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クローゼットより その2

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クローゼットより その2

Mark Rosewater / Translated by YONEMURA "Pao" Kaoru

2011年7月25日


 前々回、Tシャツについてのコラムを書いた。いや、本当の本題はそうじゃなく、個人的な立場からという体裁でマジックの歴史について書いたんだ。まあ、読み取ってもらえるだろうということで、2部作にした。ところが、ここでおもしろい事件が発生した。私のコラムの中でもっとも評価が割れるものとなったのだ。つまり、心の底から気に入ったという諸君もいれば、大嫌いだという諸君もいたというわけだ。

 わたしは、評価が割れることを恐れてはいない(Elegance(リンク先は英語)や記憶と遊ぼうなどはその良い例だ。それぞれへの反響もコラムにしてある。読んでいない諸君のために掲示しておくと、An Elegant Response(リンク先は英語)と記憶の作り方である)。しかし、こういったものを書くときは、最初からそうなると思って書くのが大抵だった。今回のTシャツに関するコラムは賛否両論を興すつもりでかいたものではない。デザイナーとして(そしてライターとして)、読者の反響を次に活かすことは非常に大切である。想像と違う反応が返ってきたなら、そのときこそ経験を得る好機なのだ。

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 さて、今回は何が起こったのか? これまでもマジックの歴史に関するコラムを無数に書いてきた。プロツアーに関する二部作(Part 1Part 2(ともにリンク先は英語))、インビテーショナルに関するもの(リンク先は英語)、最初の世界選手権に関するもの(リンク先は英語)、日本初のグランプリに関するもの(リンク先は英語)がある。これらのどれも、「クローゼットより その1」のような反響を生み出しはしなかった。

 今回のコラムは個人的視点を含むが、個人的視点からのコラムも無数に書いており、その中にはTopical Blend #1 - To Err Is HumanLife Lessons, Parts I & IICosmic Encounter, Part IIのように人気の高いものもある。 では、いったい何が起こったのか。多くのメールを読み、多くのコメントを読み、多くの人と意見交換をして、ようやく問題の本質に思い至った。過去においては、個人的視点からのコラムはデザインの総論に関連するものだった。これまでのコラムにあった個人的内容は全て経験で、ある時に何をしたかということを語っていた。Tシャツのコラムでは、過去に成功した2つのことを一緒にしようとしていたが、この組み合わせは私の読者の多くにとって当惑するようなものだったのだ。(もちろん、その組み合わせによる今回のコラムを気に入ってくれた諸君も少なくないとはわかっている)

 それを踏まえて、今回は新しい実験をすることにした。その2はその1とは全く異なるアプローチで書くことにしよう(映画「エイリアン」と「エイリアン2」の差ぐらい違うと思ってくれたまえ)。その1を気に入ってくれた諸君にはもちろん、そうでない諸君にも読んでもらえるようなものを書くつもりだ。

 それでは、以下本編。



クローゼットより その2(あるいは、数多のTシャツは如何にして私をよいデザイナーにしたか)

 私が大学で学んだ手法がある。映画の登場人物をパッとイメージできるようにしたければ、その着ている服を見、読んでいる本を見ろ、と。物語の作者が人物像を描くための最も手軽な方法の2つがこれらである。これを理論的に突き詰めると、ある人物について知りたければ、その人物の本棚と衣装棚を見ろと言うことになる。私の本棚については次の機会に譲るとして、今回(と前々回)はマジックのカード、セット、ブロックを作ることに責任を有する人物の衣装棚を見る機会を諸君に進呈しよう。私のお気に入りのTシャツ10選は、私についてのいろいろなことを物語ってくれる。今回は私のお気に入りのマジック・シャツを紹介するとともに、それらの衝動がどのように私のマジック・デザインに影響を及ぼしたかを説明していこうと思う。

10) The Gathering 1 (1995)

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デザイン教訓:悪中良あり

 ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社でフルタイムの仕事を始めるまで、私はフリーランスだった。フリーランサーとして楽しみだったことの一つに、ウィザーズが私をいろいろなイベントに派遣してくれることがあった。ウィザーズに雇用される前の最後のそういったイベントは、「The Gathering 1」と呼ばれるイベントだった。1995年の秋に開催されたそのイベントは、ホームランドのプレリリース・イベントだった。(その1で語った)アイスエイジのプレリリースと同様、一カ所だけで行なわれたものである。

 アイスエイジのプレリリースはただの大会だったが、The Gathering 1は他のことに焦点が当てられていた。もちろん大会も開催されたが、マジックのお化け屋敷としか言いようのないような大がかりな出し物も用意されていた(マジックをテーマにしたハロウィンのお化け屋敷のようなもので、それほど怖いものではなかった)。マジックのファンが参加できる様々な出し物があった。私はスペルスリンガー(今はガンスリンガーと呼ばれているあれだ)として、つまり人々の対戦相手をするために派遣されていた。当時、私は「マジック・ザ・パズリング」の人として知られていた。私のマジック・パズルは(ウィザーズが発行していたマジック専門誌)デュエリスト誌の人気コーナーの一つだったのだ。

 昔、「ウィザーズには2つ得意なことがある。マジックを作ることと金銭を失うことだ」というジョークがあった。このThe Gathering 1こそがウィザーズ史上もっとも高価なイベントだというのはあり得る話だ。かかった金額を公表することはできないが、まあ、非常識というレベルを超えたものだった。それだけのばかげた金額を費やして、得たものは? 今見てもばかげたイベントだ。このイベントは、今まで何度も言っているとおり史上最悪のデザインをなされたセット、ホームランドの助けにはならなかった。

 さて、それではなぜ冗談としか言いようのないイベントで作られたこのシャツがトップ10に入ったのだろうか? 私はこのシャツが気に入っている。見た目が良い。ここでの教訓は、全体として悪いものに属するものすべてが悪いというわけではない、ということである。ホームランドのようなセットを一瞥して丸ごと投げ捨ててしまうのは非常に簡単だが、マジックのデザインにプラスの影響を与えたカードも沢山存在する。たとえば《Autumn Willow》《影写し》《甲殻》《葬列》《Ihsan's Shade》《記憶の欠落》《商人の巻物》《浅瀬の海賊》《Roots》《センギアの従臣》《鋸刃の矢》《縮小》《Spectral Bears》《拷問》など。

 悪いものの中にも良いものはある(そして、良いものの中にも悪いものはある)。全体として最悪なものの中にすばらしいものが隠れていることがあるので、デザイナーはデザインの部分部分について評価しなければならない。私にそんな教訓を与えてくれたこのシャツは、10位にランクインした。

9) ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社ロゴ(1998)

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デザイン教訓:単純さの力を過小評価するな

 このシャツは1998年、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の全社員に配られたものである(古いロゴを使っているので古いということが分かるだろう。現在のロゴは次のようなものである)。

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 ちなみに、初期のウィザーズ・オブ・ザ・コースト社のロゴは次のようなものだった。

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 この時以来、ウィザーズはそのロゴだけを載せたTシャツを作っていない。私はウィザーズ・オブ・ザ・コースト社で働いていることに誇りを感じており、またこういう簡潔で単純なシャツを好んでいるので、このシャツをいつも着ている。

 興味深いことに、ここでの教訓はシャツと同様に単純である。しばしば、最も単純で簡明なものこそが何かをするための最善の方策である。デザイナーは、新奇なカードを作り、昔ながらの問題にオリジナルな解決策で挑むことを好む。私の長年の経験から、最初はできる限り単純なものから始めるべきだと理解している。それで間に合うなら、それでいいのだ!

 デザイナーの目標は、あるプロジェクトにおいて最善のデザインを供給することであり、自分の能力を誇示することではない。ほとんどの場合、単純な方法が有効なら、それを用いるべきなのである。この単純な真実に気づくことが、デザイナーとして成熟していることの最大の証なのだ。

8) 開発部 (2009)

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デザイン教訓:人々に自己を理解させよ

 私の記憶している限りで、ウィザーズの開発部のシャツは3種類ある。3種類はどれもブライアン・ティンスマン/Brian Tinsmanが開発部の結束を高めるための道具だと言ってビル・ローズ/Bill Roseを説得したことによって作られたものだ。これらのシャツは開発部のメンバーにだけ配るために作られ、セットのデザインやデベロップに協力してくれた社員数人にも配られた。最初のシャツは次のようなものだった。

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 私はこのシャツを重宝したが、少しばかりスタートレックっぽすぎた(いや、スタートレックは好きだが、こういうシャツは自分たちのやっていることを反映したものであってほしかったのだ)。2番目のシャツはTシャツではなく野球のジャージだった。私はブライアンに、先入観にとらわれないのはすばらしいことだが、ジャージを着ようとは思わない、と言った。私が欲しいのはTシャツなのだと。確か一度は袖を通したはずだが、もう持っていないし写真の一枚すら残っていない。

 私が第8位に選んだのは、3種類目の、そして最新のデザインだ。これが一番のお気に入りで、実際によく着ている。

 もし私が持っているシャツ全てを見た目の綺麗さで順位付けるなら、このシャツはまずいとは言わないが、トップ10に入ることはまずないだろう。それなのになぜここにランクインしているのか? それは、私にとって見た目は評価対象の一部に過ぎないからである。私がこのシャツを気に入っているのは、私がウィザーズ・オブ・ザ・コースト社開発部の一員であることに誇りを持っており、このシャツを着ることでその立場を公に表明できるからである。

 ここでの教訓は、人々は自己表現を望んでいるということだ。人々は自分が何者であるかを相手に知らせたいと熱烈に思っている。これはデザインにおいても重要だ。なぜなら、良いデザインは人々に自己表現を可能にさせるからである。ラヴニカが史上最も受けたブロックの一つであることは間違いない。これの自己表現性はデザインの中核部分に組み込まれている。10個のギルドが存在する、どれが自分にふさわしいだろう? ミラディンの傷跡では2つの陣営が存在し、同様にプレイヤーにどちらの陣営かを選ばせた。イニストラードは――ふふ、どうだろうか。

 マジックの成功の理由の一つに、自己表現が容易であると言うことが挙げられる。しかし、それに甘んじていて良いと言うものではない。セットごとに、私は自問自答を繰り返す。「プレイヤーはこのセットでどうやって自己表現をできるだろうか?」 私は、デザインの中にプレイヤーが自身を組み込めるようにする時、私自身ができるよりはるかに大きな何かを作れるようにしているのだ。

 私は開発部の一員であり、それに誇りを持っているので、このシャツを8位にした。

7) 《記憶の欠落》(2000)

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デザイン教訓:プレイヤーに考え込ませるな、感じさせろ

 ウィザーズで働くことの楽しみの一つに、普通ならしないであろうことをできる、ということがある。たとえば、このシャツが作られたことを普通なら知らないはずだった。これを手に入れたのは、こういうマジックシャツを作りたいという企業がサンプルに作ったからである。マジックのブランド・チームが確認した後、これは開発部に下げ渡された(当時は、ブランド・チームの大半の人間はマジックをプレイしなかったのだ)。私はこの(ホームランドの《記憶の欠落》のうち一種類がデザインされた)シャツに呼びかけられ、それを手に取ったのだった。よく着ていただけに、もうくたびれてしまっている。

 ここでの教訓は、言葉では語り尽くせないものがあるということだ。なぜ好きかと聞かれても、好きだからとしか言えない。これの何かが私の琴線に触れたのだ。デザインにおいて、この種の力は重要である。プレイヤーが訳も分からず気に入るようなカードがセットには必要なのだ。

 デザイナーは如何にしてそのようなカードを作り上げるのか? それには2つの答えが存在する。1つめは、頭でなく心でカードをデザインするということだ。理由は分からなくても語りかけてくるものがあるようにする。そして、他の人のカードへの反応を見ることだ。複数の他の人がお気に入りにしているカードは、しばしば、何か正しいことが含まれているのだ。最後に、感情的に気に入った過去のカードを見て、それとよく似た方法で考えることだ。模写するのではなく、同じようなひらめきを探してみるといい。

 このシャツが7位にランクインした理由は分からないが、7位である。それが重要な教訓なのである。

6) 青赤混成 (2005)

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デザイン教訓:自身の先入観を知れ

 このシャツを着るたびに、どこでこのシャツを買ったのかと聞かれる。答えは「どこでも買ってない」だ。これはマット・カヴォッタ/Matt Cavottaからの誕生日プレゼントだった。マットはどこで買ったのか? マットもどこでも買っていない。(カスタムTシャツ作成企業の助けを得て)マットが作ってくれたのだ。彼が私にイゼット混成のシャツをくれたのには3つの理由があった。

#1: 混成マナとこれが割り当てられた2色ギルドは私がデザインしたセットであるラヴニカ出身である(記録のために。私の望みに基づいて、10組の2色ギルドという発想を思いついたのはブレイディ・ドマーマス/Brady Dommermuthである。その後私がギルド・ブロック・モデルを構築し、デザインできるように洗練させたのだ。詳しくは当時のコラム((リンク先は英語))を参照してくれたまえ)。

#2: 混成マナは私の発明物であり、私はそのことを非常に誇りに思っている。

#3: 私はとってもイゼットだ。

 このシャツを気に入っている理由は、上で述べた自己表現と重なる。それ以外にも、私の先入観を思い出させてくれるものでもある。マジックは、多くのプレイヤー各人にとってそれぞれ異なるゲームである。マジックのデザイナーが1人でその全てであることは出来ないので、自分がどういうタイプのプレイヤーであり、どういう先入観を持っているのかを理解することは非常に重要である。私はジョニーだ。おかしなカードが好きで、それで他の誰も思いつかないようなことをするのが好きだ。だが、もし私が作るカードすべてがジョニー用であったら、多くのプレイヤーを振り落としてしまうことになるだろう。

 新人デザイナーが学ばなければならない最大の困難は、自分が好きでないカードをどうやって作るかである。他のプレイヤーの考え方を理解し、楽しませる方法を知らなければならない。自分が気に入るカードを作るのは簡単だが、そうでないカードを作るのははるかに難しい。良いデザイナーになるには、他人が楽しむものを作ることに挑戦しなければならないのだ。

 私が何者であるかに意識を向けるのを助けてくれるので、私はこのシャツを着るのが好きだ。ということで、6位にランクイン。

5) Magic Dojo (1996)

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デザイン教訓:自身の歴史を忘れるなかれ

 マジックが世に出た1993年、インターネットはすでに存在していたが、まだできたばかりだった。当時、マジックに関する会話がされていたのはそのほとんどがUSENETとメーリングリスト上だった(今の人のためにたとえるなら、マジックに関するネット上の会話がフォーラムだけに制限されているようなものだ)。そんな中、フランク・クスモト/Frank Kusumotoという男が、読む価値のあると判断したものを集めるウェブサイトを立ち上げた。すぐにプレイヤーたちは資料を彼に送るようになり、彼はそれを編集して記載していった。

 まもなく、The Dojo(すでに存在しないが、一部はここここに保存されている)はマジックの、特に競技マジックの基本ウェブサイトになっていった。ただのウェブサイトではなく、最初の――少なくとも最初の有意義な――マジックのウェブサイトだった(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社もウェブサイトを立ち上げていたが、最小限の中身だけで、ゲームの細かなことについては何も触れていないようなものだった)。

 このシャツは、初めて作られたDojoのシャツである。他にも次のようなものが存在する。

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 このシャツをこれほど高く評価している理由は、デザインのみならず人生において私の座右の銘になっていることを強調しているからだ。歴史は重要である。ただ過去を記録しているだけではなく、今現在に至るまでのあらゆる教訓を含んでいるからである。しばしば、すでに学んでいたはずの教訓を忘れたために道を見失うことがある。

 最近の例を挙げるなら、基本セット2010がそうだ。アーロン/Aaronは壁に掛けられたベータのシートを見つめて長い時間を過ごしたが、それは、彼が、マジックがかつて持っていた重要な何か、リチャード/Richardがマジックを作ったときの何かを忘れていると認識していたからである。

 私はThe Dojoを忘れたくないので、このシャツを5位に入れておくことにした。

4) Doppelganger (1994)

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デザイン教訓:初物には魔力が宿っている

 このシャツがこれほど高い順位にある理由は簡単で、私が初めて買ったマジックのシャツだからである。というよりも、これは史上初めて作られたマジックのシャツである。同時に作られたものは以下の3種類がある。

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 他に、私は買わなかったが(リチャードの2つめのTCGであり、後にVampire: the Eternal Struggleと改名された)JyhadのTシャツも同時に作られている。

 私が初めてこれらを目にしたときは1枚分のお金しかなく、《Vesuvan Doppelganger》はお気に入りのカードの1つだった。後には《夢魔》や《アルマジロの外套》のシャツも購入した。《ハールーン・ミノタウルス》は非売品で、社員だけのために作られたモノだった。私がウィザーズに入った1995年、最後の一枚を手に入れることができたのだった(マジックの初期の長い間、非公式の企業マスコットは《ハールーン・ミノタウルス》だった。私はこの弱くて人気のないカードを使う間抜けさについてかなりの文句を言ったものだ)。

 ここでの教訓は、単純なものだ。人々は最初の体験に幻想を抱く。これはデザイナーに取ってみると、何かを導入するときには格別の注意が必要だと言うことである。たとえば私がメカニズムを作成するとき、その目的地を決めてから、どうやってそこに向かうかを考える。例を挙げると、サイクリングなどは大成功した部類である。最初、ウルザズ・サーガで導入したときは、もっとも単純な形で導入した。全てのサイクリング・カードは「サイクリング{2}」を持っていた。この時点でこのメカニズムにはもっと可能性があるとわかっていたが、最初はこれを最も単純な形で提供することにしたのだ。

 常磐木(あらゆるセットで用いることの出来るもの)でないメカニズムの中で、一番よく帰ってきているのがサイクリングである。その大きな理由として、将来調整を加えて戻ってくることが出来るようにして、かつ人々を一目惚れさせるように仕上がったからだと思われる。

 この教訓を別の面から見ると、プレイヤーは最初の体験を忘れないから、いい記憶にすること、と言い換えられる。これは私の《Vesuvan Doppelganger》Tシャツにも当てはまることで、したがって第4位にランクインした。

3) 《マロー》 (1997)

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デザイン教訓:デザインに自分自身を少しだけ混ぜよう

 非常によく聞かれる質問に、お気に入りのカードは何か、というものがある。多くのマジック・カードに深く関わっているので、答えるのは難しい(ああ、うん、変に聞こえるのは許してくれ)。どうしても、と強く押されたら、私の答えはこれだ。

 これは私が最初にデザインした、印刷に至ったカードの1つだ(3枚のカードはアライアンスで印刷されていて、その4枚が同率首位だ)。ただデザインしたと言うだけではなく、このカード名は私にちなんでつけられており、フレイバーも私が書いたものだ。今に至るまで、私のマジック界でのあだ名はマローである(MArk ROsewaterから来ているのは言うまでもない)。

 このシャツは、私が《マロー》の原画を買ったことを記念して母が作ってくれたものだ(私が購入したマジックの原画はこれが最初で、以降4枚を所有している。その辺についてはまた稿を改めて語るとしよう)。母はこのイラストをシャツに印刷し、特殊なペンを使ってフレイバー・テキストを書き込んだのだ。

 すでに、プレイヤーに自己表現をさせることの重要性については語った。デザイナーにしても同じことだ。昨年、私は公式サイトの前編集者テッド・クヌーソン/Ted Knutsonからのロング・インタビューを受けた。その1(リンク先は英語)、その2(リンク先は英語)がそれである。このインタビューの中で、自分の見解を持ってそれを記事に書くライターの重要性について語っている。記事からライターの名前を隠したとき、その記事を読んだ誰にもそのライターが分からないようであれば、それは執筆したとは言えない。適当に書き散らしただけである。私にとって、デザインもそういうものだ。

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 私のセットをプレイした人々には、いかにも私のセットだと感じてもらいたい。ローズウォーター印のセットは独特だという自負がある。開発部では、それぞれがそれぞれの偏見を持っており、それがデザインに反映されているので、デザイナーをからかうのが楽しみとなっている。私は、自分の創作物に自分自身を入れることが再考の仕事をするために必要だと考えているので、それを受け入れている。ということで、これが第3位だ。

2) 脳とデッキと友人と(1997)

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デザイン教訓:自身の直感を認めよ

 マジックに今必要なことの一つに、新奇プレイヤーを獲得する方法を作る、というものがある。1997年当時、現在のデュエルズ・オブ・ザ・プレインウォーカーにあたるものがポータルと呼ばれる商品であった。

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 ポータルに詳しくない諸君のために言うと、ポータルとは、土地とクリーチャーとソーサリー(一部のインスタントはソーサリーに偽装されていた)だけからなる、超簡略化したマジックであった。ポータルを公開するにあたって、我々はバスを仕立て、イベントに出かけては人々にポータルを教えていた。このTシャツはその活動のモノである。ポータルに関して行なっていた広告キャンペーン、「必要なものは脳とデッキと友人だけ」というメッセージが記載されている。

 諸君の多くは、私が80,000 Words(リンク先は英語)として行なったウィザーズ見学ツアーの中でこのシャツを着ていたことを覚えているかもしれない。私がこのTシャツを好きなのには多くの理由がある。この広告キャンペーンがユーモラスだったこと。見た目が気に入っていること。マジックが世界一のゲームだと宣言しているのが気に入っていること。しかし深く掘り下げてみると、これをここまで高く評価しているのは、私のマジックのデザインにおける最も大切な直感と深く結びついているからである。

 私はバスに乗って多くの場所に行き、ポータルを教える手伝いをした。ポータルには、非常に単純な(ほとんどはバニラで、フレンチ・バニラが少々)クリーチャーと、それ以外の呪文はソーサリーだけが含まれていると言うことを思い出してくれたまえ。私は非常に興味深いことに気がついた。プレイヤーにプレイの仕方を理解させても、負けることはなかった。もちろん、ゲームを盛り上げるために最善でない手を指すこともあったが、それでも負けることはなかった(土地事故は除く。土地事故の時でさえ、さらっと負けはしなかった。多くの初心者は盤上が空でさえ攻撃するのを恐れるものだ)。

 なぜか? バニラ・クリーチャーと単純なソーサリーだけであっても、充分に複雑なのだ。要素にまで分解しても、マジックには多くの決定が残されている。それは、マジックの本質を理解するまではそこに気づかなかったのだ。その理解によってマジックに関する考え方や、デザイナーとしての見方が根本から変わった。これは、私のデザインのあり方を根本から覆した大いなる直感であった。

 ここでの教訓は、何をデザインするにせよ、その作るものの本質を見極めるようにすること、ということになる。デザインの表層を真似るのは簡単だが、すぐにゲームの本質から離れていく。それは破滅の道である。

 これは重要な教訓であった。そして、このシャツにしみこんだ感情的な反応が、このシャツを第2位にランク付けしたのだ。

1) アングルード・プレリリース (1999)

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デザイン教訓:時々、制約を外せ

 私のことを知っている人なら、私がこれを第1位に据えたことに驚きはしないだろう。私はいつでもこのシャツを着ている。そんなことができる理由の一つに、私がこれを複数持っているということがある。これは1999年の秋にGenConで行なわれた、アングルードのプレリリースでのみ配られたプレリリース・シャツである。そこで私は巨大な鶏のコスプレをしてヘッドジャッジを務めた(詳しく知りたい向きはこちらの記事(リンク先は英語)を読んでくれたまえ)。

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 このシャツが1位に輝いたのにはいくつもの理由がある。まず、アングルードは私がデザインした中でもお気に入りのセットの一つであること。次に、アングルード・プレリリースは私が運営した中でもお気に入りのイベントの一つであること。さらに、私はこの紫という色が大好きであるということ。そして、私がこの《Jester's Sombrero》のイラストの大ファンである(他に所有している3枚の原画のうちの1つがこれである)と言うこと。

 ここでの教訓は、私のアングルード(やアンヒンジド)での経験全体から着ている。将来のデザインにアン・セット以上に影響を及ぼしたセットはそうない。たとえば、分割カード、未来予知の契約サイクル、ネメシスの印章サイクル、ディセンションの予見メカニズム、未来予知の《隊列の叫び》のような複数のメカニズムを別々のブロックから取り入れるというギミック、エンチャント(プレイヤー)、多人数戦用のカード(《皇帝の仮面》《血の暴君》《雑食のハイドラ》)、ブースターに入ったトークン、拡張アートの基本土地、まだ公開できない将来のセットに入っているメカニズム、などは全てアン・セットの出身なのだ。

 ここでの教訓は、しばしば制約の重要性について語る私だが、同時に制約を取り払うことも重要でありうると信じているということだ。やらないと思われているようなことをやったら、起こったことを観察せよ。マジックはルールを破るゲームである。私は、マジックのデザインもまた、時には同じようなことをすべきだと考えている。想像もしていなかったところにたどり着いたことに気づいて、うれしくなるに違いない。

 それが、私がアングルード・プレリリースのシャツを第1位にした理由である。

ちょっとしたこと

 それではまた次回、私が望んだときにお会いしよう。

 その日まで、いろいろな音が自由に耳を楽しませますように。

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