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木曜マジック・バラエティ

三田村和弥の「マジックスーパースター列伝」第1回:両雄激突! ネルソン&マティニョン

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2011.02.03

三田村和弥の「マジックスーパースター列伝」第1回:両雄激突! ネルソン&マティニョン

By 三田村 和弥

三田村和弥

 こんにちは、マジックスーパースター列伝へようこそ。昨年度から形式を改め、「木曜マジックバラエティ」としてリレー方式でお送りすることになった新連載の担当をすることになった三田村和弥です。ここでは今後、大体月一のペースでお会いすることができると思います。よろしくお願いします。

 続いて肝心の連載の内容についてお話しすることにしましょう。簡単に言うとこの連載は世界中のプロプレイヤー、スーパースター達を毎回何人か取り上げてそのエピソードなどを紹介していくというコンセプトでお届けしていこうというものになります。

 何故、私がこの連載を始めることになったかについて軽く説明しておくと、昨年2010年度はレベル8プロプレイヤーとして世界中のプロツアーやグランプリに参戦し、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、個人的な成績は振るわずレベル8のステータスを維持することは叶いませんでした。世界中の強豪たちと対戦しその中で勝利を得ることはできなかったのは非常に残念です。

 それでもその代わりというわけではありませんが、得られたものも当然ありました。試合中の対戦を通じて、または試合前の情報交換のためにコミュニケーションを取り合う中で世界中に友人を持つことができる様になるという、マジックを通してでなければなかなか得難い経験をすることができ、ここで得た交友関係をどういう形でか発表したいなと考えていたところ、ちょうど月一連載に空きがあるとのことで、この企画を提案してみたところ通ったというのがその経緯になります。

 2011年度の新シーズンもエクステンデッドのグランプリ・アトランタから開幕し、公式サイトのカバレージでその結果を見る機会があるでしょうし、プロツアーやクランプリを実際に観戦する事もあるでしょう。普段あまりなじみのない外国人選手の戦績や横顔などのバックグラウンドを知っておけば、そういった時により楽しめるんじゃないかと思います。この連載でその手助けができれば幸いです。


 それでは、第一回目のマジックスーパースター列伝の開始です。新連載に当たり、誰から始めるのがいいかを考えてみたところ、世界のスーパースターと言えばLSVことルイス・スコット・バルガス/Luis Scott Vargasや殿堂プレイヤー、ブライアン・キブラー/Brian Kiblerなども候補に挙がったのですが、今回は昨年大ブレイクしレベル8プロにまで上り詰め、そこにとどまらず年間最優秀選手争い(PoYレース)を盛り上げてくれた二人、ブラッド・ネルソン/Brad Nelsonとギヨーム・マティニョン/Guillaume Matignonを取り上げることにしました。


ブラッド・ネルソン/Brad Nelson

Nelson

主な戦績:


  • プロツアー・アムステルダム2010準優勝
  • プロツアー・サンフアン2010ベスト8
  • グランプリ・ワシントンDC2010優勝

 現在、隆盛を誇るアメリカ勢の期待の新星としてプロマジックシーンにブラッドが登場したのがプロツアー・ホノルル2009、そう筆者、三田村和弥が優勝したプロツアーでのこと。手前味噌で申し訳ない。プロツアー・ホノルルのフォーマットはアラーラブロック構築で、アラーラブロックと言えばお馴染みのお約束的定型文「《朽ちゆくヒル》。《芽吹くトリナクス》。《血編み髪のエルフ》で《荒廃稲妻》がめくれました。」のジャンドが猛威を振るう環境でした。
 当時、筆者がブロック構築のテストプレイの際に参考にしていたマジック・オンラインのデイリーイベントの結果で、通常のジャンドとは一風変わった《貴族の教主》と《セドラクシスの死霊》が入ったジャンド+青(結局はジャンドの亜種ではありますが)でいつも勝っているプレイヤーがいました。そのアカウント名はFFfreaK。FFfreaKはプロツアー本戦にもほぼそのままのデッキを持ち込み、デビュー戦で見事というべきか惜しくもと言うべきかは分かりませんが、9位という好成績を収めたのでした。

 ただ、このプロツアー・ホノルル時点ではLSVがプロツアー・スイスラウンド16連勝の偉業を達成した時に使ったボスナヤのオリジナルデザイナー『The Boss』ことトム・ロス/Tom Rossや、アメリカ選手権2010で《魂の管理人》・《魂の従者》と《アジャニの群れ仲間》をフィーチャーしたライフゲインデッキ・ソウルシスターズなど多数の変態デッキをデザインしたコンリー・ウッズ/Conley Woodsがトップ8に残ったため、ブラッドは何人か出てきたアメリカの若手有望株のうちの一人としての認識しかされていませんでした。

 しかし、この評価を改める必要が出てくるまでに掛かった時間はそう長いものではありませんでした。2009シーズン中にグランプリ・ミネアポリスでトップ4、明けて2010シーズンのグランプリ・ワシントンDCでいとも簡単に優勝してのけ、この快進撃は優勝した翌週のプロツアー・サンフアン2010でもトップ8入賞へと続きました。半年間ほどの短期間での成功によりブラッドへの評価は単なる若手有望株にとどまらない、紛うこと無きトッププロとして認知されるようになりました。

 2010シーズンのブラッドの打率の高さは異常とも言うべきものでした。ブラッドはその後もアメリカ選手権トップ8、グランプリ・コロンバスのトップ8、プロツアー・アムステルダムでプロツアー連続トップ8達成からの準優勝、グランプリ・トロントでの準優勝と参加したプレミアイベントのほとんどでトップ8以上とPoYレースで大量リードを築き上げ、そのタイトルをほぼ確実なものにしていました。
 その様子はさながら2009シーズン後半の渡辺雄也の勝ちっぷりにそっくりで、久しぶりにトップ8を逃したグランプリ・ナッシュビルでは、チームドラフトでその渡辺と対戦し、トップデッキを繰り返すブラッドが「見たか?これがPoYドローだぜ。」と完全に調子に乗っていたのが非常に印象的でした。このころのパフォーマンスは本当に圧倒的で、「チーフ(筆者の英語での愛称。由来はまたどこかで。)はグランプリのトップ8がたったの2回か?俺なんか参加したら大抵トップ8だよ。」と調子乗りキャラを自分から演じるようになっていたブラッドには、この振る舞いが完全に「フラグを立てる」行為でしかなかったことに気付いていないのでした。

ネルソン、フラグを回収する

 2010年の年末、ブラッドはPoYのタイトルに関しては授賞式を待つだけだと確信して世界選手権の会場である千葉は幕張へと乗り込んできたことでしょう。それもそのはず、ブラッドに追いつく可能性があるプレイヤーは数人、しかも個人戦準優勝以上が必要とその条件もかなり厳しくほとんどの人間がそう思っていました。
 ですが、このオタク文化の発信源、日本の地でそうやすやすと立てたフラグが折れるわけがありません。事実は小説より奇なり、ブラッドは見事に立てたフラグを回収するという離れ業を成し遂げました。なんと2010シーズン好調だった一人のフランス人が個人戦の優勝と国別団体戦の入賞を持って獲得したプロポイントで、ブラッドのポイントに並んでしまったのです。
 このフランス人こそが今回のマジックスーパースター列伝のもう一人の主人公。この話の続きは彼の項に譲ることにします。


 ここからはブラッドに関するエピソードを紹介しましょう。エピソード紹介には多分に筆者が登場することになりますが、この企画自体が筆者とスーパースター達の交流を描いたハートフルストーリーな以上、ご容赦願いたい。

 ブラッドにとっては失意のトーナメントであっただろうことは想像に難くない世界選手権2010。そもそもポイントで並ばれてしまったと言うことは、自身があと1ポイント多く取っていればよかったわけで、そんな悔しさもあったでしょうが、筆者には特段関係のないことだったのでブラッドには翌週のLMC(筆者がホームにしている地元千葉のトーナメント)に顔を出して参加してもらえないかと交渉してみました。ブラッドが世界選手権後1週間ほど日本に滞在する予定だったのを事前に聞いていたことと、ちょうどLMCの忘年会がその週にあったので、ブラッドに酒が飲めるぞと唆すと即決でOKしてくれました。

 ブラッドとはその時までしっかり話したことはあまりなかったのですが、その忘年会の席でブラッドは筆者とプロツアーで対戦したときのことを覚えていて、筆者がトップデッキしたカードをテーブルに叩き付けそれは大層なドヤ顔をしていたことを教えてくれたり、
 前日も新宿の歌舞伎町で飲んでいて、日本に滞在中はずっと毎日がパーティーだったよなどと日本での2週間をとても楽しんでくれていたようです。

 宴もたけなわ。忘年会も終りに近づけば、誰からとも知れず上がるのは、「アイス食べたくね?」の声。そうなれば中村修平の連載でおなじみのアイスじゃんけんの開始の合図です。忘年会ということもあり、コンビニ前で酔っ払いどもが大盛り上がりになっている様を眺めていたブラッドは「こんな騒ぎをアメリカで起こせば、警察に即逮捕だよ。マジックプレイヤーは静かなやつが多いけれど日本人プレイヤーはクレイジーなやつが多いな。」と冷静に語っていました。
 さすがPoY候補。落ち着いた分析。それもそのはず、ブラッドはじゃんけんに参加せず傍観者になるというチキンプレイに徹していたのです。カジノの国、アメリカ出身ブラッドは、体は大きくても度胸は小さかったということでオチは付いたでしょうか。


ギヨーム・マティニョン/Guillaume Matignon

Matignon

主な戦績:


  • プロツアー・サンフアン2010準優勝
  • 世界選手権2010優勝
  • フランス選手権2010準優勝

 続いては、PoYレースをダントツでリードしていたブラッドに突如追いつき、日本勢がしばらく守り続けていたタイトル争いにサプライズを与えてくれた、現世界チャンピオン、ギヨーム・マティニョンの紹介です。

 カードショップのサイトで連載を持つなど比較的メディア露出の多いブラッドに比べて、マティニョンのことは良く知らないという読者は多いのではないでしょうか。マティニョン自身もプロツアー・サンフアン時点でのプロフィールに書いているように、それまではプロツアーどころかグランプリでの実績もない、だが本人が把握できていないくらいの数はプロツアーに参加している、そんなごく普通のプロツアー予選レベルでしかなかったプレイヤーでした。そのマティニョンに一体何が起こって、世界チャンピオンにまで上り詰めたのでしょうか。

Wafo-Tapa

 ギヨーム・マティニョンを語る上で避けて通ることができないのが、盟友ギヨーム・ワフォ=タパ/Guillaume Wafo-Tapa。筆者が最初にマティニョンを知ったのは、プロツアーやグランプリの空き時間に行う恒例の異文化交流、3on3チームドラフトの時でした。対戦相手を求める筆者がいつものようにワフォ=タパに声を掛けるとマジックジャンキーのワフォ=タパは必ずOKと言い、連れて来る彼のチームにはいつでも老け顔の男(失礼!)マティニョンがいたのでした。
 対戦相手の力量というものは何度も対戦すれば自ずと分かるもので、2010シーズンの大ブレイクを果たす前のマティニョンからは後にPoYレース最上位に名前を載せることになるような才能は感じられず、よくいる「気のいいおっちゃん」そのもののオーラが放たれていました。

 我々日本勢には「マティニョンおじちゃん」と呼ばれ慕われていた彼が、プロツアーで初めて成功を収めたのがカリブのリゾート、サンフアンでのことでした。誰もがマティニョンがプロツアーのトップ8に残るなど信じられないという風なリアクションをとる中、マティニョンはトップ8ドラフトで強力なデッキを組み上げ、この時点では後の劇的な展開など予想できるはずもなかったでしょう、あのブラッド・ネルソンを準々決勝で退けたのです。決勝ではこちらもスーパースター、ブラジルのPV(パウロ・ヴィトー・ダモ・ダ・ロサ/Paulo Vitor Damo da Rosa。長い!)に惜しくも敗戦したものの、それまでの彼の実績からすればでき過ぎと言う他ない準優勝でフィニッシュしました。

 プロツアー準優勝一回だけではマジックスーパースター列伝の登場人物としては適格とはいえません。マティニョンのストーリーはフランス選手権での準優勝というクリーンヒットをはさんだ後、9回裏満塁ホームラン、世界選手権優勝へと続きます。世界選手権初日スタンダードラウンドではワフォ=タパの青黒デッキを駆り3勝3敗という不本意なスコアに終わり、筆者の「残念だったね」と声を掛けた後の決勝ラウンドを含めた残りの3日間をなんと無敗で駆け抜けてしまうとは露にも思いませんでした。


 こうして世界チャンピオンとなったマティニョンでありましたが、スタンダードエクステンデッド共に、ワフォ=タパ作のデッキを使ったことあり、自身の力だけで勝ち取ったものだとはまったく思っていないでしょう。世界選手権優勝のポイントだけではブラッドに追いついていなかったのは前述の通りです。その数点の差を埋めてくれたのが、フランス代表として出場した国別対抗戦によるポイント。フランス選手権の準優勝で得た代表の席もワフォ=タパのアシスト(フランス選手権準決勝でワフォ=タパがマティニョンに対して投了。)によるものでありました。その時点ではワフォ=タパ自身よりマティニョンの方がレベル8へのチャンスが大きいということで大親友を代表チームへと送り出したかったというのが投了した理由であったようですが、この時の選択が最終的にマティニョンをPoYレースのトップに、ワフォ=タパも結局レベル8到達と、二人のギヨームの勝利はワフォ=タパの才能による所が大きかったのは間違いありません。
 「There's No Jace Like Guillaume」。世界選手権2010のカバレージのタイトルも意地悪な見方をすれば、優勝したのはマティニョンだが、ジェイスの化身ワフォ=タパを褒め称えるもののように感じられてしまうのは考えすぎでしょうか?
 実際に世界選手権決勝でワフォ=タパが負けた瞬間「間違った方のギヨームが勝ってしまった。」などと陰口を言う者もいました。チームドラフトでよくマティニョンと卓を囲む機会が多い筆者としては、今から思い返すに、マティニョンが2010シーズンに入る頃からその力量を上げていて、プロツアー・アムステルダムの段階ではもう一流の実力を身に付けていたように感じます。マティニョンの成長の過程を知っている者としては、この活躍がフロックではないことは十分理解しているので、否定的な見方を更なる勝利で吹き飛ばしてもらいたいです。

Matignon

 世界チャンピオンがこんなにオタクなわけがない。マティニョンに関してもちょっとした小話を披露しましょう。

 フランス人のマティニョン。やはり日本のオタク文化にかなり精通しているようです。世界選手権の会場ではメインイベントやサイドイベントのプレイエリアのほかに、シングルカードやスリーブなどのサプライを売るショップ、マジックに協賛しているアスキー・メディアワークスのブースなどが出展されていました。
 そのアスキー・メディアワークスブースに張られていた日本のアニメのポスターになんと、後の世界チャンピオン、ギヨーム・マティニョンが釘付けになっているではありませんか。こういったものが特に嫌いでない筆者が、そのアニメの舞台が世界選手権の会場近くの千葉であることを伝えると、「そうなのか。チーフもオタクなんじゃないか。」とおっしゃっていました。さすが、何でもお見通しですね。


 今回は2010シーズンのPoYレースでトップに立った二人、ネルソンとマティニョンについでのストーリーでした。2011シーズン最初のプロツアー・パリはもうそこまでやって来ています。しかし、2010年度最優秀選手はまだ決まっていません。史上初のプレーオフに持ち込まれたPoYレース。その決着を付けるのは奇しくもマティニョンのホーム・パリ。フォーマットはスタンダードによる一発勝負で行われます。

 (※注: 記事中に誤りがありました。プレーオフは7本勝負の4ゲーム先取、うち第1~2、6~7ゲームはスタンダード、第3~5ゲームはミラディンの傷跡・ミラディン包囲戦各6パックを使った「ダブル・シールドデッキ戦」で行われます。 謹んで訂正するともに、お詫び申し上げます。 mtg-jp.com 編集担当 2011/2/5)

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 グランプリ・パリも同じ週末に併催されるプロツアーパリは2月10日開幕、プロマジックシーン注目の一戦を見守りましょう。それではまた次回。

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