MAGIC STORY

カルドハイム

EPISODE 07

メインストーリー第4話:デーモンの領界へ

Roy Graham 協力:Jenna Helland
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2021年1月27日

 

 寒さを心配せずに済むのは、カルドハイムに来てこれが二度目だった。タイヴァーが開いた領界路の先で、熱く有毒な大気が爆風となってケイヤを出迎えた。最初に見たのは空だった。黒雲がうねり、太陽は気配もなかった。時に空を裂く赤い稲妻と、その下の何処かから立ち上る橙色の輝きだけが風景を照らしていた。

 ケイヤはタイヴァーと共に、黒く尖った岩の尾根に立っていた。その先では黒っぽい沼地に、くすぶる橙色の裂け目が蜘蛛の巣状に広がっていた。果てしない溶岩原であり、その表面には所々に黒い軽石の大きな塊が浮いていた。時折、いくばくかの溶岩が間欠泉のように噴き出し、輝く塊を宙へと吐き出した。これほど生き物に厳しい場所は他にないだろう――それでもタイヴァーは、この黙示録的な光景に深く感銘を受けたように眺めていた。

「辿り着けた」とタイヴァー。「実は、できるかどうか不安だったのだ」

「それはどういう意味?」

「神々が遠い昔にこの地を封じたのだ。ヴェラゴスという悪魔が最初に逃走した後、強力な防護のルーンを用いてな。私もここへの領界路を開いたことはなかった――これまでにも開いたエルフはいない。ティボルトが何らかの手段でその防護を傷つけたに違いない」

 あの剣だ。ケイヤがこれまでに見たどのような魔法とも異なっていた――アールンドが開いたポータルとも違う。「あいつから例の剣を取り上げないと。ティボルトがこの場所への扉を切り開けるなら、一体何をしでかすのか、わかったものじゃない」

 タイヴァーはケイヤの背後を指さした。彼女は無意識にダガーに手を伸ばして振り返った――そして一瞬後に、もうそれはないのだと思い出した。何にせよ、タイヴァーが示していたのは危険ではなかった。

 マグマの湖、部分的に冷えた表面が網状にひび割れ、奇妙にまっすぐな数本の線が描かれていた。一瞬して目が薄闇に慣れると、玄武岩に刻まれたそれが見えた。自分たちの到着を待ちわびる、橙色の融けた一本の矢。

「ティボルトの悪評は沢山あるけれど、繊細さはその中にはないわね」 ケイヤは呟いた。

 やすやすと、慣れたような動きでタイヴァーは尾根の岩を跳び越えた。彼は岩の尖塔を蹴り、ガラス礫の斜面を滑りながら下っていった。やがてマグマの平原のすぐ手前で止まり、そこから彼はケイヤを見上げた。「来るかい?」

イマースタームの髑髏塚》 アート:Cliff Childs

 この湖を渡るのは、冷えた石でできた睡蓮の葉の上を跳んで進むようなものだ。足を踏み外して溶岩湖に飛び込む気はなかった。どうやら、タイヴァーも同様らしかった。ひとたびケイヤが溶岩湖まで降りてくると、彼は指先を黒い岸に押し付けて目を閉じた。

「少し待ってくれないか。やってみたいことがある」

 マグマを横切るように、玄武岩の岸がゆっくりと前へ伸びはじめた。ただ広がるのではなく、持ち上がるのでもなく――成長したようだった。岩がうねって絡み合い、自ら編み上がって一本の橋となった。タイヴァーが目を開くと、彼もケイヤと同様に驚いたようだった。

 ケイヤは恐る恐る足を乗せた。それは微妙にうねっており、所々は自然の仕業とは思わないような格子状になっていた。奇妙な美しさがある、気づくと彼女はそう思っていた。

 最初、タイヴァーはあのトロールたちを石に変えた。そして今はこれだ。この若者は変成術師なのだ。けれど、それが全てではない。どういうわけか、タイヴァーは自覚もなくプレインズウォーカーに覚醒していたのだ――ゼンディカーまで行ってのけた、ただそれがカルドハイムの領界のひとつだと考えて。

 ノットヴォルドにて領界路を開いた際、タイヴァーははっきりと言っていた。ケイヤが一緒に来ても来なくても自分は向かうと。もし彼がよくあるような、栄誉の死を望む石頭の英雄に過ぎなかったなら、ケイヤは行かせていただろう――事実、カルドハイムにはそういった人物がいくらでもおり、自分にはやるべきことがあった。だがタイヴァーはプレインズウォーカーであり、しかもその真の意味を把握していない。彼が更なる多元宇宙を目にする前にティボルトに殺されてしまうのは、勿体ないように思えた。歩きながら、ケイヤは幾らかでも伝えようとした。

「では、次元というのは領界に似ているのか? そしてそれらを繋げている――更に巨大な世界樹があるというのか?」

「そうね、文字通りの枝はないけれど。その間に棲む巨大な動物もいないわね」 少なくとも彼女が知る限りは。「もっと重要なのは、次元は領界と同じように繋がってはいないということ。ポータルは自然に現れはしないし、次元の間を渡る呪文も存在しない。次元から次元を渡る手段はただひとつ、私たちのような存在になるしかない」

「プレインズウォーカーか」 タイヴァーは黒い軽石の塊を溶岩へと蹴り入れた。「魅力的な提案だ。だが私は遠慮させてもらおう。このカルドハイムで手にすべき栄光があり、ひとつの生涯では探索しきれない数の領界が存在する。それを置いても、私が世界樹から完全に離れてしまったなら、人々はどうやって私の物語を知れば良いのだ? 毎回、新たに始めねばならないだろう」

 そう、これは扱いにくい問題だった。新たな次元には新たな友、新たな敵、新たな規則が存在する。自分たちは常に異邦人で、新参者なのだ。他人の争いに、戦争に、何度となく遭遇する。当初は、わくわくした。そしてしばらくすると、疲れるものとなった。だが、好むと好まざるとにかかわらず、それは選択ではなかった。

 ケイヤはタイヴァーの肩を掴み、振り向かせた。「遠慮なんてできないわよ。そういうのじゃないの。あなたはプレインズウォーカーなのよ、好むと好まざるとにかかわらずね。そして次にあなたが、知らない魔法や怪物や人々で一杯の何処かに行き着いたなら」 急いでケイヤは言葉を探した。「ある種の規範のようなものが必要となってくる」 ケイヤ自身の規範は単純だった。危害を与えない……向こうから来ない限り、あるいはそのために金をもらっていない限り。確かに一度か二度、首を突っ込むべきではなかった物事に関わってしまったことがある。あるいは寛大な気分の時に、厄介な幽霊を無償で退治したこともある。だが規範というのは重要だった—-それは次元から次元へと持ち運ぶ、そして頼りにする唯一のものだった。タイヴァーがいつかカルドハイムを離れる時、彼は何を頼りにできるのだろうか? その時に栄光や英雄的な伝説が何になるというのだろうか?

 タイヴァーは腕を引いて離れた。整った、それでいてまだどこか少年のような表情に、不快感が白日のようにありありと浮かんでいた。「私にも規範はある――スケムファーの戦士たちに、無数の世代を超えて伝えられてきたものだ。そのような余所者の教えなど私には必要ない」

「あなたのためなのに!」 ケイヤにプレインズウォーカーとしての規範を教えてくれた者はいなかった。そしてその結果は。傭兵。盗人。殺し屋。ティボルトに非難されるいわれはないが、あの男は正しかった。

「私は子供ではないし、貴女の助力は必要としていない。見せた通り、十分に自分自身でやっていける」 そう言うと、タイヴァーは黒い岩を駆け下っていった。

 石頭の馬鹿。どうして自分はまだここにいるのだろう? 金をもらった仕事がまだカルドハイムにあるというのに。追跡すべき怪物がいるというのに。

 背を向けるかどうか決めあぐねていたその時、タイヴァーの足元すれすれに、一本の銛が黒い道を割って突き刺さった。残酷な武器だった。粗い鉄に棘が巡らされ、岩にそのまま沈むほどの重量があった。一瞬、タイヴァーは驚いて動けなかった――そして二本目が音を立てて向かってくる様に気づかなかった。

 ケイヤはぎりぎりで追いつき、タイヴァーの上半身を幽体化した。鉄の銛は轟音とともに彼の身体を通過した。タイヴァーは後ずさり、道に片手をつくと両腕を炭のような黒色へと変えた。

「右よ!」ケイヤが叫んだ。

 冷えたマグマの塊を切り裂いて向かってくるのは、おそらくは、船だった。領界路探しが操っていた長艇をケイヤは思い出したが、あれらは細長い形状で、狭い水路に滑り込む、あるいは人里離れた洞窟を探検するためのものだった。この船の目的はただひとつだった。船体には棘が並び、物々しい見た目で幅は狭く、船首には欠けて凹んだ鉄の刃が楔として取り付けられていた。帆のあるべき所には炎の膜がうねり、この世ならざる何かの流れを受けて近づいてきていた。

「デーモンだ。気をつけたまえ」

デーモン・狂戦士・トークン アート:Grzegorz Rutkowski

 船が近づくにつれ、それに乗り込む三つの影をケイヤは確認した。一体はもともと額から伸びる二本の湾曲した角を持ちながら更に角つきの鉄兜をかぶり、黒い面頬がその両目を隠していた。別の一体は片手が巨大な鎚矛で、そのおびただしい数の突起は血に濡れていた。そして船首近くの台の上に、最大のデーモンがいた――筋骨隆々とした巨漢で、右脇腹を黒い鉄板で覆っていた。大きな翼の膜は過去の小競り合いで千切れ、裂けていた。そのデーモンは左手で三本目の銛を掲げ、身体をのけぞらせて投げようとした。

 タイヴァーはそれを待っていた。軽快にタイミングを取り、彼は黒化した腕を銛の軌跡に向けて振り、マグマへと叩き落した。「距離を縮めなければ」

 ケイヤは顔をしかめた。「それは気にしなくていいみたいよ」

 船は速度を更に上げ、燃え立つ帆は炉のように熱い突風をかき立てていた。デーモンのうち小型の二体が翼を広げ、必死の羽ばたきでのろのろと宙へ待った。船と空の両方から攻撃しようというのだ。

「来るわよ!」ケイヤが叫んだ。

 彼女とタイヴァーは散開するように避けた。船首の尖った刃が道に叩きつけられ、玄武岩と燃えがらが宙に散った。

 ケイヤは転がり、その時、鎚矛の一体が空から襲いかかってきた。デーモンはその勢いのままに武器を振り下ろし、一瞬前までケイヤが立っていた場所を叩きつけ、火山岩を窪ませた。

 デーモンが再び振り上げるよりも早く、ケイヤは鎚矛の腕を踏みつけて幽体化させ、岩の中へと閉じ込めた。デーモンは吠えて掴みかかったが、ケイヤは煙のようにその掌握を逃れ、岩に埋まったままの銛の所まで下がった。

 それを引き抜くのは難しくなかった――幽体化して元に戻せばいい。だがその重量に彼女はマグマの海へと足を踏み入れかけた。ケイヤが重い鉄の柄を両手で持ち上げようと苦戦する一方、デーモンは怒れるように翼を打ちつけ、火山岩から腕を引き抜こうとした。少しの集中でケイヤはその銛を完全に幽体化させ、投げた。

 それが手を離れた瞬間、不意に銛は重さのない非実体から重量と攻撃力を完全に取り戻し――そして遥かに高速で飛んでいった。それはデーモンがまとう金属の胸鎧に直撃し、そのまま貫通した。腕の鎚矛を地面に融合させたまま、デーモンはしばしその場で悶え、そして倒れた。

 ケイヤは一瞬だけ息をつき、次へと向かった。デーモンの背中を包む鎧に足をかけ、彼女は長艇の甲板へと跳んだ。その先で、タイヴァーが挟撃されていた。角兜の悪魔は物騒に尖った歯が並ぶ刃物を両手に持ち、猛烈な勢いで彼を叩き切ろうとしていた。身体の半分を金属で覆った巨体の悪魔は棘つきの戦鎚を休むことなく振るい、その軌跡の中にタイヴァーを閉じ込めていた。一撃で首が落ちるところを、タイヴァーはどうにか全ての攻撃のすぐ先を行っていた。彼の両腕はもはや粗い玄武岩ではなく、炉の中で熱したように融けて輝く橙色だった。タイヴァーが刃物の攻撃を避けるたびに、火花が宙に散って閃いた。

 タイヴァーは素早く、力強く、技巧に長けている、そこに疑いの余地はない。だがそれを永遠に続けることはできない。

 ケイヤは片手で顔を覆いながら炎の帆をくぐり、駆け出して跳び、あまり優雅とは言えない格好で大型のデーモンの背後に着地した。デーモンの背丈は彼女の倍、体重は倍以上あるだろうか。着地の衝撃でわずかによろめきながらも、ケイヤはその首にしがみついた。

 思考ひとつで彼女は片手に不気味な光をまとい、指を槍のようにまっすぐに伸ばした。素早く、心臓を一突きにする。すぐに幽体化して、引き抜く。快適ではないかもしれないが、仕事は果たせるだろう。

 デーモンはケイヤに気付いて首周りを探り、だが彼女は脊髄のすぐ左を手で突くと、一瞬だけ幽体化を切り――

 そして痛みに意識が飛びかけた。デーモンの内は燃えており、まるで炉に手を突っ込んだようだった。彼女はデーモンの首を掴んでいられず、粗く黒い地面に転がり落ちた。

 デーモンは身を震わせ、膝をついた――そしてあの巨大な戦鎚の柄を支えにして立ち上がった。小さな赤い両目に憤怒をくすぶらせ、デーモンはケイヤへと振り返った。その口から、泡立って蒸気を立てる濃い胆汁が溢れ出た。傷は与えた、けれど十分でない。

 手を実体に戻したのはほんの一瞬だったが、白熱したような強烈な痛みはまだ続いていた。けれど苦痛は、多くの物事と同じく、ただの道具なのだ。使い方を知っている道具。それに集中し、使う。ケイヤの内のどこか奥深くから、凍り付く寒気が沸き上がるのを感じた。

 デーモンが戦鎚を持ち上げた。分厚い筋肉が躍動し、口からは今も沸き立つ血が溢れ出ていた。その瞬間、ケイヤはデーモンの足元の岩を無の大気へと変えた。

 デーモンは反射的に翼を広げ、体勢を保とうと、その場に留まろうとした。被膜にあいた穴や傷がなければ。あるいは頭上に持ち上げた巨大な戦鎚がなければ上手くいったかもしれない。両脚が溶岩に沈みはじめ、デーモンは吠えた――そして前のめりに落ち、戦鎚を落とし、ケイヤが立っている粗く黒い岩を掴もうとした。鋭い蹴りをひとつ入れ、ケイヤは融けた岩の中にデーモンを押し戻すと、その身体を覆うように再び道を実体化させた。

 道の先では、タイヴァーと残るデーモンとの戦いが白熱していた。敵が一体となり、エルフは攻勢に出ていた。腕輪から伸びる真鍮のナイフは今や長く、彼の両腕を覆うものと同じ火山の熱で橙色に輝いていた。宙に熱のうねりを残す鋭い動きで、彼はデーモンが持つ刃物の一本をかいくぐって突いた。続く斬撃は首を通過した。焼け焦げる音が聞こえ、髪が燃えるよりも嫌な臭いが漂い、そして首から下はそのままにデーモンの兜の頭が玄武岩に跳ね、溶岩へと沈んだ。戦いは終わった。

 呪文を用いて最悪の傷は治ったものの、ケイヤの片手は今もひどく脈打っていた。彼女は治癒魔法には決して長けてはいなかった。再び問題なく動かせるようになるまでは数日かかるかもしれない。

「素晴らしかった!」とタイヴァー。

「いえいえ。あなただって――」

「あのデーモンの族長は貴女の倍もあったではないか! 私が知る英雄譚の中でも、一体のデーモンを倒してのけた人間がどれほど稀か。思うに貴女は他者に多くを語らないだろうが、二体を倒したのだ! それも武器もなしに! これはスカルドが耳にすべき戦いだ。全てが終わったなら、私自ら語り伝えるとしよう!」

「ん、ありがとう」 ケイヤは力を抜いた。まあ、そうすればこの若者も栄光を共有できるのだ。「けどまた同じことをやるなら、武器があった方がいいわ」

 タイヴァーは何かを思いついたようだった。「もちろんだ。少しいいだろうか」

 タイヴァーはあの戦鎚へと向かった。デーモンの族長がマグマに落ちる前に落とした巨大な武器。ケイヤは反対しようとした――私にはちょっと重すぎるし、戦法にもそぐわない――そしてタイヴァーは鎚頭の黒い鉄に指を押し入れた、まるでそれが泥であるかのように。彼はその中から拳大の金属を二つ取り出した。ひとつを道に落とすと、それは岩に鈍い音を立てた。

 もうひとつの塊を彼は掲げ、見つめた。「純度は低い。だがこれで何とかできるだろう」

 タイヴァーは両手でそれを包むように握り、腕と肩の筋肉が張りつめた。掌が開かれると、果物のようなくぼみのある小さな卵型があった。彼は膝をつくと、かなりの力を込めてそれを玄武岩の中に埋め込んだ。その後もうひとつの塊にも同じことを繰り返し、炭色の土をその上に盛った。ケイヤは当惑して見つめていた。「何をしているの?」

「あらゆるものに成長の余地がある」 タイヴァーは背筋を伸ばした。「樹木、人々――それらはわかりやすい。だが土や石も同じなのだ、十分な時間と辛抱強さがあれば。それが無いならば、少しの魔法があればよい。前に言ったが、私の能力はそれぞれの領界で、異なった姿で表れる。このような命なき地では、何もかもが必死に成長したがっていると私は判断した。金属さえも。そして私の考えは正しかった」 彼はにやりとした。

 このような変成術について聞いたことはなかった。「ノットヴォルドのあれは? トロールに一体何をしたの?」

 タイヴァーは煩わしそうに手を振った。「簡単なことだ。トルガのトロールは大地の生物だ――あれらは一度に何年も、ただの岩として苔を生やして過ごす。元々、石と大差ない存在なのだ。私はその姿をもう少しだけそれに近づけてやったに過ぎない」

 そして、ケイヤの目の前で、何かが地面から飛び出た。芽のよう――それまでの卵型と同じ黒い鉄の色、だが湾曲し、広がった。そしてもう一つが別の土山から。ケイヤが見つめる中、それらは蔓が成長するように伸びて太くなり、編み上がっていった。そして頂上部が折りたたまれ、Dの形の曲線を描き、ケイヤは自分が見ているものを把握した――手斧。それも二本。まるで麦の茎のように、地面から成長して。

 タイヴァーは手を伸ばしてそれを岩から引き抜いた。ひねると、それは根元から折れた。そして柄を向けてケイヤにそれを渡した。「素早く軽い。貴女が好むはずだ。どうだろうか?」

 恐る恐る、ケイヤはひとつを受け取った。全体がひとつの素材で作られていた――錆びも血も欠けもない、ただ冷たく灰色をした金属。斧頭は柄よりも明るい色で、あの精巧な結び目模様が広がっていた。柄は握りやすさのためか、少し表面が粗かった。ケイヤがそれを宙へ放り上げると、斧頭のすぐ下を軸にして回転し、そして彼女は受け止めた。いいバランスだ、地面から生え出たにしては。

「ありがとう」 ケイヤはそう言って、その斧ともう一本をベルトに押し込んだ。

 タイヴァーは彼女の肩を叩き、にやりとした。「貴女なら活用してくれるだろう。さて、追いつかねばならない悪者がいる。このまま進むかい?」

「実はね」 ケイヤは肩越しに振り返った。デーモンの長艇が黒い岩の道に突き刺さっていた。「いいこと思いついたのよ」

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 船が進むにつれ、コシマの長艇の方が良かったと思わずにいられなかった。行くべき所へ乗客を連れていくという不気味な能力だけでなく、舷縁に身体が刺さりそうになったり方角を調節するたびに髪を燃やしたりすることもない。幸運にもタイヴァーは自分よりも少しだけ船の操作に長けており、デーモンの船が速度を上げると、それは冷えたマグマの表面を叩きつけながらさほど激しい振動もなく進んだ。

 彼女が船首で見張り、エルフが帆を操作した。「あそこに」 ケイヤはそう言って指をさした。灰色の平原の上にそびえるのは巨大な、黒い山だった。山頂はその上にうねる雲に届くほどで、ぎざぎざの火口が開いていた。その頂点に、ケイヤは奇妙な光を見た。それは周囲の大気を熱の陽炎のように歪め、時に不気味な青や緑の光の帯を空へと流していた。前にあの光を見たのはどこだったか? アールンドだ。カルドハイムにおいて、あれは神々の光を意味する。だがそれと同じ光が、ティボルトが切り裂いたポータルの縁にもあった。

 タイヴァーは舵を動かし、船をその山へと向けた。「血の岩山だ! 自分の目で見ることになろうとは」

「なるほど、完璧な名前ね。血の岩山って」 引き返すなら今、一瞬ケイヤはそう考えた。何といっても、誰もティボルトの首に賞金をかけてはいないのだ。

 けれどあの角の生えた悪漢には沢山の敵がいる、買ってくれる者も見つかるかもしれない。例えばチャンドラとか。

 二人は鉱滓だらけの岸で船を降りた。山を登るのは、少なくとも、難しい部分ではなかった。岩には古い階段が刻まれていた。それらは年月に摩耗し、ケイヤやタイヴァーが快適に登るにはやや大きすぎた――何千年も昔に、イマースタームの血に飢えた住人によって彫られたのであり、エルフや人間向けではない――けれど進むことはできた。

 登る途中で、何かがケイヤの目にとまった。眼下、マグマの湖で何かが動いた。ケイヤは立ち止まり、巨大でかすかに温かい階段のひとつを戻った。湖を横切って時々噴き出す溶岩の間で、幾つもの鉄の船が黒い表面を切り裂いていた。それぞれが帆の形をした炎のカーテンを船の上にひらめかせていた。ケイヤの場所からは、その上に乗る者たちまでは判別できなかった。離れすぎており、厳めしいそれらの船ですら玩具店に並ぶもののように思えた。――だが上昇気流に乗って、絶えず打ち鳴らされる太鼓の音がわずかに聞こえた。

「アイニール」 タイヴァーが呟いた。「何十という数だ」

「何百ね」とケイヤ。「私たちが遭遇したのは、あれの先陣だったんでしょうね。斥候か」

「そして、あれは軍隊だ」

 だが何故? この全てを――デーモンの軍勢、長艇の船団を――止める? 自分はしぶとく、タイヴァーも半人前ではない――プレインズウォーカーとしてはなりたてだが、それでもこれはやりすぎに思えた。

 あるいは――

 あるいは、デーモンは自分たちを追っているのではない。

「あの剣」とケイヤ。「あれがポータルを幾つも開いてるのよ! 領界の間の空間に穴をあけて!」

 タイヴァーはわからないというように彼女を見つめた。ケイヤは彼の両肩を掴んで揺さぶった。「いい、あいつはドゥームスカールを起こそうとしているの!」

「惜しい」 頭上から別の声がした。「もう起こしてんだよ」

 前方の角から焼け付く炎の稲妻が放たれ、ケイヤは飛びのいた。炎の舌が頬をかすめた。

 にやつきながら、頭上の尾根からティボルトが見下ろしていた。片手には赤く尖った炎をまとい、もう片手には、色彩が揺らめくガラスの剣があった。

領界の剣》 アート:Lie Setiawan

「あの剣を取り上げないと」とケイヤ。次の火球が宙を飛び、タイヴァーが一瞬前に立っていた場所の岩を融かした。

 彼女とタイヴァーは再び散開して駆けた。曲がりくねった階段の間では山腹から黒い岩の楔が飛び出し、この領界の住人と同じく獰猛な地殻変動を見せつけていた。タイヴァーはそれらを隠蔽に用いながら、身を低くし、逞しく強靭な跳躍で斜面を登っていった。

 ケイヤの方はもっと単純だった。岩や投げつけられる炎を通過しながら、彼女はまっすぐにティボルトを目指した。タイヴァーと同じほど敏捷に、かつ素早く彼の前を進んだ。

 十五フィート、そして十フィート。ケイヤはベルトから手斧を取り出して投げつけた。それはティボルトの肩を切り裂き、彼は無様によろめいて倒れた。ケイヤは二本目を抜いた。立ち上がる前に。

 ケイヤは尾根を乗り越え、ティボルトへと迫った。追いつくことだけを考え、足取りをわずかに動かして全体重を込めて攻撃しようとした。だがその時、ティボルトが胸いっぱいに息を吸い、赤い頬を膨らませたのを見た。避けられない!

 ティボルトの口から溢れ出た煙は不意の大きな奔流となって、瞬時に階段を覆いつくした。それはケイヤにも押し寄せ、目を刺し、喉を焼いた。前が見えず、彼女はやみくもに振るった――斧は岩に当たるだけだった。

 ケイヤはフードの襟元で口を覆い、片手で鼻をつまみ、斧を構えて次に備えた。だが見えるのは煙だけだった。その先から、小さな橙色にくすぶる光が悪意を持って飛来した。それは付きまとうように衣服の隙間から口元を探り、狭めた目を詮索した。皮膚に触れると、それは焼け付いた。

 彼女は苦痛と不快感を可能な限り遮断し、治癒に集中した。ティボルトはどこ? タイヴァーは?

 逃げるなら今のうちだ。

 その思考は不意に、どこからともなくやって来たようだった。

 もうどうしようもない。ティボルトはもうドゥームスカールを起こしてしまった。まだここで何をしているの?

 皮膚の、肺の、両目の、焼け付く痛みが次第に悪化していった。そして奇妙な疲弊感が四肢を襲った――とても軽く扱いやすいはずの手斧は、今やひどく重く感じた。

 この次元の問題は私の問題じゃない。ここの人たちに借りがあるわけでもない。逃げればいい――久遠の闇へ飛び込んで。ここから逃げる。自分の身を守る。結局のところ、それが一番。

 その思考が次々と心によぎり、ケイヤにそれを止める力はなかった。そして思いとは裏腹に、衝動が自分を引き寄せるのを感じた。周囲に魔法のエネルギーが立ちのぼり、彼女を連れ去ろうとした。

 とても簡単なこと。ここには苦痛しかないのだから。

 何かがおかしかった――燃える煙の先、今ケイヤに膝をつかせようとする不自然な疲労の先で。脳内に声がしていた。ほとんど――でも完全にではない――自分自身のものではないような声が。

 右にうねる煙の中で何かが動いた。まず剣が見えた。美しい色彩がガラスに閉じ込められ、弧を描いて向かってきた。ティボルトが、自分を殺そうとしているのだ。「お前は逃げるわけにはいかない、だろ?」

 ケイヤは斧を掲げてその攻撃を防ごうとしたが、重すぎた――腕が、だるすぎた。遅すぎるとわかっていた。動物的な本能に、ケイヤは目をきつく閉じた。

 金属音が響き渡った。金属が肉に食い込む音、ではない。痛みもなかった。奇妙だった。

 ケイヤは目を開けた。自分とティボルトの間にタイヴァーが立っていた。彼は神の光が揺らめく剣を腕輪のダガーで受け止めていた。ティボルトは押し込もうとし、腕を震わせ、そして離れた。「何者だ、てめえ?」

 素早くも慣れた仕草で、タイヴァーはティボルトの手から剣を叩き落した。「タイヴァー・ケル。エルフの王弟にして、カルドハイム最高の英雄でもある」

 ケイヤの頭も晴れはじめていた。ティボルトは自分の心へと滑り込んだのだ。ケイヤ自身の疑いと恐怖の中に自らの存在を隠し、そのため耳を傾けるほどに、疲労と苦痛が悪化していったのだ。ほとんど芸術的と言ってもよかった――これまでティボルトが見せてきた、不器用でぞんざいな魔法とは似ても似つかなかった。

 だとしたら、タイヴァーはなぜそれに影響されないのだろう? 彼は先程のケイヤと同じく、煙の中へと突進した。なぜ彼の疑いは、不安は、生気を吸い取っていかないのだろう? つまり――つまり彼にはそういったものがない?

 何ということだろう。彼は若すぎるゆえに――傲慢すぎるゆえに――自らを疑うということを知らないのだ。カルドハイムの全ての神々に感謝すべきだろうか。

 ティボルトは慌てて後ずさり、片手に赤い炎を握ったが、タイヴァーは彼の襟元を掴んで肩ごとひねり、そのプレインズウォーカーを石の階段の端に投げつけた。ティボルトは激しく咳こみ、それとともに煙と炎が吐き出されたが何もなく消えた。タイヴァーは真鍮の刃をティボルトの首筋に押し付けた。「さあ、化け物、何をしていたのかを言え」

 その言葉に、ティボルトはかろうじて笑みを返し、かすれ声を出した。「自分で見てみろよ」

 ケイヤはティボルトの周囲にエネルギーが集まるのを感じた。その魔法が大気へと鋭い酸の匂いを放った。彼女は叫ぼうとし、だがその瞬間、炎が乾いた木に着火する音とともに、ティボルトの目の中に橙色が閃いた。火のついた紙のように、ティボルトの身体は橙色の燃えがらの塊へと消え、タイヴァーは後ずさった。

「あいつは」 タイヴァーは吐き捨てるように言った。「あいつは――」

「ええ。プレインズウォーカーよ」 ケイヤは地面から身を起こした。「タイヴァー……ありがとう。助けてくれて」

「もちろんだ。とはいえ、あの男が戻ってきたならばどうする?」

「戻っては来られないわ、しばらくはね。そしてもし戻ってきても、私たちの敵じゃない。次元を渡るには沢山の魔力を使うのよ。回復までにしばらくかかるでしょうね」

「なるほど。では私たちは勝ったのか? 終わったのか?」

 ケイヤは山頂を見上げた。あの奇妙な光は灰に曇る空にきらめき、波打ち続けていた。「いえ、そうは思わない」

 今日でなければ、この山頂から眺める広大な血の井戸の光景には、一見の価値があったかもしれない。だが血の岩山の頂上から、二人は空の裂け目をはっきりと見た。それは二人が立つ場所から、渡ってきたマグマの湖の中央まで伸びていた。分厚い灰の雲が今までそれを遮っていたのか、それとも登攀の間に作られた新鮮な傷なのかはわからなかった。裂け目の縁からは色彩がゆらめく光が放射され、こぼれ出て空を覆っていた。

「何ということだ」 タイヴァーが呟いた。

 裂け目の中に、万華鏡のように多彩に動く風景が見えた。厳めしくそびえ立つ山々、氷の城塞、黄金色の草原。まるで多元宇宙の全てを見ているようだった。あらゆる次元がひとつの、全くもって悪しき斬撃で引き裂かれてこじ開けられたような。

「ひょっとして、これを元に戻す方法知ってたりする? その剣とか」 二人はそれを持ってきており、タイヴァーのベルトに下げられていた。

 彼はかぶりを振った。「御存知の通り、私の能力にも限界がある」

 血の味、空の裂け目――にもかかわらず、ケイヤは笑わずにいられなかった。だが遥か眼下の炎の湖から上昇するそれらの影を見て、それは喉で途切れた。皮の翼を羽ばたかせて空へ向かう幾つもの姿。剣や槍、矛槍に鎚を掲げながら、武器と鎧の重みに引きずられながらも、それらは断固として恐るべき飛翔を止めはしなかった。数千はいるに違いなく、その全てが空の穴を目指していた。ただひとつの世界ではなく、この次元が差し出す全ての世界が略奪を、炎を、破壊を待っている。それらの中央、二枚の広大な炎のマストの船から飛び立ったデーモンは、他の全てを小さく見せるほどの巨体だった。片手には巨大な両刃の斧をぶら下げ、度を越した憤怒で翼を羽ばたかせ、イマースタームからの脱出を切望するその勢いは他のデーモンたちを狼狽させていた。呆然としたタイヴァーが囁かずとも、ケイヤもその名を知っていた。領界路探したちと共に過ごした間に、その物語は何度も耳にしていた。ヴェラゴス。

血空の主君、ヴェラゴス》 アート:Ian Miller

 ケイヤはタイヴァーを振り返った。彼は今も目前に飛翔する不浄の群れを見つめていた。「タイヴァー、行かないと。この次元はばらばらになろうとしている」

 彼は聞いていないようだった。「止めねばならない。裂け目の先にいる者たちに警告しなければ!」

「タイヴァー」 彼女は穏やかに言った。「終わったのよ。あなたは素晴らしい戦士なのは疑いない。でも歴史上最も偉大な英雄だって、起ころうとしている出来事を変えられはしないかった」 既に、デーモンたちが裂け目に飛び込む様子が見えた。凄まじい羽ばたきで、新たな獲物へと向かっていった。「私たちはよくやった。今できるのは、生き延びることだけ。次の次元へ行って、今度はもっと――」

 ケイヤは彼の背中に手を置こうとしたが、タイヴァーは身をよじって離れた。「つまり、貴女がたはそうなのか――気に入らぬ方向に世界が転じたならすぐに消える。面倒事になればすぐに消える。貴女とあのティボルトも、結局は大差ないということだ」

 その言葉は想像以上に痛い所を突いた。頑固にならないで、あなたも殺されてしまうかもしれない――そのような返答を形にしようとしたその時には、タイヴァーは既に領界路を開いていた。彼は振り返って言った。「それがプレインズウォーカーというものであれば、私はその一員にはなりたくない」

 その言葉を残し、彼は扉をくぐっていった。

 周囲の大気に今もエネルギーが漂っていた。ケイヤがプレインズウォークのために集めていたエネルギーが。安全弁のない、名もない圧力。まだ、逃げられる。まだ、逃げた方がいい。それが賢明な選択。それが自分の規範。

 けれど、脳内のあの声を考えずにはいられなかった。ティボルトやタイヴァーに出会う前から、いかにしてか聞こえていたあの声を。

 ケイヤは罵りを呟き、深呼吸をし、タイヴァーを追って扉へと踏み込んだ。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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