MAGIC STORY

ニューカペナの街角

EPISODE 04

サイドストーリー:何を見る

Kaitlyn Zivanovich
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2022年3月29日

 

 ニューカペナ、ガラスと鋼の建築に陽光がぎらつく。緑と赤をまとう鳥のつがいが空を駆ける。カミーズは影の中で立ち止まり、だがその弟子は太陽の下に踏み出して歓声を上げた。

アート:Grady Frederick

「見て下さいよ、あれ!」 クェザが指を指して叫んだ。「綺麗ですねえ」

 カミーズは溜息をついた。「エリサクス・ルベキュラ。コマドリね」

「まさに芸術家ですよ。師匠も綺麗だって思いません?」

「私が重視するのは実質だよ」

 コマドリの歌を聴きながらカミーズとクェザは店に入り、後ろ手に扉を閉めた。ティヴィットの占い館。浮遊する水晶球が部屋を照らし、常夜会の印を浮かび上がらせていた――手、鍵穴、そして短剣。カミーズはその装飾に込められた忠誠を大いに評価した。

「カミーズじゃないか。ラフィーンの右腕と名高いセファリッド」 ティヴィットは大きな前足を伸ばし、眩しい白色の翼を畳んだ。「それにクェザ! 右腕のさらに右腕だ!」

「ティヴィット、仕事はどう?」

「忙しいね。今日は秘密の用件?」

「鍵はしっかりと」 カミーズは頷くと、壁のタペストリーを除けた。地下の通気孔へと繋がる隠し扉がそこにある。その地下道はニューカペナ中の隠れ家へと通じている――彼女のお気に入り。ラフィーンの密偵長としての役得のひとつは、人々との関係を最小限に留められること。愛想を振りまく余裕はない。それはクェザに任せておけばいい。

「師匠、お茶してく時間ありません? 茶葉占い好きなんですよ」

「ない」

「ティヴィットさん、未来を見て下さいよ。カミーズ師匠が笑う可能性ってあります?」

「見通しは悪いね、ごめんよ」

「クェザ」 カミーズは叱責するように足先を鳴らした。

「師匠、興奮してるんですよ」 クェザは聞えよがしの囁き声で言った。「興奮すると、眼の周りの模様が青緑色に脈打つんです。ほら来た、って!」

「クェザ。君の未来には怖い顔と無言の非難が見えるけどね」 ティヴィットは声を上げた。「見え……いや、見え……」

アート:Chris Rahn

 ティヴィットは頭をのけぞらせ、悲鳴を上げた。青い煙がハリケーンのように室内をうねり、水晶球が宙で砕け散った。カミーズは大気に金属臭を感じ、部屋の隅に嵐が巻き起こった。闇があらゆる光を抑えつけ、カミーズとクェザがまとう生体発光の模様すら消えた。重く、張りつめた沈黙が降りた。

 ティヴィットの広げた翼が静電気を帯びた。両目と口から光はほとばしり、セファリッドふたりを押しやった。ティヴィットの喉からコーラスが鳴り響いた。それを記録すべく、カミーズは球面レンズを掲げた。ラフィーンとの付き合いが長い彼女は、預言の存在など認めない。

「クリームを隠す仔猫……カラスが空を飛び、ついばむ……水中の黄金……クリームを隠す、仔猫!」

 部屋が揺れ、カミーズは身構えた。光がうねって輪を形成した。クェザの様子を伺おうとしたが、力のうねりに目を開けられなかった。辺りの音は次第に強まり……そして止まった。

 ガラスの破片と書物の破片が落下した。小さな窓から陽光が差し込み、スフィンクスの占い師は突っ伏した。

「クェザ?」 カミーズは潤む目で瞬きをした。弟子は倒れた本棚の下敷きになり、それでも頭を守っていた。カミーズは検視の魔法を唱えつつ隣に急いだ。体中に打ち身と擦り傷が見られたが、どれも軽傷だった。

「大丈夫です、師匠。今の……」

 カミーズは球面レンズを手に呼び戻した。「ラフィーン様に送る。今すぐに」

 クェザは頭を撫で、水差しを満たしてティヴィットへと差し出した。「師匠、私ラフィーン様の幻視の記録を全部読んでるんです。街が創設された頃のから。それとすごく似てます。大変です、これまでとは違って」

 カミーズは無表情を保った。解釈できるはず。自分に知らないことはない、まだ知らないというだけで。

 報告の護符が喉元で振動した。別の占い師からの幻視の報告。護符は再び震えた。中の石が音を立てて鳴り、カミーズの皮膚にこすれて摩擦熱を帯びた。カミーズは護符を掌に乗せて押し、報告を映し出した。

 魔法の画面が目の前に青く輝き、高街の易者や預言者、占い師を映し出した。メッツィオ、カルダイヤからも。全員が同じ物事を伝えていた。

『光輪……光輪……クリームを隠す仔猫』

『仔猫がクリームを隠す。黄金……』

『水の中に黄金が。カラス……光輪、また光輪……』

『光輪があらゆる所に……』

「同じ幻視?」 クェザが呟いた。彼女は光輪を内に込めた乳白色のタリスマンを掴んでいた。迷信深い天使信仰のもの?

「それは仕舞いなさい」 カミーズは低く囁いた。

 クェザは報告の画面を見つめた。「どういう意味なんでしょう?」

 カミーズが手首に巻いた召喚の腕輪が締まった。

「すぐにわかるわ」 カミーズは袖口を正し、壁のタペストリーへと戻っていった。高街でラフィーンが呼んでいる。

アート:Chris Rallis

 昇降機は街の深淵から上昇し、桁の街路とまばゆい建築を越え、雲の中へ入っていく。カミーズはクェザを内工部の地図室へと送り、解析を始めさせた。クェザは夢想家ではあるが、常夜会で最高の調査員でもある。一度か二度、彼女はカミーズが見逃した細部に気付いたことがある――それは些細な技能ではない。

 甲虫の翼のように、昇降機の扉が開いた。

 ラフィーンの聖所には囁き声が渦巻いていた。ニューカペナの秘密と策謀。ガラス張りの壁からこのデーモンにしてスフィンクスは街を見下ろし、頭上のステンドグラスは彼女の栄光を描いている。天使の凋落とともに彼女は大悪魔たちと手を組み、彼らはラフィーンの幻視の力を高めたのだ。

 さまざまな報告、犯罪、動向がぼやけた映像となって部屋中に浮遊していた。ラフィーンは盛んに歩き回っては噂話や報告を霧散させていた。ラフィーンの存在はいつもカミーズを圧倒した。記憶よりも古く、強大で、謎めいている。凄まじい幻視の力によって、ラフィーンは全てを知っていた。

 カミーズは膝をついた。

 嵐のようにラフィーンは翼を広げ、宙にうねる報告や映像を消し飛ばした。その声が雷鳴のように轟いた。

「報告しなさい」

 自分が確信していない限りラフィーンには決して伝えない、カミーズはそれを心がけていた。「ティヴィットの幻視をご覧になったかと思います。ニューカペナの他の占い師たちも、同時に同じものを見ました。現在、位置関係を地図に落としております。共通する内容は――」

「並べ立ては不要です。ミルクを零す仔猫、水中の黄金、光輪、そして光輪。私も見ているのです。あなたの技能の詳細に興味はありません。私が知りたいのは、この幻視を送り込んだ者です!」

 カミーズは顎を食いしばり、ひるまないようにこらえた。送ったと言った? ラフィーンの幻視はアークデーモンによるもの。これほどの規模の幻視を一体誰が送れるというのだろう?

「何者かがニューカペナの占い師たちを攻撃したのです。容認できません」

 その言葉が意味するものに、カミーズは殴られたような気分だった。高街に護りをかけているのは自分なのだ。何らかの者が占い師全員に、ラフィーンにすら届くような魔法をかけたのだとしたら……それは自分の護りが破られたことを意味する。誰かがラフィーンに手を伸ばした、そしてそれは自分の落ち度によるもの。

 カミーズは立ち上がった。「解明致します」

「急ぐのです」 ラフィーンは囁きと影の中へ戻っていった。「内密に行うのです、カミーズ。自らの足で。私が信頼するのはあなただけです。今のところは」

 カミーズは胸のつかえをこらえた。「かしこまりました」

アート:Johannes Voss

 内工部の壁は舞台座のパーティーよりも眩しく輝いていた。クェザは掌に情報球を乗せ、地図を映し出した。ふたつの追加調査結果が一箇所に表示され、彼女は点在する区域を繋ぐ光の線をなぞった。それらが繋がっているとクェザが考えたなら、調査する価値はある。

「それぞれの光点が、あの幻視のどれかを見た占い師です」 クェザは地図を指さした。「うちが雇っている全員と、そうとは知らない方もかなりの数がいますね。同じ幻視を、同時にです。例外はありません」

「高街に光点をひとつ追加して」 カミーズは顔をしかめた。コートは着たままでいた。すぐに街へ調査に向かわねばならない。自分の足で。「ラフィーン様からもお聞きしました。同じ幻視を、同時に」

 クェザはその通りにした。「幻視の内容を調査しました。クリームを隠す仔猫。水の中の黄金。カラス。これはそのままカラスかと思いましたけど、カラスにも色々いますよね。カササギだってカラスの仲間ですし……」

「その調査は不要よ」とカミーズ、「調べるのは幻視を送った者であって、幻視の内容ではないわ」

「……送った?」

「これは攻撃であると判断している。何者かが呪文を唱えたか、いわゆる幻視の泉を汚染したか」

 クェザは口を閉ざし、タリスマンに手をやった。「師匠。前にも言いましたけど、この幻視ってラフィーン様が街の創設の時に見たものと同じです。大変なことですよ! 攻撃とか――」

「何故それを所持している?」

 クェザはタリスマンを見た。「師匠は天使を信じてないんですか?」

「信じる、信じないとは? 天使の存在は歴史的な事実。彼女たちは存在し、ニューカペナを築く手助けをし、そして去ったのよ」

 クェザは肩をすくめた。「天使がいつか戻ってくるって信じてる人たちもいます。今の私たちが目にしている以上のものが、もっとすごい力を持つものがある、師匠はそう思わないんですか?」

「クェザ、私たちは常夜会の密偵だよ。あらゆる物事に疑問を抱き、証拠がない限りは信じない。それを渡しなさい」

 クェザはそのタリスマンを手渡した。

「ラフィーン様が攻撃であると仰ったわ。貴女がニューカペナの創設について学んでいたのはわかった、ラフィーン様はそこにおられたのよ。その言葉に耳を傾けなかった者は死んだ。私たちが向かうべき方角はそこよ」

 クェザの首筋の模様が深い紫色に脈打った。彼女は頷き、地図へと向き直った。「わかりました」

 カミーズは続けた。「その幻視の直前に、何か特別なことはあった?」 彼女はエイヴンの調査報告を隅から呼び出し、直前の時刻を検索した。メッツィオで爆発が一件。

 クェザは地図を拡大した。「使われてない倉庫ですね」 彼女は報告を頭上に広げ、ひとつを選ぶと残りを除けた。「今週、そこで目撃された人物がひとりいます」 加工処理された画像はレオニンの女性を映していた。毛皮は橙色の斑模様、両目は薄い黄色。トレンチコートにフェルトの中折れ帽をまとい、何かを疑うような様相だった。まるで物語を探し回るような。レイシー・レナイン。新聞記者。

「カペナ・ヘラルド紙、デンリー・クリン編集長の部下」

「クリームを隠す仔猫、っぽくないですか、師匠」 クェザが言った。「レイシーとデンリーは何か秘密のスクープを握ってるんですよ。それとも自分たちでスクープを作り出したとか。他の新聞社に勝つために」

 なるほど。カミーズも新聞記者については知っていた。彼女自身もかつてはそれだった。人々と話す必要のない職を見つける前は。新聞を売るためなら、記者は何だってするものだ。「妥当な線ね。でも――」

「証拠のない仮説は駄目な仮説。ですよね」

 聡明な子だ。「その使われていない倉庫を見てみよう」

 クェザは地図を最小化し、秘密だらけの部屋の雰囲気を和らげた。「オスカーを呼びますか?」

 いい選択だ。カミーズはオスカーを気に入っている――彼はごみの宝物を漁り、下水道を徘徊して多くの人々の秘密を知る。加えて、他人を避けるために鼠と暮らしている。近しい魂を持っているのだ。彼女は呼びかけの呪文を唱えてオスカーの姿を視界に表示し、その映像を引き寄せた。彼はむき出しの壁をきょとんとして見つめた。

「ボス、今の何です? ここにいるみたいだ」

「こっちから見てもそう!」 クェザはオスカーの肩に腕を通過させてみせた。

「基本的な幻影です。私が多少の詳細を提供し、貴方の心が残りを埋める。そしてこういうものを見るのだろうと皆が思うものを見る」

 クェザとオスカーは互いの姿に腕を通し合い、笑いあった。「クェザ、帽子を新調したのかい?」

「そう! クレッシェンドの前に新しいのを試そうと思って。行く?」

「クレッシェンドに? 俺がか?」 そこで彼は話題を変えた。「そうだ、ステンドグラスの光輪をもうふたつ見つけた。後で場所を送る」

「ありがと!」

 カミーズは咳払いをし、ふたりのお喋りを止めさせた。

「で、ボス。何かありました?」 オスカーは手の甲で鼻を拭った。

「今朝、無人の建物が爆発した。何か知らない?」 彼女は地図を引き出した。

「その建物は無人なんかじゃないですよ。ゴミから察するに、一週間前から中に人がいます。それに建物が爆発したんじゃなくて、中で爆発があったんです」

 彼女はクェザを一瞥した。自分の足で調査。カミーズは帽子を正した。

「痕跡読みの一団にその場所を調べさせる。クェザと私もすぐに向かうわ」 カミーズは幻影を切り、クェザへとコートを手渡した。「オスカーはどうして光輪を探していたの?」

 クェザはひるんだ。「師匠、私は調査員です。物事に気付くのが仕事です」

 カミーズは首を傾げた。「ええ」

「光輪のイメージが建物に現れてるんです。作った痕跡もなしに。パターンが現れるんじゃないかと思って待ってるんです。オスカーに見てもらいながら」

 ううむ。全くもってこのためにクェザに賃金を払っているのだ。「大変結構。あらゆる物事に疑問を抱き、予感を追い――」

「そして証拠を確かめる、ですよね。師匠」

「宜しい。その新聞記者を探しに行くわよ」

アート:Josh Hass

 常夜会の工作員ふたりが仕事場に現れ、デンリー・クリンは驚かないようこらえた。

「ああその、いいですよ。隠すことなんてありませんし」 デンリーは丁寧に整えたたてがみを鉤爪で撫でた。「レイシー・レナインですか? や、ここにはいません。社会面で些細な話題を担当しています。何ら重要じゃありません」

 カミーズの触手の先端がぴくりと動いた。これがデンリーからレイシーへの評価だとすれば、記者は大きなスクープで自身を証明しようとするだろう。それが占い師への攻撃の動機だろうか?

「お見せしますよ、彼女が担当した最新の記事がこれ。クレッシェンドの食事と娯楽のプレビューです。ジニー・マイラとキット・カントについても短く。わかります? 何ら無害ですよ。どちらにせよ彼女は今日はいません。女友達と一晩遊んでたんじゃないですかね」

「女友達?」 クェザが尋ねた。

「斡旋屋の堅物で、ラグリタとかそんな名前だったかな」

「ラグレーラ?」

「そう、ラグレーラです!」

 カミーズとクェザは揃って目を丸くした。雑集家ラグレーラは斡旋屋の補佐役でもある。それがレイシー・レナインに付きまとっているのであれば、相手を操るためだ。カペナ・ヘラルド紙を支配するためのとらえがたい一手、その可能性が最も高い。

「レイシーを見たら伝えて」 カミーズは言った。「黙っていてもいずれわかるけどね」

 デンリーは息をのんだ。カミーズとクェザは新聞社の建物を離れた。


 倉庫の瓦礫の中、痕跡読みたちが立っていた。彼らは目を閉じ、半透明の残像を読んでいた。宙に舞う埃に、カミーズは目を狭めて見つめた。

「暗闇の中、四人組が動いています」 痕跡読みたちは声を揃えた。「顔は見えません」

「見えない?」 クェザが尋ねた。

「呪文で隠されているのです」 カミーズが説明した。

「この倉庫の中央に置いた一本の瓶に向け、何十もの呪文を唱えています」 痕跡読みたちは続けた。「呪文は次々と立ち消え、ですが今朝。あるものが命中し、ここを飲みこみました」 彼らは目を閉じたまま顔を上げた。「全てを。中で爆発が起き、そして――」言葉を切ると、彼らは見えないものを見る目を覆った。「その爆発から影が弾けました」

 カミーズはポケットに両手を入れた。「レイシー・レナインはいる?」

 痕跡読みたちは北側の脇道を指さした。「そこに。最初の夜、その方角から入ってきて、彼らに光素の瓶を手渡し、立ち去りました」

「ヴァントリオーネからですよ」 クェザが囁き声で言った。「クレッシェンドの記事を書いてた。その女友達は一緒にいないんです?」

 カミーズは頷いた。囮だ。「デンリーは彼女を侮っていた。レイシーは野心を抱いているわね。自分で物語を作り上げようとした。舞台座から光素を盗み出して実験を手配した。そしてニューカペナのあらゆる占い師が危ういという暴露記事を自分で書くと」

「解決は簡単ですよ、師匠。その名前を破滅者に伝えましょう。そうすれば明日の新聞にレイシー・レナインの記事は載りません」

 カミーズは顔をしかめた。ラフィーンの疑問の解答にはなる。犯人は見つけた、けれど手段と動機は十分ではない。光素は呪文を増幅する。それでも町全体を、高街までを網羅するだろうか? 何かが抜けている。

 彼女は常夜会のネットワークを呼び出し、ひとりの精神術師を呼んだ。「レイシー・レナインを探し出して。その脳を見る必要がある」

 報告のタリスマンが震え、オスカーの顔が現れた。彼はその場で下がり、隣にふらつく人影を見せた。レイシー。

「先を越されました、ボス。ごみ箱の中に座り込んでたんです。心を消されて」


 精神術師は手の埃を払った。「何も得られませんでした。心は完全に消されています。誰の仕業かはともかく、徹底的に」

 カミーズはうなった。「彼女を診療所へ」

「了解しました」 その精神術師はレイシーを車へと連れていった。

 クェザとオスカーは残されたごみを振り分けていた。鼠がごみ箱から走り出て、使えそうなものを持ち出していた。ティヴィットの店からわずかに下った場所であり、カミーズはよく知っていた。今朝にも通り過ぎていたかもしれない。ティヴィットの店のこれほど近くにレイシーが放置されていたのは何か意味があるのだろうか? それはきっとない。爆発の地点からこれだけ離れているということの方が重要だ。

「レイシーの持ち物です」 オスカーはカミーズへと手渡した。ノート、名刺、きつく閉じた巻物。どれも真っ白だった。

アート:Leonardo Santanna

「書き文字すら消されてるなんて」とクェザ。

 カミーズは溜息をついた。「レイシーは自分自身の計画の犠牲になったのかもしれない。光素で増強された呪文が占い師の心に映像を送り込み、彼女の記憶を拭い去った。レイシーは爆発を生き延びたが、その魔法は至近距離で脳に命中した」

 もっともな仮説であり、証拠にも合っている。痕跡読みたちはレイシーが爆発の近くにいたと言っていただろうか?

 カミーズははっとした。すぐ近くでガラスが割れた。続いて金属が木材を砕く音。ティヴィットの店。カミーズは白紙の証拠品をポケットに押し込み、駆けた。クェザもすぐに追いつき、その足取りにダガーを模したコートの飾りがはためいた。

 悲鳴を上げて逃げ惑う通行人を押しやると、ティヴィットの店から炎が上がっているのが見えた。店の玄関上のバルコニーはかしげ、落下する寸前だった。店の正面を飾るステンドグラスは砕けて歩道に散らばっていた。見物人が群れる中、カミーズとクェザは苦労して店の前へと急いだ。ティヴィットは店の前で震え、恐怖に唖然としていた。頭上のバルコニーが軋み音を立て、火花が飛び散った。

「ティヴィットさん!」 バルコニーが砕けて落下した瞬間、クェザが飛びこんだ。ふたりとも潰されてしまう! カミーズは魔法を放ってティヴィットの毛皮とクェザのコートを掴み、引き寄せた。直後にバルコニーが落下し、炎が広がって更なる野次馬を呼び寄せた。

 カミーズは恐る恐る見た。ティヴィットは顔を上げ、だがクェザのコートの中身はなかった。コートを掴みはしたが、クェザ自身は逃したのだ。カミーズは炎を上げるバルコニーを見つめた。動くものはない。野次馬が集まり、近づこうとする彼女に立ちはだかっていた。閃光が走って斡旋屋の到着を告げた。金と引き換えに保護を提供しようというのだ。

 カミーズの印が青緑にひらめいた。クェザ。

 青色の嵐のような魔力が両手に集まった。「オスカー!」彼女は叫んだ。とはいえ彼は既に動いており、鼠たちへと命令を伝えていた。彼の怖れと憤怒を受け、齧歯類たちは駆けた。カミーズの呪文がそれらを盛り上げ、強化し、群衆へと撒き散らした。

 幻影を。野次馬たちは空飛ぶ巨大鼠を目撃し、心はそれらに埋め尽くされた。誰もが逃げ去り、斡旋屋の契約魔道士たちも例外ではなかった。ティヴィットは衝撃を振り払い、水の魔法を唱えて火を消した。カミーズは落下したバルコニーへと駆け、焦げた木材を放り投げて弟子の姿を探した。オスカーも残骸をあさり、割れたガラスが指を切った。「そんな、やめてくれ……」彼はそう呟いた。

 返事はない。クェザ。カミーズの胸の中で、三つの心臓が止まったようだった。ラフィーンの期待を裏切り、次に弟子を。右腕であり、そして――

「ったー、痛いなあ」

 カミーズは息をのんだ。細い手が建材の隙間から飛び出した。生体発光の印が描かれた手が。

「クェザ!」 オスカーは驚きと喜びに飛び退いた。少しずつ、クェザは狭い隙間から身体を押し出した。そして全身を震わせて飛び出し、元通りの姿形に戻った。

「軟骨なんで」 クェザは笑顔を見せた。「セファリッドは狭い場所に出入りするのが得意……って!」

 カミーズは弟子を引き寄せ、きつく抱擁した。少しの後、クェザも抱擁を返した。「貴女が死んだのかと」 カミーズはそう呟いた。

「死んでませんよ、師匠。ちょっと潰されただけです」

 カミーズは咳払いをして弟子を放した。そしてクェザの襟元を正し、見つめた。問題ない。賢い子であり、油断することはない。師として心配はいらない。

 齧歯類以外との会話は慣れていないかのように、オスカーは足をそわそわと動かした。クェザはうねる触手の位置を直した。「大丈夫、オスカー?」

「水かきが焦げてるぞ」

「そっちの指は切れてるじゃない」

 彼は肩をすくめた。「ガラスで」

「ん」

 カミーズははっとした。少し離れた所で、疲れ切った様子のティヴィットが一人の男と会話していた。上質な仕立て、金属をまとう細縞のスーツ。男はティヴィットの目の前に巻物を広げた。契約文を。

 斡旋屋。

 カミーズは水かきの指を広げ、魔法の画面を通してその男を見つめた。鎖のように、契約の魔法が巻物をうねっていた。カミーズは瓦礫から鏡の破片を拾い上げ、それを工作員とティヴィットの間めがけて放った。拘束の魔法が工作員に映し出され、立ち消えた。男はカミーズを睨みつけ、急ぎ立ち去った。

 クェザは驚いたようだった。「素早いですね、師匠」

「鏡は契約魔法の抜け穴を見つけ出す。それを広げればいい。あの工作員は騙そうとしていた。鏡を持ち歩くことね。ティヴィット、斡旋屋の契約には決して署名をしてはいけない。あの者たちは強欲だから。資産がわずかでも損なわれるのを見たなら、甘言を用いて保護を名目に金を取り立てるよ」

 怒りを露わに、ティヴィットは羽根を鳴らした。「ちょっと、混乱していたんだよ」

「誰がこんなことを?」

「土建組が。今朝の幻視の後、落ち着こうと思って睡眠薬を飲んだんだ。そして起きると、扉の上に新しいステンドグラスがあって。そうしたらそいつらはスト破りの仕業だとか言って壊していったんだ。私の店が!」

 クェザがティヴィットの隣へと急いだ。「ステンドグラスが現れたんです? どんな見た目でした?」

 ティヴィットは前足を動かして描いてみせた。クェザは息をのんだ。

 ステンドグラスの光輪。

「クェザ……」 カミーズは口ごもった。

 クェザは工作員たちへと報告を要請した。「今朝、幻視があった建物の画像を送って」

 タリスマンが震えた。泡のように幾つもの映像がふたりを取り囲んだ。光輪がひとつ、またひとつ。光輪。幾つもの光輪。

「光輪がこんなに」 クェザが呟いた。「幻視ですよ、師匠」

「私たちが調べているのは……」

 クェザは興奮していた。「ラフィーン様の言う通りです。誰かが幻視を送った。レイシー・レナインでもデンリー・クリンでもなく。これは天使からの伝言ですよ!」

 カミーズは弟子が話に落ちをつけるのを待った。

 それは来なかった。

「もういい、クェザ」

「でも!」

「そこまで!」

 オスカーとティヴィットは凍り付いた。クェザは口を閉ざした。

「何も学んでいないの?」 カミーズは弟子を睨みつけた。「それらの光輪がどのように、いつ作られたかのかを調べもしてないね? カルダイヤのガラス職人に聞き取り調査を考えた? 最初に思いつくのが民話? 天使のことばかり考えて仕事が疎かになっているよ」

「じゃあ師匠はどうなんですか。自分のルールすら守ってないじゃないですか!」

「え?」

「全員に尋ねたんですか? 客観性がなくなってますよ。私は証拠を集めてました。師匠は自分の仮定を吟味しましたか? ラフィーン様に尋ねたんですか?」

 ふたりの間で、心音だけが鳴っていた。

 カミーズはコートを正した。「貴女をこの調査から外す」

 殴られたかのように、クェザは息をのんだ。「え?」

「印章とタリスマンを渡しなさい。貴女では力不足です。カロックの文書館へと報告に戻り、調査員の職務を全うしなさい」

 クェザは師を睨みつけ、その印が紫色に揺らめいた。「わかりました」 彼女は首からタリスマンを外し、手首から印章の腕輪を引き抜くと、それらをカミーズの掌へと叩きつけた。カミーズは背を向け、無視を示した。

「ティヴィット、片付けのための人員を呼ぶわ。オスカー、本日はお疲れさまだったね」

「はい、ボス」 オスカーは小声で返答した。

 視界の隅のクェザをカミーズは見ないように努めた。彼女は拳を握り締め、口を閉ざしていた。高街の護りだけでなく、この娘についても見誤っていたとは。クェザはもはや自分の問題ではなかった。

 ラフィーンへと報告する時が来た。


 カミーズは昇降機のガラス壁から額を離し、溜息をついた。クロウタドリの群れがV字を描いて飛び去っていった。昇降機の扉が開く直前、彼女は腕輪に向けて伝えた。「確認して、報告を」

『了解』 エイヴンの監視主任が返答した。彼女は通信を切り、集中すべく深呼吸をした。扉が開かれた。以前と同じように、ラフィーンは歩き回っていた。しばしその姿は……小さく見えた。縮こまったかのように。膝をつき、カミーズは聖所の壮麗な内装を見つめた。壁、彫刻。ステンドグラス。

アート:Sam White

「立ちなさい。そして報告を」

「我々――私は幻視の触媒を発見しました。光素が呪文に用いられていたのです。それは唱えた者たちを殺害し、建物をひとつ破壊しました」 そして新聞記者の精神を消し去った、そう言いかけてやめた。自らが確信しきっていない物事はラフィーンには伝えない。彼女はポケットの中のノートと巻物を指で確かめた。「その光素は舞台座から盗まれたものでした」

「呪文を唱えた者たちは?」

「死亡し、蒸発しました。新聞記者のレイシー・レナインが唯一の証人でしたが、その精神も消し去られました」

 カミーズはその受動態表現を指摘されるのを待ったが、ラフィーンは無視した。説明があったことに安堵しているように見えた。

 再び膝をつくと、カミーズは両腕を広げた。「私の失態でした。高街の護りは私の役目でしたが、その呪文はいかにしてかすり抜けたのです」

 耳元のルーンに報告が届いた。『カミーズさん? 高街を三周して前後の画像を比較しましたが、どれも全く同じです。次の質問について調べてきます』

 カミーズは膝を曲げて座り込んだ。ラフィーンは歩みを止めた。

「どうしたのですか?」

「私がここに伺ったのは、誤りを犯したという報告のためです」

 ラフィーンは翼を震わせた。「構いません。再度護りを構築し、確認するのです。それで済むことです」

「それは私の誤りではありません」 幾つもの証拠がはっきりと見えた。「誤りというのは、全ての占い師が同じ幻視を見たと私が決め込んだことにあります。そうではなかったのです。占い師たちが見たのは、仔猫がクリームの皿を隠すというものでした。ラフィーン様は、仔猫がミルクを零すと仰いました」

 ラフィーンははっと立ち止まった。「隠す、零す。大差はありません」

「ラフィーン様は同じ幻視を見てはおられなかった」 カミーズは立ち上がった。「何故なら、そもそも一切の幻視を見ておられないからです」

 ラフィーンは嵐のように詰め寄った。「何を言うのです?」

「光輪です」 カミーズは辺りのステンドグラスを示した。「高街にはひとつとして光輪が存在しません。あらゆる所にある光輪が、ここにはないのです。だからこそラフィーン様は怯えておられる。何らかの存在が初めて幻視を送ったというのに、ラフィーン様には送らなかった」

 ラフィーンは力なく翼を垂れた。

『宜しいですか?』 次の報告が耳に入ってきた。『カミーズさんの言う通りでした。一晩中ごみ箱の中にいたそうです。爆発の近くではなく』

 カミーズはラフィーンと目を合わせた。「この幻視に対処しなければなりません。何か大きなものが迫りつつあり、私たちは一家を守る必要があります。ですがラフィーン様が真実を隠しておられるなら、それは叶いません」 そして彼女は昇降機へと向かった。

「何処へ行くのですか?」 ラフィーンが問いただした。

「とある新聞記者の無実を晴らしに。レイシー・レナインは爆発の際にそこにはいなかったのです。その呪文に記憶を消し去られたのではありません」

「それでは、何処にいたというのですか?」

 カミーズはポケットからあの巻物を取り出した。「女友達のところに」


 混沌の街の中心にて、メルジノの泉は静かなオアシスとなっている。ラグレーラは整然としたシュロの並木に立ち、泉の美を堪能した。泉から零れた青白い霧を足先でつついた所で、影の中からカミーズが姿を現した。独り、けれど身構えて。

「おめでとう、密偵長さん。私を見つけられたわね」

 霧が足元にうねった。雑集家ラグレーラ。カササギは――カラスの仲間だ――飛び回ってがらくたを拾い集める。「斡旋屋というのは鈍いのね」

「何ですって?」

「ガラス窓に傷がついただけでも、斡旋屋は保護を提供しようと申し出てくるわ。メッツィオの中央の建物で爆発があったというのに、斡旋屋がそれを嗅ぎつけないわけがない。貴女自身が署名をしたようなものよ。女友達も見つかった。これはもう自白と言って良いわ」

「レイシーのこと?」 ラグレーラは大きな指輪をひねった。「友達なんかじゃないわよ。自分で舞台座から盗めたならそうしたけど、あいつらは誰も厨房に入れたりしないからね。社会面の人畜無害な記者でもない限りは」

 カミーズはパズルの欠片がはまっていくのを感じた。クリームを隠す仔猫とはレイシーでもデンリー・クリンでもなく、舞台座のことだったのだ。霧に隠されたラグレーラの魔法がカミーズの足首を包み、彼女は立ったまま動けなくなった。

「あらあら」 ラグレーラは続けた。「私が愛するものはふたつだけ。魚の水槽、それと預言」

 ラグレーラは不履行に陥った債務者に金銀を塗りたくり、鑑賞魚の水槽を飾り立てているというのは知っていた。水中の黄金。「預言?」 雑集家の魔法がカミーズの手首に踊り、触手を刺激した。彼女は無表情を保った。

 ラグレーラはコートの中から巻物と万年筆を取り出した。「預言はニドーの聖域地下の宝物庫に封じられているのよ。あるデーモンがニューカペナの破滅を予言した。街の光素が枯渇した時、私たちは死ぬ。何でわざわざ教えてあげてるかって? すぐに思い出せなくなるから」

アート:Donato Giancola

「それを信じているっていうの?」

「ラフィーンの右腕がデーモンの預言を疑うの? ついこの前発見したことがあるのよ。舞台座は光素の作り方を解明したんですって。わかる? レイシーを送り込んでサンプルを手に入れてもらった。その先はご存知でしょう」

 魔法がカミーズの両手首を締め上げた。「貴女のために死ぬなんて同意するはずないわよ」

「絶望した者がどんなことに同意するか、それを知ったら驚くでしょうね」 ラグレーラの笑みが消えた。「例えば、貴女は常夜会を揺るがした幻視を私に教える。あの占い師の家が倒壊したのもそれよね。カミーズ、占い師が何を見たのかは知っているのでしょう。教えなさい!」

 つまり、ラグレーラは幻視の内容を知らないのだ。あの映像は真に迫っていた。捏造されたものではない。カミーズは瞬きをした。一瞬の光が彼女の目をとらえた。

 鏡が反射する光。

 ラグレーラはカミーズが見たものを見ていない。それはそうだ。人々は自分が見たいものを見るのだから。

「舞台座は光素を作れる、それがどうかしたの?」

 ラグレーラは唖然とした。「わからないの? ニューカペナのどこかに天使がいるってことなのよ! 天使だけが光素を作れるのだから! 私がこの街を救おうとしているの! 扉は開かれた。そしてあの無能な魔術師は失敗したけれど、伝言は伝わった。占い師が見た内容を私に教えるのよ。これに署名をしてね」

 カミーズが驚いたことに、ラグレーラの魔法が彼女の両手を動かした。指の中に一本のペンが現れ、ラグレーラの契約書へとその先端を向けた。インクが滴り落ちそうだった。魔法に拘束され、手が用紙へと近づいていった。「契約への署名を強要するっての? 斡旋屋は正義と道徳に縛られていると思ってたけど」

「ニューカペナを救うためなら、何だってするわ」

「やめなさい……」

「ああ。私のコレクションに加えてあげましょうか、カミーズ。銀がいいわね。さあ署名を」

 襟に汗が滲んだ。ラグレーラは呪文に力を込め、カミーズの手を用紙へと押し付けた。カミーズは手を引き戻そうと奮闘した。自らの心を譲り渡してしまわないように。彼女は抵抗し……

 だが手は屈した。

「撮りましたか、クェザ?」

 陽気な声が背後に届いた。「もちろんです、師匠。破滅、預言、新鮮な光素、天使。ぜんぶ記録して高街に送りました!」

 ラグレーラは血相を変え、隠れたセファリッドを見つけ出そうとした。「カミーズは契約したのよ! 署名したのだから!」

「契約というのはこれのこと?」 カミーズは巻物とペンを掲げた。そしてそれらは霧へと散った。

 ラグレーラは一歩後ずさった。「どういうこと?」

「これは本物ではないよ、斡旋屋さん。紙も、ペンも。この場所もメルジノの泉ではない。見なよ、どの木も全く同じ見た目だ。いい出来ではないけどね。貴女は見たいと思ったものを見ていただけ。カラスの仲間が、きらきらしたものに気を散らされるように」

「私の魔法で首を絞めることもできるのよ、セファリッドさん?」

「そう見えますよね?」 クェザが幻影の中へと踏み出した。「師匠にトリックを教えてもらってたんですよ。抜け穴を見つけたならそれを広げろ、って」 彼女は手鏡を掲げてみせた。「魔法で強要した署名には大きな抜け穴が幾つも開くんです」

 カミーズを拘束していた魔法が消えた。単なる視覚的な幻影。ラグレーラは自らの両手からカミーズへと顔を上げた。

「視点を変えてみな」 カミーズが告げた。「罠にかかったのは貴女の方だ」

 その言葉と同時に、カミーズの幻影も一斉に消えた。泉、植物、建物のすべてが。彼女たちは何もない、窓すらない部屋の中にいた。クェザはラグレーラの目の前に立ち、鏡で相手の魔法を返していた。蜘蛛の巣のような罠。ラグレーラは悲鳴を上げたが、その手は万年筆を掴み、自らの死の契約書へと向けられた。

「自分の署名で自分の精神を拭い去るか、レイシーの契約を破棄するか」 カミーズはポケットから巻物を取り出した。「選ぶんだ」

「契約を破棄する? 誰がそんなこと!」

 カミーズはラグレーラの手を契約書に向けさせた。「絶望した者は驚くべきことにも同意するのだったね」

 ラグレーラは歯を食いしばり、睨みつけ、魔法の拘束に抵抗した。怒れる悲鳴が喉を裂き、そして力なく屈した。「わかったわよ」 その怒れる声を聞いて、カミーズはレイシーの契約書と取り換えた。ラグレーラの署名がそれを二つに裂いた。

「良い取引でした」 カミーズは敬礼をして見せ、クェザへと扉を示した。

「放って行かないでよ!」 ラグレーラが声を上げた。「動けないじゃないの!」

「黄金を塗りたくられなくて良かったね、雑集家さん。それは貴女の魔法だろ。自分で解くんだね」

 ふたりは退出し、クェザが扉を閉めた。

「レイシーが目覚めたそうです」 カミーズは耳のルーンに触れた。「記憶も回復して」

「どうしてレイシーを助けたんですか?」

 カミーズは肩をすくめた。「不運な新聞記者というのには弱くてね。私もそうだったから」 彼女はそこで言葉を切り、そして続けた。「貴女が加勢してくれるとは思っていなかった」

 クェザは腕をこすった。「オスカーが気付いたんです、レイシーが持ってた巻物は斡旋屋の契約書だって。そこで点と点が繋がって、ここへ来られました」

 カミーズは咳払いをした。「貴女は正しかった」

 クェザは息をのんだ。

「確かめてきた。高街には光輪が無かった。ラフィーン様はあの幻視を見ておられなかった」

「確認したんですか?」

「問いかけ、確かめた。貴女の言う通りだった」 カミーズは商店街へと向かった。そこへ行けば、地下の通気口への入り口が見つけられる。「いらっしゃい、クェザ。ラフィーン様に報告を」

 クェザは首をかしげた。「私、クビになりましたよね」

「私が聞く耳を持っていなかったから」 彼女はクェザと目を合わせた。「貴女は事実を見つめていた。貴女の分析を信じるべきだった。本当に。それにニューカペナの何者かが自分たちで光素を作り出しているなら、そして天使たちが戻ってくるなら――ラフィーン様はその件について貴女と話さねばならないだろう」

 彼女はクェザのタリスマンと印章をポケットから取り出した。クェザはそれを恭しく受け取った。

「これも」 カミーズは天使のタリスマンを掲げた。夕闇の中に、その光輪が揺れた。

 クェザは悪戯っぽい笑みを浮かべた。「つまり、師匠も天使が帰ってくるって信じてくれるんですか?」

 カミーズは笑い声を発した。「どうかな。それでも……私も、全てを知っているわけではないのかもしれない」

「そういうことにしておきます」 クェザはにやりとした。

 鋼の柱を旋回するように、二羽の青い鳥が追いつ追われつ飛んでいった。その歌声はステンドグラスに反響し、ニューカペナの闇すらも貫くようだった。

「師匠?」

「綺麗だな、と思っていただけさ。さあ、行こう」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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