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Making Magic -マジック開発秘話-

大事なもの探し その1

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Making Magic

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大事なもの探し その1

Mark Rosewater / Tr. YONEMURA "Pao" Kaoru

2013年11月18日


 時折、「ローズウォーター・ファイル」と銘打った一連の記事を書いてきた。これらの記事では、私の人生の一側面を切り取った個人的な話と、デザインの一側面とを絡めて話している。全体的な見方をする私としては、私の人生の中でこの2つの部分が無関係であるとは考えておらず、むしろ私が何者であるかを定義づける、絡み合った要素だと考えている。私の個人的な人生を諸君に紹介することで、私が自分のデザインにどう取り組んでいるかをより理解してもらえると思う。

 これまでにも「ローズウォーター・ファイル」をこれだけ重ねてきた。

 いつも受ける質問の1つが、どこから発想を得ているのかというものだ。セットに必要なカードやメカニズムをどうやって見付けているのかというと、さまざまなことから、さまざまな形で得ている。これまでリード・デザイナーを務めてきた数々のセットを時系列順に見ていきながら、それらがどのようにできたのかを掘り下げていく。その間に、私が個人的人生において最も大切な存在、妻のローラ/Loraとどのように出会ったのかの長い話をしていこう。今回と次回の2回に渡って、私達の結婚秘話を語っていく(結婚そのものについての話は上のリンクから読んでくれたまえ)。


 私はいかにしてウィザーズ・オブ・ザ・コーストの一員になったかについて(マジックとの出会い(リンク先は英語)、マジック愛からマジック制作者へ)は充分語ってきた。そこで今日の話は、ローラがいかにしてそこにたどり着いたかということから始めよう。ローラはアイダホ州のボイジーで育った。学校を卒業して、彼女はある重大な決断をした。彼女はもうボイジーに住みたくなかったので、今日でも聞いた時の衝撃を忘れられないあることをした。地図を手に取り、そこから無作為に場所を選び(カリフォルニア州サンタローザ)、そしてそこに移住したのだ。

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 ローラはホーム・デポで働いていたので、その伝手をたどって引っ越し先の近くの店で仕事を見付けることができた。他には何もなかった。その街には知り合いもおらず、また住む場所もなかった。彼女は身の回りの品を詰め込んだ車1台でそこに乗り込んだのだ。

 数年後、彼女はサンタローザは彼女のいるべき場所ではないと判断し、西海岸に他の街を求めた。彼女の母親の家族はシアトルで育っていて、彼女の母親はもうそこに住んでいなかったけれども、彼女の親戚がそこにいた。そこで、ローラは荷物をまとめ、エメラルド・シティに引っ越したのだった。

 ローラは店舗での仕事ではなく事務職に就きたかったので、派遣社員となった。やがて、建築資材を作る会社で正社員の職を手にすることになった。ローラは数年そこで働き、安定した支払いと充分な利益を得ていたが、その仕事は退屈だった。ローラはさらなることを求め、安定した職を捨てて再び派遣社員となったのだ。やがて、彼女はある若い会社の門を叩くことになる。その会社の名前は、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストと言った。

 ローラは早朝に出社した。1995年5月のウィザーズは、会社という態を成していなかった。社員の多くはゲーマーで、仕事というものをゲームの大会と同じように考えていた。多くはTシャツにジーンズというカジュアルな格好をしており、中にはそれよりもっと異彩を放つ格好をしているものもいた。ローラにはまるで衣装のように見えたほどだ。彼女が最初に出会った人物の1人はレザーのパンツを身につけていた(諸君の中にはかつてのイベント・マネージャーであるスティーブ・ビショップ/Steve Bishopを連想したものもいるだろうが、その通りだ)。

 ローラは最初、後ずさり、そして派遣会社に別の職場を求める電話を入れるところだったが、もう少し様子を見てみようと判断した。その会社は、彼女にとっても、人々が自分のやることを愛し、そして自由に自己表現をできる場所だという評価になっていった。ローラは素晴らしい仕事をして、そしてすぐに正社員の職を与えられることになったのだ。


 私はデベロッパーとして雇われたが、私が本当にやりたいことはデザインだった。『テンペスト』は私にとって自分の実力を証明する機会だった。私には、マジックに加えるべき本当にイカした構想があった。ドロー誘発である。そのカードを引いた時に効果が発生するカードのことである。私は本当にイカしたカードをノート一杯にデザインした。しかし、そこには1つの問題があった。そのカードを確認する手段がないのだ。コンピューター・ゲームなら巧く行くだろうが、紙のマジックではそうはいかない(このメカニズムおよびその最終形についての話は、こちらの記事から読むことができる)。

 何ヶ月かドロー誘発を仕上げようと取り組んだが、結局のところ、その問題を解決することはできないと判断した。そのセットには、マイク・エリオット/Mike Elliottがウィザーズに入社する前に作っていたセットから採用したシャドーというメカニズムが既に存在していたが、もう一つキーワードが必要だった。シャドーのことは気に入っていたが、セットの売りにするにはもっと新しい何かが必要だと判断したのだ。魅力的な、革新的なキーワードが必要だった。

 いつも言う通り、私には「箱の外を見る前に、箱の中を確認せよ」という座右の銘がある。ある時、私は、新しいものを探すのではなく、このセットに既に含まれているものを見直すべきだと判断した。そして、私はリチャード/Richardの手によるカードを見つけ出したのだ。そのカードは、カードを引くもので、プレイ時に追加のマナを支払えばその元の呪文を手札に取っておけるというものだった。これは本当にイカしていて、そしてプレイ感覚もよかった(その理由は、そのメカニズムが強かったことと、この能力の正当なコストを判断できずに強くしすぎていたことが半々だろう)。

 このカードの能力はキーワードに昇格し、バイバックとなった。時を経て、プレイヤーの一番好きなマジックのメカニズムは何かという投票を行ったところ、バイバックが1位だった(2位はフラッシュバックだった)。


 私が初めてローラに会ったときは、ローラにというよりも、ローラの机に会ったのだった。知っての通り、私はウィザーズでフリーランスとして働いており、時々シアトルに呼び出されていた。ある時、私は何かのプロジェクトでシアトルに呼ばれていて、夜には開発部の連中と遊んでいた。そんな深夜の遊びのときに、私はオフィスの中をぶらぶらとうろついていた。

 ある夜、私は完璧な机に出会った。その机の持ち主は、誰でも食べていいキャンディボールを置いていた。充分な量が入っていて、私はそこで1つ2つ飴をもらっていた。飴を食べながら、私はしばしばその机でパズルを解いていた。そのパズルは机の持ち主が提供しているものだった。様々な種類のパズルが置かれていて、私はそれらを解くためにかなりの時間を費やしていた。そして、もっとも重要なもの、ナーフの弓矢があったのだ。

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 ウィザーズでのナーフ戦争の歴史を知らない諸君のために言っておくが、とにかく長い物語なのだ。大抵、夜に、開発部しか社内に残っていないような時、我々は神話的なナーフ戦争を始める。私が選んだ武器は、この素敵な机にあったナーフの弓矢だった。その矢のそれぞれには小さな赤いハートの印がついており(この机の持ち主が女性だと示しているのはこれぐらいだった)、私は使った後いつもこの矢をなくさないように注意して探したものだった。

 シアトルに引っ越してウィザーズで働くようになるには様々な理由があったが、その中にはこのような机があるところで働きたいという思いがあったと信じている。キャンディ、パズル、ナーフの武器。この机の神秘的な持ち主のことは知らなかったが、ここで働けるそういった人物がいることでウィザーズはもっと魅力的に感じられたのだ。


 『アングルード』の目標の1つは、境界を破ることにあった。銀枠は、それまでに存在したマジックのあらゆるルールは無視できうるということを示していた。あらゆる? そう、あらゆることが机上に載せられた。それを踏まえて、想像外のことをするための鍵は、あらゆる人に聞き回ることだと判断した。開発部に限らず、社内でマジックに触れたことのある人なら誰にでもだ。

 私は会合を開き、そしてこんな質問をした。「できるけれどもやってこなかったことは?」 狂った発想について尋ねると、相手の口からは何年分もの発想があふれ出てきた。そんな会合の中で、CAPSと呼ばれる社内の部門とのものがあった。CAPSとは、カードや物理的レイアウト、そして印刷に責任を持つ武門である。開発部の考えを受け、そしてそれを物理的なカードにするのが仕事なのだ。

「それじゃ、印刷上可能だけれども活用してこなかったことは何がある?」と尋ねると、会合の参加者は次々と答えを出してきた。その中で1つ、私の心を打ったものがあった。カードは巨大シートに印刷されて、それから裁断されてカードになる。つまり、イラストはカード1枚よりも大きくできるし、カードの一部だけ別のカードに載せることもできる。ルールを無視するなら、単一のカードよりも大きい単位で考え、そしてお互いにどのように相関するかを考えることができるのだ。

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 その会合では多くの発想を得た。その中の1つは、そのセットでもっとも人気の高いカード、《B.F.M. (Big Furry Monster)》に繋がった。カード1枚よりも大きなイラストを使えるということは、つまり、カード1枚よりも大きなカードを作ることができるということである。つまり、2枚のカードからなる《B.F.M. (Big Furry Monster)》ということだ。この発想を得て、私は、2枚のカードにまたがるカードは何がふさわしいかと考えた。答えは、クリーチャーだ。大きすぎて、カード1枚に入らないようなクリーチャーだ。

 この印刷の話から、また別の冗談が生まれた。《Free-for-All》は、レプラコーンとピンクの象の間の争いを描いている。レプラコーンの1体があまりに強く殴られたので、カードをぶち破って他のカードにまで飛んで行ってしまっている。その別のカードは《I'm Rubber, You're Glue》だ(このカード2枚のアーティストが同一人物、クレイモア・J・フラップドゥードル/Claymore J. Flapdoodleであるのは見ての通りである)。


 私が初めてウィザーズに出社したのは1995年10月30日だった。こんなに月末になったのは、医療補助の都合だった。医療補助は働いた月の最初の日から計算されるのだ。月の終わりに働き始めれば、即座に医療補助を受けることができる。私が10月30日から始めたのは、ウィザーズでのハロウィンを逃したくなかったからである。

 もちろん、私は仮装していた。自作だ。黒ずくめのケープに身を包んだスーパーヒーローの格好だ。白いのは私の顔と、胸部に入れた「MM」のロゴ。世界初のパントマイム・スーパーヒーロー、マスター・マイムに扮していたのだ。ググってみるといい。マスター・マイムは私の考えたスーパーヒーローだ。その仮装にはこんなジョークが込められていた。誰かに近づき、何かを言う。「マイムは喋れないと思っていたよ」と返されたら、私は尻に手を当てる最高の決めポーズをして、「私は普通のマイムじゃないからな!」と言うのだ。

 パントマイム・スーパーヒーローに話す能力があるというのがジョークなのだ。ローラが私について覚えている最初のことは、この仮装だそうだ。彼女は後に、私が何をやっているのかわからなかったと言った。ローラの得た第一印象は最高とは言えないものだったし、しばらくはそのままだった。彼女が最初に思ったのは、開発部の新人は変人だ、というものだった。

 ちなみに、その時ローラはポカホンタスの仮装をしていたよ。


 なぜそうなったのかは覚えていないが、『ウルザズ・デスティニー』のデザイン・チームにはたった1人、私しか所属していなかった。マジックは少しずつ大きくなったが、マジック開発部の人数は増えていなかった。つまり我々は少しばかり忙しくなっていたのだ。想像するに、私は自分から立候補し、当時の首席デザイナーであったジョエル・ミック/Joel Mickという男はそれに同意したのだろう。

 当時、各ブロックにはそれぞれ2つの名前の付いたキーワード・メカニズムが存在していた。『ウルザズ・サーガ』ブロックにおいては、サイクリングとエコー(興味深いことに、どちらも元々『テンペスト』のデザイン中に作られたものだった。サイクリングはリチャード・ガーフィールド/Richard Garfield、エコーはマイク・エリオット/Mike Elliottの手によるものである)。『ウルザズ・デスティニー』はそのブロックの第3セットだったので、私はサイクリングとエコーの両方をさらに進化させる方法を探していた。

 しばらくの検討の後、私が見付けた結論は、この2つが重なる部分は両方がカードを墓地に送るものだということだった。サイクリングは手札から、そしてエコーは戦場から。この2つを繋ぐ方法を見付ければ、両方の重なる何かをデザインすることができる。私の解決策は、サイクリングを手札から戦場に動かすことだった。そのために、私は「場からサイクリング」を持つカードをデザインした。サイクリングと同様、{2}を払ってそれを墓地に送ることで新しいカードを引くことができるのだ。

 サイクリングとエコーがどちらも戦場から墓地に送るものになったので、メカニズムの使い方を作ることができた。この場合、死亡誘発(通常は、死亡したときに何かをするクリーチャー)が両方のメカニズムの共通点である。

 私のデザインは非常にタイトで、大量の相互作用を含むものだった。不幸にして、私は一つ重大な誤りを犯していた。「場からサイクリング」は「場からサイクリング」であるとは受け取られず、顧客のほとんどはその重要性に気づきもしなかったのだ。実際、開発部ではこんな遊びが流行った。新人が来ると、誰かがウルザズ・デスティニーの「場からサイクリング」のカードを示し、新人は「ああ、言われてみればそうですね」と言うのだ(開発部で私以外全員がそのやりとりを楽しんでいた)。


 ローラはウィザーズでの初期には様々な仕事をしていた。ある時、誰かがローラの人当たりの良さに気づき、彼女を受付係にした。彼女はオフィスに来た人の応対に一番いい相手だったのだ。

 やがて、当時のウィザーズのCEOであったピーター・アドキッソン/Peter Adkisonは、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストでゲーム店舗ビジネスを始めようとした。ウィザーズは店舗レベルの組織化プレイが重要だと常に考えているのだ。小売店ビジネスに参入するためにどうするか? 当時はポケモンのブームで(初期には、合衆国でのポケモンの販売はウィザーズが行っていたのだ)、ウィザーズには多少の資金的余裕があったのだ。

 よく知らないビジネスに参入するということで、ピーターはウィザーズのロビーをテスト的にトーナメント・センターにすることにした。そうすることで、これからすることの直接の知識を得ることができるのだ。そのため、受付係というローラの仕事はさらに複雑なものになった。彼女はトーナメント・センターの運営を監督することになったのだ。ローラはその挑戦にエキサイトし、仕事に没入した。

 やがて、社内の他の場所で、受付の仕事をする女性社員に連なる一連のイベントが発生した。彼女は夜間の仕事(トーナメント・センターは真夜中まで開いていたのだ)を提示されたが、彼女はシングルマザーだったので、日中の仕事の方が欲しかった。しかし、ローラの望みに反して、彼女は夜間の仕事に割り振られることになった。

 トーナメント・センターは日中の方が夜間よりもずっと忙しかったので、ローラの仕事は、かなり忙しいものから、やることが少ないまま座っているものに変わったのだった。


 8年間、私は全てのプロツアーに同行していた。私の仕事は、スイスラウンドの間のフィーチャー・マッチを監督することと、決勝日のビデオの作成ならびにコメンタリーだった。フィーチャー・マッチを運営する中に、フィーチャー・マッチ・エリアの4テーブルを監督するジャッジという役割もあった。つまり、私は、プロツアーのもっとも魅力的な試合を最前列で見ることができたということである。

 フィーチャー・マッチの多くはエキサイティングだったが、ゲームの面白さには幅があり、どのマッチも全てが一番魅力的というわけではなかった。1人が劣勢になると、私はちょっとしたゲームをしていた。私の頭の中で、私はプレイヤーに特別な能力を与えて、そうしたら彼らがどうするかを考えるのだ。例えば対象をもう1つただで取ることができる、という能力。あるいは死亡したクリーチャーを手札に戻すことができるという能力。それらの能力は、常に劣勢を埋めることができるようなものだった。

 私がプレイヤーに与えるのが好きな能力は、「死王」能力だった。これは自分の墓地にあるクリーチャーを唱えることができるというものだ(この能力は、テーロスの《死者の神、エレボス》に元々与えていたものだった)。結局、この能力は分岐して、プレイヤーに自分の墓地からインスタントやソーサリーを唱えられるようにするというものになった。私はこの能力を「墓地唱え」と呼んでいた。それらの呪文を一度だけしか唱えないものだと仮定していたが、公式に追放するとは考えていなかった。

 このちょっとしたゲームは、ヴァンガード・フォーマットに影響を与えた。加えて、マジックをプレイする新しい方法を見いだす助けとなった、何年か経って、私は『オデッセイ』のデザインに取り組んでいた。このセットが墓地セットになるということはわかっていたので、何か墓地でできる面白いことを探していた。そして、このちょっとした遊びで使ったこの効果のことを思い出したのだ。結局、インスタントやソーサリーを使うほうを採用した。それは、(1)クリーチャーのほうはあまりにも再利用できすぎる(後に『アラーラの断片』の蘇生メカニズムでこの問題を解決することになる) (2)トークンを作る呪文を作れば、実質的にはクリーチャーのほうと同じことができる という2つの理由からである。

 一番おかしかったのは、当時、プロツアーで何をしているのかと聞かれたとき、ただ道化をしているだけだよ、と答えていたことだ。


 トーナメント・センターの立ち上げの中で、一緒にゲームをできるよう、複数のコンピューターをLANでつないだ。このころはまだインターネット経由ではそんなことができなかった時代である。開発部のメンバーは1階に下り、夜中にLANを使ってウォークラフト(ワールド・オブ・ウォークラフトの前作)に興じていた。問題が1つだけあって、私はウォークラフトが好きではなかったのだ。

 時々、私は自分の席に残って仕事をしていた。別の時は、トーナメント・センターに下りることもあった。開発部の連中が遊んでいるのを眺めはしてもプレイには興味が無かったので、誰か人を探して喋っていた。いつもそこにいた人の1人が、受付係だった。彼女の名前は、そう、ローラだった。


 ミラディンにもう1つメカニズムが必要だった。装備品は既に存在した。親和(アーティファクト)も存在した。刻印も存在した。魅力的である必要はなかった。最初に挙げた3つはどれも非常に魅力的だった。必要なのは、アーティファクトに関係しない、理想を言えば呪文に関係するものだった。マナが大量にあるようなゲームの終盤で、そのマナを費やせるものであればなおよかった。

 穴があるとき、重要なのは必要なこととそうでないことを定義することだ。制限が想像の母だということはしばしば語ってきたが、穴埋めに際してはまさにそれが真実である。デザイナーに解決策を求める場合、より詳細に告げることが助けになる。私はこの必要なものを考えるのに1週間の時を費やした。

 デベロップに提出したときには、最終のメカニズムに必要なものは充分煮詰まっていた。そこで我々はそれについて考え、そして最終形を作っていった。時間の迫る中、私はついに答えを見付けたのだ。

 私が自分の仕事に関して楽しんでいることの1つが、時間の使い方だ。私は毎晩家に帰れるし、家族と一緒にいられる。週末は働かなくていいし、毎日昼食に1時間かけている。私の仕事は、机に向かう必要はない。解決すべき問題があれば、それを第一の問題に据えていなくても、私の脳みそはいつでもそれに取り組んでいるのだ。

 ある夜、私はベッドに入ったが、脳みそはいつも通り回転していた。私は眠りに落ちたが、識域下では課題に取り組んでいたので、夢を見た。そして、夢の中で、私はその問題を解決していた。私ははっきりと「これだ!」と叫んだのを覚えている。そして目覚めて、さっと書き記したのだ。

 そしてできたのがこれである。


 深夜のおしゃべりの中で、ローラと私は友誼を深めていった。私はほぼ毎夜受付に立ち寄り、挨拶をした。そして様々なことについて話した。たとえばそれは、私とある女性との間の問題を解決するためにローラが手助けをしてくれるという話だった。私は彼女をフリーランスのテクニカルライターとして招いた。彼女が承諾してくれたのには本当に驚いたものだ。

 私が素晴らしい初デートだと思っていたとき、彼女は私とのデートに興味は無いと言った。彼女は私との交友関係をとても楽しんでいたしこれからも友達で居たいとは思っていたが、友達としてだけだった(このあたりの詳しい話は、デートについてのコラム(リンク先は英語)を参照)。私は可能性がないということを信じず、彼女との時間を過ごし続けた。いつか心変わりしてくれるかも知れないと信じたのだ。

 ほとんどの人は、私がひどい時間を過ごしたと言うだろう。思い返してみると、私は将来の妻と出会い、彼女に、他の女性について相談していたのだ。私は女性に嫌な記憶があり、そのほとんどは私の怠慢のせいだと信じている。私は不安で、普通でない振る舞いをしていたのだ。しかし、ローラをデート相手だと思わなかったので、ローラとは普通に過ごすことができて、ローラは彼女に好かれるために築いた私のペルソナでなく、本当の私を知るようになっていった(これは重要だぞ、少年諸君)。

 これは1996年の春から夏にかけてのことだった。


 ファイトクラブの第1のルールは、「ファイトクラブについて話してはならない」。アン・デザインの第1のルールは「黒枠で印刷できるようなカードではならない」である。私は『アンヒンジド』のデザインにかかっており、アン・デザインの第1のルールと単純なデザインのベン図を書くと重なりは小さいということを発見していた。黒枠でできない、単純なことというのは一体どうやればいいのか?

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 これを解決するために、私は自分に課題を課した。「バニラのアン・カードをデザインせよ」だ。一見すると、これは不可能なことに聞こえる。しかし私はルールを破れるのだと考え直した。そうとも、バニラであればルール・テキストは空欄である。それでは、弄れるところは? 名前、カード・タイプ、サブタイプ、レアリティ・シンボル、アーティスト表記、パワー/タフネス、コレクター番号、著作権表記。いくらでもある。「できる」私は自分にそう言い聞かせた。

 1つずつ検討し、それまでやったことのない何ができるかを確認していった。やがて、私はパワーとタフネスに行き着いた。破りうるルールとは何か? このときだけ、私はルールを破ることを私自身に貸した。そして答えを見付けたのだ。パワーやタフネスが整数でなければならないというルールを破ったらどうだろう?

 私はまず一番単純な1/2から始めた。そして生まれたのが《Little Girl》である。1/1よりも弱い人間は当然存在する。それをカードで描くにはどうしたらいいか? そこで1/2という考えにたどり着くと(必要なのは1/2だったのだ)、私はそれを他のパワーやタフネスにも拡張していき、そして他の部分にも広げていったのだ。

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 興味深いことに、1/2は私が想像していた以上に扱いにくかったが、それによって黒枠ではあり得ないことを最小限の言葉で可能にすることができたのだった。


 1996年8月、マジック世界選手権がレントンのウィザーズ・オブ・ザ・コースト社で開催された。一般公開されたイベントであり、私の父やその友達のドン/Don(どちらもマジックをプレイしていた)もイベントのためにレントンにやってきていた。彼らは多くのサイドイベントに参加し、(オーストラリアのトム・チャンフェン/Tom Chanphengがアメリカのマーク・ジャスティス/Mark Justiceを下し、史上3人目の世界王者になり、そして1996 World Champion》という世界に1枚しかないカード(リンク先は英語)を手に入れた)世界選手権を見学して楽しい日々を過ごしていた。

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 この間に、私は父とドンを多くの同僚に紹介していた(開発部の面々のほとんどは、タホ湖にある父の家に遊びに行って顔見知りだった)。その同僚の中の1人がローラだった。彼女は受付で働いていたので、多くの見学者の相手をしていたのだ。

 最後に、私は父とドンに別れを告げたが、そのときにこんなやりとりがあった。

ドン:ローラって娘、いいじゃないか。

いい娘だろ。

ドン彼女、お前のことが好きだぞ。

え?

ドン少し喋ったんだがな、お前のことが気になっているのは間違いない。

ただの友達だよ。

ドンそうは見えないな。


 このやりとりで、全てが変わったのだった。

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 それではまた次回、私と妻のなれそめについての続き、と、さまざまなメカニズムのおこりについての話をする日にお会いしよう。

 その日まで、あなた自身の話すべき話があなたとともにありますように。

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