MAGIC STORY

団結のドミナリア

EPISODE 01

メインストーリー第1話:闇のこだま

Langley Hyde
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2022年8月10日

 

アート:Chris Rahn

 洞を三つ隔てても、金属の甲高い破壊音が岩にこだました。また一機、掘削機械が壊れた。カーンが有機生命体であったなら、溜息をついていただろうか。だがそうではなく、彼は立ち止まってその掘削機械の名残惜しそうな金属音を聞き、自分の機械たちを憐れんだ――コイロスの洞窟の、風変りな地質に対応できる単一の設定は存在しない。ここではカンラン岩が辰砂のような朱色の砂岩へと逆戻りする。だが選択肢はなかった。ここで、酒杯を作動させるための秘密を見つけ出すのだ。

 ファイレクシアの工作員よりも先に。

 身体が結露し、水滴が凝集して金属の装甲を流れ下った。誰も信じてはいないようだが、彼は真実を知っていた。ファイレクシア人はここドミナリアに来ている、彼はそれを感じ取っていた。岩と、その層を惑わす次元間の科学を感じ取れるように。

 カーンは横道に向かい、狭い隙間に無理矢理入り込んだ。玄武岩が胸をこすり、だが傷ひとつつけることはできずに削れていった。身をかがめて半透明の石筍をくぐると、その先は天井の低い洞になっていた。透明な石膏がスラン人の虜囚の骨やスラン製機械の破片を覆い、黄金の装飾模様は歪んでいた。

 あの壊れた掘削機械が洞の後方にあった。

 手に余る仕事に苛立つようにその哀れな掘削機械は蒸気を上げ、オーバーヒートした金属の外装は冷えるにつれて柔らかに鳴っていた。繊細な紫色の鉱物結晶を壊さぬよう、また淡水棲のイソギンチャクや生涯を闇の中で過ごしてきたために色素を持たない盲目の小魚を驚かさぬよう、カーンは鍾乳石と泉の間を抜けていった。

 カーンはその掘削機械に手を触れた。「では、修繕しましょうか?」

 オーバーヒートした機械は蒸気の溜息をついた。カーンの仕草に合わせ、ねじが自らねじ穴から緩んだ。彼はそれを脇に置くと、機械の装甲を外した。むき出しの装置が彼を出迎え、彼はそれを取り外すと交換作業を開始した。指先に魔力がうずき、無から何かを生み出すべくその力が凝集した。一層また一層と金属が出現し、全く同じ部品を作り出した。

 洞の静寂の中での作業は好きだった。太陽はなく、水滴の規則正しい落下音だけが日々の経過を知らせてくれる。ここにいるのは彼だけだった。他のプレインズウォーカーたちは感覚をこすり取るようなコイロスの洞窟内の次元的な歪みを好んではいない。カーンもそれを好んでなどいなかったが、この洞がくれる孤独はありがたいものだった。質問に答える必要はない。ファイレクシア人が誰かを捕らえ、完成させはしないかと心配せずともよい。孤独の中、酒杯を作動させる鍵を見つけ出す。その戦いに自分の力だけで勝利する。

「何の戦いよ?」 以前ジョイラは腰に手を当て、そう憤慨した。「カーン。ファイレクシア人は何世紀も前に倒されたでしょう。話してくれた新しい方も、自分たちの次元から出て来ることはないって」

「奴らはここに来ています。戦闘でファイレクシア人を倒しても意味はありません。あれらは軍勢ではなく、憎悪の具現です。ドミナリアの破滅を約束するものです」

 ジョイラの声色が和らいだ。「ヴェンセールのことはわかるわ。けれど……」

 ヴェンセールについて考えたくはなかった。彼は装置を軸へと滑り込ませて留めた。そして外装を交換し、はめ込み、ねじをそれぞれ締めた。小さな喜び。彼は掘削機械を軽く叩き、微笑んだ。「良くなりましたか?」

 それは生きてはおらず、返答もしない。だが外装を叩いてやり、見つめる中でその機械が前進して洞の壁面を掘りはじめると、まるでそれは生きていて自分に応えてくれたように感じた。岩が振動した。ショベルに似た掘削機械の平らな肢から、白色の塵が吹き上がった。有機生命体がここにいたなら、水を用いて塵を抑える気遣いが必要だっただろう。彼らの肺はとても脆い。

 つまり独りでいる方がいい、そうだろう? 食事と睡眠に何時間もかけて彼を引き留める者はいない。世間話で彼の進捗を遅らせる者はいない。

 砕かれた岩は紫色へと変化し、そして掘削機械の騒音は風音のように抜けた。開けた空間に当たったのだ。機械は後退し、カーンはそれが開いた洞を覗きこんだ。

 岩は卵の殻のように薄く、だが極めて硬かった。先の方では、洞の内部はオパールに覆われていた。虹色の斑紋がカーンの両目の輝きをとらえ、洞の内部を琥珀色のきらめきで満たした。塵が積もった工房はまるでウルザが定命の人間であった頃、あるいはそれ以前のものにすら見えた。魔法の理論と実践はまだ然程知られておらず、科学がドミナリアの進歩を押し進めていた時代。入り組んだガラス製のチューブ、様々な大きさのビーカー、機能しないバーナー、太古の薬品の名残であろう粉末、ニッパーに粘土用の圧延機、乾燥した光滑剤に覆われた手桶、変速器、歯車――通気口つきの小さな炉すらあった。その脇には火箸が何気ないように置かれていた。まるでつい先ほど、鍛冶師が仕事の途中で席を外したかのように。片隅には手枷があった。ファイレクシアと化す以前、スラン帝国が見苦しいとした者たちをコイロスの洞窟に収容していた名残。

 この工房は名も知らぬ工匠の聖域――そして虜囚にとっての悪夢だったのだ。これらの器具は知的生命体を実験体とするためのもの、カーンはそれを一目見てわかった。創造されたばかりの頃、そのような場面を彼は何度も見ていた。

「なぜ、こんなにも保存状態が良いのでしょう?」 他に誰か、この光景を一緒に見てくれたなら――

 独り言は止めなければ。

 重量のある身体で、カーンは可能な限り静かに洞へと踏み入った。ほんの少しの振動でこの繊細な物品たちが砕け、資料が失われてしまったなら?

 長い本棚には宝石で飾られた背表紙の書物が並び、その知識で彼を誘惑した。だがカーンはあえて手に取りはしなかった。触れただけで、その紙は塵へと崩れ去ってしまうだろう。彼は液体の残滓がこびりついたビーカーを覗き込み、そして炉の灰を調べた。何もない。だが陶製の台を調べると、それがあった。一枚の羊皮紙に描かれた酒杯の図解。一対の取っ手がついた銅色の浅い鉢、側面には黒色の人影が行進している。図解の隣には灰色をした粘土の板が置かれており、図解では消えかけている紋様がその粘土板に写されて刻まれていた。あるものはスラン語、あるものは解読不能の曲線形で、酒杯に見られるものと似ていた。粘土板は損傷して一部は判読できず、切断された針金が隣に置かれていた。ここで何があった?

「これを酒杯と比較しなければ」

 その言葉のごくかすかな振動に、書物の幾つかが塵へと崩れ去った。カーンはひるんだ。

 気を付けて、気を付けて――彼は未焼成の粘土板を両手に持ち、古の工房から退出した。

 掘削機械から幾らか離れたベースキャンプが目に入ってきた。そこでは洞窟網はずっと安定している。絶え間なく滴る地下水から設備を守るテントには、それぞれ小さな明かりが灯っている。カーンはその日光に導かれるまま歩みを進め、空ろな洞にその足音が響いた。

 テントが中から照らされていることもあり、ここに戻ってくるのはまるで家に帰ってくるように感じられた。カーンは最も大きなテントへ潜り込み、入り口の前に置いたままの黄金色のスラン製アーティファクトを避けて進んだ。数日前に発掘した金属片が彼の足取りに震えた。カーンはそれを修復し、再び使えるようにするつもりでいた。彼はパワーストーンの破片の山をまたぎ、作業机に腰を下ろした。テントの内部と同じく、机の上も非常に散らかっていた――最新の発掘物を置く場所はなかった。紙や幾つかの小さなアーティファクトの上には、ジョイラからの手紙が置かれていた。読みはした、だが返信はしていない。『カーン、もう何か月にもなるわ』――ある手紙はそう始まっていた。『なぜそんなことをしているのか、改めて考えてみては?』――別の手紙はそう締められていた。『ミラディンはあなたの落ち度じゃない』――『また別の手紙。どうか戻ってきて。きっとヴェンセールも……』

アート: Jarel Threat

 カーンはアーティファクトをひとつ片手に乗せ、もう片方の手でジョイラの手紙を脇に押しのけた。彼はそのアーティファクトを作業台に滑らせると、机の下に潜り込んだ。そこに、小さなチタン製の箱の中に酒杯が隠してある。その錠は彼自身のような者にしか使えない。どの可動部分とピンをどの順番で動かすべきかを知っており、かつ無機的素材を操る力を持つ者でなければ。彼の錠に鍵は存在しなかった。

 彼は箱に手を触れ、集中し、すると可動部分が反応するのを感じた。蓋が勢いよく開き、彼は酒杯を取り出した。カーンの特別な感覚でも、銅に似たその素材は特定できていなかった。通常、彼は触れるだけであらゆる無機的な物体の謎を解明することができる。だが酒杯はそうでなかった。それは彼の掌に奇妙な痒みをもたらした。スラン帝国製のアーティファクト、そう言われている――だが彼は疑っていた。この装置は単なる過去よりもずっと遠い場所から来た、彼はそう信じていた。

 彼はその浅い杯を持ち上げ、机の上に置いた。作業台の明かりの下、黒い人物像は動き、変化していくようにも見えた。スランからファラジへ、そしてスミファへ。鉢のように広いその口は、満たしてくれと呼びかけているようだった――スミファの伝承によれば、大地の記憶で満たす。その使用法を確認することなく試してみるのは躊躇われた。

 酒杯が衝撃をひとつ発した。カーンはひるみ、引っ込めた手を抱えこんだ。

 かつて、創造されて間もない頃、燃え盛るウルザの炉の炎に手を伸ばして触れたことがあった。赤熱した石炭を落とし、その感覚に驚き、そして手の損傷を確認したが何もなかった。顔を上げるとウルザがきらめく両目で見つめていた。ウルザは止めようとはせず、だがカーンに痛みをもたらすとは知っていた。『私の人格を重んじないのであれば、なぜ私に知性を与えたのですか?』 そう問いかけた瞬間、彼は恥じ入った。そしてその通り、ウルザはほくそ笑んだ。『知性をもって行動できるなら、その方が私にとって価値があるのだよ』 痛む、だが無傷の手をカーンは見つめた。『ではなぜ、私に痛覚を与えたのですか?』 ウルザは微笑み、白い髭を撫でた。後に学んだが、それは自分の賢さに浸る時にウルザが見せる仕草だった。『それが痛みをもたらすと認識していれば、人々は何かを傷つけたくなくなるものだ』

 だがそれは、一部の人々にとっての真実だ。そうではないか?

 カーンは返信しないままの手紙に視線をやった。ジョイラや他のプレインズウォーカーたちをあえて巻き込む気はなかった。そうでなければ彼らをファイレクシアに奪われてしまうだろう、ヴェンセールを失ったように。メムナークが改名してはいたが、カーンはその世界の元の名前を思った。アージェンタム。世界とそのわずかな驚異を作り上げた時、それはアージェンタムだった。数学的精緻さできらめく世界は、なんと美しかったことか。

 ファイレクシアがそれを奪った。世界を、子供たちを。彼の創造物、メムナークを。

 そしてその全てが自分自身の落ち度なのだ。

 カーンは近くのぼろ布を掴み、身体の結露を拭いた――この焼成されていない粘土を濡らすわけにはいかない――そして元の場所に投げた。彼は身体を屈めて酒杯を調べ、粘土板の文様と比較した。そのパターンは粘土板の粗い端で変化していた。壊れている。破片を見逃したのだろうか?

 戻って探さなければ。今すぐに。洞から穴を開けて湿気に触れたため、中のアーティファクトは劣化してしまうだろう。

 その時、また別の掘削機械の死に際の喘ぎが洞窟網に響いた。溜息をつくことができたなら、ついていただろう。だが彼は元通りに酒杯と、最新の発掘物をしまい込んだ。掘削機械を修理しなければ――何にせよ、あの工房の近くだ――そして見逃した破片を探せばいい。


 油ぎった煙が掘削機械の外装からにじみ出ていた。硬い鉱床に当たったようで、掘削装置の根元の機構まで圧力がかかっていた。カーンはそれを軽く叩いた。「無理をしましたね?」

 その機械は煙の塊を吐き出した。

「どのような気分はわかりますよ」 カーンはそう返答した。

 始める前に、カーンはトンネルの端を確認した。近くの工房は掘削機械の振動にもかかわらず、無傷に見えた。よし。ならばアーティファクトを損なうことなく、掘削機械は作業を続けられる。修理を終えたならあの工房へ向かい、粘土板の破片を探す。

 彼は機械を脇によけ、それが掘っていた壁面に手を伸ばした。

 そしてすくい取ったのは……何かの液体だった。油ぎった黒色の雫が指を伝い、地面に落ちた。まさか……?

 カーンはその物質に、自らの特別な感覚で触れた。彼にとって――かつてジョイラに説明を試みたことはあった――その能力は味見に似ている、ただそれが味や香り以上の情報をもたらす。だが今、何も感じなかった。まるでこの物質は有機質であるかのように。

 これらのケーブルはどうやって岩に埋め込まれた? まるで自ら織り込まれたかのように、まるで芋虫が自由に林檎の中を食らいながら進むかのように。

 認識は正しかった。この油はファイレクシアのものだ。彼は再度確認した――これらのケーブルは古代の遺物だろうか? 「いや、違う」 彼は呟いた。「最近のもののようだ。まだ新しい」

 カーンは掘削孔へと手を入れ、ケーブルの一本を掴んだ。それは指の間でもだえ、抵抗し、蜘蛛に似た小さな留め金を放つとそれらは岩に取りついた。このケーブルは生きている。彼は顔をしかめた。それは掌握から逃げようとするかのように指先を目指していた。カーンはそれを強く引き、トンネルの穴からむしり取った。

 その根元から黒い油が迸り、彼の上半身に飛び散った。他のケーブルが壁の中で収縮し――そしてあの古代の工房の天井が轟音とともに落下した。カーンの背後のトンネルも崩れ、ベースキャンプへの道は閉ざされた。

 発掘物を失ってしまったのだ。

 未焼成の粘土板の破片はもう見つからないだろう。それをはめ合わせて判明するものを見ることはないだろう。あの工房を完全に調査し、酒杯の創造について他にも秘密が収められているかを見定めることはないだろう。この真新しい状況からはそう判断すべきだった。これは考古学的惨害よりも優先すべき火急の問題だ――ファイレクシア人がドミナリアに来ている。今、ここに。

 あの工房を掘り出そうとすることはできる。通路を掘ってベースキャンプに戻ることはできる。皆に伝えることはできる、だが助けを求めるためには時間がかかり、そして何よりも、皆を危険にさらしてしまう。一瞬の不注意や怠慢が、ファイレクシアにこの世界へとつけ入る隙を与えてしまう――長い生涯で学んだことがあるとすれば、それだった。今のところファイレクシア人はこの洞窟に閉じ込められており、自分もここにいる。いいだろう。かつてのミラディンのように、ドミナリアを陥落させはしない。ファイレクシア人を止めるのだ。それができなくとも、増援を雇うに十分な証拠が手に入るだろう。ジョイラと仲間のプレインズウォーカーたちが信じるに十分な証拠が。

 ジョイラは言うだろう。カーン、あなたはずっと正しかった……と。


 進むことのできる方角はひとつだけだった――前へ。開かれたファイレクシアのトンネルへと彼は踏み入った。壁は有機質のように見え、身体を通る血管のように石の間をうねっていた。

 進み続けると、やがてトンネルは合流点へと開けた。この地点の壁は彫刻を施されていた。工房で見たような透明な石に埋もれた基質とは異なって、この壁は真新しいもののように見えた。宗教的な実践を思い起こすような精緻さは、まるでセラの寺院で見たステンドグラスの壁画のようだった。

 壁の彫刻の中、ファイレクシアの悪魔が若い人間の女性を掴んでいた。その悪魔の長い頭蓋骨、むき出しの歯、小さな目は愛情すら感じるほど緻密に刻まれていた。機械の節、露出した筋繊維、全てが磨き上げられて輝いていた。小さなダイアモンドがハイライトとして埋め込まれており、カーンの視線の中でその悪魔は動き出しそうにも見えた。その一方で石に刻まれた人間の方は粗く、表情は苦痛と嫌悪、そして恐怖を見せていた。その女性は別の人物の手を握っており、そちらの容貌は意図的に削り取られていた。

アート: Volkan Baga

 石の上の衣ずれの音がカーンの注意を惹いた。その絵に手を押し付けたまま、彼は振り返った。

 カーンの目に、人間はいつもとても小さく見えた。最も高い者でようやく彼の身長に達し、他は全員が彼に比べれば小柄と言えた。そのふたりは――男と女がひとりずつ――ともに小さかった。女性の方は陽光に飢えた青白い肌、茶色の髪は乱れていた。その顎は蝶番の機構に置き換えられ、生来の歯の隣に小さな刃が取り付けられていた。肉が金属に繋がる所では、かさぶたから病的な黄色の液体が滲み出ていた。彼女よりも年長の同行者は白い肌で、灰色がかった金髪は薄く、その技術を女性の方よりも芸術的に組み込んでいるに違いなかった。白いシャツの前は開かれて肋骨の間の人工的な心臓をさらけ出し、身体に入る静脈系はガラスのような素材で守られていた。そして両手には追加の指があった。

 両者ともたがねと大きな木槌を所持していた。つまりは彫刻家。ローブから判断するに、ミシュラ一派の見習いだろう。女性の方がカーンを、そして壁の彫刻に触れた彼の手を見て、激怒の金切り声を上げた。彼女は前方へ駆け出し、一瞬して同行者の男性も続いた。

 女はその木槌をカーンの上半身へと振るった。カーンは片手で相手の腕を掴み、すると女はカーンの腹部周辺の複雑な可動性の外装へとたがねを突き立てようとした。カーンはもう片方の腕も掴んだ。女はうめき、抵抗した。同行者の男性もカーンへと迫り、肩の上に木槌を持ち上げた。カーンはその女性を仲間へと放り投げ、ふたりは壁に叩きつけられた。両者は四肢をもつれさせて――どこも折れてはいない、ただ衝撃を受けただけ――地面に崩れ落ちた。

 カーンはふたりへと屈みこみ、その四肢のもつれを解いてやった。彼は両手を伸ばし、再び攻撃してこないように拘束具を生成した。霊気から引き出された鉄の粒子が、音を立てて指先に震えた。彼はその金属を層状にし、両腕両脚を束縛する帯を作り上げた。鍵穴も鍵も生成はしなかった。その必要はない。金属帯は堅固だった。

 男がうめいた。怒り狂う女はカーンへと唾を吐きかけ、その塊は彼の足元に落ちた。両者とも、実に小さかった。力、反射神経、カーン自身の身体能力は不公平なほど有利に思えた。ウルザの要望で、カーンはこのような生物を数えきれないほど引き裂いてきた。鉛の重しが濡れた紙に落とされるように、列また列の兵士の間を通りながら。まるで今、それを感じるかのようだった。それらの身体が抵抗し、やがて屈服し、熱をもった血液が関節に流れ込む。ウルザは長い時間をかけ、小さな金属のブラシで静かに彼の身体から乾いた血糊をこそげ取り、膝の裏に凝固した血塊を掘り出したものだった。それでも、十分に清められたと感じたことはなかった。

「あなたがたはファイレクシア人ではありませんね」 カーンはそう言った。「それでもここにいて、そして私の目が間違っていないならば、それに仕えている。何を成し遂げようとしているのです?」

「お前――肉のない空っぽの抜け殻め。お前はその手で我らの聖なる業を汚した」 女の様子には、憤怒以上に自己満足のきらめきがあった。「障壁が破られたのだ、他の者らも反応するだろう。ギックス様の祝福を彼らに――すぐだ。皆、すぐに来るだろう」

 なるほど、壁の中に張り巡らされたケーブル。それを切断した際に警報を反応させてしまったのだろう。恐らくこの見習いたちは、何らかの動物か自然現象がケーブルを切断したと思ってやって来た。だがこのふたりが報告に戻らないのであれば、他の者は同じ間違いは犯さないだろう。カーンは女の顔面へと手を伸ばし、指をひとひねりして金属のさるぐつわを作り出した。叫ばずとも助けを求めることはできる――音はこういった洞窟でとてもよく伝わる――だが彼女はそれに思い当たっていなかった。

 彼女はカーンを睨みつけ、罵りらしきくぐもった音を立てた。

 カーンは男へと近づいた。「ここで何をしていたのです?」

 その男はカーンに目をしばたたかせた。その瞳孔が大きくなった。激しい動揺。結果、発せられたその言葉は早口で不明瞭だった。「カーン様。存じております。来て頂けるとは光栄です」

 カーンは顔をしかめた。

「『囁く者』がカーン様のための計画を所持しておられます」 見習いはにこやかに笑った。「あの御方は日々強靭になられております。カーン様もお仕えなさるのでしょう。シェオルドレッド様は喜ばれます! 我らのために創造の技を振るうのは、貴方様のさだめです。我らの力となり、我らの一員となるのです」

 意識を取り戻した時に助けを呼ぶことのないよう、カーンはこの男にもさるぐつわを作った。この見習いはそれを受け入れた――まるでありがたい物であるかのように、至福の笑みとともに。

 カーンはふたりから離れた。

 シェオルドレッドはいかにして次元渡りを生き延びた? その疑問について考えるのは後回しだ。今はあの法務官を見つけ出し、ファイレクシアの侵略が始まる前に終わらせねばならない。独りだけで。自分はファイレクシアの油に屈することはないのだから、そうするのが良い。ヴェンセールの灯が守ってくれるのだから。

 カーンは見習いたちの拘束とさるぐつわをそのままに、洞窟網の奥深くへ突入した。通路に満ちる湿気はベースキャンプ周辺の空気とは異なり、また吐息のように温かかった。彼の冷たい身体が結露し、汗のように水滴が流れ下った。かすかな叫び声が大気に反響した。

 トンネルは広大な洞へ開け、人間が苦しむ声が不協和音となって響いていた。裂け目の向こうにはファイレクシアの基地が、洞の平らな地面の上に広がっていた。裂け目の上にかかる何本もの吊り橋には蟻のように労働者が群がり、肉らしき塊や血濡れのケーブル、大きな肉片を外科手術台の上で完成途中にある人間たちへと運んでいた。洞の奥側の壁にはファイレクシアのポータル船が一隻、巨大な鎌のように闇を切り裂いて見えた。その構造からは何本ものコイルがぶら下がっていた。それらは紫色の微光を放ちながら悶えており、腸を思わせた。

 そしてその中に、シェオルドレッドが宙づりになっていた。動いてはいない。節のある黒い身体にチューブが繋がれ、赤く濁った物質を流し込んでいた。胸部から下に続く大顎は寛いだように開いていた。大顎の上に繋がる人型の上半身は、黒く悶える糸を分厚く編んだ編にもたれかかっていた。顔は角のある仮面に隠されていた。彼女の下に崇拝者たちがすがりつき、声をあげて恍惚とした賛歌をうたっていた。

アート: Igor Kieryluk

 機能を停止したファイレクシアのポータル船と眠るシェオルドレッドがこの洞を占めていた。抵抗する人々をファイレクシアの異形へと作り変える外科手術機械には、ミシュラ一派の灰色のローブをまとう見習いたちが付き添っていた。洞窟の所々ではおぞましい芸術作品のように、完成された怪物たちが多すぎる脚で走り回っていた。更に多くの見習いたちが、ファイレクシアの飛翔艦の脇に武器を積み上げていた。接合者の一団が修復のためにドラゴン・エンジンの寸法を測っており、彼らのあまりに小さな溶接の炎は白い星々のように金属の外骨格に輝いていた。

 これは、ファイレクシアの侵略のための準備基地。

 人影がひとつ、シェオルドレッドに付き添っていた。艶のある茶色の肌に暗褐色の巻き毛、トレイリアの学院のローブ。その女性が振り向くと、機械化された片目が赤く輝く様子が見えた。その下でひとりの見習いが急ぎ、幾つかの肉塊を差し出した。若い女性はその中から数個を選ぶと、シェオルドレッドを支えるもつれの中により合わせた。カーンがたどって見ると、何人もの見習いが列をなし、完成された怪物からシェオルドレッドとその随員へと材料を運んでいるのがわかった。損傷したシェオルドレッドの有機的組織を修復するため、怪物から「採掘」しているのだ。

 この光景を他のプレインズウォーカーが見たなら、自分の怖れは真だったとわかるだろう。ジョイラは――

 いや。ジョイラが何と言うかは問題ではない。この脅威に独りで立ち向かうのだ。確かに、皆に警告する必要はある。だからと言ってこの場所を無傷のまま放っておくわけにもいかない。ファイレクシア人が身を守る体制が整う前に破壊しなければ。

 方針を決定し、カーンは掌を上にして手を広げ、もう片方の手をその上に掲げた。そして発火装置を自らの内から作り出すべく思い浮かべた。その材料、化学作用のすべてが、立体的な設計図として展開された。創造の魔法に指先が震え、宙に素材が積み重なっていった。これは酒杯ではない、だがシェオルドレッドに終わりをもたらすだろう。

 甲高い警報音が洞を満たした。

 見習い、崇拝者、ファイレクシアの工作員たちが作業を止める中、カーンはその発生源を探した。あの襲ってきた見習いの女が笛を吹き鳴らしていた。発見されて解放されたのか、それとも自ら逃げ出したのか。敵を生かしておいたのが仇となったのだ。

 その鋭い音は迅速な行動を促した。見習いたちは飛翔艦に武器を、ファイレクシア人の外科医たちは血まみれの手術台を積み込んだ。他の者たちは脱出のために飛翔艦に乗り込んだ。完成されたファイレクシアの怪物たちも命を得たように震え、金属の繊維を身体から蛇のように伸ばした。あるものは床に倒れこむと腹部から鉤爪に似た肢を弾けさせ、やみくもに大口を開き、その様子は獲物の匂いを察した爬虫類のようだった。

 赤い光線が一本、カーンの胸に当たった。

 岩に伏せた瞬間、カーンの頭上を一本の電撃が走った。彼は地面に手をつき、身体を持ち上げて這い進んだ。岩の壁から彼は洞を覗きこみ、その攻撃の出所を探そうとした。

 シェオルドレッドに付き従っていたトレイリアの学生が、彼に向けて一本の剣を伸ばしていた。彼女の片目は小型化された光線砲に置き換えられており、その赤い光線が当たったのだ。カーンは横に転がり、すぐ隣の岩が弾け飛んだ。一瞬前に横たわっていた場所から煙が上がった。

アート: Ryan Alexander Lee

 完成されたファイレクシア人たちが彼に殺到し、トレイリアの学生は笑みを浮かべた。彼女はシェオルドレッドの動かない鉤爪に片手を置いた。法務官はそれでも動かず――まるでこの若い女性が修復作業に勤しむ間、鎮静状態にあるかのように――無防備だった。

 そして、カーンの手には今も発火装置があった。

 シェオルドレッドへ向かう一番近くの橋は近く、だが狭かった。恍惚とした崇拝者が十二人と、剣を構えたあの女性が法務官への道を塞いでいた。それでも洞のファイレクシア人やトレイリアの見習いたちとシェルドレッドの間には幾らかの距離があるように見えた。素早く動いたなら、シェオルドレッドの手下全員と戦わずともあの法務官を攻撃できるだろう。崇拝者は十二人、トレイリアの学生を合わせても十三人。

 カーンは立ち上がり、狭い石橋を駆け下りた。シェオルドレッドの崇拝者たちは賛歌を中断し、彼へと急いだ。二人が橋に達し、カーンは肩で彼らを裂け目の深淵へと押しのけた。

 他の崇拝者たちは群がって道を塞いだ。二人が槍をカーンへと向けた。肉体を持つ生物であれば彼を押し留めたかもしれないが、刺突武器は柄や刃が関節に入り込まない限り意味はなく、彼の攻撃範囲を狭めるものでしかない。同じく、回転のこぎりを持った若者二人も彼の足取りを止めはしなかった。その刃は彼の身体に火花を立てるだろう。いや、カーンは自動穿孔機と溶接具を手にした崇拝者たちに集中した。

 何もかもが簡単すぎた。彼は無感情に、能率よく行った。ウルザがそのように創造したのだ。カーンが槍先の寸前で立ち止まると、崇拝者たちは不安げに身動きをした。カーンは一歩前進し、槍を掴み、持ち上げた。崇拝者は武器を固く握りしめたまま驚き、ぶら下がった。カーンはそれを敵の群れへと放り投げ、数人を橋から落として封鎖を破った。そして彼は槍を掴んだままの崇拝者を裂け目の深淵へと投げた。落下とともに悲鳴が消えていった。

 また別の槍使い、先程の若者よりは年配の女性が、カーンの上半身の隙間に槍先を突いた。発火装置を持ちながらも、彼は拳を振り下ろして槍の柄を叩き折り、破片は体内に残った。対処するのは後でいい。彼は折れた柄の端を掴み、それを用いて相手を脇に放った。彼女は転倒し、地面に崩れ落ちた。

 残るはたった六人。

 回転のこぎりの騒音が頭部に迫り、カーンは一歩下がってそれを避けた。再びそれが近づく前に彼は相手の懐に入り、その道具を取り上げた。その男は抵抗しようとしたが、カーンの腕力は圧倒的だった。相手の手からそれをもぎ取るのは不安になるほど簡単だった。カーンは男を持ち上げ、崇拝者二人へと放り投げた。その勢いに三人は地面に転がり、骨が折れる不快な音が響いた。

 穿孔機を持つ崇拝者が側面から襲いかかった。それはカーンの外装に音を立て、腕を滑り、使用者はよろめいた。カーンはそこに拳を叩きこみ、相手は吹き飛んだ。残る崇拝者二人は逃げ出した――このような身の危険の前では、信仰はそれほど大切ではないらしい。ここの人間たちは全員、ファイレクシアの改造を受けていたとしても、カーンにとっては蝶のようにもろかった。とはいえ相手をするのもそのように簡単なものであってほしくはなかった。

 彼はシェオルドレッドへと急いだ。法務官はその揺籃に吊るされたまま、だがもはや静止してはいなかった。意識を取り戻すに従い、節のある肢が引きつるように動いた。大顎に乗る人型の上半身が震えた。その長い指がトレイリアのローブをまとう若い女性へと伸ばされ、だが彼女は気付いてはいないようだった――今はまだ。

「カーン」 そのトレイリアの学生の声には軽蔑があった。「お前の噂は沢山聞いている」

「それはどのような?」

 彼女の視線が一瞬シェオルドレッドの姿に向けられ、そしてカーンへと戻った。「私が信じていたほど印象的ではないな」

 カーンは発火装置を手に、シェオルドレッドへと向かった。

「貴女は何者です?」 カーンはトレイリアの学生へと尋ねた。「なぜ、これをこの場所に持ち込んだのです?」

「名前はローナ。そしてこれは」 彼女はシェオルドレッドへと身振りをした。「ドミナリアの救済なのだ」

 ローナはカーンとシェオルドレッドの間に立ち、剣を傾けて軽く構えた。肉の目は狭められ、一方で機械の目はカーンの上半身に光線の照準を合わせた。そして両手で剣の何かを操作すると、その刃が青色の電流を帯びて明るく輝いた。ローナは笑みを浮かべた。

「貴女と戦いたくはありません」

「それは残念だ」

 ローナはカーンへと剣を突き出し、その刃から電撃が弾けた。

 身体に電気が踊り、弾けた。カーンは苦痛をこらえ、だが更なる電撃が刃から波うつ中で彼女へと歩みを進めた。ローナは攻撃を続け、カーンは立ち止まり、ふらつき、苦痛を振り払おうとした。ローナは剣を振り下ろし、彼の肩に差し込んだ。カーンは身をよじって剣を彼女の手からもぎ取り、身体からも抜いた。彼はそれを投げ捨てたが、ローナはその隙にダガーを抜くとカーンの腹部の合わせ目を突いた。そして内臓を探るように、彼女は可動性のある外装の隙間へとダガーをねじ込んだ。カーンはひるんだ。

 カーンは片手で彼女の頭部を掴んだ。そして親指で機械の目を圧迫し、レンズを砕いた。ローナは悲鳴を上げて蹴りを入れ、カーンは彼女を壁へと放り投げた。骨が砕ける音とともに彼女は叩きつけられ、そして地面に落ちた。彼女は頭を抱えて身を縮め、片脚は人間としては不自然な方向に曲がっていた。眼窩の壊れた機械部品から、油と血が滲み出ていた。彼女は指の間からカーンを睨み、口元をひきつらせた。

「なぜ殺さない?」 ローナは嘲るように言った。「止めを刺せ」

「私は武器ではありません」

 発火装置を抱え、カーンはシェオルドレッドへと近づいた。人型の部分はありふれた女性ほどの大きさだが、それはカーンの三倍は優にある蠍のような身体に取り付けられていた。人型部分の精巧な美とは対照的に、巨大な下半身は雑な作りで殺伐として見えた。シェオルドレッドが次元を渡る際、久遠の闇にてその有機部分は焼かれ、ローナはそれを交換するために全力を尽くしていたが、つぎはぎであることは見てわかった。

 このシェオルドレッドをばらばらに切り裂いてしまうのだ。弱っている今のうちに潰す。シェオルドレッドがこの世界をファイレクシア化するのを止めるためには、何だってする――何だって。カーンは手を伸ばしてシェオルドレッドの上半身を掴み、この全てを終わらせようと決意した。この発火装置をもろい外装の間に挟み込み、この法務官を殺す。

 カーンの接触に、シェオルドレッドは身動きをした。兜の頭部が彼に向けられた。物質の構成要素を知るために用いる感覚で、彼はシェオルドレッドを感じ取った。彼女の非有機的組織が、書物のページのように彼の前に開かれていた。金属の輝かしい光の内に、有機組織が黒く静かに疼いていた。カーンは幾らかの思考すら読むことができた。

『ヨウコソ、父上』 シェオルドレッドが彼の心へと囁いた。ひとつの機械的存在からもうひとつの機械的存在へ。『父上ノタメノ計画ガアリマス』

 カーンはねばつくような囁きにひるみ、後ずさった。そしてシェオルドレッドが何を成しているかを知った。

 ファイレクシアの潜伏工作員がドミナリアのあらゆる地に隠れている。これらの知られざるスパイはあらゆる政府に、あらゆる軍隊に、あらゆる一般市民の間に散らばっている。桶にホップを投げ入れる醸造者。スパイ。代書屋が机に向かい、その手は手紙の上で止まっている。ひとりの若者が怪物の真似をしてふざけながら従兄弟たちを追いかけているが、その背中からはファイレクシアの器官が弾け出そうとしている。ファイレクシアの工作員は人々が愛する者であり、仲間であり、同僚なのだ。彼らはどこにでもいる。あらゆる人物にその可能性がある。

『ヨウコソ』 その囁きが彼の内にこだました。『ヨウコソ』

 カーンはシェオルドレッドの胸を覆う外装に手を伸ばし、発火装置を差し込んだ。そして起動のために親指を立てた。スイッチを弾いたなら内部で二種類の薬品が混ぜ合わされ、爆発する。

 だが彼の手は動かなかった。関節が固まっていた。自身の様子を見下ろそうとするも、首もまた硬直していた。腕も、脚も、上半身も動かなかった。麻痺させられたのか、それともこの場所に固定されてしまったのか、それすらもわからなかった。

 視界の隅で、ローナが身体を引きずる様子が見えた。レンズは壊れ、脚は折れ、だが何やら見慣れない魔法装置へと向かっていた。彼女自身が作り上げたものに違いない。ローナが這った後には油と血、そして蛍光性の青い液体が残されていた。

 身体を掌握する見知らぬ魔法に、カーンは抵抗した。

 ローナはどうにか身体を持ち上げ、座り込んだ。彼女は苦痛のうめき声を発した。

「お前の過ちは私を殺さなかったことだ。できたのにな。お前が来るのはわかっていた。備えていた」

 彼は再び動こうと試み、その奮闘に内なる機構がうめき、金属が回転するのを感じた。ローナの魔法を力ずくで解くのが先か、壊れてしまうのが先か。

 ローナはシェオルドレッドを修復するために用いていた部品の山をあさった。彼女は一本の中継ノードを掲げ、微笑み、そしてそれを脇に置いた。顔をしかめて彼女は傷ついた眼窩に指を突き入れ、壊れたノードを引き出した。柔らかな組織と眉の近くにかすかに輝く頭蓋骨が見え、透明な液体が迸った。そして彼女は新たなノードをはめ込んだ。

 轟音が洞に響いた。小石が落下し、カーンの身体に音を立てた。

「あれは」 ローナが説明した。「我々の船がこの基地から脱出し、第二の基地へ撤退する音だ――ここは間に合わせに過ぎない。ドミナリアの至る所に我々の基地はある。お前が全てを発見できはしないだろうが」

 ローナは自身の脚へと剣を突き立てた。うめきながら、彼女は衣服と肉を切り裂いていった。目には涙が浮かんでいた――機械化した側の目すらも。粗く息をつきながら、彼女は筋肉と折れた骨を洞の空気へとさらけ出した。

 失敗した、カーンはそう感じていた。ローナの魔法に拘束され、友に警告もできず、彼らの隣で戦うこともできない。完成されたファイレクシアの工作員は彼らの最愛の仲間たちの皮をまとい、爆殺しようとしている。なのに、それを救うこともできない。

 洞は今や空ろに沈黙し、ローナが脚に装置を取り付ける音が聞こえるほどだった。彼女は溜息とともに肉で金属を覆った。そして大腿部分の板を調整し、傷を塞ぎ、立ち上がった。肩を回し、彼女は微笑んだ。

「シェオルドレッド様は美しき御方。我が『囁く者』は日毎に力を増し、我々を勝利へと導いて下さる」

 シェオルドレッドの上半身に腕を差し込んだまま、カーンは身体に沿ってカチカチとした振動を感じた。そしてシェオルドレッドは割れ、幾つもの破片へと分かたれた。幾つもの体節がばらばらに外れ、それぞれが節のある脚を何本も生やし、虫の群れのようにカーンへと殺到した。蜘蛛にも似たそれは彼の身体を橋のように用いて地面に向かい、腕を駆け、背中や上半身や膝の裏、ふくらはぎを降りていった。金属の鉤爪が叩く音がカーンの内に反響した。タランチュラほどもある一体がケーブルからカーンの顔面に飛びついた。それは彼の頭部にしがみつき、もだえ、改造された胸部には心臓のような肉の塊が植え付けられているのが見えた。それがカーンの頭頂部へと昇り、後頭部を滑り下るのが感じられた。そして地面に落ち、急ぎ去っていった。

「ウルザの造物よ、お前を止めることはできなくとも、お前が我々の邪魔をするのを防ぐことはできる」

 視界の隅で、ローナが片脚を引きずりつつトンネルを下っていくのが見えた。間に合わせの修理を行ったとはいえ、ローナはまだ重傷を負っており、剣を杖のようについていた。進むたびに、その片脚からは黄色の液体が噴き出した。立ち止まって息をつくと、義足からは油と血の混合物が滴り落ちた。

 彼は頭部を動かしてローナを見つめた。カーンを麻痺させていた効果は弱まっていた。ローナが撤退したためかもしれない。その発生源となる装置を持ったままなのだろうか? カーンは腕を持ち上げようと試みたが、力を込めても震えるだけだった。彼は一本の指を立てた。

 ローナはトンネルの壁に肩を預け、剣で衣服を細く切り裂いていた。「我々がこの世界を掌握する時には、もっと完璧なものにしてやろう。お前の失敗がどれほど致命的だったかを感じられるように」

 カーンは自身を掌握する力に抵抗した。顎が痛んだ。「何を……」

 ローナは衣服の切れ端を脚に巻いて止血した。「古くからの友が変貌し、お前を襲う姿を見ることになるだろう。きっと辛いだろうな」

「なぜ私にそのようなことを?」 カーンはかろうじて声を発した。会話を続けさせなければいけない。この束縛を振りほどいたなら……「私にそのような恐怖が降りかかるのを願うとは、私が貴女に何をしたというのです?」

「ミラディン人がファイレクシア人と化したが、それは彼らに起こった最高の出来事だった。彼らは創造主から自立していた。統一されていた。美しかった」

 カーンを束縛していた力が緩んだように思えた。振りほどかなければ。コイロスの洞窟の基地は空になろうとも、ローナを捕らえることができれば、シェオルドレッドの右腕である彼女からは貴重な情報が得られるだろう。全てが失われたわけではない。

「お前がミラディン人を殺したようなものだろう。完成へと到達するために」

 あと一瞬さえあれば――

「お前はメムナークに自分と同等の知性を与えた。手腕を与えた。だがメムナークはそれらを扱う経験を持っていなかった。導きを持っていなかった。迷わされていた」 ローナの笑みが歪んだ。彼の苦しみを楽しんでいるのだ。「私は、悪い親には我慢がならないんだ」

 カーンの奮闘が止まった。ローナが叩いたとしても、彼の身体はここまで震えはしなかっただろう。

 ローナは壁のスイッチを叩いた。小さく耳障りな音に続き、頭上で幾度かの爆発音があった。轟音とともに洞が崩れ、彼を飲みこんだ。何トンもの岩が降りかかった。大岩が壁面から剥がれ、カーンの胸に衝突した。その威力に彼は投げ出され、そしてローナの装置によって麻痺したまま、崩れゆく洞を見上げた。岩は激しく降り続け、拳大の破片が身体に大きな音を立てた。より小さな粒は跳ね返り、転がり、身体の隙間を埋めていった。塵で視界が灰色に霞み、やがてあらゆる光が遮断されて暗闇となった。岩が彼にのしかかった。

 ローナの呪文が和らぐのを彼は感じた。動くことはできる――この岩の下、少なくとも指を動かそうとすることはできる。それだけだった。この石を持ち上げることはできず、この崩落から抜け出すこともできない。

 彼にとってすら、この崩落した岩の層は重すぎた。

 カーンは灯へと意識を向けた。次元渡りを可能とするもの。それは彼の内に熱く、眩しく燃え上がった。気付くことすら辞めていた、けれど永遠の相棒。ただ集中し、そして――

 だがそれは機能しなかった。何も起こらなかった。

 カーンは指先を通じて特別な感覚を伸ばし、周囲の非有機的素材を分析した。カンラン石、花崗岩、石英、雲母。どれもありふれた石、だが古の次元間技術、そしてファイレクシアの技術が粗悪な干渉を行っており、彼の次元渡りを阻害していた。

 カーンは囚われてしまった。シェオルドレッドはドミナリアに到来しており、それを誰にも警告はできない――彼にわかるのはそれだけだった。

(Tr. Mayuko Wakatsuki / TSV Yohei Mori)

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