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企画記事

追悼 梅咲直瑛さん
マジック:ザ・ギャザリングのジャッジ、イベント主催者、プレイヤーなど、さまざまな立場で長年にわたり日本のマジック・コミュニティを支えてきた梅咲直瑛さんが、約1年4か月にわたるがんとの闘病の末、2026年8月19日に逝去されました。謹んで哀悼の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
梅咲さんは、長年にわたり、ジャッジ、イベント主催者、プレイヤー、そして時には記事の書き手として、日本のマジック:ザ・ギャザリングをさまざまな立場から支えてきました。中でも、その活動の大きな柱となったのがジャッジとしての立場でした。
2000年代初頭から認定ジャッジとして活動を始めた梅咲さんは、当時のジャッジ・プログラムにおける高位資格であるレベル3ジャッジとなり、国内外の数多くのプレミアイベントに参加。グランプリや日本選手権をはじめとする大規模な大会で、幾度となくヘッドジャッジを務めました。
その活動は日本国内だけにとどまりません。梅咲さんはヨーロッパや北米、アジアをはじめ世界各地のイベントへ積極的に足を運び、2015年のグランプリ・シンガポールでは、日本人ジャッジとして初めて国外で開催されたグランプリのヘッドジャッジを務めました。そして梅咲さんが何より大切にしていたもののひとつが、次の世代を育てることでした。梅咲さんがまいた種は、その後の日本のマジックを支える多くの人々へと受け継がれていきました。
一方で、梅咲さんがマジックに貢献した場所は、大規模なプレミアイベントだけではありません。
関東のプレイヤーに長く親しまれた草の根トーナメント「五竜杯」。梅咲さんはその運営を長年にわたって担い、地域のプレイヤーが集まり、競い、交流できる場所を作り続けました。それは「大会を運営する人」と「そこで遊ぶ人」を分けて考えるのではなく、地域にマジックを楽しめる場所があり、その場所をみんなで育てていくことそのものを楽しむ、梅咲さんらしい姿勢だったのかもしれません。
そして忘れてはならないのが、梅咲さん自身が、誰よりもマジックを楽しむひとりのプレイヤーでもあったことです。ジャッジやイベント主催者として多くのプレイヤーを支える一方で、自らもマジックを楽しみ、競技マジックに挑戦し、プロツアーへの出場を経験。日本選手権で好成績を収め、世界選手権の舞台にも立ちました。
2009年の世界選手権に出場する梅咲さん
マジックには、「Play the Game, See the World」という言葉があります。
ゲームをプレイし、世界を見る。梅咲さんほど、この言葉をさまざまな意味で体現した人は多くないでしょう。
プレイヤーとして世界の舞台に立ち、ジャッジとして世界各地のイベントへ赴き、そこで多くの人々と出会う。そしてイベントが終われば、その土地を歩き、その土地の文化や食事、観光も楽しむ。マジックというひとつのゲームをきっかけに、人と出会い、場所を訪れ、新しい経験をし、それをまた次の誰かへとつないでいく。その結果として、梅咲直瑛さんは、20年以上にわたり、日本のマジック・コミュニティのさまざまな場所に関わり、多くのものを残してくれました。
ここからは、長年にわたり梅咲さんとともにマジックに関わってきた方々から寄せられた言葉とともに、その人柄と思い出を振り返りたいと思います。
リカルド・テストーリ/ Riccardo Tessitori
初めて梅咲さんに会ったとき、私は「素晴らしいジャッジに出会った」と思いました。
その後、ジャッジの制服を脱いだひとりの人間としての梅咲さんを知る機会に恵まれ、私は気づきました。
素晴らしいのはジャッジとしてだけではない。その内側には、本当に素晴らしい心を持った人がいるのだと。
真剣であるべき場面では、誰よりも真摯なプロフェッショナルとして。
イベントを終え、仲間や友人たちとその時間を祝うときには、親しみあふれる友人として。
人生や大切にしている価値観について語り合うときには、物事を深く考えるひとりの人間として。
そして、文化や育った環境が違う相手とも自然に心を通わせ、絆を築くことのできる、聡明で心の開かれた人として。
梅咲さんと出会い、人生という長い道のりのほんの一部でも、ともに歩むことができたことを、私は幸運に思っています。
私は彼から多くのことを学びました。
そして、彼と出会えたことで、私は以前よりも少し良い人間になれたと思っています。
仕事でも、プライベートでも、彼とたくさんの時間をともにしました。
人生のとても苦しい時期にあっても見せてくれた、あの笑顔を、私はこれからもずっと忘れないでしょう。
誰かが私たちの人生に触れ、ひとりの友人との間に本当のつながりが生まれたとき、その人が与えてくれたものは、決してなくなることはありません。
それは私たちの中に、心の中に残り続けます。
そして、私たちの考え方を、行動を、生き方を、少しずつ変えていきます。
だから私は思います。
梅咲さんはこれからも、彼と出会った人、彼を尊敬した人、そして彼を愛したすべての人たちの心の中で、生き続けていくのだと。
英語原文
When I first met Umesaki-san, I discovered a great judge.
Then I had the chance to know the person inside the judge uniform, and I discovered a great soul.
A serious professional when his role needed him to be serious, a friendly companion when it was time to celebrate the end of events among colleagues and friends, a deep person when we were discussing life values, a wise and open person able to create bonds with others, even with people from different cultures.
I consider myself lucky for meeting Umesaki-san and sharing a small part of our path.
I learned from him, and I am a better person thanks to him.
I enjoyed professional and private moments with him, and I will keep a memory of his smile even in the most difficult periods of life.
When somebody touches our life, when we create a connection with a friend, their effect remains inside us, in our hearts, and they change the way we think, the way we act, the way we live.
And this is why Umesaki-san will continue living in the hearts of all those who met him, esteemed him and loved him.
進藤 欣也
ウメさん(もうこの呼び方に慣れてるんでこっちで呼ばせてください)に最初に会ったのがいつだったかは正直よく覚えてない。二十下で、人なつっこくて、でも真面目だなあという印象だったかな。以来何だかんだで二十年を超えての付き合いになってしまった。単に歳を取っているという理由で師匠とか呼ばれ(ウメさんの方がよっぽど優秀だったんで、こちとらが教えることなんかほとんど無かったけどね)、地元のイベントから大規模プレリリースからグランプリまで一緒にあちこちをうろうろし、こちらが誘ったウィスキーバーで奢らなかったことを後々までネタにされ、しまいにゃウメさんの結婚式で乾杯の音頭まで取らされたものの、途中で台詞が抜けて大失敗までかます始末。長い付き合いだったなあ。
ウメさんとイベントの主催を一緒にやってきて思ったのは、彼とは運営ポリシーが自分とは正反対だったこと。自分はわりと適当で、現場のトラブルは現場で何とかすればいい主義だったけど、ウメさんはとにかく真面目で、出そうな問題はあらかじめ全部叩き潰し、なんなら石橋を叩いて壊してからコンクリで作り直すタイプだった。当然だけど世間ではこっちの方が重用されるわけで、結果として彼はマジックのジャッジとして非常に優秀な立場となり、日本中どころか世界中に友人を作り(海外のジャッジとスパ銭まで行くとかなかなか無い)、ついにはマジックだけにとどまらず様々なTCGで素晴らしい仕事を成し遂げていった。そんな人物に師匠とかおこがましくて、自分はいつも「俺の方がウメ派だから(笑)」って言ってたなあ。
アメリカで一緒にビールをかっくらったのが3年前。つい2ヶ月前にも焼き肉食って色々語ったばっかりじゃんかよ。何なら今度カラオケ行こうって約束までしたのに、珍しく約束守ってくれなかったな。俺との順番間違ったことも含めて、次会ったら説教してやるから覚悟しとけ。何年後になるか分からないけどさ。
神島 要
2026年8月19日午後10時、JD(岡部君)からの突然のLINEでウメ様(梅咲君)の訃報を知った。「まだ若いのに何やったんだ。」と独り言ちるも、闘病生活の果てと聞き俺はやるせない気持ちになった。「手間をかけるね。お葬式は少人数で行っておいで。」とJDに伝えた。
数日経って、またJDから連絡があった。Wizards の金子さんが連絡を取りたいとのことだった。「手間をかけるね、連絡先を伝えてくれ。」と返した。それにはJDから「彼が手間かからなかったことなかったじゃないですか。」と返信が。確かにその通りだ。彼は手間がかかった子だった。そして今、金子さんの依頼に応えこの文章を書いている。
俺がウメ様を語るには、『五竜杯』という関東の草の根大会を外すことはできない。五竜杯は2002年頃、西池袋立教通りにあった『ぎゃざ屋』というお店常連の力を借りて発足したということはあまり知られていない。その時彼は初期メンバーの一人で、高校生だった。
俺は素直で優しい彼にジャッジとしてノウハウや考え方、厳しさを手間暇かけて教えていった。その後の厳格なジャッジとしての姿、認定ジャッジの育成方針はこの頃の経験が基になっているのだろう。
最終的に五竜杯は170回を超える開催成果を残した。そこには彼の不断の努力が詰まっている。そして俺の部屋には100回記念大会で配布されたダイスが今も飾ってある。

2004年早春、彼はレベル1ジャッジ試験を鴨屋さん(若月さん)試験官で受けた。実技は上出来(そりゃ100人超の五竜杯を回しているからね)だが、筆記試験が芳しくない。
その日の晩、ファミレスにて筆記試験に対する地獄の口頭試問が始まった。参加者は鴨屋さん、みらこーさん(進藤さん)、園村君、俺と彼の5人。認定ジャッジ4人に囲まれ、前門の虎、後門の狼、である。俺はこれ以上苛烈な口頭試問を見たことがなかったし、今後も見ることがないと思う。正答、誤答を問わず再質問をする試験官に対し、彼は知識を総動員して再答を試みる。そのやりとりが2時間以上経過し、試問が終わる頃には彼はボロボロと泣いていた。その時の心情を全て推し量ることはできないが、様々な感情が渦巻いて出た涙に違いない。
結果、彼はこの日にレベル1ジャッジとなった。実のところ、苛烈な試問とは裏腹に筆記試験のボーダーはちゃんと超えていた。今後の彼のことを考え、若月さんが手間暇をかけてくれた時間だった。
2008年、俺はタカラトミーに所属し、Magic のマーケティング担当として仕事をしていた。日本選手権の会場を決め、ジャッジ確保と役割分担を考えていた際に異変に気付いた。ウメ様のジャッジレベルが『3』になっている。そしてWizards のロンさんから彼をヘッドジャッジにする旨を伝えられた。俺はうれしかった。
師を超えられない弟子がほとんどの世の中で、先に進んでいけた彼の才覚と努力が素晴らしい。ようやく手間暇かからない子になったなと思った。だからこそ……。
ひとしきり文章を書き終えたところで、タカラトミー時代の同僚からも突然LINEが届く。「梅咲さんがお亡くなりになりました。2年くらい前から在籍していましたが、昨年より体調を崩し闘病していました。」。うん、わかってるよ。俺はこう返した。「話は伺ってます。いつもウメ様は手間をかけるね。今度関東に行くときは一緒にビールで献杯しよう」と。
工藤 耕一
私が19歳の時。
ジャッジを志して龍王戦という大会にスタッフ参加した時、同じくジャッジ志望者としてスタッフ参加していた1つ年下の好青年。
その時はまだ、君とこんなに長く大切な友人関係になるとは想像もしていなかったよ。
そして、このような形で急に終わってしまう事も。
ある日、遊ぶ約束をしていたが、待ち合わせに2時間経っても現れない。
友人の一人が電話したら、
「今起きたんだけど今からコーヒー飲むからもうちょっと待ってて」
と、大物過ぎる返事が返ってきた事があった。
その日から、君はウメ様と呼ばれるようになった。
ウメ様。その時はまだ、そう呼ばれるのが相応しい男になると思っていなかったな。
まあ、そんな破天荒な言い訳(?)をしても、私達は怒るでもなく面白がって友達を続けていたわけだから、当時からウメ様の人徳とかカリスマ性とか、そういうものがあったのかもね。
いや、流石に過去を美化しすぎかな。その時はちゃんと怒られていたような気もしてきた。
プレリリースで対戦する私とウメ様
やがて私とウメ様はジャッジになり、スタッフとして参加していた五竜杯を、先代主催者の神島さんから引き継ぐ事になった。
五竜杯の運営を引き継いだ時、私もウメ様もまだ大学生で、一人で運営業務をこなすのは大変だったから、二人で業務を分担する事にした。
スタッフの島田さんと三人で、どうにかこうにか運営して、やがてたくさんの人に参加してもらえる程になった。
成功した事も失敗した事も沢山あったけど、楽しい大会を目指して自分たちで色々試行錯誤するのは本当に楽しかった。
五竜杯を100回以上の長きにわたり開催できたのは、本当にウメ様のおかげだ。
五竜杯を運営していく中で、私の興味は大会運営に移り、ウメ様の興味はジャッジに移っていった。
参加者が楽しい一日を過ごせるようにとジャッジとして研鑽を積み、やがてウメ様が国内で数少ないレベル3ジャッジになった。
プロツアーや海外の大会にも精力的にジャッジとして参加し、日本人で初めて海外のグランプリでヘッドジャッジを担当するまでになった。本当に凄いよ。
大会会場に行って、朝のジャッジアナウンスがウメ様だった時、「ああ、この大会はしっかりと運営されるんだろうな」という安心感があった。
後進の育成にも力を注ぎ、多くの若手ジャッジを育ててきた。
ウメ様が指導したジャッジが冗談交じりに「俺、梅咲派だから」なんて言ったりする。
「梅咲さんは話を盛り咲さん」ってのは皆の共通認識で、よくウメ様が盛った話に対して私たちも話を更に盛り返したりしていた。
なのでこれは「ウメ様が日本のジャッジ界を牛耳るために手下を増やしている」という盛られすぎて虚偽広告の話なんだけど、
でもちゃんと皆、ウメ様に教えて貰ったんだぞというリスペクトがあったと思うよ。
こうして身についたウメ様のスキルは、ジャッジだけ、MtGだけには留まらず、仕事を通じて、他のゲームの大会の運営にも携わるようになった。
ウメ様のおかげで、MtGだけではなく色々なゲームで、楽しいイベントが世の中に生まれていた。
ウメ様はいつだって、楽しい一日を過ごせるように一生懸命だった。
楽しい事に一生懸命。普段遊んでいる時もそうだったな。
もちろんMtGで遊ぶことが多かったけど、ウメ様が「やったことない事シリーズ!」と言って、皆で何かにチャレンジした事も沢山あったな。
謎解き。大喜利。ロードバイク。リアル脱出ゲーム。マーダーミステリー。あと何があったかな……
私はどちらかというと出不精で面倒くさがりだから、自分ひとりでは始めなかっただろう事も沢山経験できた。最高に面白かったな。
リアル脱出ゲームに挑戦!
最近は一緒に遊ぶ機会が徐々に減っていたけど、その分の情熱はウメ様の家族に向けられていた。
いい夫、いいパパとして、家庭に愛情を注いでいただろう。
今、こうやって過去を思い出しながらこの文章を書いているわけだけど、必ず「楽しかったなぁ」という感情とセットになって思い出される。
長年一緒に大会運営したり友人やったりしていた訳だから、確かもっと大変だったりケンカしたり意見が対立したりとかがあったはずなんだけど。
いや、実際あったんだけど。
思い出すときは「でも楽しかったなぁ」なんだよ。
きっと、皆もそうだろう。
ウメ様、ありがとう。楽しかった。
じゃあ、またな。
伊藤 秀敏
梅咲さんと初めて会ったのは、グランプリ名古屋04でした。大学生になったばかりの梅咲さんと、同じチームでジャッジをしました。
ヘッドジャッジの鈴置さんから、「威勢のいい若い子が来るよ」と聞いていました。梅咲さんにとって、初めての大型イベントだったと思います。今考えると、最初はだいぶ猫をかぶっていた気がします。
イベントは無事終了したのですが、梅咲さんは、プレイヤーとして参加していた私の親友に「ゲームの敗北」の裁定を出していました。その親友がとても憤慨していたので、詳細を聞こうと、後日メールで詳細を問い合わせました。すると、すぐに返事が来て、当時のポリシーに沿った正しい内容が説明されていました。とても勉強されているなと感心したことを覚えています。
そして、ほどなくしてレベル3ジャッジとなり、プロツアーやグランプリにジャッジとして参加するようになったことは、よく知られていると思います。
一方、私はアルバイトをしていたBIGMAGICに就職し、名古屋店の店長となったことで、ジャッジ活動とは距離を置くようになりました。その後、池袋に新規店舗をオープンするために異動となり、そこで梅咲さんと再会しました。私のことも覚えていてくれて、よく店舗に来ていただけるようになりました。すぐに店舗スタッフとも顔なじみになりました。
そして、すぐに転機が訪れました。
それまでウィザーズ主催だったグランプリを、店舗が主催することになり、BIGMAGICもグランプリを主催することになりました。
梅咲さんは、交流イベント「五竜杯」を前任者から引き継ぎ、運営していました。同じ主催者として、梅咲さんにイベント運営の心得を相談する機会も増えていきました。
グランプリ神戸2015前に意見交換した時の写真
梅咲さんは、ジャッジコミュニティをとても大事にされていました。現在活躍されている方、また、かつて活躍した日本のジャッジの多くが、梅咲さんから認定試験やレビューを受けています。
私は、ジャッジがいない地域をフォローするため、グランプリなどの大型イベントでジャッジ試験を開催し続けました。梅咲さんは、そのプロジェクトも手伝ってくれました。
梅咲さんからいただいた感謝の言葉
また、日本各地の多くのジャッジが、勉強のために「五竜杯」を訪れました。「五竜杯」のアナウンスのマニュアルは、日本で一番よくできたマニュアルだったと思います。現在活躍している多くのジャッジが、このマニュアルをベースにアレンジして使用していると思います。
私は、数えきれないほど梅咲さんに無茶振りをして、そのたびに手助けをしていただきました。
イベント前日に深夜2時くらいまでジャッジ会議をして準備してもらったり、こっそり関係者や海外ジャッジに根回しをしてアシストしてくれたり、反省会と称してジャッジの会食に誘っていただけたりしました。
何かあるたびに梅咲さんにお礼を言うと、いつも口癖のように「全然、全然」と言っていましたね。正直、その口癖をもっと聞いておきたかったです。
梅咲さんのご冥福をお祈りいたします。本当にありがとうございました。
BIGMAGICイベントマネージャー 伊藤秀敏
大竹 賢明
あき君へ
私が初めてあき君に会ったのは2010年の3月でした。
ジャッジというものをやったことがない中でジャッジにチャレンジしたGP横浜で、何も使えないがやる気だけは満ちてた20代の前半だった私、原石とも言えないその辺の石を、よくぞ拾って磨いて使えるように装飾までしてくれて世の中に送り出してくれました!
2010年以前のことは多分他の友人がいっぱい書いてくれるだろうから、私は2010年以降のあき君を書きます。
2010年当時ですでにLv3ジャッジだったあき君は、私からすると雲の上の存在でした。
それがどうして最近までず~っと友達でいられる関係で続いたのか、不思議でたまりません。
最初は新人育成ってモチベであき君主催のイベント呼んでくれたので師弟関係みたいなところがあったけど、私がLv1ジャッジになる頃には、いつしか友達になってましたよね。むしろ兄弟みたいと感じてました。
私は長男なんですけど、東京に兄ができたと思ってめちゃくちゃ慕ってましたよ。恥ずかしいのであまり顔には出しませんでしたが。
私の大学院時代の壮絶な大失敗を相談したときも、友人たちと居る時には笑い話にしてくれつつも、二人で居る時は大真面目に相談に乗ってくれて嬉しかったです。
あき君には居なかった弟ポジションと、私には居なかった兄貴ポジションが綺麗にハマったなって感じてます。密度の濃い16年でした。
どこかの記事でも書いたけど、スコアキーパー(SK)としての適性を見出してくれたのもあき君でしたね。
当時、日本選手権2011にジャッジじゃなくSKとして採用を決めたのは、HJだったあき君でした。
ジャッジとしてのキャリアを考えてた私自身、本当は日本選手権のジャッジをやってみたかった....
だけど『これ、「やったないことシリーズ」だから、チャレンジしてみようよ!』と言われたのは忘れません。
ここで「やってみた」ことで、私はSKとしてのキャリアを歩めて、そのキャリアは掛け替えのないものになってます。
まさか自分が帰ってきた日本選手権でヘッドSKできると思ってませんでしたし、それ以降のGPやプレイヤーズコンベンションで大きい大会の大会記録管理責任者を任せてもらえるようになるとは、、、当時は想像すらしてませんでした。
解散前のInternational Judge Program(IJP)でL3ジャッジとしてのキャリアも残しつつ、国内有数のSKとして二足の草鞋を履くことができたのは、あき君の後押しがあったからですよ。
ちなみにこれは本当に自慢なので、私の本業の方でも「ジャッジしてるんですよね~」とずーーーっと自慢してたら、『面白いやつがいるぞ』と会社の広報の目に留まり、本業の広報誌に"仕事もプライベート(仕事外)も頑張ってる人"として取材されて、グループ全体に大々的に報道されたんですよね。この記事でもあき君の自慢してたので、見せたかったなあ。(見せられないんだけど)
話は変わるんですが、絶対にあき君が奥様にちゃんと伝えてないエピソード、ここでばらしちゃいます。
「やったないことシリーズ」と称したあき君の無茶ぶりを堪能する会、とっても楽しかったね。
その中でも『しまなみ海道をツーリング』は、奥様が君の告別式で一番のエピソードにするくらい、家の中で楽しいエピソードとして語ってくれたんだね。
けど、絶対に楽しかっただけが印象に残ってるわけじゃないでしょ!?
しまなみ海道に行くためにあき君が飛行機から宿からレンタルバイクまで何もかも予約してくれてたのに、当日の始発飛行機に5人中3人が寝坊したことで、あき君が計画を立てた素晴らしいツーリングプランがすべて台無しになったこと、絶対に心残りだから家でもエピソード盛り盛りで伝えてたでしょ!?
私も寝坊組だったから、飛行機乗り遅れて後続の飛行機もすべて満席って状態から、どうやってリカバリーすべきか当時の朝に真剣に考えました。
いろんな手段使って、当初予定から4時間遅れて全員集合したけど、ひきつった笑顔で迎えてくれたのは本当に怖かったです。(そして本当にごめんなさい。)
この体験を経て、何が起こるか分からないからバックアッププランを常に考えるように考えるようになったんです。
図らずとも私の中でもSK経験に色濃く反映されたエピソードだったんですよ。
サイクリングは「やったことないシリーズ」では長続きしたコンテンツでしたね!参加する人も変わりつつみんなでサイクリング。あき君自身もちゃんと自分のバイクを減価償却するほど乗り回してたのを覚えています。

あき君が余生で始めると言ってた『喫茶うめさき』は、残念ながら実現しなかったけど、それは私の「やったないことシリーズ」に入ってるから安心してください。
もちろん生前の君には特に許可取ってないけど、屋号は『喫茶うめさき』で決まりなので、反論頂いても変更しませんからね。
衝撃の告白をされた1年前と4か月前から、なんとなく無意識に毎日コーヒーをハンドドリップで入れるようになったので、そこそこの腕前はあるつもりです。
経営センスは自身がないので、元々始める予定だった場所とか、どうにかしてこっそり教えてください。
では、また。
大林さんとPaoさんによろしくお伝えくださいね。
ずっと友達で居てくれてありがとう。
P.S.
私の結婚式前に作ったバチェラーパーティする用のチャットグループをハングオーバー部にしたのは爆笑しました。いまだにあのメンバーであき君のバチェラーパーティできなかったのが心残りです。
伊東 太郎
IJPレベル3ジャッジの伊東太郎(いとりな)です。
14年前。
21歳の頃、私は地元山梨でフライデーナイトマジックや、20名の月イチ大会「Dogs杯」に友人と出る程度の一般プレイヤーでした。
山梨唯一のジャッジだった夏目さんの転勤が決まり、後任を探していたとき、「参加者の中で一番若いしな!」みたいな理由で手を挙げたのが、私がジャッジになった最初のきっかけです。
当時は、高レベルジャッジの元へ通って修行し、試験を受けて認定していただく師弟制度のようなシステムでした。
レベル1の夏目さんでは私を認定できず、レベル2以上のジャッジがいる東京へ行かねばなりません。
紹介を受けて板橋区立グリーンホールに向かうと、そこにいたのが当時27歳、レベル3ジャッジの梅咲さんでした。
4人のフライデーナイトマジックと20人の月イチ大会しか知らなかった私に、100人規模の「五竜杯」は未知の世界でした。それをほぼワンオペで、きびきびと運営する梅咲さんが、眩しいほどカッコよく映ったのを今でも鮮明に覚えています。
五竜杯ジャッジの先輩の工藤さん、岡部さん。梅咲門下の兄弟子である岩倉さん、大竹さんと知り合ったのもこの頃で、今でも本当に仲良くさせていただいています。
何度か通い無事にレベル1認定をいただき、半年後にレベル2試験を受けようとした時の話です。
土曜はイベントのお手伝い、日曜に筆記試験の約束でした。
イベントが終わり夕飯も済み、そろそろ明日に向けて復習しようかと思った矢先、梅咲さんが一言。
「では、今から伊東さんのレベル2筆記試験を始めます!」
今からは疲れているので明日にしませんか、復習もしたいです——そんな懇願も届かず、
「伊東さんは大会で最も重要な最終ラウンドでは、疲れて裁定が出せないジャッジなんですか?」
何も言い返せず、呆然とする私をよそに、試験用紙とペンが机に並べられていきました。時計は深夜1時を回った頃だったと思います。筆記を終えたのは朝の4時。採点するから1時間散歩してきて、と追い出され、5時頃に結果が出ました。
合格点80点のところ、88点。
やった~!合格だ!と喜ぶ私と対照的に、梅咲さんは少しシリアスな表情でした。
「伊東さんは8回裁定を出したら、1回間違えるジャッジです。グランプリで毎ラウンドコールを受けたら2日間で3回の誤裁定を出すジャッジ。ということです。システム上ではレベル2かもしれませんが、レベル1.8として慢心せず、これからも勉強を欠かさないでください」
今思い出しても、笑ってしまうくらい厳しい人でした。
でもその厳しさは、一生懸命時間をかけて練習してきたプレイヤーへの礼儀の裏返しでした。プレイヤーが本気で大会に臨んでいるのだから、ジャッジも本気で向き合わなければならない。その強いプレイヤーリスペクトの思想は、今も私のジャッジとしての土台になっています。
知り合って1年半ほど経った頃、「いとりなは海外グランプリを経験した方がいいね」と、グランプリ台北2014やグランプリシンガポール2015に連れて行っていただきました。
イベント前後に観光をしたり、梅咲さんを通じて海外のジャッジの友人ができたり、拙い英語しか話せず悔しい思いをしたり。同じものを見て爆笑し、同じ景色に感動する、貴重な時間を過ごしました。
まんまと海外グランプリにハマった私は、やがて梅咲さんの手を離れ、単身でラスベガス、シドニー、アジア圏と各地に遠征する日々に。ほぼ毎月海外にいた年もあった気がします。
ジャッジとしてだけでなく、国内旅行や映画、誕生日会など、プライベートでもよく遊びに誘っていただきました。
ある平日の夕方に「気になるラーメンがあるから食べにいこうよ!」と連絡があり、集合場所に向かうとレンタカーに乗って待機している梅咲さんがいました。
1時間車を走らせ、ラーメンを1杯食べて、味の感想をあーだこーだ言いながら渋滞の中2時間かけて帰る。ジャッジだけでなく、遊びにも常に全力な方でした。
そんな梅咲さんなので、本業にもオールイン。365日、常に忙しそうにしていて、女っ気を感じることのない方でしたが、いつからか「来週の彼女との温泉旅行がさ……」という惚気が増えたなと思ったら、数年後にはその方と結ばれ、結婚式にも呼んでいただきました。
2人の子どもにも恵まれ、子育てとお仕事で忙しそうな日々のなかでも、「最近どうだ?」と気にかけてご飯に呼んでいただく関係が、ずっと続いていました。
あの日、私が手を挙げていなければ。梅咲さんのもとで修行していなかったら。ジャッジになっていなければ。きっと経験できなかったことを、本当にたくさん経験させていただきました。
昔とは制度も条件も違いますが、コロナ禍が明けた後、私も梅咲さんと同じレベル3ジャッジになりました。でも梅咲さんから見たら、僕はまだまだ「レベル2.6」くらいのジャッジなんだと思います。
ジャッジとして、まだ教えてほしかったこと。
プライベートで、まだ一緒に行きたかった場所。
まだまだ、たくさん残っていました。
だから、本当に悔しいです。
梅咲さん。
本当に、本当にありがとうございました。
八十岡 翔太
ウメとは同い年というのもあって20年以上前からの友達で、自分が会ってきた中でもトップクラスにマジック:ザ・ギャザリングを愛していました。
自分はプライベートだけでなく仕事も一緒にしてた時期もありましたが、全ての事に全力で打ち込むタイプなので、限界近くまで働いていて少し心配になった時期もあります。
マジックの方も常に全力で取り組んでおり、古くは五竜杯という大会の運営をしていましたし2010年頃からは日本選手権や海外グランプリのヘッドジャッジをしたりと裏方としてとても尽力していました。
その一方プレイヤーとしても熱心にプレイしていてよく一緒に遊んでいました。
レベル3ジャッジの資格をもっていながら、プロツアーや世界選手権に出場しておりジャッジ界最強ではという話題も上がっていたほどです。
また旅行がとても好きでマジックの「Play the Game, See the World」というキャッチコピーをとても気に入っていました。
10年前にGPリミニもあるしと友人と3人で一緒に行ったヴェネツィア旅行はとてもいい思い出です。
これからはウメの分まで世界を回ってマジックを楽しんで行きたいと思います。
中村 修平
梅咲とはジャッジとプレイヤーという間柄なので、立場的に見解が相反する事なんかもあったはずなのですが。
思い出されるのは、
一時期よく一緒に行ってたスーパー銭湯内で突然でんぐりがえりしだしたり、
デンマークの古城を観光中に突然野球のピッチングフォームをやりだしたり、
ホノルルの夜、ホテルに帰る途上で突然アニソンを熱唱しだしたり、
うん、なんだか馬鹿な事しか出てこないな。
良い意味で変な事ばっかりしてくるやつでした。
あくまで良い意味で、ですよ。
その馬鹿ついでに、2025年の6月頃かな、
その時に近況報告で病気の事を聞いて、
5年生存率がそれほど悪くはないって話をした直後に
「マジックプレイヤーなんで土地くらい引くでしょう。あ、まった、それだと僕死んじゃうので今のはなしで」
証言の撤回とかはまあ、一番やりあったところではあるけど
そこでいつもの妙に律儀なところを出さなくても良かったのに…
馬鹿野郎め、こちらはペナルティ覚悟で遅延に遅延を重ねてやるからな
清水 直樹
2026年8月19日。
僕のかけがえのない友人である梅咲直瑛さんが、41歳という若さで亡くなりました。
今回機会をいただけたので、彼への追悼を込めて、彼への感謝と、彼の残した功績、そして僕の思い出について皆さんにも共有すべく、この文章を書いています。
何故、人格者であり、人に愛され、友人に尽くし、社会に尽くそうと全力で働き続けた彼がこんなにも早く未来を絶たれなければならないのか。僕にはその理由がわからず、悔しくて、悔しくてたまりません。
彼は最期まで、僕ら友人や家族のことを最優先に考えて生き抜きました。それが彼らしい「生きる」であったと思います。でも、だからこそ、悔しい。もっと僕らができることがあったのではないかと思ってしまうのです。とにかく、悔しい!!
如何に彼が友人、家族思いの人格者であったか、MTGというゲームに携わる人として最も惜しい人を失ってしまったのか。ここに彼の生き様を共有するとともに、彼への感謝を伝えたいと思います。
出会
時は2002年~。僕がMTGのローカルな大会に出るようになったのは高校生のころからでした。一時的に受験で離れる時期もありましたが、当時よく出場していたのが”五竜杯”でした。この”五竜杯”を主催していたのがウメ(ここでは敢えていつも通りの呼び方で記載します)でした。
ウメは当時から優秀なジャッジであり、優秀なイベント主催者であったので皆からは「ウメ様」と慕われていました。むしろ「ウメ様」がHNであり、「『ウメ様さん』と呼べ」とさえ半ば冗談で言われていました。
それを聞いた私が、大会会場で彼を呼ぶときに初対面で「ウメ様さん!」と声をかけたのが初めての出会いです。
彼は「そういうの、よくないと思います」と答えました。今でもその時の苦笑いは忘れられません。当時はとっさに「すみません」と謝ってしまいましたが、以来何度も五竜杯に通っていく中で、プレイヤーとジャッジという関係ではありながらも、意気投合していくのには時間はかかりませんでした。
気づけば僕がMTGをプレイするとき、ほとんど傍にはウメがいたと思います。日本選手権の予選を初めて突破したときも、そのときジャッジをしていたのはウメです。
(誰も誤解はしないと思いますが念のため付言すると、彼は仲の良い友人が私を含めて沢山いましたが、常にルールに基づいて公正な裁定をするジャッジでした。公私の混同はありえず、そういった仕事に対してストイックな姿勢も皆からのリスペクトを集めた理由です。)
約束
やがて僕は日本選手権で上位入賞を果たしたことをきっかけに、プロツアー予選をグラインド(遠征して各地の予選に出まくること)するようになります。そんなある日、ウメからこんなお誘いがありました。
「北海道でやる、2 Headed Giant(2人組チーム戦)のPTQサンディエゴ、出ない?」
恐らく僕が場所を問わずに遠征しまくっていたことを彼は知っていたので、声をかけてくれたのでしょう。(清水)直樹と(梅咲)直瑛、チーム”W Nao”誕生です。僕らは運よくその予選を突破することができました。
僕らはこのサンディエゴ大会で結果を残すべく、毎日のようにカードショップに通っては、練習会で切磋琢磨していました。時には意見がぶつかり喧嘩のようになってしまうこともありました。それは僕の未熟さゆえであり、もっと傾聴することを覚えてなかったことが原因であり、でもそんな僕をいつも受け入れてくれたのが彼の優しさだったと思います。
肝心のプロツアー本戦では、残念ながら3連敗初日落ち。結果としては大変残念でしたが、ここで忘れられない思い出が生まれます。
暇になった僕らはサンディエゴの街に繰り出し、ある怪しげな店を見つけます。その名も"Strip Steak"。きっと素晴らしい店に違いないと確信した僕らですが、なんと年齢制限で入店お断り。
「ウメ、またサンディエゴに来ることがあったら、絶対ここ来ような。」
僕たちはそんなわけのわからない約束をしました。
3年後の2010年、再びプロツアーが同じサンディエゴの会場で開催され、たまたま出場権利を得ていた僕は、ジャッジで参加していたウメと奇跡的にこの約束を果たすことに成功します。もう年齢制限は怖くない。ドキドキの入店。そしてこの店の正体は……
ただのステーキ屋でした。
そう、"Strip Steak"とはただのアメリカンステーキの1ジャンル。調べたらすぐわかります。期待が裏切られたことよりも、奇跡的に果たした3年越しの約束がこのオチか。この話は僕とウメの共通の「すべらない話」としてずっと擦り続けることになりました。彼は僕との思い出話としてこれを外すことはありませんでした。
ほかにも、私の実家に泊まりに来たウメがお土産に大量の(本当に大量の)オマケ付きウエハースチョコを持参して私の父に気に入られた回、某少年漫画の伝説の実写映画を一緒に見に行った時に意気揚々と山吹色の孫◯空的な装いで登場したウメが映画視聴後に僕と一緒に魂抜けていた回など、彼の人柄が成した笑い話は枚挙に暇がありません。彼がいれば、どんなイベントも楽しかった。きっと彼を知る皆が同意することだと思います。
劇場
2008年から10年ごろ、MTGで結果を残し始めた僕は、当時開設されたマジック日本公式ウェブサイトにおいて連載記事を持たせてもらいました。奇抜なオリジナルデッキを好む僕のスタイルに合わせて始まった"清水直樹のデッキ構築劇場"です。
一定の回数を重ねた後、当時少しずつ始まっていたビデオカバレージ文化にあわせて、実際のプレイの動画を撮って届けよう、という企画が始まりました。その動画を担当してくれたのが、ウメです。今でこそ当たり前の対戦動画ですが、当時としては画期的でした。ただ、光の反射でカードが見えない、マイナーなカードを使うので解説がないと効果がわかりにくい…様々な問題が起きましたが、彼がその技術で全て解決してくれました。
記事の中の決め台詞である"Decks, be Ambitious!"を海外のトッププロ達にキメてもらう"プロツアーサンディエゴ 天翔龍閃編"は僕の中でウメの最高傑作です。
また、僕の結婚式の動画の制作、2次会で参加者に配布した同人誌の作成に携わったのも勿論彼です。彼なくしては、あの場に集まってくれたMTGプレイヤー全員が「最高だった」と評価してくれた会は実現しませんでした。アウトプットの中ではほとんど彼は登場しませんが、そんな裏方から全てを支える、まさにウメのウメたる所以でありました。
また、闘病中の彼と会う機会が今年の年始にありました。
この時、私は彼の快復を信じていたので、「構築劇場、またやろうぜ」と声をかけました。どこまで彼のモチベーションになれたかはわかりませんが、少しでも彼の生きる力になれることはないか。そう考えて出した一言です。
その思いも胸に僕は今年の春に千葉で行われたSpotlight Seriesに自作デッキを持ち込み、トップ8に至らないまでも、マネーフィニッシュの結果を残しました。さぁ、構築劇場の動画も復活だ。そう思って彼に連絡したとき、彼の病状の悪化を知らされます。
僕は到底、その話を受け入れられませんでした。それでも、今の医療なら解決してくれる。そう信じていましたが、とうとう僕の願いが叶うことはありませんでした。僕の無念もさることながら、彼の無念の大きさはいかばかりか!
この時の約束は叶わなくなってしまったかもしれませんが、あの頃の楽しかった思い出は僕のMTGに関わってきた人生の中でも最も大きなものであり、心に深く刻み込まれています。
家族
僕が結婚し家庭を持ち、少しMTGのトーナメントシーンからは離れがちになってしまったのですが、ウメとはもちろん定期的に連絡を取って時間を見つけて遊んでいました。仕事が猛烈に忙しい彼の時間を確保するのは大変でしたが、私の妻とも仲良くなり、家族ぐるみの付き合いになるまでに時間はかかりませんでした。やがて彼は彼に最も相応しい素敵な女性に出会い、結婚。お子様も2人産まれます。以降は僕が子育ての先輩としてアドバイスをしたり、子供同士で遊んでもらったり。ご家族で海水浴にも来てくれました。
彼が友達のみならず、とても家族思いだったことは彼を知る皆ならよく知っていると思います。いつも妹さんの話をしていましたし、お父様の趣味の話もたくさんしてくれました。結婚後はいつも奥様とお子様の話ばかり。仕事が忙しすぎて時間が取れないことをいつも悩んでいました。そんな彼がご家族を遺していってしまった辛さ、悲しみ、無念は想像するに余りあります。ただ、ウメをよく知る僕らが、遺されたご家族の支えに少しでもなれたら…と思っています。改めて、この場をお借りしてお悔やみを申し上げるとともに、ご家族の皆様に格別の励ましと慰めがあることをお祈りいたします。
ウメ、今まで本当にありがとう。
金子 真実
2026年8月19日。その知らせを受け取った。正直なところ、まだ実感がわかない。
最初に会ったのは、大学のときだったかな。なかしゅーあたりに誘われたドラフトで、同席して、ドラフトしたね。普通に一緒に遊んで、マジックに関してもマジック以外に関しても趣味が合ったこともあって、仲良くなるのに時間はかからなかったと思う。
その後も彼はジャッジとして五竜杯を運営したり、グランプリなどの大規模イベントを運営したりしながら、ジャッジとして、プレイヤーとして一緒に行動することが多かった。普通にプレイヤーとして参加することもあったし、彼に依頼されてテキストカバレージを書いたりすることもあった。一緒に行動するのは日本国内にとどまらず、プロツアーや海外のグランプリなども結構一緒に行った。お互いに観光が好きだったこともあって、海外のイベントに行ってはイベント明けの企画を立てて一緒に旅をした。ウィザーズに入る直前、最後のプレイヤーとしての思い出として一緒に行ったグランプリ・バンコク。一緒に象に乗って、コース終了直前に象使いの人に突然象を止められ、クソ高い象牙(と説明はされたけど実際はプラスチック)のペンダントを買わされたのも良い思い出だ。
ウィザーズに入社したあとは、主にマジックの大会会場で関わった。配信やテキストカバレージを担当する私と、イベントの進行も含めたヘッドジャッジを務めることの多かった梅咲とはよく会話した。イベント仕事なので本当に色々なトラブルもあり、時には上手くいかず、双方の立場から方針に関する意見がぶつかることもあったが、お互いにとても大切なマインドを共有できていたと思う。それが「イベントでは、トラブルがつきもの」という精神だ。もちろん入念な準備をして、イレギュラーがないようにできるだけ準備する。でも、実際にイベントにトラブルはつきもの。なんだかんだ事件が起こり、進行は遅れ、どうするかジャッジや主催者を交え協議し……。そんな日々だったけど、僕らはトラブルが起これば起こるほどイキイキしていた。なんなら二人とも「楽しくなってきた」くらいは口に出してた。常に前向きに解決方法を模索する、ジャッジとしても主催としても百戦錬磨のウメらしいなと思う。
カメラ向けたらポーズとってくれます。仕事しろ。
「やったことないシリーズ」ってことで、いろんな新しいことにも誘ってくれた。なんだかんだ出不精な僕がいろいろと新しい遊びに手を出すことができたのは完全にウメのおかげだ。とにかく新しいことに挑戦するのが大好きなのは、プライベートでも仕事でも同じだったんだな、と今更ながら思う。そして、その後必ず「反省会」と称して一緒にお酒を飲むのだ。
伊豆大島に行って自転車で一周しようの旅からの帰り道。
昨年の春終わりか、夏前ごろだっただろうか。友人づてにウメが体調悪く入院したという話を聴いた。その時は、まあでもウメのことだ、すぐに戻ってきてまた一緒にバカな話をしながらビールを飲めるだろう。そんな感じで、軽くとらえていた。その時私は仕事が忙しかったこともあり、すぐには直接連絡を取らなかった。しばらく経ち、それでもウメは戻ってこなかった。なんだか今更直接連絡するのも気が引けて、友人を通しての話を少し聴くだけだった。一生をかけてバカなことをして、バカな話をしていた僕らだ。しんみりした連絡はしたくなかった。そんなことを考えていた。結局、少ししてから連絡を取ったんだけど。
今年数回会った時には、なんだかんだ元気そうで、でも説明を聴く限りは絶望的で。それでも「元気になってまたビール飲もうや」と約束して分かれた。ふんわり、頭では「昔買ってサイズアウトしちゃった喪服を新調しないと」なんて考えたりもしたが、しかし足は動かなかった。ウメのために喪服なんて、買いたくなかったから。
ウメ、僕もいずれそちらに行くけど、約束は果たしてもらいたいので、ビールとパック用意して行くね。ドラフトしてビール飲んで、バカな話をしましょう。
最後に、担当としてこの記事の話をしておきます。まずは、心身ともに大変な中、この記事について快く許可してくれた奥様。そして、私の突然のご連絡に嫌な顔もせずコメントをご提供してくれた皆様。本当にありがとうございました。皆様のおかげでこの記事を世に出せますし、ここにひとつの思い出の場を作ることができました。
そして、梅咲さんと縁が深く、本当は自分もコメントを寄せたかったという皆様。本当にごめんなさい。この記事に関して依頼する段階でも、依頼したい方は本当に無限に居ました。本当だったらこの記事をみんなが書き込めるようにして、無限に続く交流の場にしたかった。皆さんの話はぜひ今後、イベント会場や、食事や酒の席や、SNSなどで聴かせてください。
上司には「梅咲さんは日本マジックにおいて重要な人物で、公共性があるので、ちゃんと記事にして残すべきだ」なんてプレゼンして記事の制作の許可をもらいましたが、まあ公私混同ですね。
この記事の話をした時に、奥様からいただいた言葉がありました。
「子どもたちも大きくなったら読めるようになると思いますので、そのように記事にしていただければと思います。」
梅咲さんのお子さんがこれを読んでどんな感想を持つのかはわからないけど、みんなのコメントを読んでくれれば、彼がとにかく、みんなから愛され、信頼されていたことだけは伝わるんじゃないかと。私たちは、梅咲さんが遺したものを引き継ぎ、それを未来に伝えていきます。梅咲直瑛さん、本当にありがとうございました。
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