MAGIC STORY

サンダー・ジャンクションの無法者

EPISODE 12

サイドストーリー 姉と弟の楽しいピクニック

Seanan McGuire
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2024年3月21日

 

次元間移動が個人の魔法的発現に及ぼす影響について
ゲラルフ・セカーニ著

 最近発見された次元間横断通路、カルドハイム次元の自然現象に倣い「領界路」と一般的に呼称されるそれは、我々がこの先何世紀にも渡って取り込むことになるであろう高次物理的研究の再発明と復活をもたらした。領界路以前は「プレインズウォーカー」と呼ばれる存在のみが次元間旅行を生き延びることが可能であった。そのため多元宇宙は平面であり、イニストラードの外側の現実に存在するあらゆる次元は遠い過去に破壊されたという学説もあった。これはもはや明白に否定されているため、我々を取り巻く宇宙論的な力学をよりよく理解するには、次元に関する事象を取り扱う学問を復活させなければならない。

 現存するあらゆる次元に独自の魔法的法則が存在するというのが私の仮説である。この理論はファイレクシアからの侵略によって満足のいく証明が成された。ファイレクシアの軍はイニストラード生来の魔法に適応できなかったのである。ゾンビや霊魂の存在はこの次元に限らないが、あれら獰猛な侵略者たちは戦略を即座に変更できず、我々の魔法を用いた防衛を突破することが叶わなかった。彼らは学説の中で多様な名称で呼ばれるその故郷の魔法を引き続き有しており、それは我々の故郷の魔法とは互換性を持たない。

 この理論を証明する第二の手段は、我々の魔法が別次元の自然法則へと適応を開始できる十分な期間に渡って、私と姉とをイニストラードの環境から引き離すことである。この「帰化」の過程を通して、安全に旅ができる期間の判断が可能になると思われる。我々が出自との繋がりを失い始める前に……


 ゲラルフ、あなたという屍漁りは本当に独りよがりなのですね! 私たちが他の次元に適応するのではありません。他の次元が私たちに合わせるのです! 私たちの力が、あなたが言ういわゆる自然の法則よりも優れていないなどと言い張るのですね。だからあなたは嫌われ者なのですよ!


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アート:Chris Rahn

 盗人の終着地へ向かう任務を姉弟が引き受けた際、その意欲にはオーコもゲラルフも驚かされたが、どちらの驚きがより大きかったかはわからない。オーコにとっては、その地に眠っているであろう上質な骨に対するギサの興奮は、彼女自身が世界へと提供する更なる混乱と大差なかった。死体と共に歩んできた自身の人生が周囲に何をもたらすのか、それをギサは顧みたことなどないのだから。ゲラルフにとっても姉の興奮は当然のことだったが、そこに重労働を伴う可能性があることと、更には弟とふたりきりで長い時間を過ごす公算が高い場合は通常、そうではなかった。

 ゲラルフには任務を引き受ける自分なりの理由があった。彼には常に彼なりの理由があるのだ。そして馬房のごみと樽の残骸が敷かれた海綿状の地面を歩き、甲高く笑いながらくるくると踊る姉を追いかけて馬小屋の背後へ向かいながら、その理由を固く心に留めておこうと決めた。この土地の大部分は刺々しく乾燥しているが、人はどこへ行こうとも柔らかさを作り出す手段を持っている。

 そしてギサには死体を見つけ出す才能がある――種類はともかく。姉は腰をかがめ、両手を膝にあて、ボロボロのスカートを泥の中に引きずりながら陽気な短い歌を口笛で吹いた。耳が痛く鳴り、皮膚がぞくりとするような高音で響く長調。姉が口笛を吹き始めたなら耳を澄ましてはいけない、彼は遠い昔にそれを学んでいた。ギサはその曲を我がものにしているが、自分で作曲したわけではなく、生者向けの曲でもない。

 彼女の目の前の地面がうねり、おぞましい腐りかけた心臓のように脈打った。ギサは今なお口笛を吹きながら立っており、彼女が呼んだその生物が地面を引き裂いて現れた。見た目はグリフィンのよう――鷲の上半身とマンティコアの下半身から造られたものをグリフィンと呼べるなら、だが。尾が空中に揺れ、腐りかけた針は今なお恐ろしく鋭く、その先端には間違いなく致死性であろう毒が凝固していた。

 ギサはその生物に近づき、くちばしを愛おしそうに撫でた。グリフィンは彼女の手にすり寄り、ギサは毒々しい笑みを弟へと投げかけた。「さあ、ゲラルフ。あなたの番よ。それとも伝導ワイヤーを忘れてきたのかしら?」

 「ご存知の通り、臓器剤を使い果たしてしまったのですよ」ゲラルフは姉の挑発には乗らなかった。「もっとありふれた方法で乗り物を手に入れるとしましょう」

 「買うのかしら?」それが鼻もちならない行為であるかのように彼女は言った。

 「違います」ゲラルフは厩舎の裏口へ向かい、少しして手綱をつけた巨大な荷役用ジャッカロープを引いて戻ってきた。彼は鐙に足を乗せ、軽やかに鞍へ飛び乗り、姉とそのグリフィンへ微笑みかけた。「さあ、私がこのウサギを拝借したと気付かれる前に出発しましょう」

 「ここであなたの力は役に立ちません。だというのに努力している理由がわかりませんわ。かくいう私の魔法は普段と変わりありませんのよ」

 「いつまでもそうとは限らないかもしれませんよ、親愛なる姉上。私の理論が正しければ、姉上に残された時間はわずかです」

 ギサは立腹し、弟を睨みつけながらグリフィンに乗り込んだ。ふたりは彼方の不快な目的地をめざし、サンダー・ジャンクションの広大な平原へと乗り出した。


 ワインボトルは空になろうともワインの痕跡が残っており、次にそこに注がれる液体に風味を加える。同様に、次元のエネルギーを利用する者はある種の器であるというのが私の考えである。我々は生まれ故郷の次元の力で満たされており、その次元に留まっている間は恒常的にその力が補充され、薄まることはない。そして本来の領域を離れると、我々は自身の内に含まれるエネルギーを「水で薄め」始めるのであろう。それは次第に希釈され、やがて元の魔法は検出不能となり、周囲のエネルギーによって完全に置き換えられた状態となる。

 次元間移動が非常に長期に及ぶ場合は、元の性質が失われて新たな性質を獲得する危険も生じる……


 私のゾンビが、この地に存在するゾンビに変わってしまうというのですか? 馬鹿なことを仰らないで下さいませ! そのようなことは決して許しません! 私のゾンビは最高のゾンビであり、いつどこで呼ぼうとも最高のゾンビなのです。あなたの愚かな理論に私を含めないで頂けますか!

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アート:Chris Rahn

 日が沈み始めるまでふたりは中断も邪魔もなく走り続けた。暗闇の中で地図を頼りに盗人の終着地へ向かうのは良い考えではない、それはギサも認めざるを得なかった。ふたりは大きな岩場の近くを野営地とし、最も目につかないであろう場所で火を起こし、乗騎を繋いでからパンとチーズと乾燥肉の粗末な食事をとった。ギサのマンティコア・グリフィンは駆けていようとも休んでいようとも何ら気にしていないようだったが、ゲラルフのジャッカロープは姉の化け物から離れて明らかに安堵したようだった。生きているものはそのように繊細な感性を持つのかもしれない。

 ギサは即座に食事を開始し、ゲラルフはそれを喜ばしく思った。姉は時々、生者としての生き方からあまりにもかけ離れているように見える。やがて自らの生命力を使い果たしてよろめき、飢え、そして自らの強固な意志でもって再び立ち上がるのではないか――そう心配するほどに。彼女は蘇った死者としてもうまく機能するだろう。だが生きている姉の方が好敵手としての関係を維持しやすく、他の縫い師にからかわれることもない。

 彼は石に背を預け、小袋から論文を取り出すと書きかけの頁を開いた。炎の向こうでギサがそれに反応した。

 「それは何ですの?」

 「典型的な学問です。姉上が関心を持つ必要はないものですよ。我らが故郷とサンダー・ジャンクションの次元エネルギーの相違について、私の所見を文章化しているだけです」

 「退屈そうだこと」彼女は鼻に皺を寄せた。

 「姉上にとってはそうでありましょう。私にとっては非常に魅力的な題材なのです」

 「理解できる賢さは持ち合わせておりますわよ!」

 「いかにも」

 「ただ今は興味がないだけですわよ!」

 「そうでしょうとも、姉上。私は観察を幾つか書き留めねばなりません。先に見張りにつきますので、十分な睡眠をとって下さい。姉上がそれを必要としているのは明白です」

 ギサは顔をしかめてみせたが、言い返しはせずに弟と炎に背を向けて寝具へと倒れ込んだ。ゲラルフは姉が規則正しい寝息を立てるのを待ってから、乗騎のグリフィンへと目を向けた。それは今なおゾンビとして立ち続けていた。面白い。彼女に込められたイニストラードのエネルギーはまだ枯渇していないということ。イニストラード以外を出身地とする人々によれば、ゾンビは一時的な生物であり、召喚した屍術師が気を散らすとすぐに崩壊するという。ゲラルフが話を聞いた全員がそう説明していた。イニストラードにおいてのみ、ゾンビは永久に動き続けるという法則に従っているらしい。

 世話をやめたなら愛する死者が倒れてしまう、そんな状態になったらギサは腹を立てるのだろうか? 真夜中が刻々と近づく中、この考えは十分に楽しい気晴らしとなってくれた。そのため交代のために姉を起こさねばならない頃には、彼はとても上機嫌になっていた。

 当然、ギサはそれを疑念の目で見た。「何を笑っているのです?」

 「未来についてですよ、姉上。未来です」

 そして彼は穏やかな眠りについた。


 朝になると焚火は燃えがらと化しており、ギサは愛用のシャベルを抱えて静かにいびきをかいていた。サンダー・ジャンクションの様々な野生生物が彼女の足元に群がっていた。それらの肉は腐っており、隙間からは骨が見えていた。姉は眠る直前までせわしなく動いており、今この光景を見てもゲラルフに腹を立てる気は起こらなかった。夜中に何かが襲撃してきたとしても、ゾンビ動物の小さな軍勢が十分な警告を発していただろう。それに姉が気を失う前にそれらを呼び起こしたという事実は、厳密に言えば自分たちがずっと守られていたことを意味していた。

 それでも彼は靴の爪先で姉の肋骨を突き、驚かせて起こした。「姉上! 眠るのは死んでからにして頂けますか!」

 ギサは怒れるアナグマのように目を覚まし、威嚇をしながら立ち上がった。「睡眠は生者のためのものですわよ、肉縫いさん! 死者は輝かしい永遠の不眠を耐え抜くのですから!」

 「どちらであろうと、姉上は見張りにつくべきであった時間に眠っていたのですよ!」

 「危険なことは何もありませんでしたわよ」

 「幸運は計画の内には入りません」ゲラルフは自身の乗騎へと移動し、鞍に上がった。「行きましょう。盗人の終着地が待っています」

 「そしてその輝かしい死体が」ギサは夢見心地で言い、グリフィンによじ登った。

 ふたりは夜明けへと乗り出した。ギサのごた混ぜのゾンビ軍団が飛び跳ね、駆け回り、地を這いながらその後を追った。


 第一被験者(イニストラード出身のグール呼び、ギサ・セカーニ)を注意深く観察し、彼女が元々所有していた魔法的備蓄が枯渇する兆候を探っている。現在のところそれは希釈されておらず、彼女の製作物は故郷の自然法則に今なお従っている。サンダー・ジャンクションとその強力な根源的魔力に長期間に渡って暴露されていることを考えると、この状況は変化するだろうと今も私は確信している。ひとたび製作物が歪み始めたなら彼女を元の環境に戻し、体内備蓄がイニストラードの基準量に戻るまでの時間を記録したい。


 第一被験者ですって、何て失礼な。今すぐ撤回しなさい、さもないとあなたを8つの墓に別々に埋葬してさしあげますわよ。そのくだらない縫合術でもあなた自身を縫い合わせられないように。


 数時間ひたすら駆け続け、ふたりはとある崖の頂上に到着した。その眼下に共同墓地が――盗人の終着地が広がっていた。幾つかの点で、それは他のよくある共同墓地と同じように見えた。墓、霊廟、そしてそれらを取り囲む石と鉄の高い壁。誰かがわざわざ木を植えたものの、水をやらなかったらしい。それらはとうに枯れており、葉のない黒い枝が雲一つない空へと伸びていた。

 墓の様式と墓標の意匠は何十という次元をごた混ぜに繋ぎ合わせたようで、ゲラルフが認識できるものもあれば、好奇心旺盛で情報収集の得意な彼にとってすら謎めいたものもあった。姉弟はしばし黙って墓所を眺めていたが、やがて必然的にギサがその瞬間を徹底的に打ち砕いた。

 「理にかなっていませんわ」鋭く甲高い声をギサはあげた。

 「理を定めるのは姉上ではありませんよ。何か問題があるのですか?」

 「サンダー・ジャンクションは領界路が開くまでは無人で、それが起こったのもファイレクシアの侵略後のことです。だというのに、どうしてこの場所はこれほどまでにきちんと建設され、これほどまでに大きいのです? 何故なのです? この次元でこんなにも沢山の屍が作られてきたとは考えられません」ギサは不機嫌そうに腕を組んだ。「誰かが死体を使って愚かな遊戯をするのは好きではありませんわ。『誰か』が『私』を意味する場合は別ですけれど」

 「確かに奇妙な……」ゲラルフも認めた。「とはいえ何者かがここに何らかの物を隠したことはわかっています。その者は仮面舞踏会を開催するために、舞台の飾りつけが必要だと感じたのかもしれません。余計な問題に関わる前に、件の地図を見つけてオーコ殿のもとへ戻りましょう」

 墓地の門へと至る道は滑らかで、難なく下ることができた。壁の外側には杭が並んでおり、遠く離れた角に一体の乗用トカゲが繋がれている以外は何もいなかった。ギサとゲラルフは乗騎が逃げないように繋ぎ、そして振り返り、開かれた門をくぐるとふたり揃って盗人の終着地へと足を踏み入れた。

 沢山の死者たちの存在下に入り、ギサは恍惚としたような安らかな表情を浮かべて猫撫で声を発した。彼女は大仰に振り返り、両腕を広げた。「感じないですの、ゲラルフ? こんなにも沢山、そしてその眠りの平穏なことといったら! そのようなもの、私たちであればすぐに正してあげられますのに。ああ、それになんて沢山の味わい! 死体でいっぱいのお菓子屋さんのようですわ。どれも美味しくて食べるのが止まらないような」

 ゲラルフは眉をひそめ、近くの墓標を見た。「死体の一部は次元外から運ばれてきたものです。ここに刻まれた日付は、そうでなければおかしい」

 「あら。私の沢山の新しいお友達は、ここにいるのはちょっと不自然なほどに歳をとっているようですわね。元々ここではない場所に埋葬されて、それから引っ越してきた方々も。そして全員が全員、それを喜んでいるわけではありませんのね」ギサの笑みが鋭くなった。「その方々はシャベルを持つ者とお話がしたいようですわ」

 「なぜそのようなことをしたのでしょう?」

 「それは重要ですの?」ギサは上機嫌な口笛を吹きながら、墓石の列へと歩いていった。ゲラルフはその背中へと眉をひそめた。そして近くの墓標を再び見つめ、彼らが自分に語っていないものを理解しようとした。

 そのほとんどは屍の故郷である世界の様式で書かれており、サンダー・ジャンクションの標識に一般的に使用される簡略化された文字で名前が記されていた。大多数の墓石の角には小さな印章が刻まれていたが、これはゲラルフの知らない、完全には理解していない記号だった。論理的に見ると、まるで方程式として読み取れるような――

 あるいは魔法か。

 「姉上!」叫びながら彼は振り返り、墓石の並びの中に姉の姿を探した。彼女は六列ほど進んでおり、シャベルを手に口笛を吹いていた。もし印章が正しく読めているなら、姉があそこまで入り込む頃にはその魔法は十分に発現していることだろう。「止まれ! 下がりたまえ!」

 ギサは彼へと渋い表情を向け、だが穴を掘り続けた。口笛の主張が激しくなっていった。地面が盛り上がった。

 ゲラルフは姉へと駆け出した。

 地面が再び盛り上がり、硬化し、吐き気を催すようなエネルギーを脈動させた。

 ギサは高笑いをあげた。

 ゲラルフは走りながら姉を腰から抱え、墓から引き離した。彼女はゲラルフに聞き取れない何かを叫び、その拘束を振り切ろうと暴れたが、墓が弾け飛ぶと抵抗をやめた。現れたのはギサが起こそうとしていた単一の屍ではなく、何百というそれが融合してできたムカデのようなものだった。屍はばたつき、もがき、のたうちながら最初の三十体ほどの塊が宙にそびえ立った。何本もの腕がギサへと掴みかかった。彼女はシャベルでそれらを叩きのめし、ゲラルフと並んで走り始めた。

 「あなたがこれを?」ギサが問いただした。

 「屍術の時限爆弾を発動させようとしたのは私ではありません! 今は逃げるのみ、追及は後です!」

 「追及は後ですわ」ギサは厳しい表情で同意し、ふたりは墓地の奥へと逃走した。物言わぬ死体ムカデが後を追った。


 精鋭射手団は団員たちへと、親密な友情ではないにしても忠義を推奨している。問題が起こった際には協力し合うものとされており、ひとりに対する罪は全員に対する罪とみなされる可能性がある。彼らは共に戦ったが、それでもサンダー・ジャンクションの他の者たちと同じように、孤独に死んだ。

 ステラ・リーはルーシー・ブラフに好意を持っていたが、その女性の訃報を聞いた時は外せない仕事が入っていたため葬儀には行けなかった。それは悲劇だったが、死者の予定がぎっしりと詰まっているわけでもないと彼女は考え、埋葬から二週間が経った今ようやく墓所へとやって来たところだった。乗用トカゲは門の外で安全に繋がれており、彼女が来た時には他に人影はなかった。これは世界がくれた驚くべき恩恵だった――ステラがそこに行くという情報を敵が入手したなら待ち伏せに遭うかもしれない、アニーがそう警告してくれていた。そして今彼女は、つい最近まで笑いながら生きていた女性の墓前に立っていた。

 「いつも言ってたよね、帰るならむしろ死ぬって」彼女はぎこちなく墓石へと花を捧げた。「ま、つまりあなたの願い通りになったってことなのかな。ねえ、ルーシー、今は何か言うべき時じゃないのはわかってるけど――」

 東の方で不意に騒音があがった。ステラは驚き、身を守るためにベルトの鞭に手を伸ばした。いざとなったら友の墓を守る覚悟はできている。聞いた話によれば、盗人の終着地には墓荒らしに対する独自の防衛手段があるという。だが人々はそれを、故人の傍らにはあらゆる貴重品が埋められていると解釈したらしい。従って、簡単に手に入るお宝を求めて墓泥棒が頻繁にやって来るのだった。

 彼女は慎重に音の方角へと移動した。それは男性と女性ひとりずつの声であり、必死に互いを罵倒し合っていた。

 「――そんなにも役立たずでなかったなら、こんな状況にはならなかったはずですわよ! おかしな蛆虫程度のものも止められないで、あなたの科学とやらは何の役に立つのですか!」

 「天使さえ入手できるなら、役立たずとは何であるかを教えて差し上げるところですな! 屍術的干渉から守られていた墓を探りに行ったのは私ではありません! 貴女という人は、ほんのわずかな間ですら手を出さずにはいられないのですか?」

 「ああ、なんということだ、天使の血をくれたまえ、さもないと私は役立たずであります、うわあ!」相手の口調を真似てその女性はあざ笑った。「本物のグール呼びにそのようなものは必要ありませんのよ! シャベルと歌さえあればいいのです、それですべてが機能するのです!」

 「それこそが、貴女が言うところの『おかしな蛆虫程度のもの』が我々を飲み込もうとしている理由なのですが!」

 「まだ歌っているような気分ですのよ。あの虫にまだ私の歌が宿っているような」女性は一瞬だけ声を落とした。そこには嘲笑よりも傷心と悲哀があった。「痛むのですわ」

 とある墓を迂回してステラが近づくと、ぼろぼろの服を着た黒髪で色白の男女がそこにいた。女性はシャベルを持ち、男性は片眼鏡をかけていた。ふたりはよく似ており、明らかに血の繋がりを感じさせた。そして明らかに戦いを始める寸前だった。

 「天使の血がどうしたって?」鞭に手を添えたまま、ステラは声をかけた。

 驚いたふたりのどちらかが答えるよりも早く、何百という死体を単一の存在へと融合して作られたような巨大な蛆虫が、ふたりの背後の墓所から身をもたげた。それは倒れ込んで沢山の墓石を破壊し、石の破片を四方八方にまき散らした。

 ステラはぎょっとした。「これは……毎日目にするものじゃないな」

 「とても、とても幸運でない限りはそうですね」その女性が言った。

 「逃げるのです」男性の方が言って女性の腕を掴み、まっすぐにステラの方向へと駆けてきた。彼女もそれは良い考えだと思い、踵を返してふたりと共に走った。ルーシーの墓へ、そしてそれを通り過ぎて共同墓地の壁へ。

 死体ムカデは後を追ってきたが、壁までやってくると身体をもたげて咆哮をあげ、そして地を這いながら引き返していった。どうやら縄張りの外に出ていたらしい。ステラは膝に手をあてて前かがみになり、激しく息をつきながら、まだ髪を振り乱して怒れる目の前の男に注目した。

 「あれは一体何?」

 「大きなものです」男が答えた。

 女の方が顔をしかめ、男の腕から逃れた。「迷惑ですわ。私はあの屍が欲しかったのですよ! 私の歌の一節がまだあれに捕らわれていて、手放そうとしないのです」

 ステラはその意味がわからず、そのため放置して引き続き男へと尋ねた。「あれはそのうち止まるのか?」

 「それは疑わしいですな」

 つまり自分たちは盗人の終着地を、そしてそこに眠る死者全員を失うことになるかもしれない。安らかな眠りを得てしかるべきルーシーを。ステラはため息をつき、背筋を伸ばした。「天使の血って言ったか?」

 「はい」男が即答した。「それが何か?」

 「他に必要なものは?」

 男ははっとした。彼は考え込むような視線をステラへと向け、そして返答した。「灯油はありますか?」

 「あんたたちを助けられると思うよ」彼女は乗騎のトカゲが繋がれている方角へと向き直り、ついて来るよう身振りをした。

 女は冷やかすように笑い、シャベルを錫杖のように振り回した。そして動こうとはしなかったが、男の方に腕を掴まれてステラの乗騎へと連れていかれた。

 「最近、うちらは色んな薬を扱っててね」ステラはそう言って鞍袋のひとつを開き、中をあさり始めた。「特効薬とかそういう。役に立つかもしれないし立たないかもしれない、けど効きそうなやつだ。これは天使の血から作られてる。供給元から直接手に入れたもので――いや、何処かは聞いてくれるな。企業秘密だ」彼女はその瓶を掲げて目を輝かせた。「普段ならこんなのはすごく貴重なんだけど、場合によっては取引に応じ――」

 死体ムカデが再び咆哮し、ステラは顔をしかめた。「そもそもあれは何なんだ? 知ってるのか?」

 「残念ながら」男はステラの手の中にある瓶を見つめながら言った。「ですが今なお巨大化を続けていますな」

 「私の歌を使ってお墓から死体を吸い出しているのです」憤慨した様子で女が語った。「その死体は私のものですのに」

 「この墓地には私の友達も眠ってる。あんたたち、あれを止めるつもりはあるのか?」

 「ええ」男が返答した。

 「なら、これは私のおごりだ」ステラは彼にその瓶を、続けて予備の灯油を投げた。「勝負は運次第、そして今日みたいな日にはあんたが私の切り札だ」

 2本の瓶を掴むと男の目が稲妻に輝いた。彼は女性の方を見た。「グリフィンを放してくれたまえ。あれが必要になる」

 女は立腹したように息を鳴らし、男は共同墓地の壁へと荒々しい身振りをした。彼女はため息をついて頷き、男は踵を返して駆けていった。

 「あの男は戻ってくるのか?」ステラは尋ねた。

 「死体を甘やかすあの弟が? それはないでしょうね」

 「どうしてこんなことになったんだ?」

 「さっぱり存じませんわ」

 「嘘をついてる?」

 「生きている相手にですの?」女は気分を害したように鼻を鳴らした。

 「ふむ」ステラは鞍袋から白樺ビールの瓶を2本取り出し、片方を相手に投げた。「弟くんが戻ってくるまで、時間を潰すのもいいだろう。ところで、私はステラ・リー」

 「ギサ」目を狭めて女性は言った。「ギサ・セカーニ」

 「聞いたことがあるかもしれない」

 「そうかもしれませんわね」

 ふたりはそこに立ち、共同墓地の中で死体ムカデが咆哮するのを聞き、次に何が起こるのかを待った。


 次に何が起こったのか。死体ムカデは壁を試したもののそれ以上は進まず、ふたりは少し後ずさることを余儀なくされた。この時、ギサは不安になるほどに穏やかな表情をしていた。ステラは常に自分とあの生物との間にギサが来るようにしていた。そうすれば食べられるのは最後になる。遠くで騒々しい笑い声があがり、ゲラルフがぞっとするような構築物を引き連れて視界に入ってきた。

 それはマンティコアの翼と針を持っていたが、その幅広の胸は少なくとも4つの小型の死体を縫い合わせて作られていた。多数の脚で立っており、頭部は肉と骨の破片がおぞましく組み立てられたものだった。くちばしは最後の仕上げだろうが、明らかに不必要だった。それは奇妙な音を立てながら女性ふたりを見つめた。ギサは無感動に見つめ返し、ステラは彼女の背後で一歩後ずさった。

 「それで何をするのです?」ギサは尋ねた。「あの蛆虫をつついてお墓に戻すのですか?」

 「そんなところですよ」ゲラルフが手を叩くとそれは宙に飛び上がり、共同墓地の壁を越えていった。 「さあ、あの獣が気を取られている隙に私たちも移動です」

 彼は踵を返して共同墓地の入り口をくぐっていった。大笑いしながらギサも続いた。ステラはきょとんとし、空の瓶を投げ捨てるとふたりを追いかけた。このままでいたら、ここに眠るルーシーや精鋭射手団の仲間たちがあの怪物に収穫されてしまう。そうはさせない。忠義は墓に入った後も途切れさせてはいけない。特に、死者が最後の安息を得られるとは限らない世界では。

 だから彼女たちは駆けた。咆哮をあげる死体ムカデの周囲をゲラルフのおぞましい創造物が旋回し、三人はその隣を過ぎて共同墓地の奥深くを目指した。

 「姉上!」ゲラルフが鋭く呼びかけた。「貴女の魔法を歪めているものを見つけねばなりません。それが貴女から盗んでいるのです。自分のものを取り戻したまえ!」

 ギサは頷いて走るのを止め、口笛を吹き始めた。それは陽気だが耳を引き裂くような音色だった。ステラは耳を澄ましたかったが、同時に耳を塞ぎたくもあった。

 その曲は続き、すると遠くで死体ムカデが震え、音節ごとに死体が中央の塊から落ちていった。怪物は小さくなっていったが、まだ三人全員を十分に殺戮できる大きさだった。

 「姉上……」

 彼女は甲高く震える音を長く響かせ、そして止めた。「いかがかしら? 取り戻しましたわよ」

 「さあ、次は姉上のものではない魔法を見つけ出すのです」傲慢な様子でその弟が言った。

 一瞬、ギサは言い争おうとするかのように見えた。一瞬、ステラはそうなることを切実に心配した。そして自分たち全員が死ぬのではないか。自分が来るずっと前から続いていて、自分が死んだとしてもずっと続くであろう、無意味な姉弟喧嘩のせいで。

 「頼むよ」ステラは必死の声色で付け加えた。

 ギサは言い返そうと息を吸ったが、そこで止めた。そして鼻歌をうたい始めた。それは口笛よりも低い音で、ステラの骨に痛みを与えるものだった。ゲラルフも同様に快適ではないらしく顔をしかめた。ギサは巨大な死体ムカデがまだ背後にいることも気にしない様子で、独り歌いながら墓の間を歩き出した。

 死体ムカデはその質量の大半を失って傾いていた。だがゲラルフの構築物からの攻撃を今なお受けながらも、即座に体勢を立て直してよろめきながら三人を追いかけた。ギサは鼻歌をうたいながら歩き続け、時にその場で旋回し、どうやら夢の中で迷っているようだった。ステラは彼女へ近づこうとしたが、ゲラルフがかぶりを振って止める仕草をした。ステラは眉をひそめて黙り、ふたりは振り返ることなくギサを追いかけた。

 ギサはとある霊廟の前で立ち止まった。その設計は見たところイニストラードのもので、ゲラルフの目に心地良く映った。彼は姉の隣を過ぎて扉の前まで進み、そこに掌を押しあてた。

 「内側から屍術が感じられます。疼くような感覚があります」ゲラルフは扉を開けようとしたが、それは頑丈な錠で閉じられていた。「ですが、いかにして中に入れば良いのでしょう?」

 「そういう質問へのいい答えはいつも決まってる。暴力だよ」ステラはようやくベルトから鞭を引き抜き、解いた。「下がってな、科学少年。当たると痛いよ」

 ゲラルフは言われた通りに下がった。ステラが鞭を打ちつけると、青い稲妻が扉全体に走った。そしてそれが錠に当たると掛け金が外れて錠自体も落ち、あとはゲラルフが扉を開くだけとなった。ステラは肩をすくめた。

 「これで済むとはね。幸運だったよ」彼女はそう言った。

 ゲラルフが扉を開けたが、急いで中に押し入ったのはギサだった。彼女は小声で呟いた。「私の魔法を盗んだのはあなたですの? 泥棒さん。強盗さん」

 「あんたたちは墓荒らしじゃないのか?」ギサを追いかけながらステラが尋ねた。

 「腐るに任されているものを盗むとは言いませんわよ。リンゴ農家は木から盗んでいると仰いますの?」ギサは話しながら霊廟の中を動き続け、狩りをする鳥猟犬のように熱心に隅をつついた。

 「違う、って言って欲しいんだろうね」

 「その通りですわ。私たちは墓を荒らしはしません。ありがたく収穫するのです。私たちは善き人々ですのよ」

 ステラは返答でその主張に威厳をつけることはしなかった。

 「見つけましたわよ!」ギサが歓声をあげた。彼女は片隅の小さな卓からカノプス壺を掴み、頭上に掲げてから床に叩きつけた。その音にゲラルフもステラも飛び上がった。ギサはふたりを無視し、屈みこむと壺の破片を脇に払いのけた。

 ひとつの心臓があった。緑色を帯びて明らかに腐敗していたが、それでも遅くぞっとするような鼓動を打ち続けていた。そしてギサがそれに近づくと、乾ききった一匹のムカデがそこにいた。

 霊廟の外から、死体ムカデが今なお咆哮をあげながら近づいてくる音が聞こえた。ゲラルフの創造物は音を立てておらず、戦いがどのように終わったかを示していた。

 「姉上よ、どうか急ぎたまえ」

 「あなたはお黙りなさい」ギサは弟を叱りつけ、そしてシャベルを緑色の心臓に突き立てて真二つに裂いた。ムカデはそれでものたうち回り、外では死体ムカデが今なお近づいてきていた。ギサは背筋を伸ばしてムカデを踏みつけ、爪先ですり潰した。何か柔らかいものが潰れるようなひどい音が外から聞こえ、ステラは扉へと移動して覗き見た。

 「あれは崩れたよ」彼女はそう報告した。「ゲラルフ、あんたのあれだけど、腕が一本なくなってる。それであの塊から新しいのを選んでるみたいだよ」

 「帰る前に縫い付けましょう」ゲラルフはそう言い、霊廟の居住者を覆い隠していた石の蓋を押して動かすと棺の中に手を伸ばして探り、そして地図を取り出した。「そして我々にとって幸運なことに、共同墓地に仕掛けを施そうと考えた者は、何かを隠蔽しようとしたような類の者だったということですな。姉上、これで帰れます」

 「良いことです。この墓場は好みではありません」ギサは鼻に皺を寄せた。「退屈ですもの」

 「あんたたちは脛に傷を持たないわけじゃないね?」ステラが尋ねた。

 「サンダー・ジャンクションにそのような者がいるとでも?」ゲラルフが聞き返した。

 「捕まえたら賞金は出るのかな?」

 「わかりません。蘇生した我が友に尋ねてみますか?」

 霊廟の外でゲラルフの創造物が金切り声を上げた。

 ステラはため息をつき、うなだれた。「友達同士でそれはやめとくよ」

 「賢明な選択ですな」

 彼とギサは揃って霊廟を出ると、倒れた死体の破片をかき分けて壁へと戻った。ゲラルフが乗ってきたジャッカロープはまだ杭に繋がれていた。そのため彼が自身の怪物に――盗人の終着地の新たな守護者に――新たな腕を与えると、ふたりは乗騎にまたがって去っていった。永遠の口論を再開する声がその背後に漂った。

 「鞍を占拠しすぎですわよ!」

 「お気に召さないのであれば、歩いてはいかがですか」

 「歩くですって? あなたが私の馬をばらばらにしてしまったせいですわよ!」

 「怠惰ですな」

 「鼻が曲がりそうだこと」

 「不愉快です」

 「うんざりですわ」

 「「どの口がそのようなことを!!」」

 世の中には、決して変化しない物事というものがある。


 この「次元順応」がどれほどの時間を要するのかは不明であるが、大多数の人々にとっては全く懸念する必要はないと思われる。故郷の次元から長期間離れて旅行をする者は僅かであろうし、そういった者でも、自身の変化を適応ではなく病の兆候と考えて帰還する可能性がある。訓練や傾向にも左右されるかもしれない。グール呼びはどこへ行こうともグール呼びであるが、屍術師は同じエネルギーを異なる方法で使用する場合もある。例として、グール呼びの性質を超えた静寂を必要とする罠の設置だ。

 これは、複数の次元エネルギーの組み合わせによってもたらされる強力で新たな魔法の形態や、以前には想像の範囲外であったが今や我々の理解が及ぶものとなった、これまでに知られていない魔法の形態をもたらす可能性がある……


 なんとかかんとか、かくかくしかじか。私はゲラルフ・セカーニ、ああ、私の目はモグラのそれのように小さいので自分の字すら眼鏡がなくては読めないのだ。そして我が姉は私よりもずっと優れているので、こんな物語を作ってようやく比べることができそうなのだ。
 愚かなことはおやめなさい、ゲラルフ。 このようなもの、あなたにはふさわしくありません。

 私たちには力があり、どこへでも行くことができるのです。ただ多元宇宙をゾンビで満たすだけでいいのです。そうすれば、すべてが素晴らしいものになるのですから。

 あなたも今にわかります。


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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Outlaws of Thunder Junction

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