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MAGIC STORY
団結のドミナリア
メインストーリー第4話:手酷い一撃
2022年8月15日 / 8月18日翻訳一部改訂
ウェザーライトの甲板に立ち、カーンは懐かしさを感じた。索具を操る乗組員は違う、けれど作業の間に談笑し、輝く装置をいじくり回す。それらの匂いと音は心地良くも昔のままだった。白い雲から黄金色の光がまばらに差し込み、磨き込まれた甲板をきらめかせた。青い空は水平線まで伸びていた。海風がカーンの金属の身体を冷やした。ほんの一時間前、自分たち四人は――テフェリー、ヤヤ、ジョダー、そしてカーン自身は――アルガイヴの監視塔の最上階から、一人また一人と縄梯子で引き上げられた。まるで眼下の広大な都市の上を飛ぶ昆虫のように。
「シャナが待っている」 ジョダーが言った。「ウェザーライト号の行き先を決めなければ」
カーンは頷いた。白髪を長旗のように背後になびかせ、ヤヤも隣についた。彼らは特別室へと入った。シャナは円形机の近くに立ち、磨かれた胸鎧の前で腕を組んでいた。その背後の影の中にはアルヴァードが立ち、吸血鬼の蒼白な皮膚が浮かび上がっていた。テフェリーは近くの簡素な寝台に横たわり、目を閉じていた。その隣の三本脚の椅子にラフが座り、テフェリーの傷へと両手を伸ばしていた。銀白色の魔力が掌から放たれ、熱波のように揺らめいて見えた。スライムフットもやって来て、キノコに似た若芽たちがその足元で跳ね回った。ティアナは翼を固く閉じ、扉をくぐった。
シャナは果物の乗った鉢を押しやった。思うにただの飾りなのだろう。「カーンさん、私は艦長かもしれませんが、行き先は貴方が決めてください。ウェザーライト号をどこに向かわせるのかを」
「ファイレクシアを引きずり出して戦いを始めねばなりません。あれらが勢力を拡大し、さらなる人々を改造してしまう前に。それを、ファイレクシア人が何よりも求める三つのものを寄せ餌として行います。酒杯と、マナ・リグと……私です」
ジョダーは懸念の目でカーンを見た。「危険な作戦だ。敗北したなら、ドミナリアでも最も貴重なアーティファクトが幾つも――そしてカーン、君までも失われるだろう。そのような危険に君をさらすという考えには賛成したくない」
「多少の危険は歓迎だよ」とヤヤ。「そいつらを引きずり出せるなら、勝てるなら、ファイレクシアを根こそぎ退治できるならね。蔦みたいなものさ。駆除するなら早めにやらないと。くっつかれたなら広がっちまうよ」
カーンは言った。「アーギヴィーアでの教訓は、私たちは個々よりも団結した方が強いということです。ファイレクシアは私たちを分断する戦略をとっています、影の中から潜伏工作員を用いて。戦力を分けたなら脆くなります。団結すればそうではありません」
「それでも」 ジョダーは続けた。「我々の仲間はドミナリア中に散らばっている。アーギヴィーアが落ちた以上、この大陸でも最強の軍勢はもはやこちら側ではない――ファイレクシアのものだ。立ち向かうためにはあらゆる味方を引き入れる必要がある」
「手分けしよう」とヤヤ。「味方に声をかけて、マナ・リグへ連れて行くんだよ」
その議論の間、ウェザーライト号の乗組員たちは黙っていた。だがラフが溜息をついた。その指から魔法が消え、彼はカーンへと顔を上げた。「姉上が力になってくれるはずです」
「じゃあ、私はダニサをあたろう」 ヤヤが決心とともに言った。
「ヤヴィマヤも攻撃を受けている」とジョダー。「エルフたちが加わってくれるだろう。私が行って、共に戦ってくれるように頼もう」
「私は直接マナ・リグに」とカーン。「ジョイラに会います。酒杯を理解するための鍵を目にし、覚えているのは私だけなのです。その情報を他の誰かが調べられるよう、記録する必要があります」
昏睡から目覚めていたテフェリーが言った。「私も一緒に行こう、カーン。回復のための時間が必要だし、君がマナ・リグと酒杯から手を放せない間に私がシヴの仲間を集めよう」
「幸運は続きませんよ」 カーンはテフェリーの傷を見た。
「私は結構な幸運に恵まれているよ。何せ生き延びたのだからね」
「ところで、手分けするなら」 風がヤヤの髪を舞わせた。「私らの誰かがファイレクシアの手に下っていた場合、どうやって判断する? ステンは自分自身ですら知らなかったんだろう」
「占術装置はファイレクシア人へと焦点を当てるのが困難です」 カーンは言った。「見ることができない場合、その相手はファイレクシアに関わっていると判断できます」
「あんたが眠らないってのはありがたいね」
辛抱強く聞いていた乗組員たちを、シャナは見つめた。「決定ですね。出帆しましょう」
赤鉄山脈はとても美しく、ここで戦争を行うという考えは不遜に思えた。信心深い性質でなくとも、粗く尖った山頂や峡谷の急斜面を構成する頁岩が陽光に白く輝く様は、高山植物の花が紫や金色の頭を垂れる様は、時に忘れ去られた何らかの英雄であろう半男半女の巨大な彫像は……
ああ、確かに自分は年老いたのかもしれない。けれどどこかの小屋の外で、杉材製の風呂にくつろぐのもいいだろう。山の影になったこの谷には戦争機械が朽ちるままに放置され、岩のように動くことなく翠緑色の苔やシダの下で忘れ去られている。冷たいミントの茶でもあれば更に良いだろう。十年、二十年をそうやってのんびりと過ごすのは。
彼女はその考えを嘲った。私はまだ引退する気はないよ!
「ヤヤさん!」 木々の深い影からアジャニが進み出た。その白い毛皮を陽光に輝かせ、外套を背後になびかせて。「貴女が来ているとダニサさんから聞きました。野営地の食糧のために鹿を追っていたのです。ここは良い狩場ですね」
アート: Matt Stewart |
「上手くいったかい?」 ヤヤが尋ねた。
アジャニは牙をむき出しにし、獰猛な笑みを見せた。「ええ。ラノワールの長命の人々はファイレクシアの侵略をよく覚えています。既に私たちに加わるための斥候を送り出してくれていました。ドミナリアでも最高の射手たちです」
アジャニがアロン・キャパシェンを追ってあの会議場から飛び出して以来、ヤヤは心配していた。「アロンを取り戻せてはいないようだね?」
緑色を湛えた氷河湖のほとり、そこに設営されたダニサの野営地へとアジャニは視線を動かした。ベナリアの騎士たちが白い帆布の天幕を設置していた。七つの窓を持つキャパシェン家の塔の紋章だけでなく、七芒星を抱くタルムーラ家の旗もひるがえっていた。鍋からは玉葱を煮る匂いが大気に漂っていた。
「引き離されてしまい、戻った時には皆さんの姿はありませんでした。そのため彼らの追跡を開始し、ダニサさんに出くわしたのです」
ダニサ・キャパシェンが野営地からふたりへと向かってきた。明るく健康的な茶色の肌、髪は側頭部を剃られて後ろできつく纏められていた。鎧は銀色に輝き、胸部にはジェラードの帯のように金色の飾りを交差させ、鎧に埋め込まれたステンドグラスは赤や真紅や黄色の花弁を輝かせていた。
「ファイレクシア人を追跡したところ、ここから南に基地を発見しました。洞窟の中に隠されています」 アジャニが言った。
「父もそこにいるに違いありません」 ダニサはヤヤへと向き直った。「アロン・キャパシェンの娘にしてキャパシェン家の後継、ダニサ・キャパシェンと申します。貴女は?」
ああ、まあ……近ごろでは知られていないのも無理はない。
「ヤヤ・バラードさんです」 アジャニが咳払いをして言った。「『永遠のジョダー』と共に戦われた方です」
ヤヤは鼻を鳴らした。ジョダーは男の子がビー玉を集めるように、そのようなあだ名を集めていた。「シヴへ増援を送ってもらえないかと頼みに来たのさ」
「アジャニさんのご友人は誰であろうと歓迎です」とダニサ。「ですがあいにく、父を助け出すまではシヴへ戦力を送ることはできません」
「それじゃ遅く――」
ダニサは言った。「時間をかける価値はあります。どうか手を貸して頂けないでしょうか。父が生きているのであれば、皆さんはキャパシェン家の感謝と戦力を手に入れられるでしょう。ですが父が……いえ、その際皆さんはキャパシェン家の新たな長に貸しを作ることができるでしょう」
ヤヤは指を伸ばし、宙から炎を引き出した。熱がその皮膚に伝わっていった。「わかったよ。洞窟から何かをいぶり出すには煙が一番だ」
ドミナリアにおいて自分が若いと感じられる場所があるなら、それはヤヴィマヤ、クルーグの廃墟の中だろう。天蓋状の古い建築物、その高い天井は空へと開け、蔓草に覆われた黄金色の石はまるでドラゴンの宝物のように夕日の色を閉じ込めていた。ある巨大なツリーフォークが根を引き抜いて海へ向かった際に露出したそれは、今も土の匂いを漂わせていた。
「ジョダーさん?」
その声に聞き覚えはなかった。空色をした蝶が一匹、彼の肩にとまった。ジョダーはそれを払いのけようとし、だが躊躇した。
ひとりのエルフが彼を見つめていた。明るい色の皮膚に木漏れ日が輝き、その両目は眩しく知性を湛えていた。ジョダーにも理由はわからなかったが、若々しく見えた。その女性がまとう戦士の革鎧は緋色と黄土色と橙色が混ざり、ヤヴィマヤのエルフに見られるものとは異なっていた。そこにはスランの技術が流用されていた。
アート: Aurore Folny |
「『永遠のジョダー』さんですか? 大魔道師の?」
ジョダーは咳き込んだ。どういうわけか、このエルフに見つめられると、顔の近くで皿ほどもある羽根を物憂げに羽ばたかせる蝶が気になって仕方なかった。
「上座ドルイド、ジェンソン・カルサリオン様から話を聞いています。ジョダーというのは何人もの異なる人物が得てきた称号だという説もあります。けど私はずっとそれはひとりの人物だと思っていました」
「メリアさんという方と交渉するために来ました」とジョダー。「シヴでの新たな連合の一員として戦ってもらうために」
「本当に四千歳なんですか!」 彼女はジョダーを上から下まで、まるで考古学的遺物であるかのように眺めた。あの蝶は飛び去った。ジョダーは咳払いをした。品定めをされているような気分だった。気分の良いものではない。
そしてそのエルフは溜息をついた。「ジョダーさん、本当であれば力になりたいです。一緒に戦うことを子供の頃から夢見みていました。皆を率いてジョダーさんの力になって……一緒にドミナリアを救う。けどごめんなさい。私は皆のことを考えなければいけないんです」
ジョダーは笑みを浮かべた。この娘がメリアなのだ。数世紀分の外交的手腕によって、かろうじて彼は驚きを隠した。その容貌に若さと瑞々しさを刻む者へとエルフは滅多に追随しない――こういった交渉を自ら行うのが良いと判断した理由のひとつでもある。一方で、古い遺跡や石と金属の建物に隠れ潜むエルフも滅多にいない。ドミナリアは変化していた。「ファイレクシア人が侵入しています、メリアさん。戦うか戦わないかという質問はしません。いつ、どのように戦うかです――そして両方の質問に対する答え、つまり私たちが団結するかどうかが、私たちが勝利を収めるかどうかを決定するでしょう」
重々しい理解に、メリアはうつむいた。「永遠のジョダーさん、貴方は賢明な方です。お会いできたこと、心から光栄に思います。ですが貴方の言葉も名前も私を動かすことはできません。戦士たちに、自分たちの家を見捨てて貴方に賛同させる理由はありません。ファイレクシアがこの梢に影を落とすなら戦います――有利な、自分たちの住処で。ですがシヴへ旅するというのは、了承できません」
「ファイレクシア人は潜伏工作員を作り出せます。あれらが潜入したなら――」
「わかっています。ですがヤヴィマヤに戻る者は、ムルタニ様の選別を受けるでしょう」
「ここを戦場にしたいのですか? ヤヴィマヤを燃やすよりも、今ファイレクシアの脅威を嗅ぎ取るべきです」
メリアの両目がきらめいた。怒っているのではない。怖れているのではない。耳を貸さないというわけでもない。彼女は面白がっており、何よりもそれがジョダーを困惑させた。彼は自分の足元にも満たない年齢の相手に笑われることに慣れていなかった。
「とても説得力のある言葉ですね」 メリアは笑みを浮かべ、ジョダーの肩を叩いた。だがそして背を向けると、彼は察した。メリアは心を決めていると。
交渉は失敗した。メリアはその民をシヴへ連れ出しはしないだろう。
谷全体を一望できる岩の影にヤヤは隠れていた。最高に快適な位置ではないが、眺めに文句は言えなかった。狭まる峡谷の終点に、洞窟の口が三角形に開いていた。二体のファイレクシア人が入り口を守っていた――ムカデに似た怪物、その核は切断された人間の身体。多数の肢が陽光に、反抗的にぎらついた。
その高所から、ヤヤはファイレクシアの怪物たちに見えていないものを見ていた。
アジャニはラノワールの斥候を数人率いて、周辺地域の暗い森に潜む見張りを一掃していた。今のところは上手くいっていた――死に際に警告を叫ぶファイレクシア人はいなかった。
ダニサは軍勢の大半を率いていた。その騎士たちは洞窟の入り口近くに身を潜めて待機していた。枯れ谷の中、藪や木々の背後、苔むした巨大な花崗岩の隙間に。ダニサは片手を挙げてヤヤへと合図した。時が来た。
ヤヤは集中を強め、それは自らの内に鋭利な刃となった。彼女は洞窟の入り口を睨みつけた。大気そのものが燃え上がり、炎の爆発が巻き起こった。固く短い芝が焦げ、濃い煙が空へと上がった。
ファイレクシア人の衛兵たちが動きだし、下生えに群れを成した。ダニサに指示されて三人の騎士が突撃し、その大剣で怪物たちを叩き切った。それは血まみれの塊となって地面に落ち、だが何十本もの小さな脚がその塊から生え出た。ダニサは再び手を掲げ、次の一団を送り出してファイレクシア人の破片をヤヤの場所へと追い立てていった。
相手が十分に近づいたところで、ヤヤは炎の柱を放った。焼け焦げたファイレクシアの塊を騎士たちが貫くと、それらは死んだままでいた。
「いい感じに片付いたね」 ヤヤはそう呟いた。
洞窟の入り口では濃い煙が宙へとうねっていた。更なるファイレクシア人が溢れ出た――優に二十体を越える人型の怪物。
「まずいよ」 ヤヤが見たところ、騎士たちは姿を現すのが早すぎた。経験不足が露呈していた――敵はありふれた兵であるかのように彼らは戦っていた。そうではなく、相手は他次元の恐怖なのだ。
炎の渦で身を守り、ヤヤは斜面を下っていった。ファイレクシア人を焼きながら、彼女はその炎の先に繰り広げられる恐怖を見た――完成されたひとりの女性、その心臓から鉄のコイルが伸びて、まるで子供が昆虫の脚をむしるようにベナリア騎士の鎧を剥ぎ取る。完成されたひとりの子供がまた別の騎士の鎧の下にワイヤーを差し入れ、相手を内から爆発させる。ダニサは顔をしかめ、副官と背中合わせに立って応戦していた。
ベナリアの騎士たちは圧倒されていた。
アジャニがラノワールの斥候たちを率いて乱闘に加わり、双頭の斧でファイレクシアの怪物を叩き切った。敵は前進を止めざるを得なかった。
アート: Manuel Castañón |
一瞬、ヤヤは希望を抱いた。このレオニンが戦いの流れを変えてくれたと。だがそれは洞窟から一体の新たなファイレクシア人が、背後にさらなる数を引き連れて姿を現すまでのことだった。姿は大柄で筋肉質な人間の男性、青白い色の鎧が上半身に融合していた。白金色の髪からは金属の棘が角のように伸び、橙色の瞳から白すぎる頬へと黒い油が流れ出ていた。その男は肘の所で融合した二組の腕を掲げ、皮肉めいた歓迎を告げた。「ああ。昔の仲間が救出部隊にいてくれたらと思ったのだけど。残念だよ――何としてでもついて行きたかったのに」
両手に炎を留めながらも、ヤヤの内に寒気が走った。アーテイ。その名は知っていた――ウェザーライト号の最初の乗組員のひとり。何世紀も前に死んだはずであり、死人らしく血の気はない。それでも何らかの力が、ひきつり動く姿で再生したのだ。その両目には身震いするような知性が宿っていた。
「戻ってこられて嬉しいよ。それに、離れている間にとても多くのことを学んできた。見てみるかい?」
そして洞窟の入り口から、アロン・キャパシェンが進み出た。
コイロスの洞窟で発見し、牡蠣湾で失った粘土板の概略図をカーンは取り出した。彼は曲線系のシンボルを指でなぞった。完璧に覚えてはいても、その意味はわからなかった。
「カーン?」 テフェリーはジョイラの工房を覗きこんだ。彼女が不在の間、カーンは勝手にそれを使用していた。「デアリガズと話したが、ドラゴンたちはまだ腰が重いようだ」
「ギトゥはいかがですか?」
「ドラゴンたちが動かない限り、ギトゥも動かない。それが議会の方針だ」
「ヴィーアシーノは?」
テフェリーは天井を仰ぎ見た。「同じだよ。応じてくれたのはゴブリンだけだ」
「ゴブリンが? それは驚きですね」
「彼らは一番になりたいんだ。ファイレクシアが襲ってきたらドラゴンとギトゥとヴィーアシーノも戦うだろうとはわかっているが、ゴブリンは『自分たちが最初だ』と言いたいんだな。将来の関係で有利になれるように」 テフェリーはジョイラの寝台に横になると、疲労に目を閉じた。魔法によって癒えてはいたが、まだ彼は回復の途中にあった。
工房の静寂を金切り声が裂いた――その大音響に、薄いビーカーが砕け散った。テフェリーは身体を起こして身構えた。一瞬して衝撃が到達し、繊細な装置に塵が落ちて実験を台無しにした。硫黄の悪臭が扉から流れ込み、テフェリーは咳き込んだ。とはいえカーンの感覚によれば、その濃度は人体に害を成すほどではない。
「何が――」
テフェリーが言いかけたところで、カーンは口に指を当てて黙るよう告げた。彼は音を探った。ウェザーライト号。カーンは工房を退出し、テフェリーが弱弱しく続いた。
青ではなく白熱したシヴの空に、ウェザーライト号は腐敗した破片をまとって飛んでいた。それはファイレクシアの攻撃を避けるための偽装だった。それでも一体を避けきれず、それは捕食者のように接近していた。そのファイレクシアの怪物は大きく広がり、空を支配していた。蝙蝠に似た薄い翼には節だらけの歯が並び、身体は繊維の塊でできていた。ウェザーライト号は銛を放って応戦したが、それは繊維の隙間を無益に抜けた。魔法が空に瞬いたが、カーンの目にもその怪物がたやすくウェザーライト号に勝っているのは見てとれた。
だがその時、一対の巨大な翼を広げ、シヴの白い空にひとつの影が飛来した。ドラゴン。カーンにとっても、成体のドラゴンの強さは賞賛に値した――ドミナリアにおいて彼ら以上に強大な存在はない。暴力と知性の頂点。陽光に鱗がきらめき、その影は明るくなっていった。デアリガズが助けに来てくれたのだ。ドラゴンは旋回し、急降下して速度を上げ、ファイレクシアの怪物に襲いかかった。
衝撃が弾け、怪物は身悶えする塊と化した。空中でその身体の破片は翼の間にぶら下がっていた。怪物は自らの身体を繋ぎ留めようと、ぬめる鉄の繊維を伸ばして組み合わせた。
だがデアリガズは既に宙で旋回していた。彼は白熱した炎をファイレクシアの怪物へと吐きかけた。それは相手を燃やすのではなく、蒸発させた。溶けた金属の雫がマナ・リグの屋根に降り注ぎ、そしてデアリガズ自身が続いた。人々は散り散りになり、遠巻きに恭しく見つめた。
「プレインズウォーカー・テフェリーよ」 デアリガズは頭を低くした。「シヴにて戦おうという其方の提案を受け入れよう。我らの空を守るために――我が同胞らも必ずや加わるであろう。シヴの議会に席を持つ他の国家も同様だ」
テフェリーはそのドラゴンへと近づき、恭しくお辞儀をした。「シヴのドラゴン種からの申し出、謹んでお受け致します」
デアリガズは謹厳に、再び頭を下げた。そして空へと飛び立ち、効率的に螺旋を描いて上昇していった。
静寂の中、ウェザーライト号の甲板からジョイラが綱を投げて降りてきた。彼女のフクロウが急降下し、その肩にとまった。金属の身体が陽光に輝いた。「あの技は真似できないわね」
アロン・キャパシェンが洞窟から進み出た。その顔には外科手術の跡が今も生々しく、だが血を染み出させてはいなかった。代わりに、縫合線のそばに黒い油がぎらついていた。その線は……芸術的、ヤヤもそう認めざるを得なかった。アロンの頬骨の弧に沿ってアーテイは切り裂き、そして額を横切る粗い線と故意に対比させたのだろうかと思うほどに。だがそれ以外は、アロンは痛烈なほど人間に見えた。その表情は苦悩を浮かべていた――他のファイレクシア人とは異なり、彼は自分の状態をわかっているように見えた。今もアロン・キャパシェンであり、自分が何をされたのか、そしてそれが意味するところを知っている。その唇が言葉を紡いだ。頼む、私を見ないでくれ。だがその言葉は、無論、声には出さなかった。
「父上」 ダニサの声はかすれ、苦痛に満ちていた。少しでも慰めを与えてやれたならどんなに良いか、ヤヤはそう思った。
「何をした?」 アジャニが問いただした。
「シェオルドレッド様が教えて下さったのだよ、美とは変化の内にあると」 アーテイは答えた。「それが自分自身に適用されたなら、実感するのは難しい。けれど他人に適用されたなら、変化の美はずっと明白になる。美学の革命だよ。見るがいい」
縫合線に沿ってアロンの顔が開き、内部を露わにした。頭蓋骨は金属に、片目は水晶のレンズに置き換えられ、脳はガラスの器に守られていた。他のファイレクシアの怪物とは異なり、アロンの変化は複雑な機械仕掛けのようだった。繊細な機構が音を立てて動くその様は、ヤヤが見るに星図のようだった。
「父上はお前の玩具ではない」 ダニサの声はショックで抑揚を欠き、だがその両目は憤怒に燃えていた。彼女は剣を手に、アーテイとアロンへ向かった。父親は痛々しい希望とともに娘を見つめた――何への希望か、ヤヤにはわからなかった。
それを邪魔するファイレクシア人はいなかった。
アーテイは興奮とともに見つめた。「アロン? やるべき事をやれ」
アロンはよろめいて踏み出した。彼は痙攣するように両手を挙げ、剣を抜いてダニサへと駆けた。驚いた様子で彼女は避けた。アロンの動きは奇怪で落ち着かず、まるで自らに抵抗するかのようにぎこちなかった。あるいはアーテイの命令に抵抗するかのように? 彼は再び振り下ろし、この時ダニサは父の攻撃を剣で受け止め、押し返した。再び娘へと向かいながら、アロンの生身の片目からぎらつく油が滲み出た。
「ダニサ」 アロンの声は奇妙で歪んでいた。「やるべき事をやれ」 それがアーテイの言葉の歪んだこだまだった。
ダニサの顔に絶望がよぎった。それはごくわずかな一瞬であり、遠くから見ていたヤヤは見逃しかけた。だがダニサは決意の表情で、厳しくも憐れむ視線を父へと向けた。「わかりました、父上」
この時、アロンの刃が振り下ろされると、ダニサは脇に避けた。彼女は大剣を掲げると優雅な弧を描いて振り下ろし、父の首をその肩から切り離した。
その全てを、アーテイは無感情に見つめていた。「芸術への敬意というものがないね。まあ、また繋ぎ直せば良いのだけど」
彼は三本指の手を振った。
山々が震え、岩が砕けて転がり落ちた。鋭い岩の破片がヤヤをかすめ、その頬を切った。彼女は驚き、傷を押さえた。そしてファイレクシアの巨怪が一体、目の前の山を叩き砕いて姿を現した。岩がその身体を流れ下る轟音は、涙が滲むほどだった。立ち上がると、その巨体に太陽が覆い隠された。金属の身体は複雑な機構と武器が満載され、巨大ではあるが心もとない脚の上に載っていた。頭部は破城鎚、尾の先端は棘になっており、油ぎった毒を滴らせていた。
山々が震え、岩が砕けて転がり落ちた。鋭い岩の破片がヤヤをかすめ、その頬を切った。彼女は驚き、傷を押さえた。そしてファイレクシアの巨怪が一体、目の前の山を叩き砕いて姿を現した。岩がその身体を流れ下る轟音は、涙が滲むほどだった。立ち上がると、その巨体に太陽が覆い隠された。金属の身体は複雑な機構と武器が満載され、巨大ではあるが心もとない脚の上に載っていた。頭部は破城鎚、尾の先端は棘になっており、油ぎった毒を滴らせていた。
「でかすぎるよ……鈍=ドゥールの変な角かっての」 ヤヤは小声で言った。ファイレクシアン・ドレッドノート。これまで見てきた中でも最大のもの。「あんなのとどうやって戦っていうんだい?」
メリアは立ち止まり、首をもたげた。頭上で鳥たちが金切り声とともに飛び去った。彼女はそれらを見つめ、額に皺を寄せた。猿たちが警告の叫びを森に響かせ、ジョダーにも大型の猫科動物が咳き込むように咆哮する声が聞こえた。
メリアは彼へと振り返った。「何かが来ます」
彼女は踵を返し、建物から走り出た。ジョダーはすぐさま隣についた。遠くで木々の枝が揺れ――そして折れ、緑色が弾けた。一体のドラゴン・エンジンが、ヤヴィマヤの広く青い空へと立ち上がった。
ジョダーも、これほど巨大なひとつの機械を見るのは初めてだった。青銅の頭蓋骨は南国の熱い陽光にぎらつきながら太陽を遮った。剃刀のように鋭い背骨は森へとゆるやかに下り、丘の稜線よりも長く、そしてそれは木々の間を抜けるように進んだ――ジョダーとメリア、そしてエルフたちへと。
ぎざぎざの口を開き、ドラゴン・エンジンは声なき咆哮をあげた。ジョダーの耳には聞こえない低音、だが心臓を殴られたかのように感じることはできた。その振動は見渡す限りの一帯を伝わり、木の枝が次々と折れた。オウムは気絶して木々から落ちた。小型の有袋類は目や鼻から血を流して倒れた。ジョダーは顔に触れ、唇に感じた熱い血を親指で押さえつけた。彼もまた流血していた。ヤヴィマヤのエルフたちも建物から現れ、身を寄せ合って警戒した。カヴーの乗り手たちは樹上の小屋から乗騎を下ろした。エルフの男がひとり、鼻血を出す赤子を抱えて小屋から飛び出した。彼は懇願するような目でメリアを見つめた。
ドラゴン・エンジンは森を切り裂いて進み、一本の木を引き抜いた。
メリアは唖然とした。「マグニゴスが。何百年も生きてきた木を!」
ジョダーは呪文の構成を開始した。自らの内に力が沸き上がるのを感じ、それは彼の皮膚から眩しく溢れ出し、彼を地面から持ち上げて抱え込んだ。この魔法を準備万端のまま……それは血管と同じほどに、彼にとって不可欠のものだった。彼は戦いの覚悟を決めた。
そこかしこで、ヤヴィマヤのエルフたちが家の中へと避難し、子供たちを抱き寄せると財産をまとめて戦いから遠ざけた。ジョダーの耳に、涙ながらの短い別れの挨拶が届いた。戦士たちは子供たちへと静かにするように、そして勇敢であれと告げていた。そして別れの前に連れ合いと抱擁を交わした。
カヴーに騎乗した戦士たちがあらゆる枝を伝い、弓や槍、剣を構えた。花よりも華麗な衣服をまとう投呪士たちは苔の地面に密集した陣形を組み、指を組み合わせ、その唇が呪文を紡ぐと退却する非戦闘員の姿を隠した。メリアは苦々しくジョダーを見つめ、彼を戦士たちの最前部へと導いた。
ひと払いするだけで、ドラゴン・エンジンは自身とヤヴィマヤの村との間を更地に変えた。太古の木々が轟音とともに倒れ、砕け、その枝の中に築かれた葉の形をした家々が潰れた。土埃が舞い、そして落ち着くと、ヤヴィマヤとドラゴン・エンジンの間にはごつごつとした溝が走っていた。ドラゴン・エンジンは戦場をその根で包んでいた太古の木々を引き抜き、土だけでなくクルーグの遺跡の地下深くに埋まっていたスランの都市の遺構をも露出させたのだ。豊かな土から地下水が染み出し、黄金色をした物体を浸した。メリアは驚きの声をあげた。
「あれ、見たことあります」 彼女の息は荒かった。「研究にありました。ああ! あれは――ジョダーさん、あれこそ私たちの希望です」
乱雑に散らかった遺物の中、メリアが何について言及しているのかがジョダーにはわからなかった。だがこの距離でひとつのアーティファクトを判別してのける彼女の目は確かであり、ヤヴィマヤのエルフたちが慕うのも納得だった。
武装した敵を見つめるように、ドラゴン・エンジンは首を曲げた。その頭蓋骨の中にはひとつの宝石のように操縦士が座り、淡い青色の光に照らされていた。距離は遠かったが、ジョダーはその人物の顔立ちが判別できた。片目の代わりに赤い光、その女性の姿はカーンの説明に一致していた。ローナ。獰猛な笑みの中、彼女は歯をむき出しにした。
その動きをなぞるかのように、ドラゴン・エンジンも棘だらけの顎を開いた。その機械の装甲の中、油ぎった靭帯の間に、森の小動物の腐りかけた死骸がぶら下がっていた。ローナはそれらを用いてドラゴン・エンジンの巨体を修復したのだ。
ジョダーは吐き気を覚えた。
「射手!」 メリアが叫んだ。
ヤヴィマヤのエルフたちが矢を放ったが、ドラゴン・エンジンの装甲には何の効果もなかった。ジョダーはその機械がエネルギーを集中させるのを感じた――この近距離でまたもあの咆哮を受けたなら、全員が消し飛ばされてしまうだろう。
アーテイは穏やかに笑い、腕を掲げた。上の腕についた手には短い指が三本あるのみで、彼はそれで手招きをした。ドレッドノートは尾を振り回し、ファイレクシア人もベナリアの騎士も同じく叩き潰すとともに毒を撒き散らした。粘り気のある液体が飛び散り、その強酸は木々を溶かして小川を沸騰させた。攻撃は山脈一帯に衝撃を轟かせ、遠くで落石や雪崩が起こる音が届いた。
岩雪崩の騒音にもかかわらず、ヤヤにはアーテイの嬉しそうな笑い声が聞こえていた。彼は腕を振り、するとファイレクシア人たちは壊滅したベナリア軍へと飛びかかった。アジャニはヤヤの背中を守って戦い、彼女へと小走りに向かってきた生物を叩き切った。ダニサは部下たちを助けるために下がっていた。彼女が命令を叫ぶとベナリアの騎士はラノワールの射手を守るように立ち、だが今や包囲されていた。
「撃て!」 ダニサの叫びに、ラノワールのエルフたちが弦を放した。だが彼らの矢はドレッドノートの脚に跳ね返り、その装甲を凹ませすらしなかった。
ドレッドノートは身体を伸ばし、脚を広げて戦場に立つと背をのけぞらせた。もしあれが更なる酸を放ったなら、確実に死ぬ……
「止まれ!」 アーテイが呼びかけた。ファイレクシアの怪物たちは慌て、蟹のように岩の中へと退散した。かつて人間であったより大型のファイレクシア兵はドレッドノートの脚へ急ぎ、しがみついた。騎士の数人が動きを止めた。「ダニサ、戦いをやめさせてもらおうか」
「さもなくば……?」 彼女は尋ねた。
アーテイは微笑んだ。彼はドレッドノートをひとつの手で、酸の飛沫で溶けた岩石を別の手で示すと目を見開いた。頭部の傷跡が、喜びに持ち上がったようにも見えた。
彼は答えた。「さもなくば」
ダニサは片手を挙げ、すると騎士たちは戦いを止めた。ヤヤは炎を消えるに任せ、疲労がのしかかった。アジャニは攻撃を不承不承止め、歯をむき出しにして双刃の斧を両手に持った。その視線がヤヤをとらえると、彼女は疲れ切ったように肩をすくめてみせた。どうするべきか、案はなかった。
「ヤヤ、アジャニ。君たちが私にその身を捧げてくれないなら、この者たちを始末するようドレッドノートに命じよう。全員をね」
ジョダーは両手を掲げ、自らのエネルギーで防御の障壁を作り上げた。その盾は最も眩しい箇所から波打ち、大気そのものがその白い輝きを帯びた。ドラゴンの咆哮の効果を静めることはできなくとも、和らげるくらいであれば――だが彼の呪文がどれほど強力であろうと、耐えられるのは一度だけだろう。
「あれを見てください。あそこまで行かないと」 メリアはヤヴィマヤの軍勢とドラゴン・エンジンの間、泥の中に横たわるスランのアーティファクトを指さした。彼女はジョダーの腕に触れ、願うように彼を見上げた。「その盾をここに置いたまま、一緒に来てもらうことはできますか? 戦場にってことです」
ジョダーは頷いた。そのアーティファクトが何であれ、メリアが民の命を委ねるほどのものとは? 「ああ、できる」
メリアは叫びをひとつ上げ、ジョダーはそれを「留まれ」の意味と解釈した。構えていた射手たちが防御の体勢をとり、油断ない視線で見た。メリアは満足そうに頷くと、ジョダーへと振り返った。「いいですか?」
ジョダーは指を伸ばし、それらを宙に押し付ける仕草をした。呪文が応えてゆらめき、そして安定した。メリアは知性と熱望の笑みを向けた。彼女は槍で地面を叩き、するとスラン建築の精巧な装飾が照らし出された。金属の拍車が槍の先端から飛び出し、半透明の膜が広げられた。彼女の槍はスランの動力付き滑空機としての機能も持っているようだった。
メリアは片腕をジョダーに回した。「しっかり掴まってください!」
ジョダーは身体を強張らせたが間に合わなかった。滑空機はふたりを勢いよく宙に持ち上げた。それが宙を滑る中、ジョダーは気が付くと不作法な様でメリアにしがみついていた。ふたりは彼が張った魔法の障壁へと突入した。それは少し抵抗し、伸び、だが通過させた。魔力がふたりの皮膚に熱く音を立てた。滑空機は鋭く曲がり、そして急降下した。ふたりは塩水が急速に溜まりつつあるクレーターへと飛沫を上げて着地した――ドラゴン・エンジンのすぐ足元に。
「私を守ってください!」
「そのために来たのだが?」 ジョダーは冷淡に答え、だが呪文は構えていた。ヤヴィマヤの戦士たちを守るために残してきた盾は、今も彼を消耗させていた。予備の力を使うしかない。「全力を尽くそう」
「ありがたいです」 メリアは汚れを気にすることなくぬかるみに膝をつき、泥水の中を探りはじめた。「この中にあったんです。見たんです……」
ドラゴン・エンジンが吼えた。ジョダーは輝く白色の泡を展開し、自分たちを守った。音波の衝撃が彼の盾を叩きつけた。彼は更なる魔力を注ぎ込んで振動のエネルギーを受け止め、打ち消した。ドラゴン・エンジンの咆哮は強まり、そして消えた。同時にジョダーの盾も消え、彼は消耗して膝をついた。盾を支えて身体全体が物理的に打ち延ばされたように感じた。もう一度やる力は残っていなかった。
ドラゴン・エンジンはその首をふたりに向けた。嫌な予感がした。ローナは次の攻撃を自分たちに直接加えようというのだろうか。「急げ!」
「あった!」 泥の中から、メリアはスランの繊細な金で装飾された銀色の球体を取り出した。「これです! 同じのを見たことがあります!」
メリアの視力は飛びぬけて素晴らしいに違いない。ドラゴン・エンジンの攻撃で露出した根や土や瓦礫の中、ただひとつのスラン製アーティファクトを認識したのだから。「それは?」
メリアはその球をひねり、表面の模様の形状を変化させた。するとそれは輝きを帯びた。球の赤道部分を光が走り、それは次第に速度を増していった。どこかで秒読みが聞こえ、メリアは首をもたげた。「今すぐにここから離れられますか?」
ジョダーは歯を食いしばり、ポータルを作り出した。自分たちふたりを運ぶ距離はごく短く、それでも息が切れた。この戦いで既に力の大半を使い果たしていた彼にとっては、指の爪で宙を切り裂いて開くようにも感じた。
メリアが飛び込み、ジョダーもすぐ後に続いた。彼は振り返って手を伸ばし、拳を握り締めた。ぎりぎりの所でポータルが閉じた。スランのアーティファクトが閃光を放ち、警告するように赤く眩しい光が風景を満たした。そして咆哮ではなく――
静寂があった。
ヤヴィマヤのエルフたちとドラゴン・エンジンとの間に、一枚の薄膜が形成されたように見えた。だが実際には膜ではなかった。片側からは――ジョダーが立つ側からは――大気はドラゴン・エンジンが蹴り上げた塵や花粉のもや、湿気で曇って見えた。大気に色がついていると初めて知った――大気のある空間から、大気のない空間を見て初めて知った。
あのスランの武器は球形の真空を作り出していた。ドラゴン・エンジンはその中心に立ち、咆哮を――絶対的な静寂の中で咆哮を上げていた。
そしてドラゴン・エンジンが壊れゆく様子が見えた。内なる有機組織が死んでいった。森の生物の死骸が真空にさらされて凍り付いた。ドラゴン・エンジンの内部で腱が切れ、内臓は弾けるか不快な氷と化し、筋繊維が硬化した。装甲の下にうねるワイヤーは強度を失い、少なくない本数がちぎれた。ドラゴン・エンジンの光は次第に消え、頭蓋骨の内部は見えなくなった。
「あれは実際には武器ではないと思います」 メリアは片手を腰に当てて言った。「スラン人はあれを使って真空の実験をしていたのだと思います。それをやってみました」
いや、あれは武器だ。減衰球、とはいえジョダーも効果を直接目にするのは初めてだった。
ドラゴン・エンジンは戦場の端へとよろめき、そして障壁を貫いて倒れた。身体の半分は森へ、もう半分は真空の中に残ったまま。ドラゴン・エンジンの頭部に入っていたローナはハッチを開けて這い出すと、半ば滑り落ちるように頭部から降りていった。その速度にジョダーは恐れを抱き、だが驚いてはいられないと察した。彼女は森の端で立ち止まり、両膝に手をついて呼吸を整えていた。
メリアが片手で小さく合図をした。槍を構えたカヴー乗りたちが反応し、ローナへと武器を放った。彼女は背後を一瞥し、そして逃げ出した。メリアは真剣な面持ちで追跡の様子を見つめ、そしてその視線は倒れたマグニゴスの木々へと移った。「何百年もかけて育まれた生命が――一瞬で失われる」
ジョダーは首を曲げた。「それが戦争というものだ」
「ファイレクシアはいずれ私たちを見つけ出すということですか」 メリアは言った。「何処へ行こうとも」
ジョダーは頷いた。メリアの瞳は怒りと悲嘆に輝いていた。
「そうであれば、私たちの進む道はひとつです。そしてそれはヤヴィマヤにはありません」
「この身を引き渡したとして、あんたが本当にそいつらを解放するって信じる理由がどこにあるかね?」 ヤヤはアーテイへと言い、肩を強張らせた。降伏する気はないが、他の案もなかった。十分に近づけたなら、焼け付く槍の魔法でアーテイの頭のあたりを貫いてやれるかもしれない……何か、とにかく何かで相手の気をそらせば――
心地良い風が戦場の悪臭を洗い流し、そして革と油の清浄な香りを運んできた。地平線が――西の地平線が――黄金色の輝きを帯びはじめた。大気に妙な、超自然的な雰囲気が満ちた。まるで太古の電圧に震えるかのように。
巨大な、けれどすらりとした黄金の船が一隻、山々の瓦礫を切り裂き背後に岩を蹴り上げて現れた。かすかな輝きを帯びたその船は、円を描くようにファイレクシアン・ドレッドノートへと近づいていった。何百人というケルド人戦士たちが鱗のような装甲で覆われたドレッドノートの広い背中へと飛び降り、剣を突き立てて、靴を突き刺して取りついた。
アート: Daniel Ljunggren |
金色の大帆船! 伝説に失われたものだとヤヤは思っていた。確かにラーダは牡蠣湾での交渉の場で、アーティファクトを発見したと言っていた。だがそれがこの古の船だとは全く思いもしなかった。
ラーダ自身も戦士たちを率いて、破城鎚の形状をしたドレッドノートの頭部に着地した。地面の上に立つファイレクシアの怪物たちは、ドレッドノートはこのような攻撃には弱いと察したようだった。彼らはドレッドノートの脚に身を隠すのではなく、ケルドの戦士たちを攻撃しようと登りはじめた。
「射手、私たちを守れ。騎士、私に続け」 ダニサがドレッドノートへと駆けだした。「ドミナリアのために!」
騎士たちは咆哮をあげて続き、ドレッドノートを守ろうとするファイレクシア人たちへと襲いかかった。ケルド人の猛攻撃の下、ドレッドノートはうめき声を発した。それは辺り全域を震わせた。
アジャニが吼えた。「射手たちよ、私に続け! ドレッドノートに登るファイレクシア人を撃て!」
ヤヤは両手を掲げ、新たな意欲に炎が眩しく輝いた。踵を返して射手たちへと向かうものたちへ、彼女はそれを放った。アジャニがヤヤへと近づき、向かってくるファイレクシア人たちから彼女を守った。
ラーダはドレッドノートの目を剣で貫き、自らその中に立てるほど大きな傷を与えた。水気が弾け、そして透明な濃い粘液が続いた。ラーダは筋肉質の光彩を叩き切った。ドレッドノートは苦悶の悲鳴をあげ、彼女を落とそうと頭を振り上げた。下顎が外れたように開かれ、血と黒い液体、桃色をした内容物が滴り落ちた。
アーテイが叫んだ。「シェオルドレッド様がこれを聞き逃すと思うな!」
「ぜひ聞いてもらいたいね!」 ヤヤが言い返した。
関節がひとつ、またひとつと死して緩み、ドレッドノートの身体は沈んでいった。背中のケルド人たちは歓声を上げ、そして伏せて落下に備えた。ドレッドノートの下で戦っていたベナリアの騎士たちは散開した。ヤヤとアジャニは近づくドレッドノートの下腹部を、それが空を覆う様を見つめた。ヤヤは慌てて退散し、崩れ落ちるドレッドノートから逃げた。その衝撃は山々に反響し、そして雪崩や土砂崩れの轟音が続いた。だがやがてそれらも静寂の中に消えていった。
アート: Aurore Folny |
工房に入ってきたジョイラへと、カーンは顔を上げた。
「私から隠れたいなら、ここは一番賢い場所じゃないわね」
カーンは彼女に向き合った。「隠れてはいません」
「一度も返事をくれなかったじゃない」 その声は傷ついているのではない――悲しんでいた。
「ヴェンセールの話をしたかったのですよね。私はしたくありませんでした」
「けれど今は?」
カーンは少しうつむいた。「ヴェンセールの犠牲を自分独りで悔やんでいたのは身勝手というものでした。彼は貴女の友でもあったというのに」
ジョイラは顔を上げた。「ええ。私も悲しいし辛い。貴方もそうだったから独りでいたんでしょう。何も身勝手なことなんてないわよ」
「同じ出来事への、異なる反応というだけですね」 カーンは呟いた。
「ええ。会いたかった」 ジョイラは笑い声をあげ、カーンを抱きしめた。使い魔である機械のフクロウが動揺したようにその肩から飛び立ち、頭上の梁にとまった。
求める慰めをジョイラは得ることができているのだろうか、カーンは訝しんだ。自分の身体には人と同等の熱がある、だが同じ柔らかさで彼女を包んでやることはできない。それでも彼はその抱擁を喜んだ。友人たちはあまりに小さく、謎に満ちている。自分に水晶の内部構造は解明できても、ジョイラを完全に理解することは決してできないのだろう。
ジョイラはカーンの腕を叩き、そして離れた。彼女はポケットに手を入れると、きらめく金属部品を幾つか取り出した。金色の装飾から見るにスラン製のもの。「マナ・リグの自爆装置を作るために役立ってくれそうなの。これほど強力なものをファイレクシアの手に渡すわけにはいかないから……カーン、私たちが離れていた時間は長すぎた。何人たりとも割って入らせるべきじゃなかったのよ」
「人、に限りませんがね」
ジョイラは笑い声をあげた。「貴方にも冗談が言えるってこと、いつも忘れちゃう」
ウェザーライト号との交信機が首で音を立てた。相手がウェザーライト号ではないことに戸惑いながらもカーンはそれを掴み、起動した。「聞こえています」
ジョダーの声が届いた。まるで同じ部屋の中にいるようにはっきりと。「ヤヴィマヤのエルフたちを連れてシヴへ向かっている。メリアが幾つかの近隣部族の者たちを加えてくれた。ツリーフォークに乗っての旅なので到着には少し時間がかかりそうだ。カーン、知らせておきたいことがある」
「はい?」
ジョダーはためらい、だが続けた。「新たな連合の中に、スパイがいる」
(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)
Dominaria United 団結のドミナリア
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