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Making Magic -マジック開発秘話-
大局観
2022年1月17日
ようこそ諸君。記事やブログの熱心な読者諸君やポッドキャストのリスナー諸君は、私がよく「マジックは単一のゲームではなく、多くのゲームの集合体である」と言っていることを知っているだろう。今日、私はその意味についていくらか掘り下げ、そして我々がマジックをデザインする方向性を決めている中核的理念を共有したい。それによって、我々がここウィザーズでしていることの理由をよりよく理解してもらえるようになるだろう。
まず最初に、先の一文をもう少し詳しく言い直そう。マジックは単一のゲームではなく、一連のルールとゲーム要素(主にカード)を共有するゲーム・システムである。マジックの製作者としての我々の任務は、各プレイヤーがその望む方法でゲームをプレイできるよう、そのゲーム・システムを可能な限り堅牢にすることである。つまり、我々の主な仕事は、プレイヤー各人がそれぞれ最も楽しくプレイできる方法でマジックをプレイできるようにすること、ということになる。
これを非常に難しいことにしているのが、すべてのプレイヤーが同じようにプレイするわけではないということだ。同じフォーマットをプレイしていてさえ、期待されるものには大きな開きがある。統率者戦をプレイするプレイヤー2人がいたとして、1人は1対1の競技統率者戦、もう1人は超カジュアルな多人数統率者戦に興味があるということがある。この2人のプレイヤーが求めるものは、ほとんど重ならない。それでは、マジックを愛されるものに保ちながら世界中のマジック・プレイヤーすべての需要を満たすものにするにはどうすればいいか。注意深くすることだ。
はじめに
この問題をどう解決するのかを掘り下げていく前に、まず我々のここまでの軌跡について説明し、前提を整えておきたい。1991年、リチャード・ガーフィールド/Richard Garfieldとその友人のマイク・デイビス/Mike Davisは、当時は小さなロールプレイング・ゲームの会社だったウィザーズ・オブ・ザ・コースト社長のピーター・アドキッソン/Peter Adkisonに自作ゲームのロボラリー/Roborallyを売り込むためにワシントン州シアトルを訪れた。ピーターはロボラリーを製品化するのにはコストがかかりすぎると考えたが、綺麗なイラストのついたカードゲームを作りたいとリチャードに伝えた。このことから、リチャードはトレーディング・カードゲームというアイデアを思いついたのだ。一度買えばゲーム全てが揃うのではなく、望むように組み合わせて使えるゲームの欠片を手に入れることができる。周知の通り、リチャードは「箱よりも大きいゲーム」という概念を作ったのだ。
トレーディング・カードゲームの部品性には、もう1つ大きな重要性があった。それによって、ゲームをプレイする方法に多様性が生まれたのだ。プレイヤーはどのカードが使えるかを決めることができた。プレイヤーはデッキ構築ルールを決めることができた。プレイヤーはデッキをどう作るかを決めることができた。(ブースター・パックを開封して、カードをドラフトするなどがそうだ。)プレイヤーは、参加人数を決めることができた。プレイヤーは、勝利条件を決めることができた。マジックの基本構造は、プレイヤーをゲーム・デザイナーにして、どのようにプレイするかに膨大な自由度をもたらしたのだ。
この影響はすぐに現れた。マジックの最初の年の間に、フォーマットが大量に誕生し、そのほとんどはカジュアルに作られたものだった。その後ウィザーズは複数の認定フォーマットを作り、そこでリミテッド・フォーマットをマジックの本質の1つとして押し出したのだ。およそ30年経って、マジックは1人のプレイヤーが指定できるよりも多くのフォーマットで成長し進化し続けている。
つまり、マジックはゲーム・システムである、という考え方は何も新しいものではない。そもそも、リチャードがマジックを作ったその考え方なのだ。マジックを作る舞台裏の我々にとっての課題は、マジックは変わり続けるということである。リチャードの創造物は、それ自身で進化し改革し続けている。我々はマジックを2年前に戻すことはできないが、今から2年後に変えていくことはできる。
加えて、我々は過去のユーザーだけのためではなく、将来のユーザーのためにもデザインしている。マジックが進化しているように、プレイヤー数も進化している。マジックの歴史のほとんどにおいて、ユーザー数は増え続けているのだ。変わり続けることでデザインは飽きないものになっているが、同時に多くの課題を生み出している。以下に、大きなものを挙げてみよう。
優先度問題
プレイヤーはそれぞれ、自分の観点からマジックに触れている。つまり、各人にとってのマジックとは、どのようにプレイするか、どのように体験するかなのだ。そのため、何かがなくなったと感じたり、あるいは何か新しいものが欲しいと考えたりしたら、それは即座に解決されるべき喫緊の問題であるかのように思うのだ。
例を挙げよう。何年にも渡り、青赤のアーティファクトのテーマを持つセットは大量に存在していたが、アーティファクトに注目した青赤の伝説のクリーチャーは存在しなかった。それを必要とする、青赤アーティファクト・デッキを統率者戦で使うプレイヤーにとって、この不在は重大だった。ソーシャルメディアで、私は常々、我々がそのクリーチャーをまだ作っていないことについて質問されていた。簡単にそれを入れられるようなセット(例えば、青赤のスロットをアーティファクトをテーマとしたプレインズウォーカーのサヒーリが使っていた『カラデシュ』)では、入れなかったことに憤慨していた。彼らはその一事だけを求めている。なぜ我々はそれに応えないのか。
問題は、各プレイヤーそれぞれに優先するものがあり、それぞれは1つか2つしか要求しないが、我々にはそれぞれに優先するものを持ち自分の求めるものを要求する何百万人のプレイヤーがいるということだ。プレイヤーの求めるものを列記すれば、ゲーム内のカードの枚数よりも多くなる。確かに、我々はよくある要求を記録しており、プレイヤーが求めているとわかっていることをする機会を常に探しているが、常にまだ実行していないものの膨大なリストが存在しているのだ。我々がまだ実行していないことの1つを求めているプレイヤー個人は、我々が重要なものを無視しているかのように思うのだ。
無駄問題
これは優先度問題からの帰結である。我々が特定のプレイヤー向けでないものをデザインした時、我々が時間やリソースをマジックを進歩させないものに無駄遣いしたとして苛立たせる可能性がある。銀枠セットはその好例である。『Unstable』が発売され、多くのプレイヤーにプレイされ、4回の重版を経たが、それでもなお我々がその製品を作ったことに憤慨している集団がいた。なぜか。それは、彼らのプレイ方法にとって得るものがなかったからである。彼らにとって、それは無駄だったのだ。我々は、優先度が高いと感じられる差し迫った問題のいくつかを低減させるような製品を作ってきている。
この問題は、製品全体ほど大きいものであるとは限らない。メカニズム、テーマ、あるいはカード1枚であることもある。1つ前の問題同様、これはすべてのプレイヤーに共通するものではない。何が無駄で何が無駄でないのかは、マジック内の何を重視するかという主観によるものである。
汚染問題
マジックがそのプレイヤーにとって何なのかという特定の中には、何でないのかという特定も含まれる。各プレイヤーそれぞれに、何を許容できて何を許容できないのかの線が存在する。我々がその線を超えたものを作ると、そのプレイヤーは我々がマジックにふさわしくないものを導入していると憤慨するのだ。エターナル・フォーマット、つまりほとんどのカードを使えるフォーマット、の人気から、彼らがマジックにふさわしくないと考えるものがそのフォーマットの一部になるので、これはさらに侵略的になる。プレイヤーは対戦相手がプレイするものをコントロールできないので、そのものがそのフォーマットを汚染することを恐れるのだ。
ここでの問題は、その線が人によって大きく異なるということである。『ユニバースビヨンド』はこの問題の好例である。自分たちのマジックのゲームに他の知財が関わる可能性を愛するプレイヤーもいる。ゴジラやドラキュラなどのオーバーレイを良いとするプレイヤーもいる。マジックのファンタジー環境に溶け合う知財からのものなら問題ないとするプレイヤーもいる。マジック世界の存在でないものは望まないプレイヤーもいる。『エルドレインの王権』の《亜麻色の侵入者》のような、他の存在をマジック世界風にした存在さえも気に入らないプレイヤーもいるのだ。
進化問題
マジックは、常に変わり続けるゲームである。我々がそれまで存在しなかった新しい要素をマジックに導入するたび、マジックが自分の愛したものでなくなったことに憤慨するプレイヤーはいる。これは、どんな新要素でもそうである。
我々がローテーションを初めて導入したとき、『第6版』ルールを導入したとき、フォイル仕様を導入したとき、新カード枠を導入したとき、新レアリティを導入したとき、ブースター・ファンを導入したとき、新しい種類のブースターを導入したとき、何にでも、マジックが変わるものに不満な人々はいた。これには、マジック内のものも含まれる。『アライアンス』が、タップアウト状態から唱えられるカードを導入したとき、『ローウィン』でプレインズウォーカー・カードを導入したとき、『イニストラード』で両面カードを導入したとき、『フォーゴトン・レルム探訪』でd20をスタンダードに導入したとき、憤慨したプレイヤーがいた。それどころか、ダメージ・スタックやマナ・バーンやタップ状態のブロック・クリーチャーはダメージを与えないというルールがマジックからなくなるときにも憤慨するプレイヤーがいた。あらゆる新しい変化は、追加にせよ削減にせよ、「マジックの最期」だ、という冗談がある。
これまでのテーマ同様、何が人々を憤慨させるかはプレイヤーごとに異なる。両面カードが大好きでダイスを振るのが大嫌いなプレイヤーもいれば、それの真逆なプレイヤーもいるのだ。
これらに代表される問題は、マジックのすべての新しいカード、メカニズム、テーマ、枠、セット、製品、などあらゆるものに存在する。そして、もし我々が何もできなかったとしてもそうだ。その場合もまた憤慨するプレイヤーはいる。行動するにせよしないにせよ、誰も憤慨させないことは文字通り不可能なのだ。
掘り下げ
それではいよいよ、この問題の核心に入ろう。これから言う2つのことは真実である。
1.マジックは生き残るために進化しなければならない
私はマジックを、常に動き続けねばならず常に飢えている、鮫に例えることがある。マジックの血液、その本質は、マジックが常に自身で反復工程を続けているという事実に関係している。我々が改革を止めたら、我々が限界を広げてマジックの可能性を探るのをやめたら、マジックは死ぬと私は心から思っている。マジックの中核的特徴は、ユーザーが掘り下げと発見をし続けなければならないというアイデアに関係しているのだ。
2.ユーザーはそれぞれに違うものを求めている。
これはマジックのまた別の最大の長所である。マジックは、ユーザーが望むものになりうる。プレイヤーがプレイしたいと考えるようにゲームを組み立てる自由が与えられているのだ。しかし、それはつまり、マジックは各プレイヤーにとって異なるものだということになる。ユーザーが望むものに単一性はない。あるプレイヤーにとってマジックを特別なものにしているものは、他のプレイヤーが嫌っている一面なのだ。
誰も憤慨させることなくマジックを作り続けるにはどうすればいいか。答えは、そんなことはできない、である。できないのだ。上の2つのことから、それは文字通り不可能になっている。しかし、我々にも可能なことがあり、それが指針となるデザイン理念をもたらしている。
どのプレイヤーにも、自身の愛するゲームにできる道具があるようにマジックをデザインする。
これは一文だが、ここには多くのことが詰められているので、それを紐解いていこう。
1.排除よりも包含に焦点を当てること
私のゲーム・デザインに関する自明の理の1つに、「そのゲームを誰もが気に入っても、誰にも愛されなければ、失敗する。」というものがある。(これは私がGDCスピーチで述べた20の教訓の1つである。動画(英語)や記事で紹介している。)この背後にあるアイデアは、成功するゲーム・デザインの鍵は、嫌うプレイヤーがいるものであってもプレイヤーが愛するものを入れることである、というものである。何かを嫌うプレイヤーが、他のものを愛することができるようにしなければならないだけである。
この教訓の重要な部分は、愛するもののためにそのゲームに惹かれる力のほうが嫌うもののためにそのゲームを避ける力よりも強いということである。特にマジックのような部品的ゲームでは自分の使うものをコントロールできるのでそうなる。我々の理念において、これはつまり、我々は何かを入れないことよりも入れることを優先するということを意味する。マジックは、何でないかではなく何ができるかで定義づけられる必要がある。そのため、一部のプレイヤーが愛するであろう要素を見つけた場合、他のプレイヤーがその要素がマジックに入ることで不機嫌になるであろう場合にも、それを入れることになるのだ。
2.さらなる実験に意欲的であること
長年に渡り、開発部を動かす言葉は、「これはマジックの何たるかである。本来の対象に集中し続けること」というものだった。マジックには特定のスタイル、特定の外見、特定のユーザーがあった。マジックのデザイナーとしての我々の仕事は、その枠内で職務を果たすことだった。しかし、我々の見解は完全に変わった。マジックとは何なのかを自問するのではなく、今は、マジックは何になりうるのかを自問している。ブースター・ファンはまさにその好例だ。マジックのカード枠は、何度かの調整を経て、マジックの最初から基本的に変わらないままだった。アートの全体的な雰囲気もそうだった。ブースター・ファンは、もし違うこと、大きく違うことを提供し始めたら何が起こるかを問いかけた。違う種類のカード枠や大きく異なるスタイルのあーとに興味を示すプレイヤーはいるだろうか。その答えは、朗々たる「イエス」だった。ただし、これは我々がこれまでのカード枠やアートを捨てるということではない。プレイヤーが楽しんでいるものであればそれは存在し続けるが、今はさらなる選択肢を提供してプレイヤーがマジックを通して自己表現する方法を形作るさらなる可能性を与えている。マジックをプレイヤーが愛せるものにするための方法の中に、選びうる選択肢を増やすという方法があるのだ。
3.基本としてプレイできるようにすること
我々が、マジックの定義の外にあると思われうるようなことをするときによく言われることの1つが、どんぐりシンボル(以前の銀枠)を使えというものである。これは、どんぐりシンボルが意味するものが誤解されていることによると思う。
プレイの幅の1つが、競技的-カジュアルという幅である。銀枠セットは、その幅の中のカジュアル側の極限にふさわしいが競技的な問題を引き起こすようなデザインを掘り下げる。例えば、他の人々からの外部情報を使うのはカジュアル環境では楽しい変数だが、イベント環境では不正の懸念でいっぱいである。どんぐりシンボルは、競技性の高い環境でプレイするのに必要な厳密さに拘る必要のない追加のデザインができるようにする道具なのだ。基本的には、プレイヤーには、可能な限り多くのカードを、可能な限りさまざまなフォーマットで使えるようにしている。どんぐりシンボルは、一部のプレイヤーが嫌う可能性があるものを除外する道具ではない。その線には絶対的なものはないので、どんぐりシンボルは競技プレイを妨害することなくさらにカジュアルな要素をマジックに加えられるようにする手段なのである。
4.楽しむものを作るプレイヤーを信頼すること
この理念のもう1つ重要な部分は、自分に重要なものを形作るプレイヤーの能力を理解することである。彼らは自分がプレイするフォーマットを選べる。もしプレイしたいフォーマットがなければ新しいフォーマットを作ることもある。彼らは自分のデッキに何を入れるかを選べる。彼らは誰とプレイするかを選べる。自分のプレイグループで何が受け入れられて何が受け入れられないかという大きな取り決めをすることもできる。
プレイヤー個人のプレイ体験を左右できるのは、我々デザイナーよりもその本人なのだ。我々の選択が与える大きく全体的な影響は、プレイヤー個人ができるような繊細なものからは外れている。プレイヤーが愛するものを作る上で重要なのは、プレイヤーがそれらの要素に向かうことを信じることである。
5.助けになるような反響を生み出すこと
マジック・デザインの生態系の重要な部分は、我々とプレイヤーとの双方向コミュニケーションであるが、その中でも重要な反響が存在する。
それを説明するため絵に、比喩を使わせてもらおう。マジックのデザインを、ビュッフェだと考えてくれたまえ。我々は、諸君が素晴らしい食事を楽しめるようなバイキング料理を作った。すべての客がすべての料理を食べるということは想定していない。我々の目標は、すべての客が、自分の食べるものを楽しむことだ。我々にとって最も重要なのは、客がどの料理を愛したかである。特上リブロースが良かったという声があれば、我々はそれをもう一度出せるようにし、場合によっては切り分けコーナーを増やす可能性もある。良かったと言われる食事を出せば、その客が再度来店し、再びビュッフェで食べてくれる理由になるのだ。もう少しで気に入るものがある、というのも同様に重要である。カルボナーラのコショウが少ないほうが良かった、という情報は有用だ。将来、コショウを減らしたものを試してみることができる。チリがどれほど嫌いかというのは、価値がとても低い反響である。確かに、充分な人数がチリを嫌いだと言っていたなら、チリを出さないようにすることを検討するかもしれないが、チリ好きがチリ料理を楽しんでいたなら、チリを出すかどうかという件についてチリ嫌いの声は軽視する。もっとも重要なことは、ビュッフェにもう一度行くかどうかを決める要素になるのは嫌いなチリの料理があることよりもビュッフェで美味しい料理を見つけたということだ、ということである。
6.マジックを傷つけるものを理解すること
これは、我々が除外する必要があるものが存在しないということではない。開発部が、マジックに入れないようにし続ける必要があるものがある。それは大きく分けて2つだ。
1つ目は、悪いメカニズム。カラー・パイの存在には理由がある。すべての色がすべての効果を扱うことができないようにマジックが構造されているその基礎である。実際、これまでその色がしたことのないことをその色でするカードを作ってほしいというプレイヤーは大量にいるが、そうすることでゲーム・システムの完全性が損なわれることになる。
2つ目は、我々の価値を損なうことを避けること。固定観念を弄るべきではないし、特定のプレイヤーを不快にさせるようなカードを作るべきではないので、それらを楽しむプレイヤーがイたとしても我々はそれらをすることはない。
上空からの視点
今日の記事での私の目標は、一歩引いて開発部がマジックで取り組んでいることをの広い視野をもたらすことである。我々が直面している課題と我々を導く理念について把握してもらえたなら幸いである。
いつも諸君からの反響を楽しみにしているが、今回は通常よりももっと楽しみにしている。私が今日の記事で語ったさまざまなことについて、諸君はどう考えているだろう。メール、各ソーシャルメディア(Twitter、Tumblr、Instagram、TikTok)で(英語で)聞かせてくれたまえ。
それではまた次回、『神河:輝ける世界』のプレビュー記事でお会いしよう。
その日まで、あなたがおいしい食事を食べられますように。
(Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru)
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