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Magic Story -未踏世界の物語-
かの闘技場にて
かの闘技場にて
Doug Beyer / Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori
2016年10月12日
前回の物語:解放
パースリー夫人の人脈を辿り、チャンドラとニッサはピア・ナラーを探していた。だがピアを発見はできず、彼女らは領事府の地下刑務所施設に囚われてしまった。絶体絶命のさなかにレオニンのプレインズウォーカー、アジャニが現れ、彼女らは瀬戸際の選択をせずに留まった。リリアナはカラデシュにおけるテゼレットの存在を懸念して一人離れ、ゲートウォッチのもう二人、ジェイスとギデオンはラヴニカに残っていた。
ラヴニカ
肉儀場は満員で、騒騒しく、思考で満ちていた。天井から下がる長い鎖に演者達が揺れ、歯や棘がぎらついていた。ジェイスは中央の列に座り、曲芸師と火飲みからは距離をとりながら、だが笑い声と騒音の中心にいた。
《ラクドスの首謀者》 アート:Jason Felix |
その隣にはイゼットの魔道士が座り、装着したミジウム製の篭手からはエネルギーの筋が弧を描いていた。ラル・ザレックの電気的オーラの背後に隠された懸念をジェイスは察知した。彼は心の耳をその魔道士へ向けて開いた。
『ギルドパクトって奴は本当に――』 ラルの心の真正面にあったのはその思考で、多彩な罵詈雑言と驚くほどに視覚的な表現の奔流が続いた。
ジェイスは聞こえるように溜息をついた。
ラルは笑いをかみ殺した。「お前が本当に俺の心を読めるのかどうか、試したんだよ」
『実験成功』、ジェイスはそう思考した。彼は舞台へと顔を向け、ラクドス教団の演者達を見つめた。騒音の中に紛れた、よくいる観客として。『ギルドパクト庁舎じゃ駄目だったのか。本気でこのショーを見たいってわけでもないだろ』
ラルは思考で返答した。『お前の公的な訪問者は全員記録されて追跡されてるからな。安全じゃない』
つまり、ラルはイゼット団の関係者としてここにいるのではなかった。一人のプレインズウォーカーとして、ジェイスと話したかったのだ。『じゃあ、何だ?』
『妙なプレインズウォークがあった』 ラルの思考がそこで停止した。考え込んだか、もしくは次の思考を作るためか。『何者かがラヴニカから離れていった、......妙な形で』
『何? 誰が? どうやってそれを知ったんだ?』
『外の雲を見ただろ、ベレレン。少しは自分で考えろ』
『電光虫計画か?』
『そういうことだ』
ジェイスは眉をひそめた。『あれは、俺達が結果を改竄した後に中止されたんじゃなかったのか?』
『公式にはな』 ラルの思考が内へと螺旋を巻いた。魔法的に創造された雷雲と敏感な感知機構の映像がその心によぎり、ニヴ=ミゼットの熱い息が上からかかる中、半分だけの真実を注意深く伝える記憶が続いた。
ジェイスは視線を横に動かしてラルの表情を見ずにはいられなかった。その男の額には懸念の皺が描かれていた。
ラルの思考は続いた。『何者かが次元を渡った時に、探知機は今も作動する。俺はしばらくその結果を見てきたが、ニヴ=ミゼットと俺のギルドへはほとんど隠し通している。お前に連絡したのは、ヴラスカが次元を渡ったのを確認したからだ』
そのゴルゴンの名を聞いて、ジェイスの背筋が冷たくなった。
『あの女はラヴニカを離れた。行き先はない』
『行き先はない?』
『どこかの次元へ渡ったんじゃない。出ていっただけだ』
『意味がわからないよ』
『だろうな』
『探知機の不調か?』
ラルは気短に手を打ちつける動作をした。『実験は完璧に動作していた。出発のパターンは本物だが、終点の記録が妙だった。ヴラスカはそれ以来姿を見せていない。まるで虚空へ渡ったように』
ジェイスはラルの心に静電気的なパターンを見た。何処へとも知れぬ先へと消えるプレインズウォークの記録。ラルがどれほど困惑したかを彼は感じた。これまでの実験で同じパターンを示したものは何もなかった。
《誘導稲妻》 アート:Slawomir Maniak |
『それはそれで興味深いな』 ジェイスは思考を返した。『いや、待ってくれ。俺がラヴニカを離れた時もわかるって事か?』
『まずゼンディカー、次にイニストラードへ。だろ?』 ラルは今も演者を見つめていたが、得意そうに上げられた眉はジェイスに向けられたものだった。『で、今回はしばらくいるのか? それともギルドパクト様はまたしばらくラヴニカを不在にすると思っていいのか?』
『それは......あ......聞いて欲しいんだ、ラル――』
ラルは退出しようと席を立った。『何にせよ、お前は知りたいだろうと思ったんだよ。前に聞いた限り、ヴラスカはお前を心底嫌ってるらしいからな』
『あ......ありがとう、ラル。だから待ってくれ』
ジェイスは苛立つ観衆を手探りで抜け、ラルを追いかけて劇場を出た。彼はそのイゼット魔道士を追いかけて通りへ出て、ようやく追い付いた。「ラル......」
「心配すんな」 ラルは篭手を振りかざして言った。「お前の秘密を明かすつもりはねえよ。ただ覚えておけ、お前が馬鹿やって手に入れた地位が欲しくてたまらない奴もいるんだ。ここにいるうちに頑張っておくことを考えた方がいいんじゃねえのか?」
「そうするよ」 ジェイスはそう答え、そしてラヴィニアを思った。彼女は今もジェイスが執務室にいて、書類の束の上にうずくまり、ギルド間の微妙な調和を保つ不平だらけの仕事をしていると考えている。もしかしたら既に自分が残してきた熱心な幻影を見破って、いつものように「ギルドパクトーーー!!!」と天井へ向かって叫んでいるのかもしれない。
ジェイスの肩を叩く指があった。振り返るとリリアナが二人の前に立っていた。違う世界のかすかな香りがした。
彼女はラルを一瞥し、ジェイスを見つめた、墓のように厳めしく。「見つけた。カラデシュへ行くわよ」
ラルは腕を組み、値踏みするように精一杯眉を吊り上げた。
ジェイスは歯ぎしりをし、低い声で不平を漏らした。「今は都合が悪いんだけど」
アート:Dave Kendall |
「どうでもいいわよ。こっちの方が優先」 彼女は横柄に肩を引いたが、落ち着かなく動くその足元にジェイスは気が付いた。リリアナの語調、普段の少しだけ残酷な揶揄は強迫的な早口に変わっていた。
「チャンドラは見つかったのか?」
「見つかったのは別の人物よ。テゼレット。生きていたわ、元気に」
ジェイスは唐突に唾液を飲みこめず、むせた。
リリアナは一瞬空へ視線を向け、敷石へ、通りすがりの行商人の荷車へ、あちこちを見ながらもジェイスの顔だけは直視しなかった。そして低い声色で続けた。「わかってる、私だってこんなことを伝えたくはなかった。他の手があれば――でもね。カラデシュへ来て頂戴、あの筋肉を連れて」
ジェイスが反応するよりも早く、リリアナの姿が揺らぎはじめた。街路の只中で、知らない者の目の前でプレインズウォークするというのは彼女らしくなかった。その姿が消えた時、ジェイスとラルは顔を見合わせた。ジェイスは言葉が見つからなかった。
「ギルドパクト、俺が思うに」 言い訳しようのない状況に、ジェイスは肩をすくめて両手を広げた。「......行っとけ?」 ジェイスはわずかに俯いた。
ラルはジェイスを軽く一瞥し、鋭くかぶりを振り、そして立ち去った。ジェイスの脳は可能な限りの説明を並べたが、そのどれも十分とは思えなかった。代わりに彼は気を取り直し、一つ息を吸い、ギデオンを捕まえるべく裏道を駆け出した。
カラデシュ
ニッサは確認すべく辺りを見渡した。自身とチャンドラ、パースリー夫人、そして長身の猫人と共に橋の下に集まり、今は安全に思えた。領事府の兵も、ドゥーンドの工作員もいなかった――ただ周囲の都市のざわめきだけがあった。重く巨大な機体が通過し、頭上の橋を揺らした。その軌跡の隙間から陽光がひらめいた。ニッサはもつれた光と音にひるんだが、少なくともバラルの罠から脱出できたことは確かだった。
「アジャニさん、本当に助かりました」 パースリー夫人が晴れやかな顔で、頬に皺を寄せ、彼の上腕の毛皮を掴んで立っていた。「ありがとうございます」
「驚きましたよ、おばあちゃん」アジャニは穏やかに喉を鳴らした。
「ありがとう、アジャニ」 ニッサも礼を言った。カラデシュに彼のような猫人はいないらしく、この厄介な状況をどう説明したものかと迷った。「ここには......長いこといるの?」
「前にいた所よりは......私は少々異質だな」 アジャニはそう言って、肩にまとう外套を意味ありげに直した。「ここ何週間か、テゼレットの動きを追っている」
パースリー夫人がアジャニの大きな掌を軽く叩いた。「チャンドラさんも人を探しているのです。ピアさん、お母さんを。テゼレットの部下にさらわれてしまったのです」
ニッサは密かな心配にチャンドラを一瞥した。その紅蓮術師は品評会に出た神経質な馬のように行き来し、街路のモザイク模様を蹴り上げていた。
アジャニが返答した。「私はパースリーおばあちゃんを安全な所に。その後に手分けして街を探すべきだと思います」
「そうね」 ニッサが言った。「全員で動けば、領事府がピアさんをどこへ連れて――、チャンドラ、どうしたの?」
チャンドラは炎の柱と化していた。彼女はまっすぐに立ち、街路の先を見つめていた。その髪は燃え上がっていた。その視線をたどると、塔の側面に辿り着いた。
尖塔から、巻き取り機構らしきもので下ろされて幾つもの垂れ幕が広がった。それは巨大で全く同一の、大袈裟な筆致で堂々とした絵が描かれていた。光の線に囲まれて誇らしく立つテゼレット審判長、そして巨大な文字がその頭上に弧を描いた。「発明家の皆様! 世紀の対決をご覧下さい!」
その垂れ幕の隅から睨み付けているのは、尖って醜悪な線に囲まれているのは、風刺的な姿のピア・ナラーだった。
その下の文字が叫んでいた。「テゼレット審判長対改革派の長ピア・ナラー。大展示場にて、究極の発明の才がここに激突する」
そして「明日正午」と締められていた。
「チャンドラ」 ニッサは穏やかに声をかけた。
「あいつは私を呼んでる。行かないと」
「ええ。でも私達は罠から脱出したばかりで......」
「お母さんが生きてる。それが全てよ」
ニッサはパースリー夫人とアジャニとの間に視線を行き来した。
アジャニは頷いた。「それが全てだ。けれど私達四人だけでは......」
領事府の制服を着た武装兵が三人、道を横切って彼女らへと向かってきた。中の一人がニッサを指さした。「あそこだ――いたぞ!」
ニッサは咄嗟に道路の下、生きた植物の根へ呼びかけ、成長させて兵士達の脚をもつれさせようとした。だが上を一瞥し、この橋を倒壊させて逃走することを考えた。アジャニは威嚇の唸り声を上げ、背中の巨大な双頭の斧へ手を伸ばした。チャンドラは既に燃え立っていたが、彼らに向き直ると拳を握りしめ、小さな炎の彗星を構えた。パースリー夫人ですらも行動に移った。彼女が小型の自動機械を取り出すと、それは一揃いの組み合う車輪で動き出した。
だが兵士達が近づいてくると、それらの姿は揺らいで影がぐらついた。まるで水彩画が水に流れ、その下のカンバスに描かれた別の何かを見せるように彼らの身体が消えた。歪みが晴れると、よく知った顔が現れた。ジェイス、リリアナ、ギデオン。
ジェイスが口を開いた。「これはゲートウォッチが介入すべき問題だ」
ニッサは呪文を中断し、手で顔を拭った。「変装が上手すぎるわよ。あなたたちに重傷を負わせる所だった」
「潜入しようとしただけだ。テゼレットがいるって聞いたが?」
「奴はこの世界に。そしてチャンドラさんのお母さんを捕らえている」アジャニが言った。
「このレオニンは何?」 リリアナが尋ね、アジャニを測るように見上げた。
「ゲートウォッチとは?」 アジャニが尋ね、彼女を見下ろした。
都市を監視する何十何百の飛行機械とは異なり、宙に留まり浮かんでいる飛行機械が一体いた。
それは何十何百の他のそれと同一で、回転翼がうなりガラスの角膜の中でレンズを動かしていた。だがこの一つは宙を飛びながら、巡回中に停止していた。眼下の幾つかの人型生物へレンズを定め、小さな真鍮のシャッターが素早く動いた。一連の内部歯車とプリズムが光の映像を反射して結晶化霊気に押しつけ、車台の回転ドラムに取り付けられた小さな銅板に焼き付けた。
役目を終えてその特別な飛行機械は安定台を傾け、補助回転翼を動かして上昇した。
飛行機械はうなりを上げて屋根を越え、渡りの鶴の編隊を軽快に過ぎた。翼を傾けて好奇心旺盛なドレイクの飛行路を避け、更に高度を上げて空の暗い姿へと行き先を定めた。飛行船スカイソブリン、その巨大な木製の着陸装置に小さな円形の荷役口が開いた。スカイソブリンは飛行機械を受け止めて飲み込み、その背後で開口部が滑らかに閉じた。
機械式の鉤が並ぶコンベアーに飛行機械は腹部から着地し、回転翼がうなって停止した。鉤が飛行機械を掴み、コンベアーに乗ってスカイソブリン腹部内の真暗な機械式輸送管へと運ばれていった。そして鉤が緩んで飛行機械を光の中へ投げ込み、それは更に速く流れるコンベアーに乗ってスカイソブリンの偵察区画を進んだ。そして速度を落とし、コンベアーから落ちてまた別のコンベアーを進み、やがて華麗な金属の回転式装置に音を立てて落下した。回転した先に、人間の手があった。
カンバール領事が飛行機械を机に置いた。彼は器具の栓をひねり、飛行機械の腹部にねじ込み、一枚のパネルを開いた。彼は映像のドラムを取り出し、銅板を光に掲げた。一枚ごとに独り言を呟き、そして一つを特定した。そこには彼の標的が映っていた。ナラー、改革派の長の娘を。彼女とその同胞らが密かに垂れ幕を見つめていた。
カンバール領事は言い放った。「急使はいるか?」
若い女性が現れ、両手を制服の脇に。「閣下、御用でしょうか?」
「バーン検査官に警告しろ。餌は置かれた。押収の準備だ」
ピアは自身の両手首の結束を見下ろし、娘を思った。宝石のような手枷がピアの皮膚を噛んでいた。チャンドラにそうしたように、娘が十一歳だったあの日のように。彼女は近くの壁に肩をもたせかけた。ここは闘技場の裏側、関係者用通路の一つ。「舞台裏」。
あの子もそうだったに違いない、彼女はそう思った。待つということ。熱い屈辱の場を。あの日と同じように、一人の男が観衆へと微笑み、暴力の見世物のために金属の腕を掲げる。更にここは同じ闘技場でもある、それは自身への特別な侮辱なのだとピアは推測した。チャンドラが世界の外へ引き裂かれる前に、母親を探して観客席を見つめた場所。
ピアの最大の希望は、あの日をなぞるように観客席にチャンドラの姿を見ることがないことだった。可愛い子、離れていなさい。安全な所で、どうか生きて。これは速製職人の公開展示会だと垂れ幕は告げていた――即席の材料を用いて行われる発明家同士の決闘、そして組み合わせは博覧会の審判長と悪名高き改革派の長。だがそれは嘘だと彼女は知っていた。テゼレットは発明博覧会のために自分を見せしめにするのではない。寄せ餌のためなのだと。
外の闘技場から、拡声器を通した声が壁越しに聞こえた。司会者がラシュミの最優秀賞を告げ、続いて喝采の爆発があった。自身の隣で働く特権と利益を語る審判長の声は芝居がかっていた。更なる歓声、とはいえ回廊越しに届いたその音はぼやけて喜びはなかった。
役人が一人、二揃いの鍵を鳴らしてやって来た。その男が口を開くまでピアは顔を上げなかった。その声を知っていた――かすれて悪意に満ちた声。
「ナラー、お前の役割を果たす覚悟はいいか?」 仮面を持ち上げ、バラルが言った。顔の片側で薄い色の火傷が笑みに歪み、その向こうの奥歯が見えた。
ピアは拘束の中で身をよじったが、自身を落ち着かせた。嫌悪の波に襲われ、だが顔を上げてバラルの先を見つめた。「私の家族にどんな偏執を持っているか知らないけれど、私達を罰することでお前の価値が上がるってどんな可笑しい根拠で思ってるか知らないけど、そんな事は問題じゃない。お前はどうやっても私の娘を傷つける事なんてできないのだから」
「そうかな、だが無論聞いてはいないだろうが」 バラルは叱りつけるように言った。「娘らはお前を探していた。悲しいことに全く見当外れの場所をな。あの救出計画は悲しいことに無意味だった」
彼女は一瞬、恐怖の目でバラルを見たが、それは嘘をついている顔だと思い直した。彼女は闘技場へ視線を戻し、噛みしめるように言った。「もし髪の毛一本でもあの子に傷をつけたら――」
「会えれば良いと思わないかね?」 バラルは尋ねた。「あの娘はここに来るのだろうか? テゼレット氏がお前に恥をかかせれば、あの娘は助けにやって来るのだろうか?」
お願い、来ちゃ駄目。お願い、お母さんが言う通りにして、もう一度だけ。
「時間だ、改革派の長。私と来るか?」
彼は手かせを掴んで引いたが、ピアは手首を放させて自力で歩き出した。
闘技場には正午の眩しい光が満ちており、二人はそこに続く階段の踊り場で立ち止まった。領事府の衛兵がエルフの発明家ラシュミともう数人の発明家らを案内し、階段を降りていった。彼らは息もつけない論議に没頭していた。彼らは興奮を香水のように漂わせ、バラルがピアの手かせの結束を外しても、衛兵がそっと道をあけても気付くことなく、栄誉ある発明家達は通り過ぎていった。
「そしてご来場の皆様、市民の皆様」 司会者が媚びるように告げた。「本日の公開展示はまだ終わりではありません、もうしばし席を立たずにお待ち下さい。速製職人の対決は博覧会の特別な思い出になること間違いありません。それでは最初の挑戦者、皆様の博覧会の栄誉ある監督官、テゼレット審判長!」
今やピアには歓声すら聞こえなかった――心が急いていた。出入り口の向こうの観客席を見つめた。観衆の中に改革派の姿は見つからず、チャンドラもおらず、知る者の姿はなかった。改革派の仲間を完全に閉め出すべく、テゼレットの部下が入場者を厳しく確認し通したに違いなかった――あるいはもしかしたら自分は全くもって寄せ餌などではないのかもしれない。唯一の希望は、可能な限り楽しませること、観衆の支持を得ること――独房と手かせの外に留まるために、最善を尽くすこと。
「ここでお前を見送ることができて嬉しく思う」 奥歯を見せながらバラルが言った。「お前に別れを告げる機会を逃したくはないからな」
どういう意味? 冷たい感覚が胃袋にうねった。
司会者が彼女を決闘場へ呼んだ。「そして観客の皆様、市民の皆様、審判長に対するは」 声が轟いた。「霊気犯罪を仕掛け、皆様の発明博覧会を破壊しようとした......ピア・ナラー!」
バラルが剣で背中を突き、彼女は嘲りと野次が響き渡る中へと踏み出した。そして自分の開始位置まで歩き、テゼレットを見つめた。彼は離れて立ち、観衆を煽ることすらいとわなかった。目の前には刺繍された布地に覆われた輸送容器が置かれており、同じものがテゼレットの前にもあった。
司会者の声は静かに発せられ、そして躁的に音を上げた。「今、この歴史的闘技場にて、最後の挑戦が行われようとしています。この二人の高名な発明家の勝者を決めるのです。ギラプール市民の皆様、どうぞ目を離すことなく。我々の都市と世界の未来が真に決まるのです。試合......開始!」
《宿命の決着》 アート:Chris Rallis |
ピアは輸送容器から覆いを取り去り、素早く中身を評価した。歯車と金属板の一揃い。吹きガラスが数片。基本的な霊気燃料管。幾つかの初歩的な器具。多くの事はできない、観衆を興奮させるほどには。
彼女は顔を上げた。テゼレットは既に部品をあさっており、既に何かの脚が完成途中にあった。速すぎる!
彼女は供給品の容器に両手を突っ込み、金属部品に触れると、発明本能が活気付いた。折って、合わせて、点付け溶接。得意分野を生かせばいい。どんな姿になりたいのか、彼女は部品に語らせた。まるで昔の発明の日々のように......そして基本的な四枚羽根の設計が姿を現しはじめた。速度のために車台は軽く、鼻先には針を。キランさえここにいてくれたなら、追加の操縦装置か何かを付けてくれるだろう、もしかしたら観衆をちょっと楽しませるような......
集中して。今はこれを飛ばすことだけ。
霊気線を風切り羽の集合体に叩きつけると、飛行機械が生命を得た。「おおおお!!!」 群集の声が聞こえた。彼女はそれを羽ばたかせてテゼレットへと向かわせた、次の設計を進める間に敵を妨害できることを願って。
テゼレットは既に銀色の芋虫のようなものを作り上げていた。立ち上がると彼の背よりも高く、鋭い鋏と脚の下部構造を見せていた。観衆は熱狂的に拍手をした。一体どうやってこの部品からあんなものを? いかさまじゃない訳があるの? 飛行機械はテゼレットの周囲を旋回し、その針で彼の頭部に切りかかった。彼は無造作にそれを払いのけ、芋虫をピアへと向かわせた。
アート:Izzy |
彼女は素早く粗末な霊気装置をしつらえ、金属板を溶接しながら芋虫へ急ぎ向かわせた。芋虫は小走りに前進して霊気装置に切りつけ、二つに裂いた。だがピアはその中に驚くべきものを仕込んでいた――小さな起爆装置を。霊気装置は煙と小片の小さな球となって爆発し、芋虫の足を吹き飛ばした。観客から大きな反応があった。もしかしたら必然の結末を遅らせる以上のことができるかもしれない。勝てるかもしれない。
ピアは前方へ跳んでテゼレットの芋虫の部品を拾い集めようとした。明らかに彼女の側にはない部品だらけだった――そしてピアにはわからない金属すらもあった。彼女は飛行機械が攪乱を続けられることを願いながら、その車台を裂いて次の発明のために回収を始めた。
部品を組み合わせて過激な新設計を作り出し、ピアは戦い続けた。だが彼女の装置がいかに賢くとも、テゼレットは強く耐久性のあるものを不可能な速度で投げ返した。彼の装置がピアのそれを食らい始め、部品が不足し始めると、技術では敵わないことを実感した。
彼女は背を向けて輸送容器へ駆けようとしたが、鋭い金属の肢がすぐ隣に刺さり、転げた。見上げると、今度は蟹に似た自動機械が彼女の飛行機械をその脚に突き刺していた。飛行機械は弱々しく翼を動かし、そして停止した。
アート:Izzy |
テゼレットを見上げると、彼は金属の右腕を掲げて大股で向かってきていた。金属の帯が彼の意図に従って不自然に動き、自ら渦を巻いて鋭い脚を持つ自動機械の小隊となった。それらは立ち上がり、銀色の肩に顔のない軍勢が彼女を包囲した。
観衆はテゼレットの名を叫び、勝利を称えていた。
「お前の負けだ、ピア・ナラー」 ピアだけに聞こえる程の声でテゼレットは言った。「そして今、お前の娘が罪の審判を受けたこの場所で、相応しい正義をもたらしてやろう」
彼は腕を掲げ、そして輝く自動人形の軍勢が一斉に向かってきた。先頭にいた自動機械の胸部が自ら形を変え、鋭く切り裂く脚と化した。テゼレットは腕を高く掲げたまま、ぎらつく目でピアを見下ろした。
こいつは観衆を楽しませているだけじゃない。私を殺そうとしている。
テゼレットが腕を振り下ろし、金属の創造物が飛びかかってきた。転がって避けるか、それとも避けられない攻撃を逸らすことができれば......
その自動人形が歪み、熱く輝く傷から煙を上げながら横へよろめいて砕けた。観衆は息をのみ、その源へと目を向けた。彼らの中、怒れる形相の、炎の髪をした若い娘から炎の稲妻が伸びていた。
『まだだ!』
『何度言ったらわかるの、ジェイス!』 チャンドラは思考を返した。『短く、わかりやすく言って!』
チャンドラは観客席から闘技場へと飛び降りた。幻影の魔法は上手く彼女の姿を隠していたが、紅蓮術を放った時にゆらめき落ちていた。
『あいつの背後に何がいるかを知りたい』 ジェイスの切迫した思考。『あいつを逃がすな!』
母親が、驚くほどの厳しさで見た。「チャンドラ、すぐにここを出なさい。これは罠よ!」
「そうね、知ってる」 チャンドラはそう答え、新たな炎の呪文のためにマナを集めた。「そして私はお母さんを助け出すために来たの」
「それこそあいつの思う壺なの! 子供は私を置いて逃げなさい。今すぐに」
「私はもう子供じゃないし、もうお母さんを失いたくないのよ!」
「お前が小娘の方のナラーか?」 テゼレットは左右非対称の両手を合わせた。「母親がたった今負けた対決に加わるか? 実に感動的だ」
チャンドラは観客が皆、席から身を乗り出すのが見えた。彼らは家族劇に魅了されていた。「テゼレット、あんたに対抗するものを作るつもりはないけど、あんたを負かしてやるわ」
「だが、ここでか?」 テゼレットはくつくつ笑った。「この闘技場でか? あえてここで私に対峙しようというのか、かつてお前が――」
「そうよ」 チャンドラは断言した。「私は辿り着いた、処刑されかかった所へ。凄く詩的でしょ。それじゃ、戦いましょうか?」 彼女は掌の一点に集中し、炎の球がその上に成長した。
囁き声が観衆の中を駆けた。領事府の兵が急ぎ、チャンドラを包囲して逮捕しようとした。だがテゼレットは片手を挙げて彼らを制した。そして兵士の一人へ素早く指示し、追い払うと改めてチャンドラに向き直った。自動機械達が無意識の操縦で彼に倣った。
「戦おうではないか、小娘」 テゼレットは宣言した、今や観客へと向かって。彼の自動機械達が一歩進み出た。「到底、公平な戦いではないがな」
チャンドラは火球を二つに分割し、両の掌が燃え上がった。「公平な戦いなんて誰が言った?」
その背後で幻影の群れが溶け、一人また一人と、プレインズウォーカー達が姿を現した。
《劇的な逆転》 アート:Eric Deschamps |
彼女の仲間は武器をとり、呪文を構えた。テゼレットがごく僅かに後ずさったことにチャンドラは気付いた。
一瞬の沈黙が過ぎ、観衆は叫びの不協和音と共に立ち上がった。チャンドラは思った、彼らの中ではこれは見世物の一部、大展示の劇的な終局なのだと。「倒せ、審判長!」 何人かが叫んだ。「改革派、やっちまえ!」 別の声が叫び返した。「テゼレット、いかさま野郎!」 そんな声も上がった。
『チャンドラ』 ジェイスの声が脳内に入ってきた。『あいつの自動機械が俺の精神魔法をどうも防いでいるらしい。俺達が近づけるようにしてくれ』
『金属のを爆破すればいいのね』 チャンドラは返した。『まかせなさいよ』
アート:Raymond Swanland |
アジャニとギデオンが彼女の母を守るべく動くとすぐに、チャンドラは自らを解放した。炎が跳び、拳のようにテゼレットの機械に叩きつけられ、一体また一体と倒していった。ある自動機械はその場で融けた。ある一体は彼女を死角から切り裂くほどに近づいて頬をかすめたが、突如成長した蔓の庭にて錆びついた装飾と化した。
テゼレットは長い金属の鉤爪で命令し、金屑が自ら曲がって新たな機構へと組み替わり、チャンドラの炎の爆発の下をくぐり、ニッサの蔓から抜け出した。それらが前進してくると、チャンドラは炎が噴き出す拳を放った。自分の脇をギデオンとリリアナが守る様子がわずかに見えた。はぐれた自動機械が彼女の母を攻撃しようとしたが、ニッサとアジャニによって砕かれた。
観衆はどう反応すべきか一瞬を要した。装置もなく唱えられる呪文はカラデシュで滅多に見られるものではなかった。だが彼らはその壮観な戦いに歓声を上げることを選び、チャンドラはそれを聞いた。
テゼレットはよろめいて後ずさり、その時初めてチャンドラは彼が次の攻撃を躊躇する様子を見た。彼女はジェイスへと思考を送った。『読めた?』
『まだだ』 ジェイスは返した、その精神状態からは罵りが漏れ出ているようだった。『何かが俺を防ぎ続けてる』
『急いで!』
『あいつの守りが堅すぎる。お母さんは確保した。ここから離れるべきだ』
チャンドラは母親を、そしてテゼレットを見た。『ここで全部終わらせるべきよ。今ここで』 拳の炎が彼女の腕を昇り、視界が炎に揺れた。
ジェイスの思考には警告の声色があった。『チャンドラ、あいつはあらかじめ精神魔法を防いでいた。つまりこの事に備えていたってことだ。俺達が来るってことを。まずった......』
チャンドラの拳が閉じ、炎を眩しく焼け付く小さな点にまで握った。歯を食いしばり、そして震えた。『私はここで......』
リリアナの思考が入ってきた。はっきりと、鋭く。『殺すのよ』
巨大な影が闘技場の上を通過した。チャンドラが見上げると、飛行船スカイソブリンが空を遮っていた。その巨体は闘技場の幅ほどもあり、内部動力をゆっくりと動かして浮いていた。威圧的な旋回砲塔がその下部に回転し、霊気の稲妻を帯び、砲台は下へ向けて定められていた――発射するのではなく、威嚇のために。
大きく笑みを広げ、テゼレットは闘技場全体へと高らかに告げた。「これにて発明博覧会を閉会致します、皆様、この世界の素晴らしき発明家に、心から御礼を申し上げます――ありがとう」 彼は丁寧に小さく頭を下げ、そして線条細工の鋼の柱に乗って宙へ去っていった。
パンハモニコンが頌歌を奏で、そして祝賀の花火が闘技場周囲の塔から数発上がった。観衆の完全な沈黙の中、それらは派手で奇妙に響いた。
チャンドラの両目が掌の熱い点に、そしてテゼレットの昇っていく顔へとひらめいた。彼は撤退した。母を苛め、そして退散した。
「終わった」 彼女の隣でニッサが静かに言った。心から誰かにそう言って欲しかったとチャンドラは気付き、驚いた。「続きはまた。今は、終わった」
チャンドラは彼女へと頷き、感謝と安堵の溢れる波に浸った。拳に圧縮された点の炎は無へと散って忘れ去られた。
十一歳の時、チャンドラはこの闘技場を見渡していた。観客席を探し、母親の顔が見られるかもしれないという細い希望にすがって。そんなことはしなくてもよかった。今この時、彼女は再び闘技場におり、そして母はすぐそこに立っていた。
母は両腕を広げていた。チャンドラは駆け、その中へ飛び込んだ。
煙る火山平原をケラル砦から見つめながら、千度も夢見てきた瞬間にチャンドラは浸った。もし一度だけでもお母さんに会えたなら――どんな感じだろう? 今もお母さんは少しだけ溶接材料と薔薇の花弁の匂いがするの? 何を言ってくれるだろう? どれだけ愛しているか、どれだけ感謝しているか、どれだけ帰りたかったか、また一緒にいられてどれほど安心したか、どんな素晴らしい言葉を尽くして伝えられるだろうか?
彼女は口を開き、そして視界が霞み、溢れ出たのは僅かな言葉だけだった。
「お母さん......ごめんなさい」
母は何か心地良い言葉を彼女の髪へ囁き、引き寄せ、強く抱きしめた。
《安堵の再会》 アート:Howard Lyon |
その上空でテゼレットは上昇を続けていた。金線が広がって彼を空へ運び上げた。スカイソブリンは彼をその船体へ迎え、再び包み込んだ。パンハモニコンは無人の祝祭の中で演奏を続けていた。スカイソブリンがゆっくりと旋回して離れると空は再び明るくなり、観衆は黙った。
観衆が退出を始めた頃、チャンドラは彼らから抗議の叫びが上がるのを耳にした。彼女は母と腕を組んで群集の中を進み、仲間達もその後に続いて闘技場を出た。母の黒髪に混じる鉄灰色の筋、そして顔の皺に彼女は気付いていた。辺りでは困惑した表情の人々が集まり、次第に狂乱の声を上げ始めていた。
華麗な金色の装飾を衣服にまとった女性が、チャンドラと母の目の前に現れた。彼女は切り出した。「サヒーリ・ライといいます。お二方とお話ししたいことが」 その表情は非常に深刻だった。
「何?」 チャンドラが尋ねた。「何があったの?」
「発明品が無くなったんです」
「え?」 ピアとアジャニが揃って声を上げた。
サヒーリが続けた。「領事府がラシュミや他の皆をさらって行ったんだと思います。博覧会に持ち込まれた装置全部と一緒に。表彰された発明品も、情熱的な計画も、ラシュミの画期的な作品も、全部なくなったんです、奪われたんです。大展示での活躍を見ました......助けて頂けませんか?」
今やチャンドラは周囲に上がる叫び声の内容を把握した。彼らは発明家、博覧会の競技者だった。「俺の発明が!」「あの設計に全てをかけたのに!」「どういうつもりだよ!」 領事府の兵士らと自動機械が彼らを強制的に退場させた。闘技場に入った時にはここまで厳重な警備はなかった。
「これがテゼレットの計画」 ピアが憤りとともに言った。「何もかも、壮大な陽動だった」
ジェイスが言った。「一旦ここを出てから仕切り直した方がいい。そしてあいつを止める。あいつは何かを企んでいる」
アジャニが低く唸った。「テゼレットは、何かを建造している」
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