• HOME
  • >
  • READING
  • >
  • 企画記事
  • >
  • 『エルドレインの王権』物語ダイジェスト:第5回 残忍な騎士

READING

コラム

企画記事

『エルドレインの王権』物語ダイジェスト:第5回 残忍な騎士

原著:Kate Elliott
作:若月 繭子

ヨルヴォ王とグレートヘンジ

 ギャレンブリグの辺境には侘しい風景が広がっていました。僻境はすぐそこのように思えました。遠くには白い山々が見えます。やがて雪に覆われた平原を横切って、熊に騎乗したギャレンブリグの騎士たちが現れました。彼らは攻撃的なほどにぴりぴりして、訪問者を歓迎したくはない様子でした、その理由はすぐにわかりました。

ロークスワイン城

 西の空に浮かぶ雲の塊、風に逆らって進むその上に、壮大な城が建っていました。まるで船か要塞のように、ゆっくりと威厳を持って動いています。ロークスワイン城。その君主アヤーラは毎年、真冬の三日間をギャレンブリグで祝うのです。ギャレンブリグの騎士たちはその執念をあまり快く思ってはいませんでした。

 遠い昔、ロークスワインの城はその美徳の象徴である秘宝、永遠の大釜を失ったことから文字通り宙に浮いているのです。多くの騎士がその癒しの力と不死の約束を求めて探しているにも関わらず、見つかっていません。その城を見て、ローアンとウィルはまたあの頭痛を覚えました。ロークスワインに関係する何か、もしくは誰かが頭蓋骨を内側から叩いているようでした。

「女王とヨルヴォ王は真冬の三日間を饗宴で祝う、けど女王は冬至の夜の宴には絶対に姿を見せないんだとか。噂では僻境に属してた頃を悼んで閉じこもるとか、一年のうちその日だけ眠るとか。面白い説もあるよ、女王は新しい血を探してるってね」

「新しい血?」

 エローウェンの説明に、ウィルが尋ねました。

「春に結婚する新しい伴侶を探してるってこと。タイタス、女王の視界に入らないように気を付けな!」

 ですがそれはあながち冗談でもないのでした。ギャレンブリグの騎士の中にも、アヤーラ女王の魅力に参って永遠の大釜の探索を近い、二度と帰ってこなかった者がいるのです。ローアンたちを迎えた騎士は苦々しく説明し、そして付け加えました。

「我々の反感を理解して頂けたかと思う。事実、噂を聞いたところによれば、女王はアルジェナス・ケンリスがアーデンベイルの若き騎士だった頃に結婚したがっていたとか」

「え!?」

 ローアンとウィルは同時に声を上げました。

「女王は拒否されるのが嫌いだ。リンデンが老いて死ぬのを待つのに飽きたのかもしれないな、それでついにケンリスを奪ったか」

 そして唖然とする双子へと、騎士たちは道を空けました。一人がヨルヴォ王へと彼らの訪問を伝えに駆けていきました。ロークスワインの城を視界の隅に残したまま、彼らは雪道を進みました。その城を見るたびに、ウィルは奇妙な雑音が頭の中に響くのを感じました。彼はエローウェンへと尋ねました。

「アヤーラ女王が父上の失踪に関わっているというのは、ありうるのでしょうか」

「女王が冬至の祝宴について何か隠してるってのは怪しいね。エルフはすごく長命だから、人間とは違う見方でものを見る。老衰も死の足音も怖くないし、古い遺恨をずっと持ち続ける。今夜、女王に直接尋ねてみたらどう? ただ、ぜひとも次の伴侶になりたいって態度を取らないことだね」

「女王は本当に若い頃の父と結婚したがっていたのでしょうか?」

「その噂は聞いたことある。けど確実なことは言えないな」

 それからしばらく、彼らは黙ったまま進みました。やがて、目指すギャレンブリグ城とグレートヘンジの威容が見えました。緑豊かな谷の地面から巨岩が斜めに突き出しています。さらにその上に、巨人でも動かせないような巨大な一枚岩が、空へ向かうように伸びていました。そこにグレートヘンジとその門があるのです。その全てを取り囲んで、彫刻の入った列石が守り手のように配置されていました。

ギャレンブリグ城

 城へと続く道の先頭で一人の侍従が彼らを迎え、宮殿の内部へと案内しました。ギャレンブリグの宮殿は巨木の根と岩の中に建てられており、長い年月の間に石の床はすり減っていました。遠くで会話が聞こえましたが、中を進む間は誰にも会いませんでした。人間向けの簡素な部屋で荷を解き、身を清めた後、彼らは謁見の間に案内されました。ヨルヴォ王が一人で待っていました。

ギャレンブリグの領主、ヨルヴォ

 巨人であるヨルヴォ王は、座っていても見上げる高さでした。けれど王は歓迎に両手を広げ、暖かい笑みで彼らを迎えました。挨拶も早々に、ローアンが切り出しました。

「インドレロンが幻視をくれました。父を探すための手がかりです。象牙のオベリスクの間から太陽が昇ってくる時に現れる大鹿を探しています。そのために、門を通って僻境に入りたいんです」

 魔法の鏡の名を聞いて、ヨルヴォ王は警戒するように扉を一瞥し、声を落としました。

「危険なことだ。とはいえお前たちは適切な年齢に達している、ゆえに力を貸そう。だが僻境でただ一体の特別な獣を、いかにして探すつもりだ?」

 そこにエローウェンが割って入りました。

「幻視について彼らの説明によれば、私は門がいつどこへ開けば良いかわかります。口を挟んだことをお許しください。ですが事態は急を要します。王も同意してくださるかと思います」

「だが、僻境に入るのに真冬は良い時期ではないぞ」

「状況は一刻を争います。手がかりはその幻視だけです。双子の説明に合致するオベリスクの場所を私は知っていますが、その二本の間に太陽が昇るのは、冬至の日だけです。従って、その鹿は明日の朝にそこに現れるのでしょう。間に合うようにたどり着くには、門を使うしかありません」

 王の視線が再び扉へ揺れました。そして眉をひそめ、しばし双子を心配そうに見つめました。

「よろしい。インドレロンの知識は確かだ。夜明けにヘンジの門で待つように。だがそれ以前に入ってはならない。今は、私とともに饗宴に参列するがよいぞ」

 そう言って王は立ち上がりました。驚くべき巨体、けれど優しい笑顔は安心をくれました。光と喜びで満たされた饗宴場へと扉が開かれました。参列者たちはウィルとローアンや仲間たちを歌で歓迎しました。アヤーラ女王の姿は、ヨルヴォ王の巨大な椅子の隣にありました。黒いガウンに金で縁取りをされた紫のドレス、そこにロークスワインの杯の紋章が飾られていました。表情は黒いヴェールに半ば隠されながらも、その美しさと誇り高さは誰の目にも明らかでした。謎めいた黒い瞳が、新参者たちを見つめました。

ロークスワインの元首、アヤーラ

 女王は祝辞として杯を掲げましたが、祝宴の間は一言も話しませんでした。その沈黙にウィルは気味悪さを感じましたが、女王に敵意はないように思えました。むしろ何かが気がかりであるように、謎めいた視線は誰かを探しているように見えました。ローアンはすっかりくつろいで、ヨルヴォ王へと武器の訓練について長々と話していました。ですがウィルは落ち着きませんでした。祝宴はいつまでも続くようで、ただ早く終わって欲しいと願うばかりでした。

僻境へ

 夜明け前。グレートヘンジの門の前で、双子ともう四人は待っていました。ウィルは次第に不安になってきました。この機会を逃したなら、どうやってあの大鹿を見つければいいのでしょうか? きらめくオーロラが空に踊り、そして消えました。門の反対側からゴロゴロと音が聞こえ、重い足音が近づいてきました。そして暗い空へとそびえる巨石のように、ヨルヴォ王が現れました。奇妙です。自分たちが来る前に中へ入っていたということでしょうか?

「頼まれた通りに石を動かしておいた。時間はない。急ぐがよかろう」

 太陽はもう、東の丘に昇っています。その光が描く模様の中、列石の影が門に触れました。緑の魔力が走り、円を描きました。光は次第に強まり、そのきらめきに囲まれた部分が溶けるように道になりました。その先にあるものは見えず、ただ眩しい光が照らしていました。

グレートヘンジ

「この門は今日の夕暮れまで開いている。一年と一日後、夜明けから夕暮れまで再び開く。その後は――お前たちは永遠に失われたとみなされるであろう」

 若者たちは躊躇に顔を見合わせました。ここを通ったなら、僻境の最深部へ進むのです。最も大胆で経験豊かな騎士ですら、無残な死に直面するかもしれない場所です。そして大鹿を見つけて安全なこの地へ戻ってくるまでは、わずかな時間しかありません。ですがそこでタイタスが声を上げました。

「今こそ出発だ、友よ!」

 さらに彼は全員へと士気高揚の魔法を唱え、振り返らずに輝く門へ向かっていきました。タイタスとその馬は白熱するように輝き、眩しいきらめきひとつとともに視界から消えました。カドーが続き、エローウェンとシーリス、そしてローアンとウィルが最後に入りました。馬の蹄が湿った地面に沈み、そよ風が花の香りを運んできました。辺りは暗闇となり、月も星もなく、川の流れる音が聞こえました。不思議と暖かく、冬のようには感じませんでした。一体どこへ連れて行かれるのか、ウィルは不安になりました。一瞬、エローウェンとヨルヴォ王を疑いかけたところで、前方に光がちらつきました。二本のオベリスクが見え、それは円形に浮かぶ花のランタンに照らされていました。

 不意に黄色い光の球が現れ、エローウェンを中心に辺りを照らし出しました。ウィルが見ると、そこは幻視で見た森の中でした。少し散り散りになりながらも、全員が揃っています。後方では深い森が壁のようになって、門の輝きを半ば隠していました。先の方に川が見えました。

「森の中で何かが動いてるぞ!」

 タイタスが叫んだその時です。何かが森の中を駆け抜ける音が響いたかと思うと、馬ほどの大きさのドレイクが、クロスボウの矢のように飛び出しました。それは鉤爪でタイタスの両肩を乗騎から掴み上げ、飛び去ろうとしました。すぐさまカドーがヘイルにまたがり、飛び立ちました。シーリスが矢を放ちますが、ドレイクの鱗に跳ね返されました。ヘイルはドレイクの上へ飛び、その目を狙って急降下しました。同時にカドーが槍でその喉を切りつけると、咆哮とともにドレイクはタイタスを放して逃げました。タイタスは土に落ちて転がり、けれど立ち上がりました。急いで全員がそこに集まり、息をついた所でエローウェンが言いました。

「僻境へようこそ。初心者集団にしてはいい動きだったね。けどヘイルがいなかったら危なかったよ」

 不意打ちには驚きましたが、ぐずぐずしている暇はありません。あの大鹿をどう見つければいいのでしょうか。鏡の幻視では、オベリスクの間に太陽が昇る時に大鹿が現れました。この場所はギャレンブリグよりも西のため、夜明けはまだ来ていません。とはいえ本当に今日がその日なのでしょうか。ウィルがそう疑問を投げかけると、エローウェンが答えました。

「このオベリスクは、真冬の日の出が正確にその間に輝くように置かれてる。これは僻境の中心の境界を記しているんだ、エルフの失われた古い都市のね。同じようなところが他にも三つある。それぞれ二本のオベリスクがあって、違う素材で作られてる。もう三つは夏至と、春分と秋分にその間から太陽が昇るんだよ」

 ウィルは驚いてエローウェンを見つめました。

「本当にすごくいろいろご存じなんですね」

「若者くん、君もきっとそうなるよ。ヴァントレスの騎士号を得たいならね」

 カドーが咳払いをし、エローウェンはにやりと笑ってみせました。

「カドー、あんたも僻境の中心を取り囲む川の岸に立ってるんだ。それを見た人間は少なくて、生きて帰って見たものを報告した者はさらに少ない。そんなところに私たちはいるのさ」

「その通り、見たものを生きて報告した者は少ない。だからこそ私は見張りの任務に戻る」

 カドーはそう言って、ヘイルとともに上空へ向かいました。それを見てエローウェンが続けました。

「冬至の太陽はゆっくり動く。ここで日の出を待つ間はまたとない機会だよ、僻境の中心に宿る古の栄光と神秘を見ることができる。ほら、あの先が僻境の中心だ。魔力に濡れた花が香る」

 エローウェンはまた魔法の光を作り出すと、それを川へと向かわせました。光に照らし出され、翡翠の橋と黒曜石の橋が、並んで川にかかっています。向こう岸は暗くぼやけて見えず、けれど確かに大気にはめまいがするような花の香りが満ちていました。まるで目に見えない妖精の息吹のように、風がウィルの耳をくすぐりました。

平地

「どうしてここは夏みたいに暖かいんですか?」

「僻境の季節は私たちのそれとは違うんだ。エルフの女王の気まぐれみたいに変わりやすい。けど太陽はいつもきちんと昇る。だから、オベリスクがあるのさ。あの炎が見える?」

 ちらつく小さい炎が、向こう岸の暗闇の中に浮かんでいます。そう遠くない小さな炎なのか、それとも遥か彼方の巨大なかがり火なのか。エローウェンが続けました。

「あの炎は石になったドラゴンの翼の先で燃えてるんだ。その屍は野外劇場になってる。遠い昔の日々に、ドルイドの評議会が集まった場所だよ。エルフは王も女王も認めず、けどエンバレスみたいに、何もかもを合意するまで議論したって言われている。エルフは長命だから、合意までに何年もかかっても関係なかったんだろうね。評議会は今もそこで開かれてるって噂だけど、見たわけじゃないから確信はないよ」

「あなたは何もかも見てきたと思っていました」

 ローアンが言いました。その声には皮肉もからかいもありませんでした。

「私は誰もいない野外劇場の中を歩いてね、古い都市の崩れた尖塔と繊細な建築に驚かされたよ。エルフのリュートが奏でる魔法の音を聞いたこともある。幽霊の井戸の水を味わって、後悔の橋の途中で強風に遭った。僻境はどこも危険だけど、一番は中心との境界さ。私は戦うためじゃなく学ぶためにここにいるから、エルフは特に干渉してこない。けど伝承魔道士が貴重な聖域を踏み荒らしても何とも思わないわけじゃない。危ない生き物もよく川の魔法の水を飲みに来るしね」

 エローウェンは喉元の傷跡に触れました。双子は、橋が二本並んでかかっていることが疑問でした。それを問われて、エローウェンはがっかりしたように笑いました。

「あの二人は子供たちに何も教えなかったのかね? 僻境では黒曜石の橋は絶対に渡っちゃ駄目だよ」

「どうしてですか?」

 ですがその時、甲高い笛の音が頭上から静けさを砕きました。敵です! ウィルは両手に氷をまとい、敵の姿を探しました。隣ではローアンが手に稲妻を走らせて身構えました。

「あそこだ!」

 タイタスが馬を向けた先、濁った薄闇から、影の馬とその乗り手が現れました。槍がタイタスの馬の脇腹をかすめ、よろめかせました。タイタスは滑り降りると剣を抜き、敵に対峙しました。悪臭の中、魔法の光がその姿を露わにしました。

残忍な騎士

 リッチの騎士。僻境の中心で死んだ、王国の勇敢な騎士の成れの果てです。それはタイタスへ近づき、剣を振り上げました。

「タイタス! 伏せろ!」

 敵の動きを鈍らせようと、ウィルが氷を放ちました。ローアンは騎士の背後に回り、背中を切りつけました。ですが騎士は全くひるむことなく、タイタスへと剣を振り下ろしました。彼はそれを受け止めましたが、攻撃の重さに身体が震えました。シーリスの矢が騎士の骨格を貫通するも、効果はありません。ヘイルが急降下してリッチの頭をかぎ爪で掴みましたが、古い兜の残骸が取れて骨と腐肉の顔が露わになるだけでした。騎士は容赦なくタイタスへと攻撃を続けました。エローウェンが青い光の球を投げつけ、それはリッチの体の中で弾けました。その衝撃にリッチは動きを止め、タイタスはその隙に馬に駆け寄ると飛び乗りました。

「逃げるぞ! エローウェン、どこへ行けばいい? 門へ戻るのか?」

「翡翠の橋へ! リッチの騎士は流水を渡れないんだ!」

 この短い戦いの間に、夜明けがやって来ていました。花のランタンは次第に閉じ始めていました。オベリスクの根本にもつれる蔓に、何か大きな輪郭が浮かび上がるのをウィルは見ました。二本の……鹿角のような。鹿角? 大鹿が、花の中で魔法の眠りについていたのでしょうか?

「黒曜石の橋じゃないよ! 安全なのは翡翠の橋だ!」

 エローウェンの叫びが響きます。タイタスは先頭を走っていましたが、川岸で止まって仲間を先に行かせました。

「行け! 俺が最後尾を守る!」

 リッチの騎士は追いかけてきましたが、全員が安全に渡り終える距離でした。ウィルも橋に上がりました。ですが、引き返さなければいけません。見たのは、花の下に埋まった鹿だったのでしょうか? 太陽が触れたなら目覚めるのでしょうか?

 と、背後でタイタスが何かを叫びました。振り返ると彼は橋から少し離れた所で立ち止まり、両手を耳に当てて苦しんでいました。まるで、他の者には聞こえない音を防ごうとしているかのように。口からかすれた悲鳴が上がりました。その頭上、日の出の空に何かが浮かび上がりました。フードとローブの人影が、空を飛ぶ生物に乗っています。昆虫のような脚、目があるはずの場所には歪んだ塊のような角がありました。死霊です。

夜の死神

 冷たい恐怖に、ウィルは動けなくなりました。死霊は、すでに破滅が決まった者の前にのみ現れるのです。ウィルは嫌がる馬から降りて引き返しました。リッチはまだ遠く、ですがその魔法が地面から弾けました。形のない蔓がタイタスの馬の脚に絡まり、友人の靴をとらえ、身体に巻き付きました。

「止まりな! その霧を吸ったら死ぬよ!」

 エローウェンの叫びが聞こえました。ローアンが背後からウィルの腕を掴み、引き留めました。もう間に合いません。恐怖と信じられない思いの中、彼らはそれを見つめました。霧が解けて地面に沈むと、タイタスとその馬は地面に崩れ落ちました。ウィルは友を安全な所へ引き寄せようと、湿った土に足を踏み出しました。途端に冷たい感覚が皮膚を押し、一筋の霧が靴にまとわりつきました。体温が、エネルギーが、生命力が吸い取られるのを感じました。ローアンがウィルを翡翠の橋の上へ引き戻すと、それは萎れてウィルは解放されました。リッチは橋のすぐ近くに立ち、よろめくような冷気を発しながら、虚無の視線を向けていました。

 運命を共に。私のもとへ。

 死とは静穏。私のもとへ。

 ローアンを振り払い、ウィルはゆっくりと騎士へ向かっていきました。足が土に触れると、待ちかねたように霧の触手がまとわりついてきました。リッチの顎が大きく開かれ、悪臭と冷気と荒廃の残滓がウィルに流れ込みました。凄まじい疲労感と共に、周囲の世界が陰気にぼやけはじめました。

 ですがその時、動きが閃きました。堂々とした大鹿が現れたかと思うと、頭を下げてリッチの騎士とその乗騎に体当たりをしました。そして鹿角を強烈に振り回して騎士を地面に投げ出すと、吠え声を上げながら何度も踏みつけ、潰してしまいました。

 リッチの幻惑から解放され、ウィルは駆けました。ローアンも続きました。二人はリッチの騎士の残骸を切り裂きました。その魔法がどれほど強くとも、元の姿に戻らなくなるまで。騎士の残骸が動かなくなっても、ローアンは泣きながら土を叩き切っていました。やがてウィルは彼女の両手を凍り付かせて止めざるを得ませんでした。剣を落とし、後ずさり、タイタスの隣に膝をついてローアンは号泣しました。シーリスもソフォスとともにやって来ました。タイタスの目は大きく見開かれ、虚ろに空を見上げていました。青い瞳は白く濁り、皮膚には油ぎった水泡が浮かび始めています。エローウェンがその背後で、悲しい声で言いました。

「馬鹿な子だよ。そんな無謀な勇気じゃなくてたくさんの知識があれば。下がりな、もう変化が始まってる。私が燃やすよ。そうしなければこの子も同じリッチになる」

 エローウェンの炎がタイタスとその馬を、そして騎士の残骸を飲み込みました。シーリスはその熱から離れ、ウィルとローアンとともにその様子を涙ながらに見つめました。一緒に育ってきた友の、言葉にできない無残な最期を。

 ヘイルが着地し、カドーが駆け寄ってきました。エローウェンは杖で燃えがらを探り、タイタスの剣を露わにしました。それが、燃え残った唯一のものでした。

「僻境は軽率に動いていい場所じゃない。けど、あんたは最後尾につくことで忠誠を示した。だからこそ、私たちは橋までたどり着けたんだ」

「僕が間に合っていれば――」

 言葉を詰まらせたウィルを、カドーが遮りました。

「ウィル、もういい。私たちにできることは何もなかった、死霊が現れたのだから。タイタスは僻境で死んだ最初の人間でも、最後でもない」

 カドーは苦々しく、その剣を残骸から引き出しました。柄は焼け焦げて使い物になりそうにありませんでした。

「探索が終わったなら、これを彼の家族のもとに返そう」

 カドーはそう言ってその剣を背負うと、視線を大鹿へと移しました。その獣は川岸で彼らを見つめています。この大鹿を見つけたなら王を見つけられる、魔法の鏡はそう言っていましたが……?

 そこで、向こう岸から命令のような笛の音が届きました。大鹿は怒ったように頭を振り上げて駆け出し、けれど黒曜石の橋を少し進んだ所で立ち止まるとこちらを振り返りました。引き返したがっている、そうウィルは感じました。ですが笛が再び響くと、大鹿は橋を渡って行ってしまいました。

(第6回へ続く)

※本連載はカードの情報および「Throne of Eldraine: The Wildered Quest」(amazon電子書籍版)の一部の抜粋や私訳をもとに、著者とウィザーズ・オブ・ザ・コースト日本支社との間で確認して作成した記事であり、一部固有名詞等の翻訳が正式なものと異なる可能性がございます。ご了承ください。

 
『エルドレインの王権』物語ダイジェスト バックナンバー
  • この記事をシェアする

RANKING

NEWEST

CATEGORY

BACK NUMBER

サイト内検索