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開発秘話

Making Magic -マジック開発秘話-

私がファンタジーと『マジック:ザ・ギャザリング | ホビット』に出会うまで

Mark Rosewater
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2026年7月28日

 

 先週から『マジック:ザ・ギャザリング|ホビット』のカード・プレビューが始まった。先週の「Making Magic」では、再訪というものを全般的にどのように扱っているのか、特にユニバースビヨンド、そして『マジック:ザ・ギャザリング|ホビット』における再訪について語った。今回は、もう少し個人的な話をしようと思う。「ホビットの冒険」は私の人生において重要な位置を占めているので、今日の記事ではそのことについて話したかったのだ。途中で、新しいプレビュー・カードも公開する。


 私が読書を好きになったのは、まだ幼い頃だった。両親は、私が学校へ通い始める前に文字の読み方を教えてくれた。そして私は、読めるだけ本を読んだ。ひとつテーマを選んでは地元の図書館へ行き、そのテーマについて見つけられる本をすべて借りていた。実際、幼稚園に通っていたころには、学校の図書館にあった本の1割ほどを読んでいたと思う。私は学年の途中で引っ越したのだが、以前の学校の司書が新しい学校の司書へ電話をかけ、私がそちらへ行くことを伝えたほどである。要するに、私は読書が大好きなのだ。

 子供のころ、私はノンフィクションの本を好んで読んでいた。世界について学びたかったので、ひとつのテーマを深く掘り下げ、それについて知りうることをすべて学ぼうとした。そのテーマについて見つけられた本をすべて読み終えると(これはインターネットが登場するはるか以前の話である)、新しいテーマを選び、また深く掘り下げた。宇宙、スパイ、ロボット、珍しいペット、古代のゲーム――私はあらゆる物事について学ぶのが大好きだった。

 当時、私が特に好きだったテーマのひとつが神話である。ひとつの国を選び、その国の神々、英雄、怪物など、神話について書かれたものを片端から読んでいった。文化を越えて見られる共通点と、それぞれの相違点に私は魅了された。多くの文化は、世界についての同じような疑問に答えようとしていた。(なぜ太陽は昇るのか? 雷はどこから来るのか? 死んだらどうなるのか?)しかし、その答えは文化ごとにまったく異なっていた。物語にはたいてい、派手で印象的な登場人物や壮大な出来事が登場した。私は夢中になった。

 フィクションも多少は読んでいた。子供の頃、両親はいつも物語を読み聞かせてくれ、私は新しい世界へ逃げ込むことを楽しんでいた。中でも圧倒的に好きだったジャンルがSFである。宇宙探査、時間旅行、奇妙な科学。私はすべてが大好きで、手に入るものは何でも読んだ。しかし、ファンタジーはまったく読まなかった。

 実のところ、私はファンタジーというジャンルをかなり低く見ていた。興味深いことに、神話とファンタジーのつながりには気づいていなかった。私にとってファンタジーとは、世の中にクールなものがまだ何も存在していなかった時代を描く、退屈な物語だった。SFが扱うのは未来であり、それは刺激的だった。ファンタジーが扱うのは過去だが、格好いい過去ですらない。馬に乗り、剣を持った人々の話である。退屈だ!

 振り返ってみると、私がそう考えていたのにはいくつか理由があったのだと思う。まず、私は1970年代に育った。当時の大衆文化、特に映画やテレビには、ファンタジーがほとんど存在しなかった。多少はあったものの、あくまで傍流であり、質もかなり低かった。当時、オタク的な趣味は、自分の中や親しい友人との間だけに留めておくようなものだった。人気映画の中には、SFを人前で楽しんでも構わないと思わせてくれるものもあったが、ファンタジーにはそれほどの規模の作品がなかった。

 数年後にロサンゼルスへ行ったとき、当時のハリウッドでは「ファンタジーは商業的に成立しない」というのが常識だったと知ることになる。わずかに作られた作品もすべてひどい結果に終わっていたため、ジャンル全体が見限られていたのだ。

 第二に、当時の私が知っていたファンタジーの生き物は、かなり退屈に思えた。弓を持ったエルフの何が刺激的だというのか? SFにはレーザー兵器を持った異星人が登場する。これはファンタジーに対して比べものにならないほど刺激的だと感じていた。そのため、私は貪るように本を読む子供だったにもかかわらず、ファンタジーの本は一冊も読まなかった。当時の私にファンタジーが好きかと尋ねていたら、嫌いだと答えただろう。小学6年生になるまでは。

 学校の司書が、私に「ホビットの冒険」を勧めてくれた。(私は学校の司書たちとはかなり仲が良かった。)「指輪物語」の名前は聞いたことがあったが、内容は何も知らなかった。彼女は、ホビットの冒険は古典的名作であり、きっと私も楽しめると思うと言った。私がどんな話なのか尋ねると、冒険物語だと答えた。さらに重要なこととして、ドラゴンが登場するとも教えてくれた。当時の私にとって、それは特に魅力にはならなかった。それまでに読んだドラゴンが登場する物語はおとぎ話だけであり、おとぎ話には馴染みがあったものの、その年頃の私が特に好きなものではなかった。そのため、彼女が期待したほどの魅力を感じなかったのである。しかし、彼女がそれまでに勧めてくれた本の多くを私はとても楽しんでいたので、試しに読んでみることにした。少し話が逸れるが、司書とは友達になるのがお勧めだ。素晴らしい本を勧めてくれる。

 私は、ホビットの冒険をこれほど楽しむことになるとは思ってもみなかった。それまでに読んだどの本とも違っていた。そして確かに、とても格好いいドラゴンが登場した。私の中で、ドラゴンの評価は一気に高まった。しかし、それ以上に、この本はファンタジーというものをまったく新しい視点から見せてくれた。弓を持ったエルフも、正しく描けば非常に格好良くなりうるのだ。ホビットの冒険を読む以前、エルフとは何かと尋ねられたら、サンタの工房で働き、クッキーを作り、靴職人が眠っている間に靴を直す存在だと答えていただろう。私がエルフについて知っていたのは、それだけだった。エルフとは、人間を助ける小さな人々だと思っていたのだ。そのため、中つ国のエルフはまったく新しい存在だった。小さくなどなかった。驚くべき不死の戦士たちだった。それによって、私のエルフに対する考え方は完全に書き換えられた。

 ドワーフについても同じことが起こった。当時の私にとって、ドワーフとは白雪姫と一緒に暮らしている小さな人々にすぎなかった。彼らの文化や習慣、物語の登場人物としてどのような存在になりうるのかについて、何の認識もなかった。それこそが、ホビットの冒険の特に素晴らしいところのひとつである。私がぼんやりとしか知らなかったものに、まったく新しい文脈を与えてくれた。自分の態度が、ほとんど無知によるものだったとは気づいていなかったのだ。誰も、こうしたものの格好いい姿について教えてくれなかった。それを初めて読み、体験することは、山の清流から水を飲むようなものだった。胸が躍った。

 私はそれまでホビットというものを聞いたことすらなかったが、ビルボは素晴らしい登場人物だった。そして、私はすぐに彼とのつながりを感じた。というのも、私が小学6年生で『ホビットの冒険』を読んでいたころ、私は学校で一番小さな子供だったからである。同じ学年にトレイシーという小柄な女の子がいた。今でも身長は150センチ以下だと思うが、そんな彼女でさえ私を見下ろすほど背が高かった。私は、いつかトレイシーと同じくらい背が高くなりたいと夢見ていた。私は背が低く、そのことを理由によくからかわれていた。(振り返ってみると、彼らは単に私の弱いところを突いていただけなのだと分かる。私は自分がとても小さいことを気にしていたので、そこを狙われたのだ。)だからこそ、自分と同じように小さな冒険者の物語を読むことには、大きな意味があった。

 そして、ガンダルフがいた。おとぎ話を除けば、魔法が登場する物語をあまり読んだことがなかったため、本物の魔法使いについての物語を読むのは、私にとって非常に刺激的だった。興味深いことに、当時の私はアマチュアのマジシャンでもあった。つまり、主に子供たちのパーティーで手品を披露していたのである。「ウィズ・キッド」という芸名を使っていた。本物の魔法を使う人物について読むことは、予想もしなかった形で私の心に響いた。

 このことに触れたのは、後に重要になってくるからである。私はそれまで、ファンタジーというジャンルと魔法を結び付けて考えたことがなかった。ファンタジーとは、技術を持たない人々が退屈なことをしている物語だと思っていただけだった。このジャンルの中心に「幻想的なもの」が存在するとは、まったく理解していなかったのである。SFに高度な技術があるのと同じように、ファンタジーには魔法がある。その考え方は、私にとってまったく新しいものだった。

 すでにガンダルフの話をしているのだから、ここでプレビュー・カードを公開するのがよさそうだ。いや、ガンダルフ本人のカードではない(このセットにはそうしたカードも何枚も存在する)が、彼が使う道具である。

クリックして「魔法使いの杖」を表示

 私に大きな影響を与えた生き物は、ほかにも何種類もあった。たとえばエントである。それまで、生きている木という発想に出会ったことがなく、私はその存在に魅了された。エルフやドワーフについては面白みに欠けるイメージしか持っていなかったが、生きている木というものは、そもそも考えたことさえなかった。振り返ってみれば、「オズの魔法使い」には、ドロシーとかかしがリンゴを採るのを嫌がる木々が登場していたと思う。しかし、あれは比較的小さな木だった。巨大なセコイアの木が生きているという発想は、それまで考えたことがなかった。

 物語に登場する巨大な蜘蛛にも、私は強く心を奪われた。蜘蛛の悪夢まで見たほどである。私は昔から蜘蛛が好きではなかったので、途方もなく大きな蜘蛛という発想が、私の無意識の部分を怯えさせたのかもしれない。なぜそれほど怖かったのかは完全には分からないが、実際に怖かった。私は、ゲームを含む創作物がどのように感情的な反応を引き起こすかについてよく語るが、ホビットの冒険は、さまざまな形で私にそうした反応を引き起こした。

 結局のところ、私はそれまで見たことのない形でファンタジーというジャンルを示されたのだ。興味の持てない退屈な物語の一群として切り捨てていたものは、実際には私が思っていたよりもはるかに格好いいものだった。ドラゴン、エルフ、ドワーフ、魔法使い、ホビット、巨大な蜘蛛、オーク、エント(挙げようと思えばまだまだ挙げられる)は、どれも本当によかった。ファンタジーというジャンルを、もう一度見直してみるべきなのかもしれない。

 私は学校の司書のもとへ戻り、ホビットの冒険をどれほど気に入ったかを伝えた。彼女は、私がファンタジーを好きなら、読むべき本が一気に増えると言った。彼女がそのリストを印刷し、さまざまな本やシリーズについて、それぞれにどのような魅力があるのかを説明してくれたことを覚えている。それをきっかけに、私は膨大な数の本を読むことになった。もちろん、その中には指輪物語も含まれていた。

 その1年後、中学1年生のとき、私はバル・ミツワーを迎えた。(13歳になったときに行う、ユダヤ教の成人儀礼である。)小学1年生のときの先生が同じ通りに住んでいたので、私たちは彼女を儀式に招待した。彼女は贈り物として『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をくれた。それは青い箱に入った『ダンジョンズ&ドラゴンズ・ベーシック・セット』、いわゆる「ホームズ版」だった。

 それは、自分でキャンペーンを作れるファンタジー・ゲームだった。私の初期のデザインの多くがホビットの冒険から影響を受けていたことは、誰の目にも明らかだった。たとえば、あるキャンペーンはエルフの都市を中心に展開し、別のキャンペーンはドワーフたちとの地下冒険で、3つ目は財宝をため込んだ巨大なドラゴンとの対決で終わった。確か、どのキャンペーンにも何匹かの巨大な蜘蛛を登場させていた。巨大蜘蛛は本当に怖かった。

 それから13年後の1993年、私は26歳でロサンゼルスに住んでいた。テレビ脚本家になるために移り住んだのである。ある程度の成功は収めていたが、そのときは仕事と仕事の間の時期だった。執筆は孤独な職業なので、ほかの人々と交流するため、アルバイトを始めることにした。これは人生におけるよい教訓となった。人と直接顔を合わせる時間は作るべきである。私はゲームが大好きだったので、ゲーム店で働くことにした。その店の名前は「ザ・ゲーム・キーパー」だった。

 数年後、私がウィザーズで正社員として働くようになってから、会社は小売事業へ参入することを決めた。ゼロから始めるのではなく、ゲーム店のチェーンを買収することにしたのである。どのチェーンを買ったのか? もちろん、ザ・ゲーム・キーパーである。こうして私の古巣は、「ウィザーズ・オブ・ザ・コースト・ゲーム・センター」へとブランド変更された。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストがゲーム店を所有していた期間はそれほど長くなかったが、私の過去と現在の人生をつなぐ不思議な出来事だった。

 その夏、店には頻繁に客が訪れ、「例の『マジック』というゲーム」は置いているかと尋ねてきた。店では扱っていなかったので、私はどのようなゲームなのかを説明してもらった。それは色鮮やかな絵が描かれたカードゲームで、プレイヤーは魔法使いになるというものだった。デッキはひとつひとつ異なるため、あるプレイヤーが持っているカードは、別のプレイヤーのものとは同じではないという。かなり面白そうだった。数週間後、サンディエゴ・コミコンへ行った私は、あるブースで『マジック』のデッキを持っている人物を見つけた。そのブースでは『マジック』を販売してはいなかったが、デッキを見せてくれた。それが、私が『マジック』のカードを目にした最初の瞬間だった。

 最初に見たカードは《鉄の根の樹人族》だった。このゲームには、エントのような存在がいたのである。デッキを見ていくと、見覚えのあるクリーチャーが次々と現れた。《鉄爪のオーク》、《ラノワールのエルフ》、《ドワーフ戦士団》、そして《大蜘蛛》がいた。まるでホビットの冒険をゲームにしたようだった。私は大いに興奮した。

 その1、2週間後、私はロサンゼルスで開催されたゲーム・コンベンションへ行き、初めて『マジック』を購入できる場所を見つけた。スターター・デッキ1個とブースター3パックを購入し、コンベンションにいた人に遊び方を教えてもらった。私はすぐに夢中になった。ほどなくして『ベータ版』のブースターパックを買うために列へ並び、最終的にはスターター・デッキを2箱、ブースターを2箱購入した。やがて私は毎週土曜日になるとコスタメサまで車を走らせ、大勢の人々とマジックをプレイするようになった。

 それをきっかけに、私は「ザ・デュエリスト」(ウィザーズ・オブ・ザ・コーストが発行していたマジックの雑誌)を読むようになり、パズル・コラムを持ち込んだ。それによって同誌でさらに多くの記事を書くようになった。その後、社内のほかの部門でもフリーランスの仕事を始め、やがてウィザーズの正社員になった。その後の話は、皆も知っている通りである。

 しかし、私がいつも考えていたことのひとつがある。もしホビットの冒険を読んでも、ファンタジーに興味を持たなかったらどうなっていただろうか? 時間を費やす価値のない退屈なジャンルだと、その後も考え続けていたら? サンディエゴ・コミコンで初めて『マジック』を見たとき、喜びとともに見覚えのあるものを見つけたのではなく、無関心な反応を示していたら? 私は、「うーん、ファンタジーは自分には向いていないな」という感想を抱いた世界を想像する。そうなれば、私はゲームを買わず、それを愛するようにもならず、フリーランスの仕事を始めることも、正社員として雇われることも、最終的に主席デザイナーになることもなかっただろう。

 もし私がホビットの冒険を読んでいなかったら、マジックにはフラッシュバックも、上陸も、混成マナも、そのほか私が長年にわたってゲームにもたらしてきた数々のものも存在しなかったかもしれない。学校の司書が12歳の私に本を1冊勧めたことが、現在の私へと続く道の始まりだったのかもしれない。ホビットの冒険が導いてくれた道は素晴らしいものだった。今でも巨大な蜘蛛には少し怯えてしまうものの、私はこの本に大きな恩がある。


思いがけない冒険

 今日の記事は普段よりも少し個人的な内容になったが、ホビットの冒険が私に非常に大きな影響を与えたため、皆に私の物語を伝えたいと思った。いつも通り、この記事についてでも、プレビュー・カードや『マジック:ザ・ギャザリング | ホビット』についてでも、どんなフィードバックでもぜひ聞かせてほしい。メールやソーシャル・メディア(XTumblrInstagramBlueskyTikTok)を通じて(英語で)送ってもらえると幸いだ。

 ウィザーズ・オブ・ザ・コーストは来週休暇に入るが、2週間後の「Making Magic」でまた会おう。

 それまで、あなたも図書館の司書と話してみてほしい。

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