MAGIC STORY

団結のドミナリア

EPISODE 09

サイドストーリー:鳥たちへの信念

Marcus Terrell Smith
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2022年8月17日

 

 そのレオニンの毛皮は大砂漠の夕日の色――黄褐色に栗色の縞模様、滑らかで心地良い手触りをしていた。そして温かく、とても温かく、皮膚のすぐ下で命が健康に力強く育っていると示していた。ニアンビはその臨月の女性の診察を穏やかに続け、そして、蹴られたのを感じた。

「あら、なんて元気な」 彼女は声を発し、視線を上げて辛抱強い猫の瞳と目を合わせた。

 その言葉に臨月の女性の髭が幸福に揺れ、桃色をした鼻先を鳴らした。彼女の名はパーラといった。

「男の子ってことでしょうか?」 パーラは尋ね、その口元が大きく伸びて笑みを作り、白くきらめく牙の列を見せた。

「そうかもしれません……」 ニアンビは冷静に言った。そしてまたも蹴られたのを感じた、ニアンビもパーラも。先程よりも強く。「ですが女の子の方が……粘り強いですね」 ニアンビが目配せをすると、ふたりは声をあげて笑った。「いつ生まれてもおかしくありません。名前はもう決めましたか?」

 パーラは恥ずかしそうにかぶりを振った。ニアンビはその腹部を優しくひとつ撫でた。

「私の娘もよく蹴りました」 ニアンビが言った。「ケキア、戦士という意味です。あの子は生まれる前から戦士でした。こんな狭い所に閉じ込められているのが嫌だったんですね。生まれた時、それも予定より早かったのですが、大きな伸びをしました。まるですぐにでも駆け出してしまうんじゃないかってくらい。すぐにわかりましたよ、この子は何か心に決めたなら、決して引き留めることはできないだろうって」

 パーラは微笑んだ。「似たもの親子ですね」

 そう言ってパーラは手をニアンビのそれに重ね、そっと握り締めた。ざらついた掌――それを覆う虎の肉球は多くの避難民と同じく、野外で過ごしてきた放浪の生涯を示すように硬かった。だがその五本の指は人間のそれのようにそっと丸められた。鋭い鉤爪は納めたままだった。深い感謝の意。

「ニアンビさんは、エフラヴァの民にとって大切な友です」 パーラはそっと切り出した。「人間の方々は多くがそうではありません。ですが貴女は食物と薬をもたらしてくれました。傷を癒してくれました。すぐに安全な街の中に入れる、そう希望をもたらしてくれました。本当に感謝しています」 感慨に言葉を震わせ、彼女は言葉を切った。そして続けた。「私たちのような余所者と一緒に、街から締め出されるかもしれないというのに」

 余所者、ニアンビはその言葉を内心で繰り返した。否定的な意味の言葉。エフラヴァの民のキャラバンはこの数週間、故郷に広がる戦火を逃れて大砂漠を放浪してきた。南方の国々は戦争状態にあり、彼らは暴力と流血から逃れてきたのだった。その攻撃は、かつてドミナリアから放逐されたと思われたひとつの邪悪――ファイレクシアへの怖れから引き起こされた。この余所者たちは、ただ生き延びようとしているだけなのだ。

 ニアンビはパーラの疑問に微笑みかけ、そして手をそっと握り返すと親指で毛皮を撫でた。もう片方の手を大きな腹部に触れたまま、彼女は涙ぐむパーラの深い琥珀色の瞳を見つめた。

「私は大丈夫ですよ」 彼女は簡素に答え、だが悲しい考えがよぎったかのように言葉を切り、そして続けた。「私はまだあの人への影響力を持っていますし、動かす力もあります」 ニアンビは熱をもってそう言った、それが今も真であると自らに確信させるかのように。この三日間、彼はニアンビを呼び出していなかった。

「ニアンビさんは夢を読めるから、ですか?」

 ニアンビはその単純すぎる考えに柔らかく笑い、懸念を隠した。「読める、というほどではありませんよ。私は夢に隠されたパターン、繋がりを見つけてそれをはっきりさせるんです。明快であるということは、苦しい心を和らげます。そしてこのような苦しい時には、明快であることを誰もが必要としています」

 パーラは目を大きく見開き、涙ぐんで続きをせがんだ。

「例えば私のつい最近の夢では、鳥の群れが広大な海の上を飛んで、休む場所を探していました。何日もの間休みなく飛んで疲弊していた彼らは、やがてひとつの島にたどり着きました。その島には一本の木が生えていました。休める場所を見つけて喜んだのも束の間、木に降り立つとそれは病気にかかっているとわかりました。危険な虫が幹を荒らし、果実を萎れさせていたんです。他に行く場所もなく、希望は失われたかに見えました。ですがその時、群れでも最も小さな一羽が枝の中へ飛び込み、姿を消しました」

「それでどうなったのですか?」 小声でパーラは尋ねた。

「数羽がその小さな鳥を追いかけ、そして見ました……その鳥が虫を食べているのを!」 ニアンビは小さく笑ってみせた。「全員がそれに続き、虫を一匹残らず食べてしまいました。やがて果実は無事に育ち、花は開くことでしょう」

「それはどんな意味なのです?」

「鳥というのは皆さんであり、木というのはこの街です。皆さんがここに来たのは、皆さんの内に何か途方もないものがあるからです」

「本当ですか?」 願うような輝きを目に宿し、パーラは尋ねた。「私たちの中に何が?」

「そうですね、まだ完全にはわかりません。ですがいずれ全ての目が真実へと見開かれるでしょう」

 パーラはニアンビから視線をそらした。

「いずれ、ですか」 パーラは失望とともに呟いた。ニアンビ同様、彼女も時間が切迫していると知っている。地平線の向こうから危険な、古の敵が足を止めることなく近づいてきている。街の中に入れなければ、彼女が愛する全てのものが破壊されてしまうだろう。

 ニアンビは励ますように手に力を込めた。「いずれ、というのは少し長く思えるかもしれません。ですが……」

「準備はできている」 ふたりの背後から厳めしい声がした。

 ニアンビは肩越しに振り返った。パーラは寝台に寛いだ姿勢から背を伸ばし、間に合わせの天幕の入り口に立つ長身の人影を見つめた。夕日を背後に、猫の両耳と太い髭はエフラヴァの民の特徴。だがそれ以上に、筋肉質の体格と鎧の一式はその人物が部族でも強い戦士であると示していた。ニアンビは彼女を知っていた。荒々しい自然に鍛えられた、ひたむきな人物。民に対する忠義は熱く、彼らの安全を最優先事項としている。彼女が天幕へと踏み入ると、強面の顔の影は消えて戦の疲弊をさらけ出した。

「まさしく同じことを言おうとしていました、ザー・オジャネン殿」 ニアンビはそう言い、立ち上がって敬意を示すべく頭を下げた。

アート:Justine Cruz

「ニアンビさん、どうか」 パーラが不満の声をあげた。ザーの到着で、彼女の気分は即座に軽くなっていた。「礼儀なんて要りません。今や家族も同然なのですから」

「だとしても、偉大なるイェーガー・オジャネンとジェディット・オジャネン、ジャムーラの真の勇者の子孫には敬意を払うべきです」 ニアンビは微笑んで答えた。「私たちの最も偉大な将軍も、彼らの足跡を学んできました。永遠に守られる価値があるものです」

 ザーは前進し、ニアンビの両肩にそっと手をおいた。「そして貴女のおかげで、彼の遺産はきっと受け継がれる」

「姉さん」 パーラは小声でいい、来てくれと身振りをした。

 ザーはニアンビを過ぎてパーラの隣に膝をつき、妹が広げた両腕に身体を預けた。何よりも優しく、ふたりは額をつけて喉を鳴らした。とても多くの苦難と悲嘆を乗り越えてきた姉妹は、誰にも分かつことなどできない。そして最も辛い出来事は、この街の執政官からもたらされていた。


 三日前、大会議場にて。ニアンビは執政官と共にあまたの声の評議会に謁し、フェメレフの人々に下された布告に抗議した。彼らは過酷な砂漠で生き残るために必要な食料、医療、または日用品をエフラヴァの民のキャラバンに寄付することを禁じていた。

 評議会の議員は十人。その座席は円形の大会議場の床から三つの段になっており、それぞれの席は象牙の柱で隔てられていた。下段に座すのは四人、中段には三人、上段には二人。そしてその全員の上、豪奢な玉座のようなものに座すのは熟年の、曇った両目と厳めしい顔の執政官シダー・テシュンダ。シダーとは称号であり、フェメレフの歴史において最高の将軍と戦術家に与えられるものだった。戦いにおける彼の才気はジャムーラ全土における古の戦争の研究によるものであり、また彼は途方もなく不利な戦いを勝ち抜いた過去の指導者たちへと深い尊敬を抱いていた。

 人間とドワーフの学者、司法的・宗教的指導者、経済学者、そして軍の将校があまたの声の評議会を形成していた。各人が橙と白と金の滑らかなローブに身を包み、手織りのフードを肩にかけていた。特定の資源の配分や拡大の手段については時折言い争う彼らであったが、今は調和と団結を見せていた――特に、エフラヴァの民のキャラバンの問題に対しては。

 大きな咳払いの音がひとつ響き、注意を促した。

「彼らの物資が尽きたなら」 評議員のひとりが切り出した。その声にはかすかな傲慢さがあった。「そして我々が補充をしないとわかっているなら、彼らは長年続けていたことをするだけです――移動するだけです」

「いかにしてですか、グビガ議員?」 中段の中央に座す、短い髪に小顔の女性へとニアンビは尋ねた。「水も食糧もなしに、いかにして移動すると? 老人も子供もいます。妊婦もです」

 楽な姿勢で座っていた別の評議員が身を乗り出した――突き出た腹部に両手を載せて。ジャブラス議員がその話し合いに加わった。

「争乱の最中においては、困難な決断を下さなくてはならないものだ」 彼は断言した。「我々の意見は一致している」

「ですが争乱などありません。私たちにはひとつの、共通の敵が……」

「あのファイレクシアの機械か」 ジャブラスは声をあげ、力強く頷いた。その言葉に他の評議員たちから恐怖の呟きがあがった。

 三週間前、ひとつの地震がその覚醒を告げた。斥候たちは狼狽とともに街へ帰還すると、砂の下から途方もない大きさの恐ろしい機械生物が現れ、フェメレフへ向かっていると報告した。

アート:Marc Simonetti

 それは破壊という任務を帯び、数日中にこの街の城壁に達すると思われた。

「私たち全員が同じ側にいます」 ニアンビは評議員たちへと宣言した。

「本当にそうかね?」 反対する第三の声は経験豊かなもので、円形の議場にはっきりと響き渡った。だがそれを発した人物、暗い色の肌に白い編み髪の男は大きな書物に顔を埋めていた。声そのものと同様に、その傲慢さもまた明白だった。

 ニアンビは上段に座すその男を見上げた。その姿を確認するためには目を細めねばならないほどだった。天井には沢山の天窓が開いて陽光が差し込んでいるが、それは彼の頭に遮られ、顔は影の中に隠れていた。だが額から頭皮へと垂直に伸びる数本の細い傷跡をニアンビは目にとめた。古い時代の迷信的な伝統を保つ、数少ない人物。

「私が断言します」 ニアンビは断固として言い、相手の雰囲気にのまれるのを拒んだ。

「貴女がですかね?」 その評議員は辛辣に言い、無関心な様子で書物の頁をめくった。「余所者たちがここに来たのは……ほんの二週間前です。あれらに何ができるのかなど知るよしもありませんな」

「失礼ですが」 ニアンビは鋭く言い、顎を引き締めて目を狭めた。「これまでにお会いしたことはないかと存じます」

「確かに。貴女のような臣民が評議会の会合に招かれることは滅多にないものです」 ニアンビの憤怒を無視し、評議員は答えた。「貴女のように、語り手は地方に引っ込んでいるものです。とはいえ我らが最も尊敬する執政官は、いかなる理由か、貴女の不満を聞けとの仰せですな」

「その件につきましては私と、『余所者』たちも心から感謝しております」 ニアンビは薄い笑みで言い返した。

「この女性は友人であり、フェメレフの忠実なる市民だ」 テシュンダが熱を込めて告げた。その声は低く、語尾はかすれていた。「彼女の助言は真剣に受け止めている。長年、大いに我々の力になってくれたのだよ、評議員……」

「評議員……?」 ニアンビは促した、まるで名を名乗れというように。

「アワテ」 その男は勢いよく書物を閉じ、その音に続いて言葉が議場に響いた。「フェメレフにおいて歴史家を務めております」

 その歴史家とニアンビが視線を交わすと、張りつめた沈黙が議場に降りた。今や露わになったその顔は、どこか見覚えがあった。年齢は執政官と大差なく、目の周りの皺の具合も似ていた。だが彼女がはっとしたのは、その長くけば立った白い髭だった。過去に一度だけ、近くで見たことがあった――前執政官の葬儀にて。その時、彼の髭は黒かった。当時のニアンビは見習いとして、その葬儀の語り手に付き従っていた。語り手は死者の権利と儀式文を暗唱するという不可欠の役割を果たし、死者の霊が正しく祝福され、残された者たちに安らぎがもたらされることを確かにする。歴史家は儀式の成功を記録し、死者の権利が守られることを確かにする。アワテもその儀式に参列しており、そこで起こった物事を退屈そうに記録していた。

 テシュンダが咳払いをし、ニアンビの注目を戻して彼女とアワテが交わす視線を断ち切った。「エフラヴァの民について、注目すべき不穏な情報をアワテ殿が伝えてきたのだ」

「え?」 ニアンビは振り返り、執政官の視線を受け止めた。

「エフラヴァの部族には、極めて卑劣な過去があったと言われている。彼らはかつてヨーグモスに賛同していたというのだ。今もそうかもしれない」 その馬鹿馬鹿しさに、ニアンビは声をあげて笑うところだった。だがテシュンダは続けた。「信じてほしい、私もまさかとは思った。あの卑しき存在に故郷を破壊された人々が、そして弱体化したとはいえあの偉大な人物の子孫たちが悪と交わるなどとは?」 彼は言葉を切って息をついた。「その理由は……」 彼は両目で歴史家へと促した。

「単純に、彼ら自身もそれを知らないためです」 アワテは微笑み、立ち上がった。

「そんな――理解できません」 その事実を楽しむような歴史家の様子に、ニアンビはぎょっとした。

「ヨーグモスの後継は沢山おります。そして我らが世界の様々な生物を痛めつけて喜んでいます」 アワテは言った。「特に人里離れた所に多い――ジャムーラに散らばる部族に。おわかりでしょうが、ああいった部族がひとつとなるために保持するものは少ない。彼らをまとめる指導者もなく、故郷の地もない。すなわち……」

「すなわち……?」

「すなわち、部族というわずかな安全を捨て、独り離れて放浪するものは多い。そういった者たちは危険な状況下に置かれ、ファイレクシアの悪しき手に捕らえられることになります。彼らの身体は悪用され、内臓はあの邪な機械に置き換えられてしまいます」

「ヨーグモスは死んだのです」 ニアンビは断言した。「遠い昔の恐怖に基づいた決定など、愚かな……」

「死にましたが、その遺産は生きております」 アワテが答えた。彼は評議会全体に向けて発言した。「貴女がそれほど熱心に守るエフラヴァに、最近加わったひとりの放浪者がいないと言い切れますかね? 十人がいないと言い切れますかね? 二十人、あるいは百人がいないと言い切れますかね?」

「彼らの中に一人か二人の潜伏工作員がいるかもしれない、それを恐れて百人以上を咎めるのですか? エフラヴァの人々の安全が確保された後に、根絶すればいいではありませんか」 ニアンビは抵抗した。

「彼らの記憶が消されていなければの話です」 グビガが言った。「多くの、信頼おける情報源から聞いています。敵は記憶を奪うことができると。手遅れになるまで、自分自身が工作員にされているとは知らないのだと!」

「ファイレクシア人め!」 ジャブラスが叫んだ。その言葉に評議員たちの呟きがまたも続き、それは次第に怒れる叫びと化していった。全くもって団結した拒絶。アワテは更にその炎を煽った。

「ファイレクシア人はすぐそこに、壁の向こうに隠れているのです!」 彼は怒りに沸き立っていた。「猫の皮を被って!」

「潜伏工作員だ、ニアンビ」 テシュンダが付け加えた、彼は木製の華麗な杖を手に、ゆっくりと立ち上がった。彼もまたアワテの言葉に揺さぶられていた。「その危険は冒せない!」

 怒りに燃え、ニアンビは執政官を肩越しに振り返った。「全員揃って、噂と伝聞に流されて決めつけるのですか?」

「貴女が誰よりもご存知でしょう、テフェリーの娘さん。伝聞に実体は存在しないと」 アワテは息を鳴らした。「我々の言葉は真実です」 その非難に、ニアンビは歯を食いしばった。

 ジャブラスとグビガが勢いよく立ち上がった。「ファイレクシア人!」

「黙りなさい!」ニアンビが叫び、その声は三十もの太鼓を打ち鳴らしたように響いた。それは語り手としての力であり、開けた空間で多くの群衆へと語りかける時のために学んだものだった。このような限られた屋内で用いたなら、強烈な命令となる。議場は直ちに静まり返った。

 ニアンビは評議員たちを、彼らの怒りしかめた顔を見た。彼女の視線は上へ向かい、やがて最も太い柱に取り付けられた象牙製の巨大な胸像にとまった。聖なる報復者アズマイラ。魔術師ケアヴェクが北部ジャムーラを征服しようとした蜃気楼紛争の際、知識と導きでこの街を破壊から守った預言者。その胸像は宝石を散りばめたフードと女王のような頭飾りをまとい、黄金の槍の光輪に取り囲まれていた。息をのむほど精巧であり、これを作り上げた芸術家は、アズマイラの伝説的な美と獰猛さを完璧にとらえていた。その両目が議場中央に立つニアンビを見下ろしていた。この騒動のさなかで、彫像の両目は励ましを湛えているように、戦いを続けるよう促しているように思えた。

 ニアンビは執政官の席へ向かい、片膝をついた。「執政官……テシュンダ様……どうか恐怖などに惑わされませんよう! お願いです、エフラヴァの民にお会いして下さい! 彼らと話を……!」

「どの口が――あまたの声の評議会にそのような口をきくのか!」 別の評議員が不意に声をあげた。

「彼女を――彼女を退出させろ、執政官!」 別のひとりが声を荒げた。「今すぐ連れ出せ!」

 議場にニアンビの存在を拒む叫びが弾け、全員が足を踏み鳴らし拳を振り上げた。

 ニアンビはテシュンダの心へとその言葉を直接向けた。「夢を覚えていますか? 鳥と木、その意味は明らかです。誤った側についていては……」

 テシュンダは片手を挙げ、ニアンビと怒れる評議員たちを黙らせた。彼女の言葉をしばし考え、そして彼は切り出した。「あまたの声の評議会、その見解は一致している」 力強い声だった。「この街を守り、城壁の外に群がる者たちを排除するという決定は最終的なものであり、公共の善のためのものである」

「テシュンダ様、どうかそのような!」

「衛兵!」 ニアンビが目をあわせようとすると、テシュンダは視線を外した。「尊敬される語り手殿を外へ。我らには対処すべき問題がある」

「これ以上に切迫した問題などありません!」

「退出せよ!」 テシュンダが叫び、ニアンビはその勢いに後ずさった。


「今日は大いに進んだよ」 ザーが誇らしく言い、ニアンビを現実に引き戻した。「廃鉱への抜け道は掘り終わった」

「いい知らせです」 ニアンビは柔らかく言ったが、あまり気は進まなかった。「ですが私としては今も、評議会が過ちを悟り、その経路を取る必要がなくなることを願うばかりです」

「許可よりも寛容を請う方が簡単だ」 ザーの返答は素早かった。彼女の言葉は単純かつ的を射ており、一呼吸すら無駄にしない。その目を狭め、彼女はパーラの腹部を見た。「特に、多くの命がかかっている時は」

 切迫した状況を理解し、ニアンビは頷いた。内心の大半では彼女たちが心配であり、次に何が起こるのかも心配だった――ファイレクシア人が彼女たちを殺し、貪るかもしれない。更には、評議会はキャラバンが安全な場所へ――ニアンビが発見した金の廃鉱山へ――辿り着くのを妨害するかもしれない。彼女はむしろ後者を恐れていた。

「キャラバンには準備をしろと言ってある」 断固とした精力でザーは続けた。「持てるものだけを持っていく。夜が来て最初の星が輝いたなら、出発だ」

「私もそのつもりです」 ニアンビもはっきりと言った。

「貴女の旦那さんは?」

「デニクによると、この街の戦士は全員が防衛のために城壁の中に呼ばれているそうです。これから向かう先に見回りはいないでしょう。デニクは先回りして、残る食糧と水の蓄えを……」 彼女は少し言葉を切った。

「どうしました、ニアンビさん?」 パーラが尋ねた。

 ニアンビはひとつ深呼吸をし、続けた。「やはり最後にもう一度、執政官殿に会おうかと思います」 怒りと驚きにザーは目を見開いた。「今回はひとりで、です……他の人の声のない場所で、一対一で座って話したなら、あの人の心を変えられるかも……」

「貴女はもう何度も何度も、私たちのために力を尽くしてくれただろう!」 ザーが立ち上がり、叫び返した。「ファイレクシアの機械は明日の朝にはここに来るというのに!」

「だからこそ、まだ時間がある今のうちに試してみるべきなのです。もし見つかってしまったなら、皆さんが直面する処罰は厳しいものになるでしょう」

「エフラヴァはもっと悲惨なものに直面し、生き延びてきた!」

「わかっています。ですが貴女を、皆さんのひとりでも、投獄させるわけにはいきません。妹さんは地下牢で出産することになります、誰の助けも得られずに……」

「ファイレクシアの屑が!」 不意に、遠くの叫びが彼女たちの会話を切り裂いた。そしてひとしきりの笑い声が――数人の男の笑い声が続いた。ニアンビもザーもパーラも、外に出てその罵声の出所を確かめはしなかった。壁の中の兵士たち。「街に入ったら殺してやる!」

 そして、エフラヴァの老女が数人、泣き叫びながら天幕の前をゆっくりと過ぎていった。ニアンビは肩越しに振り返って見つめ、その女性たちの悲鳴を直接聞いた。心がひどく痛んだ。

「もう待てはしない!」 ザーが憤怒に叫び、鋭い歯をむき出しにして尾を打ち鳴らした。「ニアンビ、私たちは怪物扱いを受けているのだぞ!」

 自身もパーラも気づかぬうちに、ニアンビの両掌が柔らかな輝きを帯びた。その皮膚は穏やかな、けれど揺らめくサフラン色をまとった。アズマイラの瞳がニアンビの心をよぎった。

「執政官殿はわかって下さいます」 ニアンビは押した。「真実を見て下さいます」

 草の小さな寝台に背を預けるパーラは、ひどく不安であるように身動きをした。

「ですが、その人が受け入れるでしょうか?」

 ニアンビはパーラへと近づき、輝く両掌を相手の腹部にあてた。「私たちの民も、本能と信念で生き延びてきました。ザルファーが消失して以来、私たちの祖先は警戒というものの本質を教え込んできました――未知に対しても生き方を守る、暗黙の用心です。そうではありますが、何百年か前の出来事も忘れてはいません。ケアヴェクが全てを破壊しようとした時、偉大な預言者アズマイラの信念が私たちに勝利と命をもたらしました。アズマイラは私の父から幻視と夢を与えられ、前進する唯一の道とみなされていたものの外側へと目を向けたのです。信念が私たちを救ったのです。そして今、信念が皆さんを救うでしょう」

「ニアンビさんの手」 パーラは呟き、懸念の視線は次第に融けていった。「太陽みたいです」 胎児がまたも蹴り、だがこの時は足の裏を伸ばしたまま、ニアンビの手の暖かさに触れたままでいた。

「恐怖とは凍り付く風のように、最も優しい者の心すら冷たくしてしまいます」 ニアンビは続けた。「執政官殿は自分が知らないものを恐れています。ですが信頼できる友が温かな手で触れたなら、その氷を融かしてしまえるでしょう」

「アズマイラ」 パーラは涙ぐみ、ニアンビへと視線を戻した。その内に希望が燃えていた。「その話は私たちも知っています。ニアンビさんはまるでアズマイラですね? 私たちが信じるべき人です」

 パーラは今もふたりに背を向ける姉へと顔をあげた。その拳は固く握りしめられ、苛立ちに震えていた。

「姉さん」 パーラはそっと言った。「もう一度試させてあげて」

 パーラの声、その優しい音色が彼女を宥めたようだった。ザーは肩を落ち着かせた。

「月が天頂に昇るまでは待つ」 彼女は低い声で言った。「そうしたら出発する」

 ニアンビはすぐさま天幕を出た。執政官の自宅に着く頃には日が傾き始めていた。化粧煉瓦の屋根をもつ巨大な建物は、アカシアの花咲く庭園と果樹園に囲まれていた。ニアンビは夢の解釈のために何度となくこの邸宅を訪れており、外に立つ衛兵は彼女を知っていた。彼らはひとつ頷きかけ、ニアンビも頷き返した。

 だが中へ入ろうとした時、彼らは槍を交差させて行く手を遮った。

「何をするのです?」 ニアンビは尋ねた。

「攻撃を受けています、尊敬される語り手殿」長身の方の衛兵が言った。「安全のために帰宅されることをお勧め致します」

「ほんの少しだけです」 ニアンビはそう返答した。「ファイレクシアの機械が接近している件について新たな、差し迫った知らせです。執政官殿は私を――」

「すみません」 二人目の衛兵が言った。「邸宅には誰も入れるなと命令されています」

「命令……」 ニアンビは言いかけ、だがひとつの案が浮かんで言葉を切った。衛兵たちの目つきは確固としてはおらず、心は不動の石ではない。ただ幾らかの確信があればいいのだ。彼女は長身の衛兵へと向き直った。

「エスボウさん、ですよね?」

「そうですが」

「わかりました。私がここに来たのは、執政官殿のためだけではありません。この家の人々――特に貴方のためです」

「私ですか?」恐怖と好奇心を浮かべ、エスボウは尋ねた。

 ニアンビは彼へと頷き返した。「そうです――貴方と、この街を守るために戦いにおける貴方の役割です」 彼女の両手が輝き始めていた。「昨晩、恐ろしい夢をみました。一頭の雌鹿が泥にとらわれていました。雌鹿は守るべき子鹿へと必死に呼びかけていました。離れているようにと、すぐに脱出してそばに行くからと。ですが一歩進むごとに雌鹿は泥に深くはまり、脱出の見込みは失われていきます――彼女を飲みこみつつある泥からだけではなく、影の中から忍び寄る巨体の獣からも。母親を助けるにはどうするべきかわからず、子鹿は泥の端で跳ねていました。自分に狙いをつける獣の目に気付くことなく」 彼女は少し言葉を切った。「エスボウさん、この夢において貴方は何でしょうか?」

 エスボウは不安そうにかぶりを振った。

「子鹿ですか」 もうひとりの兵士が声をあげた。ニアンビは輝く両手を、交差させた槍を掴むふたりの手に重ねた。彼らは同時に息を吸い、太陽の光で満たされた。

「泥です」 ニアンビは言った。「私が雌鹿であり、執政官殿こそが子鹿、すぐにでも降りかかる危険から私が守ろうとする者です。私は大切な執政官殿をお守りするために来ました。手遅れになる前に、必要とされる知識を伝えるために。どうか、私を通していただけますか」

 その言葉と太陽の魔法に動かされ、衛兵たちは交差させていた槍を戻した。

 表玄関から滑り込み、ニアンビは長い廊下の先にある黄金の大扉に向かった――執政官の居室。白いローブをまとう召使がふたり、廊下に松明を点していった。若い男性と女性。ふたりは他の者たちと同じようにニアンビへと頷き、だが通り過ぎようとした彼女の決意の表情を見て、ひとりが声をかけた。

「尊敬される語り手さま、執政官殿はここにはおられません」 若い女性の召使が言った。

 ニアンビはすぐさま立ち止まり、ふたりへと向き直った。

「え?」 あの老人がこんな遅くに? 彼女は困惑した。「もう日は沈もうとしていますが」

「この数日間、部屋で眠っておられないのです」

「そもそも、全く眠っておられません」 男性の召使が声をあげた。「ファイレクシアの帰還を怖れていらっしゃるのだと思います」

 怖れて。ニアンビの心で車輪が動きだした。もしかしたら、それは心配から来る傷心かもしれない――国ひとつに値する数の人々を死に追いやってしまうかもしれないという罪悪感が、彼を眠りから遠ざけているのかもしれない。その考えに、彼女は少しの満足を覚えずにはいられなかった。苦しむ人々に対して見て見ぬふりをするというのは誰もが恥ずべきことなのだ。だがそしてその満足感は彼女自身の怖れへと変わった。執政官が本当に恥じているなら、なぜその決定を覆さない? 彼の不眠はしばしば、前夜の悪夢がきっかけとなっていた。だとしたら、なぜ自分を呼び出さない? 誰かが彼の耳に何かを吹き込んでいるのだ。

「執政官殿はどちらに?」 ニアンビは尋ねた。

「大会議場です」 女性の召使が答えた。「今はそこにいらっしゃいます。評議会の会合が終わると、執政官殿はそこに残られて……大きな仕事があると仰って」

「お独りで、ですか?」

「最初は」 もうひとりが返答した。「普段は評議員のグビガ様、ジャブラス様、アワテ様が参加されます」

 なるほど。

「語り手さま、城壁の外の猫人の中にファイレクシア人が潜んでいるというのは本当ですか? 噂が……」

 ニアンビは怒りに燃え、返答せずに出口へと向かった。

 石段を下り、彼女は街路へと出た。普段は行き交う人々で賑わう界隈は無人だった――侵略の恐怖に、人々は家に閉じこもっていた。だが行き止まりに一台の辻馬車が停まっており、御者が乗客を待っていた。彼女は駆け寄り、乗り込んだ。

「大会議場へお願いします」彼女がそう言うと、御者は手綱を鳴らした。

 少ししてニアンビは大会議場へとたどり着き、中庭の噴水に座す執政官の姿を見つけた。辻馬車は入り口で待たせていた。衛兵たちが警戒に立っていたが、彼らもまたニアンビのもたらす温かな賜物を知っており、悩み苦しむ執政官に癒しを与えるために急ぐ彼女を止めはしなかった。衰弱したその男は水面を見つめ、心の重みに震えていた。

「執政官殿、眠られていないとお聞きしました」 近づきながらニアンビは声をかけた。

 執政官は杖の先端で石畳を叩いた。身体を支えるためというよりは、彼女を黙らせるために。

「そして君はあの者らと共にいる」 彼は叱るよう言ったがその息は切れ、背は曲がっていた。「君のような者はここで必要とされているというのに、あの猫人たちとつるんでいる。国境に迫りくる危険など穏やかなものであると人々の心を宥め、納得させる方が重要であろうに!」

 彼は肩越しに鋭くニアンビを睨みつけた。彼女は確固として顔をしかめ、その視線を受け流した。

「穏やか? 何百人という人々が死ぬかもしれないのですよ」

「それはわかっている……だが……」 その瞬間、彼の決意は砕けたように見えた。「だが……」

「本当に宥めねばならないのは、どなたの心でしょうか?」 ニアンビは尋ね、相手の様子を観察した。

 テシュンダの視線が和らいだ。彼は噴水へと再び向き直った。彼を苛む不安と、深い本心を露わにしたいという切望をニアンビは感じ取った。砂から立ち上る熱のように、彼はニアンビとの対話を欲していた。途方もない怖れ。彼女の両手が柔らかな黄金色の光を脈打たせた。

「執政官殿。愛し、愛することを知る私たちが命の尊さを考えるとき、必然的に何かが立ちはだかります。私たちは愛し、愛することを知るがゆえに苦難を無視することも、苦しむ者に見て見ぬふりをすることもできません。その相手が戸口のすぐ先にいるとあってはなおさらです」

 彼女は彼に手を重ね、ふたりはしばし黙って座っていた。テシュンダは夜空を見上げた。月はまもなく天頂に達しようとしていた。

「なぜ眠っておられないのですか?」 再び、ニアンビは尋ねた。

 少しして、テシュンダは口を開いた。「君が評議会に来た日の夜だ。放浪する鳥の夢を私もみた。だがその時……私は木だった。私の腕は穴だらけだった。虫たちは私を生きたまま食らい、私の骨へと、心臓へと入り込んでいった。夢の中で痛みを感じたことはなかったが、この夢では全てを感じた。目を開けてもまだ痛みは残っていた。逃れられなかった。そして何よりも大きかったのは、その夢の中で、一羽の小鳥が私の所にやってきて尋ねたのだ、助けてほしいかと。心から助けて欲しかった。私は死にかけていた。だが……拒否したのだ。お前など知らない、そう言ってな。小鳥は飛び去った。それ以来、眠れないのだ。ニアンビ、この夢の意味を教えて欲しい」

 ニアンビは共感の目で彼を見つめた。フェメレフの勇者が悪夢と残酷な噂に引き裂かれる様は切ないものだった。そして、ひとつの言葉が彼女の心に浮かび上がった。許可よりも寛容を請う方がいい。ニアンビは彼とともに月を見上げた。ザーたちはもう出発しているだろう。

「一緒に来ていただきたい所があります」 彼女は穏やかに言った。

「何処へだね?」 彼はそう尋ね、ニアンビを見た。

 彼女も顔を向け、微笑んだ。

「執政官殿の鳥に会いに、です」

 少しの後、ふたりが馬車の座席に腰かけて馬が走り出そうとしたその時。大会議場の扉が開いてアワテ、グビガ、ジャブラスが現れた。アワテは書物を開いたままで、三人は熱心な会話を続けていた。おそらく執政官の心を宥めるため、どの新たな歴史の一片を暗唱すべきか決めているのだろう。手綱の音に彼らははっとした。

「執政官?」 グビガが声をあげ、動きだした馬車を指さした。

「ニアンビ!?」 ジャブラスも続いた。ニアンビは背筋を正した。

「我々全員を殺すつもりかね!」 アワテが悲鳴を上げ、自らの馬へと向かった。もう二人もすぐに続いた。

 廃鉱への道のりは長く、ニアンビはその間ずっと執政官の手を握りしめていた。太陽の暖かさに満たされ、テシュンダは眠りに落ちた。ニアンビは安堵した。悩める思考からの喜ばしい救いは――良い夢は――現状に対する同情的な見方をこの老人にもたらしてくれるかもしれない。

 馬車は廃鉱の入り口で急停止し、執政官を揺り起こした。彼は困惑した様子で辺りを見た。この近辺は不案内だった――塵と大岩に囲まれた、人里離れた場所。とはいえ彼は慌てはしなかった。ニアンビの手が今も彼を温め続けていた。赤子の泣き声がふたりの注意をひき、暗い廃鉱の入り口へと招いた。松明の明かりが闇を貫いていた。

「子供の泣き声か?」 ぼんやりとしたようにテシュンダは尋ねた。

「私たちは愛し、愛することを知っています。執政官殿」 目に涙を浮かべ、ニアンビは答えた。パーラが出産を終えたのだ。「会いに行きましょう」

 ふたりは入り、坑道をゆっくりと下っていった。ニアンビの心臓は誇らしく高鳴っていた。計画は上手くいったのだ。エフラヴァの民は生きる。目的地に近づくにつれて笑い声が、優しい鼻歌や最後のエフラヴァの民の無事を喜ぶ声が聞こえてきた。壁の松明が、喜びに抱き合って踊る人影を浮かび上がらせた。

「彼らは一体?」 テシュンダは尋ねた。

「発言を許されないために、代わりに発言してくれる者を必要とする人々です。正義と善と公正のために立ち上がってくれる者を必要とする人々です。例えそれが困難なことであっても」

 テシュンダは彼女を見た。「なぜ私をここに?」

「安らぎを求め、虫に食われた木へとやって来た鳥ですよ」 執政官は目を見開いた。「恐怖とは、与えるべき果実を萎れさせる腐敗の感情です。それが夢の意味です。執政官殿が与えるべき果実とは……」

「救い、か」 テシュンダはそっと呟いた。ニアンビはその手を握り締めた。

「お母さん?」 影の中で小さな声がした。そして一人の男性が片手に松明を掲げ、もう片方の手で女の子の手をとって現れた。

「ケキア、よかった!」 ニアンビは微笑み、執政官とともに近づいた。

 その娘はニアンビに瓜二つだった。頭には金色のヘッドバンドを巻き、豊かな黒い巻き毛を背中に流していた。彼女の父でありニアンビの夫デニクは五十代の凛々しい男性であり、縮れた髪の房を頭頂部でまとめ、黄金の環でそれらを飾っていた。

 小さな笑みとともにニアンビが輝く手で娘の頬を撫でると、ケキアも微笑んだ。そしてその手にもたれ、温かさに身を休めた。まさしくパーラの子がそうしたように。

「あの子は、マブトは?」 ニアンビは息子の行方を夫に尋ねた。

「夫婦揃って水を汲みに、それと毛布を……」 デニクは不意にはっとして頭を下げた。彼はニアンビを見た。「どうして執政官殿がここに?」

 ニアンビは夫から松明を受け取り、テシュンダの手に持たせた。「真実を目にしてください」

 背中を優しく押し、ニアンビは執政官を先頭にして踊るエフラヴァの民へと近づいていった。

 直後、彼はザーと正面から顔を合わせた。彼女は泣き続ける姪を抱いていた。パーラはその隣に立ち。片手を背に回し、もう片方の手で娘の頭を撫でていた。喜び声も踊りも瞬時に止み、その最中にやって来た客人を全員が見つめた。沈黙が降りた。

 テシュンダは全員を、全体の状況を見つめた。母親は子供を抱き寄せ、夫は妻を守るように立ち、寄る辺のない者たちは無言で生きる権利を祈った。彼の両目がザーへ戻ると、その表情は石のように堅固だった。身体にまとう鎧と背中の鞘に収められた大剣が、テシュンダへとこの女性の全てを語っていた。

「オジャネンの一族か」 彼はそう切り出した。「ジャムーラの勇者、イェーガーとジェディットの子孫」

「そうだ」 ザーはきっぱりと答えて背筋を伸ばし、代々の栄光への誇りを輝かせた。

「彼らは敬愛すべき存在だ」 テシュンダは穏やかに言った。「戦士であり、民への忠節は決して揺らぐことはなかった。最期の時まで壮絶に戦い抜いた。彼らの伝説に私は大いに心を動かされ、助けられた。彼らのような指導者になりたい、その願いから今の私がある」

「私もそれは同じだ」

 テシュンダはザーの腕から赤子を受け取り、毛布にくるんだ。その様子に、彼の心の氷も融けたようだった。

「この子は――貴女の?」

「ヒバリ、という名です」 パーラが返答した。「小鳥のように世界に飛び立ち、枯れかけた木にとまる……何か素晴らしいことをするために」

 ニアンビは自身の娘を抱きながら微笑んだ。彼女はパーラと目を合わせ、そしてふたりは感謝に頷きあった。

 テシュンダは再びザーを見て、背筋を正した。「ザー・オジャネン。ファイレクシアの怪物が倒されたなら貴女がたはどうする? どこへ行く?」

「脅威が過ぎ去ったなら、これまでと変わらぬことをするだけだ――移動するだけだ」

「いや、その必要はない」 執政官ははっきりと言った。「あの機械の到来は始まりに過ぎない。来たる戦争においては、信頼おける仲間が必要となるだろう。この地に留まってほしい、私たちと共に」

「執政官殿! なりません!」 叫びがあった。そしてアワテ、ジャブラス、グビガが入ってくると荒々しく人々を押しのけ、執政官を取り囲んだ。

「工作員が! 奴らの内に潜伏工作員が潜んでいます!」 彼らは揃って叫んだ。

「止めたまえ」 テシュンダの言葉に、評議員たちは即座に従った。ニアンビを見つめ返し、彼は続けた。「恐怖に蝕まれる時は終わりだ。敵が我らの心につけ入る隙を見つけたなら、我らの内なる勇者たちが立ち上がり、敵を打倒するという信念を持たねばならない」 そして彼は振り返り、希望と涙を湛えて見つめ返す沢山の視線を受け止めた。「ようこそ、フェメレフへ」

アート:Julia Metzger

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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