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ワード・オブ・統率者

Mark Rosewater

2011年6月20日


 統率者特集へようこそ! 今回は先週発売されたばかりのマジック・ザ・ギャザリング 統率者――ではなく、統率者戦について話すことになっている(マジック・ザ・ギャザリング 統率者については、二週前に話したところだ)。デッキ構築やゲームの仕方に関するルールの大枠を説明しながら、デザイナーとしての視点から見た長所や欠点、色々なコメントを付けていこうと思う(もちろん、長所の方が多いからこそ、今この統率者戦という形式が受けているのだ)。

 その前に、いくつかハッキリさせておきたいところがある。

1. 私がここで述べることは全て個人的見解である。ウィザーズ・オブ・ザ・コーストを代表して話しているわけでもないし、他の誰の代弁でもない。

2. 私の観点は、デザイナー寄りである。この形式を楽しく身近なものにしている理由に焦点を当てている。

3. 私は統率者戦をプレイしたことがない(マジック・ザ・ギャザリング 統率者のテストプレイのために少しだけやったのを除けば)。プレイしているのを見たことは何度も何度もあるのでこの形式がどのようにプレイされるかは大体掴んでいるが、私はエキスパートなどではない。プレイの仕方についてではなく、統率者戦という形式について理論的に語っていく予定である。

4. 私は多人数戦の大ファンというわけではない(これが#3の最大の理由だろう)が、私が望んでいなくてもプレイヤーが望んでいるものを理解し、それを供給できるようにするのは私の仕事の一部である。

 青の太字で書かれている物は公式ルール(ここで見られる)であり、黒で書かれているのは私のコメントである。

デッキ構築

 ルールの最初の一文を引用する前に、コメントから始めよう。なぜなら、この形式に関してもっとも重要な部分の一つであると思われることはたった一語で表現できるからだ。全ての構築形式ではデッキ構築が必要で、ほとんどの形式において制限と言えるものは使用可能なカードだけである。

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 だが、統率者戦はそうではない。デッキ構築はこの形式の特徴をもたらしている。ほとんどの形式よりも制限がはるかに多く、その中にこの形式の魅力がある。しばしば、制限は創造の母である、ということを言って来たが、統率者戦はまさにそれを体現している。この形式は伝統的な形式よりもはるかに多くのことをデッキビルダーに求め、そのおかげでプレイヤーは実際にプレイするよりもさらに前からデッキに愛着を持つことになるのだろう。

 私はマジックにおける自尊心の出資というものの重要性について、これまでに何度も何度も語ってきた。自尊心の出資の背後にある考え方は、人々は自分の手で何かができるようなものにより興味をそそられるというものである。マジックの成功の鍵となった理由として、デッキへの愛着が生まれているということが挙げられると以前語ったこと(リンク先は英語)がある。デッキが巧く行くのは、彼ら自身が巧く行くのと同じなのだ。プレイヤーは自分のデッキを、自分の子供のように思っている。諸君のデッキには諸君自身の一部が宿っているので、より自分のものだと感じるのだ。

 統率者戦のデッキ構築は、デッキ構築のルールによってもデッキへの愛着が強まるようになっている。

 プレイヤーは、あらかじめ伝説のクリーチャーを1体、自分の"統率者"として選んでおく必要があります。

 おそらく統率者戦の全てで最大の自尊心の出資であるもの、統率者というそれそのものから始めよう。意思疎通について学んだとき、私は代弁者として行動しようと思うようになるほどの大きな衝撃を受ける講義があった。曰く、人々は考えに触れることはなく、人々は人々に触れるのだと。これはつまり、諸君が諸君の聴衆と繋がりを持とうと思うなら、繋がりを持たせようと思うものに人格を与えなければならないということである。

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 例として、このコラムを挙げよう。表面上は、このシリーズ「Making Magic」はデザインのコラムだ。しかし、その核の部分ではそうではない。実際、Making Magicはある人間についてのコラムであり、つまりそれは私についてのコラムなのである。私がこのコラムを書く役目を与えられたのは、私ならばマジックのデザインを巧く擬人化できると思われたからなのだ。加えて、私はデザインの考え方だけではできないあることをすることができる。人間関係だ。かつて、私は自分のデート時の失敗談(リンク先は英語)や結婚の話((ともにリンク先は英語))を記事にしたこともあるし、分割カードを作り上げるまでの話(リンク先は英語)を記事にしたこともある。マジックのデザインに顔を付け加えることで、感情移入がしやすいものにしているのだ。

 統率者戦における統率者の役割も同じである。彼らはただのマジックのカードではなく、一つの人格であり、人である(ほとんどは人間体だからそれでいいだろう)。統率者を入れることで、諸君のデッキには顔ができることになる。それによってデッキは個性を持ち、またその存在が定義を与えることになるのだ。この形式に関して私の好きな点はいくつもあるが、統率者という概念そのものが最上のものではなかろうか。

 統率者戦のデッキは、統率者を含め100枚ちょうどで作成されます。

 もう一つ、このシリーズでよく取り上げるテーマが、多様性の重要さである(この件についてはコラムを1本丸々使って書いたことがある)。他のコラムまで読みたくないという諸君のために、このコラムの山場を紹介しよう。多様性、あるいは無作為性(確かにその2つがイコールというわけではないが、この議論においては充分近い存在である)は以下のものをもたらす。

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 驚きを作り出す。人間は未知なるものに興奮するものだ。起こるまで確定していない要素を含むことで、ゲームはよりエキサイティングになり、楽しい物になる。

 ゲームを変える。繰り返しは退屈だ。無作為性があればゲームは毎回違うものになりえる。

 反応を呼び起こす。もっとも楽しいスキルの一つに、即興で振る舞う能力がある。多様性によって、ゲームはプレイヤーのその瞬間瞬間に最適を見つける能力を高めてくれるのだ。

 私の記事の中で述べたもう一つのキーポイントは、無作為性はゲームに楽しみを加えてくれるものだが、無作為だと見えるようにするとゲーマーはいい顔をしないものだ。ゲームを楽しいものにするためには、無作為性を隠す必要がある。マジックは無作為性をライブラリーの中に隠すことで見事にこれをやってのけた。コイン投げは目障りでも、カードを引くことはカードゲームの一般的な行動だと受け入れられるのだ。

 デッキの大きさを60枚から100(あるいは数え方によっては99)枚にしたことで、非常に自然に無作為性を増やすことに成功している。言ってみればこれがカジュアル形式の多くで60枚を超えるデッキを使っている理由の一つである。

 基本土地を除き、デッキ内に複数の同名のカードがあってはいけません。

 多様性が少しあることよりも良いことは? 多様性がたっぷりあることだ。1枚しか同名のカードを入れられないデッキ構築は、色々な方法でゲームを楽しくしてくれる。

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 無作為性を高める。引きうるカードが増えれば増えるほど――引きうるカードが増える。統率者戦の最大のメリットの一つに、ゲームの展開が毎回大きく異なりがちだということがある。これは、デッキサイズが大きく、またカードが1枚ずつしか入れられないことに起因している。

 デッキを組む際に、プレイヤーはより深く掘らなければならなくなる。デッキサイズが多く、1枚制限なので、プレイヤーは住み慣れた世界から足を踏み出すことになる。ほとんどのプレイヤーは強力な火力呪文の10個ぐらいは言えるだろう。それが20個となると? 30個となると? 自分の持っているカードを掘り返させるということ、カードを発掘させると言うことは、マジックをこんなに楽しいものにしてくれている第一の要素である。

 デッキの多様性を増やす。4枚積みの60枚デッキを組むとき、他の人とまったく同じになることがあり得る。100枚デッキで1枚積みなら、デッキがまったく同じになることはあり得ない。

 カードの固有色とは、そのカードの色とカードの文章欄にあるすべてのマナ・シンボルの色を加えたものです。カードの固有色はゲームの開始前に確定され、ゲームの効果によって変化することはありません。統率者の固有色によって、デッキに入れられるカードは定まります。

 デッキは、その色以外のマナを生み出してはなりません。効果によって不正な色のマナが生み出される場合、その代わりに無色マナが生み出されます。

 この、固有色という考え方は大好きだ。この制限はゲームに色々な良い作用をもたらしてくれると信じている。その理由は、ゲーム・デザイナーの役割はプレイヤーたちの周りに障害をもたらすことだからだ。ゲームの、プレイヤーにとっての大きなポイントとして、精神的な意味で自分に挑戦できるという点がある。ほとんどのデザインは可能な限りユーザーに優しくしようとするが、ゲームのデザインはユーザーにとっての問題をわざわざ作り出す。なぜなら、その問題こそがプレイヤーがゲームに求めるものだからだ。

 もっとも良いタイプの制限は、ゲームから有機的に導かれる制限である。意味があると思えるなら、制限は受け入れられるものだ。その点で、私はこの固有色という考え方が非常に気に入っている。このルールは恣意的なものでなく自然なものに感じられる。それが良いデザインというものなのだ。

 ここで、私が統率者戦最大の弱点だと思っていることに触れよう。私は統率者戦形式が大好きだということは前もって言っておく。今まで見てきたいくつかの形式と同じように、マジックのカジュアル世界に吐息を吹き込んでくれた。とはいえ、この形式に全く問題がないということではない。この節では、統率者戦の改善していくことが出来る部分だと私が信じている部分について語らせてもらおう。

 これはデザインのコラムで、ゲームの要素を調査するのはいつでも有意義だと思っているので、そのために少しばかり時間を取ろうと思う(これが、私が何年も前の伝説という特殊タイプに関するコラムを書いた理由の一つだ)。これから私が時間を取って話すことが、私が統率者戦を気に入らないという証拠だなどとは思わないで貰いたい。実際、それとは全く違う。単にメカニズム研究家として、裏側を覗かずにはいられないだけなのだ。

 私の疑問点は、固有色そのものにあるのではなく、その実行のされ方にある。説明しよう。

 このルールの言っていることをよく読んでみよう。まず、使えるカードは統率者のカードに含まれるマナ・シンボルと一致するマナ・シンボルを持つものに限られる。このルールはマナ・シンボルだけに適用される。他の色の印、例えば基本土地タイプや名前で書かれている色は無視されるのだ。次に、何らかの方法で他の色のマナを出せるパーマネントのコントロールを奪ったとしても、それが生み出すのは無色マナである。

 私のデザイナー魂は、この一連のルールを見た瞬間にこう問いかけてきた。「なぜ2つめのルールがあるのに、1つめのルールが必要なんだ? 他の色マナ・シンボルを含むカードをプレイさせたくない? その色のマナを生み出すことも出来ないのに」

 そうした方がルールはよりシンプルになるし、現在のルールではデッキに入れることのできないカードを使うことも出来るようになる。例えば、《アラーラのオベリスク》を取り上げてみよう。

 もし2つめのルールだけがあったなら、こういったカードもデッキに入れることができる。ただし統率者の色によって、できることは限られてくる。

 この変更によってもう一つ解決されるであろう問題は私の個人的なお気に入りに関する問題だ。混成カードは両方のマナ・シンボルを持っているので、両方が固有色に入っていない限り混成カードを使うことが出来ない。混成カードは「かつ」ではなく「または」なのだから、使えても良いじゃないか。他の形式における白単には《鏡編み》が入るのに、どうして白の統率者デッキには入れられないんだ?

 最後に、現在のルールには実行上の問題があると感じている。アラビアンナイトには、《真鍮の都》というカードが存在した。現在のオラクルでの文章はこうなっている。

真鍮の都

Land

Whenever City of Brass becomes tapped, it deals 1 damage to you.

T: Add one mana of any color to your mana pool.


土地

真鍮の都がタップ状態になるたび、それはあなたに1点のダメージを与える。

{Tap}: あなたのマナ・プールに好きな色1色のマナ1点を加える。


 《真鍮の都》では新しい設定に相応しくないので、このカードを名前を変えて再録するとしよう。それに際して、初心者が見ても判りやすいように少し文章を変える。

銅の都

Land

Whenever City of Copper becomes tapped, it deals 1 damage to you.

T: Add W, U, B, R or G to your mana pool.


土地

銅の都がタップ状態になるたび、それはあなたに1点のダメージを与える。

{Tap}; あなたのマナ・プールに{W}か{U}か{B}か{R}か{G}を加える。


 《真鍮の都》は統率者戦のどのデッキにも入れられる。《銅の都》は五色の統率者が率いるデッキにしか入れられない。この2つはほとんど完全に同じカードだというのにだ。これは私の中のデザイナーが身もだえするような話だ。

 私はしばしば、開発部はいつでも除去できるルールを探しているということについて話してきた。私は統率者戦が本当に好きなのだが、もし一つだけ変更させてもらえるのなら、この点を選ぶことだろう。

 統率者戦はヴィンテージで使用可能なカードを使えますが、以下の例外があります。

  • セットのプレリリース以降、カードは使用可能になります。
  • Shahrazad》は統率者戦では使用可能です。
  • 以下のリストに記載されたカードは、統率者戦では禁止されています。これらのカード(や、同種のカード)はゲームに参加する他のプレイヤーたちによる事前の同意がなければ使ってはなりません。

Ancestral Recall》[2ED]

天秤》[4ED]

生命の律動》[9ED]

Black Lotus》[2ED]

合同勝利》[TSB]

チャネル》[4ED]

引き裂かれし永劫、エムラクール》[ROE]

Fastbond》[3ED]

けちな贈り物》[CHK]

夜の星、黒瘴》[CHK]

Karakas》[LEG]

Library of Alexandria》[ARN]

限りある資源》[EXO]

ライオンの瞳のダイアモンド》[MIR]

金属細工師》[UDS]

Mox Sapphire》[2ED]

Mox Ruby》[2ED]

Mox Pearl》[2ED]

Mox Emerald》[2ED]

Mox Jet》[2ED]

絵描きの召使い》[SHM]

一望の鏡》[DST]

変幻の大男》[DIS]

繰り返す悪夢》[EXO]

威圧の杖》[5DN]

星の揺らぎ》[BOK]

Time Vault》[2ED]

Time Walk》[2ED]

修繕》[ULG]

トレイリアのアカデミー》[USG]

激動》[ODY]

世界喰らいのドラゴン》[JUD]

ヨーグモスの取り引き》[UDS]

  • 加えて、以下のレジェンドは統率者として使ってはなりません:

陰謀団の先手ブレイズ》[ODY]

ラノワールの使者ロフェロス》[UDS]

 多くのカードが使える形式にとっての必要悪の一つに、禁止カード・リストがある。統率者戦のリストに関して賞賛したいところ(ここで強調しておきたいところだが、このリストはウィザーズ・オブ・ザ・コーストによって作られたものでもなければ保守されているものでもない。独立チームによって作られ、保守されているのだ。彼らのウェブサイトはこちらである(リンク先は英語))は、このリストがこれほど少ない枚数に留められているということである。枚数が多いようにも思えるかも知れないが、12000枚以上のカード・プールが存在するのだから、非常に小さいと言ってもいいだろう。

 また、他のどの形式でも禁止されていないカードで、この形式において禁止されているカードが存在することも賞賛に値する。つまり、この形式は何か違うことをやっているということを意味しており、それは私が大ファンである数多い理由のうちの一つである。

 プレイヤーは自分が選んだ統率者を宣言し、そのカードを統率領域に移動します。

 ルール・チームは統率者を置くための領域として特に統率領域を作った。この領域が存在するので、デザインは他にこの領域に置くべきものを考えるという楽しみを手に入れた。

 プレイヤーは、統率領域にある自分の統率者を唱えることができます。そうする場合、それ以前にそのゲームの間に統率領域から統率者を唱えた回数ごとに{2}を追加コストとして支払います。

 上で、統率者がデッキの個性を与える意味で重要だと語った。もう一つ、統率者の重要な側面について語らせて貰いたい。1枚制限の100枚デッキの多様性は大好きだが、テーマを維持できないという問題がある。統率者はこの問題を見事に解決している。つまり、(ほぼ)いつでも自分の統率者を唱えることができることが保証されているのだ。これによってデッキが確立し、デッキの意図にそぐうことをする機会が得られることになる。

 また、統率者を戻すことが出来るが、注意しな蹴ればならないというデザインも非常に気に入っている。コストが上がっていくことはこのバランスを作り出す、見事なメカニズムだ。

 統率者がいずれかの領域から墓地か追放領域に置かれる場合、オーナーは代わりにそれを統率領域に置くことができます。

 このルールはさっきのルールを実用的なものにするためのもので、巧く働いていると言えるだろう。

 ゲーム開始時のライフは40点です。

 この形式のデザインにおいて素晴らしい点の一つに、この長所のほとんどは単純な変更によってもたらされているということがある。多人数戦は2人戦に比べて戦力を整えるのに時間がかかるので、非常に単純だが機能的な方法でゲームの一面を促進するのはいい方法だと言える。

 いずれかのプレイヤーが1ゲーム中に同一の統率者に21点以上の戦闘ダメージを与えられている場合、そのプレイヤーはゲームに敗北します。

 このルールは、私流の言い方をさせてもらえば「アンパッサン」のようなものだ。アンパッサンとはチェスのルールで、メカニズム的なゆるみを締めるためのものであるが、そのために滅多に使わないために説明が難しいルールを作ったというものである。このルールが何をするのかは解っている。ある種のデッキを推奨し、千日手になるのを防いでいるのだろう。だが、このルールを最初に解説するとき、それはおそらくは実際にそれが起こった時だと思われるが、経験豊かなプレイヤーが初心者を騙しているように感じられるだろうということを考えると少し哀しくなるのだ。

統率者とともに

 諸君が私のデザイナーとしての視点から見た統率者戦を楽しんでくれていることを願う。やったことがないなら(多人数戦が好きなら特にだ)、一度やってみることをお勧めしよう。また、少し言いすぎな部分もあるだろうから、そこには肯定否定問わず意見を寄せて欲しい。

 それではまた次回、いよいよ2012のパーティが始まるときに。

 その日まで、一つじゃなく色々なマジックの楽しみがあなたとともにありますように。

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