MAGIC STORY

ストリクスヘイヴン:魔法学院

EPISODE 06

メインストーリー第4話:試験開始

Adana Washington
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2021年4月14日

 

 不意にウィルは目を覚ました。自分の状況を認識するまでに一瞬を要した。ここは寮の自室、隅にうごめく影はまるでそれまで見ていた夢の名残か何かのようだった。着たままの制服には皺が寄っていた。最新の宿題は終わらないまま、まだ目の前の机にあった。外にはアルケヴィオスの夜が広がっていた。深い闇を、キャンパスに点在するいつもの奇妙な輝きが貫いていた。ローアンの気配はなかった。彼女が所有する半分は、この数週間散らかったままだった。彼は立ち上がり、首筋の痛みにひるみ、その時、廊下から叫び声が届いた。

「――南の門を!」

「どれだけの人数を――」

「全員が――」

 生徒の群れが急ぎ通り過ぎていく中に、ウィルはプリズマリのメイジタワーの選手を見つけた。アルロ・ウィッケル、土の魔法でクイントを感嘆させていたポイントガード。

「あの! どうしたんですか?」

 ウィッケルは廊下の先を指さした。「一年生はついて行け! ユヴィルダ学部長が待ってるから、指示されたシェルターに向かえ!」

「ですが、何が起こっているんです?」

「オリークだ」 彼はそっけなく言うと、背を向けて年少の生徒たちを追いかけた。ウィルはしばし立ちすくみ、呆然とし、ふらつく感覚が腹の内に広がっていった。オニキス教授の言う通りだった。

 外に出ると、ウィルは完全な混沌の中に入り込んだ。人だかりには寮から溢れ出た生徒たちが次々と加わっていたが、彼らは庭園の片隅で立ち尽くしていた。その顔に唖然として恐怖を浮かべる彼らの先に、ウィルは迫りくる暗い人影の壁を見た。

 違う――人影ではない。生物。

魔道士狩りの猛攻》 アート:Lie Setiawan

 赤紫色の肉を昆虫のような甲殻が覆ったものが、整えられた芝生の上を細く尖った脚で進んできた。背中には輝く紫色の棘が目のない頭部まで続き、顔面にあるのは歯がずらりと並ぶ大きく開けた口だけだった。恐ろしい金切り声が宙を裂いた。

 飢えた声だった。

 当初、ウィルは膝が震えているのかと思った――だが地面そのものが揺れていた。見ると、ウィッケルが生徒たちの前に踏み出していた。その身体をエネルギーに震わせ、彼は足元の地面へと両手を突き立てた。うねる土がその場所から半円形に波打ち、固い土の壁が立ち上がってその生物の群れと生徒とを隔てた。彼は目を見開く一年生たちへと振り返った。「逃げろ! 逃げろと言ったんだ!」

 急いで従いながらも、ウィルはそのおぞましい生物が壁の東側をたやすく越えてくる様子を見た。片割れを見つけなければ。ローアンはどこにいる?


 ストリクスヘイヴンのキャンパスを駆けながら、ローアンは吼え、剣を振るった。それは固い甲殻の間の関節を砕き、黒い血の塊が制服に飛び散り、ウィザーブルームの寮を取り囲む草むした庭園に零れた。背後ではプリンクが一体から後ずさり、恐怖に悲鳴を上げながらも詠唱を叫んでいた。オーベルニンは土から棘の根を呼び出して生物の足に絡め、地面へと引きずり倒した。

「うじゃうじゃと!」 プリンクが叫び、その生物の死骸につまずきかけた。「囲まれてる! もうだめだわ! 降参よ!」

 ウィザーブルームの建物に続く広場をローアンは見た。友人の言う通りだった。この生物は不気味に輝くキチン質の壁となって前進し、生徒たちを寮へ追い詰めようとしていた。

「先生たちが来るまで待てば――」 オーベルニンがそう言いかけた。

「無理よ。待ってたら飲み込まれるでしょうね。突破しないと。ここを出ないと」とローアン。

「出たとして、どこへ行くのよ?」 オーベルニンの声は必死だった。

 大図書棟へ視線を向けると、ローアンの思考は自然とウィルへと向かった。彼がいるとすれば、そこだ。「あそこへ」 彼女は夜の中の大きな影を指さした。

「あら、今になって勉強したい気分なの?」 半ば興奮したように、ふらつきながらプリンクが近づいてきた。

 だがそこへ彼女を引き寄せるのはウィルだけではない。大図書棟はキャンパスの中心なのだ。学部長や教授たちが抵抗する場所を選ぶとしたら、あそこだ――そして片割れはいつも熱弁を振るっていた、大図書棟の埃だらけの秘本には強力な呪文がしまわれていると。ウィル、あなたが正しいことを願うわ。


「オニキス先生、危ない!」

 生徒の叫びに振り向いた瞬間、オリークの工作員が物騒なエネルギーの渦を放ってきた。相手から生命力を吸い取るための危険な呪文――だが彼女はそういった類の呪文に極めて長けていた。彼女は伸ばした掌から数インチの所でその呪文を止め、冷淡に見つめた。背後で、少し前まで授業を受けていた生徒たちが見つめ、唖然とし、恐怖していた。この子たちに当てる気だった――いいわ、それならこちらも。身振りひとつで、そして威力を倍にして、リリアナはそれを唱えた相手へと送り返した。工作員は避けようとしたが、その貪欲な魔法は叫ぶ暇すら与えずに相手を飲み込んだ。

 キアンとイムブラハムの両学部長が加わり、また別の生徒たちの群れを追いかけてクアンドリクスの建物へ続く道を進んだ。「オニキス教授」 イムブラハムがその甲高く奇妙な声で言った。「我々は非常に奇異な敵に追われております。思うに他の大学とも合流して――」

 その声は悲鳴によって断ち切られた。一人の生徒が遅れていた。「行きなさい!」 イムブラハムは吼えた。「ここの生徒たちは私が預かります」

 直ちに、キアンとリリアナは大股で駆けた。この時は別の悲鳴が続いた。見ると、ひとりの生徒が地面に倒れて縮こまり、昆虫に似た怪物が迫っていた。「魔道士狩りだわ」 キアンが小声で囁いた。影から、更なる数が湧き出るのが見えた。それらの尖った脚が石畳に音を立てた。

 その生物はのけぞり、身体の節が輝き、その時キアンが幾何学の魔力を槍にして放ち、それを貫いた。リリアナは怯えた生徒を掴んで背後に押しやった。「逃げなさい」

 だが別の何かが目にとまった――四方八方にうごめく闇の只中に、赤く見慣れない服をまとった姿があった。人間のように見えた――少なくとも、一見して人間だとリリアナは思った。だがその顔は何かが違っていた。伸びて尖った頬骨は、どこか大顎を思わせた。その男がリリアナの視線を受け止めると、不気味なほどに同調した動きで、他の魔道士狩りの全てが二人へと向かってきた。

「あれは一体?」とキアン。

「わかりません」とリリアナ。「ですが、あの男がいかにしてかこの群れを操っているようです」

 キアン学部長は恐怖に顔を歪めた。「この全てを? そのような魔法は見たこともありません」

「常に呪文というものはあるものです」 リリアナはそう呟いた。彼女は手を伸ばして指先から魔力の黒い糸を放ち、だがその男に触れるよりも早く、生物の一体が間に入った。呪文は魔道士狩りの甲殻に穴を穿ち、キチン質を砕いて塵にまで崩した。

学舎防衛》 アート:Izzy

 リリアナの隣でキアン学部長が両手を挙げ、光がその周囲に輝いた。すぐに、角ばった猫に似たフラクタルの群れが集合した。構築物たちは彼女の指示で前へ跳び、迫りくる魔道士狩りの波に衝突した。赤い服の男は棘だらけの身体の群れの中へと消え、リリアナは追いかけようとした。だが飛び出しかけた所で、何かが彼女を止めた。

 この大混乱。キャンパス全体への攻撃、けれど破壊と混乱以外に目立った狙いはないような。何故?

 何故なら。リリアナは迫りくる恐怖とともに悟った。これは攻撃ではない――陽動だ。


 ウィルは駆けた。全速力で、追いかけてくるおぞましい生物とその沢山の脚については考えないようにしながら、あるいは速度を上げながら燃えるように熱い肺や、滑りそうになる足元の濡れた草についても――

 待て。足は止めることなく、ウィルは片手を地面に突き出して少し集中した。背後で、濡れた草が固い氷に覆われた。肩越しに振り返った瞬間、一体の怪物の長い脚が滑り、それは横転した。

「やった!」 ウィルは喜び、だが直後に棘だらけの巨大なものに激突した。

 その殻に跳ね返った瞬間、鉤爪が振るわれた。それはウィルの制服を切ったが身体までは届かなかった。彼は倒れたが素早く転がり、一瞬前に彼がいた地面に別の鉤爪が突き立てられた。ウィルはやみくもに両腕を突き出し、甲殻で守られた胴体に触れ、速やかに熱を吸収して殻を中央から割った。その生物は悲鳴とともに倒れたが、同時に次の一体が立ち上がって小走りに向かってきた。

魔道士狩り》 アート:Mathias Kollros

 不意に、ひとつの咆哮が宙を満たし、空に轟いた。更なる咆哮がそれに応え、やがて不協和音に地面が震えた。多脚の生物はウィルから跳びのき、素早く逃げるように駆けた――だが素早すぎはしなかった。

 炎の柱が空から放たれて押し寄せた。侵入してきた生物の悲鳴がそこかしこで聞こえ、殻が燃やされて弾け、炭化して大気には煤の匂いが漂った。一瞬でそれらはただの灰と化し、巨大な翼の羽ばたきが起こした風に散っていった。

 ウィルは両腕を頭上に振り上げ、氷の膜を呼び出して辺りを引き裂く次の炎の波から身を守った。焼け付く熱を防ぐには貧弱だったが、ウィルはこみあげる喜びを抑えきれずにいた。ドラゴンたちが来てくれたのだ。


 名前を呼ぶ声にローアンは振り返り、メインキャンパスへ駆けていく友人たちからひとり残った。そこに、氷の剣を手にし、制服の前面に間抜けな切れ目を作って、片割れの姿があった。「ウィル!」

 二人は駆け寄り、固い抱擁を交わした。離れると、ローアンは彼が手にした即席の武器に眉をひそめた。「剣はどうしたの?」

「僕たちの部屋に」 息を切らしながらウィルは答えた。「急いで来たから」

「危ない!」 二人の背後で誰かが叫んだ。振り向くと、オリークの工作員が生垣の背後から踏み出し、手を突き出し、血のように赤い危険なエネルギーの棘を二人へと放った。ローアンはかろうじてウィルを地面に突き飛ばした。

 喉を鳴らすような低い音、続く静寂。そしてローアンは自分が両眼をきつく閉じていると気づいた。目を開けると、オリークは無様な姿で地面に横たわっていた。その隣に、オニキス教授のあの断固とした姿があった。その冷たい紫色の瞳が二人に向けられた。「あなたたち。何故避難していないのです?」

「攻撃を受けて」 ほぼ声を揃えて二人は言った。

「プリズマリの寮で」とウィル。

「私はウィザーブルームで」とローアン。「あの生物、私たちを取り囲んでいました――まるで、私たちをそこに留めておきたいみたいに」

「そのための存在なのです」 オニキス教授が答えた。「これは何かの陽動の一部」

「陽動って何のですか?」 ウィルが尋ねた。

「私にもわかりません。今はまだ。ですがわかることがひとつ――魔道士狩りはただ生徒たちを追い立てているだけではありません。大図書棟を包囲して障壁を作っています」

 障壁。ローアンは嫌な響きに思えた。棘だらけの、触手を紫色に輝かせた、カチカチいう歯の生きた壁。「私たちはどうすれば?」

 教授はその紫色の瞳を二人へと向けた。「責任感のある教授であれば、あなたたち二人をどこか安全な場所へ連れて行くでしょうね。この何もかもから、しっかりと守るでしょうね」

「けれど、そのつもりはない、ですよね?」とローアン。

 教授は口の端を歪めた――笑み、と言ってもいいかもしれない、ローアンはそう思った。「ええ。私はそんな責任感のある人物ではなくてね。そして手助けが要るのよ」


「つまり、ここから入っていくんですか?」 ウィルはそう尋ね、円形に並ぶ石に手を触れた。それはウィザーブルームの広大なキャンパスの一画、うねる丘のひとつに置かれていた。

「そう。古い整備用の通路。私が生徒だった頃に発見したのよ」 教授はその入り口に手を置き、小声で何かを呟いた。ゆっくりと軋む音はウィルには不安になるほどうるさく聞こえた。石の並びは分かれ、丘の斜面へと引っ込んだ。その先は長く暗い地下道になっていた。

「生徒をここへ?」 ウィルが尋ねた。

 ローアンとオニキス教授は揃って眉をひそめた。

「あ、うん、違うよね」

 ローアンは片手に光の球を呼び出すと、通路へと注意深く数歩踏み出した。教授とウィルがすぐ後についた。

「その、この先には」 ウィルが切り出した。「何かが待っているんですか?」

「わからない」とオニキス教授。「でも何かがあるかもしれない。ストリクスヘイヴンの誰も長いことこの地下道を使っていない、けれどこの存在を知っているのが私だけとはとても言えないわね。エクスタスはこの数か月、ここを使って手下を送り込んでいたのでしょうから」

「エクスタス?」

「この何もかもを引き起こした男。オリークの首領よ」

 ウィルは何かが喉に詰まるのを感じた。「ああ。つまり、闇の魔術を操る凶悪な魔道士の群れに備えろ、ということですか」

「ウィル、気を引き締めなさい」とローアン。「これまでに遭ったこともないものなのよ」

「そうかしら?」 オニキス教授は面白がったようだった。「あなたたち二人はこの件の英雄になれそうかしらね。まあ、私はとやかく言える身ではないわ」

 それが何を意味するのか、ウィルにはわからなかった。


 大図書棟の中、緩やかな曲線を描く通路を闊歩しながら、エクスタスは片手を立派な木の本棚に走らせた。これら古の書物には多くの知恵がある――それでもその一滴すら、今の自分たちの力にはなりそうになかった。この場所の変わらない静けさを再び耳にするのは奇妙なもので、今やその静寂は時折、中にとらわれた生徒の悲鳴で破られるだけだった。

「エクスタス様!」

 名前を呼ぶ声に彼は振り返った。すり切れてページが黄ばんだ重々しい書物を抱え、工作員のひとりが近づいてきた。声から正しく判断するならそれはタヴァー、目的へと熱心に献身する若い構成員だった。彼は既に、学校の奥深くで幾つかの任務をこなしていた。

「東区画で見つけました。エクスタス様が仰った通りです」

「よくやった」 エクスタスはその本を受け取り、分厚い埃を拭った。淡い光の中、金文字が輝いた。

「それは何なのですか? 差支えなければですが」 タヴァーが尋ねた。

「これもまた見逃され、腐るがままにされていた、ひとつの眩い知恵の作品だ。目的に違うなら、奴らはすぐさま我らを投げ捨てる」 彼は情けを胸に、片手を差し出した。「君の今日のあらゆる働きに報いよう」

 工作員がその手をとろうとした瞬間、エクスタスはその先にシルバークイルのローブをまとった生徒の姿を目撃した。酷い怪我を負っており、片腕を力なくぶら下げ、だが純粋な憤怒の表情を浮かべて両者を睨みつけてきた。その生徒が織り上げる呪文から憎悪の放射を感じた。完璧な闇の球が、まっすぐに放たれた。

 躊躇なく、エクスタスはタヴァーの腕を強く掴んで引き寄せ、その身体で呪文を防いだ。工作員の身体はその衝撃に潰され、仮面の中に悲鳴が反響し、力を失って床に崩れ落ちた。生徒は両腕を掲げ、更なるエネルギーを集めようとしたが消耗していた。エクスタスは弾ける稲妻を放ち、それは宙を走って生徒に命中した。生徒が倒れると、図書室は再び静まった。

 今や動かなくなった工作員の身体を彼は見下ろした。そしてそれ以上留まることはせず、エクスタスは進んだ。


「これを学生のときに見つけたんですか?」 ウィルが驚嘆した。その声は石のトンネルの壁で不気味に反響した。

「どれくらい昔なの?」 ローアンが尋ねた。彼女が持つ唯一の光が、魔力の火花を散らして三人の影を奇妙に揺らしていた。

「とても昔のことよ」 オニキス教授はそう返答した。「今とは全然違う時代。私もその頃は全く違う人物だったわ」

 三人は洞窟のような場所に出た。灰色の石の天井は頭上で暗闇へと消えていた。三人が立つ場所から、地割れを隔てて別のトンネルが続いていた。薄明りの中、深淵の上にかかる木の橋がかろうじて見えた。

「その、他に渡る道はないんでしょうか?」 すり切れた縄と古ぼけた木の板を見つめ、ウィルが尋ねた。

「わかると思うけれど、私は見つけていないわよ」 オニキス教授はその端にそっと足を乗せた。ローアンが続き、腐った木の板を危険な速度で渡っていった。

「もっとゆっくり行けよ」 ウィルはそう言い、彼女の後を注意深く続いた。

「ここで時間を無駄にしている間にも、オリークが皆を傷つけているのよ」 肩越しにローアンが言った。その一歩ごとに、木の塊が足元の裂け目に落ちていった。

 ひび割れ音が大気を裂き、壁に跳ね返った。落石とともに塵が舞い上がった。ローアンが更に一歩踏み出すと、その足元で木の板が割れた。

 ローアンが落下した瞬間にウィルは跳び、彼女の手首をしっかりと掴んだ。木の板を更に落としながら彼はローアンを持ち上げ、橋に引き上げた。二人は激しく息をつき、そして残りの道を這うように進んだ。

「ありがとう」 ローアンの声は震えていた。

「さっき助けてもらったからな」

「こっちよ」 橋を渡った先でオニキス教授が言った。二人が死にかけた所はほとんど見ていなかったようだった。「急ぎなさい」

「その人は何をしようとしているんですか?」とウィル。「エクスタスです。何のためにここへ?」

「あの男が求めるものはいくらでもあるわ。とてつもなく価値の高い秘本、魔法のアーティファクト――大図書棟は野心のある誇大妄想狂が欲しがるもので一杯よ」

「では、教授は僕たちをどこへ連れて行こうと?」

「もし私が可能な限り最大の損害をもたらしたいと考えたならどこへ行くか、その場所へ」

 教授がトンネルを進み続ける中、ウィルは見つめるだけだった。

「進まないと」 ローアンが言い、彼をそっと突いた。


 神託者の聖堂へ続く両開きの扉、その滑らかで冷たい木材にエクスタスは片手を触れた。鍵はかかっていたが、ありがたいことにオリークの攻撃はとても迅速だったため、護法の印は何も設置されていなかった。意志をわずかに働かせ、彼は扉を蝶番から外して中へと踏み入った。

神託者の広間》 アート:Piotr Dura

 その部屋を取り囲むのは厳格な、皺だらけの、石に刻まれた風貌だった――神託者たち。死して長いが、忘れ去られてはいない。彼らの硬質な瞳に、確かな嘲りを見たとエクスタスは思った。墓に入ってもなお、ここに彼がいることを認めていないかのように。この場にふさわしいと思っていないかのように。

 それは問題ではなかった。彼らは死んだのだ。そして終わった時には、死んでいたことをありがたく思うだろう。

 彼は視線を天井へ移した。仮面を被っていてもなお、その光に目を狭めねばならなかった。ストリクスヘイヴンの交錯が宙に浮き、エネルギーの触手が広間全体にうねって叩きつけられていた。この世界の始原からのマナが、力の大渦となって今も暴れている。その下には一連の石の輪が座していた。渦そのものと同じほどに古い、封じ込めの円。エクスタスはそう知っていた。その光は柔らかな青い輝きで部屋全体を照らし、床に影を躍らせていた。

 そうだ。これがやってくれる。

 彼は手に持った本を開き、黄ばんだページをめくり、探していたものを見つけた。

 廊下から足音が響き、オリークの工作員たちが入ってきた。全員が本もしくは巻物を手にしていた。エクスタスは頷き、顔に広がる軽薄な笑みを仮面が隠してくれることを感謝した。「宜しい。打ち合わせの通りに並べるのだ。時は来た」

 工作員たちはひとつひとつ、書物や巻物を首領の前に注意深く置き、やがて彼の前には半円状に古の書物が開かれた。今この時を一瞬だけ味わうと、エクスタスは読みはじめた。


 交錯に辿り着くまでには戦って進まねばならない、リリアナはそう予想していた。最高の宝をオリークが守らない理由はない――だが自分たちの「冒険」のその部分がこれほど熱いものになろうとは予想していなかった。彼女が手を下す必要はほとんどなかった。仮面のオリークの姿が見えた瞬間、ローアンはエネルギーの波で彼らを打ち、地面にのたうたせた。ウィルもまた極めて有用だった。倒れたオリークの工作員を氷の殻で包み、筋肉の動きを止められた彼らは震えることしかできなかった。だが神託者の聖堂に辿り着くと、既に扉は裂かれていた。その中、渦の揺らめく光に照らされ、彼らの中央で、ひとりが巨大で重々しい秘本から何かを読み上げていた。

 大気中の秘儀の流れが変わるのを彼女は感じ、聞いた。これまでにも何度となく感じたように。強大な闇の魔法がこの場所に働いている。ケンリスの双子ですら何かに気付いたようだった。二人とも、彼女の隣で黙りこくっていた。

「遅かったわ」とリリアナ。「あの男はもう交錯に自分自身を繋げた」

「それでも行かないと」 三人を掌握していた呆然自失状態から、ローアンは最初に回復した。そして部屋へ突入した。

「待てよ!」 ウィルが叫び、リリアナが止める間もなく追いかけた。馬鹿な子たち――自由にできる力を手にしたあの男に敵うはずがない、彼女はそう思った。

 仮面の魔道士たちは既に振り返っており、彼らの手は眩しい炎や泡立つ毒といった粗野で危険な呪文で照らされていた。ローアンは憤怒と高揚が混じった叫びを上げ、すると抑えのきかない力が解き放たれた。稲妻が彼女の皮膚を這ってオリークの群れへと跳び、彼らはフードの下から煙を上げて崩れ落ちた。この娘の力は既にかなりのもの、リリアナはそう思った。もう数年もすれば、真に恐るべき存在になるだろう。

 だが経験の方はまだ足りないと言えた。指に物騒な力をまとわせて背後から近づく工作員にローアンは気付いていなかった。リリアナは集中し、宙にうねる秘儀のエネルギーを、その工作員の魂の小さな光を感じると、時の流れがしばし遅くなったように感じた。意志を獰猛に振るい、彼女は工作員の身体からそれを奪い取った。相手は床に崩れ落ちた。

 呪文が彼女へと浴びせられたのはその時だった。何? リリアナはその攻撃の源に顔を向けた。エクスタスが、あの重い本を手にしながら片手を伸ばしていた。だが攻撃的な魔法の気配も、炎の熱も、死の魔術のふらつく感覚も一切感じなかった。何を当てられたの?

 不意に辺りが歪み、足元が揺れたように思えた。全てが不快に回転し、眩暈の感覚が胃にうねった。プレインズウォークとは似ていない、だが病的でねじれた感覚。そして最後に見たのは、ケンリスの少年だった――リリアナではなく、片割れを見つめていた。恐怖の表情、だがそれはローアンの状況に対してのものか、ローアン自身に対してのものか、リリアナはわからなかった。そして視界が暗転した。

 目を開けると、交錯の光はなかった。

 闇に眼が慣れ、リリアナは瞬きをした。身体を起こし、手が土と落ち葉をこすった。そして辺りを見ると、ようやく心が晴れて周囲の森の形状を認識した。強制転移魔法。これを当てられたのは初めてだった。

 彼女は何とか立ち上がった。前方で、ストリクスヘイヴンへと導く松明の一本が見えた。キャンパスもその先の遠くのどこかにある、視界の彼方に。

 二人とも、死なないようにしなさい。私も向かうから――長い徒歩の道になるけれど。


 ローアンはオニキス教授がいた場所を見つめ、そしてエクスタスへと向き直った。「先生に何をしたの?」

 仮面の人物は返答しなかった。不満にうなり、ローアンは片手をその男へと伸ばした。稲妻が走って大気が割れ、だがオリークの首領はただ彼女へと身振りをしただけだった。稲妻は単純に止まり、宙から落ち、まるでガラスのように床で砕けた。そしてエクスタスは蠅を叩くように無造作に手を振り、力の波を放った。ローアンは大気が曲がり、歪んだのを見た。彼女は目を閉じて両手を挙げた――だがその呪文に引き裂かれるのではなく、氷の破片を浴びた。ウィルが張った壁が砕かれたのだ。

「いいか、ローアン!」 ウィルが叫び、彼女の肩を掴んだ。「僕たちの魔法を同調させるんだ、これまでやってきたように」

「あなたが言ったんでしょ――私はもう自分の力を抑えられないって! 何か、違うのよ。私たちの魔法が変化してる」

「ああ。君の力は強くなった。けど僕はもっと制御できるようになった。一緒ならできる。他に方法はない!」

 他に方法はない、それは違う。ローアンは再びエクスタスと、その背後にうねって輝く荒々しい魔法の嵐を見た。交錯、オニキス教授はそう呼んでいた。そこから放たれる力を彼女は感じた、どのような魔道士が振るう力よりも強いものを。それを確保して、引き出せる。あのプリズマリの生徒の水のエレメンタルから力を引き出したように。「あいつがやろうとしてることは、私たちにもできる――私たちも交錯から力を引き出せる。汚いけど同じ手を使うのよ!」

「危険すぎる! あの力は大きすぎる、君が死ぬぞ! ストリクスヘイヴンの全てを壊――」

 エクスタスが立つ場所から、次の力の波が吠えてその言葉は遮られた。ウィルは再び氷の壁を張ったが、この時は相手の呪文が更なる威力で衝突し、二人は部屋の反対側まで吹き飛ばされた。


 頭がふらつく中、ローアンは身体を起こした。少し離れた場所でウィルもそうしていた。何かが足を濡らし、靴に染みるのを感じた。警戒しながら見ると、それは血だった。

 自分の血ではない、だがウィルの血でもなかった。その流れは部屋全体に広がっているようだった。その流れをたどり、彼女の視線はエクスタスの頭上に浮く交錯へと移動した。それまで青く輝いていたそれは、今や深紅の光を放っていた。

 骨を鳴らす咆哮が広間を震わせ、壁にひびを走らせて何世紀もの埃を降らせた。更なる亀裂が部屋に走り、天井の破片が降り注いだ。

 ローアンはウィルへと跳び、共に転がり避けた瞬間、床に石の塊が落下した。また別の石が落ち、近くでもたつくオリークの工作員を潰した。ローアンはひるんだ。

 エクスタスの目の前に並ぶ石の同心円から更なる血が流れ出し、泉のように泡立った。か細い川として始まったそれは今や奔流となっていた。甘い鉄の匂いがローアンの鼻を満たした。

 交錯の下で、エクスタスが両腕を広げた。「甦れ、偉大なるものよ! 来たれ、血の化身よ! この不公平な世界に怒りを解き放つのだ!」

 石の円の中、泡立つ血の泉から、二つの尖ったものが形を成し、伸びて曲がり、角となった。何かが這い出ようとしていた。

 ローアンは後ずさり、背中が壁に当たった。違う。角ではなく、古の青銅の兜。巨大で、わずかに人型をしたものが立ち上がった、四本の太い腕のそれぞれ先に、刃と棘だらけの物騒な武器を掴んでいた。戦のための生物、それは明白だった。唯一の目的は、何世紀にも渡って続いてきたものを壊すこと。

 これこそがエクスタスの計画だったのだ。自分たちはこれを止めようとしていたのだ。そして今、自分たちの失敗は全員の死を意味するかもしれない。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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