MAGIC STORY

イニストラード:真夜中の狩り

EPISODE 03

メインストーリー第2話:狼の真意

K. Arsenault Rivera
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2021年9月8日

 

「この森は俺たちのものだ」 トヴォラーが告げた。口数の多くない男だと言われていたが、話しかけてくれた。これが自分の、初めての狩りだからかもしれない。その時の彼女は、ひどい見た目の少女だった――泥と血と土にまみれていた。ずっとこんな感じになるなら、髪を編んだ方がいいだろうか、ぼんやりとそう思った。

「けど、ケッシグの人たちは?」 尋ねざるを得ない、そう感じた。

 トヴォラーはうなり声を上げた。

 彼はアーリンをまっすぐに見つめ、彼女もまっすぐに見つめ返した。尋ねるのが当然、それだけだった。彼女は膝を胸に抱え込んだ。「私は、ただ――分け合えると思って」

不吉な首領、トヴォラー》 アート:Chris Rahn

 血にまみれたこの姿は、あまりに奇妙に見えるに違いない。村に戻る勇気を持てずにいた。今、彼女が守っている村を。トヴォラーは彼女が人間の姿に戻った後も、ここにいてくれていた。仲間の存在がありがたかった――今独りになるのは、家族に顔を合わせるよりも怖かった。散々な姿ではあるけれど、独りではないとわかっているために、この状況の方がどこか心は安らいだ。

 トヴォラーはケッシグの地で名高い怪物であり、子供たちはその名に怯えていた。この四、五年間ずっと、彼の噂を耳にしていた。彼の行いも、そうでないもの沢山。全滅させられた家畜の群れ。引き裂かれ、ばらばらにされた家々。吸血鬼を殺した、闇の魔術をたしなんでいる、そんなありとあらゆる噂を。

 だが朝、アーリンが普段のように目覚めると、トヴォラーは彼女の毛布を受け取り、隣に腰を下ろした。横に座る男は筋肉の塊のようで、歯は鋭く、だが彼女を怯えさせないように身体を小さくしていた。口数少ないながらも、トヴォラーは何があったのかを説明してくれた。

 最初にアーリンが尋ねたのは、自分は誰かを殺したかということだった。「昨晩は殺していない」、それが返答だった。そしてそのように、二人の会話は、大したものではないが、始まった。そして真に気詰まりな沈黙の、最初の瞬間が訪れた。

 だがやがて、彼は立ち上がった。ついて来るか、そう尋ねることもしなかった。

 彼女は単純に、ついて行った。


 自身の行動を理解するよりも早く、彼女は動いた――あの魔女の傍の森に飛び込み、駆けた。その過程で衣服はでたらめに脱げ落ちた。狼たちは彼女を待たずに走っていた。「稲光」は全員の先頭を躍動していた――だがふと彼女を振り返り、アーリンも頷き返した。

 遠吠えが森の静寂を貫いた。その静寂とは静寂ではなく、内に何千という生命が栄える静寂。彼女はそれを知っていた。あの男を知っていた。

 そして彼も、無論、アーリンがここにいると知っていた。

 なぜ、何か違うものを期待したのだろう。

 彼に追いついたなら、何が待っているのだろう。


「狩りとは俺たちそのものだ」 トヴォラーはそう語った。

 アーリンはそれが気に入らなかった。何か良くないものがあった――大気に、幾らかの闇の魔術が。時間は早朝、誰の姿も、どんなものでも目に入るかもしれない。間違いなく、森には狩人たちがいるだろう。 間違いなく、誰かがいる――村人たちが、あるいは、自分がこの男と一緒にいる所を見て、何が起こったのかを把握するかもしれない。

「でも、それがただの狩りなら、みんな怖がることはないでしょう。人を殺す必要はないんだから」

 あらゆるケッシグ人と同じく、アーリンはもっともな前提を見ていた。人々は毎朝、森から死体を引きずり出す。そうしなければならないのだ、特に満月の後は。狼男だけで沢山だった――ケッシグの複雑な問題に、誰も幽霊を加えたくはなかった。狩人たちはしばしば、武器を求めて彼女の父の鍛冶場を訪れた。自分たちが見たものを話してくれることもあった――人間ふたりを重ねたよりも大きな獣たちが、コード古老が紙を切り裂くようにやすやすと肉を裂くのだ。彼らの武器は効能確かな聖印と同じように、家々やさまざまな建物を飾った。

 父は言っていた、それらが彼女を守ってくれるだろうと。皆が言っていた。

 だがアーリンは村の陰気な前途に多くの安らぎを見出したことはなかった。彼らの中では、いつも、してはいけないことだらけだった――森へ入ってはいけない。笛をうるさく吹いてはいけない。旅人が通っても、よそ者に挨拶したり新しい友達を作ってはいけない。用心と天使が自分たちの安全をくれる、そう思われていた。けれどそれらは同時に彼女の世界を狭く、退屈にしていた。

『お前を信用はしない。出ていけ』――自分の村は、世界にそう言っていた。それ以上を望むことはできないのだろうか?

 そしてあの遠吠えを聞いた時、彼女はそこに「それ以上」があると知った。その響きはとても幸せで、とても優しくて、とても……そう、古い友達のようだった。

 壁から解き放たれた、聖印から解き放たれた人生。恐怖から解き放たれた、それ以外の何かでいっぱいの人生。

 夜闇にまぎれて、彼女は駆けた。

 トヴォラーが肩越しに振り返った。「そう思っているのか?」

「はい」 心から、アーリンは答えた。

 彼はかぶりを振って歩き続けた。彼女は続いた。


 最初の狩りの後、物事は決して同じようには目に映らなかった。狼の目で見て初めて、人間の視界はどれほど限られているのかがわかった。人間の目が映すのは、世界のごく小さな一部でしかなかった。人間の目では、下藪にのたくる芋虫を見ることはできない。人間の鼻では、数マイル先の大気に漂う血の匂いを嗅ぎ取ることはできない。人間の舌では、夜の鋭い味を感じることはできない。

 だが狼としてなら、その全てがわかった。そして彼がすぐ先にいることも。姿が見えるよりもずっと早く、彼の匂いを感じていた。同じく、彼を取り巻く他の者たちも――アーリンが知っている者も、明らかに知らない者もいた。

 彼女は訝しんだ。どうして、皆ここに?

 やがて木々が途切れると、その姿がようやく見え、彼女は急停止した。トヴォラーはそこにいた。その両目は変わらず夜を貫き、巨体の狼たちに囲まれていた。アーリンは決して最も小さい個体ではないが、新参者たちの腕は辺りの木のように太かった。一体は負い革のように船の鎖をまとっていた。変身するには、まだ夜は浅くないだろうか?

 群れ仲間に挟まれたトヴォラーは、人間の男の大きさに見えた。もちろん彼は人間ではない。アーリンが近づくと、無愛想な顔が、微笑もうとしているのがはっきりと見えた。「よく戻ったな」

「調べに来ました」 アーリンはそう言い、新参者たちを上から下まで見て、本能的なうなり声を押し殺した。「この狼たちは?」

 トヴォラーは「赤牙」の近くで立ち止まった。アーリンの首周りの毛が逆立った。

 彼はアーリンに目を合わせ、そして歩き去った。

 ついて来い、そう言う必要はなかった。


 アーリンの胃袋は空になりかけていた。甘く、刺激のある毒気がアーリンの喉を上ってきた。先に何が待っているかを正しく知っており、トヴォラーに先導を止めて欲しかった。彼を追うのを止めたかった。

 けれど、そうしたところで何処へ行けばいい? 今の彼女は彼と同じく、ただの狼なのだ。何が起ころうとも、独りで放っておかれたならやがてただ暴れまわって人生を終える可能性は高かった。

 ただ立ち去るというのはできなかった。

 だから彼女は追った。そしてトヴォラーがその死体を彼女に示すと、アーリンは嘔吐しないように全力を尽くした。その全力はあまり上手くいかなかった。狩人が三人、まるでありふれた獣のように引き裂かれ、肋骨は日の光にさらされ、彼らの顔には死の恐怖が凍り付いていた。松の葉のようにクロスボウと銀の矢が辺りに散らばっていた。アヴァシンの聖印が血に濡れ、彼らの手に握られていた。どこを見ても、見るに耐えないものがあった。そしてどこを見ても、胃袋は空になることを求めた。やがて遂にそうなり、味わった生の鹿肉が全て吐き戻された。

 トヴォラーは不満そうにうなった。彼はアーリンの肩に手を置き、その死体に再び対峙させた。

「やめて」 彼女はどもりながら言った「見たくない」

 だが彼は手を置いたままでいた。「理解するんだ」

 アーリンは息を吸った。「けれどどうして? これに何の……」

 トヴォラーは手を放し、大股で死体へと近づいていった。彼女が三歩かかる所を彼はたったの一歩だった。死体の隣に膝をつき、彼は再びアーリンを見た。「昨晩、どう感じた?」

 彼女は息をのんだ。「解放されたみたいに。けれどもその価値は――」

「解放には、何を差し出してもいいほどの価値がある」 彼はそう答えた。そして立ち上がり、靴の先で死体のひとつを蹴った。「俺は、隠れるのにはうんざりだ」

 なんと奇妙なことだろうか。アーリンは、隠れることだけを求めていた。


 目にするよりも先に、匂いを感じ取った。

 狼がいる。沢山の狼が。今は人間の姿をまとっているが、彼らの正体は、その飢えは、村人が見る目は変わらない。彼らは狼なのだ――そして彼女もまた。

 彼らは聖戦士からくすねた鎧を比べていた。その皮膚に描いた模様は毛皮にも表れるのだろう。生まれたばかりの子犬のように戯れる者たちもいた。あまりに沢山の新顔、彼女をくらくらさせる新しい匂い。恐怖が収まりはじめると、彼女は人間の姿に戻った。

 何故ならもちろん、彼女の両目は全てを語らないから。

 この狼たちからモンドロネンの匂いはしなかった。トヴォラーの群れではない。ならば何故ここに? そして他の狼たちは――トヴォラーの取り巻きのように、彼らは頭と肩を他よりも高く上げ、その顔は警戒しているように見えた――何者なのだろう?

 ただの狩りではない何かがあった。

アート:Ryan Pancoast

 耳に届いた遠吠えがそのほとんどを告げてくれた。子供の頃、その音を防ぐために耳栓をしていた。だが今、音を防ぐことができるとは思わなかった。この夜、何十体もの狼が呼びかけ合い、あるいは百もの声がそれぞれの存在を宣言している。ここにいる、狩りへ行こう。

 月の出がいよいよ近づくと、その声はアーリンの喉元にも出かかった。既に少なくない数が、熱望するように――トヴォラーの取り巻きのように――変身を開始していた。骨が曲がり弾ける音が散発的に、かすかな遠吠えに添えられた。

 トヴォラーが彼女へと向き直った。辺りの狼たちを大きく身振りで示すと、その顔には笑みが、両目には矜持があった。歩みを進める中、彼はとても高い遠吠えで迎えられた。アーリンはそれを皮膚で感じるほどだった――モンドロネンの吠え群れの敬礼だ。

「この狼たちは?」 彼女はそう尋ねた。

「家族だ。新たな群れだ」

 アーリンは顔をしかめた。「家族の再会って感じはしないわ。むしろあなたは、何かに備えているように見えるけれど」

 はっきりとした声にならない笑いに、彼は肩を上下させた。その音が響いた。その反応を彼女は理解していた。好む答えは来ない、そうわかっていた。

 だが何にせよ、彼女は留まった。

「俺たちのものを手に入れに行く」 トヴォラーの背後で、既に変身した新入り二体が、木々を折って棍棒を作っていた。「ただの木だった。夜ももう、ただの夜ではない」

 「稲光」がトヴォラーに鼻をすり寄せた。歩みを止め、トヴォラーは膝をついて彼を撫でた。「大岩」が頭をアーリンの肩にぶつけた。トヴォラーの群れに加わってもいいか、そう尋ねるように。アーリンは息をのんだ。

「トヴォラー」 低くした声で、彼女は尋ねた、「一体何を狩っているの?」

 木々が倒されていく。狼たちが吠える。ある男は肩にオベリスクを乗せていた。大気に飢えの匂いが満ちた。血の匂いも――誰かが既に殺していた。顎が肉を裂く音が聞こえた。遠くではない。

 月は高く、更に高く昇っていった。

 トヴォラーは「稲光」の鼻先に触れ、両手で耳を撫でた。「稲光」がこんなにも大人しく座っていたことはなかった。彼は全く動かず、尾を振ることすらしなかった。トヴォラーは額を「稲光」のそれにつけ、そして指さした――すると狼は去っていった、この夜のように貪欲に。

 アーリンの気分が沈んだ。あの子はただ飢えているだけ。そのうち戻ってくる。だがこれ以上時間を無駄にしたくなかった。トヴォラーは再び立ち上がり、群れを見渡し、彼女を見下ろした。

「何であろうと求めるものを。見つけたなら、血吸いどもを。凶狼たちはあいつらに膝をつかせるのが大好きだ」

「凶狼?」 彼女は強く言い、だがその意味はわかっていた――彼を取り巻く狼たち、巨獣たち。「吸血鬼を狩るのはいいけれど――」

 鋭いうなり声が彼女を止めた、あるいは昔からの咄嗟の反射か。トヴォラーは眉間に皺を寄せ、歯をむき出しにした。月光が顔にかかると、その歯が次第に伸びていった。

「俺たちはやりたいことをやる。何であろうと。お前にもそれを教えてやろうとしたのだが」

 更なる遠吠えが上がった。先程よりも更に近く。アーリンの胸で心臓が早鐘をうっていた。狩りがしたい。駆けたい。

 彼女は足を踏みしめた。「駄目。この森では長い間、人々が生きてきたの。自分たちの力で生き抜いてきた。皆、ただ恐怖せずに生きたいだけなのよ。私たちと同じように」

 彼はアーリンに近づいた。その両目が燃えていた。「お前は教会に浸かりすぎている。お前の中の狼は小さすぎる」

 トヴォラーは軽蔑するように彼女を見下ろした。アーリンは再び、森の中で彼とともに立っていた。再び聖戦士たちの死体を見つめながら、再び怖れながら。


 その朝帰宅すると、母が客室で待っていた。年月が彼女に重くのしかかっていた――だが今夜を経たそれは何よりも重かった。母はうなだれ、目の下には濃いくまがあった。アーリンを抱きしめたその腕は、小さく弱弱しかった。

「何処に行ってたの?」 母は声を詰まらせた。「アーリン、森の中で狩人が四人……引き裂かれて、まるで……」

 明かした方がよかったのかもしれない。正直に。

 だが、父の手で作られたあの天使の聖印が目にとまった。そして、正直に言うことはできなかった。


 アーリンはもはや、ありふれた子犬ではなかった。もはや何も恐れなかった。

 月光が変身を容易にしてくれた。骨が砕けて網み直され、新しくも古くもあるものが作り上げられた。彼女の目の前で、トヴォラーが安堵した。

 彼は微笑んでいた。

 その微笑みが彼女は嫌いだった。


 最初の狩りでは、彼女はトヴォラーと共に駆けた。二度目は、トヴォラーともう三体と共に。三度目は、群れと共に駆けた。

 森を切り裂き、狩りの興奮に我を失い、鹿の美味な肉に歯を沈めることだけを求めていた。そして愚かにも、自らを保ったままそれを村へ、あるいは父の鍛冶場へ持ち帰れるかもしれないとすら思った。通りすがりの狩人が残していってくれた、そう言えばいいだろうか。

 納屋がネズミだらけなら、猫を捕まえてくる。森が狼だらけなら、最高の狩人を送り込む。そういうものだ。

 鹿を目撃したのを覚えている。それは川のそばで水を飲んでいたところで顔を上げた。毛皮は月のように白く、その両目は血のように赤かった。それに飛びかかったのを覚えている。それに続く痛みを覚えている。不意にそして鋭く、喘ぎが漏れ、背中が粗い土にこすれた。見下ろすと、矢が胸に刺さっていた。けれどその他はあまり覚えていない。ただ、朝目覚めると、かつて母の窓辺からパイを盗んだ悪童たちの陰惨な残骸に取り囲まれていたというのは覚えている。今、狩人たちは――クロスボウを構えていた。

 彼女の口元は血で濡れていた。

 そして、彼女は叫びを上げた。それで終わりだった。


 いない。今、彼へとうなり声をあげるのはアーリンの方だった。他の者たちは二人を取り囲み、あるものは興奮から、あるものは単純に血の匂いに飢えて変身した。武器と手と脚が地面を打ち鳴らした。ドン、ドン、ドン。

 彼女は回り込むように動いたが、彼は立ったままでいた。

「お前は狩りをしたがっている」

 その通りだった。こんな者たちの中にいると、眩暈がするようだった。彼女は知らずとも、狼たちはアーリンを知っていた。このような世界の中で、生きるためにもがく存在を知っていた。世界は自分たちに死を求めている。にもかかわらず生きるのは正しいことではないのか? 必要とあらば、力づくで生を取り戻すのは正しいことではないのか?

 違う。それがどれほど魅力的だとしても、違う。

 トヴォラーを止めねばならない。ここで彼を倒せば、群れの支配を巡る争いが起こり、助けを求めに向かうための時間を稼げるかもしれない。

 鉤爪を振り下ろした。

 だがそれがトヴォラーに届く前に「大岩」が動き、彼の目の前に飛び出した。アーリンはかろうじて鉤爪を引いた。驚きに彼女は呆然とした。

 何が起こっているのかを把握するには一瞬で充分だった。「大岩」の人なつこい表情が一気に、切望と飢えへと変化するのがわかった。

 「稲光」が続いた。「赤牙」も。「根気」だけがアーリンの隣に残った――だが彼女ですら、期待をもってアーリンを見上げていた。

 皆、狩りを求めている。

 トヴォラーがにやりとした。「お前の群れは理解しているな」

 周囲の狼が一体また一体と変身していった。どれほどの人数が、既に変身しているのだろう? どれほどの人数が後ろ脚で立ち、流血を求めているのだろう?

 かつて「根気」は彼女を毎日待っていた。今、居残るのはアーリンだった。

アート:Sam Rowan

 教会の中には、そこかしこに聖印があった。朝、曙光がステンドグラスの窓を最初に貫くと、その聖印を除いて影は消えた。アーリンは夜明けを何よりも大事にしていた。夜明けのひとつひとつが内なる獣への新たな勝利であり、綺麗な手で迎えた朝は、未来の自分への約束だった。あの獣はいなくなった。

 ケッシグの丘を太陽が越えた瞬間に、礼拝が始まる。当初、自分で担当することは許されていなかったが、彼女は心から安全を求めて毎日参加した。彩飾された天使の姿を見るだけでも、救いをもたらしてくれるかのように。

 救いをもたらしてくれそうだった。

 あるいは、救いをくれるのは人々だったかもしれない。

 礼拝には毎日同じ顔ぶれが出席した。同じ顔ぶれが神聖なる文言を静聴した。バーナビーはいつも、教会に到着する一番手を争った――だがすぐに二番目になった。ルチアナと共にパンを焼いて夜を過ごせるほどに自分を信頼できた。もっといいレシピを知っているけれど、パン屋の娘と張り合うつもりはないときっぱり言っていた。ザカリアス神父はいつも穏やかに、何か懺悔することがあるのかねと尋ねてくれた。そして彼女が嘘を言うと、安心させてくれた。

 安全と安らぎ。善き人々。曙光はこの全てとそれ以上のものを約束してくれた。そして数年が過ぎた。しばし、アーリンはここに飛び込むことになった理由を思い悩むのを止めた。

 トヴォラーが朝の礼拝に姿を現すまでは。

 彼は何も言わなかった。その必要はなかった。姿を現すだけで十分だった。彼の内なる野生が彼女の内なる野生を呼んだ。借り物の鎧の泥汚れ、白と焼けた黄色を汚すくすんだ赤色、炎と血と松の匂い。隣に座るだけで十分だった。彼は一言も喋らなかった。

 だがこれから来るであろう鈍い、沈むような恐怖をアーリンは知っていた。

 その後、彼は去っていった。新たな友人たちは何があったのかと尋ねてきたが、喋りたくはないと彼女は伝えた。ここから離れたかった。自分のための時間が欲しかった。きっと大丈夫。

 アーリンはその夜、自室に籠った――窓にカーテンを引き、衣服をきつく身につけ、視界のそこかしこに聖印を置いた。

 けれど夜闇の中で見るのは困難だった。

 だからこそ、それは起こったのかもしれない。

 だからこそ、それでは足りなかったのかもしれない。

 けれど真に知ることは、今はないだろう。何故そのようなことが起こったのか、あるいはどんな不可解な優しさから、ルチアナは自分の様子を確認しに来たのか。

 血を覚えていた。狩りを覚えていた。ここではないどこかへ行きたいと思ったのを覚えていた。

 そして、不意に、彼女はそうした。


 歴史を追体験するのは傷を開くことであり、異なる癒え方を望むこと。

 トヴォラーが、狩りを求めている。自分の狼たちが狩りを求めている。群れは狩りを求めている。

 アーリンは求めていない。そして全力で、皆を守らねばならない。

 アーリンは膝をついた。彼女は「根気」の頭を撫で、耳の間をかき、最後の抱擁を交わした。

「皆をお願いね」 狼の鼻面ではぎこちなく、言葉は意味をなさなかった。だが「根気」が意図をわかってくれることを願った。最後に一度、「根気」の臀部を軽く叩いた。アーリンが立ち上がると、狼はトヴォラーへと歩いていった。

 集まった狼たちは叫び、吠え、その音ひとつひとつがアーリンの心臓を短剣のように突き刺した。

 トヴォラーが頷いた。「新たな世界を迎える気になったら、俺たちを探せ」

 彼は変身を始めた。留まってそれを見届ける意味はなかった。


 彼女はあの魔女の所へと戻った。今や匂いでわかったため、難しくはなかった。だが少し時間を要した。吠え群れの中に自分の狼の声を聞くと、彼女は立ち止まってしまっていた。

 礼儀を気にはしなかった。そのための時間も元気もなかった。

「その鍵を見つけてきます」 アーリンはそう告げた。

 狼がいなくなったことにカティルダが気付いたとしても、彼女はそれについて何も言わなかった――代わりに、彼女はアーリンを暖かな炎の光へと招待した。

 狼たちはいない。

 だがそこには人々がいて、神聖なる光に近い何かがあった。そしてこの夜には、必要なものだった。

ドーンハルトの管理人》 アート:Joshua Raphael

 曙光は新たな友を連れて来る。

 古の魔女にしては、カティルダは人気のある人物だった。夜明けが来るとすぐ、彼女と仲間の術師たちは集落の中央に集まった。彼女たちから魔力が奔流となり、宙へと散っていった。それは召集だとカティルダは説明した。選ばれた者たちに、集合の時を報せるものだと。

 アーリンにも召集の手段はあったが、それは集落の誰も見ることはできないものだった。彼らが自分たちの魔法に集中している間、アーリンはそっとラヴニカへ向かった。そこでは何ひとつ単純ではなかった。ジェイスの家にたどり着くまでにも、三枚の書類を埋め、二つの誓約をする必要があった――そしてその果てに、彼は不在だった。だが大丈夫だった――そこには友人たちと、ひとりの伝説がいたのだから。

 テフェリーの噂は耳にしていた――大部分は彼が誰かとでっち上げていた計画だが――彼がこれほど……親しみやすい人物だとは思っていなかった。無邪気とすら言えた。彼女が扉をくぐった時、最初に迎えてくれたのがテフェリーだった。その優しい笑みにはとても価値あるものだった――自分の年齢に近い人物とのやり取りというのもまた。

 テフェリーは近い年齢ではなかった。ずっと年長だった。計り知れないほどに。テフェリーが杯に茶を注ぐ間、アーリンはそれが意味するものにこだわらないよう努めた。

「ただ話をするためにここに来たのではなさそうだね、アーリンさん。眠っていないようだが」

「わかりますか?」 彼女はそう返答した。茶は美味だった――浸出時間の短さを考えると、驚くほど滑らかで濃かった。それでもやはり、母の茶の方が美味しかった。あの味が恋しかった。

「もし休むために夜を伸ばして欲しいと言うなら、それはできないな」 彼の言葉には温かさがあったが、アーリンは思わずひるんだ。それを見て、テフェリーは身をのり出した。「済まない。用件に近かったようだね」

 アーリンは要点に触れるのをためらわなかった。「イニストラードの夜が長くなっています。ですがそうすると、誰も眠れなくなってしまいます。だからここに来ました。何かがやって来ようとしています――狼たちは……」

 言い終えることができなかった。そもそもどこから説明を始めたのかもわからず――だがその必要はなかった。少なくとももう数分は。誰かが現れ、猫のように階段の上で伸びをすると、来客があるとわかって興奮とともに降りてきた。チャンドラが手すりを(階段も)飛びこえ、早足でやって来た。

「アーリンさん!」 彼女は声をあげ、卓のふたりの隣に勢いよく腰かけた。「ねえ、レシピ持ってきてくれたの――」

 感情が顔に出て、陰気な様子に見えたのかもしれない。チャンドラは言葉を切った。アーリンは溜息をついた。「それは待ってもらわないといけなそうなの。テフェリーさんには言ったのだけど――」

 だがそこで扉は再び開き、新たな顔が入ってきて彼女を見つめた。しかめた顔がすぐに続いた。「インクで書けってある所に鉛筆を使ったのは貴女ね?」

 何もかもが可笑しかった。けれどこの可笑しさは、彼女が必要とするものだった。

 バーナビーとルチアナと一緒にいる朝を、少しだけ思い出した。

 アーリンはひとつだけ笑い声を上げた。ただ、自分が何のために戦っているかを思い出すために。

 人間も群れで動くのだ。


 彼らは耳を傾けてくれた。アーリンはありがたく思った。三人目はケイヤといい、昼と夜の平衡が崩れているという話を聞くと静かに驚き、心を決めてくれた。来てくれる。助けてくれる。だがまずは、カティルダたちに会わせねばならない。

 共にあの森に到着するや否や、アーリンはどちらへ行けばいいかすぐさま察した。ラヴニカの窮屈な建造物群よりは、そびえ立つケッシグの樫の木を選ぶだろう――ここで、こんなにも開放的だと感じたのは初めてだった。

 木々とセレスタスのアーチの下、彼女たちは集会へと戻った。チャンドラは純粋な驚きと好奇心をもって、その古のアーティファクトを見上げた。アーリンはその様子を少し妬んだ――だが正直に言うと、彼女自身も今日までずっと、幾らかの驚異を感じていたのだ。

 到着した時には、そこにも数十人の新顔がいた。一日でこの人数は多すぎる――この先来る全員を覚えていくのは難しくなりそうだった。けれど覚えよう。そしてそうしたかった。何故なら背後の三人は彼女が何者かを知ってくれている。そしてひとりたりとて、恐怖の目を向けてこないのだから。

 それは前方に集まった聖戦士や魔道士たちにとっても同じになるかもしれない。誰もアーリンを個人的には知らなかったが、彼女は聖戦士と司祭の全員を一応知っていた。あの服をよく着ている人、人となりがわかる人。彼らはあの魔女を中心に人だかりを作っていた。六人ほどの聖戦士、数人の司祭、そして残りは特定の徽章を持たない頑健なケッシグ人。その中に最も誇らしげに立つのは白い鎧をまとう黒い肌の女性で、粉雪がその肩に薄く積もっていた。一番勇敢な聖戦士はどんな人かと子供に尋ねたなら、彼女のような人物だと返ってくるだろう。磨き込まれた鎧、気高い物腰、幅広の肩、そして穏やかな眼差し。彼女はカティルダが何か説明するのを聞いていた――だが二人とも、近づく彼女たちへと振り向いた。

輝かしい聖戦士、エーデリン》 アート:Bryan Sola

「アーリン・コードさん?」 その聖戦士が呼びかけた。豊かでよく響く声――明らかに、人々を前にして話すことに慣れている。

「そうです。こちらは私の友人たちです――ケイヤさん、テフェリーさん、それと――」

「チャンドラ・ナラーです」 紅蓮術師が割って入った。「チャンドラ・ナラーっていいます。あなたは?」

 聖戦士は得意そうに笑った。「エーデリンでいいわよ。お会いできて光栄です、アーリンさん、ケイヤさん、テフェリーさん、チャンドラ・ナラーさん。カティルダさんから聞きましたが、収穫祭を手伝って下さると?」

 エーデリンが頼んだならチャンドラは何でも手を貸しそうだったが、本当の目的から目を離すわけにはいかなかった。「鍵を見つけるために来ました」 アーリンはそう返答した。「残念ですが、収穫祭の方はあまり私の担当ではないのです」

 その背後でケイヤが咳払いをした。「収穫祭については何も言ってなかったですよね」

「カティルダさんは必要だと考えているんです」

「そうだ」 少し距離があるにもかかわらず、カティルダの声が届いた。そして英雄たちが群衆に加わると、彼女の目はアーリンを見据えた。「儀式は精密に行わねばならず、過ちは許されない。古の魔法は段階を踏んで進めねばならない」

「ああ、扱いの難しい代物だ」 テフェリーが同意した。「魔法は古ければ古いほど、その独特のやり方というものがある」

「その男はよく理解しているな」

 テフェリーは既に踏み出しており、アーリンにやり合う気力ははなかった。「では、私たちは正確に何をすれば良いのでしょう? アーリンは儀式については話してくれましたが」 彼はその杖で頭上のセレスタスの一片を示した。「その月銀の鍵を見つけたなら、どうすれば良いのですか?」

「それをセレスタスの中央へ持ってくるのだ。アーリンが方法を知っている。私は集会とともにここで待とう。そこで、日金の錠にそれをはめて儀式を完成させる」

「で、その鍵は何処に行けば見つかるかわかります?」 ケイヤが尋ねた。「手がかりとか、最後に目撃された場所とか」

 カティルダは溜息をついた。「いや。それは何世紀も前、ドーンハルトの集会から持ち出された」

「なるほど。じゃあ、探す所から始めるのが良さそうね。アーリンさん、何か思い当たることはあります?」

 彼女は昨晩初めて月銀の鍵について聞き、セレスタスについても古い伝説で知っているだけだが、ひとつのことは確信していた。「スレイベンに何かあると思います。教会がその鍵を奪ったのかもしれません」

「そうだとしたら、安全に保管されているはずです」とエーデリン。彼女は頷いた。「ではスレイベンへ、ですね」

「その……スレイベンがどこも安全って、本当にそう思うの?」チャンドラが尋ねた。「本当にまたあそこへ行くの? 前に行った時は大変だったし、全然安全でもなかったんだけど」エーデリンが横目で見ると、チャンドラは素早く頷いた。「怖がってるわけじゃないわよ」

 アーリンは溜息をついた。「言いたいことはわかります――ですが宝物庫は今も無事なはずです」

 最後に大聖堂を訪問してから、かなりの時が経過していた。

 あの時よりも、首尾よく進むことをアーリンは願った。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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