MAGIC STORY

ニューカペナの街角

EPISODE 06

サイドストーリー:自由の側

Elise Kova
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2022年3月30日

 

カルダイヤの奥深くにて

 『自由の側』。テゼレットのその言葉を、ビビアンは無言で反芻した。

 さまざまな意味に解釈しうる、特にテゼレットのような者から発せられたなら。あの「灯争大戦」では敵側におり、面識こそなかったが、この男についての大体を把握する程には話を聞いていた。

 テゼレットが最も気にかけるのは自分自身。つまり出会ってすぐにこの男を追いかけるのは、本質的に危険。

 低い梁へと降り、ビビアンは弓を持ち直して身体のバランスを保った。その下は工場の赤い煙が見えるだけの底のない奈落、ニューカペナの底。少し背後に着地した彼女へと、テゼレットは肩越しに振り返った。動く度に立てる重い金属音に比較すれば、割と静かに。その長いコートは身体の大部分を覆い隠していたが、音から察するに身体のかなりの部分は何らかの金属に覆われているらしい。必要となれば弓を放てるような位置取りを、彼女は既に気にかけていた。

アート:Jake Murray

「どこへ連れていくのかは教えてくれないの?」 街の最果てから更に離れ、ビビアンの好奇心が次第に膨らんでいった――そして同時にあらゆる人目からも離れていく、それは鋭く認識していた。これは罠なのだろうか?

「すぐにわかる」 テゼレットは長い桁を下り続けた。灰色の編み髪がその背後に揺れた。

「いつもそんなふうにお喋りなの?」

「私が世間話に興じるような者に見えるかね?」 いや、そうではない。「そちらも同じだと思うが」

「私の何を知っているの?」 彼女は何気なさを装うことすらしなかった。

「私の仕事は人々をよく知ることだ、特にプレインズウォーカーについてな。どれだけ知っても知りすぎるということはない」 それは十分な説明と言えた。

 ビビアンは油断せず、とはいえ当初よりは警戒を解いていた。短いやり取りを交わしただけだが、テゼレットからは敵意も危険も感じられなかった。多くの苦難を乗り越え、時と経験によって彼女の感覚は磨かれてきた――そのため自身の勘を信じ、この奇妙で馴染ない次元の奥深くへと彼を追った。

 巨大な桁が鋼の蜘蛛の巣のように辺りを圧迫し、ふたりの歩みを妨げた。ビビアンの腿の四倍ほどもある鉄筋が行く手を塞ぎ、何世紀もの間に層を成した埃と汚れがそれを覆っていた。差し込む光は暗く鈍く、あらゆるものへと不気味な色彩を与えていた。

アート:Christian Dimitrov

 やがて、金属の建築物とその支えは岩へと変化した。ニューカペナの街には底があり、どうやら長い道程を経て遂にたどり着いたらしい。忘れられて久しい電球のちらつきだけが、断固として立ち退かない祖先の霊のようにこの深淵を照らしていた。ニューカペナを支える桁は廃墟に刺さり、巨大な台地らしきものの岩に鋲とねじで留められていた。

 この廃墟こそが最初のカペナに違いない。その慎ましい日々は人々を空へ押しやる「進歩」に埋没してしまった。壁の倒壊の様子、今も石に残る鉤爪の跡がビビアンの目にとまった。全てが進歩ではなかったのかもしれない。何らかの破局に続く復興があったに違いない。

 桁の端が瓦礫の山に刺さる地点で、ビビアンは立ち止まった。膝をつき、彼女は土に触れた。固く乾燥し、死んだ土。

 人々が大地と繋がっていた時代は遠く、だが大地は今も彼らを必死に支えている。

 テゼレットは無言のまま、更なる深みへと向かっていた。台地そのものを切り裂く曲がりくねった道を下り、彼はビビアンを連れて岩と洞窟を抜けていった。光が完全に失われるとテゼレットはコートを脱ぎ、すると真紅の光が弾けて周囲の壁を照らし出した。その輝きはテゼレットの前から、いや、テゼレットの内から発せられ、彼の輪郭を不気味な赤に浮かび上がらせた。その光は血色の悪い彼の皮膚もまた同じ色合いに変えた。ビビアンは矢筒から矢を一本引き抜いた。テゼレットは振り返り、その真紅と矢が帯びる緑色のもやが混じり合った。

「それは何?」

「信頼と誠実さを示そうと思ってね」 テゼレットは光源である胸の中を見せた。間に合わせの包帯のように彼の身体を覆う、あるいは完全に肉の身体と置き換わった金属の中、それは滲んでいた。骨と腱の代わりを成すプラズマが、細い金属の帯にかろうじて保護されていた。「次元橋だ」

「壊されていなかったというのは本当だったのね」 噂を聞いただけではあったが。

 テゼレットは得意そうな笑みを浮かべた。「私自身よりも名声の方が先を行っているようだな」

「そちらが知っている以上にね」 彼女は矢をつがえたまま言った。

「危害は加えない」 テゼレットは肩をすくめた。「とはいえこの輝きは極めて不気味だがな」 そして腕を見つめた、まるで縫い付けられた他人の腕であるかのように。彼は考え込むように言った。「あれらを他次元に送り出した後、変化してしまった。腐敗した、とでも言おうか……私以外の者にとっては、極めて不快な旅になる」

「あれら?」

 テゼレットは意識を現在に戻した。「法務官だ」

「誰?」 その肩書は初耳だった。

「新ファイレクシアの指導者どもだ」

 ビビアンの首筋の毛が逆立った。「新ファイレクシアのために動いているの?」ケイヤがカルドハイムにてその一体と戦ったこと、そして神河にもいたという話はビビアンにも伝わっていた。ファイレクシアとは害毒であり脅威、そしてテゼレットはそれらを媒介しているのだ。

「動いていた、そして動いている。私は多元宇宙の破滅を企てる策士にはめられたのだよ。あらゆる生命をひれ伏させ、力づくでファイレクシアに変えようとする者――エリシュ・ノーンに」

 ビビアンは腕に力を込め、弓の弦を頬まで引いた。テゼレットはその鋭い矢尻へと、大胆にも笑みを浮かべてみせた。

「ずいぶんと唐突に敵対心を見せるのだな。それでどうやって友人を作るのだ、ビビアン?」

「敵と友達になりたいわけがある?」 彼女は言葉に棘を含ませた。ファイレクシアの恐怖を解き放つ、多元宇宙においてそれ以上に重大な罪はない。

「悲しむべき必要性なのだよ」

 彼女はその餌に食いついた。「エリシュ・ノーンと手を組むことのどこが『必要性』だというの」

「まだ約束を果たしてもらっていなくてね」

「エリシュ・ノーンが何を約束しようとも、抑圧や暴力や死を正当化できるわけがない」 ビビアンは弓を握る手に力を込めた。

「心から同意する」 その言葉を聞き、ビビアンは矢を放ってその内に込められた獣たちを解き放つのをかろうじて止めた。更に自分は無害だと示すように、テゼレットは背中で手を組んでみせた。「私たちが知るような生命が存在を止めたなら、あるいは私自身までも変質してしまったなら、ノーンが約束してくれたものを正しくは使えないのだ。とはいえ、私がそれを必要としていることに変わりはない」

 この男は両方の側で動いている。ビビアンは両肩の緊張を幾らか解いた。テゼレットは味方とは言い切れないかもしれないが、完全な敵でもない。そこから何かが引き出せるかもしれない。

「私の仲間はすぐそこだ。この先はウラブラスクが説明してくれるだろう」 テゼレットは半歩引き下がった。「全てを説明できる時間がないのが残念だ。いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。長いこと姿を消していたら、エリシュ・ノーンに疑われる」

 ビビアンは大股で一歩踏み出し、問いただした。「ウラブラスクについてそれ以上の説明は?」

「知っておくべきことは話そう。お前にとっては脅威でも何でもない。今の状態ならば、素手でも殺せるような相手だ」 テゼレットの瞳が、彼を取り巻く光と同じ色に輝いた。「私を殺すか、それとも進むか。どちらだ、ビビアン・リード?」

 テゼレットに名を呼ばれ、彼女の背筋に寒気が走った。この男の両目は力を放っていた――知っていると告げていた。この男の一切を信用してはならない、それはわかっている。それでも……

「いいでしょう」 ここまで来たのだ。最後まで見てやろう。

 ふたりは下り続け、幾つものトンネルを抜けていった。そして不意に広大な空間が開け、突き当たりには傷を負った獣がいた。縮こまりながらもかなりの巨体で、ぎらつく嘴で苦しく息をしていた。テゼレットの次元橋が放つ真紅の光の中、その獣の身体は更にひどく傷ついて見えた。その肉は恐るべき精密さで無機質の骨格から焼かれて剥ぎ取られていた。かつての姿は堂々として、かつ極めて危険だったのだろう。頂点捕食者。その失われた雄大な姿へと、ビビアンは哀れみの視線をひとつ投げかけた。

「ビビアン、これが『静かなる焼炉』の法務官、ウラブラスクだ」

アート:Simon Dominic

 その酷い傷を見ながらも、ビビアンは距離をとった。素早く逃げるためでもある。だが同時に、彼女の筋肉は衝撃で動きを止めていた。今自分の目の前にいる傷を負った獣は、ファイレクシアンなのだ。

「裏切ッタナ」 ウラブラスクはテゼレットに非難を向けた。テゼレットを信用していないのは、ビビアンだけではないらしい。

「落ち着け、ウラブラスク」 テゼレットは溜息をついた。ほぼ全身が金属でできた男が、息も絶え絶えなファイレクシアンへとかぶりを振る。まるで後者は叱られた子供であるかのように。ビビアンが見るに、それは衝撃的かつ奇妙極まりない光景だった。彼女は旅の中で多くの驚異や恐るべき物事を見てきたが、これは最も奇妙と言っていいかもしれない。「むしろ真逆だ。新たな仲間を連れてきたのだよ」

「仲間だなんて言ってない」 ビビアンはテゼレットとウラブラスクに視線をやり、矢羽根に指を走らせた。矢を放つならば両者の間に。霊の狼を解き放つ。

「お前にとって新ファイレクシアは敵だろう?」

 そんな言葉では物足りない。「テゼレット。ファイレクシアンが多元宇宙を手にしたなら大変なことになる、そう考えているのはお前だけじゃない。私も大多数の意見に同意よ」

「ならば我々は同じ側にいるということだ。敵の敵は味方というだろう」

「そっちのお前は、どうして新ファイレクシアに敵対しているの」 ビビアンはウラブラスクを見つめた。テゼレット、手下であり非ファイレクシア人の援助者がエリシュ・ノーンに逆らうというのはまだわかる。けれどファイレクシア人の法務官が?

 ウラブラスクは背筋を伸ばそうともがいた。何らかの残虐な過程で失われたその高さと獰猛さを、幾らかでも取り戻そうとするかのように。ファイレクシアンがこれほどの傷を負うとは、一体何があったのだろう?

「エリシュ・ノーンガ、新ファイレクシアノ、全テヲ支配シテイル。ジン=ギタクシアス、ヴォリンクレックス、ソシテ黒ノ族長ノ多クモ、平伏シ、縄張リヲノーンノ構想ヘト捧ゲタ。ダガ私ハ、誰ニモ仕エナイ。ソシテ、私ガ導クモノタチハ、孤独ヲ望ンデイル。我々ハ、ノーント構想ヲ同ジクハシナイ」 ウラブラスクの鉤爪が石の地面をそっと叩いた。不満、ビビアンはそう推測した。「ノーンハ、多元宇宙ヲ単一ノ存在ニシヨウト、シテイル。全テノ生命ヲ、ファイレクシアント、シ、全テノファイレクシアンヲ、ノーンノ、下ニ。ソレハ進歩トハ、言エヌ。私ハ、静カナル焼炉ヲ、ノーンニ与エルツモリハ、ナイ」

 ウラブラスクの話を聞きながら、ビビアンはゆっくりと矢を筒に戻した。常識的に考えれば、両者に矢を放つべきだろう。隙があるうちに、テゼレットもウラブラスクも殺す。ファイレクシアは自分の全ての対極に立つ存在だ――自然と人の手の融合であるアーク弓、その歪んだ紛いもの。

 それでも……また別の本能は違うように語りかけていた。あるいは、危険な好奇心が芽生えつつあるのかもしれない。

 ウラブラスクは法務官かもしれない、それにテゼレットと同じく自分自身のためだけに動いている。だがウラブラスクの言葉が真実だとしたら、この法務官は敵の敵ということにもなる。そしてこれは捨てがたい機会かもしれない。内なる味方を得ておいて損はない。さらに良いことに、ウラブラスクはあらゆる犠牲を払っての勢力拡大に興味はないという。

「本当にノーンを止められると思ってるの?」ビビアンは尋ねた。

「アア。ノーンノ支配ニ、対抗スルタメノ挑戦ヲ、率イルツモリダ」 革命、そう簡単に言えばいいのにとビビアンは考えた。いや、ファイレクシアンはその言葉を持たないのだ。興味深い。

「どうやって勝つつもり?」

「オ前ガ、信用デキルトワカッタナラ、伝エヨウ」 ウラブラスクはゆっくりと前屈みの体勢に戻った。まるで背筋を伸ばして立ち続けるには多大な労力を要するかのように。

 ビビアンはテゼレットもウラブラスクも信用しておらず、だがここまで入り込んだ。そして向こうも自分のことは信用しないままに仲間に加えようとしている。皮肉ではないか。「そのためには、どうすればいい?」

「私たちに手を貸すことだ。言うまでもない」 テゼレットが言った。「私が行ける場所は限られているし、疑いを持たれてしまう。その上、ファイレクシア人の軍勢と法務官を運べとノーンに要請されている。長いこと不在にする危険は冒せない。従って、ここまでの旅で負った傷からウラブラスクが回復するまで留まっているわけにはいかないのだよ」

 次元橋を通ったことで、ウラブラスクはこんな傷を? ビビアンはそのファイレクシア人を頭から爪先まで眺めた。次元橋は通過した者の肉をすっかり剥いでしまう、その恐ろしさが伝わってくるようだった。

「何が必要?」彼女はウラブラスクへと直接尋ねた。

「治癒ノ時間ト、光素ヲ。後者ハコノ次元ニ存在、スル、魔法物質デアリ、研究ガ必要ダ。光素ヲ持ッテ来イ。勤勉ニ働ケ。ソノ後ノーンヲ玉座カラ降ロス方法ヲ教エヨウ」

 単純な合意。いつでも離脱し、ウラブラスクから得た情報を他に伝えることもできる。けれどウラブラスクが嘘を言っていないとすれば、少しの光素があれば更に知ることができる……

「じゃあ、交渉成立ね」 街へ戻る長い道程を登るため、ビビアンは踵を返した。

「モウヒトツ」 ウラブラスクの言葉に彼女は足を止めた。「光素ヲ、手ニ入レルツイデニ、探シテモライタイ人物ガ、イル。私自身デ探セバ、ヨイノダガ、コノ次元ヲ自由ニ、動ケバ、疑念ヲ向ケラレル」

「探すって誰を?」

「エルズペス。オ前タチノ同類、プレインズウォーカーダ。テゼレットガ上デ見カケタガ、既知ノ間柄ユエニ、近ヅク危険ハ冒サナカッタトイウ」

「エルズペス」 ビビアンは口に出し、その名前を記憶した。「その人の何を求めているの?」

「ノーンハ、ソノ女ヲ怖レテイル。私ガ知ルノハソレガ全テダ」

 エリシュ・ノーンの敵。それはビビアンも知りたい相手だった。

ニューカペナの街角にて

 ニューカペナは三層に分かれているが、中でもビビアンが一番嫌いなのはメッツィオだった。

 カルダイヤの奥深くは薄煙と工場の騒音に占拠されているが、その絶えない響きは街が生きていると感じさせてくれる。心臓の鼓動がある。成長が発するうめき声、軋み音、疲労――それが人工的なものだとしても。そして言うまでもなく、カルダイヤの更なる底には大地そのものがある。ニューカペナと自然との最も近しい繋がりがそこにある。

 高街の自然は人の手で植え付けられ、入念に刈り込まれている。それでも公園には本物の木が生い茂り、緑と生命を心から欲した時にはそぞろ歩くのもいい。

 そのふたつに挟まれたメッツィオには両者の均衡が見つかるかもしれない、ビビアンは当初そう考えた。だがそのようなものは存在しなかった。メッツィオにはカルダイヤの喧騒こそあれ、その魂はなかった。耽溺と過剰な消費が覇を唱えていた。そして誰もが早足で突き進み、歩道の裂け目から希望のように力強く生え出たタンポポに足を止めるようなことはしなかった。

アート:Sam Burley

 とはいえ誰もが忙しいということは、誰も彼女に気にかけはしないということ。ビビアンは追跡と狩りの技術を用いて物事を観察し、聞き耳を立てた。そこにいたと思った次の瞬間には姿を消し、誰にも気づかれはしない。やがて彼女は常夜会のとあるスパイとの接触に成功した。

 メッツィオでも人気の少ない界隈にて、ビビアンは降ろされたシャッターにもたれかかった。ぶらついていても怪しくは思われない程度には騒がしく、声を上げずに会話できるほどには静かな場所。

 足音が近づいてきた。

「弓矢」 背の低い女性が小声で呟いた。錆色の皮膚に藍色の山高帽、綺麗に切り揃えられた絹のような黒髪。

「藍色」 ビビアンは顔を動かさずに返答した。

 独自性のないその呼び名は意図的なものだった。それぞれの衣服から想起され、そしてその名から正体を探られることもない。ビビアンは濃茶色の肌に映える鮮やかな金と緑のコートをまとっていた。胸元を開いて純白のシャツとネクタイを見せ、その形は矢尻を思わせた。

「いい情報があったら教えて」 ビビアンの向かい側で柵にもたれ、「藍色」が言った。彼女は胸ポケットから小さなノートを取り出した。ビビアンは何度も見ていた――そこにさまざまな秘密が書き込まれている。

「舞台座は『源』を常に移動させてるって話」 当初彼女は、ウラブラスクへの光素を確保するために「源」へと興味を抱いた。だが舞台座はそれを何とか盗み出そうとする手から必死に守っていた。それだけでなく、ニューカペナの誰もが「源」の情報を欲していた。誰もの目がそちらに向けられているため、ビビアンは気付かれることなく少々の光素をそこかしこで拝借していた。幸運にも、ウラブラスクは多量の光素を求めてはいなかった。

「頻度は?」

「毎日」

 その女性は考え込むように鼻歌をうたった。「他には?」

「『敵対するもの』が経営するラウンジの噂。そこを本拠地にしてる」 その名もまた早くからビビアンの注意を惹いていた。常夜会は街の暗部を支配し、秘密を統べていると主張している。だがビビアンが見る限り、真にそれらを支配しているのは「敵対するもの」だった。

「場所は知ってるの?」

「まだ。けれど見つけてみせる」 それは嘘だった。ビビアンは「敵対するもの」のラウンジの場所を見つけ出していたが、全てを他人と共有する気はなかった。必要とするだけの情報を代価として得られるまでは。常夜会に、あるいはニューカペナのどこかの一家に入れ込みすぎないように、ビビアンは線引きを確かにしていた。自分はこの次元への訪問者であり傍観者なのだ。過度に干渉する気はない。

「わかったら知らせて」

「もちろん」 ビビアンはシャッターから背を離した。「そちらからは?」

「たくさんの光素を確実に入手する手段はないね。そんな情報があれば私は今頃金持ちだよ。今日この後、南西の方にある『天使の吐息』って所に舞台座が補充するらしいから、気を付けてれば一本くらいいけるかもね」 ビビアンが立ち去ろうとする中、「藍色」は素早くノートに書き込みを続けた。

「あ、けどエルズペスって人については少しわかったよ」 ビビアンははっと立ち止まった。「メッツィオのあちこちで雑用を請け負ってる女がいる。だいたいは駅からそう離れてない大通りで。工事現場とか洗濯店とか食堂とか、単純な肉体労働でどれも長続きはしてないね。一か所には留まってない。けどあんたが探してるのはきっとその人だ。そんな古臭い名前は多くないし。幸運を――」

 その先は聞いていなかった。ビビアンは既に走り出しており、今やよく知る裏道や工場の通路を駆けた。そして知る限りの工事現場、洗濯店、食堂で足を止めた。だが唯一の小さな手がかりも途絶えたと思ったその時、魔法が弾ける音がして叫びと悲鳴が続いた。

 彼女はすぐさま大通りへと飛び出した。人々が急ぎ逃げる中、ひとりの女性が脇道へと飛び込み、貴顕廊の処罰者たちがその後を追いかけた。メッツィオで喧嘩は決して珍しくない、だがその女性の動きは……丸腰かつ数でも圧倒されていながら、旋回して相手の攻撃をかいくぐり、寄せ付けず、更には通行人を避けていく。ビビアンが見てきたどのような喧嘩屋よりも上手だった。

 もしかしたら、あの人が?

 ビビアンは追いかけた。彼女は木を登るようにとある建物の壁に登り、低い屋根へと上がった。戦いが見える位置に辿り着いた頃には、貴顕廊の処罰者たちは既に無力化されていた。

 今その女性は熱心な口ぶりの吸血鬼と会話をしており、だがビビアンの位置から会話の内容は聞き取れなかった。ビビアンは移動すると、矢を一本つがえてふたりには見えない方向へと放った。幽体のリスが弾け出て即座に側溝へと降り、ふたりには見えない位置に潜んだ。その魔法生物を通して、まるで隣にいるかのように会話がビビアンの耳に届いた。

「……耳寄りな話があります。我々の新人は皆、高街の博物館から仕事を開始するのです」 吸血鬼はそこで立ち止まり、片手を差し出した。「おっと、私としたことが名乗りもせず、失敬。アンヘロと申します」 囁かれるその名は聞いており、博物館で見かけてもいた――貴顕廊の一員。

 女性の方は相手の仕草を無視し、一言告げて歩き出した。「エルズペス、です」

 見つけた。だがどうするべきか。今すぐウラブラスクのところへ戻る? それともこのプレインズウォーカーが何者かをまず調べる?

 ウラブラスクの治癒具合は、次元橋での輸送に耐えるにはまだ程遠い。つまりこの先数週間は、彼のために光素を集めて待つ必要があるということだった。法務官の前へと連れて行く前に、自分でこのエルズペスについて判断する時間はある。

 エルズペスの何がそんなにも特別なのか、ビビアン自身もまた知りたいのは確かだった。

とある薄暗いラウンジにて

 ビビアンはまだエルズペスと個人的に会えてはいなかった。エルズペスが貴顕廊への参加を同意してすぐ、アンヘロが彼女を博物館へと連れて行った――プレインズウォーカーが下す決断としては興味深い、ビビアンはそう感じた。彼女は博物館に向かい、可能な限り身を潜め、「藍色」から得た侵入手段の有効性を確かめた。だが貴顕廊の新入りは、一家の仕事に出せるようになるまで巧みに隠されているのが常だった。

 だが運よく、エルズペスはやがて一家の仕事に出るようになった。これでようやく個人的に接触できる。

 「藍色」から最新の情報が入っていた。今夜「敵対するもの」が会合を開き、貴顕廊からもひとりが出席すると。彼女はまた、常夜会が最近把握した内容をほのめかしていた。エルズペスは貴顕廊のために動いている。今夜の会合に来るのがエルズペスであればいいのだが――そうビビアンは万が一の希望を持っていた。貴顕廊の新人が経験を積むには丁度いい任務だ。そして「敵対するもの」に対面するとしたら、その本拠地のひとつとして発見していたラウンジ以上にふさわしい場所はない。

 そしてエルズペスが来なくとも、少なくともウラブラスクのために光素を持ち帰れるかもしれない。あれから数週間が過ぎ、法務官は目に見えて回復していたが、それでも完治には程遠かった。

 ビビアンはバーカウンターに座っていた。陰気な紫色の光が、彼女の飲み物を含めた全てをその色に染め上げていた。当初、彼女は光素を勧められた――何気なくメニューに載せることで、力を誇示しているのだ。だがビビアンは固辞した。過去に一度、好奇心と情報収集のために光素を試したことがあった。そして脳に荒々しい魔力のうねりを即座に感じ、以来必要とはしていなかった。それは偽りの力であり、自惚れに繋がる。自信過剰は過ちの元となる。自分自身に対して公正な感覚を持ち続けなければならないのだ。

アート:Scott Murphy

 だが光素が真に強力な物質であることはわかった。これがニューカペナを掌握しているのも、もっともに思えた。とはいえ、ウラブラスクがこれを求める理由はまだ知らされていなかった。それを見せるだけで法務官はひるんだ。それとも、感情の動きがひるんでいるように見えただけか。嘴に空虚な瞳、彼の感情を読むのは簡単ではない。

 そのため、ビビアンは光素よりもずっと……退屈な液体を味わっていた。ビビアンが水を注文した際、カウンターに立つ男は疑うような目を向けた。だがビビアンが知る限り水とはとても素晴らしい飲み物なのだ。必須と言っていいほどに。

 ラウンジの扉が開かれ、ひとりの若い女性が滑り込んだ。エルズペスではない、だが貴顕廊の一員であるのは疑いなかった――色のない瞳、それは吸血鬼の特徴。

 ビビアンはグラスを置き、無言で悪態をついた。貴顕廊からの出席者はエルズペスではない。代案に移らなければ。

「気が変わったわ、けど急いで出ないといけないの。少し光素を貰って帰りたいのだけど?」 常連客へと光素を注ぐその男に、ビビアンは尋ねた。

 その大胆な願いに、男は鼻を鳴らした。「飲むのは中で、それがルールだ。ボスはパーティーをやってる所にいたいんだよ」

「それもそうよね」 ビビアンははにかむような笑みを浮かべてみせた。男も満足そうに笑った。彼女の自由すぎる頼みを過剰に疑った様子はない。「じゃあ、ここで頂戴」 ビビアンの言葉に、彼は光素の瓶とグラスへと手を伸ばした。「ボスは今夜ここに来るの?」

「あんたが知らないってことは、あんたには関係ないってことだよ」 その口調から軽率さは消えていた。

 ビビアンはカウンターから身体を離し、両手を挙げてみせた。「聞いてみただけなのに」

「言わせてもらえば、この街は聞き耳だらけで口は軽い。出て行けって言われる前に光素を味わいな」 彼は生ける虹をうねらせたグラスをビビアンへと手渡した。

「ありがと」 ビビアンは小声で言った。男は別の常連客と話すためにカウンターの端へ向かった。彼女は体勢を変えて彼らに背を向け、腰のポーチから小瓶をひとつ取り出した。確かな手つきで注意深く、ビビアンは光素の幾らかをそれに注いだ。このまま何の疑念も持たれることなくラウンジを出て、ウラブラスクへと光素を持って行ける。この動きはこれまで何度もこなしており、今や第二の天性となっていた。

 だが体勢を変えたことで、あの貴顕廊の吸血鬼が裏口から出る様子が見えた。わずかに開いた扉の隙間から、覚えのある山高帽が見えた。「藍色」がここで一体何を?

 ビビアンは残りの光素をそのままに、カウンターから離れた。これ以上を持ち出そうとしたら確実に見られてしまう。そして彼女の内では既に警報が鳴り響いていた。この場所について伝えた時、「藍色」は何も知らないような返答だった。ビビアンは辺りの様子を一瞥し、可能な限り目立たないよう影の中に潜むと、開いたままの裏口へと近づいていった。

「――全部、準備はいい?」 囁き声は「藍色」のものだった。

「ええ。貴顕廊でもボス側の者たちはクレッシェンドに狙いをつけた」

「上等。あなたの援助は正当に報われるわよ。教えてもらったことは伝える」――つまり「藍色」は二重スパイだったのだ。彼女が真に忠誠を捧げるのは誰なのだろう、ビビアンは訝しんだ――常夜会か、「敵対するもの」か。それともテゼレットのように、自分自身に対してだけか。

 ビビアンの左で動きがあり、彼女の意識はそちらに向けられた。壁が開いて隠し扉が露わになり、何人もの男女がその中から飛び出した。彼らの背後のどこかから、深くこだまする笑い声が聞こえた。わずかに聞き覚えのある音だった。威嚇するような、ねじるような。

 以前、何処かで聞いたことのある笑い声。けれど何処で?

 それは後でいい。ラウンジは人で満ち、多くの目が彼女へと疑念を向けていた。

 ビビアンは素早く決断し、裏口から滑り出た。

 素早く風を切る音に、彼女は咄嗟に屈みこんだ。銀のひらめき、続いて襲いかかってくる動き。扉にダガーが突き刺さって震えた。一瞬前までビビアンの首があった場所。

 「藍色」がそこに立っていた。ダガーを掴んだまま、軽く息を荒げて。その女性の目は見開かれ、攻撃を避けられた怒りに燃えていた。光素の匂いが漂ってくるようだった――ビビアンのような熟達の戦士に勝てると勘違いした理由はそれに違いない。

「待ってれば来ると思ってたのよ。ずいぶん『敵対するもの』と貴顕廊に興味津々だったからね。この場所を教えてくれたなら、私はあとは待つだけで良かった」

 ビビアンはゆっくりと腰のベルトに手を伸ばした。弓矢は持ち込んでいなかった――それは目立ちすぎる――とはいえ完全に丸腰で来たわけでもない。

「どうして私の後を?」 自分たちは友人同士とは言えず、とはいえ敵意が生まれていたとも思っていなかった。

「貴女、ちょっと仕事が上手すぎるのよ」 ダガーを扉から抜き、「藍色」は言った。「それとボスは戸口で嗅ぎ回られるのが好みじゃないの」 彼女はビビアンの頭へとダガーを振り下ろした。

 ビビアンは即座に反応し、片手で「藍色」の上腕を掴んだ。そしてもう片方の手で自分のダガーを抜くと、流れるような動きでそれを相手の腹部に突き刺した。恐ろしいほど簡単だった。「藍色」は戦士ではない。

 「藍色」のナイフが地面に落ちて音を立て、彼女はビビアンの腕の中で身体の力を失った。ビビアンは彼女を下ろし、路地の壁に背を預けさせた。

「このナイフを抜いたら、出血多量で死ぬわよ」 ビビアンは穏やかに言った。「そのままにしておけば、十分間は持つはず」 彼女は「藍色」の目を見つめた。思っていたよりも若い。死ぬかもしれない、初めてそれを察する様子がわかるほどには。「常夜会に戻って、『敵対するもの』の手下にやられたって言いなさい。『敵対するもの』は貴女の一家ではないし、貴女をこのまま死なせるでしょうね。選ぶのは貴女よ」

 「藍色」の身体が苦痛と衝撃に震え、だがかろうじて彼女は頷いた。

 ダガーから手を放し、ビビアンは「藍色」のポケットに押し込まれたあのノートに気付いた。考えるまでもなく、彼女はそれを抜き取った。書き留める必要があると常夜会が判断したような重要事項は、危険に見合う重要性を持つに違いない。

「命の代わりにもらっていくわ」 ビビアンはそのノートを掲げて見せた。全てに均衡がある。全てにその代価がある。

 ラウンジの中の喧騒が高まり、ビビアンは夜の中へと退却した。

高街にて

 あのラウンジでの一件以来、自由に動き回るのは難しくなっていた。「敵対するもの」はニューカペナの人々の心に深く根を張っていた。

 出入りする場所も安全ではなくなり、高街の緑地を楽しむことすらできなかった。影の中に敵が潜んでいるのだ。うつむいて顔を隠し、ビビアンは「藍色」から奪ったノートを調べた。

アート:Muhammad Firdaus

 光素の受け渡しがここで行われる。そしてメモに書かれていた通りに紙袋が置かれていた。今はただ待てばいい。やって来る貴顕廊がエルズペスならば良し、そうでなければ腕ずくで光素を奪い、夜へと消えればいい。

 暗がりから街灯へと人影が姿を現した。黒髪に黄褐色の肌、淡い茶色の瞳、決意に引き締まった表情。ビビアンは即座に認識した。間違いない。

 エルズペスだ。

 今夜はビビアンが期待した以上に良いものになりそうだった。彼女はエルズペスと同時に動き、隠れ場所から飛び出して数歩の距離を素早く詰めると相手の手首を掴んだ。

「誰が回収しに来るのかと思って」 ビビアンは声を低く小さく保った。この公園には他にも人がおり、近づいてきている。早くに警戒心を抱かせて役に立つことは何もない。

「先ほど、これを置き忘れて」 エルズペスはそう返答した。実に下手な嘘だ。

「嘘つかないで。そんな仕事に向いてるようにも見えないし」 初めて相手を至近距離で見ながら、ビビアンは少しだけ笑みを浮かべた。ただ独りかつ丸腰で現れたこの人物の、何がそんなにも特別なのだろうか。「どこかの一家の仕事に向いてるようにも見えないしね」

 エルズペスは小さく笑った。「私には私の理由がありますので」

 どんな理由? プレインズウォーカーが特定次元の揉め事に関わるとあれば、それは重要なことに違いない。「それはわかるわ」

「私、この次元の歴史を学びたいんです」

「どうして?」

「ここに落ち着けるかもしれないので」 エルズペスの穏やかな感傷に、驚きと喪失の小さな痛みがビビアンを刺した。失った故郷。その思いを彼女は身に染みて知っていた。エルズペスは続けた。「それよりも。脅威が迫りつつあって、その情報を手に入れようとしているんです」

「それは間違いないし、どうやら動機は同じのようね」 エルズペスはウラブラスクの存在を全く知らないと見え、それはビビアンにとっては驚きだった。とはいえテゼレットに遭遇しければ自分も知ることはなかったのだが。加えてウラブラスクは言っていた、テゼレットは「既知の間柄」ゆえにエルズペスを避けていると。「そうそう、私はビビアン」

「エルズペス、です」

 その名前はずっと前から知っていた、そう伝えるのは我慢した。それは良い印象を与えはしない。「誰のためにその情報を集めてるの?」

 エルズペスは返答をためらった。

 このプレインズウォーカーにはニューカペナの相争う一家の手駒となるよりもずっと大きな目的がある、ビビアンはそう確信していた。だがウラブラスクのために動いているわけでもない。となると……「当ててあげる。ゲートウォッチ?」

「アジャニに頼まれたんです。ビビアンさんも、そのためにここへ?」

「元々は違うけどね。何が起こっているかは知っているでしょう。もしかしたら――」ビビアンははっと顔を右へ向け、その先を睨みつけた。時間はない。「貴女を追っていたごろつきが近づいてくるわよ。私はさっさと退散するのが良さそうね」 ビビアンは手を放した。「けどその脅威について、ちょっと教えてあげられることがあるかも」

「本当ですか?」 声を落とし、エルズペスは一歩踏み出した。

「気になるかもしれない手掛かりがあるのよ。一緒に来てくれれば――」

「それはできません」 即答だった。「昔、ニューカペナの人々がどのように――その脅威を打倒したかを調べているんです」 昔? 昔にどんな脅威が? 地下深くの廃墟に残された鉤爪の跡がビビアンの心にひらめいた。ニューカペナには目に見える以上のものがあり、秘密は永遠に埋もれてなどいないのが常だ。「その情報が手に入るまで、ここを離れることはできません」

「わかったわ」 自分たちは協力していける。それ以上に、エルズペスは信用に値する正直な相手と見えた。それが嬉しかった。「私ももうちょっと探ってみて、何か情報が入ったら伝えるわね」

「どうして私を手伝ってくれるんです?」 ビビアンは立ち去ろうとしたが、エルズペスが尋ねてきた。

「この次元の問題にはまり込む前に、詳しいことを確認した方がいいわよ」 ビビアンは重苦しい声色で告げた。多くを喋りすぎる前に、こちらの方でも更なる情報が必要だ。「次に会う時までにね」

「それはいつになります?」

「価値のあるものが手に入った時に」 ビビアンは小さく頷いてみせた。今はまだエルズペスをウラブラスクの所には連れて行かない。この人物からの信頼を得て、もっとよく知らなければ。「会えて嬉しかったわ」

 ビビアンは茂みの中へと撤退した。一度だけ振り返り、そしてエルズペスの手首を掴んでいた自身の手を見下ろした。目に見えない針が掌に刺さっていた。あの人は……。ビビアンは顔を上げ、だがエルズペスの姿は消えていた。

 なるほど、確かに特別な存在だ。

カルダイヤの地下洞窟にて

「エルズペスに会ったわよ」 街の奥底、ウラブラスクの洞窟に入るなり彼女はそう告げた。

「会ッタ? ナラバ何故連レテイナイ?」

「まだその気はないって」 ビビアンは遭遇の様子を詳しく伝えた。

「『ソノ気』ニサセラレナイノカ?」

「難しいでしょうね」 ビビアンは率直な感想を告げた。エルズペスはひとたび意志を固めたら容易く説得される類の人物ではなさそうだった。

「ナラバ待トウ。エルズペスハ成功ヘノ鍵ダ。アノ者ナクシテ出発ハシナイ――アノ者ノ灯ガ、我ラトミラン人ノ両方ニ火ヲツケルダロウ」

「街の緊張はもう限界を迎えそう」 しばらく前から情勢の変化を感じてはいたが、「敵対するもの」の動きはそれを加速するばかりだった。「その時こそ、エルズペス自身が探しているものが見つかるかどうかがわかるでしょうね」

「ナラバサッサト壊セ」

 ビビアンは嘲りをこらえた。このファイレクシアンはおどけて言っているのではない。ウラブラスクの言葉は常に無味乾燥で、皮肉や気まぐれといったものとは無縁だった。

「エルズペスの方が解決したらね。遅れないようにするから」 この全ては自分の選択、ビビアンはそれを強調するような声色で言った。何も考えずに法務官の指示を受けているのではない。「それと、その時が来たならエルズペスが何処に現れるかは把握したから」

 「藍色」に密告した貴顕廊の吸血鬼いわく、来たるクレッシェンドに潜入する者がいるらしい。そしてノートの記述もそれを裏付けていた。エルズペスがその中にいるのかはわからず、とはいえ彼女は「敵対するもの」と組むような人物でもない。あるいは「敵対するもの」と戦うかもしれない。どうなろうとも、エルズペスはクレッシェンドに姿を現すだろうとビビアンは賭けていた。そしてそれは、これまでのニューカペナにとって終わりの始まりとなるのかもしれない。

「クレッシェンドに罠をしかけるのは『敵対するもの』だけではないということよ」 ビビアンはきっぱりと言った。

「気ヲツケロ。テゼレットが言ウニ、ソノ男モプレインズウォーカーダ」

 ビビアンもその疑念を抱いていた。「何者かはわかるの?」

「デーモンダ」 そっけない返答だった。

「デーモン? 素敵じゃないの」 その正体について見当をつけながら、彼女は弓と矢筒を掴んだ。あの笑い声が今も心にこだましていた。「それも重要な情報になりそうね。事が終わってエルズペスを連れてきたら仕上げにかかりましょう。あなたがどういうふうにゲートウォッチに協力するか、そして私たちはあなたの革命にどう協力するのかを」

 ウラブラスクはその長い頭部を少し低くした。「新ファイレクシアニ戻ル際、私ノ身体ハ破壊サレル。ココデノ回復ハ何週間モ要シテイル。復路モソウナルダロウ。ダガ機ガ熟シタナラ、行ク」

「わかったわ」 ビビアンは洞窟から退出し、矢羽根に指を走らせつつ考えた。新ファイレクシアの容赦ない拡大を封じ込めることが本当にできるのだろうか。それを見通すのは、ほとんど不可能に思えた。

 けれどまずは、エルズペスを。そしてクレッシェンドはその最高の狩り場となるだろう……ビビアンが獲物を逃したことはないのだ。

アート:Remi Jacquot
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