MAGIC STORY

サンダー・ジャンクションの無法者

EPISODE 06

第5話 月下の決闘

Akemi Dawn Bowman
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2024年3月22日

 

 溶鉄の時計塔の鐘が十二度鳴らされた。その鋭い輪郭が不気味な赤色に輝き、その影が眼下の広場へと伸びた。骨と黒鉄でできた柵が何本も地面に埋め込まれ、円形の囲いを作っていた。

 ターネイションの決闘場。

 ケランは両脇を地獄拍車団員に挟まれ、闘技場の端に立っていた。背後で軋み音とともに門が開き、周囲の岩壁から石が転がり落ちた。暗いトンネルに足音が響き渡った。オーコ、ヴラスカ、アニーが鎖につながれたまま現れた。団員が彼らを観客席に連れ出し、そこではアクルの手下が更に数十人、叫びや野次を飛ばしていた。

 ヴラスカはケランに向けて小さく一度頷いただけだった。それは励ましなのか別れの挨拶なのか、ケランにはわからなかった。

 オーコは、自分を前に突き出す男へと軽蔑の視線を投げかけた。そして階段の頂上に到達すると、変装としてまとっていた団員の鎧を調整した。その骨と焼け焦げた布が幻ではなかったことにケランは驚いたが、確かにそれは歪んで壊れかけたまま、ずっと父のしなやかな身体にぶら下がっていたのだった。手首に魔法阻止の手錠をはめられ、留置場で何時間も過ごす間ずっと。

 アニーはケランの視線を受け止め、連行する団員に抵抗しながら身を乗り出した。「チャンスがあったら、すぐに飛んで逃げるんだよ」連れ去られる前に彼女はどうにか告げた。「できるうちに助かりな!」

 ケランは返答しようとしたが、左脇の地獄拍車団員に闘技場の中へと押し込まれた。そして自身の足につまずき、岩の上を滑った。ケランは体勢を立て直すと、拳を握り締めてリングの中央へと向き直った。

 溶岩の筋が地面の亀裂を流れ、空気中に蒸気を巻き上げていた。そして足元が震えたかと思うと、火山の奥深くから発せられるような轟きとともに、暗いトンネルからひとつの姿がゆっくりと現れた。月光がアクルへと浴びせられ、その鱗をきらめかせた。金色の目を雷に輝かせ、彼は闘技場へと足を踏み入れた。そして獲物を見定めるようにケランから距離をとりつつ円を描いて歩いた。

 ケランは緊張の中、息をのんだ。「ルールは? 先に血を流させた方が勝ちですよね?」希望を込めて彼は尋ねた。

 群衆から笑い声が湧き起こった。ケランは怯えを見せないように努めた。

 アクルは歯をむき出しにして嘲った。「ここはターネイションだぞ、ガキ。楽しませなくてどうする」ドラゴンは観客席に向き直って叫んだ。「死ぬまでの戦いだ!」

 地獄拍車団は首領の怒りに猛烈な熱狂で応えた。ケランはその音量にひるみ、胃袋が重石のように落ち込むのを感じた。もう一度観客席にオーコの姿を探すと、父は袖についた糸くずを払っていた。骨のひとつが胸鎧から外れ、オーコは気を取られて床を見下ろした。

 ケランの内を駆けた失望の痛みは、心の底からのものだった。

 広場を取り囲むように炎が噴出し、すべての出口が塞がれた。アクルは尻尾を左右に振り、メダリオンが輝くその胸元に雷が弾けた。

 気温が上昇してケランの頬を熱くした。鍵にも、金にも、力にも興味はなかった。心にあるのは父親のことだけだった。それなのに……

 その考えにケランはふらついた。自分たちが顔を合わせるのはこれが最後かもしれない。それなのに父は自分を見てすらくれない。

 地獄拍車団員のひとりが木製の台の上に立ち、群衆へと静まるように叫んだ。そして闘技場へと大声で呼びかけた。「合図で始めな!」

 アクルは歩調を上げた。ケランは余計な考えを頭から払い、指先に魔法を脈動させた。どれほど望んだとしても、父からの注目が自分を救うことはない。生きてこの状況から抜け出すには、自分の力で成し遂げる必要がある。

 ゆっくりと呼吸をし、ケランは心を引き締めて戦う覚悟を決めた。

 台の上に立った団員がサンダーピストルを空に向け、引き金を引いた。青色のエネルギーが宙に爆発し、群衆の上空に火花を散らしました。歓声が津波のように押し寄せた。

 ケランは後退し、アクルは突進した。顎が鳴らされ、ケランは飛んでドラゴンの牙を避けた。そして着地して次の攻撃に備え、アクルが振るってきた尾の先端にぎらつく棘をかろうじて避けた。それは地面に衝突し、黒色の岩に深い線をえぐった。

 歯の間から息を吸い、ケランは耳に響く恐ろしい笑い声を努めて無視した。彼はドラゴンの攻撃を続けざまにかわし、半ば飛びながら雷を避けた。

 ドラゴンを打ち負かすことはできないとわかっていた。力も体格も全く敵わない。けれど相手を疲れさせ、消耗させることができたなら……

 それは小さなひとつの勝機だった。ごくわずかと言ってもいい。けれど他にどんな選択肢があるだろうか?

 アニーに促されはしたが、飛んで逃げるという選択肢はなかった。たとえ地獄拍車団に撃墜されることなく峡谷から脱出できたとしても、それは皆を見捨てることを意味する。オーコ、ヴラスカ、アニー……彼らは痛めつけられ、アクルと手下たちに弄ばれた後、炭火の中に投げ込まれることになるだろう。今、誰も自分を助けに来てくれないように、誰も彼らを助けには来ないだろう。生き延びる唯一の方法は勝つことなのだ。

 ケランは魔力を呼び起こし、両肩に力を込めると黄金色の投げ縄を作り出した。そしてアクルへと放ったが、ドラゴンは尻尾の一撃でその魔法を切り裂いた。ケランは両手を動かし、ありったけの力を振り絞ろうとした。身体の芯から指先へと、熱が一気に殺到した。拳からエネルギーが伸び、黄金色をした一本の槍へと変化し、ケランは復讐心を込めてそれをアクルへと放った。空中に金色の塵を残し、魔力の槍は相手の心臓へとまっすぐに駆けた。だが命中した瞬間、それは跳ね返されて地面に音を立てて落ちた。分厚いアクルの鱗を突き破ることができなかったのだ。

 アクルは鋭い二列の歯をむき出しにして嘲笑した。ドラゴンは口を大きく開き、その中で雷の球体が弾けながら成長する様子を見せつけた。ケランは恐怖とともに唖然とした。雷は純粋な混沌、触れたものをすべて破壊する魔法――そしてアクルはそれを飲み込んでいるのだ。

 ケランは必死に辺りを見渡し、身を隠せるような場所を探した。アクルの尻尾がえぐった地面の裂け目から溶岩が浸み出し、周囲を流れていた。蒸気が弾け出て、ケランの額に汗がにじんだ。

 逃げ場所はない。

 ここで終わるわけにはいかない。ケランは必死に考えを巡らせた。父のことをよく知る前に死ぬ、そのために多元宇宙を旅して探してきたわけじゃない!

 心臓が高鳴り、何か月もの間抱えていた必死の思いが沸騰した。父にはまだ、ひとりのトリックスター以上のものがあると今なお信じたかった。十分な時間があれば、母が別れた男性ではなく、かつて愛した男性に会えるかもしれない。けれどもしアクルの手にかかって死んだなら、その機会は決して訪れない。決して真実を知ることはない。

 そして、知りたいことはもっとずっと沢山あった。妖精の血統について。半分フェイで半分人間であることの意味について。理解するようには教えられてこなかった自分の部分、それを受け入れたかった。オーコの本当の息子になりたかった。父ともっと一緒に過ごす時間が欲しかった。そしてアクルにそれを奪われるつもりはなかった。

 ケランの胸の奥で何かが弾け出て、両目が荒々しい魔法に輝いた。エネルギーが彼の内をうねり、血管を通って溢れ出た。それは異質でありながらも馴染あるものだった。アザミや松、森の奥深くの香りがする魔法――生まれた時からケランの内に眠っていて、解放されるその時を待っていた、受け入れられる時を待っていた力。

 ケランはアクルと目を合わせ、その視線を離さず受け止めた。まるでその憤怒は、和らげることのできるものだというように。自身の意志に従わせられるものだというように。

 ドラゴンは集中力を失い、雷は無害な吐息となって歯の間からこぼれ出た。アクルは躊躇し、困惑に瞬きをし、現実とは思えないような平穏へと誘われていた。

 何が起こったのかを把握するまでにケランはしばしの時間を要した。だが理解が追いつくと、彼は驚いて顔をひきつらせた。そして両手を裏返し、掌を見つめてきょとんとした。

 今のはどうやって?

 観客席からの怒号でケランは現実に引き戻された。アクルはまだ目の前でふらつき、呆然としていた。隙ができていた。

 ケランは大きな弧を描くように金色の蔓を投げ、アクルの首に巻き付けると踵を地面にめり込ませて力の限りに引いた。今こそこのドラゴンを倒す好機、それを無駄にする気はなかった。

 アクルは窒息しかけてもなお反応しなかった。瞳が乳白色に濁り、次第に身体がぐらつき、膝の力が抜けていった。

 あと数秒。ケランは懇願しながら、命を奪うことを考えた時に沸き上がる罪悪感と戦った。

 終わらせなければいけない。他の道はない。

 だがケランの意志が揺らぐと同時に、彼の魔法もまた揺らいだ。アクルは不意に呆然自失状態から抜け出した。そしてケランが何をしようとしていたのかを察し、鼻孔から蒸気を吹き出して喉元の蔦を激しく切り裂いた。緊張の切れたケランは仰向けに倒れこみ、背中を硬い岩に強打した。アクルが全力で飛びかかってきて、爪を地面に叩きつけるとケランは悲鳴をあげた。

 下敷きにされ、ケランは動けなかった。

 「上等だ!」歯の間から唾を飛ばしてアクルは声をあげた。彼は拳を振り上げ、弧を描く鉤爪でとどめを刺そうと構えた。「これで終わりだ」

 雷の一撃がアクルの首筋に命中し、ドラゴンは驚いて後ずさった。ケランは足元から金色の塵を弾けさせて脱出し、闘技場の反対側の隅へと向かった。そして心臓を激しく高鳴らせながら屈みこみ、岩の尾根にその攻撃の源を探した。

 丘の上には傭兵たちが列を成していた。銀色の鎧は武器から放たれる雷を反射して光り、その中心にはラル・ザレックが、掌に宿る稲妻に両目を閃かせていた。スターリング社はターネイションを発見したのだ――軍隊を引き連れて。

 ケランは額に皺を寄せ、状況を理解すべく視線をさまよわせた。アクルは説明を待たなかった。彼は傭兵たちの最初の列へと雷を放ち、近くの建物を粉砕した。スターリング社も発砲し、地獄拍車団がライフルと鋼鉄を手にして丘からなだれ込んだ。雷と炎が辺りを引き裂いた。

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アート:Xabi Gaztelua

 ケランは混乱の中で父親を探した。きっと今なお鉄の手錠に拘束され、地獄拍車団員に見張られているのだろう――いや、そうではなかった。オーコは奇妙なほどに冷静な様子で、胸鎧の骨が地面に落ちる様を見つめていた。そしてオーコが背後の団員へと頭突きをすると同時に、その鎧から落ちた骨が動き、チビボネが再び組み上がって現れた。小さなスケルトンは胸郭に手を入れて鍵を取り出し、残る仲間たちを解放した。

 辺りに残る地獄拍車団員はわずかだった。ヴラスカは触手を揺らしながら彼らに対峙し、その凝視でひとりまたひとりと石に変えていった。チビボネは支離滅裂な笑い声を上げて震え、オーコの肩によじ登った。オーコは手錠をはめられていた手首の傷をこすり、目に見えて驚いているケランへと目配せをしてみせた。そしてすかさず、ふたりを隔てる炎へと近づいた。「よくやったね、ケラン。さあ――メダリオンを私に」

 ケランはオーコとチビボネを交互に見つめた。わけがわからなかった。チビボネはずっとそこにいた……父には逃亡計画があった……

 その欺きを知ってケランの思考は乱れ、彼は息をするのを忘れた。

 オーコは表情を引き締めると手を差し出した。「鍵だ。さあ!」

 ケランは眉をひそめた。「僕は持っていません。アクルの――」彼はドラゴンへと振り返ったが、アクルはスターリング社の兵たちを切りつけながら進むのに忙しく、他の物事にはあまり気付いていなかった。

 岩だらけの地面にあのメダリオンが落ちており、近くの残り火の光に明滅していた。騒乱の中でアクルの首から引きちぎられたのだろう。

 雷鳴が周囲に響き渡り、ケランの心は不安に締め付けられた。無数の質問があった――けれどそれは後にしなければ。彼は前へ跳び、地面から鍵をひったくると、炎の向こうで待っているオーコの手へと投げた。

 オーコは空中でそれを受け止め、金属をしっかりと握り締めた。一瞬、渇望の表情がその顔に広がった。ケランはようやく気付いた――オーコは勝つために必要なものを持っている。世界はゲームで溢れており、オーコはそれらすべてを操る方法を知っている。

 彼はメダルをポケットに押し込み、他の仲間たちへと向き直った。「アニーさん、町を案内してもらえますか? 宝物庫の入り口まで行かなければなりません。マルコムが待っています」

 「マルコムさん? 確か父さんは……」ケランはそう言いかけ、だが爆発が彼の言葉を遮った。燃え殻が雨のように降り注ぎ、ケランは身を屈めて頭を覆った。

 アニーは峡谷を見下ろし、その目が橙色の輝きを帯びた。「こっちだ」彼女は素早く言い、ヴラスカをすぐ後ろに連れて一番近い通りに出た。

 「今のは私たちの合図だよ、ケラン」ついて来るように促し、オーコも駆けた。

 ケランは宙へ飛び、金色の塵を軌跡に残しながら炎の上を進んだ――だが次に起こった爆発は前回よりも更に近かった。地面から岩が弾け、その衝撃でケランは闘技場まで吹き飛ばされた。彼は溶岩の筋の上を不格好に転がり、腕の皮膚が焼けつく痛みにうめき声を上げた。ケランは片手で胸を抑え、立ち上がろうともがいた。だが二歩進んだところで、スターリング社の兵が棍棒で彼の後頭部を強打した。ケランは地面にどさりと倒れ込み、体が震えた。世界が暗くなっていった。視界がトンネルのように狭まっていった。炎の向こうから、父が奇妙な諦めの目で見つめていた。

 ケランは父に期待を向けた――助けてくれることを。だがオーコは踵を返し、息子を置き去りにしていった。

 二度目の打撃が後頭部に命中し、すべての光とともにケランの意識もまた途切れた。


 アニーは酒場の隅に置かれた金属箱の背後に屈みこんだ。チビボネが床でコインを拾い集めており、彼女はその姿を見て眩暈を覚えた。オーコは嘘をついていた。ひとつの企てがあり、それを仲間には秘密にしていたのだ。そして今、ケランがその代償を払うことになった。

 ヴラスカは一番近くの窓から外の様子を伺い、尾行されていないことを確認していた。オーコは幾つかの部屋を素早く巡って武器を探した。彼は数本のナイフを持って戻り、それを仲間たちへと配った。

 アニーはその刃に顔をしかめた。

 「宝物庫に着くまでですよ」オーコは安心させるように言った。「ブリーチェスが貴女のサンダーライフルを確保してくれていますから」

 アニーはナイフをベルトに差し込んだ。「ケランのために戻らないと」

 「それはできないよ」ヴラスカが戸枠の近くを歩きながら言った。「広場に戻ろうったって2秒も持たないだろうね。ほとんどの道はもう塞がれてる」

 「ならそのスケルトンを送ればいいだろ」アニーは吼えた。「初めての場所に忍び込むのも何てことないんだろう?」

 チビボネはコインの一枚をかじり、金が本物かどうかを確認した。そしてそれが曲がらないとわかると、彼は立腹して骨を鳴らし、肩越しに投げ捨てた。

 「スターリング社はターネイションの大部分に入り込んでいて、地獄拍車団は自分たちの縄張りを守るので手一杯です」オーコは拒否するように言った。「今こそ、誰にも気づかれずに宝物庫に辿り着く好機です」

 アニーは険悪な表情を浮かべ、オーコの腕を掴んで引き寄せた。「スターリング社が来るって知っていたような感じだね?」

 オーコはアニーの指をはがし、シャツの袖をこすった。「もちろん知っていました。撤退戦略もなしにあのドラゴンに立ち向かうつもりはありませんでしたから。ベルトラム・グレイウォーターがターネイションの所在地情報を確実に受け取れるようにした上で、スターリング社が到着する前に私たちがアクルに接近できる十分な時間を残しておきました。あの乱入は私たちにメダリオンを盗む絶好の機会を与えてくれました」

 アニーは声を平静に保とうと全力を尽くしたが、彼女の内は抑えきれないほどに熱くなっていた。「捕まることも最初から作戦の一部だったっていうのかい?」

 「私たちはそれを見事にやり遂げました」オーコは勝ち誇ったように笑った。 「彼らは何も疑いませんでしたよ」

 「私らもだったけどね」ヴラスカは冷ややかに指摘した。彼女はオーコを睨みつけ、警告するように黄色い両目を光らせた。「暗い所に閉じ込められるのはごめんだよ」

 オーコは肩をすくめて言った。「自分たちは逃げ出せる、そんな自信があるように見えていては危険でしたので。アクルに警戒を解かせなければなりませんでしたし、彼はそうしてくれました」彼はベストからあのメダリオンを取り出し、頭上の火明りにその金属を照らした。「今、必要なものはすべて揃いました」

 「ケランは?」アニーは問い詰めた。「あの子と地獄拍車団の首領を戦わせるのも作戦の一部だったのかい?」

 「いいえ」オーコは認めた。「ケランを連れてきたのは、捕まると分かっていたからです。あとはすべてあの子の独断です」

 アニーの瞳の中に嵐が吹き荒れた。「何て図々しくて無謀な奴だ、私ら全員を危険にさらして――スターリング社は、あんたを助けたって理由でケランを処刑するだろうね」オーコが何も言わない様を見て、アニーは腕を組んだ。「少なくとも、息子を見捨てたことを悔やむくらいの良識はあってもいいだろうよ」

 オーコはひるみ、髪に手を這わせた。「マルコムが宝物庫の入り口近くで待っています。別のことをしている時間はありません。今すぐ動くか、機会を失うかのどちらかです」

 アニーは引き下がらなかった。「私はあの子を死なせるつもりはない」

 ヴラスカは額を長い爪でこすった。そこには二本の深い傷跡が交差していた。彼女は窓の外の銃撃戦を眺めた。「あと一日か二日は生きてるだろうさ。見ただろ、あの子がアクルに立ち向かうのを。見た目よりもしぶといよ」

 「それで、アクルがこの戦いに勝ったらどうなる? その時は?」アニーは言い淀み、慎重に言葉を選んだ。「私はあいつの力を知ってる。ケランを苦しめるだろうね、あんたの想像を絶するくらいに」

 オーコは声を和らげた。「貴女がケランを追いかけたら、アクルを勝たせることになります」

 アニーは鼻息を荒くした。あらゆる状況を都合のいいように操られるのはもう沢山だった。「私は納得しないよ」彼女はオーコをまっすぐに見据えた。「立場が逆だったら、あの子は絶対にあんたを見捨てはしなかっただろうね」

 オーコは額の端をこすり、ため息をついた。「ええ。仕事が終わったら、すぐにでも私自らケランの所へ向かいますよ」

 アニーは口ごもった。納得はしていなかった。「仕事は終わるだろうよ。けれどその時にはあんたの仲間なんてひとりもいないはずだ」

 細かい事はどうでもいいと言わんばかりに、オーコは手を振った。「貴女は熱心にではなかったかもしれませんが、私に加わると志願してくれました。それに追加料金を支払えばチビボネも来てくれますよ。だろう?」

 チビボネは樽の上に腰掛け、忙しい様子で帽子から砂を落としながら骨を鳴らす声を発した。アニーが自分の言語を理解できないとわかると、彼は熱狂的に手を振って大喜びにガタガタと暴れた。

 両者を信じていいのかアニーにはわからなかったが、アクルについてはオーコの言う通りだった。自分たちが宝物庫に到達しなければ、地獄拍車団が勝利するだろう。奴らはスターリング社から逃れる方法を見つけ出し、メダリオンと宝物庫の中にある力を狙ってやってくる。

 自分の町のため、そしてサンダー・ジャンクションのため、選択の余地はなかった。今、救助活動を行う時間はない。

 ケランがどこにいるのかはわからない。それでも、アニーは彼が理解してくれることを願った。


 ケランは馬車の中で目を覚ました。両手は鉄で拘束されていた。彼は唇についた血を拭い、頬の打撲傷にひるみ、鉄格子のはまった窓の外を眺めた。横には他にも護送用の馬車が並んでおり、スターリング社の警備員の小集団が立っていたが、彼らはケランよりも道の方に気を取られているようだった。他に囚人はいなかった。残る全員はまだターネイションにいて、戦いを続けているのだ。

 ここにいるのは、打ち負かされて孤独なケランだけだった。

 真実はどのような傷よりも痛んだ。オーコは自分を見捨てていったのだ。

 ケランは投げやりに馬車の壁へと背を預け、鉄格子の間から差し込む月光の縞模様を眺めた。彼はベルトラム・グレイウォーターの囚人として監禁されていた。父の犯した罪を償うために。

 彼は目をきつく閉じ、胆汁のように苦い痛みと戦った。自分は世間知らずだった。オーコは父親などではなかった――ひとりの他人だった。自分たちの繋がりは、あまりにも長い間抱き続けていた子供時代の幻想に過ぎなかった。沢山の人々から、オーコの本質についての警告を受けていた。信用してはいけないと言われていた。そして、自分の目でそれを見た。

 ケランは両手を顔に押し付けた。声をあげたかった。叫びたかった。

 空に閃光が走り、上空で嵐雲からの猛攻撃が響き渡った。周囲の馬が後ろ脚で立ち上がり、馬車が震えた。ケランは前によろめき、床に手をついてこらえた。そして窓の外でまた稲妻が弾けた。重いものが砂の上に倒れる音が数度響き、続いて金属と拍車のブーツが騒々しく鳴った。鍵が音を立ててはまり、馬車の扉が勢いよく開いた。

 戸枠の中、長いポンチョをなびかせてラル・ザレックが立っていた。

 ケランは立ち上がって窓の外を眺めた。 スターリング社の見張りは意識を失って地面に横たわっていた。

 ケランは眉をひそめ、後頭部の痣に触れた。思ったよりも強く殴られたに違いない。ラルは何日も前に自分が裏切ってしまった相手であり、自分を脱獄させてくれるはずはない。今見えているものは脳震盪のせいだろうか。

 ラルはケランを注意深く見つめた。「俺と君とは同じ側にいるはずだ――そしてこの考えが正しいって証明してくれるか。そうでなくとも、君に何かあったらケイヤの奴が絶対に許さないだろうからな」ラルはケランに近づき、手錠を外してそれが木の床へと落ちるに任せた。

 「え……僕を逃がしてくれるんですか?」

 「頼みがある」

 ケランは口元を引き締めた。ラルが何を欲しがっているのかはわかっていた。誰もが欲しがっているもの。「当ててみせます。ラルさんも宝物庫が気になるんですね?」

 ラルは片眉を上げた。「わかるだろう?」

 ケランは馬車から飛び降り、倒れた衛兵たちが動かないことを今一度確認した。騙されて真実が見えなくなっていたのは初めてではない。けれど今わかる限り、これはまた別の不意討ちではなかった。ケランは顔をそむけた。両目が後悔に熱く燃えていた。「本社ではあんなことをしてしまって、本当にすみませんでした。長い間、父さんを探していたんです。やっと見つけて……」指の間を流れる水のように、その先の言葉は滑り落ちて消えていった。

 「気持ちはわかる。家族ってのは複雑だ。それに父親って奴は、そうだな……」ラルが浮かべた薄い笑みは悲哀を帯びていた。「作り上げてくれる存在だったり、壊してしまう存在だったりする。俺が思うにな」彼はケランの視線をまっすぐに受け止めた。「けれど君にはまだ、あいつらの手先にされるよりもいい選択肢がある」

 「宝物庫を狙うことで、ですか?」ケランは反抗するように言った。

 「オーコには欺瞞、騙し、殺人の経歴がある。そんな輩に宝物庫の力を入手させたいのか?」

 「そんな力は誰にも渡すべきじゃありません。ですが、アクルやベルトラム・グレイウォーターよりはましです」

 「俺も同意見だ」ラルはあっさりと言った。「だからこそ、宝物庫の中にあるものはすべて永久に封じておきたい」

 ケランは驚いて口をあんぐりと開いた。聞き間違いではないだろうか?

 「俺がここに来たのは、次元を超えて情報を伝達する新しい方法を見つけ出すためだ。ここの誰も理解していない古代の宝物庫からわけのわからない魔法を解き放つためじゃない」ラルは肩をすくめた。「君と俺となら、この次元に危害をもたらすような奴らを阻止できると思うんだが」

 ケランは答えず、ラルの言葉の意味を理解しようとした。

 「父親と戦いたくないのはわかる。それどころか、二度と顔も見たくないかもしれないよな。だが俺はこれまでにも、邪な奴の手に力が渡ったらどうなるかを見てきた。そして領界路がある今、その危険は大きすぎると言っていい。なぜなら、破壊されるのはひとつの次元だけじゃなくなる可能性があるからだ――何十という次元かもしれない」

 あまりにも多くの人々が、嘘を繋ぎ合わせて真実のように響かせる方法を知っている。そしてケランはその違いを判断する術をほとんど知らなかった。けれど、宝物庫の力を永久に封じる方法があるのなら……。彼はラルと目を合わせた。「どうするつもりなんですか?」

 「鍵を取り戻して、宝物庫の中の宝を見つけて、誰にも発見できないような別の次元に封じ込める」ラルはそこで言葉を切り、ケランの表情が変化する様を見つめ、片手を差し出した。 「返事が聞きたい。来てくれるか?」

 もしもラルと手を組んだなら、オーコとは敵対することになるだろう。仲間全員と敵対することになるだろう。

 けれど彼らに対して負うものは何もない。もう何もない。

 ケランはラルが差し伸べた手をとり、断固たる決意とともに言った。「一緒に行きます」

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アート:Wylie Beckert


(Tr. Mayuko Wakatsuki)

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