MAGIC STORY

イニストラード:真夜中の狩り

EPISODE 02

サイドストーリー第1話:もつれたもの

Seanan McGuire
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2021年9月3日

 

 イニストラードの大気には、一種独特の何かがあった。それは木々が目撃してきた恐怖かもしれないし、土を濡らした血を根が貪欲に吸い上げたためかもしれないし、川底に散らばる骨のためかもしれない。だがこの次元の大気は他のどことも異なっていた。レンと六番は一歩を踏み出した――最後となる、一緒の一歩――そして両者の巨大な足がイニストラード、ケッシグの深い森の土に降ろされた。初めて出会った場所の近くだった。

『ここ?』 口を開くことなく、レンは尋ねた。とても痛み、焼け付く問いかけ。別れに向かうというのは、いつも辛いところだった。

レンと七番》 アート:Heonhwa Choe

 何故だろうか、今回は四番と別れた時よりも更に辛かった。あの勇壮な大木は戦いでひどく傷つき、最後の一歩を踏み出すや否や身を震わせ、その心臓から裸の彼女を無防備にイニストラードの土へと投げ出した。以前から噂には聞いていたが、当時は初めての場所だった。

 他のプレインズウォーカーたちが噂していた、最高の木はケッシグの森に生えていると。そして六番との時を過ごした後では、同意したくもあった。

『違う。近く』 木から返答があった。レンは巨大な頭部へと頷いた。そして六番の栄光を称えるに十分な空き地を探し、森を進んでいった。

 この別れがこんなにも辛いのは、六番がまだ動けるからかもしれない。まだ一緒にいられるからかもしれない。けれど、そうはしないと決めていた。そしてこの大木が語る時は、常に耳を傾けていた。だからこそずっといい関係でいられたのだ。自分たちは相棒同士であり、持ち主と道具ではなかった。相棒を荷役獣のように扱い、疲労の限界を越えて酷使するような魔道士を見たことがあった。レンの種はそのような者たちよりも善い親によって植えられ、自分を支えてくれる存在に敬意を持つように育てられてきた。例え自分たちのものではない戦いに向かう時でも。

 ふたりはもう五歩進み、そこで六番が再び喋った。『ここ。止まって』

 レンは歩みを止めた。ふたりは根を地面に深く埋め、そして彼女は少しずつ、長年馴染んだ我が家から身体を引き出していった。それにつれて大木の意識は薄れ、やがて歯が歯茎の中で緩むように感じた。まだ身体の一部ではあるが、鋭く引けば完全に離れる。

 そして、最後のひと引きで、六番と完全に離れたと腹の底から感じた。六番は、もはや雄大にそびえ立つツリーフォークではなくなった。共に過ごす間にここまで成長したのだ――木々に性別らしきものはないが、ドライアドにはある。レンの内にあるその概念を悟ってからというもの、六番は男性的に振舞うことを選んでいた――今や成熟し、逞しく、美しくよじれたイニストラードの樫。彼の枝は曇り空まで届くようだった。

 レンは溜息をつき、彼の幹に額をあて、最後に一度その馴染み深い香りを吸い込んだ。「いつか」彼女は約束した。「いつか、とても長い時が経ったら、七番が弱って八番が必要になったら、ここに戻ってくる。またこの森を歩いて、あなたを見つける。大切な友達。あなたのドングリはゆっくり育って、逞しくて強い若木になっているだろう。その子たちに提案しよう、かつてあなたに提案したように。そしてもし一本でも受け入れてくれたなら、私はこれ以上ない幸せ者だ」

 もはや無言の会話はできず、互いの心は初めて切り離されていた。大地に落ち着き、自然の仲間であり同類の木々に加わったなら、六番の意識は消えるだろう。相棒は離れていく。レンにはまだ未練があったが、これは彼が望むことだった。彼のために、別れを選んだ。自分でその呼び声に応えたのだとしても、プレインズウォーカーとしての生涯は決して単純なものではない。

 それでも、レンは彼の幹を通して感謝と喜びを感じたように思った。そして離れながら、微笑んだ。寂しかった。だが、もはや過去のことだった。背後に残してきたことだった。未来はこの先にある。

 自分の未来を見つける時が来た。

 レンはその日の大半をかけてケッシグの森を放浪し、適した相棒が育っているという木々の囁きを追った。だが、未来の約束は本当に果たせるのだろうかと彼女は疑い始めていた。足が痛み、疲労していた。これまで、自分の足で動く必要は滅多になかった。今や痛みと疲労はひどく、全身に広がるようだった。それでも木々の歌は森の深くへと誘い、進めと突き動かし、適切な相棒が待っていると約束した。

 幸運にもドライアドが生息する次元は少ない。そしてどのような木とも繋がりを結べる、あらゆる木の器が自分たちを養えると考えられがちだが、そうではない。あらゆる魔法の姿と同じように、正しく調和できる特定の歌が必要なのだ。レンの若木の歌が身体を満たした。近くの木は全てそれを聞き、そのハーモニーを知るものが歌を返すのだ。

 かつて、六番もそうしてくれた。今や彼は、森を進むレンの背後の無言の存在となっていた。新たな歌い手はとても遠いのかとても弱いのか、歌声は小さくて聞き取るのは困難だった。

 あるいは、故郷に帰りたいという六番の願いを尊重しなければよかったのかもしれない。別れたいという彼の願いを告げられた後、最初にハーモニーを聞いた木にしておけばよかったのかもしれない。だがそれは残酷なことで、そして彼女の力はまだ尽きていなかった。まだ進める。

 自分たちドライアドは常に、生き延びようとしてきた。レンは前へ、ケッシグの森の更に奥深くへと進み、木立のどこかで待っている木の歌を追った。


 テフェリーがイニストラードを訪れるのは初めてだった。他の旅人の話や行き交う噂はいつも聞いていたが、ようやく好奇心と時機が合わさって適切な目的地になってくれた。現地の人々は怯え、よそ者を警戒したが、それはもっともなことだった。だが客人が無害な人物とわかれば寛大にもてなしてくれた。彼らのうちいくらかは、どこかでもっと楽な人生を過ごせたらとかすかな希望の糸口を、親切な話や可能性を必死に求めていた。生まれ故郷から離れることはかなわず、そのような大胆な努力にどれほどの手間や資金がかかるかを考えようとも思わない。彼らは長いこと消耗し、疲弊しているのだった。

アート:Heonhwa Choe

 安堵は予期せぬ形で訪れた。現地の教会の聖戦士たちが宿屋へ飛び込んでくると、森の中で白い魔女を見たと報告した。ここイニストラードでは、あらゆる未知の現象は何らかの脅威を意味すると推測するのは理にかなっている。そしてテフェリーは十分な歓待の礼として、助力を申し出た。そしてしばらくして、彼は人々の一隊から少し離れて森の端に立っていた。彼らは剣と弓矢を構え、その「白い魔女」や彼女が召喚したと思われる恐ろしい怪物を探していた。その脅威がどのようなものかはわからなかったが、聖戦士たちを森に駆り立てるほどのものであり、テフェリーにも宿を離れる理由をくれていた。

 聖戦士たちは散開し、この森の中に潜んでいるという魔女の手がかりを探した。テフェリーは彼らを見つめると、自らの判断で森へと脚を踏み入れた。現地の魔女が自分に多くの危害を加えられるわけはなく、彼はできるならばこの森を理解したいと思った。森林はあらゆる世界で異なる姿をしているが、確かな共通点がある――例えば樫や楡は、木が存在するほとんどあらゆる場所で見つかる。そしてそれらの葉の香りに、彼が予想するほどの違いは決してないのだ。もしも自然の魔術にもっとよく馴染んでいたなら、その理由を理解できたかもしれない。次に自然の魔道士の誰かに出会ったなら、そして友好的な雰囲気ならば、議論するのは良いことかもしれない、次元の仕組みをよりよく学ぶというのは常に嬉しいものだ。それらは非常に異なっていると同時に、非常に調和している。

「こっちだ」 聖戦士のひとりが声を上げた。その声に彼らは歩き出し、落ち葉を踏みしめる音が続いた。獲物を追い始めたのだろう。聖戦士の誰も、テフェリーがそこに留まる様子に気付いていなかった。彼は追う必要性を感じなかった。

 意識の隅で何かがひらめいた、木々や、出発した聖戦士たちではない。彼は振り返り、影の中を覗き見た。そこには何もなかった。無人の小道を一瞬だけ凝視すると、彼は歩みを注意深く緩め、周囲に気を配りながら進んだ。

 だからこそ、その女性の声を聞いたのかもしれない。

 女性の、弱弱しい話し声だった。低く穏やかな音程で、その明瞭な母音は彼が知るどのようなアクセントにも一致しなかった。彼は進行方向を正し、まだ聖戦士たちを呼ぶことはせずにその声へ向かった。そして樫の巨木の影の中に立つ人物を見て、立ち止まった。

 青白い女性だった、あまりに青白く、まるでポプラの幹を写生したような、あるいは暗い色をした樫の幹に映える白い生霊のようだった。解かれた髪は長く、その身体以上に白く、白骨のような質感だった。その額を一本の木にあて、顔ははっきりと見えない角度だったが、彼女の言葉はその木そのものに向けられているようだった。

 テフェリーは彼女へと近づいていった。両手を掲げて見せ、指を広げて秘術の印を作っていないと、何の呪文も唱えようとしていないと示しながら。色彩からして、その女性は聖戦士たちが言っていた「白い魔女」らしく、だがむしろ森の賜物のように見えた。肉と骨でできた存在と、樹液と木質の存在という隔たりはあるにしても、ドライアドのように自然の世界を理解できる者はいない。テフェリーは足元が見えておらず、落ちていた小枝を踏み折った。その女性ははっと振り返り、目を見開き、語りかけていた木の幹に背中をつけた。その女性が木に溶け入らなかったので、テフェリーは進み続けても大丈夫だと判断し、更に近寄り、適切な距離で立ち止まると軽く頭を下げた。

「邪魔をしてしまい申し訳ありません。だが具合が宜しくないようですね。何か私が力を貸せることはありますか?」

「下がっていろ、魔道士」 彼女の声は折れた枝のように鋭く、だがやはり弱弱しかった。まるで心臓の半分が切り取られたかのように。「自分の身は守れる」

「戦うつもりはありません。宜しくない出会いにはしたくないのです。私たち両方にとって困ったことに、現地の人々は戦いに飢えています。どうやら、しばしの休息を求めているようですが?」

「木を探しに来た」 目を狭めて弱弱しく、彼女は返答した。

「豊富にあるのでは?」 テフェリーは両手を広げ、周囲全ての木々を示した。

 ドライアドは力なく笑った。「そう単純ならいいのだが、違う。ここの木は皆、私を支えられるほど強くない」

 テフェリーは眉をひそめた。「無知で申し訳ありません。ドライアドとは木と共に生まれ、共に育ち、決して離れることはないと思っていましたが」

「ドライアドはそうだ。ああ、私たちもそうだ。その……かつて、大火事があった。それは私の一族の木々を吞み込んだが、私は抜け出す手段を見つけた。炎は今もそこで燃えている。今も私を燃やしている。それは私に木から木へと移るための適応力をくれた、その木が炎を封じ込められればの話だが。昔、まだ新しく眩しかったその業火は、私を知る歌をうたう一本の木へと導いてくれた。私たちは相棒となり、『一番』となった」 その表情が和らいだ。「そして一番とともに学んだ。私たち両方とも大地に繋ぎ止める根を持たず、ひとつの世界に限ることなく、望むままに歩けると。そして一番が私の相棒としての時を終えると、彼女には異なる世界で根を張らせ、私は共に歌う次の木を見つけた」

「今、貴女には相棒となる木がないようですが」

「ない」

「木がなくて、この次元に囚われているのですか?」

「旅するには相棒が必要だ」 彼女は認めた。「だが六番は弱り、そしてこの森は彼の故郷であるため、動かなくなる前に連れてきたのだ。彼は良くしてくれた。私を遠くまで運んでくれた。彼を故郷に連れ帰り、私自身の旅を続けるため次の歌へと耳を傾けた。そして発見したと思い、向かっていた。だがこれ以上進むことはできずにいる。今や、あの炎が私を喰らってしまうような気がしている」

 テフェリーは顔をしかめ、彼女の謎めいた言葉を理解しようとした。だが木々の間の足音が聖戦士たちの存在を告げた。「あの魔道士はこっちに向かったようだ」 一人が声を上げた。

 不意に、ドライアドは敵意の表情でテフェリーを見た。「つまりお前は、奴らを誘い寄せて私を捕まえようと?」 彼女はそう告げて拳を握り締め、頭上の大気がちらつく炎に熱を帯びた。「燃やすものがある限り、私はそう簡単に殺される相手ではない」

 テフェリーは両手を掲げて見せた。「落ち着いて下さい。彼らを連れて来たわけではありません」そして顔をしかめた。「いや、そうかもしれませんが。ですが仲間ではありません。森の更に奥深くへ向かえば、彼らの足取りも遅くなるでしょう。歩けますか?」

 レンは頷いた。「自力ではこの世界を離れられないが、脚で歩くことはできる」

 テフェリーは一歩踏み出し、腕を差し出した。「では、歩きましょう」

 彼女の両手の熱が揺らめいて消えた。そしてテフェリーが曲げた肘に触れると、彼女の手は純粋な木のように冷たく、予想していたよりも柔軟性はなかった。だがそれらは指のように曲がり、彼の皮膚を掴んだ。そして歩きだすと、彼女は誰よりも敏捷だった。

 そう進まないうちに、テフェリーはひるんで溜息をつき、両目を閉じた。「どうした?」 レンが尋ねた。

「尾けられています」 その言葉に、レンは硬直した。「いや、聖戦士たちではありません。振り返る必要はありません。以前も私を追っていたものですが、見ようとすると何もいないのです」

「イニストラードの全てが目に見えるわけではない」とレン。「ここの土は死者を眠りにつかせようとしない」

「死者が私たちを襲おうと?」

「近づくことなく森で旅人を追跡するものが、良いものであるわけがない。ああ、襲ってくるつもりだろう」

「怖れていたことです」レンを転ばせないようにテフェリーはゆっくりと振り向き、背後の薄闇を睨みつけた。「姿を見せろ」

 実体化したものはなかった。だが既に深い影が、更に深くなって見えざる存在の気配を帯びた。それが何であろうと、自分たちにとっては良くないものを意味していた。最深の闇から放たれる悪意のオーラは、死者や霊の世界との繋がりをほとんど持たないレンですらはっきりと感じられた。彼女は身構え、目を狭めた。

「木のものではない」 彼女は呟いた。「歌がない」

「姿を見せろ」 テフェリーはそう繰り返し、素早く指を曲げ伸ばしすると、掲げた手の先でらせんを描き、掌をその深い影に向けた。青色の光がテフェリーの皮膚に走り、それが消えると、悪意の存在があった場所に一つの姿が潜んでいた。それは人型生物が歪んでねじれた紛いもの、人と獣と木のどこか中間で止まったようだった。大きく開かれた口には尖った歯がびっしりと並び、それらは生き物の顎に伸びるものとは到底思えない長さだった。

アート:Piotr Foksowicz

 それは深く耳障りな息の音を立て、テフェリーはすぐさま動いた。彼は両手を掲げ、ちらつく青色の魔法の奔流を放った。それを攻撃と正確に解釈し、相手はのたうって突進してきた。テフェリーは目を見開いた。単純な幽霊や生霊は何であろうと、時の中へ投げ出して無力化するこの攻撃で消滅させてきた。テフェリーは柔らかな音節を呟き、指から更なる魔法を放った。その死霊は囁き続けながらも押されて下がり、やがて恐ろしい屍術のエネルギーを弾けさせて消えた。

 彼はレンへと振り返り、両手を下ろした。テフェリーが強く引いたはずみで彼女は転び、地面から彼を見上げていた。脆く、腹を立てている気配があった。「申し訳ありませんでした」 彼は膝をついて両手を差し出した。「ですがあれは消えました、今のところは」

「ここまでの道もな」 立ち上がりながら、彼女は苦々しく言った。「自分の行いを見てみろ、魔道士」

 テフェリーは肩越しに振り返った。道は消えていた。いや、置き換わっていた。程よくまっすぐに木々の間を切り裂いていた一本の道は、球のようにもつれ、さまざまに異なる方角へと果てしなく分岐していた。その全ての上で、時間魔法が弾けて音を立てていた。

「……おお」 テフェリーは弱弱しい声を出した。

「そうだな。おお」そして、声に更なる怒りを込めて彼女は続けた。「私を呼んでいた木は失われてしまった。もうその歌は聞こえない。何てことをしてくれたんだ!」

「行動しない方が危なかったですよ」 テフェリーは両手を見つめ、そして宙を見上げた。今もそこかしこで青い魔力が弾けていた。「厄介だな。貴女は木を求めてここに来たのですよね。このあたりの一本に避難することはできないのですか?」 彼は周囲の木々を示した。

「入るだけならな」 その声にはかすかに躁的な笑いがあった。「ここの木々はよく育っている。私を遠くまで運べるかもしれない……相棒として適しているなら。だがどれも私に歌ってくれていない。どれも私の炎を運べない。私を呼んだ木はまだ苗木だった。私を支えるには若すぎる。燃焼を抑え込むには小さすぎるのだ」

 テフェリーは顔をしかめた。「それでは別の木を見つけましょう、貴女が燃え尽きてしまう前に」

「そういうものではない」 その声は更にかすれていった。「ドライアドは自分を保ち、繋ぎ止める木とともに世界を歩む。私の心臓は炎でできているため、私が歩む時には木も共に歩む。私を入れられないほど小さな相棒は持てないし、私を世界へと私を運ぶのに不向きな木を説得もできない。私は木を見つけねばならないし、そのための時間も少ない!」

 テフェリーは眉をひそめ、彼女の話の脈絡の中、言外の物事を探った。テフェリーが再び歩きだすと、取り残されるわけにもいかず彼女は追いかけてきた。テフェリーはやがて声をかけた。「どうか落ち着いてください。貴女は木を見つける必要がある。私も、自分が作り出してしまったこの惨状から抜け出す方法を。一緒に見つけるというのはどうでしょうか」

「他にやるべきことがあるわけではない。けれど言った通り、私に残された時間は少ない」

 テフェリーは頷き、思案した。「見知らぬ相手に弱みを見せたくないというのは理解できます。ですが、木がなければ貴女は死んでしまうように聞こえます」

「自分の身くらいは守れる!」 彼女はそう言い放ち、自らの内に残るマナに呼びかけると、周囲の大気が熱に揺れた。「やれると思うな、魔道士!」

「落ち着いて下さい、ドライアドさん。落ち着いて、それと名前を教えて頂けますか。私はテフェリーといいます。貴女は?」

 彼女ははっと背筋を伸ばし、その表情の警戒心が少しだけ薄れた。「レンと呼ばれている。魔道士、お前の名は聞いたことがある。お前の伝説はお前自身よりも遠くまで旅しているぞ」

 その言い回しには諺のような調子があった。テフェリーは微笑んだ。「良い伝説だといいのですが。私は無辜の者を傷つけるような人物ではないと貴女が信じてくれるような」

「世界を渡り歩く者に、無辜の者などいない。それでも、お前の物語のほとんどは……悪いものではない。お前は親切な人物だと多くの者が言っている。ひとまず、お前を信用しよう」 彼女が手にまとう熱のもやが消えた。「確かにそうだ。木がなければ、私の旅はここで終わるだろうな」

「もし私が力を貸したなら、別の木の声は聞けると思いますか?」

「聞ける、だがお前に先に進んでもらわねばならないが」

 テフェリーはよじれた迷宮と化してしまった世界を眺めた。聖戦士や霊の気配はなく、彼は溜息をついた。「もちろんそうします。では、行きましょうか」


 二人は午後の大半をかけて歩き、よじれた道をたどった。二人ともこの森には疎く、テフェリーがあの怪物を消した時へと続く道がどれなのか、判断はできなかった。辺りの木々の幾らかはひるむほど見覚えがあり、テフェリーは手を伸ばした。火花が散り、そして自分の呪文に叩き返されて彼は後ずさった。ザルファーに対して行ったものとあまりに似ており、それでも細部までは同じではなかった。周囲の時の推移が感じられた。レンは次第に衰弱しながらも、自分を救ってくれるであろう木の歌を今も探していた。時間は先に進んでいた。二人は今もイニストラードに同調していた。

 ただ……行き詰っていた。

アート:Isis

「ここはさっき通った」とレン。「大きく回ってきたんだ」

「いえ」 疑念はあったが、テフェリーはそう答えた。「一度も方向転換していません。ずっと南に歩いてきたのですから。あるいはずっと、だいたい南に」

「お前は私と同じように木の歌が聞けるのか?」 レンは尋ねた。「木は自分たちの望みをお前に囁き、自分たちの願いを理解させようとしているか? もうしそうなら、お前を信じよう。あるいは、こちらの方が可能性は高いだろうが、聞けないなら、私を否定することはできない。そして私は疲れた。ほとんど出発地点に戻ってきている」

 テフェリーは彼女に視線をやり、その言葉が軽口であることを願った。彼女は両目を開いて、率直に視線を返した。察する限り、レンの言葉は真実だった。彼は道の只中で立ち止まり、周囲にうねる時を感じとった。そしてそこを、魔法の隅を、あの隠れ潜む存在の名残が、痕跡はないものの匂っていた。ここはあの場所だ。一も二もなく、この呪文を引き裂けたはずだったのに!

 だがそうではなく呪文は耐え、自分たちを捕らえて嘲った。レンは手を彼の腕から引き抜くと、一本の腐った倒木へと、明らかに衰弱しながらも優雅に歩み寄った。彼女は座り、わずかに背を丸めた。「私の種が蒔かれた時、こんな終わりを想像してはいなかった」

「終わりではありません」 テフェリーは反論した。「失敗した呪文です。貴女も、失敗した呪文というのを見たことはあるでしょう」

「ああ。私の時は、手の中で溶けて消えるまで取り上げていた……」 テフェリーの顔を見上げると、レンの言葉が途切れた。「どうした?」

「取り上げるとは、正確に、どのように?」

「お前から出でたものは、永遠にお前の名残だ。土を通って木の根に吸われる水は、それでも雲の一部だ。お前の足取りを記す物語は今も、お前だったものの一部だ。そして過去のお前は、永遠に今のお前と未来のお前の一部だ。その呪文が持続しているなら、集中させて、意図を越えて何処でもつれたのかを探して、はめ直す。そうすればあらゆるものの源、マナへと全て戻せる」 レンは瞬きをした。「魔法の根とはこういうものだが、お前たちの見方は違うのか?」

「違います」 テフェリーは注意深く返答した。「私たちは魔法をもう少し……有機的に見ています。興味深い考え方です」

「魔法は生きている。自分の呪文が見えるか?」

「見えます」

「触れられるか?」

 彼は顔をしかめた、魔法に指をかすめた時の痛みを思い出し、だが認めた。「ええ、できます」

「それを掴めるか?」

「自分の力では無理です」

「なるほど。お前の根は浅すぎるんだ。よし、手伝おう」 彼女は短い鼻歌をうたった。明快で、支えるようなひとつの音。そして木が起こす自然の魔法が彼の周囲を取り巻いた。眩しく力を増し、テフェリーの時間魔法の火花を安定させた。「これで掴めるか?」

 テフェリーは呪文に再び手を伸ばした。そして押し戻されないとわかり、微笑んだ。「できます」

「よし。いいか、魔法の間を通り抜けることで、もつれを解く最善の手を探すんだ。入り口は必ずある。枝が真には組み合わさっていない場所だ。それを使って歌の中に入る。それ自体と完璧に調和できていない所を見つければ、お前はそれを直せる」

 テフェリーは顔をしかめた。だが彼自身の歪んだ時間魔術の中で、こんなにも弱っている彼女と議論をする気はなかった。彼は息をつき、歪みを、レンが説明してくれた欠陥を感じ取ろうとした。いざそれが見つかると、それは場違いな音でもハーモニーの失敗でもなかった。ごくわずかに調子がずれた秒針、砂が詰まった砂時計のくびれの部分だった。通常のやり方で呪文を調べていたなら、レンの自然魔術がなければ、何千回と見落としていたかもしれないほどわずかだった。自らの意識の手をその上に走らせ、ごくわずかに脆弱な部分を探り当てると、オレンジの皮を剥くように精神の指を突き立てて開いた。

 外層が剥かれると、呪文が歪んだ様子を「見る」のはずっと容易だった。あの恐ろしい存在と彼自身の澄んだ青マナとの相互作用。単純な機構であるべきものの只中で、時は曲げられ、時計は壊されていた。一片また一片と、彼は歯車を伸ばし、整理し、呪文を元の意図へと修理していった。そして終わった時、指はもう痛まなかった。あらゆる無傷のものと同じように、それに触れることができた。

 彼は顔を上げた。道は以前のように戻っていた。まっすぐではなく、だがもつれて近づきがたい迷宮でもなかった。道ははっきりとしていた。失敗した時間魔術の気配はもはや大気にずっしりと残ってはいなかった。レンの魔法が離れ、テフェリーは彼女へと向き直った。レンは弱弱しい目で彼を見つめていた。

「お前のすぐれた行いは伝説となる。お前は歌にうたわれる価値のある者だ」

「全てがそうではありませんよ」 かつての過ちに、成功は色あせていた。「私の元々の故郷、ザルファーは……私はそれを失ったのです」

「失った?」

「ええ。大陸ひとつを、これとよく似た魔法によって。そして私はその行いをずっと元に戻せていません」そして彼は表情を明るくした。「ですがもし、貴女の新しい木を見つけたなら――」

「再び会うことがあるのなら」 彼女はそう言い、だがそして身体を強張らせ、テフェリーの背後の森の一点に注意を向けた。

 テフェリーは自分の愚かさを呪った。あの存在が完全に消えていなかったとしたら、呪文を取り除いたことでそれが戻ってきてしまう可能性があったのだ。もし完全に消えていたとしても、聖戦士たちは今も森をうろついているだろう。彼は攻撃に身構えながら振り返った。

 そうではなく、そこには、周囲と何ら変わりない一本の木があった。背が高く成熟した樫の木。健康的な緑の葉と、多くの枝が伸びていた。そしてレンが両目をその幹にしっかりと見定め、彼をかすめて向かっていった。引き離すことなどできないような雰囲気だった。彼女が息をしているのかどうかわからなかった。そもそもドライアドが息をしているのかどうかも。木立の娘が関わっている時、自然の法則はどこか異なる。彼女たちは彼女たち自身の現実の定義の中を歩いている。

 不安定な足どりで、レンはその木に向かって歩いていった。十分に近づくと彼女は両手を挙げ、指先で幹に触れ、口笛を吹いた。その音は低く甘美だった。様子を見ていなければ、鳥の歌だと思ったかもしれない。レンは耳を澄ますように首をかしげ、そしてまるで魚が澄んだ水に消えるように、その樫の木へと飛び込んで姿を消した。木は何もなかったかのように立ち続け、レンの姿もなかった。

アート:Mila Pesic

 テフェリーは瞬きをし、そして自らの足でその木へと近づいた。触れようかという時、幹が波打ってレンの頭が飛び出した。ごくありふれた木の幹から女性の頭部と肩が突き出ている光景はやや戸惑うもので、今日起こった出来事の中でもかなり奇妙なものだった。

「お前はひとつの奇跡だな、魔道士」 喜ばしい声で彼女は言った。「奇跡であり同時に過ちでもあるというのは、お前が思うよりもずっとよくあるものだ!」

「どういう意味ですか?」

「歌に聞いてみるがいい」 レンは木の中へと引っ込んだ。そして木が震えだした、まるで根を地面から引き抜こうとするかのように。テフェリーが見つめる中、ツリーフォークがまどろみから目覚め、人の姿のように広がっていった。その胸部から、船首像のようにレンが再び現れた。身体のほとんどは今も幹の中にあり、顔には至福の笑みを浮かべていた。

 瞬時に、テフェリーは理解した。「これは、貴女に歌いかけていた若木なんですね」

「お前は時を曲げた。木々は時を知恵に変える。そしてこれは私が近くにいるとわかっていた。だから時を精一杯その身に集めた」 彼女は言葉を切り、耳を澄ますかのように首を傾げた。「七番はお前の行いに感謝していると言っている。お前にそうする気はなかったとしても。七番は私を呼んでいたが、聞いてはくれないだろうと考えていた。七番は幾つもの世界を見たがっている」

「そして、貴女が見せてあげるのですね?」

「お前の伝説はお前自身よりも遥かに遠くまで旅している。私の伝説は私の脚がたどり着ける所までだ。感謝を捧げよう」

「私からも感謝します。私自身のもつれを解く手助けをして頂いたのですから」

「ならば良い出会いだったということだ、魔道士。何を探してここに来たのかはわからないが、お前の無事を願おう。いつか将来、お前に力を貸そう。だが今は、七番にイニストラードの外の土を踏ませると約束した。そして私は約束を守らねばならない」 その木は――あるいはツリーフォークか、あるいは器か、ともかくそう変化したものは――今なお成長を続けており、他の樫よりも高く伸び、レンを支えていた。彼女はテフェリーへと手を振り、自身を取り囲む幹に背を預けると目を閉じた。巨大なツリーフォークは一歩踏み出し、そして歩みを進めていった。木々が曲がって避け、彼女たちを通すと元に戻ってその姿を隠した。やがて全ての木々が元に戻ると、ドライアドとツリーフォークの姿は見えなくなった。

 この森に入ってから初めて、テフェリーは独りになった。彼は何もない宙へと微笑み、そして村へ戻るために引き返した。危険には対処した、聖戦士たちにはそう伝えればいい。そしてそれは嘘ではない。自分が求めていたものではないかもしれないが、求めたものではない教訓と、新たな友を得た。それはただ無事でいるよりも良いものだ。特に、自らの伝説よりも遠くへ行ける者にとっては。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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