MAGIC STORY

団結のドミナリア

EPISODE 10

メインストーリー第5話:風の中の囁き

Langley Hyde
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2022年8月18日

 

 テフェリーはファイレクシアの怪物をカーンの作業台に叩きつけ、ナイフを突き立てた。それは金切り声をあげ、怒りに悶えながら黒くぎらつく油を八本脚の身体から噴き出した。その生物がもがき苦しむ様をカーンは冷静に観察した。

「妨害工作はこれで二件目だ」 テフェリーは新たな連合の将軍として、また補給係として軍勢を切り盛りしていた――簡単な役目ではない。多種多様な種族が一丸となって動いているのだ。

「どれほどの損害が?」 カーンが尋ねた。

「これは食糧庫にいた」とテフェリー。「ジョイラが腐敗の具合を確認しているが、はっきりするまで夕食はなしだ。軍隊がそれをどう思うかわかるかい?」

 有機体と食物の関係をカーンはぼんやりと知るのみであったが、食事が一度できなかっただけでジョイラがどれほど苛立つかは知っていた。窮乏とは程遠い状況ですらそうだった。それが大規模となると……

「ジョイラの作業に影響はありましたか?」 この生物は食糧庫を偶然発見したのだろうか? それともスパイがシェオルドレッドにその場所を伝えたのだろうか? スパイが誰なのかをカーンはまだ特定できていなかった。ヤヤとジョダーとアジャニはまだ到着していないが、来たならすぐに力になってくれるだろう。シェオルドレッドの軍勢が集まりつつある今、ジョイラはマナ・リグの制御室にて自爆装置を作り上げるのを最優先事項としていた。マナ・リグをシェオルドレッドに奪われるわけには、利用されるわけにはいかない。そのような事態になったなら、相手はパワーストーンとスラン鋼の作成手段を手に入れてしまう。破壊不能と言っていい素材を、ファイレクシアの怪物に使用されてしまう。

 テフェリーはかぶりを振った。「装置は取り付けられて、今は砲塔をマナ・リグの動力源に繋いでいるところだ」

 倒した怪物は突き刺されたままのたうっていた。これがシェオルドレッドにどのような情報を伝えたのかは知るよしもない。彼は片手を伸ばしてナイフを抜き、怪物をるつぼへと投げ入れた。それは悶え、血液が沸騰する音をたて、油が燃え、肉が焦げ、金属が融けていった。

「酒杯についてはどうだ?」 テフェリーは不安な様子だった。彼は胸当ての下で肩を動かした。留め金がひとつ緩んだが、傷が完治していない彼はそれを直すために手を伸ばすことはできなかった。

 そちらは完了していた。カーンは起動方法を特定していた。とはいえそれを声に出すのはためらわれた。探し出そうとしているスパイは生物ではなく、マナ・リグのどこかに隠された情報収集装置だったとしたら? 彼は踏み出してテフェリーの胸当てを直し、自分自身がこういった装具を必要としないことを嬉しく思った。有機体の上半身が巨大な内臓容器であるというのは、明らかな設計上の欠陥だ。「じっとしていて下さい。合わない鎧のせいで貴方を傷つけたくはありません」

「私は君が作られるところを見てきていた。だから安直に君を物として考えていた」 テフェリーは頭を下げた。「こんなことを言っても意味はないかもしれない。けれどかつての私の仕打ちについては、本当にすまないと思っている」

「許してあげます」

 上層で警報が響き、軍勢へと戦いを告げた。

 テフェリーは早足で向かい、カーンもそれを追った。ジョイラの工房は建物全体から突出しているため、カーンはマナ・リグ全体を俯瞰することができた。下層はふたつの半球が、マナ・リグを支える何本もの脚によって繋がっていた。この位置からは見えないが、それらの脚は砂漠の赤い岩にしがみつき、マナ・リグの構造を崖に固定していた。そして離れた側の半球は間に合わせの橋でシヴの山へと繋がれていた。両方の半球の上には、街の建物が伸びていた。上層の建物は前側の半球を見下ろす彼の頭上に伸び、その頂上に制御室が座していた。ゴブリンとヴィーアシーノたちが建物の間の屋台を解体し、代わりに攻城兵器を取り付けていた。マナの大砲が側面から伸び、眼下の砂漠に狙いをつけていた。

 砂漠は騒然としていた。マナ・リグ下方のファイレクシア軍は莫大な数で、眩いシヴの陽光に照らされて虹色の池のように見えた。海から鯨が顔を出したかのようにその表面が盛り上がり、波打ち、そして一体の巨怪がその深淵から姿を現した。

 これはただの襲撃ではない。

 テフェリーは声をあげた。「大砲は!?」

「まだです!」 女性の叫び声が届いた。

 ファイレクシア軍の第一波がマナ・リグの側面に取りついた。連合の戦士たちは相手の梯子を蹴り飛ばし、引っかけ鉤を切断し、歪んだ獣たちに槍を突き立てた。

 ファイレクシアン・ドレッドノートが一頭、軍勢から立ち上がった。鯨のような巨体、だがムカデのような脚や顎をもつ鯨はいない。ぎらつく黒い身体から岩が落ち、装甲からは空気の匂いを嗅ぐかのように細いケーブルが悶え出た。それは顎を鳴らし、マナ・リグへゆっくりと迫った。

「かなりまずいな」 テフェリーは呟いた。「あのドレッドノートを狙え、胸だ! 発射が可能になるまで待機しろ」

 人間の技師二人を背後に伴い、ジョイラが下層から姿を現した。彼女は大砲へ急ぐと膝をつき、接続を今一度確認した。助手たちは大砲の背後に座し、それらをドレッドノートへと向けた。マナが充填され、発射口が燃え立つ青いエネルギーを帯びた。

 ジョイラが手を振り下ろした。「撃て!」

アート:Sidharth Chaturvedi

 大砲は耳をつんざく砲火を放ち、それはドレッドノートの胸に命中した。金属が焦げ、怪物は自軍へと後ずさった。装甲の隙間を青いエネルギーが焼いていた。ジョイラは再び手を振り下ろし、大砲も続けて放たれ、傷ついたドレッドノートの装甲を波打たせた。それは自軍の上に崩れ落ち、仲間を潰した。

「よし」 ジョイラが言った。「機能してるわね」

 マナ・リグの上をひとつの影が過ぎた。空を駆けるウェザーライト号、その姿にカーンは一瞬安堵した――だがそれは船がヴィーアシーノの群れへと一斉射撃を放ち、彼らを散開させるまでのことだった。

「何ということだ」 彼は呟いた。目をこらして見ると、ウェザーライト号が以前に偽装としてまとっていたコイルや触手が、もはや死んでも不活性でもないとわかった。操縦席までも潰され、輝くガラスがはまっていた場所には血と内臓がこびりついていた。ファイレクシア人はウェザーライト号すら完成化したのだ。

アート:Adam Paquette

 船は急降下し、甲板からよじれた怪物たちを下ろした。あるものは猫のように小さく、あるものは熊のような体格、完成された人間も混じっていた。マナ・リグの自爆装置の設置をジョイラが終える前に、シェオルドレッドは自分たちを圧倒したいに違いない。この増援がテフェリーとヴィーアシーノたちを背後から攻撃したなら、大砲は無防備となってしまう。

 カーンは降下してきた怪物たちの対処に向かった。ウェザーライト号の甲板から人型のファイレクシア人が一体飛び降りた。その輪郭は奇妙ながらも見覚えがあった。枝分かれした上腕を挙げて、その人物はカーンへと向かってきた。金属の棘の混じった金髪は後頭部へと撫でつけられ、両目から頬へと黒い油が流れ出ていた。その人物は口元を歪め、にやりとした笑みをカーンに向けた。「ずいぶんと久しぶりだねえ」

 ありえない――だが間違いない。アーテイ。

 彼は死んだとカーンは思っていた。数世紀前に死んだこの男を蘇生するためにファイレクシア人はいかなる技術を用いたのか、ともかくアーテイは昔のままだった。肩を動かし、睨みつけ、指を曲げ伸ばしする――それらの仕草は変わらないままだった。

 頭上高くで、青空に黒い点が幾つも現れた。それらは次第にドラゴンの姿となり、完成されたウェザーライト号へと急降下した。飛翔艦は旋回し、ドラゴンたちに対峙すべく高度を上げ、吐き出された炎の塊をかろうじて避けた。デアリガズがウェザーライト号の船体に体当たりをしてしがみつき、船は空中で大きく揺れた。まるで猫がネズミの腹を裂くように、そのドラゴンは鉤爪を用いてウェザーライト号がぶら下げた腸のようなケーブルを引っかいた。

 カーンはアーテイに対峙した。

 アーテイは二又の腕を持ち上げ、挨拶の真似をした。「ウェザーライト号が私を見捨ててから、ずいぶん長い時が過ぎたものだ。戻ってきてくれることはできただろうに、お前たちはそうしなかった。そして今、ウェザーライト号の艦長が誰なのかを目にしている――意外かつ素敵な運命のいたずらさ」

「運命ではありません」 カーンは率直に言った。「シェオルドレッドの企みです」

「カーン、あの方はお前を特別だと思っているかもしれないが」 アーテイが言った。「私は本当のところを知っている。作られたものは何であろうと分解することができると」

 アーテイは微笑み、四つの手で二重の弧を宙に描いた。塵が舞う大気に輝く魔法が記された。カーンが前進すると、アーテイは手首を鳴らしてその呪文をナイフ投げよりも速く放った。意外にも、きらめく光がカーンに命中した――用心してかけていた防護魔法に跳ね返されるのではなく。そして、まるで固く錆び付いてしまったかのように、彼の関節が不意に機能を停止した。

「復活している間に、ゆっくり考えることができたよ」 アーテイが言った。「作戦を立てて、自分自身を設計し直す……お前と戦うために」

「何を――したの――です?」 カーンは声をきしませた。

 アーテイは二又の腕を掲げ、カーンを宙へと持ち上げた。まるでその重量など、タンポポの綿毛ほどでしかないかのように。掌握が強まった。カーンに肺があったなら窒息死していただろう。彼は口を固く結んで抵抗したが、装甲から伝わって身体に脈打つ苦痛からは逃れられなかった。その圧力に、金属の身体がひしゃげる音を立てた。アーテイはゆっくりと手の力を抜いた――指を一本ずつ放し、だがカーンを解放はしなかった。

「お前はお前とはわからぬものになる。美しく、新しいものだ」

 カーンの身体に霜が広がり、白い光沢が金属を包んだ。身体が冷えていった。シヴの砂漠の熱と魔法の氷、その温度差で金属が縮むのを感じた。アーテイは二本の手をひねって何かを絞る仕草をし、そしてそれらを離した。アーテイがカーンの肢を身体から引き抜きにかかると、圧縮される感覚は引き延ばされるそれへと変化した。少しずつ、彼はカーンをばらばらにしようとしていた。まるで残酷な子供が昆虫を痛めつけるように。カーンの関節に圧力がかかり、無理矢理ひねられた。肩と膝で金属が参り、関節が曲げられ、壊されていった。

 死ぬとは、どのようなものだろうか?

 死について熟考したことはなかった――彼にとっては非現実的な選択肢だった。死というのは自分以外の人々に起こるものであると、自分は必然的に逃れる悲劇であると、そして常に自分は生き延びるだろうと思っていた。このような仕打ちに対抗する術はなく、アーテイの企みを止める術も、マナ・リグが蹂躙されるのを止める術もなかった。

 死にたくなかった。

 アーテイはにやりとした。圧力が強まった。

 死ぬにしても、何よりも酒杯を守らねばならない。カーンは久遠の闇に、その魔法の響きに手を伸ばし、作り出せる限り最も硬い物質の粒子を引き出した。彼は遠くの酒杯を、ジョイラの工房に隠したそれを思い浮かべた。身体からそんなにも離れた距離に物質を生成した経験はなく、だが無理にでも、そして正しくできることを願った。彼は高密度の炭素繊維を霊気から編み上げ、チタン製の箱に封じられた酒杯を包み込んだ。そしてその繊維を箱にも伸ばし、完全に覆った。箱は見通すことも壊すこともできない塊と化した。遠く隔てた場所に技を行使するには、途方もない意志の力を必要とした。身体に感じるねじれの力よりも、彼は創造という行動に強く集中した。

 咆哮があがった――掘削機が岩を壊したような。

 金色の大帆船がシヴの赤い山々を駆け、岩を跳ね上げ、マナ・リグの隣へと近づいてきた。

 アジャニが大帆船の甲板から跳躍し、アーテイの背後に着地した。滑らかな動きひとつで彼は背中から両刃の斧を抜き、アーテイへと振るった。ファイレクシアの魔道士はよろめき、集中が途切れ――そして悲鳴を上げながらマナ・リグの側面を落下していった。

 掌握していた魔法が和らぎ、カーンは着地した。膝が参り、彼は倒れ込んだ。立ってはいられないほどの損傷を受けていた。

 アジャニは牙をむき出しにし、敬礼するように斧を下げた。「共に戦うために戻ってきました」

 強烈な圧力にきしみながら、カーンは頭をもたげた。もはや戦える状態ではないが、それができるだけでも嬉しかった。「感謝致します。ジョイラの工房を守らねばなりません」

「工房を?」 アジャニは尋ねた。「制御室ではなく?」

「そこはジョイラが持ちこたえてくれます」 戦いから離れた遥か頭上、自分たちを見下ろす制御室をカーンは顎で示した。「酒杯です。酒杯がジョイラの工房にあります」

 獰猛なうなり声を返答に残し、アジャニは背を向けてファイレクシア兵へと襲いかかった。

 金色の大帆船がマナ・リグに接近し、引っかけ鉤が放たれた。その船がマナ・リグの後方につくと、側面を登っていたファイレクシア兵は潰された。大帆船の乗組員たちが隙間に板を渡すとヤヤが突撃の先頭を務め、ダニサがキャパシェン家の色をまとって続き、ラーダとその民が鬨の声をあげた。ケルドの戦士たちとベナリアの騎士たちが大帆船からマナ・リグへとなだれ込んだ。彼らは大剣でファイレクシア兵に襲いかかり、めった切りにしていった。

アート:Zoltan Boros

 ヤヤは炎のカーテンを戦場に広げ、ファイレクシア兵を大帆船と自軍に向かわせた。「カーン! 次元を超えてやって来たあんたの悪夢をどう料理してやろうかねえ?」

「私は食物や栄養を必要としてはいませんが」

 彼女は目を丸くし、炎の弧を描いた。「現役時代の私の評価は低くってね」 緋色の炎はヤヤを取り囲んで刃のようにうねり、ファイレクシアの怪物へと切りかかった。続けて彼女は片手を挙げ、力を込めて指を曲げ、すると電気が凝集を始めた。爆音とともに一本の稲妻が敵の列へと走った。カーンは気付かぬうちに凝視していたらしく、振り返った彼女はにやりと笑った。「なんだい? いくつか小技を覚えたのさ」

 ふたりの背後、マナ・リグの先で、遥か下方の砂漠から光沢のある深緑色の巨体が立ち上がった。その容貌、枝分かれした角――カーンはとてもよく知っていた。シェオルドレッド。今やその身体はドミナリアの古の戦争で用いられた悪夢のような機械に取り付けられていた。それは人型をした彼女の上半身をマナ・リグの高さへと持ち上げた。

「カーン様」 シェオルドレッドの声はその身体全体に反響し、音楽的で奇妙な調子が戦場を満たした。「私ノタメニ、酒杯ヲ持ッテキテ下サッタノデスネ」

 酒杯を用いてシェオルドレッドをおびき寄せる、その作戦は成功したようだった。

「ヤヤさん、工房に行って酒杯を確保してください」 アジャニが言った。「持って逃げなければ」

 ヤヤは頷いた。炎を揺らして身を守りながら、彼女は工房へと向かっていった。アジャニとテフェリーが工房へと続く戸口を挟むように立った。

 シェオルドレッドは前進した。多すぎる脚で軍勢の中を泳ぐように、そして自らの身体に怪物たちを取り入れながら進んだ。彼女は側面からマナ・リグへと接近した。砲撃が鉄の装甲へと降り注いだが、それらはシェオルドレッドの身体を流れ下った。傷を与えることはできなかった。

 マナ・リグの区画の継ぎ目へ向かっているのだろうか?

 だがシェオルドレッドはドラゴン・エンジンの身体の顎を開き、破城鎚のようにマナ・リグの先端部分へと体当たりをした。衝撃がマナ・リグに轟いた。金属と金属がこすれ、振動がリグ全体へと伝わっていった。彼女はファイレクシアの軍勢へと多くの脚を伸ばした。兵たちが身体を登ってくると彼女はのたうつケーブルを引っ込め、脚を梯子のように、ドラゴン・エンジンの身体を傾斜路のように用いてマナ・リグへと向かわせた。

 カーンは工房の扉の前にうずくまった。なぜヤヤは酒杯を持ってプレインズウォークしない? 損傷した指で拳を作ることはできず、彼はプレインズウォーカーたちに気付いたファイレクシア兵を掌で叩き潰した。力の限り、アジャニとテフェリーを守らなければ。彼はテフェリーの戦いぶりを称賛せずにはいられなかった。プレインズウォーカーとしてだけでなく、父親としての決意がそこにはあった。娘が生きる次元を守ると、自分が生きる次元を守ると決意した男の。人間と馬とイカが合わさったような怪物を放り投げながらも、カーンはアジャニにも目を配っていた。大振りな攻撃を避けるため、彼は離れていなければならなかった。アジャニは双刃の斧を振り回し、金属も肉も同じように滑らかに切り裂き、ファイレクシア兵は何かがおかしいと一瞬考えた後、ばらばらになった。ファイレクシア軍の後方から、援軍が現れた――いや、違う。ドレッドノートが更に二頭。巨大な金属板がそのケーブルや脈打つ内臓や肉を覆い、身体じゅうの棘は人など串刺しにしてしまえそうだった。ドレッドノートは注意深くそれらの脚を進めた。

「まずいぞ……」 カーンの背後で、テフェリーが息を鳴らした。彼は叫んだ、「大砲、構え!」

「このような状況から、いかにして勝てというのでしょうか」 アジャニが言った。

 地平線にひとつの影が現れた――不意の、そびえ立つ緑の線。カーンの目に、それはまるで森の輪郭のように映った。

 遥か頭上でデアリガズとドラゴンたちが旋回し、ドレッドノートへと急降下した。デアリガズはその巨体で体当たりをすると全身で組み付き、装甲を一枚また一枚と引きはがしていった。すぐさまウェザーライト号が蝙蝠に似た翼をシヴの風にひるがえして追い、病的な緑色の砲撃をドラゴンたちへと放った。

 マナ・リグが揺れ、そして振動が走った。カーンは自らの核であるハートストーンが震えるのを感じた。呼びかけと返答、まるで二重奏を始めるかのように。ジョイラが作業を終えたに違いない――彼女はマナ・リグを目覚めさせたのだ。それはゆっくりと、何者にも邪魔されないというように立ち上がった。

 その脚でマナ・リグが立ち上がると、激しい揺れにその上の誰もが戦いを止めた――ファイレクシア兵すらも。カーンは床に身体が強く押し付けられるのを感じた。損傷した関節で気流が音を立て、清浄で熱いそれは戦いの腐臭を払った。曲がった金属の装甲が痛んだ。マナ・リグと砂漠とを繋いでいた橋の残骸は引き裂かれた。シェオルドレッドの大顎がマナ・リグをひっかき、その掌握が外れるとカーンは構造物全体が傾くのを感じた。

 マナ・リグは動き出した。

 シェオルドレッドは傾き、よろめいた。

 マナ・リグは岩砂漠へと足を踏み出した。優雅ではないながらも効率的に、体勢を崩すことなく、ファイレクシア兵を踏み潰していった。それは進みながら岩をすくい上げ、動揺するファイレクシア軍へと融けた溶岩を吐き出した。カーンにその詳細は見えなかったが、結果は見えた――軍勢がひるみ、焼かれて悲鳴をあげ、そして融けた岩の分厚い波がそれらを黙らせた。

 ファイレクシア軍は後退を始めた――だがそこで、カーンが地平線上に目撃した黒雲の姿が明確になった。生い茂る葉と木々。マグニゴス・ツリーフォークの列また列が進軍し、シヴの砂漠に涼しい影と豊かな緑を投げかけた。マナ・リグの溶岩はファイレクシア軍をマグニゴスらの枝の下へと追いやった。ツリーフォークたちはそれらを引き裂き、同時に熱帯の花のように鮮やかなヤヴィマヤのエルフたちが、マグニゴスの枝から眼下の怪物へと矢の雨を降らせた。

 翼をもつカヴーが一体マナ・リグへと飛来し、ジョダーがその背から飛び降りた。続いて薄い色の肌に頬を赤らめたエルフが彼の背後に転がり出た。メリア、以前にジョダーは彼女をそう紹介していた。「こんなに沢山のプレインズウォーカーさんが。皆さんと一緒に戦えるとは、なんて光栄でしょうか! それにマナ・リグ。こんなに大きかったなんて!」

 その背にヤヴィマヤのエルフたちを乗せ、有翼のカヴーが次々とマナ・リグに降下した。彼らがファイレクシア兵へと突撃して槍で貫き、窮地に立たされた者たちを救うと戦いは再び燃え上がった。ジョダーは眩しい白光を掲げ、大砲と砲手を守る障壁を張って時間を稼いだ。そして大砲が点火され、マナ・リグの防衛を突破しようとした大型のファイレクシア兵を吹き飛ばした。メリアはラーダとダニサの隣に立ち、ヤヴィマヤの射手たちをベナリアとケルドの戦士たちの背後に並べた。矢の雨が彼らの頭上を駆け、迫り来る怪物たちに突き刺さった。

「助かった……のか」 テフェリーが呟いた。

 その声色から、彼は生き延びるとは思っていなかったとわかった。カーン自身もそうだった。

 ヤヤがジョイラの工房から姿を現し、テフェリーとアジャニの間に立った。その両腕には、カーンが酒杯を包むように作り上げたチタンの塊が抱えられていた。彼女は歯を食いしばり、それを床に降ろした。この大きさと重量の物体をひとりの人間が持ち運ぶのは困難、その考えはカーンになかった。

「これをひとりで持って久遠の闇を通るのは無理さ」 ヤヤは言った。「私はこんなもん重すぎてプレインズウォークできないよ」

 カーンは頷いた。彼は曲がった手を金属塊の上に掲げ、防護用の金属を剥ぎ取った。次にもう一度手を振ると、鍵のないその箱が開いた。酒杯は箱の中でぎらりと光った。単体であれば、ヤヤでも十分に持ち運べる軽さだろう。

「ようやくか」 アジャニの声が歪んだように聞こえた。血に飢えたうなり声ではなく……機械のような。

 カーンは友へと向き直った。

 アジャニは苦痛に顔をしかめ、歯をむき出しにした。そして耳を低くし、無傷の目を固く閉じた。毛皮の下を蛆虫が這うかのように、皮膚が波打った。

 信じられないというようにヤヤはうめいた。テフェリーは踏み出した。まさかアジャニが――ありえない――

 アジャニは無傷の目を恐怖に見開いた。やめろ、やめろ、やめろ。彼は拒むようにかぶりを振り、くぐもった呟きを発して自身の腕を強く掴んだ。まるで皮膚の下に走るファイレクシアのケーブルに抵抗し、それを出させまいとするかのように。だがそれらは彼を貪り食い、筋肉と毛皮を引き裂き、彼自身の下に組み込まれていたファイレクシアの筋組織を露わにした。滑らかで、密な。

アート:Victor Adame Minguez

 アジャニは完成されていたのだ。彼こそがスパイ、裏切り者だったのだ。彼はシェオルドレッドに連合を売ったのだ。

 ヤヤは酒杯を守るように胸に抱えた。呆然としながらも彼女は一歩後ずさり、工房へ逃げ込もうとした。炎が燃え上がり、彼女を包んだ。だがその動きはアジャニの動きを誘ったようだった。彼は斧を掲げ、ヤヤの身体へと振り下ろした。ヤヤは背をのけぞらせ、苦痛の喘ぎが口から漏れ、そして崩れ落ちた。

 テフェリーが両手を掲げ、その魔法はアジャニの攻撃を遅らせた。カーンはそのレオニンへと急ぎ、ヤヤとの間に入った。誰かが、誰でもいい、倒れ込んだ彼女に癒しの呪文をかけてくれることを願って。アジャニはカーンの上半身めがけて斧を振るった。その刃は金属の身体を滑るのみ、カーンはそう予想していた。だが彼などただの肉塊であるかのように、アジャニの斧は身体に深く突き刺さった。傷口から苦痛が広がった。カーンは斧の柄を握りしめ、引き抜こうとした。だが刃は埋まっていた。アジャニは事もなげに彼の横を通過していた。テフェリーも消耗し、その動きを遅らせることはもはやできなかった。

「シェオルドレッド様ハ、お前の力ヲ十分に計算しておられタ」 アジャニの喉が発する機械的な声は、普段の彼のそれとは似ても似つかなかった。「酒杯、カーン。『囁く者』はドミナリアにテ、この二つのアーティファクトを御所望だっタ」

「私を――殺すの――かい」 ヤヤが苦しい声を発した。「その前にあんたを――」

「アア」 アジャニは簡素に言い、ヤヤを片手で宙へと持ち上げた。「お前は死ヌ」

 ヤヤは咳き込んだ、「かもね。けれど、独りじゃ、死なないよ」 ヤヤの身体から炎が溢れ出た――白と緋色の業火。アジャニはうなり声をあげて後ずさり、毛皮が焦げて皮膚の下の黒化したワイヤーとケーブルを露わにした。大気には焦げた油の匂いが漂った。傷ついた手で、彼はヤヤをマナ・リグから放り投げた。

アート:Ekaterina Burmak

 テフェリーは声を失った。ジョダーは弱弱しい悲鳴をあげた。

 カーンは身体からアジャニの斧を引き抜こうとしたが、彼の関節はあの圧力下で損傷しており、刃は動きすらしなかった。酒杯はすぐそこに――目の前に、ヤヤが落としていた。彼女の仇をうつ、だがアジャニの言葉は正しかった。シェオルドレッドは彼の力を完璧に計算していた。あのコイロスの洞窟で、思った以上に自分の情報を与えていたのかもしれない。アジャニは偽の友情で自分を抱きしめ、調べていたのかもしれない。アジャニはもう片方の手で酒杯を拾い上げ――握り潰した。まるでその古代のアーティファクトが、ただの紙でできているかのように。その装置の繊細なルーンが一瞬だけ光を閃かせ、そして消えた。カーンはただ恐怖の内に見ていることしかできなかった。

 シェオルドレッドがマナ・リグに体当たりをし、その前進を止めて掴みかかると山に押し付けた。その衝撃はマナ・リグの巨体全てを震わせた。山麓からファイレクシア兵が降り、戦いの形勢は再び変化した。ベナリアの騎士、ケルドの戦士、ヤヴィマヤのエルフ、ゴブリンも人間もヴィーアシーノも戦っていたが、今や押されていた。

 アジャニに掴まれ、カーンはもがいた。ジョダーとテフェリーは立ち尽くしていた。全てがほんの数秒のうちに起こっていた。

 シェオルドレッドが分裂した。人型の小さな上半身がドラゴン・エンジンの巨体から抜け出て、蛇に似た脊髄が露わになった。大型の宿主に接続するための器官。それはドラゴン・エンジンから滑り降りてマナ・リグに着地すると、プレインズウォーカーたちへと向かってきた。角の兜は外されていた――カーンが想像したような血糊と金属ではなく、青白い皮膚。シェオルドレッドは形の良い鼻、憂いを帯びた大きな黒い瞳――雌鹿のそれのよう――を見せていた。死して久しいどこかの哀れな女性の顔を奪ったのは疑いなかった。

 彼女は小さな白い手をカーンの胸に置いた。「マナ・リグハ私ノモノ。父上ハ私ノモノ。ドミナリアハ侵略ニ対シ、トテモ脆イ。我ラガ民ノ驚嘆ハ父上ノ驚嘆トナルデショウ。我ラノ美ハ父上ノ美トナルデショウ。真実ハタダヒトツ。進化ノ次ナル段階ガ完成スルノデス」

『真実ハタダヒトツ』 戦場の至る所でファイレクシア兵が呟いた。歪んだ口から発せられたその言葉は風よりも柔らかく、そして風よりも遥かに不気味だった。

「カーン様ノ尽力ニヨリ、私ノ計画通リトハ行キマセンデシタ」 彼女はカーンが首にかけた鎖を掴んだ。占術装置と探知装置、そしてウェザーライト号との通信装置。「イイエ。ムシロ、コチラノ方ガ好都合デス。計画ガゴザイマス。カーン様ノタメノ――ドミナリアノタメノ計画ガ。アラユル次元ノタメノ計画が」

「おあいにくさま」 マナ・リグの装置で増幅され、ジョイラの声が轟いた。「お前たちの欲しいものは手に入らないわよ」 そして長い沈黙――まるでジョイラが、正しいことを成すために自らを強いらなければならないかのように。だがカーンは彼女を信じていた。そして、マナ・リグ中央の構造から不吉な秒読み音が発せられた。ジョイラが自爆装置を起動したのだ。

 金色の大帆船はすぐさま離れ、砂地へと退散した。

「ジョダー!」 ジョイラが叫んだ。「ポータルで全員を脱出させて! 早く!」

 ジョダーは気力を振り絞り、立ち上がった。マナ・リグの上に幾つものポータルが出現し、近くの兵たちを吸い込んだ。吸い込まれなかった兵士たちは唖然としたが、状況を理解するよりも早く仲間にポータルへと押し込まれた。ジョダーはポータルをひとつ作り出し、ダニサとラーダとメリアを放り込み、爆発範囲から離れた安全な場所へと彼女たちを転送した。彼はまたメリアの大切なカヴーが取り残されぬよう、渦巻くポータルを用いてそちらも送り出した。最後に、ジョダーはカーンを見た。瞳に無念を宿し、彼は最後のポータルを抜けていった。

 辺りは不気味なほどに静まり返った。シェオルドレッドが奪った顔は表情を変えずにいた。アジャニは落ち着いており、ヤヤに燃やされた腕は骨が露出して焦げていた。

 カーンは待った。

「目的ハ達成シマシタ。イツデモ帰還可能デス」 シェオルドレッドは息を吐き出した――それは失望なのか満足なのか、カーンにはわからなかった。そして彼女の背後に緋色の光がひとつ現れた。小さな粒ほどだったそれは、稲妻をまといながら次第に拡大し、渦巻く球と化した。それは力に吠え、大気を吸い込みながら、辺りを食らうように彼らに向かって成長していった。

 シェオルドレッドは首をかしげ、顔に手を触れた。「残念デスネ。私、コノ顔気ニ入ッテイマシタノニ」

 カーンはアジャニに抵抗したが、損傷した身体と強化された相手の力とでは、なすすべはなかった。醜悪な赤い光がシェオルドレッドをのみこんだ。彼女は小さな驚きの声とともにその力に顔を向け、そして包まれた。光はアジャニとカーンをも焼いた。高熱の中、カーンはそれが自身を引くのを感じた。自分をカーンたらしめる精髄を引き、そして……奪い去った。

 まるで、彼などひとつのアーティファクトに過ぎないというように。ひとつの盗品であるかのように。


 夜が砂漠の大気を冷やす中、ジョイラとテフェリーは生存者たちの対応を終えた。テフェリーは天幕を設置して負傷者の治療優先順位を判断した。ジョイラはわずかに残る壮健な者たちを戦場に送り出し、生存者の救出とファイレクシア兵の焼却を行った。ゴブリンやヴィーアシーノの市民のほとんどは故郷であるシヴから離れるのを拒んだため、ふたりは彼らと協力して備蓄を確認し、マグニゴス・ツリーフォークの枝の下に避難所を設置し、全員に食糧が行き渡るよう努めた。

 テフェリーもジョイラも、疲労しきっていた。

 その状態でジョダーと話す力が残っているか、テフェリーは定かでなかった。

 だが彼はそれを身体の奥深くから呼び起こした。ニアンビがいたなら、そうさせていただろうから。

 ジョダーは岩の上に膝をつき、荒廃した戦場を見つめていた。彼の目に涙はなかった。兵士たちは残存物を拾い、ハゲワシを追い払っていた。黒ずんだ溶岩の土手が、次第に深まる夜へと湯気をあげていた。彼はその両手にカーンの首飾りを守るように掴んでいた。占術装置、ファイレクシアの探知装置、ウェザーライト号の通信機――そしてヤヤの白髪の一房。

「来てください」 テフェリーは彼の隣に屈みこんだ。「食べて、眠らなければいけません」

 ジョダーは占術装置の裏側をロケットのように開き、ヤヤの髪を収めた。「これが別れだとは。再会したばかりだったんだ。ヤヤを失うなんて、こんなところで。若い頃からの付き合いだったけど、一緒に過ごした時間は全然足りない」

 テフェリーは自らの内に広大な虚無を感じた。心を痛めるだけの気力すら残っていなかった。その感覚はよく知っていた――スビラが死んだ後、彼は同じように感情を失っていた。心の殻が摩耗し、悲嘆に沈むだけの感受性が露わになるまでには数年を要した。テフェリーは長い間彼女を悼んでいた。ずっと。スビラは生涯の伴侶であり、彼の子供の母親であったのだ。

 砂利を踏みつける音が聞こえ、ジョイラがふたりに加わった。「ジョダー、私たちを必要としている友が今も生きているわ。シェオルドレッドは何を計画しているの? カーンとアジャニで何をする気なの?」

「わからない。酒杯が失われた今、どうやって戦えっていうんだ?」

 ジョイラは足を組み、ジョダーの隣に腰を下ろした。そして彼の肩に腕を回した。

 テフェリーは前を見つめて熟考した。「ヤヤさんの記念碑を立てよう。時代を経ても残るものを。あの人の強さ、偉業、素晴らしさを忘れてはならない。シヴはやがて巡礼の地となるだろう」

 ジョダーはかぶりを振るだけだった。

「私が一緒にいるわ」 ジョイラがそう言った。


 シヴの赤い砂の上。白色のピラミッドが、宙に浮かぶ消えない炎を取り囲むように並んでいた。ジョダー自身がその呪文をかけた。適切な光のもとでシヴの風が当たると、その炎は得意げな笑みを隠すように背を向けるひとりの女性の姿を成し、その白髪は大気へと流れて消えた。

 ダニサ、ラーダ、メリアは故郷に戻っていた。壊滅した軍を立て直し、やがて来るファイレクシアの帰還に備えて更なる兵を集めるために。テフェリーとジョイラは残っていた――ヤヤの記念碑を築くために。

 彼女を失った悲嘆は、テフェリーの内にもあった。

「ヤヤと私が出会ったのは、彼女が……」 ジョダーは鼻筋を押さえ、瞳の光を隠すように瞼を閉じた。彼は感情をこらえた。「ドミナリアはひとりの魔道士を失った……世界は、私は君を失った……すまなかった……」

 ジョイラはジョダーの肩に手を置き、ジョダーは慣れた様子でもたれかかった。

「こんなことをしなきゃならないなんて、考えたこともなかった」 彼はようやく声にして言った。

 テフェリーは咳払いをしたが、何も言わなかった。彼はかぶりを振るだけだった。ヤヤの機知を、深刻な状況にもたらしてくれたユーモアを失った、その悲しさは言葉にできなかった。この次元を救えるかどうかの瀬戸際でも、彼女は辛辣な冗談を止めることはなかった。テフェリーは石のピラミッドのひとつに、彼女の思い出を吹き込んだ。チャンドラに対する辛抱強い指導を、本当に痛烈な皮肉を言う前に見せる笑みを、そして自分たちの出会いを。ザルファーにて彼女を料理番のひとりと勘違いし、目玉焼きを一皿頼んだあの日を彼は決して忘れなかった。彼女はにやりとしてカウンターの奥へ向かうと、指をひとつ鳴らして全てのバーナーに火をつけた――店主本人をも大いに驚かせて。「一緒にチャツネはいかがかい?」 彼女のことは、決して忘れはしないだろう。

 テフェリーは記念碑をぐるりと一周した。皮膚に汗が浮かび、彼は額を拭った。彼は脚を止め、カーンのために空のまま残していたピラミッドに触れた。彼がもし――いや、ひとたび帰ってきたなら、ヤヤとの思い出を入れてもらうのだ。

 背筋をテフェリーは正した。彼らの時を邪魔しないよう、サヒーリが少し離れて立っていた。光沢のある褐色の肌に黒髪を流し、宝石を散りばめた衣服が風にはためき、黄金の装飾がひらめいた。覚悟はできた、テフェリーのその頷きに彼女は踵を返し、ふたりは立ち去った。


 落とし格子をくぐりながら、テフェリーは震えをこらえねばならなかった。摩耗した敷石が昨晩の冷気を放っていたためだけではない。やって来たのだ――ウルザの塔へ。この場所に再び足を踏み入れるなど、思ってもみなかった。

 サヒーリは彼を古い広間へと案内した。高い丸天井は今も保たれ、陽光からその場所を守っていた。彼女は自作の装置に手を置いた。テフェリーはこれを用いて魔法の力と精度を高める。装置に昇るのは気が進まなかった――その台、革の帯とワイヤーはプレインズウォーカーの内なる力を高める魔法の品というよりは、地下牢に設置されて自白を強要する道具に似ていた。

 コイロスの洞窟でカーンが発見した粘土板の実物は失われたが、写しはそうではなかった。ヤヤは酒杯と共にそれも掴んでいた。そして酒杯とは異なり、写しの方はヤヤの衣服の中に隠されたまま残っていた。

 その写しが酒杯の機能を「どのように」説明しているのか、サヒーリは特定できなかった。知るのはカーンだけ。だが彼女は、酒杯が「いつ」起動されたかを特定していた――そして酒杯の完璧な複製をひとつ作り上げた。

 そして、ここからはテフェリーの役割だった。その「いつ」に戻り、カーンが既に特定していた内容――「どのように」を知る。どのように、酒杯は起動されたのか。

「テフェリーさん、幸運をお祈りします」 サヒーリが言った。「私たち全員のために」

 彼はつとめて力を抜いた。茶色の小鳥がアーチの窓にとまり、そして砂を浴びるために床へと降りた。カーンはこの種を、習性を知っていたのだろう。

 故郷を救うため、多元宇宙を救うため、テフェリーは決してそれをしないという誓いを破る――時そのものを越える。


 次元橋の赤い光が消えた。暗闇の中に響くさえずりから、広大な洞窟の中に立っているとわかった。堆積した鉱物、頭上の石英質鍾乳石の重み、そして冷たく湿った石の匂いがわかった。どこかが悪いように――おかしいように感じた。まるで久遠の闇の荒れ狂う旅によって、金属の表面が汚れた被膜で覆われたかのように。彼は膝をついた。マナ・リグでの戦いで打ちのめされた身体は今も痛んだ。他の皆――ジョダー、ジョイラ、テフェリーが自分よりも上手く切り抜けられたことを願った。そしてヤヤは……いや、それは考えない方がいい。悼むことができるようになるまでは。

 白光がひらめき、彼の感覚を圧倒した。さえずる音が止んだ。

 星を宿すかのように輝きながら、エリシュ・ノーンが目の前に立っていた。極めて細い四肢には昆虫の美が、面長の顔には節足動物の美があった。身体を軋ませ、彼に向けて卑屈にお辞儀をしながらも、法務官は自己満足の笑みを薄く浮かべていた。

「ようこそ、父様」 エリシュ・ノーンの声はしわがれて、心地良い低音を響かせた。「おかえりなさいませ」

 カーンは辺りを見回し、アジャニとシェオルドレッドを探した。次元橋があの法務官と完成された友をのみこんだのは覚えているが、ふたりの姿はなかった。別のどこかに降ろされたに違いない。自分とエリシュ・ノーンだけが、洞窟の中でもひときわ高いこの場所にて、白磁の砂の吹き溜まりの中にいた。その下では昆虫型のファイレクシア人たちが、ぎらつく白金色の塊の中で動き回っていた。

 ノーンは彼の顎を掴み、その視線を自分へと向けさせた。彼女は囁きかけた。「なんと久しぶりでありましょう。我々の誰もが寂しく思っておりました。父様、来たるものの栄光を分かち合おうではありませんか」

 カーンは立とうとしたが、脚は動かなかった。灯を呼び起こして身体をどこかへ運ぼうとしたが、彼はひどく壊れ、ひどく疲れていた。ノーンの鉤爪が頬の金属に食い込み、彼の頭部を動かした。首はその動きにすら抵抗し、関節がこすれた。そして彼は見た――白磁の砂から、小さく痩せた一本の若木が伸びていた。その節くれだった繊細な枝は、ドミナリアの山麓で見た低木を思い出させた。薄い色の枝は虹の光沢を帯び、油の粒が蕾のようにぶら下がっていた。

 この地獄にて、怪物に囲まれながらも、彼はその木にどこか柔らかさを感じずにはいられなかった。生きているもの。生き延びるために、あらゆる不利と戦っている。「それは?」

 ノーンは彼を見下ろし、すらりと並ぶ歯が偽りの笑みの中で嘲った。「大いなる行いの始まりです、父様。全ての始まりです」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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