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MAGIC STORY
ストリクスヘイヴン:魔法学院
サイドストーリー第3話:指導教官
2021年4月16日
アステリオンと出会ってから五分で、クイントリウスはこの霊魂の指導教官にうんざりした。心地良い発見でも、身構えていたものでもなかった。学識の深い師弟関係は、ストリクスヘイヴンでの経験をよりよいものにする鍵である――ずっとそう思っていた。事実、羊飼いの貧相な息子が、歴史上の大物が経験した重要な出来事を直接聞く機会など滅多にあるものではない。
《実地歴史家、クイントリウス》 アート:Bryan Sola |
だからこそ、指導教官をあてがわれると彼はすぐに彫像通りへと急いだ――ロアホールド大学にて、おそらく最も重要な区画。入学してから一年半、彫像通りの歩道を散歩し、尊敬される教授たち、過去の優秀な生徒、そして古の伝説的な英雄の彫像に立ち止まっては驚嘆するのがクイントの習慣になっていた。この中の誰かが指導教官になってくれるのなら! 流血のゴルワンダや執行人ザンドリルからは、どんな歴史が学べるのだろう? 生前、この将軍ふたりは仇敵同士だった。ゴルワンダは怖れ知らずのオークの騎兵隊である雷鳴の乗り手たちを率いて、真紅の旗印のもとに草原の民を統一した。ザンドリルはコーの戦の英雄で、痩せたホードランドの封土を立て直した。互いの軍勢が血染めの戦場で激突したのは、ストリクスヘイヴンの在校生が生まれるよりも三千年も前のこと。それでもなお彼らは今という時に存在し、幸運な生徒へと何世紀もの知恵を授けようと待っている。
自分がとても幸運だとは決して思わなかった。それでも、初めて指導教官の霊を彫像へと呼び出した際、最初の会話の大部分がスコーンに関するものになろうとは彼ですら予想していなかった。だがそうだった。とても広範に。茨苺のジャムとクロテッドクリーム。二度目と三度目の授業も上手くは進まなかった。話題は正装における飾り帯の効率的な着け方と、特定の犬種の適切な健康管理に関する話題の間で揺れた――後者は貴婦人の所有物として最もよく見られる小型種であり、しばしばその彫像は著しく不機嫌な表情を浮かべていた。そのため四度目の授業へ向かいながらも、期末課題に向けるクイントの熱意が多かれ少なかれ削がれていたのは驚くべきことではなかった。
悲しいかな、評点というものは存在し、学問を修める生徒たちにとっては高い評点が重要だった。プラーグ学部長に指導教官の交代を願い出ようと考えたが、それが叶う見込みはないともわかっていた。「ロアホールドの生徒は歴史の先駆者となるのを望むであろう!」と言い、生徒に最近発掘された彫像をあてがうのはプラーグの発案だった。そうでなくとも、プラーグは「腰抜け」とみなした生徒にとても優しい目を向けはしなかった。
ひとつ溜息をつき、クイントは指導教官の彫像を見つめた。若い人間の男性。鍛冶師の最高傑作かもしれない板金鎧をまとい、堅固な表情は明敏な戦術家を思わせた。そして片手で剣の柄に触れ、敵に切りかかろうとしている姿。この彫像の前を通り過ぎた者は間違いなく、アステリオンとは獰猛な騎士の長だと思うだろう。
それはきっと間違いだ。
目の前に両手を掲げ、クイントは宙に「鼓舞」の神聖な印を描いた。ロアホールドでも最も重要な呪文、あらゆる古術を構築的に理解するための要。印は唱える者の心を集中させ、アルケヴィオスに絶えずうねる時の流れを遡って意志を投影させる。ひとたびその流れに同調したなら、その古術師は名前や顔や出来事を探り出し、それを現代に引き出すだけでいい。
終わらせるために力を尽くそう。この課題が早く終わるなら早いほどいい。
呪文の力が強まるにつれ、クイントの胃袋が緊張してうねった。熱のない炎が眩しく弾けてその彫像を包み、石の割れ目を黄金色の熱で満たした。この呪文は何度唱えても、草地メロンを少々食べ過ぎた後に羊の乳を飲む感覚と違いの無い感覚が伴う。とはいえ今のこのむかつきは、あの指導教官にまた顔を合わせるためなのだろうかと疑わざるを得なかった。
《石繋ぎの導師》 アート:Svetlin Velinov |
「クイント、我が善良なるロクソドンよ!」 アステリオンが台座から踏み出した。「前回の議論以来、君の質問について考えていた。是非ともお願いしたい、それが私の答えだ」
クイントは鞄から記録帳を取り出し、めくった。最後に書いていたのは、日傘の使用における長所と短所についてのアステリオンの思案内容だった。「仰っていることがわからないのですが」
「君と共に、五つのキャンパスの大旅行に行きたいのだ!」 アステリオンはコレマ堂の壮大な尖塔へと続く歩道を指さした。何十人もの二年生が――数人はクイントもわずかに知っている――彼と同じ魔法に勤しんでいた。ただし、もう少し重要な歴史的人物と。「君はそう尋ねなかったか」
「尋ねていません」クイントはそう言って、地面に腰を下ろした。「ただ話をするのはどうですか?」
「毎回、話をするだけだろう。それだけでは課題には足りないはずだ。互いをよりよく知るというのはどうだね?」
「もう十分にお互いのことは知っていると思います」 クイントは記録帳にペン先をあてた。
アステリオンは歩きだした。「それは素晴らしい。君は私の人生や、居住地や、家系について知りたがっているのではないかね?」
「実のところ、そういった情報は既に揃っております」
「そう……なのか?」
「この学校には膨大な記録があります。前回の授業の後、細部をすぐに思い出せる方が良いと思いまして」 クイントは数ページ戻り、数日前にコレマ堂で報告書をあさった概要を開いた。アステリオンとその家族に関係する巻物は、塵を払われて比較的良い状態だった。それを探したのは、この数百年でクイントが唯一の人物だった。「父上は大界中央地方パラド・リーチのタータモス卿。母上の名はクレセア」
「ほほう! 予習とはぬかりないな」
「母方のいとこが二人いらっしゃいますね、パシファーエ殿とディアニラ殿」
「あの二人を好んだことはなかった。実に興ざめだった」
「そして父方にはひとりだけ、アーケロウス殿。その父親、貴方の叔父上のアーボロン氏は非常に有名な将軍であり、最後のジェテローシアの君主の配下でした。彼はまた『獣』と呼ばれてもいました」
「戦いの腕前以上に、その体臭に由来するものだ」 アステリオンは歩みを止め、クイントの前で腕を組んだ。「そこまでよく知っているなら、更に私に尋ねる必要など何もなさそうだな」
「最期についてです」
「なんと」
「貴方が最後に目撃されたのは、校庭を発って柱落としへ向かう姿だったと多くの報告が示しています。一か月後に捜索隊が到着し、捜索を一週間続けましたが成果はなし。そして母上がとある洞窟の入口脇に彫像を立てました。そして二か月前、その彫像が発見されたのです」 クイントは顔を上げた。「覚えている内容に一致していますか?」
「なぜ私の記憶が重要なのだ? 君にはその記録があるだろう」
「歴史的出来事の正確性というのは非常に重要です」
「ああ。思うにそれは、君の最終成績にも明確に寄与するのだろうね?」
「それは……その通りです」
「正確に思い出せないと言ったなら、君は信じるかね? あるところまでは覚えているが、そこからは……霞んでいる。破片だ。松明の炎が何かぼやけたものを照らしているような」
クイントは記録帳を閉じ、鞄の中へ戻した。「それはそれで、だと思います。貴方について必要なことは把握できたと思います。ご協力、ありがとうございました」
「待ちたまえ! 私をその場所へ連れていってくれないか――彫像が見つかった場所へ」
クイントは立ち上がり、かぶりを振りながら鞄を背負った。「霊魂の彫像は彫像通りを離れることを許されていません」
「誰がそのようなことを言った?」
「規則です。ロアホールドの学部長の許可なしに、彫像通りの彫像を外に出してはならないのです」
「規則は覚えている。私の時代にもあった。それに従っていたのは誰だと思うかね? 臆病者と愚か者だ」
クイントは指導教官を睨みつけた。「規則に従うのは大切なことです」
「では私をここに連れてきたのは何のためかね? あらゆる可能性で私をからかっておきながら『許可されていない』『不可能だ』とは」 数人の生徒が、横目で見ながら通り過ぎていった。
「もし見つかったなら、仕事を失ってしまうでしょう。あるいは学校そのものから追い出されてしまうかもしれません」
「仕事」 アステリオンは面白く思ったようだった。「仕事とは何をしているのだ?」
「発掘地点で発掘隊を手伝っています。学費の足しになるのです」
「ふむ。それは大切だな。その発掘地点についてもっと教えてくれ」
「どうしても知りたいというのでしたら。古の地滑りの下に埋まっていた貴方の彫像を発見した洞窟です。この大学がモラギッツ=ケシュの古代都市の上に建てられた証拠を発見できるだろうと、私たちは大いに確信しています」
アステリオンは表情を苦々しく歪め、一瞬の後、地面に転がって狂ったような笑い声を上げた。「モラギッツ=ケシュがここから百リーグ以内のどこかにあると考えているのか? 正気か?」
「私だけではありません。多くの専門家が同じように考えています」
アステリオンは更に大声で笑った。「専門家? むしろ詐欺師だろう」
クイントは指導教官を睨みつけた。表情を読むのは得意ではないが、最も非凡な精神魔道士でも、石でできた霊魂の彫像の顔つきから判断するのは困難だろう。「何を仰っているのかおわかりですか」
「わかっているとも、ザンタファーをモラギッツ=ケシュと取り違えないほどには。ザンタファーは聞いたことがあるだろう? 『巡礼者よ、放浪者よ、階梯を下り……』だ」
無論、ザンタファーは知っている。アルケヴィオスのロクソドンは誰もがその名高い、失われた都の物語を知っている。貧しい遊牧民の子供たちは夜にかがり火を囲み、その物語が自分の家族ではどう伝わっているかを語り合う。あらゆる主義主張の宝探したちが、約束された富と栄光を求めてその都を探し求める。アステリオンがザンタファーを知っていたことを驚きはしなかった。クイントが引っかかったのは、指導教官が口ずさんだ詩の一節だった。
「ジェドの聖歌をどのようにして知ったのですか?」 クイントは尋ねた。ジェドの聖歌、それは最後のロクソドン皇帝ザイルン=ジェドの著作であるという説が最も有力とされている。苦境の時の祈りとして、また危機的状況下でロクソドンが祈る言葉として、年月を越えて伝えられていた。
「ある小さなロクソドンが語ってくれた」 アステリオンはにやりとして言った。「いや、実際には極めて大きかったが――ヴィス・スヴォクノル、私が子供の頃の保育者だ。だから彼らの物語は沢山知っている――君の言う失われた都のそれも含めてな。当時私がここで何をしていたと考えるかね? 普通、荒れ果てた洞窟へ静養のために入りはしない――実のところは正反対だろうな」
「ザンタファーが? 柱落としにあるのですか?」
「いかにも、器用な鼻を持つ友よ。失われた都が発見されるのを待っている。そして君こそがそれを成し遂げるロクソドンだ。君の責務だと思いたまえ」
夕方になって発掘地点の研究者を手伝う生徒たちが帰路につくと、研究者たち自身は洞窟の入り口から数ヤード離れた場所に小さな宿営を設置した。彼らはクリーニングやアーティファクトの鑑定作業を続けるだけでなく、出土品の重要性について議論を交わす。そして友情を深めるとともに、ロアホールドの収蔵庫のために重要な出土品を記録する専門家にもその知識が適切に伝わるようにするのだった。
クイントと非合法の同行者にとっては幸運なことに、この発掘地点は彼らが探検に向かう先ではなかった。だが不幸なことに、目的地へ向かう途中にある宿営を通過する必要があった。ふたりは露頭に隠れ、その宿営が活発に賑わう様子を見つめた。クイントは発掘計画を主導する霊鍛冶のホフリ教授の姿を目にした。彼は炎で暖まりながら星空のきらめく広い夜空を見つめ、髭を編んでいた。
「は! 馬鹿者だらけだ。あの穴では何も見つけられはしない」
「馬鹿者などではありません」とクイント。「ここで貴方を――ええ、貴方の彫像を見つけたのですから。何トンもの岩の下から」
「母は地理に通じてはいなかったのでな。それを置いても、私はあの洞窟に入ったことがあるが、興味深いものなど何も見つからないと言えるぞ」
「それは六百年前のことです」
「だからこそだ。ああ、幾つかの陶器の欠片や、錆びた武器のひとつふたつは見つかるだろうな。恐らくは君の教授がたのような自慢屋のために、旅人が現実的な冗談として置いていったものだ」 彼は崖の隣、炎の明かりから離れた暗い地点を指さした。「あの茂みに隠れて迂回しよう」
柱落としへ向かいながら、クイントの心は既に後悔に揺れていた。アステリオンは馬鹿にしているが、あらゆる良い規則がそうであるように、ストリクスヘイヴンの規則は明白なのだ。もしもアステリオンをキャンパス外に連れ出したことが知られたなら、二年前と同じことになるだろう。ランドルストーム軍学校のヒューティ・コスタンブル司令官は、クイントの身体的健康、家族の健康、父の栄誉、そして彼の血筋から続くことになる無数のロクソドンの世代へと、考えられる限りのあらゆる脅しを言い含めたのだった。
「お前のような無意味なできそこないが、どうやって私の最高の生徒三人を負かしたのだ?」 あらゆる武器が散らばる机の向こうから、コスタンブルはそう金切り声を上げた。クイントの方は、黙っていた。助かるかもしれないが、そして指揮官は自分と同じく同じロクソドンだったが、その場では何も言わなかった。本当のところは、三人の乱暴者に「今日の相手はお前だ」と決められたクイントに、身を守る見込みはなかった――少なくとも、物理的な見込みは。幸運にも、彼は自らの才能を知っていた。物を動かし、ひねり、回転させ、都合の良い時に不意に落とすのだ。故郷ではその魔法的才能を用いて、群れから離れすぎた羊の逃走を防いでいた。一度、父親が井戸に落ちる寸前、蓋を閉じてそれを防いだこともあった。壁の旗印を一人の頭上に落とし、もう一人の靴紐を突然解き、最後の一人をつまずかせて落とし、腕を折るのは実に単純なことだった。この技は自分の不器用さを他の皆に分け与えるもの、そう考えるのが好きだった。だがクイントの才能(とその雅量)は先生方には好まれなかった。
退学処分。手渡された紙の文字は開かずともわかった。
《除名》 アート:Billy Christian |
「クイント、準備はいいかね?」 アステリオンが尋ねた。
「見つかったらどうするのですか?」 クイントは両親の表情を想像せずにはいられなかった。また……不名誉な姿で家に帰ったなら。前回は、武器防具の一式が無駄なものとなった。今回は、おそらくもっと悪いことになるだろう。両親はクイントの将来に関して、羊を追わせる以外のあらゆる意見を失うだろう。
「そのように考えるな。人生には危険がつきものだ! 行くぞ!」
アステリオンが先を進み、クイントは追いかける以外になかった。二人は影の中へ入り、ゆっくりと宿営を迂回していった。崖を迂回する下り坂を半分ほど進んだところで、地面から飛び出た根にクイントの爪先が引っかかった。枝を掴む間もなく、彼はつまずいて転んだ。もっと悪かったのは鞄の方で、蓋が開き、紙と道具が岩の上にこぼれ落ちた。
「誰かいるのか?」 炎を取り囲む一団から声が上がった。
クイントは顔をしかめた。自分の除名報告には何と書かれるのだろうか? クイントリウス・カンドの運動神経は、両目が見えず悪疫にかかった老齢の荷役獣に等しい――そんな感じだろうか。そこまで厳しくはないかもしれないが、自分はロクソドンの中であっても敏捷ではないとクイントは認めねばならなかった。アステリオンがいた場所を見上げたが、その姿は消えていた。首を持ち上げ、彼は自分の場所へと松明を持って近づいてくる研究者を見た。クイントが身体を起こすと、相手は霊鍛冶の教授その人だとわかった。
「クイントリウス君?」 松明を掲げて教授が言った。「なぜキャンパスに戻っていない?」
クイントは思考を素早く巡らせながら、膝をついて持ち物をでたらめに鞄に放り込みだした。「ああ、その……はい。帰らなければなりません」
「どうしたのかね」 教授の視線にクイントは心地の悪さを感じた。ホフリはこのストリクスヘイヴンで名声を得ている。彫像のような物質的な焦点がなくとも、死者の霊魂を鼓舞するのだ。他者への鋭い眼識なくして、それを達成できるだろうか――特に今は、質問の答えを相手がぎこちなくはぐらかしているとわかっているのだ。
「その、現場に道具を置き忘れてしまいまして」
ホフリは視線を落とし、クイントが鞄に詰め込もうとしている散らかったつるはしや刷毛に爪先で触れた。「これかね?」
「いえ……他のです。上質なもので、誰かが盗んだとは思いませんが――」
「ここで温まっていったらどうだね?」ホフリが言った。「少しここで茶でも飲んでいけばいい。それから道具を回収して帰ったらどうだ」
クイントは断ろうと口を開きかけ、だが考え直した。ストリクスヘイヴンでも最も博識な学者の何人かと、静かな夜を過ごす? そんな機会が得られるなら、ほとんどの生徒は殺しだってするだろう(あるいは少なくとも、本気で戦うだろう)。士官候補生に戦略を説きながらも自分たちでは何十年も動いていないランドルストームの太った元将軍たちとは異なり、この教授たちは活動的な実地研究者なのだ。公的な所の外で時間を共にできるというのは滅多になく価値あることだった。それを手にしたかった。古術師として成功するというのは、この世界で成功した人物になるというのは、どんなものかを学びたかった。
一方で、ザンタファーがすぐ足元にあるのかもしれないというなら、クイントはその発見者になりたかった。コスタンブルが自分を放逐した様子を思い出し、そしてそのクイントリウス・カンドがザンタファーをロクソドンの民へと返す者となったなら、どんな顔をするかを想像した。母や父が抱くであろう誇りを、他者が自分たち家族をどれほど敬うだろうかと想像した。
それこそ、彼が求めるものだった。
「戻らなければならないのです。ありがたいお言葉ですが――」
「道具で悩んでいるのではないのだろう?」 ホフリが言った。「君の指導教官はどうだね。まだ期待外れかね?」
「ああ、ご存知なんですね……」
「シューログマを覚えているだろう?」 ヴァルドラシーンのシューログマ、その名をロアホールドの生徒が忘れるはずはない。生前、その女性は著名な学者であり、「胆汁と鉄:血の時代からの対話」(プラーグ学部長の戦史の授業の教科書)を含めた最も重要かつ啓発的な歴史書いくつかの著者だった。死後にも様々な名声があるが、中でもホフリが若きロアホールドの生徒だった頃の指導教官を務めていた。当時の彼はプリズマリから異動してきたばかりだった。「私たちは目を合わせたことすらなかった。私のことをどう言ったと思うかね? 『君には芸術的経験があるって聞いていたのよ。けれど目の前にいるのは創造力の追及を徹底的に汚した、救いのないお馬鹿さんだわ! 君だけじゃなく遠い親戚まで、全員、不幸に見舞われてしまえばいいのよ』と。それも全て、私が藤色とターコイズの区別がつかなかったからなのだが」
「全く異なる色ですが」
「全くだ」 ホフリは微笑んだ。「キャンパスに戻れるかい?」
「そう思います」
「いつでも話しかけてくれていいんだよ。自分は孤独だなんて思わなくていい。私もそうだった」
「はい、きっと。私もやっていけると思います」
ホフリは頷き、宿営へと戻っていった。ストリクスヘイヴンで伝統的な師を得るとしたら、ホフリであって欲しいと思っていた。自分よりもさほど年を経てもいないのに、何百年も存在し続ける霊魂よりも多くの知恵を持っている。クイントは持ち物の回収を終え、振り向くとアステリオンが茂みの背後から手を振っていた。彼は自分の指導教官が低く屈む暗闇へと急いだ。
「巧みな話術だったな、クイントよ。さあ、より大きくより優れたものを目指そう」
「より大きくより優れたもの」 クイントはそう繰り返した。
アステリオンがクイントを連れてきた洞窟に、目につくものは何もなかった。都の様子は、少なくとも初めはなかった。失われたか、発見済みか、単に場所が違うか、とにかく何もその気配はなく、洞窟そのものはただ自然のものに過ぎなかった。道中、彼とアステリオンは幾つかの不揃いな穴を避けて通った。ストリクスヘイヴン建設の石材が採られた、古の採石場だとクイントは推測した。
「着いたぞ」 クイントの消えない松明を掲げて先行するアステリオンが言った。洞窟の床はゆるやかな坂で、とはいえ滑らかではなかった。むしろ自然の階段のように下り、広い部屋へと続いていた。そこは行き止まりで、中央に一本の石柱が立っているだけだった。アステリオンはその石柱の周りを歩き、松明を岩に近づけて調べた。クイントは腕を組んで隣に立っていた。「この柱があったというのははっきりと思い出せる」
「そして?」
アステリオンは片手を石柱の表面に当て、じっと見つめた。そして自分の身体は血と肉でなく冷たい石でできていると初めて悟ったようにも見えた。「そして……」 彼は背筋を伸ばし、石柱から手を放した。「協力して探そうではないか」
ともに、ふたりはその部屋に何らかの兆候や印がないか、自然ではないもののわずかな痕跡までも探した。「何かがおかしいです」
石柱の基礎部を調べていたアステリオンが顔を上げた。「どのように?」
「貴方がここにいた頃から今まで、誰もこの洞窟に来なかったのでしょうか? 何世紀もの間、何千人という研究者が柱落としを隅々まで訪れています。ここの発見も必然だったでしょう」
「可能性と必然は同じではないよ、クイント」
「ですが長い年月の間には――」
クイントは鞄を下ろして中をあさり、銅色の巻物を取り出し、地面に広げた。アステリオンが近づいて屈み、松明の静かな炎をその紙に近づけた。
「白紙ではないか。拍子抜けしたぞ」
「魔法です」 アステリオンの頑固さと自分自身の明らかな見落としの両方にクイントは苛立った。研究も、軍事作戦も、最初の原則は同じだ――何を知らないかを探す前に、何を知っているかを確かめる。今の今まで手持ちの情報を確認しなかったとは愚かだった。コスタンブル司令官の笑い声が聞こえてくるようだった。
「光輝、想起」 彼は紙の上に両手をかざし、囁いた。黄金のエネルギーの点がページから立ち上り、統制された電流のように数本の光線が広がり、目に見えない地図製作者の筆が柱落とし全体を描いた。クイントは洞窟の入り口を示す印の隣を示した。「ここがあの発掘現場です」そして指を移動させ、宿営を、彼とアステリオンがおそらく通ってきた採石場と川底を通過した。「そして今ここにいます」彼はそう言い、峰の北端に置かれた別の印を指で叩いた。
「それがどうしたのだ」
「これはストリクスヘイヴンの他の研究者が過去に記した目印です。ここは発見済みです」
「ここがその場所だ、クイントよ」
「でしたら、どう言えばいいでしょうか」 クイントは巻物を片付けて腰を下ろし、冷たい石の壁に背中を預けた。「ここには何もありません」
アステリオンもクイントの隣に腰を下ろした。両者とも無言だった。思考がクイントの脳内を駆けた。なぜ、証拠もなくアステリオンの言葉を信じたのだろう? 彼が間違っていると示すために、キャンパスにいる時点でなぜ地図を使わなかったのだろう? こんなことのために、同情を寄せてくれたひとりの教授に嘘をつくとはどうしていたのだろう?
彼はその怒りを指導教官へと向けた。「そんなに自信満々で!」 彼の叫び声は洞窟にこだました。「時間の無駄でした。貴方は……貴方は……」
アステリオンはクイントの膝を優しく叩いた。「続く正しい言葉は『期待外れだ』だろう?」 クイントの表情は怒りから驚きと申し訳なさへと変化し、アステリオンは微笑んだ。「生前、私は左耳が少し悪かった。だから、とても耳を澄ますよう訓練した」
ホフリとの会話が聞かれていたとはわからなかった。「なぜ、発掘現場で何か言ってくれなかったのですか?」
「君が間違っていると証明できればと思っていた」とアステリオン。「私は期待外れ、だろう? 君はここに来て、年長者からの教えを求め、そして得られたのは馬鹿げた虚勢だけ。檸檬のクリームと空想的な征服についての大げさな物語だけだ」
「大げさな?」
「幾つかだ。全てではない。だが信じてほしい、ザンタファーについて私は誇張していない。あれは真実だ」
「貴方が嘘をついているとは思いません。間違えていただけでしょう」
「ヴィスは間違えなどしない」 アステリオンの声には静かな重々しさがあった。
「もっとその人の近くにいるべきだったんです」
現在では、ロクソドンと親しくする人間は何ら珍しくない。キャンパスを歩くだけで、吸血鬼やコーやゴブリンが連れ立った様子がいつでも見られる。だがアステリオンの時代、彼のような貴族と戦争帰りの老いたロクソドンが友になるというのは簡単なことではなかった。洗練された社会の微妙な意味合いなどおそらくは理解できない田舎者と付き合ったなら、評判を失うだけだろう――少なくとも、アステリオンの同時代人はそんな視点を持っていたはずだ。その友情はひとつの静かな爆発となって、誰もが集うストリクスヘイヴンの設立へと至ったのだ。
「ヴィスは善い人物だった」 アステリオンが切り出した。「だが誰にでも過去というものがある。それを称える者も、それから逃れる者もいる。父の身体が弱って私が爵位を継ぐまで、ヴィスは私を気にかけてくれた。私は幾つもの街を訪れ、村の議会を取り仕切ったが、私はそういった仕事にあまり適さなかった。言わせてもらうが、当時の私は貧しい者に共感するのは困難だったのだ。だがそれが義務であったため、私は役目を務めた。ある日、国境近くの村へ出ていた時、母からの報告を受け取った。ヴィスが逮捕されたというのだ」
「逮捕。なぜです?」
「タラングラードを通過したとある商人がヴィスを、人間の言葉で『屠殺者』を意味する悪名高い傭兵だと訴えたのだ。伝えられる所では、その人物はカソーラ帝国の名のもとに幾つもの村を焼き払い、そして踵を返して同じことを沢山の敵にも行ったのだと。私がタラングラードに着いた時にはもう手遅れだった。ヴィスは街の広場に置かれた檻に閉じ込められていた。三日間に渡り、彼らはヴィスを虐めては侮辱を浴びせた。食事も、水も与えず。彼の悲鳴を無視して自分たちの仕事へ赴き、友と語り合い、市場で売り買いし、天気を思った。一方でヴィスは次第に衰弱し、黙り、やがて動かなくなった。その後、彼は無名の貧乏人の墓所へと捨てられた」
「父君はなぜ介入なさらなかったのですか?」
「したさ。町人たちはその歩みのおぼつかない老人に、君主としての義務を果たして死刑宣告をしろと要求した。人々の味方としてはとうてい拒否できない、だろう? 父は法に縛られているだけだった。なぜヴィスの死刑を命令したのかと問いただした時、父は答えなかった。『世の中には規則というものがある』、そう強調するだけだった」
そういった物語は壮大な歴史的叙事詩とはならない――小貴族と雇われ人、力を競い合う人々がいる限りはよくある話だ。ほとんどは、決して歴史家の百科事典に記入されることもない。シューログマのような人物は間違いなく、アステリオンやその家族の名前でインクを浪費しない。ましてや晒し台にかけられた召使などは。ロアホールドの生徒はどの科目でも、どれほど専門的であっても、アステリオンの物語を学ぶことはないだろう。
「ヴィスが本当にそのような行いをしていたのかどうかはわからない。そうではないと信じたい。だがもしそうだったとしても、即座に判決を下すのではなく彼にも弁明する権利はあっただろうに。クイントよ。法が不当である時、人々は暴君となる。その日私は家を出て、二度と戻らなかった。何にせよ、父の罪を償いたかった。ヴィスの名においてザンタファーを発見するのは、良い第一歩に思えた」
クイントは立ち上がり、師へと片手を差し出した。「私たち、何かを見逃しているかもしれません」
アステリオンはクイントの手を取り、立ち上がった。「私を信じるのか?」
「可能性を信じます」 そう言いながら、クイントは顔に笑みが浮かぶのを止めることはできなかった。「それにこんなに遠くまで来たのですから、全てを調べ尽くしたともう一度確認しませんか」
「その意気だ! どこから始めようか?」
「その伝説からです。ほとんどどれも、都の描写から始まっています」
「私もそのように覚えている」
「そして崩壊を。エルフによるものであったり、トロールやドワーフの手による場合もあります」
「その通り。どれも裏切りだ」とアステリオン。「民の破滅を目撃し、ザイルン=ジェドは決心した。都が略奪され支配されるよりは、崩壊を選ぶと」
「古代の神々が、正義のために大地震を起こしたという説もあります。あるいは、ロクソドンの先祖の霊の軍団が都を奈落へ引きずり落したというものも。他の仮説には、ジェドは実は魔術師であり、魔法を用いて、敵が入れず秘密を守り続けられる領域に都を封じたというものもあります。どれも結末は同じです。ロクソドンは大界の隅々にまで拡散し、ザンタファーの都がもはや失われたものではなくなるまで、統一されることはないと」
「そしてジェドの聖歌が」
「違います。それはザンタファーに言及していますが、伝説の一部ではありません」
「ヴィスが都の話を語ってくれる時は、常に入れていた。彼いわく、それが最も重要な部分なのだと――その心なのだと。だからこそ彼の父はヴィスに伝えたのだ、その更に父親から」
「なぜ――」 クイントの心に一つの考えが浮かび上がった。だが真実の響きを持つにはあまりにばかげていた。「ザンタファーが災害や古代の霊の呪いに飲み込まれたなら、本当に、永遠に失われます。ですがザンタファーが隠されているだけなら、隠した者は、相応しい者だけが辿り着けるようにするでしょう」
「ロクソドンだな」
「あるいは、ロクソドンの人々の物語を知る者が」 クイントは石柱に近づき、ジェドの聖歌を大声で詠唱した。
巡礼者よ、放浪者よ、階梯を下り、ザンタファーを見つけ出せ
見つけ出すには、まず求めよ
求めるには、まず抱け
抱くには、まず受け入れよ
受け入れるには、まずその心を知れ
低い轟きが洞窟を揺らし、きしむ音とともにその石柱が地面へと沈んでいった。そして漆黒の闇へ繋がる穴が残った。
「思い出した」 クイントとともにその穴に近づきながら、アステリオンが口を開いた。身体全体が活気を取り戻したように、クイントは鞄をあさって木槌、ハーケン、縄を取り出した。彼は石にハーケンを突き立て、縄の先端を縛り付け、結び目をきつく引いた。
「私が降ります」 クイントは鼻で松明を持った。そしてゆっくりと穴へ近づき、縄をきつく握り締めた。下から音はなかった――風音も、水音も、何かが動く兆候は一切なかった。「声をかけたら降りてきてください。大丈夫ですか?」
「待て。もし私がここに辿り着いていたのだとしても、戻ってこなかったのだぞ」
「理解しています。ですが、ここで引き返すわけにはいきません」
「君の指導教官として助言しよう、もっと慎重になりたまえ」
「よりによって今ですか?」
「死ぬとはどういうものか、わかるかね。霧と静寂の中、不意に終わる、もしくは終わりなく繰り返される広間の中をさまようのだ。どこへも通じていない階段、無限へと下る丘。忘却の中に存在し、目的もなく永遠にさまよう。どんな壮大な扉を開こうとも、くすんだ箒の戸棚に通じている。どんな鎧戸を開こうとも、容赦なく汚れてぼやけた窓があるだけだ。君とともにいない時、私が行くのはそのような場所だ。生前の償いのためなのか、それとも死した者全員の運命がこうなのかはわからない。だが、できるなら君にはその運命を被ってほしくはない。これ以上、私が気にかける者に死をもたらしたくはない」
「わかりました。ですが私は独りではありません、かつての貴方のように。もし何かありましたら、私を引き上げてください」
クイントは膝を曲げて肩に力を込め、体重をかけた。アステリオンはハーケンの隣に膝をつき、頷いた。脚に力を入れ、クイントは穴へ下っていった。最初の数分間、見えるのは岩の壁だけだったが、すぐに穴は広がって大きな空洞となった。当初、その壁面に輝くのは何かの鉱物だと思った。だが下ると、その輝きは一体の穏やかなロクソドンの、巨大な黄金像によるものだと明らかになった。像には宝石と翡翠が豊富に埋め込まれており、彼の目をくらませた。ロアホールド最初の教授のひとり、その名を抱く広間の中央に立つコレマの彫像よりも遥かに大きかった。
《身震いする発見》 アート:Campbell White |
クイントは着地し、アステリオンへと降りてくるよう呼びかけ、その間に彫像をよく見ようと近づいた。銘板のようなものはなく、だがこれはザイルン=ジェド本人の彫像だと考えずにはいられなかった。そしてクイントが予想するように純金でできているなら、その価値は大界でも最大の国家幾つかの富にも勝るかもしれない。だがこの先に眠るものに比べたら、何でもない。
「クイント」 背後から声が聞こえた。土の地面が盛り上がったものだと思ったものの上に、アステリオンは立っていた。
クイントが近づくと、人間の死体があった。あるいは六百年を経たその残骸が。ミイラ化した青灰色の身体を衣服の残骸が多い、金属片がその所々を留めていた。近づいてよく見ると、むき出しの骨の幾つかが折れ、砕けていた。左足は膝が逆に曲がり、左腕は数か所で折れているようだった。
「私は落ちたのだ」 アステリオンが口を開いた。「ここまでの長い距離を。何と愚かで猛烈な過ちだろうか。途方もないことを成し遂げたと思い、だが、ただの愚か者だったのだ。命を軽視し、無意味に死した」
クイントは指導教官の肩に手を置いた。「必ずしもそうではありません。貴方はアルケヴィオスの全てのロクソドンにとって、とてつもなく意義深いものを発見したのですから」 彼は松明を掴んだ鼻を伸ばし、アステリオンの視線をその先の洞窟へ導いた。「あれを発見したんですよ」 遥か下方の岩の中、無人の広大な大都会がそびえ、発光性の茸の下で永遠の黄昏に照らされていた。彼方の宮廷の尖塔が屋根の上に見え、この数千年で初めて訪れた客をその秘密へと招いていた。「周りを見てみませんか?」
「クイント、我が友よ。私は何世紀もの間待ったのだ。これ以上待てるものか」
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)
Strixhaven: School of Mages ストリクスヘイヴン:魔法学院
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