE 03

メインストーリー第3話:剣型一号

Miguel Lopez
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2022年10月21日

 

アルガイヴ暦28年

 クルーグは真紅の朝に死した。

 サンウェルにとって、その音は祝祭の日のようだった。ただ群衆が上げる歓声は悲しく、爆発と爆音は弾けた花火のそれではなく、街の上に立ち昇る煙は工場の炎と熱い煉瓦の悪臭を放っていた。

アート:Steve Prescott

 機械工廠の主要区画は活気と喧騒に満ちていた。技師や工匠たちが全速力で行き来し、対装甲ボルトやパワーストーン、アヴェンジャーの剣を運搬していた。踏歩機やその他自律型ユニットが準備を完了させて並び、広場を混雑させていた。弾薬や予備部品、その他の物資の山が急ぎ積み上げられていた。五人の見習い操縦士とその教官が帆布で覆われた物資の前に立ち、改装された古いアヴェンジャーの列に対峙していた。

 朝日は空に低く熱く垂れこめ、血のように暖かな昨晩の雨を焼き払った。サンウェルは注意を前に向けたが、身体と頭がふらついた。胃袋がねじれ、靴の間の熱い煉瓦の上に彼は嘔吐した。

「サンウェル操縦士、姿勢を正しなさい」 ローラ教官が叫んだ。士官候補生の教官は厳格で怒りに顔を赤らめ、早朝の急な召集にもかかわらずその制服は清潔で皺ひとつなかった。

「失礼致しました、教官」 サンウェルは残る嫌気を熱い石の広場に吐き出し、口を手の甲で拭った。吐いたのは水と不安だけだった――襲撃は朝食よりも早かった。

「サン、大丈夫か?」 リカが呟いた。

 気まずさにサンウェルは顔を赤くした。リカはまるでクルーグの赤煉瓦でできているかのように、隣で微動だにせず立っていた。

「大丈夫」 サンウェルはそう言った。死にたい気分だった。「昨日の夜、悪いものでも食べたみたいだ」

 リカは返答しなかった。クルーグ中に警報が鳴り響いていた。リカの厳しく跳ねつける態度と同じほど、その音はサンウェルの胃を揺さぶっていた。

 サンウェルは続けた。「弟が心配なんだ。レンダルは中央にいる――飛空士で、戦いには向いてない」

「前を向け!」 ローラが叫び、サンウェルからリカへの一方的な会話を断ち切った。この老いたスワルディ人はアヴェンジャーの操縦士候補生たちの短い列の前を歩き、順番に一人一人を見つめた。この女性は新品の革のように丈夫で、それをなめす石灰のように硬く、葦のように細く、針のように鋭かった。

 サンウェルは意識が遠くなるのを感じた。この瞬間から逃亡するための比喩に浸っている、彼はそう悟った。

「お前たち候補生五人は」 ローラはそう切り出した。「首を肩に繋げたままアヴェンジャーに搭乗できる街で唯一の歩兵となる。光栄に思え」 そして靴の下の地面を指さした。「お前たちに呼集がかかった。つまり訓練は終わりだ。今日、お前たちがクルーグを守るのだ」

 サンウェルは自分の靴の間、星の模様が渦巻き状に綺麗に並ぶ真紅の煉瓦を見た。かつてサンウェルはそれに慣れるまでにしばしの時を要した――ヨーティア人はあらゆるものに装飾を施していた。それは調理から建設に至るまで、あらゆる物事に少し多めの時間を要することを意味したが、若いサンウェルにとってそれは価値あることだった。クルーグはヨーティアの大部分と同じく、街路すらも芸術だった。生まれ故郷のペンレゴンの禁欲的な街区とは異なり、ここでは歩く時に上を向いても下を向いても、小さな荘厳さを見つけることができた。街とはこうあるべき、サンウェルはそう思うようになっていた――小さな不思議や公然と隠された喜びに満ちており、その全てが偉大な勝利に見守られている。

 自分はそれを守るための戦いに挑めるのだろうか?

 理論的な問いかけではない。今ローラは身をのり出し、彼に対峙し尋ねていた。

 サンウェルは瞬きをし、迷った。

「クルーグのために戦えるか、と聞いたのだが?」

「その、はい、戦えます」

「『はい、上官殿』だろう」 ローラはサンウェルの返答を正した。「サンウェル、お前は生きるか死ぬかという状況にある。訓練も練習も終わりだ。戦えるのか?」

「はい、上官殿」 今回は大声で、サンウェルは言った。

 ローラは頷いた。「ならば見せてみろ」 彼女はサンウェルの掌に細い装置を押し付け、下がった。もう四人の候補生――いや、操縦士。サンウェルはそう正した。考え方を変えろ。心を、現実感を。今やお前は操縦士なんだ。もう四人の操縦士たちはローラへと進み、教官の背後にて力を抜きつつも注意を払う姿勢をとった。

 サンウェルはその小型装置を受け取り、確認した――命令ロッド、だが新型。それは彼の前腕ほどの長さがあり、一方の先端は持ち手のために表面加工が施され、滑らかな反対側の先端はわずかに細くなっていた。ロッドを握ると、親指が小さなスイッチに触れた。それに力を込めてロッドを起動すると、柔らかな響きがその道具を温めた。人差し指と薬指の下には切り替え用トグルと引き金があった――これでもっと細かい制御を行う。サンウェルはトグルを弾き、ロッドの響きがわずかに変化する様子に耳を澄ました。彼はロッドを掌に向けて引き金を引いた。すると一瞬、掌に光が映った。

「確認よし」 サンウェルはそう言い、命令ロッドを掲げた。それは止まった。「その、上官殿」 彼はローラへと尋ねた。「私が組むユニットはどちらでしょうか?」

 ローラは下顎でそれを示した。「あれだ」

 振り返り、サンウェルは顎が落ちるほど驚いた。

 光輝く新品のアヴェンジャーが一体、剣型モデルの試作機のひとつが、まだ輸送用のそりにうずくまっていた。食堂にて回されてきた設計図を見たことはあったが、それだけだった。より大きく、軽く、素早く、より強力――殺すことは不可能、工匠たちはそう豪語していた。彼らがこれまでに作り出した中でも最高のもの。

 そのアヴェンジャーの背後には更に四体があった。技師や工匠たちが大急ぎで梱包くずを取り除いていた――藁、帆布、革の詰め物、保護用の油。待機する機械からそれらを外し、起動の準備をした。

 サンウェルはにやりとした。一瞬、興奮が不安を押し殺した。

「試作機ではあるが、これが剣を振るう動きは訓練で用いたユニットよりもはるかに直感的だとわかるだろう」 ローラが言った。教官の声に込められた誇りが聞き取れるようだった。

「名称は何というのですか?」 サンウェルはローラへと尋ねた。

「剣型一号だ」

 サンウェルは命令ロッドを掲げ、発信ボタンを押した。ロッドが震えた。

「剣型一号、気をつけ!」

 剣型一号が展開を始め、そりから立ち上がった。人型の機械で肩までの高さは十五フィートほど。その試作型アヴェンジャーはサンウェルの目に、魔法の炎が動かすしなやかな騎士のように映った――鏡面仕上げの胸当てが中央の動力核を覆い、排気口がはためいて胸部の動力炉から余分な熱を排出していた。動力核の咆哮がサンウェルへと殺到した。これは力、そしてそれが自分の命令を待っている。

「剣型一号」 訓練の通りにサンウェルは堂々と、明瞭に言った。命令ロッドもそれ自体が小さな驚異であり、戦いの混乱や群衆の喧騒の中から操縦士の声を聞き取ることができた。「構え!」

 アヴェンジャーは静かな、流れるようなひとつのひねる動きで姿勢を低くし、片方の手を得物である剣の柄に置き、もう一方の手でバランスを取った。その動きの速さに押しのけられ、サンウェルは後ずさった。空気のうねりに彼の髪が乱れた。

「剣型一号、武器を抜いて防御せよ!」

 剣型一号は得物を抜き、素早く中段で防御の体勢をとり、片方の手を刃にあてて来たる攻撃を受け止めようとした。その剣は人ひとりよりも大きく、長さは八フィート、幅はその柄の部分で一フィートもあった。胸当てと同じくそれも鏡のように磨かれて輝き、動くたびに陽光を受けて閃いた。

 サンウェルは興奮を抑えきれなかった。これが一体でもあれば、戦いの形勢を変えられるかもしれない。それが五体もあれば? 彼は最後に今一度ロッドを掲げた。

「剣型一号、こっちへ来い!」

 アヴェンジャーはサンウェルへと駆け、彼の前で止まると防御するように屈みつつ剣を構えた。

「素晴らしいよ、サンウェル君」 教官とは違う人物の声が聞こえた。

 サンウェルは振り返った。タウノス、ウルザの一番弟子その人が、ローラや他の操縦士たちと共に立っていた。

「閣下」 サンウェルは敬礼した。命令ロッドを二度押すと、剣型一号は以前に操縦した踏歩機と同様に防御姿勢を解いて力を抜いた。

「早くも私たちの新型を上手く扱ってくれているようだね」 タウノスは微笑んでそう言い、だがサンウェルはこのウルザの一番弟子が何気ない様子を装っていると気付いた。

「夢のようです、閣下」 サンウェルはそう言った。「動きが本当に忠実で正確で――ウルザ様は一体どのようにこれを?」

「それは後で」 タウノスは息を切らすように言った、まるで走ってきたかのように。

 おそらく、実際にそうなのだろうとサンウェルは気付いた。この昇進の理由は喜ばしいものではない。クルーグが攻撃を受けているのだ。彼は他の候補生たちへと向かい、列に加わった。

「君たちは候補生の中でも最も優秀な五人だ」 タウノスはサンウェル、リカ、そしてもう三人へとそう告げた。「ローラ教官いわく、君たちひとりひとりが剣型のアヴェンジャーを用いるために必要な技術や気質、そして賢さを備えている。だからここで正式に、私が君たちを一人前の操縦士へと昇進させることは大いに誇らしく思う」

 自分たちの昇進が確かなものとなり、候補生たちは興奮した顔を見合わせた――それも、ウルザの助手その人直々に!

「通例の式典はできないし、ユニット配置に悩むこともない」 そう話すタウノスは背をわずかに丸めて申し訳なさそうな様子だった。とはいえその発言には堅苦しさもあった。それは本心なのだろう、サンウェルはそう思った。この日のための式典を何も行うことができない、それを心から申し訳なく思っているのだろう。サンウェルの心が高揚した――ウルザは聡明な人物かもしれないが、タウノスも同じほどに賢く、そして気遣いをしてくれる。それはとても重要なことだった。

 タウノスは続けた。「クルーグは攻撃を受けている。ミシュラ軍の第一波はマルダン川を渡り、河川地区を制圧した。彼らの先頭にいるのはドラゴン・エンジン、炎を吐く巨大な自動機械の部隊だ。操縦士はいないものと思われる」

 候補生たちは――いや、操縦士たち。サンウェルは内心正しながらも今度こそそう実感した――怖れの視線を交わした。リカはヨーティア人であり、カルロはクルーグの河川地区出身だとサンウェルは知っていた。見るとカルロは血の気を失い、恐怖と心配に青ざめていた。サンウェルは彼を支えられればと、その背中に手を触れた。

「ありがとう」 カルロは静かに言った。

「街の守備隊とクルーグの駐屯部隊が中央地区周辺で防衛線を張っている」 タウノスは続けた。「他地区の避難は進行中だ」

「それは、街を諦めるということですか?」 カルロの問いかけは震えていた。「河川地区は」

「持ちこたえられる場所を守るということだ」 タウノスはカルロの二番目の質問を無視した。「だが、ひとつの場所に立っているだけでは勝てない。そこで君たちと新型アヴェンジャーの出番だ。避難の時間を稼ぐために反撃を仕掛けるつもりだ」 タウノスがローラへ身振りをすると、教官は一団の中へと長細い箱を抱えてやって来た。その箱をこじ開けると、中には藁とともに命令ロッドが四本詰め込まれていた。

「ひとり一本ずつ持ってアヴェンジャーと組め。サンウェル、お前はそのまま剣型一号だ」 彼女は空の革製ケースをサンウェルへと手渡した。

「ドラゴン・エンジン部隊を倒すには君たちとアヴェンジャーが必要だ」 タウノスが言った。「エンジンさえ倒せたなら、ミシュラ軍を押し返す好機を掴めるだろう」

 サンウェルは革製ケースをベルトに取り付けながら、タウノスの話に耳を傾けた。命令用ロッドは革の鞘にぴったりと納まった。その瞬間は「この」瞬間を本物にしてくれた、サンウェルはそう実感した。彼は他の候補生たちに――操縦士たちに――視線を向け、それぞれのアヴェンジャーと組む様子を見つめた。リカは二号を選んだ。カルロは三号を。もうふたりは違う学年、ひとつ下の候補生であり、サンウェルはよく知らなかった。彼らは四号と五号を選んだ。

「宜しい」 操縦士の全員がアヴェンジャーを選ぶと、タウノスは告げた。「私はもう行かねばならないが、ローラへと君たちの配置は伝えてある」 彼は五人の操縦士を見て、躊躇した。「君たちを護衛する兵がいる。だから戦いに直接さらされることを心配する必要はない」 まるで今までずっと叫んでいたかのように、タウノスの声はかすれていた。彼はずっと話していただけだというのに。「このアヴェンジャーたちの認識範囲は広い。命令ロッドを通して言えば伝わるはずだ。近づきすぎることなく、ロッドで狙いをつけ、そして護衛の背後にいるよう心掛けること。候補生――」 タウノスは最後にそう言いかけ、だが言い直した。「――操縦士諸君、幸運を。気をつけて、そしてもし危険を感じたら――考えずにただ逃げるんだ。東のヘンチに軍が集まると聞いている」

 タウノスの顔色は悪く、まるで怪我人のようだった。いつもタウノスを動かしていた楽観主義をサンウェルは探したが、それは見つからなかった。不安という稲妻が彼に腹痛をもたらした――タウノスは怖れているのだ。穏やかで落ち着いたタウノス、候補生たちと騒いでは笑うその人が、怖れている。自分たちを見つめることすらできない。心配は恐怖へと凝り固まり、小さな心配が彼をかじった。実際、外の状況はどれほど悪いのだろう? 不意にアドレナリンが弾けてサンウェルはひるみ、まだ教室にいるかのように手を挙げた。

「タウノス閣下、宜しいでしょうか?」 サンウェルは尋ねた。「私の弟、レンダルが――飛行機械部隊の候補生として宮殿に配置されているのですが」

「レンダル」 タウノスは眉をひそめた。「知っているかもしれない。だが心配しなくていい――飛行機械はすべて何処かしらのウルザ軍と共に配備されているか、出発しているところだ。弟くんが飛行機械部隊にいるのであれば、もうすぐ脱出するだろう」

 サンウェルは大きく息を吐いた。止めていたことすら気付いていなかった。だがタウノスに礼を言う余裕はなかった――不意に、とてつもない爆発音が街の遠くで上がった。マルダン川の方角、戦いが最も激しい場所。

 誰もが遠くの惨害へと顔を向け、機械工廠の喧騒が止んだ。タウノスとローラさえも黙った。

 深紅の煙がうねって空へと昇り、街の区画ひとつが炎に包まれた。激しい炎が上がる中、サンウェルはその中心に暗い影が動いているのを見た。炎はあまりに大きく、立ったままの鐘楼の頂上までも飲み込んでいた。その暗い影が動き、咆哮が空を裂くと鐘楼は崩れ去った。マルダン川に沿って、煙と炎の大嵐が吹き荒れた。

 ドラゴン・エンジン。

 タウノスは罵りを呟いた。彼は命令を記した小さな巻物をローラの手に押し付け、持ち場にいる隊長へと渡すよう指示した。そして操縦者たちへと急いで敬礼すると、彼は半ば走るように急いで去っていった。

「よし」 タウノスが去る姿を見つめながら、ローラは言った。「行動に移るぞ。倍の速さで、アヴェンジャーを動かして警戒すること」 タウノスとの会話のどこかで、ローラはいつの間にか剣を帯びていた。

 操縦士五人とアヴェンジャー五体はひとつの部隊となり、広場から出た。出発の際、サンウェルは肩越しに振り返った――背後では乗組員たちが輸送用のそりを急ぎ再利用し、収まるあらゆる商品や材料、車台や物資を運んでいた。彼らは機械工廠を脱出する準備をしていた。

 ローラの叫びが上がった。サンウェルは遅れていた。

「一号、一緒に来い」 サンウェルは自分のアヴェンジャーへと言った。ひとりと一体は他の操縦士たちに追いつき、街へと向かっていった。

アート:Josu Hernaiz

 クルーグは燃え、炎から逃げ惑う人々が街路を埋め尽くしていた。サンウェルは祝祭の日々を思い出さずにはいられなかった。ヨーティアの沢山の神々を称えるパレードが競うように煉瓦の大通りをうねり、脇道には歓声を上げる群衆がひしめく。祝祭の鐘が街じゅうで鳴らされては叫び、混沌とした歓喜の高く晴れやかな音は大気を満たす音楽に絡み合い、駆り立てた。この街に来た翌年、初めて見たクルーグの祝祭の季節に彼は圧倒され、恋に落ちた。アルガイヴの重厚な式典とは全く異なり、クルーグやヨーティア全土の祝祭は喜びにあふれ、生きていた。サンウェルのまだ長くない人生の中、これほどまでに神々を近くに感じて生きたことはなかった――そして自分がその近しさを愛することになるとは思ってもみなかった。

 だがこの日、血にまみれた街路にて神々は遥か遠く感じた。今日はあの祝祭の日々の暗い鏡映しであり、操縦士たちは区画を進むごとにその恐ろしい鏡の奥深くへ入り込んでいった。今日鳴らされている鐘は祝祭の日と同じ鐘、だがそれらは悲鳴を上げていた。

「よく聞け」 ローラはサンウェルを含む操縦士たちへと告げた。「私から離れず、アヴェンジャーにもそうするよう命令しろ。自分たちで人ごみの中を進ませた方がこいつらは上手く市民を避ける。私から離れないよう注意して進め」

 ローラと操縦士たちは街路を急いで抜け、逃げまどう群衆を押しのけて北地区を目指した。サンウェルは朝に急いで身につけた操縦士用装具の重みに苦しんだ。街の二区画を進んだだけで、軽量型胸鎧の下にまとう降下服は汗でびっしょりになった。背負い鞄には剣型一号のための予備のパワーストーン、一揃いの工具、小型で繊細な交換部品が入っており、金床のような重みで両肩にのしかかった。サンウェルは大混乱の状況の中で数度、激励の叫びを耳にとめた。だがそれは彼を元気づけるものではなく、弱弱しく絶望的な叫びのように聞こえた。押し合いながら殺到する群衆の中には、低い音色で煮えたぎるまた別のものが――彼らの直接的なパニックの下には、もっと不吉な恐怖があった。これはただの襲撃ではない。戦争の始まりであり、自分たちは敗北の瀬戸際にある。クルーグは、そしてヨーティアの全てが、死ぬのかもしれない。

 北地区に近づくほどに群衆はまばらになり、戦いの音は大きくなっていった。鳴らされる鐘は減ったがまだ聞こえており、脱出を急かす他地区から届いていた。操縦士たちが北地区へ迫るほど、遭遇する死体の数も増えていった。当初、それらは早くに逃げ出す群衆に踏みつけられた人々のものだった。だが操縦士たちが合流場所に辿り着く頃には、血に濡れた、あるいは焼け焦げた死体に遭遇し始めた――兵士と民間人、両方の死体に。

「止まれ!」 ローラが叫んで操縦士たちを止めた。五人とそのアヴェンジャーは市が立つ無人の広場で立ち止まった。ひっくり返った露店や屋台とともに香辛料や果物、野菜が色鮮やかに地面に散乱していた。食べ物売りの荷車が横転して赤熱した石炭がこぼれ、それが延焼して焼け跡となった店の軒先に小さな炎が揺れていた。普段通りの朝、そのさなかに人々は全てを放って逃げ出したのだ。

 広場の隅には急ごしらえではあるが頑丈なバリケードが築かれており、広場を奪還して煤と血にまみれたヨーティアの兵士が少なくとも二十人、それを守っていた。バリケードはドラゴン・エンジンを阻止することはできなくとも、人間の兵士による攻撃は思いとどまらせるだろう。ヨーティア人の部隊はアヴェンジャーを期待の目で、そしてその操縦士たちを不安の目で見た。サンウェルはヨーティア人の死体の山を見ないよう努めた。それは広場の中央にある小さな噴水の隣に、民間人も兵士も共に積み上げられていた。荒れ狂う炎が熱風を巻き起こし、破片が舞った。広場の端にはファラジの騎兵の死体が無造作に散乱し、その体からは矢の軸が突き出ていた。

 ローラはバリケードを守る部隊の将校と話をした――その制服の縞から判断するに副官。タウノスが操縦士たちに告げていた隊長は死亡していた。その副官は自分よりも一歳程度年上でしかないとサンウェルは見積もったが、分厚い鎧をまとう相手を見分けるのは困難だった。

 この小さな広場で苦しい戦いが来る広げられる前、ここは第二線の医療班だった――副官のその言葉が聞こえた。ヨーティア人たちは現在、広場を反撃の足がかりとして使うことを計画していた。バリケードの近くには火炎瓶や弓矢、投げ矢が山と積まれていた。時に伝令役が広場へと全速力で駆け込んできては補給担当と交渉し、火炎瓶の束を肩にかついで、あるいは治療師を伴って戻っていった。

「サンウェル操縦士」 ローラが彼を読んで手招きをした。「サンウェル、こちらがマルコス副官――」 ローラの紹介はとてつもなく大きな咆哮にかき消され、広場にいた全員が身を守るべく伏せた。少しして騒々しい爆発が幾つも続き、街じゅうに爆音がこだました。

アート:Fariba Khamseh

 近くで鳴っていた鐘は沈黙した。サンウェルや操縦士たちは、ローラも含めて伏せの体勢を続け、アヴェンジャーたちが彼らを見つめていた。数人の兵士は立ち上がって槍を掴み、剣のベルトを調整し、バリケードを覗き込んで持ち場へと戻っていった。

 煉瓦は乾いて熱かった。サンウェルは命令ロッドを胸の前で掴んだ。心臓の鼓動が地面に響くほどうるさく、それは近くのドラゴン・エンジンが移動する低い轟きに調和していた。

 鐘は再び鳴りはじめ、ローラは立ち上がると操縦士たちに立てと叫んだ。マルコス副官は残る兵士たちへと壁に急ぐよう怒鳴った。サンウェルはリカとカルロに助けられ、震える脚で立ち上がった。年少の操縦士ふたりはローラの近くに留まったまま、既に自分たちのアヴェンジャーをバリケードへと向かわせていた。

 大きな爆発音が広場に響き渡り、金属の破片が高い音を立てて飛び散った。広場の煉瓦の破片が跳ねてサンウェルの頬を切り、彼はひるんだ。何かが投げ込まれ、彼をかすめて飛び去り、地面に音を立てて跳ね返った。

 榴弾――ファラジの攻撃だ!

 サンウェルはその場から動けず、ヨーティア人の兵士たちがバリケードの先にいる見えないファラジ兵へと火炎瓶を投げる様子を見守った。煙と眩しい閃光が続き、爆音が市場の店先に轟き、バリケードの先の通りにガラスと塵が立ち込め降り注いだ。ファラジ兵は悲鳴と突撃の叫びを混じえて反撃し、太いクロスボウや弓矢をヨーティア兵へと発射した。サンウェルはかろうじて剣型一号の伸ばした腕の背後に身を屈め、アヴェンジャーの外装に攻撃が当たって高い音を立てる度に身を縮めた。

 そのすべての上に、ドラゴン・エンジンが迫っていた。ミシュラのエンジン。それは北地区の建物よりも遥かに高くそびえていた。煙の中、その巨大な機械にして爬虫類、工匠術と戦争が生み出した獣の容貌は熱に歪んで見えた。その咆哮は飢えて、残酷で、生きていた。ドラゴン・エンジンは彼らへと前進し、だが今一度濃い煙に覆われて見えなくなった。

「サンウェル!」 戦闘の不協和音の中、ローラが叫んで声を届かせた。「リカとカルロを連れて脇道へ行け」彼女はその命令とともに、細い横道を剣で示した。「あのエンジンの脇へ向かう道を見つけて倒せ、操縦士!」

「はい、上官殿!」 サンウェルは敬礼した。そして更なる指示を尋ねかけたが、ローラは既に火炎瓶の帯を肩にかけて壁へと急いでいた。

「剣をとれ」 サンウェルはリカとカルロに行った。「ドラゴン退治に行くぞ」

 サンウェルは剣型一号に続いて脇道を駆けた。リカとカルロがその後につき、剣型二号と三号が最後尾を務めた。広場のバリケードでの戦闘音が彼らの動きを幾らか隠してくれた。彼らは静かではなくとも素早く移動した。

 路地を半分ほど進んだところで、彼らがいた広場へとドラゴン・エンジンが炎を吐いた。

 空が裂けるような咆哮、そして波打つように強まる爆発音。沸き立つような赤い霧が広場を一掃し、ヨーティア人のバリケードとそれを守る者たちを焼き尽くした。

 サンウェル、リカ、カルロは振り返り、恐怖とともに見つめた。脇道から細く見える広場が真紅の炎になぎ払われていった。ローラともうふたりの操縦士、マルコス副官と彼の兵士たち――その全員が一息で死んだ。

アート:David Auden Nash

 鼻を刺す熱風が炉から吠えるように発せられていたにもかかわらず、煙はその場に留まり動かなかった。大気そのものが焦げ、苦痛に悶え、熱に苛まれた稲妻で音を立てていた。

 燃える広場から、ひとつの死体が脇道によろめいて倒れ込んだ。操縦士たちはそれが誰なのかもわからなかった。哀れなその兵士は脇道の壁に当たり、泥酔したようによろめき、地面に崩れると同時に燃え殻となって砕け散った。その瞬間、復讐と栄光への思いはサンウェルから消え去った。怖れは噛みつくのを止め、彼を貪りはじめた。

 迫る靴音が広場に響き渡った。沸き返るような煙の中から兵士たちが現れ、兜は閉じられて熱風から顔を守り、対機械槍が剣型四号と五号へ向けられた。ドラゴン・エンジンの燃え立つ息によって操縦士たちは死亡し、アヴェンジャー自体も熱に歪み打ちつけられてはいたが、それでもその機械たちは剣を振るって抵抗した。数人の兵士が倒れたものの、アヴェンジャーたちは歓声とともに破壊された。それらはミシュラのエンジンを一瞬だけ減速させていたものの、部隊の前進は全く防いではいなかった。

 一瞬。サンウェルは何年にも及ぶ訓練を思い出した。名前も知らない他の操縦士たちもそうだったのだろう、それが一瞬で。

 カルロは恐怖の叫びをあげ始め、サンウェルもリカも彼を宥めることはできなかった。ファラジ兵にそれが聞こえたかどうかはわからないものの、危険は冒せなかった。リカは医療器具から包帯を取り出し、サンウェルがカルロを押さえつけている間に口元を縛り付けた。ふたりはカルロを脇道の影の中へと引きずりながら、ドラゴン・エンジンがついて来ないよう祈った。

 剣型たちも続いた。装甲の肩には燃え殻が積もっていた。


 サンウェルとリカは、沈黙と絶叫を繰り返すカルロを引きずってアヴェンジャーの後に続き、小さく名も知らない別の広場に出た。そこは四方を二、三階建ての建物に囲まれた十字路であり、脇道はその広場を抜けて先へと続いていた。十字路自体はそれなりの規模で、三台の荷車が並走できるほどの幅があった。今朝のある時点では広場の北側出口にバリケードが設置され、マルダン川方面から街の主要部分へ立ち入ろうとする者を遮断していた。今やそのバリケードは破壊されていた。ヨーティア人とファラジ兵の死体がくすぶる瓦礫に散らばり、既に蠅が群がり始めていた。アヴェンジャーと操縦士たちが広場に駆け込むと、一匹の野良犬が走り去った。

 サンウェルとリカはアヴェンジャーたちに、十字路のマルダン方面を監視するよう命じた。そしてカルロを引きずり、広場でもバリケードの逆側へと向かった。剣型一号は脇道の出口にじっと立ち、次なる命令を待った。三人はひっくり返った荷車の上に座ると息をついた。ドラゴン・エンジンは追ってきてはいなかった。しばし、包囲されたクルーグでもこの静かな一角で、彼らは安全だった。

「これからどうする?」 リカが尋ねた。

「エンジンと戦うのは無理だ」 サンウェルが言った。「剣型があっても――あれと戦うには剣型の軍隊が必要だろう」

「じゃあどうする?」 リカが再び尋ねた。

 サンウェルは先程抜けてきた脇道を振り返った。あの燃えた広場へと通じている。彼は煙に曇る空を見上げた。機械工廠で見上げた時にははっきりしていた太陽は、ぼやけて病的な橙色に燃えていた。黒と灰色の灰が漂っていた。

「逃げる。タウノスさんが言ってたように――危なくなったら逃げろって」

 リカも自分の目で周囲を見つめ、考えた。「どこへ?」

 ドラゴン・エンジンが再び吠えた。耳をつんざく轟音に視界が揺れた。サンウェルとリカは耳を覆い、咆哮の騒々しさに涙を浮かべた。まるで動き続ける乱雲が発した雷鳴のようにそれは過ぎ、少年ふたりは咆哮の源へと耳を傾けた。どうやらドラゴン・エンジンは自分たちやアヴェンジャーからは離れ、街の中心部へ向かったようだった。

「遠くへ」 聴覚がゆっくりと戻る中、サンウェルは少し大きすぎる声で言った。「ここじゃないどこかへ。タウノスさんは何か街の名前を言ってなかったか? ヒンジ?」

「ヘンチだ」 リカはそう正した。「キャラバンの町だったと思う。馬に水を飲ませられる場所だ」

「そこかもしれないな」

「街を横切らないといけない」 リカは唇を噛んだ。「西に向かうのが良さそうだ――西門へ走って海へ向かって、船を見つける」

 サンウェルはうつむいた。弟は、レンダルは――今頃は空を飛んでいるのだろうか?

「避難した人たちはどこに向かうことになってるのかな」 サンウェルはリカへと尋ねた。「コーリスか、それともペンレゴンか」

「コーリスの方が近い。けどあそこは商人の集まりで、中立を保ってる。それだけじゃなくて常備軍も持っていない。傭兵団がいるだけだ。だからペンレゴンだと思う。遠いけれど、あそこはウルザ様と――」

 不意に、騒音と叫び声が十字路の北側入り口から聞こえた――アヴェンジャーたちが見張っていたマルダンの側。

 サンウェルとリカが顔を上げると、ファラジ兵の真鍮帽が十字路へと迫る様子が見えた。その背後には林立する槍先と、行進する兵士の一部隊がかぶる磨かれた真鍮の兜の群れがあった。

アート:Joshua Cairos

「サンウェル」 リカは立ち上がった。彼はサンウェルに呼びかけたのではなく、ただ声を発したに過ぎなかった。信じられないものを見た時の、反射的な驚きの声。ファラジの軍が、何の妨害も受けることなく自分たちへと向かってきている。

「剣型一号!」 サンウェルは叫び、命令ロッドをファラジ軍へと向けて引き金に力を込めた。細い光線が煙の中で可視化され、真鍮帽の列の先頭にひらめいた。「攻撃しろ!」

 剣型一号はファラジ軍へと向かい、一瞬遅れて二号が続いた。呆然自失のカルロも命令ロッドを手繰り、足元の地面を閃かせた。剣型三号は動かなかった。その機械は休止状態に陥り、剣は構えたものの振り上げはしなかった。

 行進する兵士たちは槍の壁を作ろうとしたが、それよりも早くアヴェンジャーが彼らに襲いかかった。最前列は混乱の中に斃れ、彼らの槍はアヴェンジャーの装甲の上を滑った。二体のアヴェンジャーは肉屋のような効率で大剣を振るい、破壊されたバリケードの前でファラジ軍の前進を押し潰して止めた。

 サンウェルは恐怖と畏敬の目で、アヴェンジャーたちが真鍮帽を切り裂く様を見つめた。それらの剣が宙を切る音、刃が肉を裂き骨を砕く際の重く湿った音、誇らしく輝くファラジ兵の鎧などただの薄片に過ぎないというように砕く音。サンウェルはただ後ずさることしかできず、命令ロッドを水平に突き出したまま、アヴェンジャーが自分の最も基本的な命令を解釈する様子を見つめた。剣型一号は素早い攻撃で目の前の兵士を切り裂いていった。片方の手が剣の柄を保持し、もう片方の手が刃を支えてその動きを導く。短い一発が幾度も繰り出された。

 リカは二号を正確に操縦し、自分たちの機械にとって脅威となりそうな将校や目標へとアヴェンジャーを向かわせた。先端に爆発物を装着した太い槍とクロスボウを持つ兵士、指揮の旗を持って確固とした声を張り上げる将校。剣型二号はリカの命令のもと、剣型一号が作り出した混乱の中で彼らを狩った。

 剣型一号に戦い方を教えたのは誰なのだろう?

 剣型一号の背後をとったふたりの兵士に、サンウェルは命令ロッドを向けた。彼が引き金に力を込めると光線が兵士たちにきらめき、剣型一号は即座に反応した。重い一突きでアヴェンジャーは兵士ふたりを貫いた。そして剣型一号は兵士たちを剣ごと持ち上げて引き抜き、その死体を今も前進するファラジ軍の列へと放り投げた。

 剣型一号はどこかの時点であのような動きを学んだに違いない、サンウェルはそう考えて別の目標を指示した。彼はリカと共にカルロを引きずって後退し、戦いから距離をとった。

 最初の単純な命令を解釈し、サンウェル自身にできないような動きをさせる。その方法を剣型一号に教えたのは誰なのだろう? 訓練の一環として、彼は旧型機の内部を見たことがあった――それらは剣型一号と同じく、生きてはいなかった。それら自身が考えることはできない、彼はそう理解していた。それらは機械であり、千もの複雑な計算と繊細な部品が組み合わさって人型を成しているもの。何千時間という才能と技術的眼識と人間の労苦が単一の目的に向けられ、驚くべき優雅さで達成されたもの――剣を振るい、命を絶つために。

 偉業であり、狂気。

 剣型一号は鈍くなった刃を前進する兵士たちへと投げ捨て、背中の武器庫から新たな刃を抜いた。その動きはあまりに滑らかで、鎧をまとった巨体の人であると言われたら信じたかもしれない。恐怖や哀れみ、疲労で止まることのない戦士。槍やクロスボウの矢が剣型一号の脚に砕かれ、上腕部と胸部の装甲に跳ね返された。効果のない一撃ごとに、アヴェンジャーは自身がいかに不滅であるかを見せつけた。

 また別の感情がサンウェルの恐怖に入り混じった――安堵が。剣型がこちらの側にいるという安堵。

 剣型二号の上半身で爆発が起こり、それは一号へとよろめいた。一号は仲間を優雅に回避し、二号は敷石にひびを入れるほどの勢いで広場へと倒れこんだ。

 リカが罵り声をあげ、サンウェルは何が起こったのかを見た――爆弾が二号の右腕を吹き飛ばしたのだ。破損した部位から作動液と黒色の油が噴出して空中へと飛び散り、だが二号の機構がその流路を遮断して止まった。残った腕で新たな刃を抜きつつ二号は立とうとし――だが遅かった。空隙は作られてしまっていた。

 ファラジの真鍮帽たちは剣型二号へ損傷を与えたことで元気づけられ、そして後方の将校に鼓舞され、歓声と怒声をあげながら前進した。剣型一号は介入を試みたが、一体で道を塞ぎ続けることはできなかった。当初、通り抜けた真鍮帽はほんの一握りだった。剣型二号は敵を追い払おうとしたが、ファラジ兵はその頭と足に爆発性の矢弾を雨あられと放った。爆音が重なり合い、傷ついた機械を圧力波が地面に叩きつけた。倒れた剣型二号へと兵士たちが即座に群がり、関節や装甲の隙間に爆発性の槍先を突き刺し、その動きを封じた。広場の反対側では更なる真鍮帽たちが動かない剣型三号を引きずり倒し、対機械槍を重要な内部構造や関節や機構に突き刺し、切り裂いた。

 恐怖と怒りが入り混じった、言葉にならない何かをサンウェルは叫んだ。彼は命令ロッドをファラジ兵へと突き出し、まばゆい光線を繰り返し発射した。命令ではない。訓練で学んだものではなく、ただ十字路に殺到する敵へと生々しい恐慌の声を上げただけだった。剣型一号は戦い続けた、そうするように作られていた。

 真鍮帽たちは槍先を爆発させて剣型二号を破壊した。そのアヴェンジャーのパワーストーンが弾け、眩しい閃光が広場を白色で埋め尽くした。

 白光に視界を奪われたまま、サンウェルはその威力に吹き飛ばされた。それでも命令ロッドを彼は握り続け、仰向けに横たわったまま瞬きをし、やがて焼け付いた視界がぼやけながら戻ってきた。ひっくり返った荷車のそばに、カルロが動かず横たわる様子が見えた。その制服は焼け焦げていた。リカが苦労して立ち上がり、その頬骨と鼻先は擦り傷と火傷を負っていた。砂交じりの風がクルーグの街路を吹き抜け、火傷したサンウェルの顔と両手を洗い流していった。彼は痛みに悲鳴を上げ、聴覚が回復しない中で自らの声がくぐもって聞こえた。

 鐘は今も叩かれ、鳴り続けていた。また爆発が街のそこかしこで響いた。

 遠くで、悲鳴が上がった。

 遠くで、ドラゴン・エンジンが咆えた。

アート:Svetlin Velinov

 サンウェルが見る世界は黄土色の空の下、灰色の煙に曇っていた。頭上の太陽は死にかけたような黄色で重く近く、卵の黄身のように空から滑り落ちそうに思えた。木が、油が、肉が燃える悪臭をすべてのものが放っていた。雪のように灰が降り注いでいた。

 クルーグに来たばかりの頃、子供だったサンウェルは弟とともに工匠術を学ぶため機械工廠へ送られ、そこでヨーティアの慣習と信条を教えられた。文化を学ぶ、両親はそう言った。東で生まれた子供たちにとって必要なこと、その文明の若き末裔たちがやがて支配する世界を理解するために。そしてその教育の中、サンウェルはヨーティアの神々とそれらが司るものを学んだ。だが黄泉の国や忌まわしい死後を司る神は一柱も存在しなかった。人の魂は極めて多面的な要素を持つため、一柱の神の意志で地獄へ落とすことはできない。ヨーティア人への死後の審判は単純なものではない。人は生涯を通じて多くの魂を持ち、それぞれ各個に審判が下されるのだと。

 今やサンウェルは、ヨーティア人はひとつの面を見落としていると気付いた。彼らは祝祭のどこかで一柱の神を忘れてしまったのだ――サンウェルの生きている魂をこの街という地獄に落とした神。その陰鬱な神が破れた翼で街の上空を飛び回り、燃え盛る街路へと真紅の霧を吐き出す様を彼は想像した。

「剣型一号」 サンウェルは命令ロッドへと囁いた。「来てくれ」 これが地獄でも悪夢でも、とにかく抜け出したかった。

 暗い姿がもやの中を幾つも動いたが、心強い剣型一号の横顔を遮るものはなかった。はぐれた影が長い槍を持ってうろつき回り、幅広の兜がゆっくりと動き、耳を澄ましながら探っていた。

 サンウェルは身を屈め、動く人影からそっと離れた。彼はリカを軽く叩き、ついて来るように囁いた。

 リカはかぶりを振り、指を唇に当てて黙るよう示した。そして指をさし、サンウェルの視線をそちらに向けさせた。

 カルロ。彼はサンウェルとリカへ這い進んでいた。背中と脚はひどい火傷を負っており、彼は火ぶくれだらけの肉と融けた鋼の不格好な塊と化していた。

「サン?」 カルロは叫び、むせび泣いた。「リカ?」

 リカはカルロに近づこうとしたが、サンウェルは彼を掴んで遠ざけた。

 もやの中の暗い人影が動きを止め、聞き耳を立てた。幅広の兜が振り返った。ゆっくりと降る灰の中を彼らの槍が探った。

「どこにいるんだよ?」 カルロは再び泣き叫んだ。

 クロスボウの矢が怒涛のようにカルロの背に突き刺さり、彼を殺害した。数秒後、二度目の弾幕が彼を襲い、外れた矢が灰に覆われた地面に跳ね返った。真鍮帽たちは叫び、死した操縦士の居場所を伝えた。

「剣型一号、殺せ!」 サンウェルはかすれた声で、命令ロッドへと叫んだ。「殺せ!」

 リカが振り返ってサンウェルを掴み、走れというように押しやった。損傷した機械がか細い音を立てて迫り、ファラジ兵が恐怖に叫ぶ声が肩越しに聞こえた。彼は振り返って短く三歩踏み出し、そして装甲をまとう剣型一号が闇の中から高く立ち上がる様を見た。

 剣型一号は黄色い光の中に立つ熱に歪んだ騎士、煤と灰を撒き散らした黄金色の死だった。ひどく損傷しながらも剣型一号は死んではおらず、そして死の瞬間まで、それはサンウェルの命令に従うのだろう。血まみれで恐れを知らないこの恐怖の機械は、ヨーティアの忘れ去られた一柱の神だったのかもしれない。戦争とこの十字路と、機械と、来たる時代の神。

 サンウェルは命令ロッドを投げ捨てた。もう命令するようなことはない。

「サン!」 リカは両手でサンウェルの襟を掴み、引っ張ろうとした。サンウェルはよろめいたが転びはしなかった。

 共に、少年ふたりは逃げ出した。

 クルーグは真紅の朝に死した。戦争は日の出とともに始まった。

アート:Kamila Szutenberg

アルガイヴ暦28年

 エイマンは仰向けに横たわり、橙色をした太陽の弱々しい光に目を狭めた。空は汚れた橙色を帯び、燃え続ける炎が煙をあげる先では焦げたトウガラシのように濃い茶色をしていた。何もかもが悪臭を放っていた。美は死によって損なわれ、心地良い紺碧の空は錆びつき、晴れやかに鳴る鐘は歪んで悲鳴を上げていた。

 水が欲しかった。

 鋲付きの靴底が鳴らす音。殺到する靴音。何百か、何千か、万か。世界の全てが自分へと殺到してきていた。波と同じように誰かが彼の頭を強く蹴り、エイマンはのたうち回った。アルガイヴかファラジか、それはわからない。真鍮帽の紐が切れ、兜がどこかへ転がっていった。増援が戦いへと駆けていくのだろう。

 戦いへ!

 クルーグ。燃え盛る街、侵略者の町、盗人の町。何故自分たちはそこに? ミシュラ。あの陰険な、強欲な、嫉妬深い男。長王の強欲。

 水が欲しかった。

 彼はうめいて動こうとしたが、身体を起こそうとした所で全ての力が抜けた。彼は咳き込み、苦痛にひるんだ。前がよく見えず、彼は自分の身体を見下ろした。

 恐怖と驚きに、エイマンは弱弱しい鳴き声を漏らした。矢が三本。撃たれていたのだ。一本は太腿の上部に、一本は腕から胸に、もう一本は脇腹に。腿が一番深く、中まで肉に突き刺さっていた。腕に刺さった矢は貫通していたが、腕そのものと胸鎧がそれ以上深く刺さるのを防いでいた。脇腹は深い切り傷程度で、鎧と分厚い衣服で止まっていた――矢を抜けば、清潔な包帯を巻くだけで十分だろう。顔面がずきずきと痛み、割れるような感覚がそこにも傷があると示していた。

 エイマンは再び仰向けに倒れた。

「水をくれ」 エイマンは叫んだ。「水を」 だがその声はうめき声や泣き声、負傷者の叫び声の合唱に加わる多くの声の一つに過ぎないと気づいた。辺りを見回すと、痛みとともに意識がはっきりとした。

 彼は地獄にいた。死体が建物の間に詰め込まれ、彼らが戦った道を埋め尽くしていた。街の隘路を通った両王国の兵士たちが肉片にされていた。

 何が起こったのかを彼は思い出そうとした。金色をした巨大な騎士、輝く機械という恐怖。列が前方に行進する。後方の部隊に押されながら、前方の死と後方のミシュラ軍の将校を恐れながら。爆発、苦痛。その前――船の上。手が震え、隣の兵士が祈りを呟く。堤防へと突撃する際の水の冷たさ。悲鳴に次ぐ悲鳴。

 水が欲しかった。ここから離れなければ。手が彼を掴み、死体が彼の耳元で母の名を呼びすがった。エイマンは息を切らし、その手を跳ねのけた。彼は嘆願する死体を蹴り、払い、急ぎ離れた。

 息を鳴らしながらエイマンは這い進み、矢の軸が地面をこすると悲鳴をあげた。彼は路地の壁に倒れ込み、激しく震えた。視界が曇っていった。

「水を」 エイマンはうめいた。自分は死にかけている、そう感じた。燃えるような痛みが脚を、目を、脇腹を脈打ち――


 エイマンは目覚めた。夜。意識を失っていたらしい。

 路地は静かだった。死があらゆるものの表面を覆っていた。炎が夜を照らし、この地獄の全てに黄土色の光を投げかけていた。鐘はもはや鳴っておらず、だがクルーグの遠い区画で今も戦闘が続く音が聞こえた。

 そしてそれを見て、エイマンはうめいた。幽霊。柔らかな青い光を放つ一体の亡霊が、悪臭の路地を横切ってきた。エイマンは祈りを唱えはじめた。

 その幽霊が彼を見た。

 エイマンの祈りは喉元で詰まった。

 幽霊は彼へと向かってきた。青く暗い姿はその背後の暑い夜の空気に跡を残した。「死」、エイマンにはわかった。あれは死そのものであり、自分の魂を手に入れて旅立つのだ。

 「死」はとある重傷の男の上に屈みこんだ。その男の胸が上下し、引きつり、そしてすぼんだ。隠れながらも、エイマンにはその音が聞こえるようだった。

 「死」は立ち上がった。まるで見物しているかのように、その視線が路地をたどった。獲物を探している、エイマンはそう思った。冷たい死神が獲物を探している。

 「まだだ」 「死」が言った。それは無人の路地に語りかけていが、それは自分に向けての言葉だとエイマンはわかっていた。「死」の抑揚は聞き慣れないもので、遥か東のそれのようだった。少年の頃、エイマンは父親の貿易船を手伝ってテリシア周辺を旅していた。ペンレゴンの質素な港は定期的に立ち寄る場所であり、エイマンはアルガイヴ人を乗せたこともあった。「死」が話す言葉はそれに似て響いた。

 「死」は続けた。「早すぎる。何年も離れている。何十年か。ここでは起こらない」

 安堵と困惑が彼に押し寄せた。エイマンは希望を抱いた。

 「死」は溜息をつき、そして「死」は消えた。


 二週間後、エイマンの熱はようやく下がった。彼は足を引きずりつつ、風通しの良い医療用テントから出た。体の右脇腹に痛みと痒みを感じたが、癒えていた。彼は片目を失ったが、その他は矢が刺さった場所が皺状の傷跡になった程度だった。

 砂漠の乾いた風が額の汗を冷やした。

 エイマンの戦争は終わった。そして人生はまだ始まったばかり、そう確信していた。彼は水色の空を見上げ、高く漂う薄い雲をたどり、鳥が羽ばたく様を見つめた。

 「死」は言っていた――まだだ、と。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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The Brothers' War

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