2024年3月18日

 

　アクルは砂利に爪を立て、濃い煙の中から地獄拍車団の団員ふたりが現れる様子を見つめた。彼らは鉱山監督官を連れてきていた。乱れた制服を掴み、逃げられないように。ふたりがその男をアクルに向けて突き飛ばすと、血と煤で顔の汚れた監督官は膝から崩れ落ちた。

　ドラゴンの目の中で炎が踊り、銅山の残骸を映した。「何を知っている。話せ」

　監督官は唇を震わせながら砂の中へとまくし立てた。「グレイウォーターは鉱山の管理のために私を雇いました。貴方が何を探しておられるのかはわかりませんが私は何の関係もありません、本当です！ お願いです、貴方にお会いしたことは誰にも言いません。私は家に帰りたいだけなんです」

　アクルは頭を低くして嘲笑った。「話すことが何もないなら、まだ息をしている意味はないな」

　男は両目を大きく見開いた。「噂を聞きました、何者かがグレイウォーターから何かを盗んだと。どうやら重要なもので、スターリング本社はそれを取り戻すために二十人以上の兵を送り出したと！」

　アクルは怒りを少しだけ和らげて身体を起こし、岩の地面に爪を打ちつけた。「そいつの名を言え」

　男は怯えてかぶりを振った。「別の次元から来た、姿を変えるフェイだとか。顔を青く塗っていて、逃走を手伝う仲間がいて、けれど私にわかるのはそれだけです！」

　アクルは団員たちへと視線を向けた。「そいつを見つけ出せ。今すぐだ」

　彼らは頷き、ドラゴンの足元に監督官を残して煙の中へと去った。

　耐えがたい数秒の間、男は恐怖の中で待った。

　アクルは煙に飲み込まれた鉱山に目を向け、出口へと注意を移した。監督官は安堵して肩の力を抜いた。彼は膝を震わせながら立ち上がると、襟巻を指で引っ張って少しだけ緩めた。そして鉱山の反対側を不安ともに一瞥し、生還へと足を踏み出した。

　「どこへ行く気だ？」アクルは燃え上がる炎のように息の音を立てた。

　監督官は凍りついた。彼は懇願しようと両手を挙げたが間に合わなかった。

　アクルは尻尾の先端に生えた棘の毒針を監督官の腹部へと叩き込んだ。男の目に光が弾けた。

　地面に倒れた時、既にその命は尽きていた。

---

　オーコは中二階から面々を見つめた。ケアヴェクはアニーとヴラスカに顔を突き合わせ、会話に没頭していた。ギサとゲラルフは明らかに喧嘩中らしく、それぞれ部屋の反対側に立っていた。エリエット、マルコム、ブリーチェスの三人はバーカウンターで飲んでいた。梅澤は鋸歯のナイフを研ぎつつ、計算高い沈黙を保ちながら他の者たちを観察していた。そしてチビボネはピアノの上に四肢を投げ出して横たわり、金の懐中時計を詳しく調べようと光にかざしていた。

　背後で床板が軋み、オーコは面白がるように口の端を歪めた。彼は何気ない様子で言った。「そこにいるのはわかっているよ。この5分間ずっと、呼吸音が聞こえていたからね」

　少しの間があり、ケランが隅から姿を現した。彼は手すりを掴み、不安であるように身体を動かした。「すみません。こっそり近づくつもりはなくて」

　「そのつもりだったとしたら、ずいぶんと下手だね」

　ケランは頬を赤くした。「僕はただ……その、初対面がこんなふうだなんて、想像とは違っていて」

　オーコは木の欄干を指で叩いた。「現実が空想と一致することは滅多にないさ。けど私の経験から言わせてもらうと、物事が計画通りにいかない時に一番楽しいことが起こる」彼は歯を見せて笑った。「君との出会いは予期せぬ驚きだった。感謝しているよ」

　ケランは乱れた眉をこすり、表情を和らげた。「本当ですか？」

　「そうだとも」オーコは下の部屋にいる仲間たちへと身振りをした。「君は素晴らしい追加人員になるだろうね」

　ケランはしばし考えを巡らせていたが、やがてひとつ溜息をついた。自分にのしかかるものを表す言葉が見つからないのだ。

　「私の一番の危機に君は助けに来てくれた」オーコはバルコニーを見つめながら言った。「簡単に忘れられないことだ。いつかきっと恩返しをするよ」

　「恩返しはいらないです」ケランはゆっくりと言った。「僕はただ、父さんのことを知りたいだけで」

　「いずれ、きっとね」オーコはそう約束した。本気の言葉に聞こえるような言い方は知っている――それだけでなく、ほとんど本気でそう言った。

　ケランは更に何かを言おうとしたようだった。だが彼は不意に息をのみ、警戒するように両目を大きく見開いて手すりから身を乗り出した。オーコは緊張し、脅威の兆候が現れたならすぐに力を使えるよう身構えた。だが下の部屋の隅へケランの視線を追うと、彼の眉間の皺は消えた。暗闇の嵐に運ばれるように、アショクが浮遊しながら前進していた。黒い影がその周囲にまとわりつき、遅い鼓動のように脈打っていた。

　ケランの顔に認識が広がり、不安の表情が憤怒へと変化した。彼は手すりの木材を強く握り、拳が金色のオーラを放った。

　「落ち着くんだ」ケランはバルコニーから飛び降りて乱闘を始めようとしている、オーコはそれを察知して言った。「君たちにどんな過去があったとしても、ここはそれを蒸し返す場所じゃない。それは理解できるかい？」

　「父さんはあいつが何をしたのかを知らないからです――あいつにどんなことができるのかを！」

　「私がしなければならないことはわかっている。それ以外は問題じゃない」

　ケランは引き下がらなかった。「アショクは危険です。僕の故郷を襲って、沢山の人たちを操って自分の命令に従わせたんですよ。ローアン・ケンリスさんを……その、悪人にしてしまったんです！ 信用したら駄目です」

　オーコは否定的に鼻を鳴らした。「君がアショクを信用する必要はない――私を信用してほしい。それはできるかい？」

　ケランはわずかに身体を強張らせ、頷き、手すりから手を放した。

　オーコは嬉しそうな表情を浮かべた。「良かった。ケラン、君の母さんは君を立派に育ててくれたようだけど、教えていないこともあるね。君の力について、血筋について。ようやく会えた今、君がどんなものを受け継いでいるのかを教えてあげることができる。とはいえ、皆と話し合うことがあってね」彼は階段へと進み、途中で立ち止まった。「来るかい？」

　ケランは躊躇し、明らかに罪悪感と格闘した。苦悩が双肩からにじみ出るようだった。それでも彼は父親を追って階下に向かい、チームの残る面々が集まっていた大きな卓の近くで立ち止まった。

　オーコはアショクからの反応に身構えたが、最初にケランに気付いたのはエリエットだった。

　「サンダー・ジャンクションでは色々な相手に出くわすけれど、よりによって」彼女は横柄な態度で言い、白髪を肩に流しながら見下すようにオーコを睨みつけた。「その小僧が仲間入り？ もっと報酬を増やしてもらえばよかったわ」

　オーコの声には隅々にまで魅惑が込められていた。「屍術師の姉弟が任務のために仲違いを脇にやれるなら、私たちも同じことを学べるだろう？」

　ケランは顔をしかめた。エリエットは唇を尖らせて肩をすくめた。

　「素晴らしいよ。さて、ここに集まった目的に戻るが……」オーコは促すようにケアヴェクへと頷いた。 「何かわかったかい？」

　ケアヴェクは上着の中からあのアーティファクトを取り出し、卓の中央に置くと胸の前で腕を組んだ。「スランのものでもファイレクシアのものでもない。だが古さは同等かそれ以上だ。古代のいずこに由来するのか、わしも断言はできぬ。わしの魔法には反応しなかった。ゆえに知り得たことは限られている」

　「驚くべきことではないな」柱のひとつに寄りかかり、梅澤が呟いた。

　ケアヴェクは鼻息を荒くしたが、視線をオーコへと定めた。「このアーティファクトはただの鍵ではない。恐らくはわしらが理解できる以上に危険なものだ。何者が作ったのか、どこから来たのか……多元宇宙に第二のファイレクシアを解き放つ可能性すらある」

　「怖がってるようだね」ヴラスカが辛辣に言った。

　「わしの内にあるのは恐怖ではない。用心だ」ケアヴェク正すように言った。「わしは手に負えぬ力を得たために何世紀という年月を失った。同じ過ちを繰り返すつもりはない」

　アショクが背後に影をうねらせた。「ベルトラム・グレイウォーターは私たちを探し、何としても鍵を見つけ出そうとするでしょう。その前に宝物庫に辿り着かなくてはなりません」

　「だがターネイションの場所を俺たちはまだ知らない」マルコムが指摘し、その両腕の羽根が伸ばされた。「確かに探すのは俺の役割だが、外は一面の砂漠だ。何か手がかりがあればいいんだが。せめて地図が欲しい」

　ギサが悪意の笑みを浮かべた。「どなたかを拷問して聞き出してはいかが？ きっと、通りすがりの地獄拍車団の方が道を教えて下さるわよ！」

　「姉上は忍耐力というものがありませんからな。尋問にすら辛抱ならない」嘲るようにゲラルフが言った。

　「私が辛抱ならないのはあなただけですわよ、ゲラルフ。その声を聞くだけでも苦痛です」

　その口論を払うようにヴラスカは手を振った。「宝物庫への行き方もだけど、この鍵の使い方がわからなければどうしようもないよ」彼女はケアヴェクへ、そしてアニーへと視線を向けた。「さっきの話を」

　アニーは肩を引き上げた。「このあたりで古い魔法の遺物を研究してる男がいる。荒野無頼団のノーランって奴だ。金を払えば何でもするし、コインをちょっと足せば沈黙も買うことができる」

　オーコは部屋を見回した。「その男をここに連れて来るのに時間はどれくらいかかる？」

　「問題がひとつある」ヴラスカが言い、背後で触手を揺らした。「そいつは今まさにスターリング社の傭兵に護衛されて、プロスペリティ行きの列車に乗ってるんだよ」

　アショクの足元の影が震えた。「グレイウォーターも、全く同じ理由でその者を探させたに違いありませんね」

　「けどグレイウォーターはもう鍵を持ってない。アーティファクトの専門家に用はないだろ」マルコムが指摘した。

　「ジカンのムダ！」ブリーチェスが同意した。

　ヴラスカは目を狭めた。「多分、グレイウォーターは鍵を取り戻そうとする間、そいつを自分のとこに監禁しておきたいんだろうね」

　オーコは頷いた。「その荒野無頼団がプロスペリティに到着する前に接触しなければいけない」

　ブリーチェスが両腕を振り上げた。「ツカマエて、ジンモン！」

　ギサはうっとりとした表情を浮かべ、ゲラルフは呆れかえった。

　オーコはケランへと向き直った。「君はスターリング社に雇われていたんだよね。列車の警備員の交代についてはどれくらい知っている？」

　ケランは不安そうに凍り付いた。「僕、その……法に触れるようなことはしたくありません」

　部屋に暗い含み笑いが広がった。

　「君の専門的知識が欲しいだけさ」ビロードのように柔らかな声でオーコは言った。ケランは他の面々からの視線から目をそらし、咳払いをした。「僕は誰も傷ついて欲しくありません。ラルさんにはもうひどいことをしてしまったし……」

　オーコは片手を胸に当てた。「約束しよう。罪なき人々が傷つかないようにすると」

　ギサは残念そうに顔を曇らせたが、他の者たちの表情は変わらなかった。

　やがて、ケランは頷いた。「わかりました。どんなことを知りたいんですか」

---

　列車は金色の砂漠を疾走し、細長いガラス窓からまばゆい陽光が差し込んだ。ケランは不安げにブーツの足を小さく鳴らし、びくつきながら周囲の乗客を数えた。走行中の車両をすべて合わせたなら、少なくとも百人は乗っている計算になる。あるいはそれ以上かもしれない。

　もし、何かがうまくいかなかったなら……

アート：Leon Tukker

　オーコはケランの肩に手を置いた。「そんなに怯えた顔をしない方がいい」他の誰にも聞こえないよう、抑えた声で父は言った。「私たちは溶け込んでいるはずだ」

　ケランは黙っていたが、心臓が胸から飛び出そうな気分だった。何も知らない者からは、彼はプロスペリティへ向かうありふれたスターリング社の衛兵のように見えていた。オーコも幻飾を用いてその姿をとっていた。息子の存在を知った今、彼は自身の幻飾を上手く維持できるようになっていた。

　ケランは自分たちの車両と隣の車両とを繋ぐ扉に目を向けた。「もうすぐ警備員が交代する時間です。その人たちは前の方へ向かうはずなので、その時に後ろの車両へ行けます」

　オーコは口をごくわずかに動かして尋ねた。「その荒野無頼団は本当にそこにいるのかい？」

　ケランは一度だけ頷いた。「そっちに寝台車があります。周りから注目されずに、武装した警備員に守られた人を乗せられるのはそこくらいしかありません。ノーランって人がまだ乗っているなら、そこだと思います」

　通路の反対側には梅澤が目立たないように座し、帽子を深くかぶって胸の前に腕を組んでいた。その刺青のほとんどは着込んだ服の下に隠されていたが、襟のすぐ上にわずかに見えていた。

　不意にオーコの声が心に響き、ケランはびくりとした。集団的精神感応を経験するのは初めてだった――そして好きになれる自信はなかった。

　「皆、私の声は聞こえるかな？」精神的接続を通してオーコが尋ねた。

　返答するように梅澤が顔を上げた。

　次に聞こえてきたアニーの声は、1マイル以上も先の稜線から届いているにもかかわらず、極めてはっきりとしていた。「私らもいる。列車は見えてるよ」

　「空も晴れてよく見える」マルコムが伝えた。「ブリーチェスも爆破準備ができてる。合図してくれればいい」

　「ドカーン！」興奮したブリーチェスの金切り声が届いた。

　「今のが合図？」ギサが割って入った。陶酔するような笑い声が響いた。「待ちきれないのだけど！」

　「合図であるわけがないでしょう」ゲラルフは憤慨に舌打ちをした。「まずブリーチェス君が橋を爆破し、次に列車を強制停止させる。それから屍を起こすのです。百回も言ったではありませんか。他人の言うことに半分でも耳を傾けるのが何故そんなにも難しいのですか！」

　「屍？」ケランは尋ねてみたが、屍術師ふたりの口論にかき消されて誰も聞いてはいないようだった。

　「ああしろこうしろと言わないで下さいませ！」ギサが怒鳴り返した。「あなたは責任者ではないのですよ。そして、あなたがこの仕事に招かれたただひとつの理由は、私があなたにそれを許可したからなのです」

　ゲラルフも反論した。「縫い師はグール呼びよりも遥かに役に立つのです。それを置いても、私はこの次元の『雷』の秘密を手に入れたくてここにいるのです。だとしても、目下のところ姉上の声を我慢する価値があるかどうかは疑問ですな！」

　「子供みたいな口喧嘩はやめな。アショクはそのために繋いだわけじゃないんだ」ヴラスカが叱りつけた。「任務が終わってからにしな。今は作戦通りにやるんだよ」

　近くの扉が開き、警備員ふたりが入ってきた。彼らは通路を進み、ケランとオーコの制服を認めて礼儀正しく会釈し、次の車両へと消えた。

　すぐさまオーコは立ち上がって車両の後方に移動し、ケランと梅澤も続いた。荷物車に到着すると彼らはスーツケースや革製トランクの列の間を抜け、鍵のかかった扉の前で立ち止まった。

　梅澤は帽子の鍔を押し上げた。「こんなものを被って、どうやって前を見ているんだか」彼は不満を漏らしながらも、ベルトから小さな金属製の装置をひとつ外した。

　パネルが点灯し、その縁に沿って小さな折り紙のような形がいくつか現れた。梅澤がそれを扉の取っ手にかざすと、装置は紙のように折り畳まれ、別の形状に展開し、そして鍵穴の中へと潜り込んだ。金属片が複雑な鍵の形をとるや否や、彼は錠を操作すべく作業を開始した。

　それはケランが見たこともないものだった。

　「橋を爆破して列車を止めるまで、時間の余裕はもう少ないぞ」マルコムが精神的接続を通して指摘した。「そっちの様子はどうだ？」

　「もう少し待ってくれ」梅澤は冷静に答えた。

　「ジュンビ、バンタン！」ブリーチェスがわめいた。

　「あら、今のが合図？」ギサが尋ねた。

　「待ってくれと言われたであろうが！」ゲラルフが吠えた。

　「私を叱りつけるなんてどういうつもりですの？」吐き捨てるようにギサは言った。「今は休戦中とはいえ、あなたの舌を切り落としたくならないわけではなくってよ！」

　「好きなだけ私を脅したまえ。とはいえ姉上の口を縫いつけて黙らせる方が――」

　「――あなたは何もかもを台無しにしてしまうし、その口やかましいお小言にもうんざりなのですよ！ できるなら――」

　「――全く信用ならず、自分勝手で――」

　「――腹立たしくて不快で――」

　「静かにできないのか！」マルコムが怒鳴った。「ブリーチェスが合図を聞き取れないだろ！」

　「アイズ！」ブリーチェスの声が轟いた。

　「駄目だ、ギサ、何をしている？ 止めたまえ！」ゲラルフが声をあげた。

　遠くの悲鳴が荷物車まで届いた。

　オーコの眉間に皺が刻まれる様子を見て、ケランは胸が締め付けられるようだった。梅澤も顔面蒼白になって手を止めた。

　「何があった？」オーコは切迫した様子で尋ねた。

　「ギサが早まってゾンビを起こしたのだ」ゲラルフがうめいた。

　ギサの高笑いが精神感応を通して弾けた。「愛しのゲラルフ、ごらんになって？ 好きなだけ私を疑いなさい――私の方が強いことをいつでも証明してあげてよ」

アート：Chris Seaman

　「オーコ、警備員がそっちに向かってる」マルコムが早口で言った。「意表を突きたいなら隠れ場所を見つけた方がいい」

　「もうすぐ終わる」梅澤は作りかけの鍵をひねった。「あとは――」

　背後の扉が勢いよく開いて壁に叩きつけられ、ケランは驚いて飛び上がった。警備員がふたり入口に立っており、ケランとオーコがまとう制服の意味を理解しようとした。だが梅澤が今なお施錠された扉の前にいたため、オーコたちに言い逃れができる見込みはなかった。

　警備員は武器を抜いた。

　オーコとケランがそれぞれ壁に向かって跳ぶと同時に、雷が戸枠に命中した。梅澤は鋭い悲鳴をあげ、肩を押さえながら特大のスーツケースの背後へとよろめいて身を隠した。

　ケランは片手を振り上げ、警備員の武器へと金色の蔓をまっすぐに放った。続いてその魔法を素早く引き、相手のライフルをもぎ取ると金属の床の上を滑らせた。そして肩から体当たりをして警備員を転ばせた。

　オーコは素早く動き、湾曲したナイフをベルトから外した。彼は一瞬もしないうちにふたりめの警備員に迫り、肋骨の間を突き刺した。警備員は激しく悶えると床に倒れ込んだ。

　ケランは頭を左右に振って相手の拳を懸命に避けながら、もうひとりの警備員を抑えつけようと奮闘した。部屋の隅から梅澤が星型の金属片を投げつけた。それはケランの手をぎりぎりで外し、警備員の首に命中した。

　ケランは驚いて相手を解放し、その男性が目を閉じる様を見つめた。振り返ると、梅澤が重々しい様子で床に座り込んでいた。

　ケランは彼の側に駆け寄った。「治療師さんじゃないと駄目です。ゲラルフさんはどれくらいでここに来られます？」

　だがオーコが反論した。「そんな時間はない。警備員に気づかれる前に、その荒野無頼団を見つけ出さなければいけないよ」

　ケランは困惑に顔をしかめた。「けど――この人を放っておくわけにはいきません。死んでしまいます」

　「俺としては、屍術師の世話になるよりも自力で生き延びる可能性に賭けたい」梅澤は咳き込み、目を閉じた。「朝起きたら、自分の手足が間違った方向に縫い付けられていたというのは御免だ」

　「聞いただろう？ 大丈夫だよ」オーコは説き伏せるように言った。

　梅澤は意識を失いかけていた。

　「梅澤さんが怪我をしました。列車から下ろしてくれる人が必要です」ケランは顔をしかめ、遠くで聞いている仲間へと告げた。その隣でオーコが腕を組んだ。その顔には明らかに不賛成の色があった。

　「私がそっちに向かってる」アニーが答えた。「橋はどうするんだ？」

　オーコは顎に力を込めた。「やってくれ」

　「ダイバクハツ！」ブリーチェスがわめいた。

　瞬時に爆発があった。その衝撃は列車の壁に響き渡り、床を震わせた。客車の下で車輪がガタガタと揺れ、速度を上げた。

　「減速してませんよ」ケランは眉をひそめた。「どうして速度が落ちないんですか？」

　オーコは窓へと移動し、煙に空がけぶる遠くの峡谷の様子を確認しようとした。「列車の最後部に行かないといけない」

　ケランは立ち上がり、拳を握り締めた。「この列車にはお客さんが沢山乗っています。橋について知らせないと――」

　「まず仕事を終わらせる」オーコは両目を閃かせてケランの言葉を遮った。「その荒野無頼団を保護してからでも乗客の安全を確保はできる」

　「けど――」

　オーコはケランの肩に手を置き、力を込めた。「私ひとりでそれは無理だ。君の助けが必要だ」

　ケランは口を開いて唇を動かしたが、言葉は出てこなかった。「わかりました」やがて彼はそう言った。これ以上の議論は父親を失望させる、それがひどく心配だった。「梅澤さん抜きでどうやって行くんですか？」

　オーコは頭上を指さした。「屋根を伝って。君の魔法で窓を破ることはできるかい？」

　ケランは黄金色の巨大な鎚を作り出し、それを窓に振るって粉々に砕いた。ふたりは窓枠によじ登り、列車の外側に掴まるものを探した。そして壁面の装飾を伝って屋根へと辿り着いた。

　ケランは両手で掴まり、風に耐えた。寝台車の先には貨物車があった。間違いなく、ギサとゲラルフはそこで死体の軍勢を使ってスターリング社の衛兵を食い止めているのだろう。

　そしてノーランは……

　ケランはひとつの車両を指さした。「あれです。あそこに」

　オーコは眉をひそめた。「どうしてわかるんだい？」

　「あれは囚人を護送する用の車両なんです」

　ふたりは屋根から屋根へと飛び移り、列車の揺れと戦いながら最後尾の寝台車を目指した。橋から上がる煙が流れてきてケランはひるんだ。線路が途切れるまで長くはかからないだろう。

　列車が渓谷に落ちて無関係な命を奪う前に、急いで列車を止める方法を見つけねばならない。

　ケランの足元すれすれに雷が命中した。彼はよろめき、金属の表面へとしたたかに転んだ。痛みが骨を駆け抜けて広がった。

　スターリング社の警備員が六人現れ、ケランとオーコの背後に並んだ。その中のひとりがブラスターを掲げ、二発目のエネルギーを発射した。オーコは転がって避け、ケランは空へと跳躍した。彼はそのまま隣の車両に着地したが、オーコはひとり無防備となってしまった。

　ケランは焦り、急いで戻ろうとした。だが続けざまの爆発に襲われ、両腕で顔を覆った。

　「父さん！」混乱の中でケランは叫んだ。

　オーコはびくりとした――その意味を考えないようケランは最善を尽くした。自分たちは銃撃を受けている。生き延びる以外の行動をとる余裕はない。

　ケランは慌てて駆け出してオーコの腕を掴んだ。そして掌握に力を込めたまま跳び、輝く矢弾を避けた。ケランは宙で大きく向きを変えると車両の屋根に落ちた。

　オーコは短剣を抜いた。ケランも手を動かして自身の武器を召喚した。

　警備員たちが近づき、ふたりを大きな円で取り囲んだ。中のひとりがオーコにサンダーライフルを向け、ケランの魔法は指先でためらった。

　懸念が彼の内にざわついた――父と、列車に乗っている無辜の人々への。

　その人たちを救えなかったらどうなる？

　父を救えなかったらどうなる？

　ケランは肩を震わせ、今はオーコを守るために魔法を使うと決めた。自分たちの片方だけでもこの場を切り抜けることができれば……

　腐敗した灰色の腕がその警備員の肩にしがみつき、武器が音をたてて落ちた。警備員は身をよじって叫びながら相手を引きはがそうとした。他の警備員も続けざまに振り返り、背後にいるものを見て悲鳴をあげた。

　起こされた死体の群れが壁のように現れ、絶望的な空腹に突き動かされてスターリング社の警備員たちに襲いかかった。屋根の上に大混乱が広がった。数人の警備員が退却した。列車から飛び降りた者もいた。だがそうでない者たちは逃げなかった。

　ケランとオーコはその隙に近くのはしごを強引に下り、貨物車と寝台車の間に入り込んだ。

　オーコは扉の前で立ち止まった。「許してくれよ」彼はそう言い、先程倒れた警備員のひとりに姿を変えた。そして扉を押し開け、緊急事態であるような声色で言った。「グールだ、そこらじゅうにいる！」息を切らし、オーコは車両内の人々へとそう告げた。

　ノーランはその中央に、スターリング社の傭兵四人に囲まれて立っていた。

　護衛たちは警戒の視線を交わした。

　「奴らは屋根を伝って進んでいる。阻止しなければ。武器を持ってる奴は全員出てくれ！」オーコは急いで付け加えた。

　護衛のうち三人はすぐさま動き、サンダーライフルを持って扉へと急いだ。彼らが車両間の通路に足を踏み入れた瞬間、ケランの黄金の蔓が彼らを捕らえて下の砂漠へと放り投げた。

　最後の護衛は躊躇した。オーコは幻飾を捨て、尖った耳と青い顔を露わにした。その笑みは荒々しく良からぬものだった。

　「心配しなくていい。きっと君は落ちても生き延びるだろう。けれど――グレイウォーターによろしく伝えてくれ」オーコは開いた扉へと男を突き飛ばし、ケランの蔓が残りの仕事を終えた。

　オーコは荒野無頼団の男へと向き直り、まばゆい笑みを向けた。「君がノーランだね」

　オーコはノーランの腕を掴み、押し出すように歩いた。三人は幾つかの寝台車を通って戻った。時折、グールと警備員が入り混じって屋根から落ちていった。

　掛け金のかかった扉に辿り着くと、ケランはそれを外して扉を押し開けた。梅澤は荷物車の隅に倒れたままで、意識はないものの呼吸はしていた。

　荒野無頼団の男の腕を掴んだまま、オーコは割れた窓から身を乗り出した。「列車の速度が落ちない。誰か理由はわかるか？」彼は仲間たちに尋ねた。

　「ゾンビが車掌の所に辿り着いた」呼吸を荒げながらアニーが説明した。「誰も列車を制御してない」

　「僕が飛んでいって対処します」ケランは窓へ移動しながら言った。

　「駄目だ」オーコは腕を伸ばして遮った。「この男と梅澤の安全を確保しないといけない」

　「ええ、けれど乗ってる人たちは――」

　「――後で何とかしよう」オーコはそう言い終えた。

　ケランは狼狽し、歯を食いしばった。「言い争ってる時間はありませんよね」

　「その通りだ」オーコはそう言い、促すように広大な砂漠へと顔を向けた。「覚悟はいいかい――救出チームが来ている」

　アニーとフォーチュンが列車の横を疾走しながら現れた。彼女は手綱を引き、フォーチュンを線路へとぎりぎりまで接近させた。

　彼女たちが腕の長さほどまで近づくと、オーコは下がって荒野無頼団の男を窓へと押した。

　「と、跳べと？」ノーランは焦って言った。

　「生き延びたいなら」オーコはそう答え、相手が窓枠に上がるのを手伝った。

　アニーはノーランの伸ばした腕を掴み、鞍の後ろに引き上げた。彼は必死でアニーの腰にしがみつき、肩に顔を埋めた。

　ケランとオーコは二人がかりで梅澤を窓へと抱え上げた。アニーは再び線路に近づき、窓との距離を詰めた。

　ケランは気を静めつつ、梅澤の身体を窓枠に乗せた。アニーは梅澤に腕を回して強く引き、彼を鞍の前に乗せた。そして鋭い口笛を鳴らしてフォーチュンを列車から離し、砂を背後に蹴り上げながら怖れ知らずの疾走を開始した。

　割れた窓から煙が入り込み、ケランは恐怖の表情で前方の渓谷を見つめた。橋は跡形もなくなっていた。残されているのは渓谷の両脇、ねじれた線路の先端だけだった。

　オーコは窓枠に足をかけた。

　「どこに行くんですか」ケランは睨みつけながら尋ねた。「まだ人が乗っているんですよ！」

　「彼らを救う時間はない」気にすらしていないように、オーコは肩をすくめて言った。「今すぐ跳ばなければ、私たちも列車と一緒に落ちてしまうよ」

　「けど言ったじゃないですか――」

　オーコはケランが言い終えるのを待たなかった。彼は跳び、どこかぎこちなく砂の上を転がった。

　ケランの背後で扉が勢いよく開き、警備員がひとり転がり込んだ。ゾンビがその首を掴んでおり、その歯は肉を求めていた。背後にはさらに多くのグールがおり、うめき声が次第に大きくなっていった。

　選択の余地はない――ケランは大慌てで跳び、砂の上を滑った。

　そして両足でしっかりと立つや否や彼は振り返り、列車が崖へと迫る様を見つめた。反射的にケランは駆け、掌を宙へと掲げた。黄金色のエネルギーが巨大な爆発となって弾け出た。

　蔦が勢いよく伸び、最後尾の車両を掴んだ――だが止めるほどの力はなかった。

　反撃するように列車の勢いがケランに襲いかかった。自身の魔法が身体を焼き、血管を焦がすように感じた。列車の重みに逆らい、彼は踵を砂に突き立てて必死に耐えた。

　乗っている人たちがいる……

　死なせることはできない。

　死なせはしない。

　ケランは頭をもたげ、全身の血管が脈打った。拳が熱く燃え上がった。自身の中に根を張るように彼は蔓を掴み続けた。折れるのを拒んだ。

　列車は悲鳴とともに速度を落としていったが、先頭車両は既に崖からはみ出しつつあった。ケランのブーツが少しずつ、砂の上を引きずられていった。

　上空のマルコムの影が砂漠を横切り、その声がケランの心に響いた。「スターリング社が何マイルか離れた所まで来てる。大規模だ。こっちに撃退するような兵力はない。列車からできるだけ離れろ」

　焦りから額に皺を寄せ、オーコがケランの隣にやって来た。「行かなくては駄目だ！」

　「父さん――約束しましたよね――」ケランは声を強張らせた。「僕は乗っている人たちを死なせる気はありません」

　「彼らを救うことはできないよ」

　「やってみないと」ケランは歯を強く食いしばり、力の限りに蔓を引いた。

　軍隊が接近する轟音が遠くから聞こえた。ひづめの音、乗騎の大群。

　スターリング社は戦闘態勢を整えていた。

　オーコは一歩後ずさった。そしてまた一歩。同情がその顔に一瞬だけ浮かび、すぐにそれは諦めへと変わった。最後に一瞥すると、彼はケランに背を向けて駆け出した。

　ケランは魔法の蔓をしっかりと握り続けた。顔から汗が噴き出していた。傷心のすぐ隣で、焼け付くような熱が身体を引き裂いていた。

　父は自分を見捨てていったのだ。

　列車は崖の端でぐらつきながら、その下の広大な空間へと少しずつ進んでいった。ケランはもう限界だった。重すぎた。魔法は尽きかけ、スターリング社の軍隊はすぐそこまで迫っていた。

　目の端に刺すような痛みを感じて瞬きをした瞬間、フォーチュンがすぐそこに現れた。その上でアニーがサンダーライフルを抜いた。彼女はケランの先へと狙いをつけ、近づく衛兵たちへと続けざまの爆発を放った。

　「梅澤さん――ノーランさんは――」

　「他の奴らといる」フォーチュンが岩を踏み鳴らし、アニーは窓の外を見つめる乗客に向かって腕を振った。だが彼らのほとんどは凍り付いたように動けなかった。「列車から降りろ！ 早く！」

　乗客たちは不安に顔を見合わせ、そして最も近い出口へと急いだ。彼らは恐怖に足を震わせ、緊張しながら砂漠に飛び降りると列車からできるだけ離れるように逃げていった。

　ケランの呼吸が荒くなり、エネルギーが尽きかけるのを感じた。彼は力を込めて瞬きをし、残された意地のすべてを両手から放つ魔法に向けた。アニーはさらに数発を彼の背後へと発射し、足の速い乗り手を狙い撃ち、軍隊の大部分が到着するまでの時間を稼いだ。

　最後の乗客が砂に落ちると、アニーはケランへと向き直って腕を伸ばした。「さあ、行くよ」

　ケランが疲れ果てて蔓を放すと列車は崖の縁を越え、墜落音が爆発のように遠くから届いた。続く車両が落下するたびに轟音が鳴り響き、峡谷の壁に岩石や破片が跳ね返った。

　ケランはアニーの手を掴んでフォーチュンの背中に乗り、残骸とスターリング社の軍隊を残して逃げ去った。

(Tr. Mayuko Wakatsuki)