MAGIC STORY

カルドハイム

EPISODE 09

メインストーリー第5話:決戦、カルドハイム

Roy Graham 協力:Jenna Helland
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2021年2月3日

 

 フェルトマークの草原、その遥か上空。ベスキールの城塞の幾つもの煙突から立ち上る煙の間を、一羽の鴉が軽やかに旋回していた。鴉は一日に百マイルの距離を飛ぶと知られているが、この鴉はそれだけではなかった。牙の山の高い尾根では、炎の巨人たちが山腹を攻め、タスケーリの勇猛刃たちが丸太や岩でそれらを地面に打ち倒す様を見た。鴉はその謎めいた黒い片目で、スケレ氏族が沼地に集合し、血で誓いを立て、戦に備える様子を観察した。更に鴉はしばし沿岸地域を飛び、水平線上に小さく見える幾つもの長艇を確認した。危急の際には、その時代でも最大の船団が東風に乗ってブレタガルドの一か所を目指すのだ。

ブレタガルドの要塞》 アート:Jung Park

 その鴉は城塞を取り囲む分厚い壁の中、草ぶき屋根のひとつに降り立った。その下で、武器を研ぎ鎖帷子が金属をこする音の中から、二つの声が上がった。鴉は道中と同じく、動きを止めて耳を澄ました。

「東の部隊が敗れた。アルダガルド全体も時間の問題だ」 二人のうち、年配の男が言った。髪と髭は新雪のように白く、それ以外の全ては風格を帯び、無骨で頑丈だった。その背中には、適切な光を受けると揺らめいて見えるような素材の大盾が背負われていた。「一度にあれほど多くのトロールを見たのは初めてだ。それが力を合わせているというのもな」

 若い方が笑い声を上げた。「カナーはちょっとのハギで苦戦すんのか? 俺ん所の一人は昨日デーモンを倒したぞ。で若い奴らは皆、次は自分だっていきり立ってる」その男の側頭部からは奇妙な、骨ばった何かが突き出ていた――まるで剣歯虎が頭蓋骨に噛みつこうとして、逆にその牙を折られたかのように。

「それほどの祭りだというなら、何故お前はここにいる?」 年配の男が低くうめいた。

 もう一人は肩をすくめた。「長には長の義務があるってやつだ」

 衛兵二人が槍の交差を解き、男たちは分厚い木の両扉を押した。扉は戦士たちの体重を受け、軋み音を立てて開いた。

「タスケーリ氏族から傷頭のアーニ殿。そしてカナー氏族から牙持ちのフィン殿です」 衛兵の一人が声を上げた。部屋の中では、四人が卓についていた。先に到着していた領界路探しの長、ルーン目のインガ。そしてこの城塞を管理する、神に愛された者シグリッド。もう二人、黒い肌の女性と赤毛を編んだエルフ――彼女らは客人だった。

 年配の男、フィンはベルトの斧を掴んだ。「コーマの息が臭うな。こいつがここで何をしている?」

 扉を閉じかけていた衛兵たちは武器を取り、だがシグリッドが片手を挙げて制した。「インガ様?」

 ルーン目のインガは席から立ち上がった。「こちらはスケムファーのタイヴァー殿、そして――旅人のケイヤ殿です。この方々は友人です。そして、今は全ての友人の力を必要とする時です」

「蛇の手先のエルフを友などと呼ぶものか。ましてやそいつらの王族を」 フィンは威嚇するように言った。

牙持ち、フィン》 アート:Lie Setiawan

 フィンはまだ武器を抜いてはいなかったが、今にもそうするという様子だった。一方のタイヴァーは立ち上がりすらしなかった。「エルフが戦を始めたなら、死ぬのは人間だけではない。だが我が兄が軍隊を率いて到着したなら、貴方は見下すような態度を取るのだろうな」

「見下してやるとも、六フィートもな」

「そこまでです」 シグリッドが吠えた。その声は裁判官の槌のように響いた。「フィン殿、私の客人を嘲ってもらうために招いたのではありません。我々が今週をいかにして生き延びるかを話し合うためです」

 不承不承、フィンは長机を取り囲む椅子の一つに勢いよく腰を下ろした。アーニもその隣に座った。「つまり! 何か作戦があるってことだろう。とんでもなく無謀で勇敢な動きが必要になるような。俺たちが不利なのはわかってる」 そう言いながらも、アーニは大いに懸念している様子ではなかった。

 シグリッドは薄い笑みを浮かべた。「トロール、デーモン、霜と炎の巨人。それらがこの領域を蹂躙しています。ドローガーを見たという報告もあります。つまりドレッドモーン、カーフェルの死者の軍勢が戻って来たということです。確かに不利と言えるでしょう。それでも我々には振るうことのできる武器があります」

「そのお喋りなエルフ以外にか?」 フィンが呟いた。

「ええ」 ケイヤは頷くと、卓の下から一本の剣を取り出した。それは一見ガラス製だが、半透明の刃の内には青や緑に揺れる色彩が閉じ込められており、全員の目の前で波打って輝くようだった。彼女は鈍い音を立ててそれを卓上に置いた。

「それは――」とフィン。

「領界の剣です」 シグリッドの声は冷静だった。

「コルの奴、この業物を完成させてたのか」 ひゅう、とアーニは口笛を吹いた。

「そうです」 シグリッドは頷いた。「ですがその使用法を、彼は墓へと持って行ってしまいました」

 沈黙の一瞬が過ぎた。フィンがそれを破った。「知識がなければ、それはただの剣だ。タイライト製なのは認める、だが上等な剣が何本あろうと、ドゥームスカールを止めることは叶わない」

「一人、それを振るう力を持つ者がおる」 その声は火鉢の光が届かない、暗い片隅から届いた。五人目の人物が影から踏み出た――旅人用の長く分厚い外套をまとった老人。その肩には一羽の鴉がとまっていた。「その剣の持ち主となるべき神。戦いの神、ハルヴァール」

巧みな軍略》 アート:Donato Giancola

 その両目からはかすかな光が漏れ出ていた――剣の内に凍り付く光と同じだった。アールンドの前に、フィンですら言葉を失っていた。

「ハルヴァールは私たちの味方です」とケイヤ。「けれど接触するためには、少々の努力を要することになりそうです」

 カルドハイムの神の一柱に対面した驚きから回復し、アーニは勢いよく立ち上がった。「つまり、やばい挑戦ってことだな。そいつなら得意だ」

 アールンドいわく、ハルヴァールはベスキールの城塞からそう遠くない所にいる。何といっても彼は戦いの神であり、今やそこかしこで戦いが起こっているのだ。鴉の翼でなら、すぐにハルヴァールの所まで辿り着けると。

 黒い羽根を固く握りしめ、ケイヤは思った。あの老人が文字通りの意味で言っていたなんて。

 アールンドの肩に乗る鳥はハーカという名であり、ケイヤもそれだけは知っていた。今ケイヤたちを乗せて飛ぶ大鴉たちの名を彼は語らず、その黒く広々とした翼が羽ばたくごとに、草原の風景が過ぎ去っていった。あるいは語っていたかもしれない――実のところ、ケイヤは紹介の間にあまり集中できていなかった。彼女の注目は、この鴉たちのガラスのような大きな目に不思議と吸い寄せられていたのだった。そこに知性と好奇心が宿っているのは疑いなかった。そして言うまでもなく巨大で湾曲したくちばしは、その気があれば彼女を真二つにしてしまえそうだった。一羽にシグリッドとフィンとインガ、もう一羽にアーニとケイヤとタイヴァーが乗っていた。

「あれを!」 吹きすさぶ風に負けじと、タイヴァーが叫んだ。

 ケイヤが最初に見たのは、世界の裂け目だった。氷のような白色の筋が一本、眼下に広がる琥珀色の平原を切り裂いていた。違和感に満ちた光景だった、まるで何者かが他の次元をこの上に広げたかのように。凍える地から漏れ出た大気が温かなブレタガルドのそれに触れて湯気を上げ、裂け目の縁からは、腐れた姿が人間の領界へと手をかけて身体を引き上げていた。それらの前方では、黄色がかった一面の草原を覆うように、千体ものよろめく姿が広がっていた。ドローガー、この次元の人々はそう呼んでいる。だが名前は違えど、ゾンビであることに変わりはない。その雑兵の群れの中には、長くもつれた髪に覆われた巨体が幾つか見えた――トルガのトロール。だが衰えているように見えた。上空からは判りづらかったが、歩兵たちと同じくそれらも不安定な足どりだった。つまり、あれらもアンデッドだということ。

 ドローガーにトルガ、大型のものも小型のものも、全てが一か所に向かってのろのろと進んでいた。幅広く流れの速い川にかかる、頑丈な木製の橋。その向こう岸には幾つかの小屋と敷石の小道、そして水車が集まった村が見えた。人影はなかったが、屋内に閉じこもっているのだろう。その村は不思議なほどに無傷だった。橋の上に孤独に立つ人物が、それを確かなものにしていた。

 この距離では、ハルヴァールもそう強者には見えなかった。アールンドのように不気味な神の光は放っておらず、また世界の裂け目から漏れ出る青や緑や紫色の光に比較すると、ほとんど目立っていなかった。ケイヤたちの高さからは、鉄の鎧に包まれた極小の姿でしかなかった。彼の目の前、橋の手前には、倒れたドローガーの残骸が腰の高さほどに積み上がっていた。

「あの橋まで行かないと」 ケイヤは叫んだ。タイヴァーに聞こえるように、そして乗っている鴉が理解してくれるように。時計を戻すことはできず、このアンデッドの軍隊を凍れる世界へ戻すこともできない。それでも、ケイヤの背には領界の剣がくくりつけられていた。ハルヴァールと合流できたなら、少なくとも状況が更に悪化する前に止められるかもしれない。

 だが振り返ってケイヤを見たタイヴァーの両目は、別の何かに注目していた。一つの影がケイヤの上を通過し、そして――何かが彼女と頭上の太陽との間を動き、鴉の艶やかな黒い羽根がわずかに暗さを増した。

「危ない!」 タイヴァーが叫び、直後に強打が彼らを襲った。粉砕音、鳥の悲鳴、そして不意にケイヤは鴉の上から宙へと投げ出された。

 その先を、落下しながら彼女は一つ一つの瞬間として、個々の枠内で見た。鴉の翼が不自然な角度に折れる。タイヴァーとアーニが落ちながら、あるはずのない手がかりを求めて腕を振り回す。角の生えた巨体がその全ての上で、重々しく長い柄の斧を手に持ち、すり切れた皮の翼を羽ばたかせている。

血空の主君、ヴェラゴス》 アート:Tyler Jacobson

 以前に見た時よりも近かった。ケイヤは落下しながら、そのデーモンから離れていきながらも、青痣のような色のもつれた肉が、長い顎鬚のようにその顔からぶら下がっているのが見えた。狂える瞳の内には、数千年に及ぶ虜囚への怒りが燃えたぎっていた。ヴェラゴスは再び斧を振るって鴉の脇腹へ突き立て、そしてケイヤは回転しながら、耳をつんざく風音の中、落下していった。

 考えて。

 考えて、考えて、考えて!

 彼女は下を見て、風の中で目を狭めた――眼下で、あの川が激しく流れうねっていた。この高さから水面に落ちたなら、石の上に落ちるのと大差ない。けれど助かるだろう――肉体と幽体を使い分ければ。タイヴァーは助かるだろうか? わからなかった。当てにはできなかった。ケイヤは身体をまっすぐに伸ばし、四肢を広げて落下速度を緩めた。そして急速に近づく地面ではなく、頭上の空に注目しようとした。すると、アーニがすぐ近くにいた。五フィートほどの距離で、そして死に向かって落下しながらも、正気とは思えない楽しそうな咆哮を上げていた。タイヴァーは二十フィートほど下方で、これまでの優雅さもバランスも役に立たず、完全に制御を失って回転していた。

 ケイヤはアーニを掴むと、彼が背中に大剣をくくりつけている紐に片腕を通した。「身体をまっすぐ伸ばして、腕を背中に!」彼女は吠えたける風の中で叫んだ。

 アーニは従い、ケイヤも同じようにした。ただちに二人の落下速度は増し、タイヴァーへ向かっていった。もはや眼下の草原はぼやけた黄色の影ではなく、草の茎が揺れる様子が見えた。ドローガーのずんぐりとした鋼の刃が判別でき、彼らの鎧は今も霜に覆われていた。川は近かった。外すことはできない――やるなら今だ。

 水面に激突する五秒前、二人はタイヴァーに衝突した。次の一秒で彼女は必要なエネルギーを呼び起こし、もう一秒かけて自分たち全員を幽体化した。もう三秒は予備だった。

 暗闇と冷たさが三人をのみこんだ――水の冷たさが単に襲ってきただけではなかった。ケイヤを満たした冷たさは、ケイヤそのものだった。血管を流れる暖かな血もなく、肺には空気もなく、自分は生きていると思わせてくれる絶えない鼓動もなかった。数秒の間、ケイヤは実感した。死ぬとはこういうこと。そして幽霊として、霊魂として居残るとはこういうこと。

 苦労して彼女は全員を肉体に戻し、すると直ちに三人は流れに揉まれた。どちらが水面なのか、どこへ向かって泳げばよいかわからなかった。できるのはアーニとタイヴァーにしがみつき、溺れかけたひとつの大きな塊でいることだけだった。目を開くと、激しい流れだけがあった。視界の隅、幅広い川の大きな影の中で、何かが動くのを見た――波の中で、細く素早い姿が。

 岸の近くの枝をアーニが掴んだ。ケイヤが手を貸し、二人はタイヴァーを水から放り投げた。彼はまだ咳き込み、凍えるように腕を抱えていた。ドローガーはそこかしこにいたが、驚愕しているようだった。そのためそれらが武器を振るってくる前にケイヤは立つことができた。幸運だ、彼女はそう思った。

残忍なドローガー》 アート:Grzegorz Rutkowski

 ケイヤは最初の攻撃を避け、次を受け流した。そしてタイヴァーを狙ってきた剣を跳ね返し、そのドローガーの肘をとらえた。「立ちなさい、未熟者!」

 ドローガーの群れは遅く、だが終わりはなく、四方八方からやって来た。そして三人は理解し始めた、敵のまっただ中にいると。ケイヤは凍った白い頭蓋骨を手斧で砕くと、それを引き抜きつつ槍の突きを躱した。彼女は後ずさり、つまずきかけた――即座にアーニが彼女の前に立ち、大剣を豪快に振るってドローガーの四肢を叩き切った。幽体化から戻って、すぐにこれほど素早く動けるなんて。ケイヤはまごつきながら思った。

 アーニは剣をドローガーの胸骨に突き刺し、それは宙をかいたがアーニには届かなかった。彼は振り返った。ケイヤが思った通り、笑みを浮かべて。「先に行け。俺はこいつらを相手する。せめてもの礼ってやつだ、あの気味悪い魔法で助けてもらったからな」

 戦士ひとりにドローガーの軍勢全部。不利どころではない。とは言うものの、アーニは賭けをこよなく愛する男のようだった。

 ケイヤはタイヴァーを立ち上がらせると、アーニが開いた突破口を駆けた。遠くにあの橋が見えた――触れられるほど近く、だが自分たちの先にはアンデッドの軍勢がいた。幽体化すれば急いで行けるが、「着地」の際に既に長いこと使っており、今からどれほど幽体化できるかわからなかった。それに、タイヴァーもいる。

 少なくとも、戦場でもこの付近のドローガーはさほど密集していなかった。二人は共に駆け、胸骨を砕く、あるいは凍った肢を切り落とす際に限ってわずかに立ち止まった。ケイヤの背中で、鞘の中の領界の剣がずっと急き立てていた。背後の遠くで人間氏族の旗印が見え、ドローガーの軍勢の刃と激突したのがわかった。だがそれらの規模と統率は略奪隊程度に過ぎず、また時間が過ぎるごとに更なるドローガーが裂け目から湧き出ていた。

 死者で埋まった戦場に、ケイヤが聞いたことのない音が響き渡った。音程と音色が幾つか変化し、まるで巨大な夜鳥の鳴き声のように、ダイアウルフの咆哮のように、野生的かつ不気味な響きをもって平原に運ばれていった。タイヴァーは凍り付いた。

「ドローガーの角笛ではない」 彼は息もつかずに言った。

 その音が再び鳴り響き、ケイヤの視線はそれを追って少し離れた丘の緩やかな起伏をたどった。人影の列が現れはじめた――そのほとんどは年月を経て緑青を帯びた青銅の盾を持っていた。槍を持つ者、剣を持つ者もいた。タイヴァーを見れば、何者かは明白だった。スケムファーのエルフたちが進軍してきたのだ。

スケムファーの王、ヘラルド》 アート:Collin Estrada

「タイヴァー、向こうに構ってる時間はないわ。行かないと」 ケイヤはそう言ったが、タイヴァーは根が生えたように動かなかった。

「ケイヤ殿、ティボルトの悪意の犠牲者は人間だけではない」 タイヴァーは彼女へと向き直って言った。「あの者の嘘のために我が民を戦わせ、死なせるわけにはいかない。あの軍の先頭には兄がいる――私なら、兄を説得できる」

 タイヴァーは虚勢に満ちているが、善い心根の持ち主でもあった。「わかったわ。じゃあ、行きなさい」

「貴女は大丈夫か?」

 ケイヤはにやりとし、自信を見せようとした。「私はアンデッド殺しで名を得てきたのよ。だから大丈夫」

 彼は頷き、そして立ち去った。

 タイヴァーへの返答は嘘ではなかった――だがドローガーがより幽霊に近い類のアンデッドなら、もっと簡単だっただろう。ケイヤは前進し、必要な時には叩き切り、そうでない時は駆けた。そこかしこで鋼と鋼がぶつかり合う音が、遠くでは男と女の悲鳴が上がり、ケイヤの耳に鼓動が高鳴るばかりだった。何もかもが遅く進んでいるように思えた、呼吸ひとつが一時間にも、一年にも思えた。

 地面を揺らす足音にケイヤは我に返り、そしてその場に凍り付いた。橋へと続く道に、空中で見たトルガのトロールの一体が立っていた。腐敗の甘い香りが感じられるほど近く、苔のようなまだら模様の毛皮は白く風化し、もしくはほとんど剥がれ落ちていた。脇腹には大きな傷が開いていた――板のような肋骨が三本、日中の光にはっきりと見えた。そのトロールのどこか深くからは、病的な青い光が発せられていた。その両目は濁り、死んでおり、だがそれでもケイヤを見据えていた。トロールが鋭く息を吐くと、黒化した二本の牙の間から白い霧が音を立てて溢れ出た。

 それが動きだしたまさにその時、ケイヤの左で水飛沫の音がした。見ると、到底ありえないものが宙に浮いていた。一匹のイルカ。奇妙なほど威厳があり、この混乱と殺戮のさなかであっても清純にきらめいていた。それは宙に弧を描いて向かってきていた。灰色の皮膚は濡れて艶やかで――隣の白い急流から跳ねたに違いない。そしてそのきらめく皮膚は滑らかにうねって外套の姿へと変化し、人の脚が現れて着地し、細く日焼けした肩にその外套が落ち着いた。ケイヤとトロールの目の前には、髪を荒々しく乱した中年の女性が立っていた。無言のまま、その人物は両手を掲げた。両目が揺らめく多色の光に輝くのを見て、ケイヤは悟った。この人物もまた、カルドハイムの神々の一柱。

航海の神、コシマ》 アート:Andy Brase

 その女性の背後で、川から水の壁が持ち上がり、白い波を立てながら動物のように暴れた。それはアンデッドのトルガと数体のドローガーを押し流した。波はそのまま平原を流れ下り、更にもう一つの部隊を巻き添えにして運び去っていった。

「あなたは……?」 呆然とケイヤは尋ねた。大気に塩の味を感じた。

 目の前の女性は顔面にかかる髪を払った。その両目の光は消え、自然な色に戻っていた。「少し前に、私の船に乗ったでしょう。どうでした?」

 海の神、コシマ。「ああ。その、短い間だったので」

「あの船は気まぐれなのよね」 考え込むようにコシマは言った。そして外套の下から長く湾曲した剣を取り出した。「さて。アールンドが私を送り込んだのは、見物のためじゃなくて」

 ケイヤは頷いただけだった。いかした女神様。「ハルヴァールの所へ行きたいの」

「案内しなさい」とコシマ。

 彼女たちの前には更なるドローガーが集まっていたが、まるで麦が刈られるように倒されていった。やがて百フィートほども離れていない所、橋の先端にハルヴァールの姿が見えた。彼は盾を叩きつけ、ドローガーを川に落とした。もうすぐだった。

 ケイヤは上空を過ぎる影に気付かず、不意に彼女は闇に包まれた。だが何かがケイヤの革鎧を強く横に引いたその瞬間、一瞬前まで彼女が立っていた地面に醜い鉄の斧が沈んだ。

 ケイヤをその武器から救ったコシマは、続けて彼女を立たせた。二人と橋の間には十フィート、いや十二フィートもの高さで、それが立っていた。腕と胸、顔からは灰色をした肉がもつれて波打ち、醜くも凍える笑みが浮かんでいた。ヴェラゴス。そのデーモンは翼を一度羽ばたかせ、着地した。

「前は、翼なんてなかったのに」 コシマが呟いた。

「その剣、知っているぞ」 ヴェラゴスは息の音を立てた。錆びと血の声。「この手で奪ってきた無数の命に誓って、二度と囚われなどせぬ。あの荒れ果てた――」

 一本目の斧が投げつけられ、一本の角を欠けさせて額に沈み、タールのような血が煮え立って泡を立てた。二本目の斧はケイヤの手で膝に叩きつけられた。ヴェラゴスは苦痛に吠えて掴みかかったが、ケイヤはその掌握から軽やかに逃れ、更にはデーモンが屈んだ隙に額から斧を引き抜いた。「この世界のおとぎ話に出てるそうだけど、あいにく私はここの出身じゃないのよ」 安全な距離をとると、ケイヤはそう言った。

 ヴェラゴスは苛立って吠え、ケイヤへと突進し、巨大な翼の羽ばたきひとつで距離の半分を縮めた。ケイヤは攻撃を二発直撃させていたが、どちらもデーモンの速度を削いではいなかった。

 刈り取るような斧の攻撃をケイヤは屈んで避けたが、打ちつける風を顔に感じた。そしてコシマが入り、大きく優雅な弧で刃を振るい、ヴェラゴスの鉄の鎧をまるで水のように切り裂いた。その傷がデーモンを煩わせたとしても、その様子は見えなかった。

 更なる黒い翼の姿がヴェラゴスの背後へと降下し、彼女たちと橋の間に立った。ケイヤは四肢の深い疲労を努めて無視し、手斧を握り直した。ヴェラゴスの先を心配している余裕はない。これを突破できない限り、その先を考えても意味はない。

 ケイヤとコシマは揃って前進した。海の女神は低く、ケイヤは高く。デーモンが巨大な斧を振り上げると、コシマはその柄を受けて吹き飛ばされ、だがケイヤは肩を叩き切った。ヴェラゴスは倒れもひるみもせず、ケイヤの片脚へと掴みかかった。幽体化が間に合わなければ――身体の一部ですら、今やそれには多大な奮闘を要した――デーモンは彼女を地面に倒し、背骨や色々なものを砕いていただろう。

 ケイヤはふらつきながら離れ、斧の次の攻撃をぎりぎりで避けた。いつまでこうしていられるだろう? ヴェラゴスの背後で、ドローガーの群れの先で、更なる角の巨体が前進していた。まだ遅すぎはしない、彼女自身の内で小さな声が言った。いつだって逃げられる。

 ケイヤは体重を両脚にかけ、深呼吸をした。ええ、それはできる。だからと言って、そうするつもりはない。

 ドローガーを押しやって、ヴェラゴスが率いるデーモンの一体が群れから踏み出た。その背後にはもう二体、そしてその先にはどれほどがいるだろうか。ケイヤは膝を曲げ、跳びかかろうと身構えた――だがそれは聞き覚えのある音に遮られた。それも今回は、ずっと近くから聞こえていた。

戦角笛の一吹き》 アート:Bryan Sola

 それは東から、ドローガーとデーモンの両方に激突した。曙光が彼らの鎧と盾に輝き、一瞬、その古く錆びた青銅を新品に見せていた。エルフ。槍持ちが一列に並んで柄を地面に立て、ケイヤとデーモンたちの間に壁を作った。自分を助けようとしてくれているのだ。

「手を貸そうか?」 背後から声がした。

 タイヴァーだった。彼はケイヤが見るにトナカイのような動物に乗っていた。それは他のエルフたちと同じ、緑がかった真鍮の鎧で飾られていた。隣にはもう一人エルフがいた――タイヴァーよりも長身で痩せており、同じ赤毛、だがその物腰にはタイヴァーには見たことのない厳格さがあった。

「ケイヤ殿、紹介させて頂こう。こちらは森と闇の氏族を統一した、スケムファーのエルフの王ヘラルド。そして、我が兄でもある」 タイヴァーはにやりとした。

「陛下、お目にかかれましたことを非常に光栄に思います」

 王が口を開くよりも早く、金属音と悲鳴が上がった。ヴェラゴスが戦線に突撃し、エルフの槍持ちひとりを足で完全に踏み潰し、もうひとりを巨大な斧で真二つに叩き切った。数本の槍が鎧の隙間に刺さったが、ヴェラゴスは気にしなかった。他のデーモンも戦意を得て今や前進し、刃を交わし、凄まじい力で盾へと叩きつけた。

 タイヴァーはトナカイに拍車をかけると、エルフの戦列がデーモンの猛攻撃を押し留めるすぐ背後に降り立った。タイヴァーが兵士たちの鎧の背中に手を置くと、その金属はまるで成長するように彼らの身体の輪郭をぴったりと覆い、同時に厚さを増した。一体のデーモンが牽制とともに盾の中へ入り、強化された胸鎧を剣で引っ掻いたが、その攻撃は滑って火花を散らしただけだった。いい友達を持った、ケイヤはそう思った。

 更なるエルフがヘラルドの背後から現れ、戦線の隙間を埋めた。ケイヤは一瞬だけ息をついた。

「その」 ケイヤはエルフの王へと声をかけた。「弟さんは――」

「愚か者だ」 ヘラルドは早口でそっけなく言った。「そして自慢屋だ。とはいえ嘘吐きではない。あれは私が過ちを犯すのを止めてくれた。それは感謝している」

「私自身もすごく感謝しています」

「あれは、貴女を橋まで辿り着かせろと言っていた」 ヘラルドは彼女へと手を伸ばした。「連れて行こう」

「タイヴァーさんは?」

 二人は戦いを振り返った。エルフたちがデーモンとドローガーと激突していた。タイヴァーは、両腕を古の真鍮の色にぎらつかせ、怒れるヴェラゴスの周囲を舞っていた。彼は長く削ぐような一撃を跳び越え、金属の拳でデーモンの顎を殴りつけ、砕いてのけた。

「間違いなく、戦いを満喫している。さあ、来るのだ」

 ヘラルドがケイヤを引き上げると、トナカイはただちに駆け出した。ケイヤは落ちないよう、エルフの王の腰をしっかりと掴んだ。

 トナカイは戦いの混沌の中を、どんな訓練された軍馬にも勝る優雅さと神経で駆け抜けた。時にはぐれたドローガーが攻撃しようとぎこちなく近寄ったが、ケイヤが手斧でそれを打ち払った。少し離れて、一体のデーモンが黒い弓の弦を引いた――だがそれが放たれる前にヘラルドが片手を振ると、弓からは弾けるように花と蔓が生え、驚くデーモンの腕を素早く登り、喉へと向かっていった。

 ケイヤが気付いた時には到着していた。ドローガーの屍が扇型に広がり、覆うように袂を塞いでいる以外は至ってありふれた橋であり、辺りの大混乱の中でただひとつ何も変わっていないように見えた。木の板を数歩渡った所に、簡素かつ飾りのない鎧をまとった男性が、鋼で縁取られた木の盾を構えていた。ケイヤと同じような疲れた様子、だが彼はトナカイが音を立てて近づいてくると顔を上げた。「この橋を渡るために来たのではないな。何者だ?」

「ええ。あなたがハルヴァール?」 ケイヤが尋ねた。

「いかにも、私だ。スケムファーの王は知っている。そなたは何者か?」

「ケイヤといいます。あなたが振るうべきものを持ってきました」

 彼女は背中の包みからあの剣を取り出した。ドゥームスカールの奇妙な光の中、それは更に奇妙に揺らめいて見えた。ケイヤがハルヴァールにその剣を放り投げると、それは宙で回転し、まるで最初からそこにあったかのように彼の手の中におさまった。

「コルが鋳造した剣だ――死す直前に」 ハルヴァールはかぶりを振った。「それがエルフによって我が手に戻るとは」

「私とて、簒奪者の神を手助けすることになろうとは決して思わなかった」 ヘラルドが言い返した。「だがこの惨状を収められるのは、どうやらお前だけのようだ」

 ハルヴァールは頷いた。「その通り。この剣があればできるだろう。だが時間が要る」

「それは私たちが」とケイヤ。

「私が領界を今一度切り離すまで、この橋を守護せよ」

「この忌まわしい橋の何が重要なのだ?」とヘラルド。「正しくは、この橋の先に何があるのだ?」

「民がいる」 ハルヴァールは一言だけ答えた。そして神は腰を下ろして脚を組み、膝の上に剣を置いた。

 ケイヤはトナカイの背から滑り降りた。見たところドローガーたちは、ようやくエルフの挟撃に対して反撃を始めたようだった。彼らは数で勝っており、そして世界の大きな裂け目から次々と補給されて差は開くばかりだった。ケイヤは遠くに幾つもの旗印を見た。タスケーリ、ベスキール、領界路探しにカナー、だがここからでは遠すぎた。ハルヴァールは橋の上で、深い瞑想に入っていた。その目は閉じられ、剣はその内のどこかから輝き始めた。

 近くのドローガーたちが列を形成し、ケイヤとヘラルドへ向かってじわじわと進軍を始めた。その上に高くそびえて、更にアンデッドのトロールが何体も向かってくるのが見えた。一体の頭の肉は後方にはがれ、氷に覆われた頭蓋骨が見えていた。それらの頭上には、何体ものデーモンが皮の翼を羽ばたかせて飛んでいた。

「これは愚行だ」 ヘラルドが呟いた。近づく危険を感じ取ったトナカイがそわそわと動き、彼は手綱を握り締めた。

「そうね」 タイヴァーがくれた手斧を、ケイヤはベルトから引き抜いた。「たぶん」 それでも、ここを離れる気はなかった。

 ケイヤは悪魔たちが黒い翼で上昇するのを見つめていた――そのため、それが見えた。空に伸びてうねる模様、まるで大気そのものが薄くすり減ったように。それは裂けはじめ、神々しい光が漏れ出た――またひとつ世界の裂け目が開いた、ドローガーが今も溢れ出るそれのように。だが何かが違っていた。空がきつく張りつめた所に、何かが見えた。広がりつつある裂け目の背後を押すような、まるで手が布を押すような。雷鳴のような音を轟かせ、それは引き裂かれて開いた。

コーマの分体・トークン アート:Simon Dominic

 裂け目から現れたその特徴は、ケイヤにも認識できた――平坦な鼻先、うねる身体、湾曲して毒を帯びた牙――だがその大きさそのものは異質なほどで、ありえないとすら言えた。大陸のように巨大だった。ただの蛇ではなく、神話的な蛇。他の全ての蛇は弱弱しい紛いもの、下等な複製だった。世界樹のあらゆる枝に巻き付いて足りるほど大きく見えた。実際、それができるとケイヤは思った。

「アイニールよ」 隣のヘラルドが呟いた。「コーマ、星界の大蛇」

 重力ですらそれを怖れているようだった――それはまるで何かを探るように宙を動き、上空を滑ると戦場の半分を覆う影を投げかけた。ケイヤは大蛇が巨体のデーモンに宙で噛みつくのを見た、まるで一匹の蚊を相手にするように。アンデッド、エルフ、人間、戦場の全員が息を止めてその通過を待った。戦場のあらゆる混乱が速度を緩め、黙った。

 大蛇はカーフェルへの裂け目へ辿り着き、止まった。一度、二度、その大きく開いた鼻先が激しく音を立てた。恐ろしくも不意の速度で大蛇は世界の裂け目に突入し、同時に尾が振るわれて近くの何十というドローガーが潰された。果てしないほど長い蛇の身体が氷の裂け目に滑り込み、やがて消え去った。

 ケイヤは心から安堵した。そのため、コーマが引き裂いたばかりの裂け目から別のものたちが溢れ出る様を見逃しかけた。それは天使たちのように見えた。白や黒、茶や赤の羽根で覆われた大きな翼、武器を持ち鎧をまとい、多くが突然の、驚くほどの憤怒に吠えていた。一瞬してケイヤは思い出した。天使ではなく、戦乙女。インガが語ってくれていた。死者を審判し、シュタルンハイムにて永遠の戦いと饗宴を楽しむ英雄たちの魂の守護者。彼女たちは空からデーモンへ襲いかかり、宙でもつれ合い、あるいは鋼が激突し、羽根の翼と皮の被膜が交錯した。

シュタルンハイムの解放》 アート:Johannes Voss

 その中に、翼のない人影がひとつだけあった。実際その人物は戦乙女の腕にぶら下がり、ケイヤの近くまで運ばれてきた。地面に到達する直前、十フィートほどの高さでその人物は降ろされた。その周囲の大気が張りつめたように見え、そして鏡のような表面の――何かへと凝固した。手品師の素早さで三本が放たれ、それぞれが巨大なアンデッドのトルガの胸に沈んだ。だがトロールたちはただ倒れるだけではなかった――まるで鎚を叩きつけられたガラスのように、砕けた。

「いい技ね」とケイヤ。「あなたは?」

 その新参者はケイヤへと勢いよく振り返った。その手には鏡のような破片がもうひとつあった。それが何をするかを見ていたケイヤは反射的に両手を挙げた。

「どなたですか?」 その新参者が尋ねた。背後でドローガーが、欠けて古ぼけた大剣を持ち上げる様には気付かずに。「後ろ!」 ケイヤは手斧を持ちかえ、投げた。

 新参者は首をかしげて迫りくる武器を避けた――ありがたいことに、正しい方向に。手斧はドローガーの骨ばった顔面に激突し、地面に倒した。一瞬の後、二人は息をついた。

「私はケイヤ。あなたの名前は?」

「ニコ。ニコ・アリスです」

 カルドハイムらしくない名前。「わかったわ。詳しい自己紹介はもっと後で」

破片・トークン アート:Aaron Miller

 ケイヤはドローガーとデーモンの群れに向き直った。屍の兵を舞い上げながら、何かが押し寄せるように群れの中を突進してきた。他でもないヴェラゴスが、今やデーモンの族長というよりは野生の獣のように、ドローガーの兵士を好き勝手に踏み潰しながら近づきつつあった。まとっている鉄の鎧は今や歪み、削られ、壊れていた。道中のどこかで斧も失っていた。今や十もの傷から血を流しながら、それでも立ち続けていた。その背中には赤毛を血で濡らしたタイヴァーが、定まらない視線で、それでもしがみついていた。

 ヘラルドが息を鳴らして一言を呟き、すると地面から何匹もの蛇が飛び出した。その鱗にはタイヴァーの魔法と同じルーンの模様が編み込まれていた。それらはヴェラゴスの両脚に巻き付き、拘束した――だがやがてデーモンは素手でそれらを引きちぎった。ニコは鏡の破片をひとつ投げたが、ヴェラゴスはまだ腕についていた鉄の板で受け止め、破片は無害に跳ね返った。

 ヴェラゴスが向かってくると、タイヴァーがデーモンの翼に真鍮の刃を突き刺すのが見えた。デーモンは苦痛と憤怒に咆哮を上げ、タイヴァーを掴もうと手を伸ばした――そのために一瞬、全員から目を離した。それこそ、ケイヤが求めていた隙だった。

 確かに彼女は今、英雄的な行動をしようとしていた。だがケイヤはとても長い年月を暗殺者として過ごしていた。

 その動きは滑らかで簡素、楽とすら言ってよかった。幽体化も魔力も必要としなかった。ケイヤは滑り込み、ヴェラゴスの自由な腕を通過し、その喉を斧で綺麗に薙いだ。デーモンは前によろめき、両手は首筋から突然噴き出たタールのような血にまみれた。そしてもう一歩踏み出し、鉤爪を伸ばし――倒れた。

 ケイヤは息を吐く余裕すらなかった。背後で不意に、洪水のような轟音が響いた。頭上の空には、神々がまとうものと同じ緑や紫の色彩が波紋となってうねった。彼女が見つめる中、それは今もドローガーが湧き出す戦場の大きな裂け目を一掃していった。ゆっくりと、傷が癒えるようにその裂け目は縮小し、閉じていった。

 ドローガーが意志のないアンデッドなのかどうかをケイヤは知らなかったが、少なくとも飲み込みが遅いというのはわかった。それらは増援が断ち切られたことに気付かなかった。戦場のそこかしこで、戦乙女と対峙していないデーモンたちが飛び立つのが見えた。恐慌が血の飢えを圧倒したのだ。ケイヤが振り返ると、ハルヴァールは立ち上がっており、領界の剣の先端を宙へと突き出していた。眩しく鮮やかに揺らめく光がそこから溢れ出ていた。ケイヤはその背後、何かの動きに気付いた。橋の先の村、その窓の一つ。そこに、子供が夢心地で目を見開き、口を唖然とさせ、戦いの神が世界の穴を塞ぐ様をじっと見つめていた。ええ、これは素晴らしい英雄譚になるでしょうね。

戦闘の神、ハルヴァール》 アート:Lie Setiawan

「最終的に」 無数の靴で踏み荒らされてぬかるみ、今や静まった戦場を横切りながら、タイヴァーが言った。「私個人で百体に迫るドローガーと、三体のデーモンを倒した。だが私が思うに、彼らは貴女の物語をこれからずっと語るのだろうな。ヴェラゴスを――血空の君主を殺した女性。ああ、今にも聞こえてくるようだ!」

「そうね、細かい所をきちんと説明してあげて」とケイヤ。体中が痛み、疲労し、だがまだ笑みを浮かべることはできた。

「実のところ」 タイヴァーはそこで立ち止まった。「私自身、説明には行かないだろうな」

 ケイヤは眉を上げた。「どこかへ向かうの?」

「見るべきものを見に向かおうと思っている。貴女の言う多元宇宙へと」

「あら、プレインズウォークには興味ないんじゃなかった?」

 タイヴァーは肩をすくめた。「私の判断は軽率だったよ。そして貴女がその価値を教えてくれた。貴女がいなければ、この世界に何が起こっていたかなどわからなかった。思うに、今以上に大規模な混乱と破壊が起こっていただろう。どこかの次元が、人々が、私の力を必要としているかもしれないのだ。カルドハイムが貴女を必要としたように」

「皆の記憶に残る件については? カルドハイムの栄光はいいの?」

「いや、それについてはもはや心配していない。貴女のここでの行いを、人々が忘れることは決してないだろうからな」 その言葉に彼女はまたも呆気にとられた――タイヴァーの、呆れるほどの真剣さだった。この若者は純真で、何の秘密もない。けれど一度ならず、私の命を救ってくれた。彼なら大丈夫だろう、そうケイヤは思った。

「そうね。じゃあ、いつかどこかで会えるかもね」

「きっと」 タイヴァーは確信しているように頷いた。「そして次に会う時は、英雄譚として語られるのは私の行いの方だからな」

 二人は交差路らしき所にやって来た――あるいは交差路だった所か。今やそこには戦いの残骸が散らばっていた。剣に槍、斧に兜、死体がそこかしこにあった。ドローガー、だが人間とエルフも。一瞬の沈黙が大気を支配した。

 その交差路にはルーン目のインガと、ブレタガルド各氏族の長たちが待っていた――アーニ、シグリッド、フィン。カナーの長の隣にはあの痩せた新参者、空から落ちてきたニコという人物もいた。

 ヘラルドも近くに、真鍮の鎧の儀仗兵に挟まれて立っていた。彼とフィンは侮蔑を隠すことなく睨み合っていたが、少なくとも武器は抜かれていなかった。ドゥームスカールが過ぎ、神々の姿は消えていた。次の仕事へ、次の義務へ――被害を受けたカルドハイムの片隅はここだけとはとても言えない、ケイヤはそう推測した。

「ケイヤ殿、タイヴァー殿」 歓迎するようにインガが言った。「無事のようですね」

「なんとかね」

「それは何よりです」

「我々はドローガーの戦線を崩し、軍勢の本体を追い払いました」とシグリッド。「はぐれたものを斥候が追っていますが、とても全ては対処しきれないでしょう。ドローガーが温かい季節に融けない限り、何年もやり合わなければいけません。ですがドローガーが起こす問題など、逃亡したデーモンに比較すれば何でもありません」

神に愛された者、シグリッド》 アート:Johannes Voss

「ブレタガルド全土がそうだと思われます。あるいは領界の全てで」とインガ。「裂け目は長いこと開いていました。何が滑り出たかは、誰にもわかりません」

「俺としては、見つけ出すのが楽しみだがな」 アーニはにやりと笑った。

「貴女の言う通り、あらゆる領界がここでの出来事によって変化を被った。エルフはスケムファーへ帰還し、我らの問題を対処する」 ヘラルドがそう告げた。「単純ではないだろう、ドゥームスカールは終わったとはいえ。だが我らの祖が残してくれた呪文をもってすれば、容易なことだ」

「それまでは喧嘩せずにやるべきなのだろうな」 フィンは歯を食いしばった。

「ケイヤ殿はどうされるのですか?」 インガが尋ねた。「怪物を捕らえるという依頼を受けていたのではありませんか?」

「ええ」とケイヤ。領界路探しとの旅はまるで百年も前のことのように思えたが、あの洞窟での遭遇を忘れてはいなかった。「けど、あれが結局どこへ行ってしまったのかの手がかりはないのよ。それに、あれは領界の間じゃなくてもっと遠くへ旅ができるような気がするの」

「領界の先には何があるのですか?」 ニコがそう尋ねた。

「次元が幾つもね。ちょっと複雑な話になるけど」 ケイヤは追い払うように手を振った。疲れきって、全ての説明を繰り返す気分ではなかった。

 だがその目に奇妙な熱意を宿し、ニコは踏み出した。「次元。その一つはテーロスという名ではありませんか?」

 ケイヤは驚いてニコを見た。ここでその名を聞くとはとても意外だった――とはいえ、今日起こったことで意外でない物事があるだろうか? もう一人いたなんて。ケイヤは溜息をついた。「話をした方が良さそうね」

エピローグ

 エシカは死に瀕していた。このようなことは起こりようがなかった――自分は神の一柱なのだ。実際、神々が死すべき定めから解き放たれたのはエシカの手によってだった。加齢から、最期という暗闇の足音から。死を押し留める神聖な薬を、世界樹の樹液から醸したのはエシカだった。それでも生命が自身から失われていくのが感じられた。腕から、身体から、顔から流れ出ていった。脚を動かせなかった――地面に倒れていただろう、これを行った怪物が、生々しい肉色の鉤爪で持ち上げていなければ。怪物は彼女を傾け、暗く無の眼窩でじっと見つめた。これは、この怪物は、彼女の聖域の中で、樹液を収穫して星界の霊薬を醸す場所で、彼女を見つけたのだった。誰も――何も――ここで彼女を見つけたことはなかった。

樹の神、エシカ》 アート:Collin Estrada

 その生物の喉から声が上がり、そして――音と語調が奇妙に融合し、他の声から奪われた言葉のように、新しい何かへと合成された。「お前の内には飢えが足りない。生きようという怖れが足りない。だが、すぐだ」

 そして怪物は彼女を落とし、木の中心部へと続く縦穴へゆっくりと戻っていった。

 エシカは両腕を上げようとした――彼女は決してハルヴァールやトラルフのような戦士ではない。それでも世界樹を守るためなら、自らの全てをかけて戦うつもりだった。だが腕は彼女の意志に従わなかった。叫ぼうと、助けを求めようとした。だが口から出たのは泡立つ、湿った呻き声だけだった。

 怪物が縦穴へと近づく様子を、彼女は無力に見つめていた。どんな毒を使ったのだろう? この最も神聖な場所に、一体どのような堕落を植え付けたのだろう?

タイライトの聖域》 アート:Volkan Baga

 驚いたことに、それは彼女の瓶のひとつを取り出した。戦いの間に奪ったものに違いなかった。怪物は瓶を井戸へと傾け、光へと掲げた。その中では、世界樹の樹液が領界のあらゆる光に揺れていた。この世界で最も美しいもの――あらゆる世界でも最も美しい、エシカはそう思っていた。怪物がその美しさを感じたとしても、何の徴候も見せなかった。

「試料は採取した」 縫い合わされた声で、怪物は言った。「戻る準備はいい」

 誰に向けて言っているのかも、エシカにはわからなかった。

 部屋の光が消えたようだった、あるいはただ視覚が失われつつあるのか。不意に、部屋の中央に眩しい閃光が現れた――息のような音を立て、火花を散らす赤い輝きが一つの星のように始まり、広がり、ゆっくりと、円になっていった。その円は広がった。領界路ではないことはわかった。かつて見たこともない魔法だった。

 そのポータルの先から、極めて不気味かつ奇妙な音が届いた。かろうじて、それは何かの声だとわかった。「よくやった、ヴォリンクレックス。これで我らはまた一歩、完成に近づいた」

巨怪な略奪者、ヴォリンクレックス》 アート:Richard Luong

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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