MAGIC STORY

団結のドミナリア

EPISODE 03

メインストーリー第3話:封鎖された塔にて

Langley Hyde
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2022年8月12日

 

アート: Bryan Sola

 独りであれば、カーンはそう願った。研究に没頭したかった――明快な数式に我を忘れることができたなら、油と血が身体で乾きつつある感覚を忘れることができたなら。だが逃げることはできない。彼は新アルガイヴの監視塔に閉じ込められていた。小さな円形の部屋を取り囲む窓は、鋼の鎧戸で閉ざされている。頭上ではパワーストーンが黄色い輝きを放ち、操作盤の乗った台座を照らし出していた。この塔の封鎖を解くただ一本の鍵は彼が所持しており、入り込んだファイレクシアの生物を確保するまでは、そして仲間たちが――ジョダーとヤヤ、テフェリー、ステンが――新ファイレクシアの影響を受けていないと確信するまでは使用するつもりはなかった

「酒杯はどこにあるんだい?」 ヤヤが尋ねた。

「安全な場所に」

 皆に表情を見られないよう、カーンは顔をそむけた。布が必要、だが彼はそれを生成できなかった。カーンは両手を伸ばして霊気から粒子を引き出し、針金の小さなブラシを作り出した。遠い昔と全く同じ――ウルザが彼を戦いへと送り出した後、身を綺麗にするために用いたもの。金属が生成されるにつれ、彼の掌が熱を帯びた。

「その場所を明かさないのは何でだい?」 ヤヤは続けた。

 ファイレクシアのスパイ生物を天井に探し続けるかのように、テフェリーは首をもたげた。「プレインズウォーカーですら今や屈してしまいます。油が機能しないのはカーンだけなのです」

 テフェリーが自分を守ってくれたのは嬉しく、だが自分がこの部屋にいないような物言いは好みではなかった。ひとつの物体であるような物言いは。だが昔からの習慣はなかなか消えないということだろう。自分が創造される以前から、テフェリーはウルザの生徒だったのだ。

「私がスパイなもんか」 ヤヤは侮辱されたと感じたようだった。

「例えスパイであったとしても、自分自身すら知るよしもないのです」 ステンが言った。

「シェオルドレッドを見つけ出して倒す計画があります」 カーンは言った。「この塔を完全に確かめたなら、皆さんにお話しします」

 ジョダーは額をこすり、その様子は苛立って疲れ切ったように見えた。ここの全員を運んだために消耗したのだろうとカーンは推測した。「君を信じよう。何にせよ、もっと早くにやるべきだったんだ」

「潔白を証明するために火の輪くぐりでもしてみろって言うのかね、カーン」 ヤヤが口を開いた。「そうしなきゃいけないって考える理由はわかるが、好みじゃないよ。軽業をやるような歳でもないし、奇術をやってみせたいなんて思ったことは一度もないんだ」

「まずそのファイレクシアの生物を見つけるべきだろう」とジョダー。

「最も効率的になるように手分けをして探しましょう」とカーン。

「ヤヤと私が上の階へ行こう」 ジョダーが言った。「テフェリーとカーンは下へ」

「つまり私独りが地下へ向かうということですね」 ステンが顔をしかめた。「好都合かと思います、巨大なボイラー室がひとつあるだけのようなものですから。ますますやる気が削がれていきますよ」


 カーンとテフェリーは金属の狭い階段を下っていった。足元がきしんだ。この階段は軽量の人間用に設計されており、金属の巨大な塊を想定してはいない。

 三階の廊下は狭く、辺りの石材は灰色をしていた。

 小さな作動音がひとつ、そして機械仕掛けの明かりが薄暗く揺らめいた。「扉の隣に、明かりを制御するスイッチがあるな」 テフェリーは嬉しそうに言った。

「こちらを行ったのかもしれません」 カーンの肩ほどの高さの壁に、血と粘液の痕跡があった。カーンは指で触れた。「追ってみましょう」

 その跡は「倉庫:水道設備」と書かれた扉で途切れていた。扉の蝶番には粘液のしみが残されていた、まるで生物がその隙間を無理矢理通り抜けたかのように。テフェリーは屈みこんだ。彼はそれに触れはせず、だがその物質へと手を掲げた。彼はカーンを見上げた。「皆を呼ぶかい?」

「いいえ、まだ」 カーンは少し考えた。「その生物が今もここにいるのかはわかりません」

 テフェリーは軋み音とともに扉を開き、いったん手を止めた。

 跳びかかってくるものがないとわかると、テフェリーは勢いよく扉を開いて踏み入った。カーンはそれに続いた。倉庫の片側には未使用の銅管が置かれた背の高い棚、もう片側には歯車やフランジやバルブが溢れそうに入った木箱の並ぶ棚。あの生物が通った跡は続いていなかった。

 だとしても。「テフェリー、中を探しましょう」

 棚の隙間は狭く、人間用に設計されていた。カーンは図体の大きさを感じた。両肘が銅管に当たって音を立て、狭い通路を抜ける際には木箱を押しのけた。彼は立ち止まり、そして膝をつき、低い位置を横切る蒸気管を不器用にくぐった。とある棚板の下から、血が滴っていた。

 彼はその液体を上方へ追跡し、源を探した。まるで何本かの管が……血を流しているような? 脈打つ肉の塊が銅管に、フジツボのように取り付いていた。それは酸を放って金属を溶かすと、身体の脇から金属の棘を一本吐き出した。カーンは肉塊へと手を伸ばし、握り潰した。

「カーン、こっちへ来てくれないか」

 カーンはその声を追った。テフェリーは倉庫の隅、密閉剤の桶が乗せられた棚の近くに立っていた。彼は唇に指をあてて首をかしげ、聞き耳を立てる仕草をした。

「こういうのは好きじゃない」 管を通ってジョダーの声が、はっきりと届いた。

「何が好きじゃないって?」 こちらはヤヤの声。

 テフェリーへと、カーンは顔をしかめた。テフェリーはひとつの通気口を指さした。

「カーンは自分の計画を話さずに私たちを調査に使っている」 ジョダーの声は苛立っているようだった。「全て明かして、一丸となって詳細を進めていくべきじゃないのか?」

 視線でカーンは管を追った。それらは天井へと消えていた。

 先程は反発していたにもかかわらず、ヤヤの低い笑い声が届いた。「おや、つまりあんたのやり方だけが唯一のやり方だって言いたいのかい? よりによってあんたが?」

「ヤヤ、そういうのではなく――」

「続けな」 ヤヤの笑い声が響いた。「もっと愚痴を言うがいいよ。あんたの本心をね」

 ふたりの声は消えていった。

 カーンは頭上の管をじっと見つめた。「ファイレクシアのスパイはこういった管を通って階を移動している可能性があります」

 テフェリーは触れることなく指をさした。管の湾曲部についた黒い油を、そして管を床まで下るように。カーンが屈みこんで見た。まるで金属が分解されたか変質したかのように、ひとつの目玉が、睫毛ではなく小さく物騒な歯を何本も生やしてそこにあった。目玉の表面からは更に小さな目が幾つも生えており、瞬きを繰り返していた。頭上を小さなものが駆ける音が響き、そして金属の爪が管を叩く音が続いた。

 テフェリーは首をもたげた。「我々はどうするべきだと思う?」

 カーンは振り返り、音の源を探したがそれは途切れた。見失ってしまった。「他の皆さんとは異なって、貴方は私の一方的な計画に反論はしないのですね」

「ウルザは君を道具のように用いていた。そして私もそれに疑問を持つことはなかった。持つべきだったよ。近頃……ニアンビに考えさせられたんだ。若いころ、もっと考えて行動していれば良かったと。もっと注意深く。それと、君をもっと丁寧に扱っていればとね」

 管に鳴る小さな金属音をカーンはたどった。そして倉庫の隅へ向かい、床の小さな通気口を特定した。粘液と血が金属の隙間から流れ下り、濃厚なそれらは詰まりかけていた。「階段へ戻って、そして二階へ降りなければ」

 カーンはテフェリーを引き連れて階段へと戻った。その体重に金属がきしみ、だが曲がりはしなかった。石材にそれを固定するねじは耐えた。

 テフェリーの言葉は謝罪としては不十分、だが心からのものだった。その会話を思うに、今からやろうとしていることは狡いことだとカーンは理解していた。だが選択肢はない。「感謝します、テフェリー。貴方の助けが必要なのです。私であっても、占術装置を用いて酒杯を四六時中監視はできません。酒杯はトレイリア西部の海食洞に隠してあります」

 テフェリーは真剣な面持ちで頷いた。「私を信頼してくれて光栄に思うよ。守るために力を貸そう」

 叫び声がひとつ、階段を下って響いた。ジョダーの声。

 カーンはすぐさま引き返した。彼は階段を駆け上り、その足取りに金属が音を立てた。テフェリーはその後に続いたが、人間の限界もあってその速度はやや遅かった。

 ジョダーとヤヤは四階中央の廊下から続く小さな事務室にいた。ジョダーはイカに似たファイレクシアの怪物を振り払い、それは濡れた音とともに壁へと激突した。ヤヤが両手を合わせて突き出し、白熱した炎を放ったが、その生物は真二つに分かれてその炎を避けた。そしてそれぞれが幾つもの節のある脚を血みどろの体内から生やした。甲殻には飢えた口が幾つも開き、それらは剃刀のように鋭い歯で縁取られていた。

 ヤヤは両手を離して炎を分け、二体の怪物を燃やそうとした。それらは再び分裂し、四体の小さな身体が何十本もの脚をケーブルと肉の身体から生やした。そして散り散りになって逃げだした。

アート: Justyna Dura

 扉のところで、逃げ去ろうとした一体をカーンは踏み潰した。

 ヤヤは両手を合わせ、炎の奔流の中に一体を捕らえた。「食べはしないけどさ、よく焼けただろうよ」

 その生物は断末魔の叫びを上げた。甲高い雑音は泡立ちと空気が抜けるような音へと消えた。ジョダーは両手に白色のエネルギーを集めたが、残りは方々に逃げてしまっていた。

 息を切らしてテフェリーが到着した。彼は両手を構え、だが同時にファイレクシアの小さな怪物たちは石の隙間へと入り込み、ぎらつく油と粘液を証拠として逃げ去った。

 四人は破壊された事務室を見つめた。焼け焦げた書類、砕けた椅子。汗だくになってステンがやって来た。彼はテフェリーの肩越しに覗き込もうとし、そして逃げ腰になって後ずさった。彼は袖で額を拭った。

「階段が、多すぎて」 彼の呼吸はまだ荒かった。

「あのように分裂するなら」テフェリーが言った。「この建物にどれだけの数がいるかわかったものじゃないな」

 カーンは足を上げ、その下の粘体を見つめた。「興味深いですね」

「何体の敵がいるかもわからない、そしてそいつらが壁の中に潜んでいていつ襲ってくるかもわからない。それを『興味深い』とかいう奴がいるかね」 ヤヤが言った。「週末を過ごすにはもっとずっといい方法がいくらでもあるよ」

 ジョダーが口を開いた。「カーン。どうか……君の計画を教えてほしい。それと酒杯の在処も」

 テフェリーは慎重に、カーンを見はしなかった。ジョダーが続けた。「カーン、この期に及んで、私たちの誰も信用しないと?」

「しません」

「それが賢明です」 ステンが言った。「シェオルドレッドが酒杯の在処を知ったなら、手段を選ばずにそれを手に入れようとするでしょう。私たちの誰かが潜伏工作員である可能性がある以上、酒杯の在処を共有する危険は冒せません――それに、あのような生物がどれだけの数、聞いているかもわからないのですから」

「君は本当に頑固で融通が――」

「私の知ってる誰かさんみたいにね」 ヤヤが溜息をついた。「少なくとも、その生物の居場所を特定する方法は考えられるんじゃないのかい。やみくもに探したってどうしようもないよ」

「生物的試料が手に入りましたからね」とカーン。

 ジョダーは膝をついてその粘体を見つめ、溜息をついた。「この素材を用いて……追跡装置のようなものを作れたなら、同じ組織をもつ有機体を追いかけられるかもしれない。だがファイレクシア探知機とは……言えないだろう。一体やそれが分裂したものの場所が分かるだけだ」

「何もないよりましだよ」とヤヤ。

 ジョダーはカーンへと顔を上げた。「この素材が浸み出てこないような金属の容器を作れるか? 手で触る危険は冒したくないが、呪文に方向性と力を与えるにはその有機的素材が必要となるだろう」

「できます」 カーンは頷いた。「その装置の構築に関して、他にも何か良い案はありますか?」

 ジョダーは少し考え、付け加えた。「針を取り付けよう。それに魔法をかけて方角がわかるようにする」

「方位磁針と同じようなものですね」

 ジョダーは頷いた。

 カーンはジョダーの説明に従って装置を製作していった。彼は人間の手にも合うよう小さな貝殻ほどの大きさで、ファイレクシアの肉塊を取り込むように作り上げた。彼は人数分のそれらをジョダーへと手渡した。

 ジョダーが装置を掴んで呟き、光を放つ呪文を織り上げた。カーンは引き下がった。木箱の間の小さな隅で、彼は皆に背を向けると小型の占術装置を作り出した。牡蠣湾で用いたものと同じ、だがもっと小さいものを。完成すると、彼はそれをウェザーライト号の護符と同じ鎖に下げようとした。アジャニのことは心配で、あのレオニンが隣にいて助けてくれたらと願った。

 占術装置の透明な表面が曇った。カーンは顔をしかめた。アジャニ――彼はどこに? 占術装置がよどみ、そして映像を成した。アジャニは今まさに戦っているようだった。攻撃を交わす相手は暗くて判別できず、だが装置の焦点がぼやけていることから、相手はファイレクシア人であるとカーンは推測した。映像がはっきりとし、アジャニが若きキャパシェンの騎士と話す姿が見えた。肩のあたりで髪を切り揃えた女性。

 彼はトレイリア西部の海食洞を思い浮かべた。海岸を捜索するファイレクシア人の姿はなく、一帯は穏やかに見えた。もしもテフェリーがスパイであっても、まだシェオルドレッドに報告はしていないということか。カーンは顔をしかめた。

アート: Donato Giancola

「カーン、ほら――」 ヤヤは言葉を切った。その顔が不満に曇った。「それは何だい?」

 ステンがその横から覗き見た。「そうですよ。一体何を?」

 カーンは装置を鎖に吊るした。「何でもありません」

「ジョダーはあんたの分を作り終わったよ」 ヤヤは装置を彼に手渡した。「もうすぐ全員分終わる」

 カーンはそれを詳細に見つめた。装置の針は混乱したかのようにふたつの方角を行き来した。

 ジョダーは自分のものをポケットに入れた。「私は上の階へ戻って確認しようと思う」

 ヤヤは彼を追いかけようとし、だがカーンが片手を挙げてそれを止めた。「長年の友人関係だというのはわかりますが、貴女の辛辣な物言いに彼を落ち着かせる効果があるとは思えません」

「違いないね」 ヤヤはそれを認めた。「ステン、この生き物が壁の中へ入り込めるってことは、補修のための狭い空間があるってことかい? あるなら確認した方がいいだろうね」

「ええ、実際あります」 ステンが言った。「低層から空気を逃がす複雑な通気網が存在します。防衛上の理由で全市民が地下へ籠る必要が出た時のために」

 明らかに感心し、テフェリーが口笛を吹いた。「私はジョダーと行こう」

「それでは、私は独りで地下へ向かいましょう」とカーン。

「私が行くよりいいのは確かですね」 熱い様子でステンが言った。「あの部屋は厄介ですよ。ボイラーの音がうるさすぎまして、何かが近寄ってきても全く聞こえないでしょう」

 ステン、ヤヤ、そしてテフェリーが部屋を出るまでカーンは待った。そして追跡装置を手に地下へと向かった。

 ジョダーがファイレクシアに関わっているとしたら、その魔法は機能するのだろうか?

 地階は短いながらも幅広の通路で、それを沢山の導管が縁取っていた。上階の倉庫のそれとは異なってここの管は生きていた。蒸気音を鳴らし、栓は開かれ、バルブは漏れていた。部屋に収められたボイラーや水力装置は銅と鋼が繊細な美しさで構築され、鋲のひとつひとつが念入りに締められ、スラン帝国の技術と融合していた。

「カーン、そこにいたか!」 ジョダーがボイラー室へと入ってきて、騒音に負けじと叫んだ。その背後にはテフェリーがいた。「探していたんだ。針が一番近いファイレクシアの生物を示すよう、追跡装置を調整し直さないといけないと思って。おまけに上も下も似たような階で判りづらい。もし――」

 ヤヤとステンが扉を開けた。

「探してたのはこっちだよ。ジョダー、あんたが作ったこいつは機能してない。役立たずだ。止まったと思ったらすぐに動き出す、まるで心を決められないみたいに」

 だがジョダーは彼女を見つめた。「血が出ているじゃないか?」

 ヤヤは腕を掴み、目を狭めた。「傷を見たことないみたいな言い方だね?」

「どうして黙っていた?」 ジョダーは尋ね、そして意味ありげにカーンを一瞥した。

 カーンは追跡装置をジョダーへと手渡した。

「そんな必要があるかい? 五歳の子供じゃあるまいし」 ヤヤは侮辱されたと思ったようだった。「ただのかすり傷だよ」

「言いたいのはそういうことじゃない」 ジョダーは追跡装置の上に指を伸ばし、網目状の呪文を剥がしてひねった。そして指をひっかけるように動かし、呪文が再び金属の上に戻った。ジョダーはそれをカーンへと返却した。「ぎらつく油が身体に入ったらどうするんだ?」

「入ってなんていないよ」 ヤヤは冷ややかに言った。

「そうだとしても、どうして隠していた?」

「隠してたんじゃない。重要じゃなかっただけさ」

 上階でガラガラと何かが鳴り――そして轟音が響いた。まるで導管が積まれた棚が倒されたような。何十本もの管が床を転がる音、カーンはそう見積もった。「上です。テフェリーとステンさんはヤヤさんと調査をお願いします」

 テフェリーは頷いた。その表情は真剣で、彼はヤヤへと視線をやった。傷を負ったヤヤを見ていてほしい、カーンにそう頼まれたのだと考えたのかもしれない。ぎらつく油がそんなにも素早く侵入できるとカーンは思わなかったが、それでも……確信などはできない。

 ジョダーは自分の追跡装置をカーンへと手渡した。「針が軸受けの上に乗るように変えられないか? あるいは旋回できるような何かに。回転するだけじゃなく上下にも動くようにしたい」

 カーンは頷き、改造作業に取りかかった。ジョダーは身をのり出して両手を装置ふたつの上へと掲げ、繊細な網目状の呪文が輝いて宙に浮いた。そしてノードと色の接続を作り替えにかかった。

 普段であれば、誰かと共に技術仕事を行うのは楽しいことだった。それは穏やかな時間、だがジョダーとの場合はそうではなかった。

 ジョダーは後ずさり、乱れた髪を顔から払った。彼はその若々しい見た目には不釣り合いの、悔やむような表情を浮かべていた。「君は……新ファイレクシアから戻って以来、変わったようだ」

 帰還して、自分が不在の間にジョダーとジョイラが男女の関係にあったと知った時、彼は……驚いたものだった。そして居心地の悪さを感じた。ふたりの関係は現在まで続いてはいなかったが、名残はあった。そしてカーンは如才ない反応を心がけていた。だが今ここで本心がわかるかもしれないとは。「近頃のジョダーさんが助言をする様子は、ウルザを思い出しますよ」

「ああ……私のように長く生きた、賢く強大な魔術師は……年月の間に傲慢になっていくのかもしれない」ジョダーは呪文に両手をあて、金属へと押し戻した。「ジョイラの目に、君は参っていると映った。だから私が君を見守ってやらねばと感じたんだ。ジョイラのためにね」

 ふたつの装置の針が震えた。それらは大きく動き、異なる方角へと旋回した。

「この危険な状況においては、貴方の相棒でいたいですね」

「相棒は互いを信頼するものだろう」

 カーンはためらうふりをし、そしてゆっくりと頷いた。「貴方がファイレクシアに屈しているなら、そのように怒りや苛立ちを明白にはしないでしょう。酒杯はエスタークのとある倉庫にあります」

 ジョダーはその言葉に笑った。「そうか、信頼してくれたということか。ありがとう」

 装置の針は異なる方角を示した。あらゆる方角を。

 ジョダーはうろたえて装置を見つめた。「また失敗するなんてことがあるか?」

「失敗ではありません」

 周囲の壁が突然の動きにざわついた。

 何体ものファイレクシアの生物がカーンとジョダーに跳びかかった。ケーブルを伸ばし、口で探るように。ジョダーは魔法でやり合おうとしたが、彼の手がまとう光は暗く、ちらついていた。ポータルを作り出してこの塔へ複数人を送り込み、そして装置を作り上げたことで彼は疲弊していた。

 更に数体が、湿った羽ばたきとともにジョダーに襲いかかった。カーンはジョダーを守れる位置へと動いた。彼は宙で一体を掴み取り、真二つに裂いた。そしてそれを他の生物へと投げつけた。そして宙の別の一体を払ったが、多すぎた――何体かがすり抜けた。

 ジョダーは淡い光線を発して一体を焼いたが、消耗して両膝をついた。ファイレクシアの生物が彼の身体をよじ登り、口を用いて皮膚を探った。壁に気をつけなければとわかっていたが、それでもカーンはジョダーへと向き直った。彼はファイレクシアの生物を払い落し、その過程で触手を切り、投げ捨てた。切断された触手が塊になってジョダーにしがみつき、吸い付くような口を生やした。

 部屋を炎の咆哮が満たし、カーンですらその音に聴覚が麻痺した。熱が辺りを駆け、部屋の中を洗い流し、彼の身体を叩いた。温かく、くすぐるような心地良さ。炎は伸び、ジョダーを優しく撫でた。彼の身体にしがみついたファイレクシアの生物が泡立って弾けた。

 カーンは進み出た。今なら残る全てを外すことができる。ジョダーにしがみついた生物の肢が力を失った。彼は動けないジョダーの身体から残るものを払い落とし、救い主へと向き直った。ヤヤ。白熱した炎は彼女を取り囲み、その顔を照らしていた。肌の皺が彼女の安堵を伝え、宙にうねる熱に銀髪が踊っていた。その両目は火明かりを映していた。ヤヤは口を閉ざしたままで、だが微笑んだ。

 ステンが部屋に駆け込んできた。ヤヤの炎が彼に触れることなく包みこみ、追ってきたファイレクシアの生物を撃退した。ステンは床を走る小型の蟹に似たものを突き刺した。それは悶えて脚を震わせ、ステンはダガーを用いて二つに裂いた。

「そっちは大丈夫かい?」 ヤヤはジョダーを顎で示した。

「ええ」 カーンは頷いた。「追跡装置は正常に作動したようですね」

 カーンは自分たちの装置を一瞥した。針は上階を指し、だが先程の攻撃の前のように激しく震えはしなかった。彼は自分の装置を手にとり、そして壁へと向き直った。ファイレクシアの生物はどのように壁の中を潜んできたのだろうか。あれほどの数が探知されずにいた理由とは。壁の中、スラン帝国の技術が黄金色にぎらついていた。恐らくそれはパワーストーンに接続され、水力で可動している。

「それはよかった」 ジョダーは笑い声を発したが、咳き込んだ。

「テフェリーさんはどこに?」 ステンが言った。「今の騒ぎは聞こえたと思うのですが」

 沈黙、そして不安。この一斉攻撃は陽動であり、その隙にテフェリーが酒杯の在処をファイレクシア人に伝えていたとしたら? 今まさにファイレクシア人がトレイリア西部を捜索し、沿岸を破壊し尽くしているとしたら? カーンは占術装置を覗きたかったが、誰もこの存在を知らないという優位性をあえて捨てることはしなかった。

「私が探しに行くよ」 ヤヤが言った。

 カーンも動き出し、彼女の隣についた。占術装置を見る機会が持てるかもしれない。「私も行きます」

 ステンはジョダーの隣に屈みこんだ。「私はここに。ジョダーさんは……具合が宜しくないようですので」

 ジョダーは弱弱しくステンを追い払おうとした。「何分かすれば回復する。行ってくれ。もしテフェリーが独りで、今のような攻撃に遭っているとしたら、その結果は恐ろしいものになりうる。完成させられるかもしれないし、殺されるかもしれない」

「ジョダーさんもとても弱っておられます、次の攻撃を退けられるとは思えません」 ステンの言葉はもっともだった。

「やせ我慢はやめな、ジジイ」とヤヤ。「手助けを受け入れることを学ぶんだね」

 窮したようなジョダーの表情から、それはジョダーとヤヤの昔からのやり取りなのだとカーンは推測した。とはいえ自分が関与すべきではない。ヤヤはついて来るようカーンに合図し、ふたりは地階を離れると騒音を立てる階段へと戻った。無言でふたりは上った。注意深く足を進めたにもかかわらず、金属が金属に当たるカーンの足音はうるさく聞こえた。ヤヤは猫のように軽々と上っていった。

「ヤヤさんの魔法はファイレクシアの生物に対して極めて有効ですね」

 ヤヤの顔は見えなかったが、その声からは得意そうな笑みが伝わってきた。「言わせてもらうがね。狙いのしっかりした放火癖ってのは炎の魔道士の一番いい所だよ。何が燃えるかを感じ取るんだ」

「貴女の炎は相手を滅するようです」とカーン。「まるで敵意を持っているように」

 ヤヤは片手を挙げ、黙るよう示した。カーンは黙り、動きを止めた。ヤヤの肩が強張り、だが彼には何も聞こえなかった。ヤヤはかぶりを振り、前進を再開した。

「そのような魔法を使う人物が、ファイレクシアのスパイであるわけがありません」 カーンはそう言い、だが内心ではそうは信じていなかった。ファイレクシア人はいかようにも逃げ道を作る。「ヤヤさんが倒したファイレクシアの生物の数は、他の全員の戦果を足しても届きません。もし私に何かがあった時のために、酒杯の在処を誰かが知っておくべきでしょう。確保できるように」

「私を信頼してくれるってようやく決心したのかい?」 ヤヤは笑い声をあげた。「ありがたいね」

「はい。スークアタに隠してあります」

 ヤヤは立ち止まりはしなかった。「よく言ってくれたね。酒杯の在処をひとりしか知らないってのは危険だ。ヴェンセールの灯があろうとなかろうと、絶対安全な奴なんていない。あんたでもね」

 それは的を射ていた。

 上階からテフェリーの叫びが聞こえ、ふたりは駆け出した。餓えた蜘蛛のように、ファイレクシアの怪物がテフェリーを床に押さえつけていた。腹部の傷から、ローブに血が広がっていた。

 カーンはテフェリーの身体からその怪物を引きはがした――だが怪物の鉤爪は肉に食い込んでおり、筋肉を引きちぎった。カーンは怪物を壁に叩きつけて砕いた。

 ヤヤが部屋に駆け込んできた。「伏せな!」

 カーンは素早く旋回し、テフェリーを守るように屈みこんだ。

 ヤヤの炎が部屋を満たした。ファイレクシアの怪物が――何十体という数が――苦悶の悲鳴を上げた。その叫びは絶望的な泡立ちに、そしてかすかな息の音へと変わり、やがて沈黙した。炎がカーンの背中を焼き、金属の身体についた血と臓物を焦がした。

「いいよ」 ヤヤが言った。

 カーンは身体を起こし、立ち上がった。

「カーン、ありがとう」 テフェリーは頭頂部に触れ、焦げていないことを確認した。

 ステンの首に片腕を回し、疲れ切った様子のジョダーが加わった。彼は部屋の中の残骸を見つめた――棚に整然と書類が並ぶ事務室だったのだろう。

「ここにいるのは一体どころじゃない」ジョダーはそう言った。

「その通りです」 ステンはジョダーの腕からそっと抜け出した。「アーギヴィーアでは古代スランの技術を多く用いています。そしてどうやらファイレクシア人は……いかにしてかそれを組み入れているようです。スランの技術に融合しています。怪物の触手は監視塔全体に広がっています」

 カーンはテフェリーの傷を調べ、治療が必要と判断した。「テフェリーのために医師が必要です。封鎖を解除することを考えるべきかもしれません。重傷です」

「我々全員が潔白だと判断したのかい?」 テフェリーが尋ねた。

「判断できるような立場か?」とジョダー。「時間をかけて、自分だけであれこれ考えて、私たちを何度となく試してな。潔白かどうかなんてわかるはずもない。全員がそうだ」

 ヤヤが言った。「封鎖を解除する前に、この中のファイレクシア人を全滅させることを提案するよ。そいつがこんなにも簡単に一本の塔に組み込まれるなら、ひとつの街に対してはどうなる?」

「そのためにはどうするべきだと?」 ステンが尋ねた。

「パワーストーンの所へ。根本から退治するんだよ」

 テフェリーは痛々しく顔を歪めた。「誰か私をそこに連れて行ってくれないか。ヤヤさんの作戦に賛成だ。試してみるべきだろう」

「私が運べます」とカーン。

 テフェリーはしばしカーンを見つめ、そして溜息をついた。

「決まりだな」とジョダー。

 ヤヤは甲高い笑い声をあげた。「そう言うために一晩じゅう待ってたんじゃないのかい?」

 苛立った様子を見せるだけの余裕はまだジョダーに残っているようだった。カーンはふたりのやり取りにかぶりを振り、屈みこむとテフェリーをそっと抱え上げた。

 最上階の小部屋では、パワーストーンの輝きが狭苦しい空間を支配していた。その輝きは天井から中央の操作盤へと直接放たれ、円形の小さな部屋を生気のない黄色の光で満たしていた。部屋を取り囲むアーチ状の窓は今も鋼で固く閉ざされていた。カーンはそのひとつを開け、夜の冷たい空気を身体に感じたいと願った。彼は金属の制御盤を見つけ、それを開いた。パワーストーンは複雑に絡み合ったワイヤーに組み込まれており、封鎖機能やボイラー室、通気口、塔のあらゆる機構に繋がっているのは疑いなかった。制御盤をよく見ようとステンが近づいた。「思っていたよりもまずいですね」

 カーンはステンを一瞥した。同行者たちそれぞれに酒杯の偽の在処を伝えたが、ステンはまだ試していなかった。他の者には聞こえないよう、低く小さな声で彼は言った。「酒杯の在処を打ち明けねばなりません。もし私が損傷を受けて確保できなくなった場合、その知識が失われないように」

「理解します」 ステンは真剣に言った。狼狽するような様子は全く見せず、彼は壁の中のワイヤーだけに集中していた。

「もし何かあったなら」 カーンは続けた。「貴方が信頼できるプレインズウォーカーを判断してください。酒杯が新ファイレクシアに持ち込まれ、ファイレクシア人をその中枢から破壊するために。こんなことをお願いするのは気がひけます。私の過ちを償うために、プレインズウォーカーの誰かに犠牲になってくれと頼んでもらうこともですが……」

「途方もない責任が伴うでしょう」

 カーンは気が進まないふりをし、そして言った。「サーペイディア大陸、トロウケアの廃墟の中に隠してあります」

「それがわかれば十分です」 ステンの声は、そして不意に発した息の音は、恐ろしいほど聞き覚えがあった。

 ステンは肩からローブを脱ぎ捨て、それまでは見えなかった外科手術の跡が皮膚にくっきりと浮かび上がった。胸の筋肉が膨らむにつれ、シャツのボタンが浮かび上がり――そして肋骨ごと、蝶の羽根のように弾けて開いた。腹腔からは腸ではなく鉄のケーブルが弾け出て、粘液と血を滴らせた。それまで怯えていたその顔は恍惚としていた――まるでようやく目的を見出し、それを完遂したかのように。彼はくびをもたげ、両目は上方を見据え、祈りの言葉を呟くように唇が動いた。手にも似た鉤爪が両目から生え、頭蓋骨へと伸ばされてそれを掴んだ。金属の腸が床を這い、スランのパワーストーンを引っかけ、すると身体全体が強張った。ステンがパワーストーンのエネルギーを吸収するとその輝きが脈打ち、そして暗くなった。ステンは大口を開け、声なき囁きの中に凍り付いた。

 カーンは察した、ステンは身体全体をアンテナへと変化させ、苦労して得た知識をシェオルドレッドに送信しているのだ。酒杯の在処を。

 偽りの在処を。

「そいつを止めるんだ」 テフェリーがうめいた。腹部の傷を押さえながらも、その両目は憤怒に輝いていた。「逃がすな――」

 ヤヤが突進し、両手を伸ばした。炎が燃え上がった。

 ステンは彼女を一瞥すらしなかった。血まみれのワイヤーが地面から持ち上がり、血糊に破片をつけたまま大蛇のようにヤヤを包み込み、両手を拘束して身体に巻き付いた。魔法を使えば自分が巻き添えになってしまう。ヤヤは両手を解放しようともがいたが、息すらできなかった。顔色が青ざめていった。

 カーンはヤヤへと駆けた。だがワイヤーを裂くよりも素早く、更なる本数が巻き付いた。細く固いワイヤーが彼の指の間に入り込み、抵抗した。ヤヤはパニックに陥ったように、目を大きく見開いていた。

 テフェリーは上体を起こして魔法を唱えようとしたが、衰弱したその状態では青いもやがちらついて消えるだけだった。彼はうめき、床へと倒れ込んだ。ローブに血が更に広がり、赤色が濃さを増した。ジョダーがテフェリーの横へと駆け寄り、小声で治癒呪文を呟いた。

「ここから出なければ!」 ジョダーが叫んだ。

 カーンも同感だった。制御盤の作りは正直だった。彼はステンに渡された鍵を台座へと差し込み、金属製の蓋を開くとスイッチを弾いた。鋼の鎧戸が音を立てて上がり、壁の中の鎖が鳴り、歯車がきしんだ。夜の冷たい空気が塔に流れ込んだ。だが新鮮な空気とともに、騒音もまた――耳障りなめき声と金切り声が、眼下の街から届いた。

 悶えるケーブルからヤヤを解放することはできず、そのためカーンは振り返った。彼はステンの――ステンを殺し、彼を完成させて成り代わったファイレクシア人の――手足を手際よくむしり取っていった。自分の行動については考えないよう努めた。彼は骨を外し、投げ捨てた。夕食に供される鶏肉のように簡単に。

 ヤヤは息を吸いこんだ。その息の音は闇の中に響き、そして真紅の炎の塊がステンであったものを襲った。その炎はカーンを越えてステンであったものの肉を、有機組織を焼き焦がした。

 すすけた金属と焦げた有機組織の塊と化し、ファイレクシア人は床に崩れた。両手をテフェリーの腹部に伸ばしたまま、ジョダーはヤヤへと顔を上げた。「私の疲労も限界だ。出血を押し留めてはいるが、それしかできない。手助けが必要だ」

「ウェザーライト号を呼び出します」 カーンが言った。

「それがいいね、急ぎな。もう本当にまずい状況だからね」とヤヤ。

 カーンは召喚の護符を開き、その中のスイッチを弾いた。

 穏やかでかすかな、シャナの声が届いた。「どうしました、アジャニさん?」

「こちらカーンです。ジョダーさん、テフェリー、ヤヤさん、そして私を安全な場所へ連れ出してください。テフェリーが負傷しています」

 向こう側で一瞬の沈黙があった。「そちらの場所は?」

「アーギヴィーアの監視塔です。ファイレクシア人の攻撃を受けています」

「ファイレクシア人?」 風の中でウェザーライト号がきしむ音が聞こえた。そして再び聞こえてきたシャナの声は、穏やかで決意に満ちていた。「運がいいです。そう遠くではありません。順風ですので、すぐに到着します」

「わかりました」

「それではすぐに。こちらシャナでした」

 ファイレクシア人の騒音が接近してきていた。通気口から、壁の間から、甲高い鳴き声と不明瞭な喋りが機械的なカチカチ音と肉の擦れる音に混じって聞こえた。塔全体がファイレクシアに荒らされていた――あるいは街全体が。ステンはアーギヴィーアにおけるファイレクシア工作員の根絶を監督していた。真逆のことを行っていたと推測するのは理にかなっていた。

 カーンは言った。「テフェリーは重傷で動けません。シャナさんが到着するまで持ちこたえねばなりません。ヤヤさん、どうやら一番元気なのは貴女のようですので、先頭をお願いします。私は真ん中でテフェリーを守ります。ジョダーさん、後方を見ていて下さい」

 ジョダーは口を開きかけた。だがヤヤは両手にそれぞれ火球を点し、その重さを確かめるとジョダーを睨みつけた。彼はまごつき、口を閉じた。

 一息おいて、彼は穏やかに言った、「素晴らしい作戦だ、って言おうとしたんだ」

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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