MAGIC STORY

サンダー・ジャンクションの無法者

EPISODE 04

サイドストーリー 伝えない

Isaac Fellman
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2024年3月12日

 

 新たな始まり、か。残酷だね――同情するよ。何かを焼き尽くさずに迎える新たな始まりを見たことがないからね。もし今の比喩が大したことないように聞こえるなら、火事から一日後の湿った灰の匂いを嗅いでみるといい。そうしてそれが、君が愛したすべてをどんな魔法よりも変えてしまったことを知るんだ。この特別に新たな始まり、特に眩しく輝く日の出には、僕の酒場にとある女性が文字通りの火を持って入ってきたことが関係していた。そこからどうなったかは想像できると思う。それとそのときはまだ開店前だった。

 もちろん、彼女のことは知っていた。エルノアと僕はかつて友人同士だった。とはいえこれには複雑な事情がある。そして彼女がニューカペナで仕立てたあの豪奢な赤ワイン色のドレスで現れて、船乗りのロープほども太い蛇の悪魔が絡みついた腕をこちらに向けたとき、僕には複雑な物事を考える余裕はなかった。蛇は脱皮したばかりの鮮やかな緑色で、見栄えよくドレスを引き立てていた。その口から炎が噴射された。冬の焼却場のような熱さだった。不意をつかれた僕相手にエルノアが外すわけはない――つまり威嚇射撃だった。

 「お嬢!」とだけ僕は言った。物語を語り聞かせるときはもっとうまく話せるのだがな。今の台詞について言えるのは、僕が彼女を淑女だと正確に認識したということぐらいだろう。炎は燃え広がっておらず、カウンターの後ろに吊るされていたグラスに当たってそれらを溶かしただけだった。僕の目の前にはサンダーボウがあったものの、修繕中だった。引ける状態ではなかった。

 幸い、エルノアは会話を望んでいたが、彼女がその口で言いたかったのはただひとつ、「ユウマ、お金はどこにいったの?」だった。

 「金が行くべきところに」僕はそう言い捨てた。「金はどこへ、だって? 昔の王様や死んだ神様はどこにいる? 君はここで何をしている?」


 出会ったとき、エルノアと僕はどちらも破産状態だった。僕らは友人たちと――彼女のガールフレンドであるシャドレスや、今は死んだか刑務所にいる他の仲間たちと――チームを組んだ。なぜなら僕らには夢があって、神様が僕たちを助けてくれるからだ。おそらくは皆違う七種類の夢だったが、それらをまとめて平均化した結果はこうだ。皆が青春を過ごした土建組一家を離れる。それから何かを築く。土建組一家は建築家、鍛冶屋、大工の集まりだろう? 団結してボスに対抗する労働者の集団がまた別のボスの集団になる前は、そこには何らかの意味があった。だから僕らは最初から、正しい方法でやり直そうと考えた。空き倉庫を見つけてそこに居座り、宣言を記した。僕らには必要な技術がすべて揃っていた。僕は武器職人で、シャドレスは仕立て屋で、エルノアは可愛かった。稼いだ金は皆で分けるようにした。僕らは理想の一家を目指して、他の人員を募集したり、色々な、とにかく色々なことをやった。

 だがどんな一家にもドラマがあるように、この家にも家賃があった。倉庫の所有者が暴漢と共に現れて僕らの仕事道具は全部押収され、生計を立てられなくなった。滞納した家賃を支払えば道具は返すと言われたが、そんな金はなかった。ならば残された方法は当然、ニューカペナの主要産業、犯罪しかないだろう。輸入も輸出もそれが一番だ。僕らは盗む方法も知っていたし、こちらの方が道具も安価だった。うまくやるなら武器すら必要ない。だが、正直に言おう。僕らは間違っていた。

 あの頃のエルノアはすごかった。さっきは「可愛かった」とだけ言ったが、そんな表現は安っぽいな。魅力があった。もし彼女に何も感じないのなら、今までに魅力のないものを見たことがないのだろう。僕のように魅力のないものを。ここサンダー・ジャンクションにいる僕が利用客に好かれているのは、僕がこの砂漠にカクテルを伝来させたからだ。僕自身を好きなわけじゃない。

 エルノアは酒が飲めて、ギャンブルもできて、恋の駆け引きもできた。気晴らしの相手には最適で、化粧も上手、洒落た着こなしもお手の物で、変装も得意だった。魔法で美貌を生み出す必要はないし、頬に綿を入れたり、眼鏡を変えたり、サイズの合わない服を着るような普通のつまらない変装技術を使う必要もない。演技と化粧だけですべてをこなせる。お相手もそういうタイプの女性を期待しているが、ここにはそうではない女もいた。

 信じてほしいのだが、僕は何年もの間、女性らしくあろうと努力し続けてきた。そうするにも技術が必要だった。相手がこちらを選んでいるかどうかに関係なく、人々が女性を見る目、評価、選別――そういったすべての注目から受ける緊張の中で生きる必要がある。僕が自身を男性に作り変えなければならなかった理由がそれというわけではないものの、それが苦手だったことは認めざるを得ない。それについてエルノアは天才的で、天性のものだった。見られるほうが生き生きとしていたんじゃないか? 彼女なら犯罪組織のボスだらけの部屋に入れられて、裸でポーカーに勝つことだってできるだろう。

 そういうわけで、エルノアが警備員やディーラーや銀行員とおしゃべりしている間に、僕らは金庫を破ったり、貴重品室に入り込んでお宝を狙ったり、崩れそうな橋を通る列車に押し入ったりしていた。懐かしき日々! 僕はそれらを輝きの光景として覚えている。作業場の床に落ちているおがくずが日の光を浴びてきらきらと輝く様子。金の重さを学んだ、貴顕廊一家の暗い応接室。そこに敷かれた汚れたビロード。ニューカペナは堕落した街だった。新しいものであっても、そこでは堕落する。僕らは新しいものだったし、堕落したのでよく知っている。

 そういったことが何年か続いた。ああ、家賃はすぐに払えたが、それから僕らは建物を所有したほうが安全で安価だと判断した。それがシャドレスの――エルノアと正反対で、僕とも正反対なシャドレスの考えだった。それがどういうことか想像してみてほしい。土建組一家が僕に教えてくれたよりも、もっと高度な計算が必要になりそうではあるが。いつも彼女はくすんだ黒の衣服をまとい、その襟に二本のピンを交差して刺していた。彼女には口を閉じたまま話すという仕立て屋の技があった。ピンを咥えて仕事をするからね。それに彼女が話すときは、決して直接的には言わない。「私たちは団結すれば強くなります」ではなく、「アーチの両側は常にお互いに向かって倒れ込んでいます。だから強いのです。私たちもそれができれば問題ありません」になる。言いたいことは伝わったかな? 僕らは全員が厄介者だった。団結しようとしてもできなかっただろう。とはいえ、お互いに向かって倒れ込むことはできたし、実際にそうした。少しの間は。

 とにかく、あの建物はシャドレスがこれまでに呼び寄せた中でも最悪のものだった。僕らはそれを買うために金を借りた。次にどうなったかは想像がつくだろう。借金は何層にも重なって降りかかってきた。そして窃盗で借金を賄うことで、敵は二倍になった。つまらない話をこれ以上聞かせる気はないが、最終的に僕は逃げ出した。行き先もわからないまま、ただ領界路を駆け抜けた。残ったら死ぬか、刑務所行きか、ギャングの兵隊に戻るかになる。土建組一家の最下層、鉄噛みに戻る? そんなものはお断りだ。新たな人生が望みだった。

 自己正当化だって? もちろんこれは自己正当化だろう。だが間違っているわけでもない。友人たちと一緒に死ぬか、それともひとりで生きるかの選択。僕の取り分では1か月分の利子も払えないだろうし、これなら敵の手に渡ることもないだろう?


 僕はボトルを投げつけた。戦いにおける僕の長所は素早さだ。それと、エルノアと分解状態のクロスボウのほかにも、僕にはもうひとつ心配事があった。キリがバーカウンターの上に置かれた籠の中にいた。この子はそこで丸まって寝るのが好きなんでね。岩のようにじっとしていられるので、ちょっとした飾り付きのサボテンの鉢植えのように見える――けれどエルノアの蛇が気詰まりなくらいにキリに近づいているし、たとえ僕がこの窮地を脱せなくとも、キリが逃げ出せるようにはしないといけなかった。この小さな彼は僕の命を二度も救ってくれたのだから。その二度については、五分か十分もあれば話せるだろうか。

 さっきも言ったが、僕は素早い。エルノアも素早いが、驚かせるぐらいのことはできる。ぎりぎりまで筋肉を緊張させずにいるのが肝心だ。動かさない。動きを見せない。見えるところに手を置けとは言われなかったが、それでも僕は手を冷たい石のバーカウンターの上に乗せておいた。石工が整え損ねた石のへこみの感触があった。それから僕は横に飛び、ボトルを掴んでエルノアへと投げつけた。彼女は身を屈めつつ蛇から炎を放った。それは僕の予想通りだったので、ボトルはその蛇に当たって砕け、吐き出していた炎は一瞬青くなった。その炎はカウンターの背後の石壁を溶かして穴をあけ、彼女の袖のビロード飾りはガラスの破片できらめいた。そして蛇は目を回した――呼び出してくれと言ってもいない悪魔にこんなことをしたくはなかったが、キリに何かされるよりはましだった。キリは籠の中にいたまま、まだ動かなかった。僕にはこの子が何を考えているのか全く分からない。賢いが、いわゆる感情的なタイプではないんだ。

 数秒の時間を稼げた。その間に僕はサンダーボウを組み立て、手に取った。艶やかに磨き上げられた銃床つきで、ずっしりと安定感のあるクロスボウだ。稲妻や激しく火花を散らす電光を伝導射出させられる。これは狩猟だけでなく、大体においてこの酒場から厄介な客を追い出すために使うので、必要以上に大きいだけでなく見た目もいかつい。

 「どうしてなの、ユウマ」エルノアは言った。雷に狙われた女性にしては冷静だった。砂漠に雨が近づく匂いのような力強さを感じた。「わたしたちはあなたに優しくしてたじゃない? 誰にも受け入れられなかったあなたを受け入れたわよね? あなたの体質を変えて男にするために街一番の性転換術者を紹介したじゃないの?」

 「受け入れてくれたことの対価が必要だとは思わなかったかな」

 「わたしに何かを払う気なんてないんでしょう」

 「言いたいことはわかるよ。僕は――」

 「言ったでしょ、あなたは取りすぎたのよ」

 「その件だが」僕はそう言った。「聞いてほしい。あの金はもうないんだ。全部使ってしまった。もうここには取り戻せるものは何もないし、君もあそこには戻りたくないだろう。どれくらい僕を探していたんだ? 1年ほどか? 行動する理由を忘れるには十分な時間だろうに」

 彼女の手が震えた。蛇は意識を取り戻したようだ。僕が見ていると、それは彼女の腕にしっかりと巻き付いて布地に食い込み、頭を高く持ち上げた。そして僕にではなく空気に向かって赤い炎を吐き、周囲を温めた。砂漠の朝は寒く、この蛇は住処から遠く離れている。

 「保護者面しないでよ」とエルノアは言った。「丸め込もうとしないで。あなたはいつも会話で問題を解決できると思っているようだけど、あなたにできるのは物語を語ることだけよ。わたしのじゃない物語をね」

 「確かにね。ではどうしようか?」

 「わたしについての物語があるわ」彼女はゆっくりと語った。「とても辛い物語だけれど、もしよかったら聞かせてあげる。わたしたちの古い友情に敬意を表して」

 「ほう?」

 「『お金はどこ?』って題名の物語よ」


 一年前にサンダー・ジャンクションに来た時、金は全てスーツの裏地に縫い込んであった。鉛や銅の小銭ばかりで重たく、そのせいでジャケットは台無しだった。

 オーメンポートはこの次元で最初に目にした街で、木造の尖塔と崖に囲まれた安心できる場所ではあったが、僕を探しに来る奴も最初に訪れる場所だった。追跡されないためにはここから離れる必要があるとわかっていた。わからなかったのは、追っ手がいた場合に撒く方法。砂漠で生きていく方法なんて知らない。ニューカペナで荒野と呼ばれていたものは、単に荒廃した郊外に過ぎなかった。その上、ここでは徒歩が前提だ。僕はここの列車を頼れない――どう見てもニューカペナの関係者が作りあげたもので、その関係者と列車で乗り合わせることになる。乗馬についても僕が何かを知っているとでも? 僕は都会育ちだ。自転車にすら乗ったことがない。結局、サンダー・ジャンクションの道路を歩き始めた。

 スーツは新品だった。ニューカペナではここ以上に服装が重要だったので、すべてシャドレスにあつらえてもらった。黒の羊毛仕立てで黒のビロードをちりばめ、腰から裾まで流れるピンストライプ。死にゆく僕は大金を纏っているように見えたに違いない。あれ以来、熱中症は気づかないうちに襲ってくるということを学んだ。最初の兆候は、ぼんやりすること。もっとよく知っていればよかったのだが、これは何を言われても仕方ない。だけど僕が育った街では誰もがみな魅力的に着飾っていた――そういう仕立てだというのはあるが、雲や煙、それに建物の影がすべてを霞ませ艶やかに見せるのだから。僕はあの大きな太陽の直射日光に慣れていなかった。とにもかくにも、岩の上に座りこんで袖をまくり上げ、ジャケットを腕に掛けて汗だらけなっていたところに、小さなものがあった。つまり、この小さな奴がいた。

 小さくもしっかりとしたサボテン。形も大きさも幼児並みで、太く短い腕が六本あった。表情からは何も読み取れなかったが、どういうわけか僕が気になっているということはわかった。僕は棘で怪我をしないようにジャケットをそいつの体に巻き付けてから抱き上げた。

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アート:Matt Stewart

 僕はこれまでにたくさんのものを見てきた。人間、悪魔、すごい機械、革命、悲劇。ニューカペナのような終わりを迎えつつある次元では、様々なことが起こる。割れた瓶が粉々に砕けるように。粉々に砕け散るほどに、光を捉える破片は多くなる。サンダー・ジャンクションは新しい次元で、まだ始まったばかりだ。まだ砕けてなんかいない。したがって、僕が今まで赤ん坊のカクタスフォークみたいなものを見たことはなかったと言ったなら、そのままの意味になる。故郷にはこの子のようなものが生息する余地はなかった。

 この子が僕を水か何かへと導いてくれたわけではない。なにしろ数分前に目覚めたばかりで、何かをするにしてもどうすればいいかも知らなかったのだから。それでも僕のことを気に入って友好的に接してくれたことで、僕は自分を客観視して何が必要なのかを考えられるようになった。水が流れている場所があるのではないかと考えた僕は、低地を探し始めた。その低地は乾いた川底だとわかり、その砂の下には冷たい水が溜まっていた。そうして僕は生き延びた。


 「言っただろ、金はなくなったと」と僕は伝えた。最初の小競り合いの間、キリには逃げる機会が何度もあったが、もちろん動かなかった。キリはやりたくないことはしない。たとえ僕がそのせいで緊張の汗をかくとしても。

 「まだ信じられないわね」

 「そうだな。僕は嘘をついていたよ。なくなってはいない。君はその中にいる」

 「ここはあなたの酒場ってこと?」

 「僕らの酒場ってこと。僕と何人かのバーテンダー、ピアノ奏者にダンサー。清掃員、料理人。一緒にやっている。収益は山分けで。故郷で夢見ていたようにね」

 「でも持ち主はあなたよね」

 「まあそうだね」

 「ただの泥棒じゃなく、ボスだってこと?」

 「そう言いたいなら、まあ、そうだな」

 彼女は肩をすくめた。「どっちの方が不愉快かしらね」

 「僕は泥棒かもしれないけど、君もそうじゃないか」

 エルノアは指を鳴らした。蛇がこちらを向いた。僕がバーカウンターの背後に飛び込むと、彼女が駆け寄って来る音が聞こえた。わかるかな、素早い敵が隠れるというのは罠だと。僕は飛び上がって彼女に稲妻の連打を浴びせ、彼女は空気を炎で裂いて応戦した。どちらも当たらなかった。しかし彼女の攻撃はバーカウンターに置かれたボトル数本に当たり、その中身は蒸発してしまった。ガラスの破片と金屑だらけの床の上を避けながら、僕は叫んだ。「その酒の値段を知りたいか?」

 彼女はどれかのゲームテーブルの背後に隠れていた。僕の酒場はフロアと中二階の二階建てになっていて、上にはいくつかの寝室もあるが、今は空いている。フロアの奥にはカードとダイス用のテーブルがいくつか。僕はそういうものもサンダー・ジャンクションに伝来させて、大儲けしていた。大量のフェルト布地に焼けただれた穴が空くことを考えるとぞっとする。だから彼女が動く音が聞こえた瞬間に撃った。

 撃ち合いは続いた。テーブルのせいですべてが高くついた。エルノアは素早く静かに忍び寄り、予期せぬ場所から攻撃し、うまく立ち回った。この状況が長引けば長引くほど、僕は不利になるとわかっていた――彼女はフロア全体を自由に動き回れるし、フロアがどんな状態になろうとも気にならない――そこで僕は長いバーカウンターの陰を這って進み、不意にカウンターを飛び越え、隠れていないことの開放感を味わいながらフロアの階段を駆け上がった。キリから離れることになったが、彼はまだ動こうとしなかった。離れろ離れろ、上へ上へ! 天才と呼ばれたユウマが地の利を得るぞ。クロスボウで狙いをつけながら駆け、唖然としたエルノアの表情を一瞬だけ目にとめた。そして最上段まで来たとき、彼女は平静を装わんとして僕が昇ってきた階段に火をつけた。

 僕は階段に絨毯を敷いていた。これも高級感を演出する粋な案だったが、また裏目に出てしまった。火が飢えた獣のように絨毯を食らった。その青い炎は熱く素早く物騒で、中二階へと押し寄せて僕の逃げ場をなくしてしまった。僕は上からすべてを見た。溶けたボトルだらけのバーカウンター、朝日が丸く差し込む壁の穴、籠の中のキリが僕を見上げた時の機敏で小さな動きも。エルノアは青ざめ、蛇を腕に絡ませたまま立ちすくんでいた。

 それで僕はそのとき、彼女は本当に僕を殺したいわけではないのだろう、と気づいた。彼女の目的はそこまでのものじゃなかった。でもこれがクラップスのテーブルで、僕が札束を賭けようとしているところだったとしたら? その目には乗らない。それで僕は急いで寝室のひとつに駆け込んだ。炎の咆哮が扉に穴をあけ、その角度のまま天井にも炎が突き刺さった。

 「店に火をつけるのはやめてくれ!」扉の穴に向かって僕は大声で叫んだ。

 「あなたが隠れなきゃこんなことする必要はないのよ!」

 ここで再び、天才と呼ばれて讃えられ、あらゆる新聞の一面を飾ったユウマの登場だ。二階の部屋は全部繋がっている。そうしておけばスイートルームにできるからだ。このときは誰も部屋を利用していなかったので、換気のためにすべての扉が開かれたままだった。つまり、音を立てずに別の部屋へと移動して、入口から飛び出して不意の一撃を放つことが可能ということだ。僕が部屋から部屋へと走り抜けて入口の扉を開け放つと、エルノアはいかしたブーツを履いた足でバーカウンターの上に立ち、僕を狙っていた。

 僕は炎の噴流に対して本能的に前腕を上げ、火が当たるのを感じて痛みに悲鳴をあげた。それはひどい火傷で、ひどい傷跡は残ったけれど、怖れていたほどの結果ではなかった。その炎は僕の体をまっすぐに貫くものではなかった。彼女は今なお僕を殺したくはないらしい――それでもエルノアが行動しろと自身に言い聞かせているのは確かだった。

 彼女の背後、先程壁にできた穴にキリが留まっていた。僕は目で、次に顔で、その次には頭を振って、出ていけ、飛び降りろ、逃げ出せと合図を試みた。だがキリは動かず、ただそこに立って僕を見つめていた。何かを伝えようとしているようだった、全くもってサボテンらしくない僕には理解できない何かを。エルノアがキリに気付くのではないかと心配したが、彼女はただ困惑して僕を見ているだけだった。今や彼女の周囲は炎に包まれ――家具は炎上し、階段は黒焦げ、回転草で葺いた屋根は半分なくなっていた。あと数分もすれば、この場所は一本の大きな煙突と化してしまうだろう。それでもキリはまだ、まるで僕に作ってもらった窓側の席だとでも言わんばかりに壁の穴に留まっていた。

 「振り向くつもりはないわよ」と彼女は辛抱強く言った。「あなたがわたしを騙そうとしてるのはわかってる。もし誰かがそこにいたって、あなたを助けられはしない」

 戦っている時にこそ可笑しなことを思い出す、以前そう話したのを覚えているだろうか? 僕の体は焼け焦げて、体毛は燃え尽き、この地でできた新しい友達は僕が何かを理解するのを辛抱強く待っている、髪を焦がして荒れ狂う古い友達、その腕から身をもたげる蛇――僕が考えていたのは故郷のニューカペナ、あの列車強盗のことだけだった。

 僕らにとってあれは終わりの始まりだったが、終わるまでの間は誇らしい時間だった。斡旋屋の用心棒が大挙して僕らを包囲していた――前の車両からも後ろの車両からも押し寄せてきていた。僕らにあったのは素早さと予測不能の動きだけ、だがそれこそがエルノアの強みだった。彼女はその汚れた三等車のあらゆるものを使って斡旋屋を翻弄した。座席は身を隠すためのもの。荷物棚の柵は身体を宙に引き上げるためのもの。照明器具はビリヤードのトリックショットよろしく魔法弾を跳ね返すためのもの。エルノアが次に何をするのかは誰にもわからない、それが次の一日へと生き延びる僕らの方法だった。

 現実の戦いではリズムがすべてだ。敵のリズムを予測する。自分のリズムを予測されないようにする。とても単純なこと。問題は、僕が昔と変わらないリズムで動いているため、彼女は僕の心が読めるということだった。彼女は僕のことを分かっている。ああ、僕らはそれほど親しかったわけじゃない。昔の仲間たちの中では、僕はいつも他の相手と仲良くしていた――エルノアとの時間は僕には刺激的すぎた。とはいえ仲良くなるために愛は必要ない。慣れればそれでいい。

 だが僕はもう、彼女がよく分からなかった。その戦い方はまるで別人のようだった。まるでシャドレスのような戦い方。冷静で、注意深く、じっと待って、考える。それはシャドレスが死んだことを意味していた。誰かの思い出を称えるのでもない限り、そのように落ち着いた戦い方に変わることはない。

 シャドレスは最高の仲間だった。彼女に会うまで、僕は道徳的権威など信じていなかった。確かに、道徳も権威も信じてはいなかったが。彼女は列車での仕事が終わるとふさぎ込んで、だんだんと顔を見せなくなり、それで僕らは喧嘩をするようになった。別々の方向へと倒れていった。僕ら全員が目的を見失っていた、そう彼女はわかっていたんだと思う。目的は遥か遠くで、金はすぐそこにあって。それでもシャドレスは本当に最高の仲間だった。

 このすべてが30秒の間、僕の脳内を駆け巡った。長い時間だった。僕がすべてに気が付くまで、エルノアはただこちらを見つめていた。彼女は僕にそのための時間を与えたということ。どうしてこうなったのか、その理由がわからない相手への復讐に意味などない。けれどエルノアは復讐のためにここに来た。そして次の一撃をためらわないことも僕は理解していた。

 そこで僕は相手が予測できない行動に出た。バーカウンターの背後にある長鏡を狙ってサンダーボウを撃ったんだ。鏡は砕け散って損失のシャワーと化し、割れたガラスがカーテンのように降り注いだ。その間もキリはずっと僕を見守っていた。寡黙でわずかな動きから、僕の行動に賛成してくれているとわかった。エルノアは実際に振り返ってそれを見た。彼女自身がここを徹底的に破壊したのはともかく、僕が自分から店を壊すとは信じられなかったのだろう。そして、輝きと騒音と、さらに僕が金をかけたものが燃えることで発生しているひどく濃い煙の中、僕は飛び降りてエルノアに迫り、雷や魔法の類ではなく焼けた拳と無事な拳で殴りかかった。

 僕らは床を転がり、取っ組み合いになった。僕は両手で蛇の悪魔を彼女から引きはがし、フロアの向こう側へと投げ飛ばした。筋肉質で力強さはあったが、他の動物と変わりはなかった。ボトルを投げつけた時と同じ作戦だ。面白いことに、こういった魔法生物が備える防御は魔法に対してのみ効果をもつ。こういう輩は単純な暴力に驚きすくむ。それはエルノアもだった。

 ああ、その通り。彼女を殺すこともできた。

 そうしたくなかった、それだけだ。僕はそれをわかっていた。戦いに確実に負ける唯一の方法は、勝ってどうしたいのかがわからないまま戦いに臨むこと。僕は自分がどうしたいのかをわかっていたが、エルノアはわかっていなかった。僕が勝った理由はそれではないにしても、彼女が負けた理由はそれだ。

 フロアは急にほとんど無音になり、大きく劇的な動きはなくなった。火花が散る中、ふたりだけが疲れて息を荒げていた。エルノアも素手で戦う方法は知っていたが、子供の頃はこれが僕の専門分野だった。他の子たちが召喚術や鍵開け、その他あらゆる類の魔法を訓練している間、僕は拳ひとつで街路に出ていた。父親に対するちょっとした反抗だ。それでも僕らはやり合っていたが、徐々に僕が優勢になり、ところがふたりとも煙で窒息しそうになった時、突然の雨が降り出した。

 サンダー・ジャンクションでは、砂漠の雨が不意に激しく降り出す。叩く音が青空から聞こえると、雲が列車のように押し寄せて毛穴までずぶぬれになる。そして辺りには信じられないくらい小さな花が咲き乱れる。この時は冬で、雷雨の季節ではあったけれども、それでも予想外だった。あっという間に火は消え、周囲一帯は消した直後のろうそくの芯のように黒ずんで刺激臭を放った。これだけの炭と水があれば、床の水たまりにペンを浸して詩を書くこともできただろうけど、そうはしなかった。火が消えても、僕は煙に咳き込んでいた。彼女もまた。そして僕は彼女の胸骨に膝をあて、手首を掴んで終わりとした。

 そして僕はエルノアに、僕が今までこうやって君に話してきたことを、清潔で素敵な服と新品のブーツで僕の酒場に迷い込んできた新顔全員に伝えていることを話した。新しく始めるためにここに来たって? それはいいね――でもそれは過去を諦めるってことだ。過去は変えられると思い込んでいるかもしれないが。「過去は死んだよ。終わったんだ。君は新たな場所にいる、それは何もないところから始めるってことなんだ」

 「あなたはとっても賢いのね、ユウマ」彼女の顔は雨で艶めいていた。かぶりを振り、雨が目に入ってしきりに瞬きをした。「賢いって便利よね――その賢い考えではわたしがあなたを許すことになるんだものね」

 「許してもらえるとは思ってないよ」と僕は答えた。「僕は自分がしてきたことを恥じている。もう一度同じことをしようとは思わないし、もう一度恥じるのも嫌だ。でもここはサンダー・ジャンクションだ――ここの人たちはそうじゃない。自分自身を新しく生み出すためにここにいるんだ」

 「作り直すってこと?」

 「作り出すってこと。機械の部品で考えてみようか。土建組一家は修繕が得意だが、どれも既製の部品を使う。そしてそれはすでに誰かが作って壊したものだろう。ここでは新たな火で自分自身を形作っていける」

 「火力が足りなかったんじゃない?」エルノアは最後にまた咳をした。「私と友達になりたいの? 一緒にチームでも組む? そういう人生の教訓をもっと教えてくれるとか?」

 「いいや。もう閉店だ。もう君には会いたくない。君も僕に会いたくはない。それでも君は新たな人生を始めることができる。あるいは、もし君がどうしてもと言うなら、僕は君を殺すこともできるだろうね。それとも僕を殺すか――それでどうなる? この店を引き継ぐ? ローンも引き継ぐかな? 修理費用を出してくれるのかい? な。君が赤字になるか、僕が赤字になるかのどちらかだ」

 彼女は少し笑い、ほんの一瞬、それは鏡に映った昔の自分に似ている気がした――音もしないし匂いもなければ、温もりもなかったけれど、とにかく何かを感じた。僕は彼女に気持ちが通じたと確信した。それは僕が自分の台詞をまっすぐ伝えたからではなく、単に彼女が僕を一個の人間として見るようになったからに過ぎない。幻影に怒り続けることも、幻影から逃げるのも簡単な事だが、一個人とは真剣に向き合わなければならない。

 そしてその時、キリが何か言った。周囲に降り続いていた雨は突然止み、空気の感触が変わってきた。僕らはふたりともそれに気づき、僕はようやく彼女の手首を放した――火傷した手はひどい有様で、刺すようで、熱く、じわじわと痛んでいた――そして何が起こったのかと周囲を見回した。

 さて、今ここはこんな状態だが、その時起こったことを目撃するのはどんな気分だったかを想像してみてほしい。部屋じゅうに蔦が勢いよく弾けた。それらは水が流れ落ちるように壁を駆け上がって――素早く満ち溢れ、巨大な赤い花が鐘のように開いて、天井の大きな穴を埋めた。蔦は自然に絡み合って、見たこともない模様や結び目や渦巻きを描いた。そしてキリはバーカウンターのほんの少し上の宙に浮いていた。ほとんど動くこともなく、辺りに命が満ちる間、ただ静かにそこに浮いたままだった。あらゆる類の優れた頭脳の持ち主がやって来てはこれを解明しようとした。どうやらこんな蔓の目撃情報はどこにもないらしい。どの次元にも。ここには色々な次元出身の奴が来るが、そのどこにも。キリが新しく作り出したんだ。外は砂漠だが、これのお陰で湿度が高く保たれている。だから戸口に立つと冷たい飲み物のように空気を吸うことができる。

 蔦はそのうち動きを止め、キリはバーカウンターの上に落ちてそこで座り、またサボテンのように動かなくなった。

 エルノアは特に何もしなかった。彼女は立ち上がって腕を振り、周りを見上げた。最後にこう聞いてきた。「あの子はどこから来たの?」

 「ずっとここにいたんだがね」

 彼女は鼻を鳴らした。「そうね。そういうことにしておきましょう。あなたは正しいんですものね」

 「そんなことはない」

 「あなたがわたしたちのお金をここで使ったのはまだ許せないけれど。おめでとう。あなたは何かを無駄にしたのね」

 「ニューカペナにいたころ、僕らはみんな色々なことを無駄にしただろう。でもその情熱は本物だったはずだ」

 「そうかもね」エルノアは小さく口笛を吹いた。あの小さな蛇は近くの蔦にぶら下がっていた。そして床に――少々不本意だったかもしれないが――滑り降りた。彼女はそれを拾い上げて肩にかけた。そして、そのまま振り返ることなく立ち去った。


(Tr. Yuusuke Miwa / TSV Mayuko Wakatsuki)

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